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2012-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20120223114947

まずは、発注者上司に取材してみよう。

(1)1年間限定ですか?それとも、問題がなかったら、3~5年など継続して使いますか?

 ・通常は、ソフトウェア瑕疵担保は1年(1年は、ソフトミスは、開発業者が直す)。

 1年以上経つと、責任がなくなるので、保守などが必要になる。

 ・仮に、サーバトラブルや、システムトラブルで、システムが止まったときに、どの程度止まることが許容できますか?

 ・年数は、自動化するか?どうか?の見極めに使う。

 月給25万のサラリーマンだと、年収300。保険等も加えると、人を雇うコストはそれなりに高い。

 数年使うのであれば、ある程度、初期投資をしても良いという判断が働く。

 (400万でも、5年使うのであれば、年間80万。)

 普通スタッフ一人(が専任・手動で今回の対応を行う)やとうのと、

 システム400万は、会社から見ると、経費の観点では変わらない。

 やってみなきゃわからないだと、あったらいいな便利機能は極力削って、必要最小限の機能

 対応して、実際のオペレーションで不便な箇所を、追加発注で、自動化等の修正してもらえばいい。

(2)個人情報管理しますか? 初期の申込み専用のシステムですか?

 ・多分あると思うので、SSL必須ベリサインでなくても良い。

 ・毎年~数年毎に更新必要。担当者が変わる(自分が辞める)ことも想定して、引き継ぎ項目に加えておく。

 ・多分あると思うので、サーバは専用にした方がいい。(Amazon安い)

 ・ドメインも多分必要。毎年~数年毎に更新必要なので、引き継ぎ項目に加えておく。

(3)バックアップは必要ですよね?

 ・ハードウェアみたいな形があるものは必ず壊れる。オペミスで飛ばすこともある。何らかの方法で、サーバ以外に、入力データを持っておく。暗号化はしておいた方がいい。

 システムは納品業者が持っているけど、入力データは持っていない。サーバが飛んだら、取り戻しがきかない。

 ・できれば、(お客さまの名前は伏せて)、メール自動返信する場合には、自社スタッフにもメールCCしておく(個人情報はのせない)。最悪、バックアップがない状態で、サーバが飛んだときでも、お客さまのメアドは判る。

(4)入金管理はやりますか?クレジットカードは取り扱いますか?

 ・クレカを取り扱うとすれば、それはどこになりますか?

 ・入金管理等の履歴も、WEBシステム上で管理しますか?

 (WEBシステム管理すると、顧客情報などをまとめて、CSVで落とせる。細かいところはエクセルで調整が効く)

(5)携帯や、スマートフォン対応しますか?

 ・講習会ターゲットによる。やった方が、反応は高くなる。

 ・お金もかかる。

(6)会員サポートは、どうしますか? メールだけですか?電話対応しますか?

 ・5000人超えると、個人情報保護法適用業者になる。

 ・電話対応メール対応どちらも担当者が変わる(自分が辞める)ことを想定して、マニュアルや、メール場合には回答テンプレートを作っておく。

(7)会場の増減、時間の変更、会員のキャンセル等は、誰が、どうやって、対応しますか?

 ・会場の増減があるのであれば、WEB管理画面から管理できるのがいい。CSVで落とせること推奨→エクセル管理できる→自社対応できる

 ・仮に、会場の増減や、会議キャンセル時間変更等があった場合には、どのようにして会員に通知しますか?

  システム作る方がいいけど、100名程度なら、一括送信できるWindowsアプリがあるからそれを使う。システム化すると、お金がかかる。

(8) 過去キャンセル率、問い合わせ率を教えて下さい。もしくは、調べる方法を教えて下さい。

 ・100名応募で、20名キャンセル場合、本当は、キャパあるからもったいない

 過去実績から、大目に人員を募集して、席が足りない場合には、どうにかなるか?あたりを相談

 ・キャンセルは、返金等にも影響。

 ・問い合わせ率は、人間がやった場合費用を算出(兼任もあるので、一概に比較できない)

 システム見積もりも聞いて、どちらが安く済むかを上司相談

 多いのであれば、自動化推奨。

 ・メールアドレスベースは、管理が楽なのだが、不通トラブルも多い。

 それを避けるのは、最初に、疎通確認してから、問い合わせの方式がベターではある。

 ・簡単に、会員様の情報ID+PWで管理できるサイトを作ると、

 会社側の管理コストが減る。(最初の質問のどのくらい使いますか?によってくる)

 ・自動化もできるけど、最初は、手動対応推奨。(データ集めのため)

(9)デザインテストにどのくらいの費用がかけられますか?仕様書マニュアルは必要ですか?

