その記事は発達障害の事もニュータイプの事もわかってない馬鹿の記事だけど、
社会に余裕のあった時代なら何とかやって行けていた発達障害者も多いんだろうね。
普段お酒を飲まない自分が、柄にもなく「ちょっと一杯飲みたいな」なんてふと思った。
着替えて、財布と携帯だけ持って外に出た。
お店に当てはあった。近くの、いつか友人と入ったことのあるとても小さなバー。
勇気を出して中に入ると客はおらず、ちょっと白髪交じりの物静かなマスターが一人退屈そうにしていた。
いらっしゃい。そう言うとカウンターに促してくれ、メニューをすっと置いてくれた。
適当なカクテルを頼んで、目の前の虚空を見つめながら黙り込んでいた。
店に二人なので少々気まずくもあり、そこは向こうもプロ。GWは長いんですか?なんて話しかけてくれた。
話題はGWの過ごし方、いま住んでいるところや地元のこと、仕事のこと、これからの人生のこと。
あと、自分は初心者ながらにバンドをやっていて、偶然にもお互いドラムの人だったので盛り上がった。
1杯目を飲み終えたところで、おすすめのないですか、と聞いてみたら、すっきりめとかどうでしょう、と。
ジントニックがでてきた。ジンとか強そうでそんなの飲んだこともないよ。。けど意外といけた。酔った。
マスターはいろいろな常連客のことも絡めて話してくれるので、話題はなかなか尽きない。
ちょっと話に詰まっても、ほとんど向こうから何かを振ってくれる。どこか客観的な自分がそれに感心しながら、
こちらもできるだけ会話をつなげようと頑張った。普段は無口なんだけど、その場の雰囲気を保とう、とか
そういうのがうまくやっていくのに大切なんじゃないかな、なんて最近思うところもあって。
話してて印象に残ったのは、人と人とのつながりや縁によってその先の人生を歩んでいくのもいいもんだよって。
ネットで調べて正面からいろんなことに飛び込んでいくのももちろんいいけど、人づてってのもありだよねって。
就職して上京してきた自分にとっては、仕事以外の人と接する機会もないから、そんなつながりが欲しかった。
気づいたら2時。
俺は嫁に結婚式は知らない人がいっぱい来るし、俺には呼ぶような人も家族くらいしかいないから嫌だと言った。嫁は悲しがってたけど。悪い事したと思った。
Gunosyのしくみも、難しい説明は一切不要。下の画像を見てください。
Gunosyで配信されてくる記事の全てが、前日のはてなブックマークのカテゴリ別ホットエントリーだ。”
配信してくるわけだ。
騙された俺がバカだったw
【急募】レイシストの俺を、レイシストじゃなくする方法 - http://anond.hatelabo.jp/20130501200747
とそれにまつわるトラバ、ブクマ、の一部を読んで、問題を私なりに整理してみようと考えたこと。
元記事のレイシスト俺さんについては、
・大元に何かを攻撃したい欲求がある。
・その攻撃対象として丁度よく嫌いな中韓に、欲求を(内心や内輪との会話で楽しむ範囲であれ)ぶつけている。
・レイシスト俺さんは、心の中に民族差別感情を持つ人間をレイシストと定義しているので、自分をレイシストだと思っている。
・レイシズムが道徳的によくないし、経済などの面でも己に損をもたらすとはある程度理解しているが、攻撃欲求を発散する気持ち良さを優先させてしまう。
・なので、将来状況が変わればもっと明確なレイシスト的行動をとるかもしれない。
・こんな俺を変える方法はあるのか。
という風に読みました。
1.攻撃欲求が強くなるのは生活に不満があるからなので、人生を充実させる。
2.相手のことをよく知らないのにイメージに嵌ってるから差別したくなるので、実際の韓国人と知り合いになる。
3.2と似ているが、色んな事を学んで、よく考えると、単純な差別をする気はなくなる。
4.お前の性格が悪いんだよだのその程度でスカっと出来るなんて安易ですねだのの罵倒。
みたいな意見が多いように感じました。
個人的に一番頷けるのは1(と、白目で見た意味での4)なのですが、実現は難しいと思います。
充実した人生を送る方法、幸せになる方法が確立されてるなら、誰だって幸せになれるはずでしょう。
現実では、方法が確立されていない、もしくはその方法をとるにはある程度の能力がいる。
