はてなキーワード: ピースボートとは
秒速1億円稼ぐ男どもが雑誌を創刊するらしい。今は秒速3円くらいなんだっけ? 知らんけど。
http://kai-you.net/article/1114
あのやり方で情報商材を売りさばいてきた与沢翼とその取り巻きたちなら、
ある程度売ることもできるんじゃないの。
出版不況が何だとか雑誌自体が旧メディアだ何だっつー話はあそこでは関係ないわけよ。
どんなことが書かれてるか読んではみたいって興味示すやつもいれば、
とっとと滅びてくれ、早く人の心を取り戻せって言ってるやつもいるけど。
「人の心を取り戻せ」ってのも解せない話で。
「楽したい」「他人を出し抜いてでものし上がりたい」「なりふり構わず金儲けたい」ってのもまた人情だから。これが残念なことに。
情報商材ビジネスに加担する気は微塵もないどころか、どっちかっつーと撲滅したいくらいだけど、
宝くじ買う人がいなくならないように、誰が表舞台から去ろうが騙される人は勝手に騙されるんだよ。
昔、泣けるくらいバカ正直なやつがいた。
履歴書の長所の欄に「正直なところ」って書いて先輩に見せたら「おまえの場合は短所の欄に『バカ正直なところ』って書けよ」って言われたみたいで、
「正直なことって短所なの? 長所じゃないの? ねえどう思う?」って言われた俺は「おまえはそのままでいいじゃん」としか返せなかった。
家が金持ちでイケメンだけどほんとに正直なところしか能がない泣けるくらいバカなやつで、
そいつに言い寄ってくる女はろくでもないのばっかだった。
みんなが止めたのに金目当ての女と付き合って買いたいもんだけ買わされて金なくなったらすぐ捨てられて、
みんなで止めたのに自分探しにピースボートとかいうのに乗って案の定下手に感化されて戻ってきて、
酒の席で受け売りの環境問題や貧困について語り出す意識高いよくわからんつまらんやつになって、
みんなにだんだん愛想つかされてきてそのうち自分からどっかにいなくなった。
誰かがぶん殴ってでも止めてやるべきだったのかもしれない。
そいつはもう、かつて俺の知ってた、バカで金持ちでイケメンでバカ正直なところしか能がないけど大事だったかけがえのない友だちじゃなくなってた。
何も去らなくてもいいのにと思ったけど、その変化を受け入れたくない自分たちがいたからだ。それも勝手な言い分てのはわかってる。
どこにいったんだろ、今何をやってんだろ、また誰かに騙されてないだろーか。
何の話だっけ。
そうそう。誰が何を言っても、どんなに騙す側の人間の企みをくじいても、騙されるやつは勝手に騙されるって話。
吐き気がするくらい果てしなくどうでもいいけど。
今はてブのホッテントリに内田樹のブログ記事が並んでるのを見て読んでみた。
内容はいつもどおり、「突き詰めるとグローバリズムとか新自由主義が悪い!」というような感じである。
ああ、なるほどなぁ……と思うところもあるのだけど、それを言われたところでどうしようもないじゃんという落胆が大きい。
今回の記事だとはっきりと「手のうちようがない」と書かれていてまだ潔いなと思うわけだが、物によってはただ問題を指摘してはいお終いということも少なくない。
それがおおよそ個人の内面的な部分に起因する問題であるとかいう指摘ならまだ読者としても手の施しようがあるものの、大体の場合は極めて大きな構造上の問題なのである。
それもだいたい今回のエントリ同様グローバリズム批判に終始する場合がほとんどであるように感じられる。
別にその指摘自体が全く意味のない無駄なものであるとか言っているわけではない。
ただ、そこで得た見識を用いて次に活かすということが出来そうもないものばかりであるという点で釈然としない。
言ってみれば希望が持てないのが嫌なのだ。得られるのは絶望感だけ。
もちろん大半の問題はそうやすやすと解決出来るものではないし、一冊の本に仕上がる程の大きな問題なら尚更そうであろうことも分かる。
だからといって「どうしようもないし、俺は知らない」と匙を放り投げてしまうのは如何なものかと。
という風なことを、彼の文章を読むといつも思ってしまうのだけど、そういう時はどうすればいいんだろう。
某ピースボートクルー経験のあるLife系社会学者の人が出してるような、いかにも希望を出汁にお前ら社会的弱者を釣り上げてやろうと言わんばかりの本とかに当ってみると良いのだろうか。
http://www.nytimes.com/2011/01/28/world/asia/28generation.html
敬称略。