 ・デザインは、決定権者の好み(好き、嫌い)が入るので難しい。

 システムは、論理性で押せる。(いる、いらない。高い、安い)

 ・継続的な業務であれば、仕様書マニュアルも作ってもらった方がいい。

(10)納期はいつですか? 仮に、何らかのトラブルがあって、

お金品質時間のどれかを犠牲にしないといけない場合

この3つのプライオリティはどうなりますか?優先度をつけてください。

参考までに、予算がまったくない!というのであれば、

ワードプレス+問い合わせプラグインで、何とか物はできる。

メールをもらった後は手動管理。手動の人は大変だけど。

2011-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20111116094857

的はずれなレスかも知れないけど

とりあえずここをRSSに突っ込んでみたが

ツリー表示が自動的にできる専ブラアプリあったらいいなと思う

2011-11-06

VIPPERらの戦闘力を上げるために

"ハッカー集団"アノニマスが、メキシコ麻薬組織につかまっていた仲間を無事奪還した、というニュースを読んだ。

"ハッカー集団"という称号からアウトロー的な、コンピューターハッキングを行う犯罪者の集団をイメージするけれども、アノニマスはそんなにかっこいい存在じゃないらしい。

日本の「ふたば☆ちゃんねる」と「2ちゃんねる」をモデルに作られた「4chan」に集まる暇人自然発生的に集まってできた集団で、要は日本VIPPERらと同じようなものだ。

しかし、今回の彼らの実行力には、脱帽した。

それにしても、日本VIPPERや鬼女さんやはてなーと比べると、彼らには機動力・戦闘力があり、目的実現のための能力が高く、行動に一貫性があるのが羨ましい。

くらべて日本VIPPERなどには、なぜそういう凄みがないのか……いや、凄みがないのが悪いわけじゃないけれども、彼らと同じくらいの実力がVIPPERらにはあるはずなのに、いささかアノニマスに見劣りするのが、日本人として悔しい。

余計なお世話かもしれないが、日本ネット集団が、アノニマスに負けないくらい力を発揮するための方法を考えてみた。


名前をつける。

彼らには「アノニマス」という共通の名前で、サイエントロジーソニーと戦ってきた歴史がある。

それに比べて日本では、VIPPERとか鬼女とかに細分化されていて、それらをくくる名前がない。

集団を表す名前があることで、逆に団結力が上がるものだ。

4chanの「Anonymous(アノニマス)」に当たるのは「名無しさん」だけど、これは、名前として微妙だ。

VIPPER、鬼女、はてなー機動隊をまとめる、もっとかっこいい名前はないか


ちなみに「匿名旅団」という名前を考えてみたんだけど、どうだろう?

2chanではお馴染みの人気作家の富樫作品の中の「幻影旅団」をイメージしている。

生存の優先順位が、原則、団員ではなく旅団そのもので、メンバー全員が戦闘狂、なんて幻影旅団の特性が匿名旅団にあってもいい。

VIPPERや鬼女さんのような、ネットでゆるく結び合った人間集団の名称としては、悪くないんじゃないか


②共通の理想を掲げる

VIPPERや鬼女は、これまで、犯罪行為ネットで自慢したバカの会社電凸を行ったり、個人情報晒したりして、一定の成果を上げてきた。

しかし、花王フジテレビ電通のような巨大企業を相手では、力不足じゃないのか?

具体的な成果が挙げられないまま、ネットの話題はTPPへと移ろうとしている。

たぶん、これからフジテレビ電通は、韓国から金をもらい、韓国に偏った、事実と異なる報道を続けるのだろう。

それに花王広告を出して、商品を売りまくるのだろう。


せいぜい潰せるのは個人程度で、企業が相手ではなんの痛痒も与えられないなんて、なんて無力なんだろう。

「敗北の味が知りたい」

なんてうそぶいていたって、結局それが実力だ。


ソニーに何百億という損害を与えたり、中近東革命の際に政府機関コンピュータに侵入したりと、アノニマスに機動力があるのは、「表現の自由」という共通の理想があるから

人間ってのは、衣食のためだけでは実力以上の力を出せないもの

現実以上の“理想”を実現しようとした時に、異常な実力を発揮できるもので、そのための「錦の御旗」が必要だ。

昔、堀田善衛という作家が「長い未来についての理想をもたぬものは、それをもつもの未来像のなかに編入されて行く」と書いていた。

理想という共通の目標がなければ、実行力を発揮しようにも、矛先はあちらに向いたりこちらに向いたり、散漫となり、結局何も成し遂げられないままに終わってしまう。

かといって、アノニマスと同じように「表現の自由」を理想として掲げるのも芸がないし、たぶん、誰も賛同しない。

理想は外から与えられるものではなく、自然発生的な、VIPPERや鬼女やはてなーたちの行動に共通して見いだせるものでなくては、たぶん共感は得られない。

あると思うのだ。

たとえば嫌韓

韓国人から嫌い、という人種差別的思想を持った人々は、2ちゃんねるには案外少ないと思う。

そうじゃなくて、韓国人の「歴史捏造」や「自己中心的な態度」、「道徳法律に反していても、反省せずに開き直る行動」に嫌悪感を感じる人々が多いのではないか

そして、嫌韓に限らず、これまで炎上の対象となったものには、日本匿名旅団中の人々が抱える、共通の価値観に反するものへの嫌悪感があると思うのだ。

そういう価値観を、絞り込んで、改めて理想信条とできれば、たぶん匿名旅団戦闘力は上がる。

(内容は別の人に任せた!」)


