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2023-09-24

やっちまったああああああああああああああああああああああああ

この前胡椒買ったのよ胡椒テーブル胡椒茶色いやつ!

それを調味料の引き出しに入れといたのね!

それでさっき初めて使おうとしたの!

で、胡椒入れる前に唐辛子を入れたの!

これはずっと前から使ってるやつで!ハウスのやつ!

これね!赤いフタを外すとね!本体に白いキャップがついてて少しだけ出せるのね!

から引き出しあけて赤いのとって!赤い蓋を回すでしょ!?それを辛いの得意じゃないから一振りね!さっとかけてね!引き出しに戻して隣の胡椒手に取ったの!

この胡椒!これもハウスのやつ!唐辛子と一緒!この胡椒を取ってね!蓋を回して取ってね!そおい!よ!

そしたら胡椒がゴバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

人間あれね!本当に驚くと動きが止まるのね!流れる胡椒を見つめることしかできなかったわ!

ようやく慌ててひねった手を戻したら新品の半分ぐらいの胡椒ががが!

なにごと~!?!?!?!?!?!?!?!?!?ってみたらねみたらよ

これね!この胡椒ね!瓶につけるフタ自体にもうひとつフタがあってね!それを持ち上げて開くといくつか穴が開いた状態になってフリフリできるのよ!瓶についてるフタ自体を回して外すと唐辛子と違ってね!お口全開のはだかんぼの瓶がこんにちわちゃうの!

わわわ罠ぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!

唐辛子と同じ手順を踏むと調節レスでガブガブ行けちゃう罠ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!

これね!最初胡椒ならよかったの!!!!!!

フタ持ち上げる!入れる!戻す!唐辛子持つ!フタもち…上がらない!フタ回す!入れる!戻す!

はい完璧!!!!!!!!パーフェクツ!!!!!!!!!

それがなんの因果唐辛子から入れたか!!!!!!!!!!!唐辛子動作胡椒にも使えるから!!!!!!!!!!!!!!でも出る量は全然うから!!!!!!!!!!!!!!!

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

それでね、入れちゃった胡椒ね、なんとか食べようとしたんだけどね、これ無理だなって。体が危険信号だすなって。先に入れた唐辛子のせいかどうかわからない辛さとひり付きがあるなって…。

調べたら全部食べても死にはしない量みたいだけどね、でも、無理だなって…。

食べ物捨てるのはとても辛いんだけど…大量の水に入れて薄めてスープ再利用とかも考えたんだけど…

ももうね、もういち早くこれを見たくなくて忘れたくて流しに捨てちゃったの…。

綺麗さっぱり消えてくれたらよかったけどまだ流しの水切りネットに沢山胡椒こんにちわしてるの…。ああ、キミはちゃんゴミを受け止めてくれてるんだね。働き者だね。でも、今はキミのその優しさが辛いや…。

もうね、書くしかないんですわ。ハウスさんにクレーム入れるとかじゃなくてね。この気持ちを。こうやって。流して、切り替えて、残った胡椒と向き合っていくには。これは儀式なの。

これでもうね、一生調味料の小瓶を持ったら一時停止する人間になると思うの。どんなに人から奇異の目で見られても形状確認ロボットかよと思われてもいい。むしろロボットならこんな気持ちにもならないからなりたい。もうあのブラインドで流麗に調味料を扱う日々は死んだの。疑り深い偏屈人間の出来上がりよ。

ああ、ごめんね胡椒。愚かな私を恨んでくれ。これからこの十字架を一生背負って生きていく。

でもね。それはそれとしてね。

今後は調味料を買うときはできるだけ入れる構造が同じもの統一しようと思います

2023-09-13

anond:20230913094513 anond:20230913095010

増田は、人に嫌われない方法と言いつつ、実際には人に嫌われないことを重視してはいないのでそうなるだけ

 

そして、高学歴高収入だったり、少なくとも特別支援必要としていなくて行動に制限を受けていない場合は、別に嫌われたって生きてはいける

人間関係を築く上で難しさが増す可能性が高まりはするものの、先進国においてお金はだいたいのことを解決してくれるから

 