東京 ― ホリエケンイチは有能な自動車エンジニアだった。日本ではこのような若い人材が、ハングリー精神あふれるライバルの中国や韓国と渡り合い、現在の地位を保つために必要とされている。30代前半のとき、彼は主要自動車会社に勤めており、先進的バイオ燃料のデザインによって評価を得ていた。
しかし、多くの日本人のように、彼は非正規労働者だった。時限付き(temporary)契約のもとで、雇用保障もほとんど無く、そのほとんどが40代後半である正規労働者に比べて半分の給料しかもらっていなかった。彼は10年以上正規労働者になろうと努力したが、ついに辞めた。時限付き契約だけではなく、日本そのものを、である。
ホリエは語る。「日本の会社は年老いた労働者を守るために若い世代を浪費している。日本では私の道は閉ざされている。台湾では私の履歴書は完璧だと言われた」
経済大国としての地位が揺らぐ中、日本は努めて、減ってゆく若い世代の生産性と起業精神を解放しなければならない。しかし日本はまさに正反対を行っているように見える。その結果、成長は衰え、年金問題を増加させ、この木曜日にスタンダード&プアーズが日本国債の格付けを下げた主な理由の一つとなった。
"The Truth of Generational Inequities" (訳注・『世代間格差ってなんだ』 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569790216)の共著者である城繁幸(36)(訳注・http://blog.goo.ne.jp/jyoshige/)は語る。「若い世代の間では、どれだけ自分たちが頑張ろうとも、前に進むことはできないという意識がある。どの道も閉鎖され、頭を壁にぶつけているようなものだ」
年老いてゆく人口が日本の経済を停滞させ、既得権益を貪り、既に階層的な社会構造をより強固に、保守的にしていると、若い人々や専門家は警告する。その結果、日本は座して何もせず、成熟した経済が育てるべき新しい製品や会社や産業を実際に作っていかなければいけない時に若者を過小評価している。
ソニーやトヨタやホンダを作った国は、ここ数十年、若い起業家や社会のゲームを変えるような会社(Google や Apple のような ― どちらも20代が作った会社だ)を育てることに失敗してきている。
若者の雇用状況は、日本が二流であることを強調している。日本が何十年も停滞した結果、すべての世代で非正規雇用は増えてきているが、若い世代は一番痛くこれを食らっている。
昨年は15歳から24歳までの労働人口のうち、45%が非正規雇用者だった。この数字は1988年には17.2%であった。さらに、より上の年代の非正規雇用者率と比べても2倍近くの数字である。古い世代が古い方法に執拗に固執しているのだ。日本のメディアは日本の第二就職氷河期が深刻かを伝えている。2010年10月時点で、卒業生のうちたったの56.7%しか内定を得ていない。これは過去最低である。
世代間格差について研究してきた秋田大学の島澤諭教授は語る。「日本は世界で一番世代間格差のある国だ。日本が活力を失ったのは、古い世代が道を譲り、新しい世代にチャレンジして成功する機会を与えないからだ」
多くの国家が高齢化社会にあるが、日本の人口の惨状は本当に酷い。2055年までに40%の人口が65歳以上になるだろうと予想されている。いくつかの結果はずっと予想されていたことだ。例えばデフレである。多くの人が定年し、貯金で生活するようになると、出費を抑え、日本の国内消費の沈滞をさらに強くする。ところが、あまり予想されてこなかった効果として世代間格差の現れがある。
至る所で格差が格差を生んでいる。ホリエが指摘したように、会社が若い労働者を押しなべて低賃金で先の見えない仕事をさせ、結果的に古い世代にラクな仕事を残しておくためのコストを負わせている。またある人が言うところでは、年金制度が古い世代を優遇するようにねじれているため多くの若い労働者は支払いを拒否したり、アメリカ人にも馴染みのある "Silver democracy" (教育よりも高齢者に遥かにお金をかけること)が起こったり、時代遅れの雇用制度が disenfranchised (訳注・直訳では参政権を奪われたという意味らしいが、ここでは特権に預かれないという意味か?)な若いロストジェネレーションを生み出してきている。
明治大学4年のイノウエナギサは、仕事なしで卒業して給料の高い仕事に就ける機会を永久に失うよりも、大学で5年目を過ごすことを考えているという。これはつまり、日本の会社が、日本の企業文化により順応するとされている新卒ばかりに安定した正規の仕事を与えるからである。