③共通のシンボルをつくる。

アノニマスは「ガイ・フォークス」の仮面をかぶって、団結力を高めている。

あいう共通のシンボルのもたらす団結力は侮れない。

やる夫仮面かぶるのもいいけど、他にあったらいいなと、ここも他人任せ。


……と、以上、思いつくままにダラダラと列挙してみた。

ネットでつながった、匿名旅団的集団が、日本おかしなところを少しずつ良い方向へと変えていけたらいいなと思う。

2011-09-27

モノ指向

おれCで仕事してるけど、よく、

なんかグローバル変数ローカル変数の中間ぐらいの変数みたいなのあったらいいなー、

あと、そういう変数関数ポインタみたいなのがセットになってたりしたらなー、

などと思うよ。

いやもちろんオブジェクト指向知ってて思うんだけど。

でも、構造プログラミングやってて、オブジェクト指向言語って便利そーだなー、って、自然に思うもんじゃないのか。

思わないのかみんな。

http://d.hatena.ne.jp/ryoasai/20110926/1317044975

2011-08-15

誰も死なせないために、ネガコメ論争について考えることをやめない。

ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい

http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです


たくさんのコメントブックマークありがとうございます

もうちょっと書きたいことがあるので書きます


コメントトラックバックの様子を見ていた。

ぼくらはけっこう慎重なもんで、

「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると

「ああい場合もあるし、こういう場合もあるんじゃないか

という考え方に持っていこうとする。


じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。

なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。

もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで

あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。

そういうのをなんて言う?構造主義的?

現在属している共同体文化価値観に従って決定することを避けられないから、

ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。

慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。


しかし、ぼくはもう待てない。

そうこうしてるあいだに誰かが死んでいるかもしれないから。


間違った部分を一つ一つ改善することなしに(長期的な)幸せなどあるものか。

というコメントを頂いた。

ぼくは長期的な幸せを望む。

間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、

ぼくたちはおそらくみんながみんな、

なるべく誤魔化しや、

その場しのぎでない、

恒久的、

永続的な幸せを望んでいると思う。


しかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアアフリカの話)は

「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。


よく考えてみてほしい。


ナチスユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?

9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?


こういう例は枚挙にいとまがない。

うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。

基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。

このシール大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、

テロジェノサイドを非難するような気がする。


慎重に慎重を重ねてものを言うなら、

「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかいかもしれないし、

それにもし、第二次世界大戦連合国側が負けていたなら、

「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。

そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。


奇しくも今日終戦記念日であるらしい。

ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)

戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。

そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。

理解できると言ってしまうのはウソな気がする。


からぼくはいまの環境価値観に則って問題を考えてみよう。

戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、

少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。

そう考えることしかできないと思う。


さて、間違った部分とはなにか?

ネガティブな発言を減らしていくということは、

間違った部分を正していく行為なのかもしれない。

それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。


ぼくが言いたいのは、

ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、

ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、

実際に人が死んでいるかもしれないということだ。


もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。

ネガティブな発言をみんながやめられるということが

少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。

ハッタリの幸せはいらない。

しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば

話は別だ。


ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。

いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。

死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。


それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?

考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?

そうであるならばそれが一番いい。

ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。

殺されている人はいないのだから


自己責任が重視される社会

がんばらなければいけない社会

他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて

自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。

かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである

民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。


最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。

弱い人が、

虐げられた人が、

ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。

その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。

はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。


しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも

世界は止まることがない。

つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。

切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。

もう待てない。

ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、

いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。

弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。

もう待てない。


長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。

がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。

地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。

ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?


蛇足かもしれないけど、

資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)

逆に人の自由を最大限奪ってしまものは「死」だ。

なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。

まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、

資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。


それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、

解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、

考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。


まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。

ぼくは非道い人間である

ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから

その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、

それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。

理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、

ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」から

(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。

ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。

強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。


ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。

クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。

すいません。言い方を変えます

ぼくを殺さないでください。


上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。

ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。

このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから

あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。

死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?

でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。


一番死に近い人にとって、生きながらえるための最後命綱が、

ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。

もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、

「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」

と言われて、

自然に従えるほどぼくは素直じゃない。リア充怖い。

ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。

後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。

まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。


ダメだ…支離滅裂ですいません。

これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。

http://d.hatena.ne.jp/yukkun1986/20110811/1313037111

ぼくのブログですが、よかったら補足程度に読んでください。

2011-03-08

このまま、彼が彼のまま終わったら、お話がかわいそうだ。もう1回 違う姿になれたのに。もう、なれないかもしれない。

 

水の入ったヤカンを、コンロで火にかけたら、水が凍ってしまう。こんなことは、不可能だろうか?