世の中には、無礼な人も、不誠実な人も、素直じゃない人も、それぞれたくさん居て、フツーに今日も生きている

増田も、無礼に不誠実に偏屈に生きたら良いと思うよ。別に死にやしない

2023-09-07

anond:20230609233518

キモくて金のないオッサンの、KKO蔑称で呼ばれる最たる理由は、その精神の貧しさ、幼稚さ、戦前戦後の「国民を優秀な兵士奴隷にするためだけの教育」によって、近代史政治学などの基礎教養を徹底的に失っている無教養カスバカなところ、にある。

まず日本で最も貧しい人といえば、高齢女性シングルマザーである。貧しいだけでは蔑視なんかされない。普通貧乏は救うべき人なのだ

オッサンというだけでも蔑視なんかされない。優しいお爺さんはむしろアイドルにすらなり得るだろう。つまり嫌われてるのは意地悪で偏屈で幼稚で性格の悪いクソジジイなのだ

キモいだって容姿だけの話なら、いまどきはルッキズムのほうが批判されるだろう。


KKOとは、中身がキモいおじさんなのだ

街のあちこちカスハラセクハラに余念がなく、日本で1番犯罪をするグループもおじさんだが、犯罪とまでは言えない嫌がらせ趣味のおじさんが大量にいる。

絶えず他人を加害し、客観性がなく、法律が分からないのでDV浮気風俗通いを正当化し、共同親権を進めようとし、女性蔑視が板についている。

日本やおじさんを侮辱されると、脳を使うことはできないので中身への批判などできるわけもなく、統計がわからないのに統計統計データ!と叫びながら反射的に集まって発狂して、