皮肉なことに、イノウエは大企業で働きたいわけではなく、ただ NGO の環境団体に入りたいだけなのだ。しかしそれをすることすら彼女に正規雇用への道を閉ざすのだという。
「私はただ人と違ったことをすることができる自由が欲しいだけなのです。しかし、人と違ったことをするために支払うコストが大きすぎるのです」
多くの専門家は、厳しい経済情勢によるプレッシャーが日本の "one-size-fits-all" な(型にはまったことしか許さない)雇用システムに加わったと指摘する。明治大学のオンライン調査によると、18歳から22歳の若者のうち3分の2が、リスクを負ったりチャレンジしたりしたくないと感じている。そのかわり、彼らは内向的で、大志を持たずに生きることに満足するか、あるいは少なくとも諦めているという。
東京大学教育学部の本田由紀は語る。「古いシステムと若い世代にはミスマッチがある。多くの若い日本人が、彼らの親の世代のような仕事一辺倒の生活スタイルを望んでいない。しかし彼らには選択肢がないのだ」
民衆の怒りに反応して、厚生労働省は昨年の終わりに、雇用者に、卒業から3年までを新卒とみなすように通達した。さらに、新卒を採用した会社は最高で180万円の奨励金を出すことにした。
しかしながら、企業精神の不足ほど、若い企業にとっての障害、ひいては日本の経済の悲惨さを顕著に表しているものはないだろう。(訳注・id:oga_jp さんの訳、「恐らく起業の不全こそが、若年事業家の直面する最もあからさまな障壁であり、日本経済の行く末を悲惨にするものである」を参考にしました。ありがとう)
2009年に日本では株式公開(IPO)が19しか無かった。アメリカでは66だ。さらに、通産省によると、日本の起業家のほとんどが高齢である。2002年には日本の起業家のうち、20代は9.1%しかいなかった。アメリカでは25%だ。
日本の起業家で、自身の経験を元に本を書いた板倉雄一郎(訳注・http://twitter.com/yuichiroitakura)は語る。「日本はゼロサムゲームになってしまった。既得権益を享受する層は、新参者は彼らを狙う盗人であると恐れ、ビジネスをしようとはしないのだ」
多くの日本の経済学者や政策立案者(訳注・policymaker; 政治家ではない)は、起業精神を育てるのが日本の経済の病気への特効薬だと、ずっと主張してきた。これは歴史的前例に基づいていることでもある。日本は戦後の灰の中から、若い起業家が大胆なスタートアップを生み出し、世界を席巻したのだ。
しかし、多くの人々は、日本の経済はその全盛期から骨化してしまい、革新的な会社がもし生まれたとしてもほとんどないことだという。それはなぜかというと、多くの人々は日本で最も知られたインターネットの大君、堀江貴文の悲運を挙げる。
2000年代の初めに彼が突如登場したとき、彼は最も日本的でない人物だった。茶目っ気のある30代の前半で、会議室にTシャツを着てきて、図々しくルールを破り敵対的買収を始め、再び活性化してきつつあった日本の経済がついに飛び跳ねようとしていた時勢に乗った。彼は5年前に、古典的な天罰のように証券詐欺で逮捕され、メディアは彼を不快でやりたい放題のアメリカ式資本主義の象徴として悪者扱いした。
2007年に裁判所は、彼を会社の記録を改竄したとして有罪にした(まだ上告中であるが)。しかし、何人もの若い日本人が、取材中に若い世代の倦怠感を説明するときに堀江を取り上げるのである。彼らにとっては、堀江は別のものを象徴しているのだ(訳注・前段落の「資本主義の象徴」対して)。つまり、保守的な体制に潰された若きチャレンジャーだと。彼らに言わせると、堀江の逮捕は、「ボートを揺らすな」という若い人への警告であったという。
37歳になった堀江はメールで語った。「あれは、伝統が作り上げた秩序に静かに従っていたほうがいいというメッセージだったのだ」
He remains for many a popular, if almost subversive figure in Japan, where he is once again making waves by unrepentantly battling the charges in court, instead of meekly accepting the judgment, as do most of those arrested. (訳注・「判決を素直に受け入れるのではなく、懲りずに戦い続け、もう一度波を起こそうとする破壊分子のような人物としてまだ有名である」?)彼には総理大臣を超える50万人以上の Twitter のフォロワーがいて、人々をシステムに立ち向かうように促している。