経済がよくなれば少しはマシになる、ってのはその通りなんですが、
日本・世界の経済をよくするために即効性のある、一個人ができることってほとんどないです。
即効性がないと手ごたえが得られないので、実際に経済がよくなるまで攻撃欲求を持てあますことになります。
また、もし生活が充実してもやっぱり攻撃欲求の強い人はいるのではないでしょうか。
2は、実際に効果があるかどうかも少し疑問だし、実現するのもそれなりにハードルが高いと思いました。
知り合いになった韓国人がたまたま気の合わない奴だった、という可能性があり、
うまく仲良くなったところで、個人は好きだが集団へのレッテルは変わらないので叩き続ける場合もよくあり
そもそも新しく他人、それも外人と知人になるのはそれなりに面倒なことであり(面倒でない人もいるでしょうが)、
まして、現状馬鹿にして喜んでいる相手とわざわざ友好的に付き合おうとするのは酷く心理的に抵抗があるわけで、
それができれば苦労しない、気がします。
で、3についてがこの記事のメインなんですけど。
互いの国や文化や歴史、その他知見を広めてよく考えなさい、というのは、まあ、理想的だなあとは思います。
思うのですが、やはり実現は難しく感じるのです。
要するにこれは、理性を使いなさい、ということでしょう。
でも、理性って、普段自分がやってる以上に使うの、凄く難しいし大変じゃありませんか?
最初に書きましたが、レイシスト俺さんが特定の国を馬鹿にして喜ぶのは、
「他人を攻撃するのはよくないとは理性ではある程度分かるけど、
嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいいので、その気持ちよさを優先してしまう」
ということのようです。
「嫌いなものを攻撃すると感情的に気持ちいい」のは、誰しもが秘めているものだと思います。私もモリモリあります。
(一部ブコメやトラバを見ると、この時点で「いや気持ちよくないよ」という人もいるようですが、
攻撃欲求が全然ないのでしょうか、そんな人いるのかしらん)
そのような人に、積極的に知見を広める(それも恐らく嫌いな中韓にプラスな情報を多く)、という理性を沢山必要とする行為を望むのは、
ちょっと無茶な気がするのです。
それでも「(思考で)殴ると気持ちいい」という感情的快楽は消えないわけで、
「中韓にも事情はあるんだろうけどテメーら嫌いだよ苦しめざまぁww」という風にならないでしょうか。
そう言えば、2の嫌いな国の人とわざわざ仲良くなるというのも、理性を必要としますね。
結局、何度も繰り返しになりますが
「嫌いな奴を殴ると気持ちいい! それが駄目なことと理性は言うが俺は目の前の快楽を優先するぜ!」ということに核心があり、
それを解消するにはどうしたらいいか、というのがレイシスト俺さんの問いかけだと思います
(そして暗に「無理じゃないの?」と言ってる気がします)。
この、感情的快楽を理性より優先させる姿というのは、世の中に往々にして見受けられます。
雑な例示なのは許してほしいのですが、
様々な差別、いじめの一部、暴行、薬物使用、日常でひたすら感情的になる人、などなど。
全くの無知からそれらをする人もいますが、悪いと知っていても目先の快楽に溺れる人も沢山いるでしょう。
こういう人たちに対して何ができるか、が、この一連の話題では問われているのだと思います。
解決法はある意味ではシンプルで、彼ら彼女らが、感情より理性を優先させるようになればよいのです。
上の方では敢えて省きましたが、「知見を広めろ、よく考えろ」という助言には、
「足りない理性を鍛えろ」という意味も含まれていることでしょう。
でも、それって現実的に可能なんでしょうか。
自分の普段よりも多く理性を働かせようとするのは、凄くストレスだと思います。
理性を使う気持ち良さというのもあるので、それに高いレベルで馴染んでいる人からすると、
もっと理性的になろう、と望むことはごく当然だと思われるかもしれません。
(攻撃欲求に身に覚えがない人というのも、もしかしたら理性が凄く強いので、
そのような荒っぽい欲求は存在を感知できないくらいに抑制しているのが常態化しているのかも?)