いわゆるギャオオオオオオン連中、アンフェとかキモオタとかネトウヨの群を作り出してしまう。

そういうバカなおじさんが沢山いる社会が、KKO批判共感を集めてしまったのだ。

愚痴まみれの偏屈おっさんが「上ピ」とか言うなよ うら若き乙女かよ

2023-07-30

anond:20230730173719

からだが、少なくとも本人は偏屈ではないと思うし、独身男性への印象を悪くされる部分は皆無だけどな

しろ自分の呟きに斜め上から指摘されることへの苛立ちはよく分かる

熟達ブロガーじゃないんだし、クソリプ飛ばされていい気持ちになる人は少ない

あと、全然よい文章ではないな

散文すぎる

anond:20230729235132

本文は頷けるんだけど、その追記やめてほしいな。独身男性全員が偏屈人間だと思われてしまう。いい文章台無し

2023-07-14

家族が欲しいなと思った話

私が大人になってから、母はたまに「自分毒親育ちだった」と言うようになった。

もう何年も前に亡くなったが、私にとっては少し偏屈なおじいちゃんしか見えなかったけれど、たまに母が語る。


本当はやりたいことがあったのに女は勉強などするなと女子大に進むことしか許してくれなかった。

勝手に家に芸者をよんでどんちゃん騒ぎをしていた。

かなりの偏食家で、みんなで食べる夕飯のはずなのにおばあちゃんに必ず自分専用の別メニューを用意させていた。


そんなことを、ポロポロと話してくれることがあった。

でも決して感情に任せて私にぶつけるのではなく、わりとコミカルに話してくれる。

私にとっての「おじいちゃんの家での思い出」が壊れないように、上手に話してくれる。


私がまだ子供だった頃、母はなかなかヒステリックだったと思う。

私の軽はずみな一言や行動で感情が一気に昂り、大声で怒鳴り、思わぬ行動に出る。

部屋を散らかしっぱなしにしていると図書館で借りてきた本を捨てられそうになったり。

ランドセル油性ペンテストで取った取ってしまったひどい点を書かれたり。

学校から手紙をかなり溜め込んでしまっていたのがバレて、怒鳴りつけられ物を投げられ3日ほど口を聞いてもらえなくなったり。


原因は全て私だが、母の地雷がどこにあるのかあの頃のアホな子供の私には分からなかった。

些細なことで怒る、そして怒ったらどうしたら落ち着くのか分からない、厄介で恐ろしく思えた。

正直、これが原因で私は親くらい年齢の離れている女の人が少し苦手だった。


でも、もちろん年がら年中怒っているわけではない。むしろ怒っていない時のほうが多い。

料理がうまくて、裁縫もできて、絵もうまくて、映画趣味が良くて、話が面白くて、頭の回転の速い、大好きな母だ。

から、母が「毒親育ち」のイメージがつかなかった。


母は言う。

「私はお父さんと結婚できたか普通になれた。お父さんがすごい」

かにと思った。父は“普通”の人だ。

おだやかで優しくて、家族が大好きで、お酒あんまり飲まなくて、しっかり者で誠実で、たまに天然でおちゃめ。

働き者で、愚痴はほぼ言わず休日は一緒に遊んでくれた。最近では早起きしてコーヒーをいれて掃除をしたり洗い物をしていたりするらしい。

不機嫌なところなんてほとんど見たことがない。普通……じゃなくて聖人だ。


受験期間という誰もがナイーブになる数ヶ月。

私が模試でひどい点を取ったか何かで(そしてたぶんそれを隠そうとしてバレて)母が私の存在をまるっきり無視していた日があった。

家の中がピリついて居心地が最悪な日に帰ってきても、穏やかにかに、けれどちゃんリビングに居た。

これってすごいことだったと思う。仕事で疲れて帰ってきたのに家の空気が最悪だったら収まるまでどこかで時間を潰してきたって良かったろうに、あの嫌な空気を一緒に耐えてくれていた。


「母を怒らせたのは私の落ち度だけど、なにもあんなにヒスんなくても良くない?」と父に愚痴たこともある。

「確かにあれはちょっと異常だと思うよ」と父が言ってくれて、私はそれにすごく救われた。

そうか、あれってやっぱ変だよな。私だけが悪いんじゃないよなってほっとした。


夜中、トイレに起きて自室からそっと廊下リビングを隔てるドアに耳を当てると、母が泣きながら父に相談しているのが聞こえた。

私のことについて相談しているのがわかって心臓が痛かった。

父は寄り添うように母に何かを答えていて、父は私だけの味方じゃなくて家族の味方なんだなぁと思ったのを覚えている。


大人になるにつれて怒られる回数も減っていき、穏やかな家になった。

私は実家を出て一人暮らしを始めて、そしてたまに実家に帰ると仲のいい両親が迎えてくれる。

子はかすがいなんて、たぶん嘘だ。少なくともうちは当てはまらない。私がいない方が両親はきっとずっと仲が良かったろうにと思う。

私がいなかったら母はあんなに怒鳴って泣いて過ごすことにはならなかったし、父も居心地の悪い家に居る必要もなかったはずだ。


それでも、実家に帰ると二人は私を歓迎してくれる。

母は料理を張り切ってくれて、父は「iPadの設定がわかんないから教えて」と私を頼ってくれる。

良い家族だ、すごい。一人も壊れることな暖かい家族ちゃん形成するってすごい。

私には、こんなすごいことできないなと思うようになった。


子供の頃の恐ろしかった母親を思い出す。

怒って泣いて「そんなにお母さんのことが嫌い!?」と叫んで、違う、お母さんが私を嫌いなんでしょう!と言い返したくて、胸につっかえた言葉を言わなくて本当に良かった。

母は私を嫌いだったんじゃなくて、どうしたらいいのかわからなかったんだと思う。

母親だって、ただの一人の未完成人間なんだものね。


私はもう母が私を産んだ年齢を超えてしまっているけれど、独身だ。彼氏が欲しいとも思えなくなった。自分一人で生きるのに精一杯だ。

告白された流れでなんとなく彼氏ができてもしっくりこなくてすぐ別れてしまう。

学生期間が終わって、合コンなどにはいかないもんであまり出会いもなく、思い立ってマッチングアプリを使って婚活してみたことがあったけれど、ヤリモクだとかモラハラだとか奢り奢られやら、育児がうんぬんだとかの情報twitterに滝のように溢れていて何を信じていいのかわからなくなってやめてしまった。父のような穏やかな人を探したいと思ってしまって、比べてしまってだめだった。

会社であまり接点のない人から急に距離を縮められて気持ち悪くなって上司相談をしてなんとか追い払ったこともあった。

あん聖人はどこにもいないんだ。いいなあ、母は。父と結婚できて。心底羨ましい。


そもそも他人に話を合わせたり予定を合わせたりするのが苦手なのもあったし、もう恋愛がとにかくめんどくさいと思ってしまう。楽しくない。

赤の他人から性的感情を抱かれるのが気持ち悪い。というか、その前に手を繋ごうと誘われるのが気持ち悪い。手なんか繋いだら歩きにくいだろと思ってしまう。(実際断ったら文句を言われてかなり面倒だった)