たとえば、過冷却限界までヤカンをゆっくりゆっくり液体窒素か何かでで冷やす事前準備をしていたら?

可能証明されなければ、不可能じゃない。でも、不可能証明したら、やっぱり、悲しい

うん、でも、きっと、もう1回逆になれる。

僕が見なければいい。聞かなければいい。知らなかったことにすればいい。ごめんね。それだけの話だった。

 

そんな、ドラマが昔あった。いや、あったらいいなと思った。それだけの話し。

2011-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20110128201834

悪いふうに、ネガティブな思考に陥るとそうなってしまうな

ネガのどん底に入ってしまって、自分のあるべき姿が見えなくなってしまう感じ。

まずはどんな些細なことでもいいから、いいことを探してみるといいと思う。

そしてできるだけ小さなことで、自分がこうあったらいいなー、ということを探してみる。

たぶん漠然と生きてても見つけるのは難しいだろうからネットやら本やらで自分に合う生き方ってのを探してみるのもありだとおもう。

一度その世界から抜け出せば、驚くほど違う世界観が待っている。

2010-08-09

http://anond.hatelabo.jp/20100807223223

http://anond.hatelabo.jp/20100807223223を書いた増田です。

書いてた時は、2、3人から「意味がわからない」といわれてオシマイだろうな、と思っていましたが、「ムチャクチャ」「浅い」「リア充死ね」などと、意外と反響があって、驚いています。

とっちらかっているのは、忙しくて時間が無くて上手くまとめられなかったから、ではなくて、夜になっても室温が30度以下にならなくて「もう嫌になった。テキトーに結論書いて終わらせよう」と思ったから、でもなくて、私の頭が悪いからです。いま読み返してみると、私が書いたものは、文章というより、メモを何も考えずに繋げたようなもの、ですね。というか、そんなに真に受けられても困る。釣った記憶も無いし。でも、それなのに、はてブを読んでいたら、私がなにを疑問としているかが、わかっている人がいるようで、凄いですね。エスパー

補足はしません。議論もしません。保障もしません。そんなたいそうな物ではありません。以下、たらたらっと書いて、出直してきます。


ドラえもん鉄腕アトムも、会話で人間と意思の疎通ができるでしょ? そういうロボットは、殺りにくいんですよ。To Heartに出てきた、マルチもそう。もっとも、To Heartの主人公は、マルチを殺りはしなかったけど、犯りはしましたが(下品で失礼)。


・他者を殺してまで成し遂げたい事とは何か。他者を殺して何かを成し遂げる事とは、どういうことなのか。作り手のそれと、観客のそれの、ずれとは何か。私たちの社会では、人を殺してはいけないとことになっているけれど、ある条件をクリアすると、何故「可」になるのか。そういえば、「ヱヴァ破」でゲンドウも、そんな事をいっていたような、いないような。


・この名を出すと「古い!」といわれそうですが、M・マクルーハンと共同研究をしているE・カーペンターが、こういっています。

<<私たちがテレビを見るのではない。テレビが私たちを見るのである。テレビが私たちを案内するのである。新聞雑誌はもはや「情報」を伝えないで、ものごとを見る方法を教えてくれる。雑誌新聞リアリズムをあまりにも容易なものとして放棄してしまった。雑誌新聞リアリズムの代わりになっている。ライフ誌全部が広告である。その記事は感情アイディアを包装し売りこむ。広告主が金を払った広告が商品を売り込むように。

マクルーハン理論 より>>

気が付けば、テレビが一家に一台から、ひとり一台でもおかしくない、そんな時代になりました。携帯電話でも、ネットにつながるように、なりました。私たちは、もう学校や親から、何かを学ぶという事が、できなくなりつつあります。親も、どうしても子供に伝えなければならない事が、減っています。どうしても子供に伝えなければならない物は、メディアが教えてくれます。ネット検索して、検索結果を教えるだけ、という親が、これからますます増えていくでしょう。

アニメ場合純粋神話や民話でなくて、広告代理店スポンサーも関係する、人造神話というようなもの、なのかもしれませんが、それが我々に何を教えるのか、教えてきたのか。どこへ導くのか。楽しくもあり、恐ろしくもあります。


ロボットアニメというものは、スポンサーの都合とはいえ、かなり強引な作りをしています。(この例えを出したら、また色々いわれそうですが)「巨大人型ロボットが兵器」とか、ちょっと考えたら、いや考えなくても、おかしい、ありえない。おまけに主人公が10代で、ろくに訓練もしないうちから操縦できる。でも、そういうものの根っこにあるのは、作り手と観客の願望だと思のです。「こんな事があったらいいな」「あんな人がいたらいいのに」そういう事にリアリティをもたせようと、喜んでもらおうと、今まで延々やってきて、増築と改造を重ねて、なんだか訳がわからなくなって、ついには現在下火になりました。

2010-03-29

http://anond.hatelabo.jp/20100329212412

その昔ずばり「精神外科(Psychosurgery)」があったのはご存じ?

