そんな記事を読んで人生で唯一自殺してしまおうかと思った時のことを思い出した。
人間関係も家族関係も勉強もそこそこ上手くいっていた中学生時代、ある、本当に些細なことをきっかけに先生から激怒された。呼び出されて廊下で、びっくりするくらい感情的に怒鳴られる。学年が静まり返って私を見ている。そんな経験がなかった私はかなり怯んだし、辛かった。
その後1週間ほど、毎日放課後、最終下校まで2時間、3時間、その先生を待ち続けたり、怒られたり、他の先生からなぜか謝られたり、怒られたり、そんな日が続いていた。
怒られたことは正直、教師になった今でも納得がいかないようなことだ。私だったらあんな指導は絶対にしない。なのに、クラスや担任の先生に迷惑を掛けていることが情けなくて、申し訳なくて、こんなくだらないことに毎日何時間もかけなければいけない中学生という身分が嫌で、こんなやつが人を教育する立場にある社会すら恨んでいっそ死んでしまいたいと思った。私が死んで、社会にこのことが出て何もかも変わればいい、先生は一生それを背負って生きていけばいい、そんな風に思っていた。
そんな学校帰り、塾に行くために電車に乗る、いつも使う馴染みの駅、馴染みの駅員さん。ホームに降りたときに通過した快速電車、無意識の中ですーっと吸い込まれるような感覚があった。
ホームには私1人だけ、なぜかいつもと違うところで電車を待つ。何も考えずにぼーっと電車に待つ。乗るつもりなのか、飛び込むつもりなのか自分でも分からなかった。
そして肩を叩かれた。いつもの駅員さんだった。
いつもお疲れ様。がんばってね。
意地になってずっと泣いてなかったのに、涙がでた。
中学校の中の世界しか見ていなかった私はこんなに優しい大人もいるんだ、と思ったのをよく覚えている。
駅員さんはすぐに業務に戻ってしまったけれど、ホームの寒さとは真逆に心が本当にあったかかった。
奇しくも私は教師になった、あんなに恨んで教師になんて絶対にならないって言っていたのに人生ってわからない。
教師であってもなくても、その行動でひとことで救われる子どもはいる。その自覚を持って、あめだまをあげられるような大人になりたい、そう思います。