でも、そうじゃない人もいる。私は多分、そうじゃない人が凄く多いと思う。
私自身が、非理性的で、感情的な快楽に弱いので、理性的になれ、よく考えろ、大人になれ、としょっちゅう言われるのですが、
理性が身に馴染んでいないのに理性的になろうとするのは、とっても大変、です。
理性を働かせることは、特に馴染んでいない人には快楽をもたらさない。
モチベーションが湧かなきゃ、そりゃ、やらないよなあ。
果たして、理性より感情を優先させる人に、理性を重視させる方法はあるのでしょうか?
レイシスト(元記事作者さんについては反中・反韓感情の持ち主、レベルの気もしますが)に、
薬物使用者に、暴力をふるう人に、過剰な感情論を振りあげる人に、何かできるのでしょうか?
もし、実現可能なレベルでの対策があるのならば、凄いなあと思います。
私は、ないような気がしています。
ないよ、で終わってもなんなので、私の考える、何かできること。
感情の衝動を弱めて理性の方を相対的に大きくしようという取り組みですね。
これはもし実現できれば効果があるような気がしたので一番好きなのです。
人生が充実しても全ての負の感情衝動が弱まるかは分かりませんが、ベターではあるかなあ、とか。
けれどやはり、充実した人生ってどうすれば手に入るんだよ、という問題が。
物事を十分理性的に考えるような教育を施されれば、ある程度理性的になるでしょう。
しかしこれも問題は沢山あって、
まず、既に義務教育期間を終えた人間を教育するシステムがないということ。
現在の教育者側が理性的な人間揃いではないのでは難しい……かも?
それに、今だってかなり児童を理性的に育てようという教育はあるのでしょうが、
ついてこない子たちが沢山いて現状になっている、というのは、何かしら問題があるせいな気がします。
また、教育については、
「学がない人間は学のある人間を逆に軽蔑する場合がある。親世代にもその傾向があると子供は当然学びづらい」
みたいな低学歴の再生産みたいな話も絡んできちゃいますね、とか。
やっぱり、難しいですね。
これぞという、いや、これぞじゃなく漸近的にでも、
以上。
感情だの欲求だの快楽だの理性だのレイシストだの、他にも様々な用語の使い方は雑だと思います。
すいません。
用語以外も雑だと思うのですが、元記事さんに用語の使い方で突っ込んでる人が多かったので予防線。
サークルの新カンコンパで俺は焦っていた。隣の席に座っていた男が、漫研とかいうオタサークルに入りたがってる癖に、酒を飲んではウェーイ、飯が来ればウェーイ、箸が転べばウェーイみたいなよく分からん軽いノリの男で、おまけに声がでかい。むかつく。だけど今日、この居酒屋では間違いなくその男が中心であって、人気者になりたいけど大声が出せず、さしたるネタもない俺は、爪を噛みながら寺とか釘とか藁人形のことを考えて一人癒されるしかなかった。
そんな時、便意がやってきた。人を押しのけてトイレに立つ。ここで意味も無くケータイと財布を持っていったことが命取りになった。財布はいい。ただケータイを持っていった意味は今考えるとよく分からない。誰も盗まんて。便器に腰掛ける前に、ケータイと財布を洋式便器の後ろについてる謎のボックス、便器のタイプによってはそこで手を洗える奴、に置いた。そのボックスが命取りになった。