脳の一部を切除する手術だったんだが、奏功した人もいるものの、失敗すると副作用がひどすぎて危険極まりない代物だった。

その後向精神薬の登場もあって使われなくなってしまった。

アメリカでは他のどんな治療手段も有効でないことが証明された場合に限り脳に手を入れることもあるらしい(参考:http://www.amazon.co.jp/dp/4314009896)けど、手術の不可逆性を考えるとどう間違っても主流にはならないと思うよ。

それだけで脳の特性を自由にできるとも考えられないし、どんなに精密に限定した部分を切除したとしても。

これは読んだ? つ http://www.amazon.co.jp/dp/4270005165

脳の補助チップってのはあったらいいなぁとは思うけど、ちょっとSFだね。

2010-01-28

複数のやりたいことを同時進行させたい。

複数のやりたいことを同時進行させたいのですが、

なにか上手く管理する方法はないでしょうか?

イメージとしてはこんなソフトウェアorウェブツールがあったらいいな、と思っています。

一番上には大見出しとなる「やりたいこと」がずらっと並ぶ。

それぞれに「そのやりたいこと」を成功させるためにやらなきゃいけない小見出しが入れられる。

小見出しを達成したらチェックが入れられ、今何パーセント達成してるかがわかる。

ずらっとどれが何パーセント達成してるか一覧で見ることができる。

2009-12-16

ラオスに行きたい

寒いし、ラオスに行きたいなー。

ラオスチュービングして洞窟探検して、バックパックに水とフランスパンサンドイッチを入れてiPodレッチリカリフォルニケーションかaround the worldを聞きながらバイク疾走したいです。走り飽きてどこかの川のほとりで休んでいたら、アメリカの爆撃のせいで義足になったお爺ちゃんと、アメリカの悪口をひととおり話し合いたい。そして珍しそうに俺を見る子供達に折り紙を折ってあげた後、一緒に川で遊びたい。宿に戻ってバイクを返し、テラスがあるレストランで真っ赤な夕日を眺めながらビアラオを飲み、ラエリーガザの壁とメルカバについて小一時間語り合い、酔いつぶれて前後不覚になったぐらいで宿に戻り、食べ忘れてぐしゃぐしゃになったフランスパンサンドイッチを食べながら、友人に絵はがきを2通出してから、日記をつけて眠る。

そんな完璧な一日があったらいいな

2009-11-24

5年後のネットに向けて

Googlezon EPIC2014』やisedのような議論が最近見かけなくなって、今のみんなはどんなことを考えているのかちょっと知りたい。

ついでに自分が考えているものを出しておくので意見をもらえれば幸い。

ザッピングできる検索システムの構築

検索ワードを知らなければ知ることができないネットの状況を変えるためには必要。mixiで興味のあるコミュニティに入ったり、twitterで同じ関心のあるクラスタに入ったりと、自分なりの情報環境を整えるのに、労力と時間が必要だ。

これがもっと手軽になればと思う。

ネット上での教育体系の形成

小学生ネット使うな」と言われるけれど、いつかは使うことになる。それなら小さいときにネットの使い方を学べるような仕組みを作ったらどうだろう。我々ネットの住人が次の世代を育てるために用意するのは悪くないと思う。

偏った考えに染まってしまうからネットを使うのはダメだ、というなら、違った見方もあるというのを知らせたらいい。

これだけ多くの人がネットを使っているのだから、東大の学際なんて目じゃないだろ?東大に入らなくても今の東大教育水準までやる気があるやつならできるようにすればいい。

あとあったらいいなと思っているのは、誰かが採点してくれるシステムニコニコyoutubeで発表の場はできたけれども、その人にあった助言をしてくれるところは少ないと思う。リアルでも習い事が沢山あるのだから、ネットでもそれができれば嬉しい。動画を撮影するときのテクニックや編集で気をつけることなんて手探りだしね。

とりあえずの目標としてプログラマの人がプログラミング関係の本を購入しなくても、コンピュータ上ですべて終わるような仕組みを作ったらどうだろう。分かり易いように編集したものへの価値は十分理解できるけど、まずはプログラマの人が紙から離れることができないと、一般の人には難しい。

文章構造共有ブックマーク

リアルで本を読むときにはペンを持って線を引いたり、図でまとめてみたりしながら文章構造を理解して読んでいける。ブラウザだとそれができない。ブックマークされた記事を読むのも大変。誤読もある。

早く記事を読めるようにするために、文章構造まで共有するのはどうだろう?

どういった構造で読んだのかがわかれば、重要な箇所が抜けてると指摘をすることもできるし、他の人のを見て、どんな読み方をしているのかも分かる。

科学者プレゼンの場所を

スーパーコンピュータ事業仕分けになる話が出たときに思ったのだけど、科学者がこんな研究がしたいとプレゼンができ、その技術が将来有望だと思えたなら個人献金を行える場を作ったらどうだろう?