25歳の大学院生にして、日本人が希望を失う中で幸せであり続けるための方法についての本(訳注・『希望難民ご一行様-ピースボートと「承認の共同体」幻想』 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4334035787)を書いた古市憲寿(訳注・http://twitter.com/poe1985)は語る。「堀江は模範的な人物に今までで一番近い存在だ。彼は古い日本と新しい日本のせめぎ合いを代表している。」
古市や他の多くの日本人は、若い人は怒りや抗議を見せないという。そのかわり、彼らは自分を責めてドロップアウトしたり、親の世代より遥かに制限された展望の中で満足感を見つけようと、進んで諦める道を選んだりするという。
このような空気の中、若い政治家たちは同じ世代を政治に感心を持たせるのは大変だという。
高橋亮平(訳注・http://twitter.com/ryohey7654)は東京都市川市の元市議会議員で、他の若い政治家と共にワカモノ・マニフェスト(訳注・http://www.youthpolicy.jp/)の活動に加わった。これは若い日本人が自分たちの主張を表明するためのものだ。
2009年の終わりに彼は、市が若い家族や教育に投資を移すプラットフォームを掲げて市長に立候補した。しかし若い人はほとんど投票に関心を示さなかったので、市の最も有力な投票ブロックである退職者や建設業などの50代や60代に牛耳られた層に迎合するしかなかった。
高橋は語る。「時間が経つと、それだけで古い世代が力を持ってしまう。彼らは何もせずとも増えていくのだ」
彼はその選挙に負けた。彼は、日本が "silver democracy" つまり多くの予算が高齢者のために使われる社会、になってきているという痛いレッスンだったという。
専門家は、不足していく予算をどんどん切っていくことは、日本の若者が、現在の退職者が受けてきた利益を最早絶対に享受できないということを意味するという。試算によると、今日生まれた子供は、既に退職した人に比べて、年金、健康保険、その他の政府の支出を120万ドルも下回る額しか受け取れないことになる。年金だけを見てもこれは何万ドルにも何十万ドルにもなる。
結果として、日本の若者は集団でこのプログラムから逃げ出している。35歳以下の若者の半数が、年金を払っていないのだ。たとえこれが将来、彼らが年金をまったく受け取れないということを意味するものだとしても。高橋は言う。「フランスでは暴動が起きる。日本では単純に、払わないだけだ」
もしくは、ドロップアウトするだけだ。日本の最初のロストジェネレーションが10年前にしたように。
キョウコは、彼女の就職の見通しがこれ以上悪くなるのを避けるため、苗字を名乗るのを避けた。ほぼ10年前、早稲田大学の3年生だったとき、彼女は戦後の日本で踏みならされた、日本のトップ起業に入る道を進むつもりだった。彼女は、日本の起業が好む勤勉で服従的な人物に見えるように、熱心だが主張しすぎないように努めた。
10社ほど面接をウケた後で、彼女は軽いノイローゼになり、辞めることにした。以前は憧れた父親のような会社の戦士にはなりたくないのだと気付いたのだという。
卒業するまでに仕事を見つけることが出来なかった彼女は、フリーターという階層に入るほかなかった。低賃金な短期の非正規労働に甘んじる底辺層の若者のことである。2004年に卒業してから彼女は6つ仕事をしたが、そのどれも、失業保険も、年金も、毎月の給料も15万円以上払うことはなかった。
29歳のキョウコは語る。「これは私がなりたかったものではなかったと気付いた。でも、自分自身でいたことの代償がこんなに大きいのは何故なのだろうか?」
ピースボートは自衛隊の汚職や不祥事のみならず、自衛隊の存在そのものを否定している点が一般的な「警察批判」と決定的に違う。
「警察が存在するから犯罪が起こるのだ!」と普段から言ってる奴が、治安の悪い場所で「犯罪に遭いそうだから」と警官の同行を求めるようなもの。
「主張とは別に参加者の安全が第一」……けっ。
要は、自分に直接ふりかかる災難を避けるためなら自衛隊でも軍隊でも利用するけど、
二枚舌もここまでくるといっそすがすがしいな。
「護っていただかなくても大丈夫です。ピースボートですから襲われません」って言わないの?