彼氏の家に泊まった時にシングルベッドで一緒に寝ようと言われ、ちゃんと寝たいし狭いから嫌だと断ったら「俺のこと本当に好き?」と聞かれて面倒だった。好きなら強要していいのかい、というか一緒に寝られるほどは好きじゃなかったわごめんね、としか思えないまま床で寝た。

もしかして「男」がダメだったのかも、と思って女の子と付き合ってみたこともあったけれど同じだった。

性的な目で見られるのは居心地が悪いし、手を繋ぐのはやっぱり嫌だった。会話をするときトーンがどんどん下がっていって、喋り方が怖いと言われて喧嘩になったりもした。

そんなことが続き、向いてないなら無理に相手を作るもんでもないなと思ったし、私は人を好きになれないんだなと思い知った。


父も母も、私に結婚しろだとか孫を見せろだとかは言わない。

いい歳をした娘が独身なのって気にならない?と母に聞いてみたら「東京女の子一人暮らしをしてること自体心配だけど、好きに生きて欲しい。我々のことは我々で何とかできるからやりたいことして好きに生きな!」と言ってくれた。孫とか見たい?と父に聞いたら「まずは自分のことをできるようにね」と言ってくれた。

母は自分が受けた不条理人生を私に負わせまいと、毒親連鎖を断ち切ってくれたのだと思う。

父は私の未熟さをちゃんとわかってくれているのだと思う。


こんなできた両親がこの世に居るかい。居るんだよ私には。大好きな両親だ。

大好きすぎて、失ったらきっともう立ち直れなくなってしまう。

実家に帰ると幸せで、美味しいご飯を食べてテレビを見ながらたわいのない話をして笑って。

用意してもらったお風呂に入ってると「こんな大好きなのに父も母もいつか死んじゃうんだよな……」と考えてしまって涙が止まらなくなる。


両親が死んじゃったら私も死んじゃいたい。ごめんなさい、30過ぎた大人の癖にこんなことを考えてしまって。

ああ、だから人は結婚をして自分と生きてくれる家族を作るんだなぁと思う。

いいなぁ、家族粘土とかで作れたら良かったのにな。


追記

ちょっと感傷的になったタイミングでわーっと書いてしまったので、補足というか気になったコメントに関してちょっと追記を。

書いてしまってから、そっか、こんなふうに書いたら親が叩かれるよな……と納得したし、少しほっとした部分もある。

自分では許せていたつもりでも、心のどこかであの頃の自分のやり場のない感情成仏させたいと思っていたのだと思う。

母親に直接過去の話をしても何か得られるものがあるわけではないし、直接傷つけたくもなかったから、知らない誰かに母親批判してもらうことで救われたかったのかも。

とはいえ、私は自分母親毒親とは認識できないんだよな…金銭をせびられたわけでもないし、跡が残るような傷をつけられたわけでもないし。

好きなことをして飯を食ってく選択肢を後押ししてくれたり、趣味理解してくれたり、私にとっての母はやっぱり最高で大好きだと思ってる。あの一時期だけがしんどかっただけで。

親に完璧なんか求めない派です、自分が親になる機会があったって、完璧にやれるわけないだろうし。

今はネットがあるからいろんな知識を得られたり、同じような境遇の人を調べて安心できるだろうけど、今から●年前じゃそうもいかなかったろうし。

……って考えるとほんと親ってすごいよな……ものすごく探り探りで子育てしていくって、灯りのないトンネルをずっと歩いているようなもんじゃんか。大変だったろうな。

自分を愛せない〜に関しては、自分を愛してないってどっかに書いたっけ…?愛してないつもりはないんだけど、そんなふうに読み取れるように書いてたならごめん。

自分のことは自分なりに愛しまくりです。それ以外は手が回らんわって話で。

小説進めてくれた人ありがとうちょっとずつ読んでます

あと、ヤングケアラーではないです。

2023-06-23

anond:20230623133329

むかしだったら偏屈ジジイとか町内で言われてそうな博士

2023-06-10

ウォー・ドッグスっていう武器商人映画見たんだけど、これジャンルコメディ映画なんな。

かに面白いし、相方ヤバい系の陽気さだし一難去ってまた一難をなんとか乗り切るのはエンタメしてて楽しいから全然「楽しかった映画」だ。

だけど面と向かってコメディですって言われるとなんか違うくなーい?と思う偏屈自分だ。

とはいえ何のジャンルかといわれると…わからないので…コメディですね…。

白人女性指導から排除すべきだと宣言

https://www.foxnews.com/media/maryland-democrat-declares-white-women-should-struck-down-from-leadership-dismantle-systemic-racism