このボックスとかいう糞野郎はなんか意味もなく微妙に傾斜してやがるんだよ。それも置くときには気づかないぐらいの微妙な角度で!しかもよりによって便器側のほうに傾いてるわけ!だからここにものを配置すると重力に従ってニュートン的に確実にそのもの自身の重みによって便器サイドへとずりおちるのは自明の理なわけ。もうコーラを飲んだらゲップが出るってぐらい確実だァッ!なわけ。間違いなく一種のトラップだった。あるいは店主の小粋なサービス精神の表れかもしれない。財布は皮製だったから摩擦が強くて助かったが、ケータイはつるつるしてたのでドボンした。美事に。一瞬リアクションがとれなかった。刹那、自分でもびっくりするぐらい何のためらいもなくケータイを掴んでいた。超びっくりだよ!いやそれほどトイレが綺麗に見えたんだけどね。多分汚いトイレだったらそ知らぬ顔して流していたかもしれない。瞬間にして雑菌まみれになった手でケータイを握り締めながら、それでも不思議なことにケータイの画面は普通にしばらく点灯していた。やった!ソフトバンクの防水性超やべえじゃん!とか喜んでるといきなりチカチカし始めて、やがて完全にブラックアウトしてしまった。
気分は沈んだ。確かに気分は沈んだ。何十時間かはやったぷよぷよ+コラムズとかいう神アプリ、作品のアイディアメモ、さっき聞いたばっかの漫研同期の連絡先、全部消えてしまった。だが、俺はここに来て一つの光明を得たように思った。遂に、遂にネタができた…!これ漫研の連中に喋ったら絶対ドッカンドッカンくるじゃねえか!?便器にケータイ落としてぶっ壊すとか、多分ケータイの面白い壊れ方としては相当上位に来るのではないか。見知らぬメールアドレスから毎日赤錆びた包丁の画像が送られてくるようになってから三ヵ月後電源が入らなくなったとかの方がもっと面白い気はするけど。で、便器液で汚れたケータイを綺麗にするためにもう一度水で洗ったりなんかして、ケータイぶち壊したのにも関わらず完全にるんるん気分で宴に戻った。自分もあの声のでかい男のようにウケてみたかった。それだけの出来心でしかなかったはずなのに。笑い話ってのはただ素材をごろんと提供しただけではダメで、それを面白くするためには面白く聞こえるように話さなきゃならないとは長く感じていたことだけど、そのことを深く考える心の余裕は、超ホットなネタに出会ったばかりの俺にはなかった。
声デカ男に話しかける。「やべえよ、さっきさ」「ん?」「ケータイ便器に落として壊しちゃった」みんなからの視線が集まる。「え?マジで?」そうだよね、冗談だって思うよね。「いやマジで。これケータイ」「え、点かないの…?ちょっと貸してみ?」「ほい」渡してから、あ、でもそれさっきまで便器に入ってた奴だけどなと付け加える。「うっわきたねえ!マジかよはははは」やっとウケた!「えー、どういう風に落ちたの?」「便器の後ろの方の台に置いといたらずるって」「ははは」あれ…なんか笑いが足りないな…っていうかみんな既に他の話始めつつあるし…「もー何やってんだよー」「やっちまった、はは」…………あれ!?これだけしかウケずに終わり!?ケータイ一個使うほど体張っておいて!?い、いや、ネタは万全なものだったはずだ…た、多分、俺の話を盛り上げてくれなかった声デカ男が悪いんだよ!声デカ男許すまじ。殺すリスト入れたからな。このようにして、自分の大学生活は始まったのであった。
今家に自分以外誰もいないのをいいことに、居間のPCで懐かしのエロゲを二時間やってはやり捨てていたのだが、
『体育倉庫物語 ~幼性の夏休み~』のBGMが意外と良かったのを再発見したり。
調教シーンの最中にかかる曲が、川べりをゆっくり歩きながら日差しの下で輝く川面を眺めるような穏やかさを想起させるように、
幼女をなだめて気分を持っていくようなしっとりとした曲で、ああ、この曲良いなぁと思って音量を上げて
まだBGMがかかっていることをようやく思い出した。