特許はどうするんだ?みたいな反論はあるだろうけれど、子供にも科学に興味を持ってもらえる、いや、むしろ大人に興味を持ってもらえるような場所があったらいいと思う。

とりあえず思いつくままに書いてみたけど、どうだろう?ネット暇人のための物と言われ続けるのは癪だし、大きな知の塔を立ててみるのも悪くないと思う。小学生DS電車の中で遊ぶのに飽きたら、電車マニアック構造歴史を簡単に見つけられるような、ネットにつなげるだけで新しいことを知る喜びを感じられる、そんな世界が5年後にくればいいなぁ。

2009-11-13

処女厨黄昏

http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51525927.html

処女厨にとって、たとえば「めぞん一刻」とかはどう映るんだろうな?

俺も最初自分処女厨なんだと思ってたけど、よくよく考えてみると

貞操観念云々は重要視してても処女であるかどうかはわりとどうでも良いことなんだよな。

好いた惚れたの結果として女の子の初めてが頂けるなら、それは有り難いことだが必須ではない。

ただ、そのありがたみが軽視されすぎてる部分から過剰反応としての処女厨は結構多い気がする。

"処女性"を忌避する奴は女性を道具として見てるし、"処女"を重視する奴は女性を所有物と考えてると思われる。

どっちもどっちというか、オッパイの善し悪しやチンコのよしあしと同様に、

"無くても良い" とか、"あったらいいな" 程度に考えてる人間が同じ男としても信用出来るかも知れない。

年を取るごとに処女厨ぶりが緩和される奴と悪化する奴と居るんだが、

処女性を気にしないって言ってる奴は単に無自覚なだけで後でどう転ぶかわかんないので注意が必要。

そんなにいろんな人とまぐわりたいならスワッピングみたいな趣味持った旦那でも作りゃ良いんじゃないだろうか、

って辺りが自分の貞操感の最底辺で、何も言わずにほかの男と寝るようなのはビッチやと考えてる訳だが、

ここらへんの分水嶺は人それぞれだと思う。増田はどう?

2009-11-01

ゲイ漫画ボーイズラブ本質的な違い

誰得だけど。

ゲイ向けの漫画小説腐女子向けのBL本って、どっちも男性同士の恋愛を描くって意味で同一視されがちだけど、本当は全然違うものなんだ。

以下ではA/Bの相違について考察する。

性嗜好 本人の性恋人の性男同士男女女同士
ゲイ男性男性[A]ゲイ作品 - -
ノンケ男性男性女性 - 美少女漫画とか百合
ノンケ女性女性男性[B]ボーイズラブ少女漫画とか ?(*1)
ビアン女性女性 - - ビアン作品(*2)

*1 女性百合作品を読むことはあるんだろうか?ないとしたら、対称な表になるね。

*2 レズビアン向けの漫画小説には全く詳しくないのだけど、本稿の趣旨が正しければ、百合とは別物のはず。

1.目線の違い

ゲイ作品は読者が体験したいシチュエーションを描くけど、BLの読者は体験したいわけではなく、見ていたいだけ。

このことが具体的にどういう違いになるかというと、例えばノンケが誘われてゲイに目覚める話があった場合、ゲイ作品では普通ゲイ側が主人公になる。BLではノンケ側が主人公になることもあり得る。

2.リアリティの違い

BLは「現実を思い出させないこと」に価値があるから、大富豪とか、御曹司とか、現実離れしたシチュエーションでの作品が成立する。

ゲイ作品は「現実あったらいいな」と思わせることに価値があるから、少なくとも主人公は普通人間になる。

3.肉体か精神

相対的に、ゲイ作品は肉体に、BL精神に重きを置くらしい。

むしろ、関係性に萌えるのがBLと言ったほうがいいのか。ゲイ漫画に好みのキャラが一人出てきただけで萌えられるけど、BLでは必ず二人以上のキャラクターがいなければならない。