メリーランド州民主党、「組織的人種差別」を解体するために白人女性指導から排除すべきだと宣言

民主党選出議員は講演者ラインナップについて「白人は…少数であるべきであり、それには正当な理由がある」と述べた

FOX初– 教育委員会会議発言したイスラム教徒の子供たちが「白人至上主義者と同じ側にいる」と主張して最近批判されたある民主党メリーランド市議会議員は、「白人女性」や「白人至上主義者」をバッシングした経歴もある。シオニストユダヤ人」とFOXニュースデジタルが報じた。

公立学校教師クリスティン・ミンク氏は、12月に第5地区代表してモンゴメリー郡議会議員に選出された。

彼女は「これは公平だ」と宣言しながら、火曜日の夜の教育委員会会議で、 LGBTQ+のカリキュラムに反対するイスラム教徒の子供たちは「白人至上主義者と同じ側にいる」と論じた。

「残念なことに、この問題は…一部のイスラム教徒家族白人至上主義者や完全な偏屈者と同じ立場に置くことになっている」と民主党は述べた。「私はあなたをそれらの人々と同じカテゴリーに入れるつもりはありませんが、ご存知のとおり、彼らはこの特定問題について同じ側に陥っているので、それは複雑です。」

彼女はまた、「愛国者」という言葉白人を表すのに使われると主張した。

「今こそ『愛国者』という言葉を取り戻す時だ。そして明確にしておきたいのですが、私が『『愛国者』という言葉を取り戻せ』と言うとき、私は実際に『愛国者』という意味でその言葉を使っている人たちが、『白人』という意味でそれを使っている人たちからその言葉を取り戻しているということです」と彼女は語った。

市議会議員はまた、黒人警察との衝突の間、白人は自らの身体人間の盾として使用すべきだという要求への支持を表明した。

彼女は「現場白人たちの特権をどのように活用するかをロジスティックに教えてくれる主催者たち」に感謝した。

カリフォルニア教育指導者らがオサマ・ビンラディンに憧れたマルクス主義者を称賛する授業をCRTで推進

ライトフォーリバティミンクコメントを求めたが、すぐには返答は得られなかった。

2023-06-07

anond:20230607162734

なに言ってんだこの偏屈

公園の前に住んでて勝手抜かしてんじゃねーよ

嫌なら住むなで済む話が長いわ

公園クレーマーの俺が公園クレーマーの考えてることを書くぞ

子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった」


そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
まりから見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議存在だということになる。


日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。


次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマー公園クレーマー化するのは、一部の非常識利用者のせいである。
非常識利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。


さて、じゃあ早速冒頭の文章ニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこから問題だ。恐らくここで、普段公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和公園で、何が?」


これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。


じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマー気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマー気持ち理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。


(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい状態だが、便宜上許して欲しい)


俺が公園クレーマーになった原初きっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。


変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボンボン。ギャハハ。ボンボス。ギャハハ。ボン
規則リズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。


ここで、自明事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである
これは誰しもが陥りがちなこであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所である錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである


結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。


夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル
しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイ酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。


そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTok流行りの動画大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである


そのうち、夜に公園に来るすべての人間バカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園24時間警備システム化」してしまったのである


これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
あくま自分要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。


この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。


そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。


大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか
いつしかクレーム」を入れるようになったのだ。


ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなた想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなた想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。


さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?


まずこれらの疑問は、論理的である
だが、解決ではない。


引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホン耳栓というのは応急処置として有効であるしかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつルール自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体ストレスになってくるのだ。


そして最後
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である


公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ
だって公園は良いものである、という世間認識があるのだから
そして既に、公園クレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから
だって、もし街を歩いていてテレビ取材にあたり、「公園クレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所からねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
らくだが、インタビュー公園騒音肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。


とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくま公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマー立場から書いているだけである


ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
しかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。


だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたイメージする「公園」「公園騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなた公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである


何も公園クレーマー理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである


最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?


これはこれでデカテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園バカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。


だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人思想一種しかない。
あえて極端な例を言えば、過去ゲーム感覚万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である
学生の頃イジメを働いた人間社会人になって会社イジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である
そういう因果律人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。


何を言いたいかというと、そのツッコミだけは「効果的でない」ということだ。

anond:20230607110504

まりお前みたいな偏屈以外には好評なのでは?