PCの前に戻ると、幼女には未だに空気入れのホースがささりっぱなしになっているわけで、
ああ、ごめんなさい、今楽にしてあげるからねとEscキーでとりあえずゲームを終了した。
PCから離れていた間、モニターはスリープモードに入ることもなく煌煌と輝き、
アーンなシーンがブラウン管なら焼き付くほどの時間経ってたわけだけど
ゲームが稼働中であることを知らせるBGMが自然すぎて全く気づかなかった。
ヨスガのサントラを掛けながら、コマ送りで黒い斜が入ったシーンを一時停止したまま
席を立って部屋片付けていたら姉に見られたことを思い出した。
まったく同じだ。賢者タイムには入ってないのに、曲がいいとすっぽり抜けるよね。
だけど、ある一定の水準を超えた途端に好奇心から執着に変わる。
執着していないと、手を離した瞬間からパァーッと体から出ていってしまう。
だから、常にグツグツ煮詰めていないといけない。
これって集中力の問題?根気の問題?
で?だからなに?資本主義ってものさしの1つでしょ。歴史の長さ、文化貢献、社会貢献、ものさしは沢山ある。
お金が大事って人たちの中で、やってれば? べつに、資本主義の観点で、すごいなってのは否定しないよ。
だけど、万民に認められたければ 複数の価値観のベクトルを持ったら?
というかまさに、アパレルというか、ファッションブランド 上位をガンガン 買収している資本主義の化身で勝つ歴史も長い
ルイビトンモエヘネシー グループに 資本主義の観点で文句つけるというのは 面白いけどな。
やつら、エルメスすらも買収を企てた資本主義の鬼でかつ、有名ブランドで かつ、歴史あるブランドを買い漁ってて
どこに、欠点があるんだよ。
そもそも、5兆円の根拠がわからんが、ソフトバンクにしろなんにしろ、売上の数字で物事を決めるのは営業系の人だけだ。
アパレル最大だと LVHMのファッション部門の約1兆円だと思うが、まぁ、LVHM自体がアパレルというかファッションブランドだからグループ全体で香水とかも含めてだいたい5兆円だね。
だが、ユニクロが5兆円になったからといってLVHMと同じだというのはLVHMに対して あまりにも失礼すぎる。歴史と伝統が違いすぎるし、文化貢献も違いすぎる。
親父さんのことは福祉を最大限に利用して、増田は自分の人生行きなよ。エントリ読んだら親父さんのこと大して
助けたくも無いんだろう。変な使命感と世間体に囚われているように見える。
諸外国の憲法改正手続きを比較すると、国民投票を手続きに含めていない国が結構あることに驚く。
むしろ改憲手続きで国民投票を必須とする国のほうが例外的で、フランスのように「両院合同議会の3/5以上の賛成、または国民投票」だとか、
イタリアのように「議会で過半数以上2/3以下の賛成の場合は国民投票」のように、特殊な条件の場合のみ投票を行うのが一般的らしい。
日本以外で議会での2/3以上の賛成と国民投票を必須としているのは韓国くらいだが、韓国は一院制だから日本と比べるとハードルが低い。
アメリカ・カナダなど連邦制の国では、国民投票ではなく各州の批准により発効するから、国内法というより条約のような感じなのかもしれない。
いずれにせよ、諸外国で「両院の2/3と国民投票の過半数」という例はほとんどなく、「両院の2/3のみで発効」か「両院の過半数と国民投票の過半数」の例が多いようだ。
議会の2/3の賛成とはいえ、国民投票なしで憲法改正しちゃってもいいのか、という気もするが、
考えてみれば上院が半数づつ改選の場合、通常であれば3回の国政選挙で2/3以上の議席を獲得する必要があるし、