4.二者のキャラづけ

ゲイ作品にはタチとウケ(凸/凹)の2種類しかないが、BLでは攻めと受けの他に、誘い受けとか鬼畜攻めとかの属性がつく。

で、ゲイ作品では基本的にタチが積極的な態度を取るのに対し、BLではどちらが積極的かは決まってないようだ。

積極的消極的
攻め俺様鬼畜ノンケへたれ
受け誘い受 小悪魔健気受 姫受

属性の例。参考資料 http://www12.atwiki.jp/dh_bl2/pages/33.html

5.過剰な愛情表現

BL漫画愛情表現が濃い。「俺はお前が側にいなきゃ駄目なんだ!」と口に出して言ってみたりとか。

ゲイ漫画では、クサい台詞はリアリティがないから、モノローグとか表情・仕草で間接的に描写される。

6.友情と愛情

BLでは、プレーンな友情が恋愛感情に発展したりするが、ゲイ漫画ではそういうシチュエーションはない。

現実ゲイの視点では男性が「恋愛可能」と「恋愛不可能」に最初から分かれてしまうので、愛情が育つことはあっても、突然発生することはない。

7.男性の描写

当然だがゲイ作品にはゲイが好む男性が登場するのに対し、BLには腐女子にとって好ましい男性が登場する。

だからBLでは体毛はあまり描かれず、「綺麗な足」みたいなフレーズが登場したりする。

まとめ

同じテーマを描くように見えても、質的には、ゲイ作品は美少女漫画に近く、BL百合に近い。

2009-10-28

音の無いCDあったらいいな

音ってのは波だと聞いた。

波の高低が一致すればより高い波になったり、その逆もあるというのは既に実証済みらしい。詳しくはググってくれ。

この原理を利用して、騒音を消すヘッドフォンなんかが発売されているそうだけど、ヘッドフォンと言わず、CDにはならないだろうかと考えてみた。

何に使うのかって?

まず選挙カーがうるさい時期にそのCDを流す。

あと街頭演説とか。

近くの公園コンビニで誰かが騒いでるとか、隣の部屋で今日パーティーをやってるみたいでうるさいとか、

近所でやたらうるさいバイクがふかされてるとか

とにかく静かになりたいという時に。

寝る前にスリープモードでかけるのもいいな。

・・・まぁ、クラクション警報なんかの注意音も消えちゃうのかな?と考えると実用化は難しいだろうけど。

音楽を流さず静かにしたい時もあるさ。

2009-05-25

死にたい

よくわかんないけど死にたい

今まで自分が築いたもの全てを壊して、消えてしまいたい。

自分と関わりのある全ての人に、罵られ、呆れられて、見切りをつけられて、

「もうこいつとは関わり合いになりたくない」と思われて、捨て去られ、忘れられたい。

だけど、そんな風に思う理由に心当たりが全く無くて、

多分自分はどうかしているのだと思う。

時間お金はもう少しあったらいいなと思うが、

毎日、それなりに誰かと、心からの笑顔で話せている。

毎日、それなりに楽しい事があって、夢中になる事もあって、

仕事もいい人に囲まれて、特別ものすごく嫌な事なんて無い。

多分、凄く恵まれている。

にも関わらず、死にたいだなんて。

どうかしている。

2009-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20090417135538

横だけど、私ちびだから子どものときからレスリングだの合気道だのやってたけど、痴漢にすら対抗はできないよ。逆上されてナイフでざくっとかされそうだし、被害に遭わないためになるほど身に着けようと思ったらそれこそ本気でやらなきゃいけないだろうし。本当に護身って意味で非現実的だと思う。

ただ、度胸が据わるのかなんなのか、普段は消極的で声も小さいとよく怒られるけど、襲われた時はちゃんと逃げるなり助けを求めるなりはできるようになった。その一点だけなら、体育の授業でそういうのがあったらいいなあと思う。

2009-03-10

マニュアルを残すことはとても大切だ、けどめんどくせーな

人にものを教える/人からものを教わるときに、マニュアルあったらいいなあ、と思うことが多々あるんですね。ここで言うマニュアルというのは、いわゆるところの「取り扱い説明書」とか、テレビを買ったらついてくるアレとか、バイトで最初に読まされる/教え込まれるアレとはちょっと違っていて、なんといいますか、ちょっと今風の言い方をしますと「ライフハック」みたいなね。違うかな。

たとえば、あえてコンビニのほうで言いますけれども、コンビニバイトをしたことがあるんですが、まあマニュアルにはたとえばレジ打ちの方法だとか、会員カードを持ってこなかったけどポイントをつけたいとか、ゆうパックを頼まれたときの方法とか、そういうことは書いてありまして、まあこれについては全部に目を通せば原理的には作業が可能で、わからないときはマニュアルを見れば対応できるわけで、これはこれで優れたシステムなわけですね。

コンビニ業務が拡大というか拡散というかをして、マニュアルが膨大になって、すぐに参照できなくていろいろ困る/覚えるのに時間がかかって、2~3回やったくらいでは対応できなくなるとか、まあ、そのあたりの問題はあるんだろうとは思いますが、しかしまあ対応策が載っているのは間違いないわけですね。

ところがすべてがマニュアル化されているわけではなくて、たとえばもう陳列棚に置ききれないパンを、どういう優先順位でどこに片付けるか、とか、そもそもパンをどこにどういう順番で並べるか、とか、細かいことを言い出すとキリがないけれども、そういう、各店舗独自の仕入れ状況とか、棚のスペースに応じたやり方についてはマニュアル化されてないわけですね。ところが、新入りとしては、ここが一番知りたいわけですよ。毎日の業務なわけですし、やることがあるのかどうかわからないゆうパックの送り方より先にそっちを効率的に知りたいわけですね。そして、これこそ本当はマニュアル化するとお互いに(教える側と教わる側双方に)楽な部分だと思うんですね。パンはこれこれこういう決まりで並べていて、時々順番が変わるので、そのときはこうしましょうね、とかね。でもそうはならない。