頭の中身見てみたいよ。
そのうち「護らせてやった」とか言いそうだよなあ。
清美タンが設立したのは知らなかったけど、
直感的にうさんくさいと思ったのは間違ってなかったんだね。
海賊対策のためアフリカ・ソマリア沖に展開中の海上自衛隊の護衛艦が、民間国際交流団体「ピースボート」の船旅の旅客船を護衛したことが13日、分かった。ピースボートは海賊対策での海自派遣に反対しており、主張とのギャップは議論を呼びそうだ。
海自の護衛艦2隻は11日から13日にかけ、ソマリア沖・アデン湾を航行する日本関係船舶7隻を護衛。うち1隻がピースボートの船旅の旅客船だった。ピースボートは社民党の辻元清美衆院議員が早稲田大在学中の昭和58年に設立。船旅は寄港地のNGO(非政府組織)や学生らと交流を図ることなどを目的としている。
66回目となる今回の船旅は約3カ月半に及ぶ地球一周で、北欧5カ国とフィヨルドを巡るのが目玉。約600人が参加し、4月23日に横浜港を出発後、中国とシンガポールに寄港。ピースボートのホームページには船旅の最新リポートとして、デッキで催されたフルーツパーティーの様子が掲載されている。
ピースボート事務局によると、船旅の企画・実施会社が護衛任務を調整する国土交通省海賊対策連絡調整室と安全対策を協議し、海自が護衛する船団に入ることが決まったという。
ピースボートは市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねている。事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一。(企画・実施会社が)護衛を依頼した判断を尊重する」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090514/plc0905140140001-n1.htm
どうしようもねえ連中だな。
別にその団体の関係者じゃないし、特にかばおうとも思わんけどさ。ここに書いてあった内容だけで判断すると、その団体にもともと偏見を持っていたが、今回のことで改めて調べても特に悪いところが出て来なかった(雰囲気批判みたいなのばかりだった)のに元々あった偏見を払拭出来ず、自分の偏見が正統であることを求めてるだけに見える。
まあなんとなく分かるけどね。そういう活動やる奴はうさんくさいとか、スピリチュアル(笑)エコロジー(笑)自分探し(笑)みたいな感じなんだろ。
ソースは共通の友人B経由。
先日、その友人Bと食事していたときの話。
『そういえば最近Aにも全然あってないんだよね??。Bは会ってるの?』
「自分はちょくちょく会ってるよ。あ、そうそう。A今度世界一周旅行に行くんだって、3ヶ月の」
「なんだっけ、ほらよく店とかでポスター張ってあるあれだよ、あれ。」
『(この時点でいやな感じがしてる)・・・うん。』
「あれに申し込みして世界一周してくるんだって。まぁ、Aもここ最近失恋とかいろいろあってぼろぼろだから
『一度気持ちをリセットしてくる』っていって申し込んだみたいよ。」
『・・・へぇ、そうなんだ。』
話の中ではあえて名前は出さなかったけど、間違いなくピースボートのアレってことは判明してる。
あと、おそらく友人Bはピースボートについて、詳しいことは何も知らない。あまりネットもやらない人なので。
自分は『ピースボートやばい』って話はなんとなく知ってたので、この話を聞いたとき心の中で軽く引いた
帰ってから改めてピースボートについて調べてみた。
ただ、調べてみたものの、自分の中では結局ピースボートの何が悪なのかわからない状態ではある。
友人AはBのいうとおり、ここ半年ぐらい恋愛や人間関係でかなり疲れていて、ホント廃人状態になってきているという話は聞いていた。
自分は仕事の都合もあってたまにしか会っていないんだけど、共通の趣味があって仲がいい感じ。
それだけに、現在のAをそんな怪しい団体に送り込むのは、正直嫌だ。
ただ、何でだめなのかというのをAに説明するのが、自分でも理解していないので難しい。
Aはそこそこ賢い人間なので『なんとなく嫌』はきっと通用しないだろう。
ちなみにAはそこそこネットをやる人間なので、Bよりかは情報を持っている可能性もある。
それでもクルーズに参加するというのだから、もしかしたらピースボートがどんな団体なのかを知らないのかもしれない。
どうにかしてAを引き止める方法はないだろうか。
「誠意を示す」ということでしか存在価値をアピれないはずなのに
この体たらく
さらにはこんな話。
本当に何とかしたいなら、膿をだすことが必須だと思うんだけど
まぁ結局古い体質のまま沈殿していくのかね。
あの人ほとんど現場にいなかったし、
ひいては復興への取り組みなんかただ「便乗」してただけ。
何にも知らんといっていーじゃない?
おなじ党の議員があんな事言って
自分は震災をよく知っている云々言ってて
一体その整合性はどう考えるのかね?
現場で新聞配ってたというのなら
自衛隊や(当時の)政府の初動活動のことだってよく知ってるでしょ?
おまけにこんなこと書かれてるし
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/9881/sinsai.htm
>18日
>辻元清美ピースボート現地入り。印刷機を持ち込み宣伝ビラを配布し始める。
>「生活に密着した情報をとどける」と銘打つが、内容は、ピースボートの宣伝や、被災した喫茶店主の
>「国は17日付で公庫の返済分をきっちり引き落としよった」や、韓国基督大学による韓国風スープ炊き出しの話しなど。
甚だしい事実誤認があるけれど、
もっと謙虚になって、「自分のしたことだけ」について語ってくれ。