コンビニの場合はまあ原因は明白で、(特に私が働いていた店舗については)そんなに滅多にバイトの切り替わりがないし、まあ2週間も働けば8~9割は仕事なんて覚えちゃうし、パンだって新商品が出たりしてそのつどマニュアルの改訂が必要になるので、初期の負担軽減のためのマニュアルを用意するコストよりとにかくそのつど教えるコストのほうが低いわけですよね。店長はそもそも、あんまり店員教育しないから関係ねーしね。

しかしまあ、あれば便利なことに間違いはないわけですよ。特に、新しい人が定期的に(年に1回とか)入ってきて、その人たちが、そんなに使い方/やり方が変わらないことを覚え、それを教え/教わる必要があるという場合には。じゃあ、一回マニュアルを作ってしまえば後は楽になるのに、なぜやらないのか?これは良くわからないんですが、そもそも、そのあたりのコスト計算していない(逐一教える、ということの何の疑問も感じていない)とか、ちょっと嫌な言い方になりますけど、そのコストを「自分が」背負うのが嫌だ、と感じる、とか、もっと嫌な想像をすれば、一種の優越感を味わうため、とか、まあそのあたりがあるんでしょうか。

結論はつまり、「コスト計算し」て、「そのコストを『自分が』背負」ってもなお将来的にはコストダウンにつながる、と思うなら、おめーがつくりゃーいーだろ、ということになるんですよね。「優越感」は他のところで得てくださいね、ということになるんですよね。いや、わかるよ。わかるんだけどさ。びみょうに腑に落ちない。だから今までマニュアルができていなかったのか。最初のヤツが悪いのか。

2009-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20090306171038

働く必要がない人は家に居ればいい って感覚がわからん。

家に居て何してんの?家事も立派な労働ではあるけどさー。生活ができてる=働く必要がない ではないと思うんだけど・・・

しかも今後のことを考えれば貯蓄とかはあるにこしたことはないのに、空いてる時間パートもしないの?とは思っちゃうなぁ。

まぁ、空いてる時間が無いっつならアレだけれども。


確かに働く働かないは自由だけど、

「働かないの?」=「旦那の稼ぎで足りるの?」だと脳内変換して失礼だって感じるってのは、

本音はもっとあったらいいなとか、収入現在の生活に若不満があるからじゃないの?

普通そんなことでいちいち失礼だとか、侮辱されたなんて思わないと思うけど。

2009-01-30

日本人による日本語ブログがひどい

BloggerとかTumblrとかぼーっと見ていて、思ったんです。

どのブログ(だいたい英語)もAdSence貼ってない。一部のブログでは、うわっ、まだポップアップ広告かよ!みたいなことしかけてくるんだけど、それも少数。

それよりも、日本人による日本語ブログがひどい。高確立確率AdSenseに遭遇する。

やれやれ、って感じ。

かく言う私も、ブログでお小遣い程度に収入あったらいいなあ、とか思って、ブログアフィリエイトとかしちゃうけど...。

日本人ってセコい国民なのか!?

2008-12-01

借景。

他所にあるライブカメラ映像をそのまま窓に映して、自分ちからの眺めみたいにすることのできるサービスあったらいいなぁ、とふと思ったのです。

いま住んでいる部屋はアパートの1F。一応大きな窓はあるのですが、ほかの家々の裏手にあたる場所にあって、かつ防犯上の理由からすりガラス。眺めというには程遠いもので、たまに休みの日なんか家でごろごろしていると、なんともいえない閉塞感のようなものを感じてしまうのです。もうちょっと眺めがよければ、布団にもう一度もぐりこむこともなく、そのまま飛び起きていろんなことをやる気持ちがもうちょっと出るんじゃないかな、と。

条件さえ整えば眺めのいい部屋引っ越したいところなのですが、物理的、金銭的な事情からこれも難しい。そういう意味ではいい眺めを手にできる人ってのは限られているわけで。願わくば「部屋からの眺め」というものを、いわゆるオープンソースにすることはできないかなとちょっと思ってみたのです。

日本文化のひとつに「借景」というものがありまして、簡単に言うと外の美しい景色を部屋に中に取り込んで、あたかも部屋の装飾のひとつのように扱ってしまおうというものなんですけど、これをいまの時代にもう一度意識してやれたら面白くないかなと。

こむつかしいことを言ってもしょうがないんですが、単純に、いまの暗い窓に横浜みなとみらいあたりの景色が映ってたら、部屋で過ごす時間ももっと楽しいだろうなー、という話なのでした。

2008-10-17

anond:20081017223637

むしろ何かしらの魅力+優しさ

これが必要かと

 

まず人の目を引く魅力

さらに優しさもあったらいいなーくらいでは?

優しさが1番目につくってことは、他の魅力がないってことですよ。

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