2023-06-05

anond:20230605205044

常に人と居ても大丈夫かどうかなんて人によりけりなんだから別に偏屈とか考えなくていいよ

自分は夫となら24時間ずっと一緒にいても大丈夫だけど、親兄弟は無理だなー

ひとりでいることを知るために飲んでる

子ども3人、仲良しの夫持ちで、仕事でも気軽に話せる部下が15人いて、朝から晩まで人に囲まれ暮らしてるけど息苦しい。家帰る前に1人で飲んじゃう。

若くて器量良しでエリートっぽい若い人がたくさんいる丸の内中年の女が1人で飲んでて、すごく居心地悪いけど、居心地良い。

何というか居心地良い家に帰れなくて一杯飲むのって、自分偏屈孤独なことを再確認する作業だってこと、今夜いよいよ気づいたので書いておく。

2023-05-19

anond:20230519085110

Nintendo Labo』の一過性批判している奴は、子供が作った工作をずっと持ち続けるものと思っているのか? 作って遊んだ経験サービスの役目を果たしているのに、ずっとそのダンボール工作が保持され続けないと意味がないと思っているなら偏屈だな。

2023-04-15

黒鉄の魚影 名探偵コナン原作ファン感想

いつも原作ファンサービスがあるコナン劇場版だが

今回もその点はちょいちょいある

ただしか最近作品の中だと、言うほど…なのでその勧め方はよくない

大体原作ファン映画見に行くんだからほっといてほしい

以上、偏屈人間性を冒頭で披露したところでの感想だが

脚本家はおそらく原作を未だにまだちゃんと読んでないんだと思う。この脚本家はずっとそう

でもまぁいいや。コナン✕灰原もいい。そこへの想いは伝わった

問題原作キャラ崩壊させていく脚本にある

勿論端々で今、青山の手が入ったなと思うところは多いのだが、行動で崩壊していくのだ

そして原作での立場だと「そうはならんやろ」ということも多く「脚本原作読めよ」と言う思いが強くなっていく

もう何年も脚本してるのにね…だからこそ今作の脚本の雑さが分かって辛かった

もっとちゃんと組み立ててくれてたのに今作はどうしてそうなった?という出来

インタビューを見ると最初事件から付け足したり消したりして残った設定が散見されたのだが、本当に残った設定がゴミのように散らばっていて目障りで仕方なかった

かにコナンと灰原のストーリー部分だけ見たら、原作灰原とかなりキャラ性が違うが、二次創作灰原と思えば丁寧に描かれてたと思う

しかしそこ特化しすぎたのではないか。これじゃあ本当に同人誌みたいだ

ポスターに出てくるキャラルールちょっと入れた感じ

黒の組織の描き方も無茶苦茶アクションもよくない

OPも酷かった。これ過去最低。音楽も入れ方が酷い。作画もここ6作くらいでは一番だめ。なんで?監督にはがっかり

盛り上がるところもない。ノルマのような「いつもの」も地味すぎて「お約束」にはなってない

画面が常に同じ、薄暗い、カタルシスもない。事件規模が小さい。単調

オリキャラもかなり弱く思い入れもない

別に自分は灰原との恋愛模様あたりも青山が加えた流れで納得した部分があり、いわゆる炎上部分は否定的ではないのだが、

それ以外であまりに【雑さ】が目立っており、ちょっと許容できないでいる

後日談ラストの回収も微妙。投げやりになっただろ

もうこの監督脚本コンビには今後一切期待できない

2023-04-12

anond:20230412203130

偏屈狂人が言ってるだけじゃんと思ったのに、トップブコメで笑う

そりゃ日本死ねって思うわけだわ

2023-04-05

EVで全部賄おうとするの間違ってる気がする

そんなことするからバッテリーを大型化しないといけなくなって、その結果1台あたりの環境負荷が増え、ディーゼルと比べてインフラ投資に対する環境負荷軽減が小さいとか言われる

更にバッテリーの充電にも時間がかかりアホみたいな充電行列も生まれ

EVあくまでも短中距離と割り切って、例えば200キロくらい走れる分のバッテリーにすれば今の500〜600キロ走るEV1台分のバッテリーで2〜3台EVが作れて台あたりの環境負荷も減り、ディーゼルなんか目じゃ無い環境に良い乗り物になる

すぐ充電も終わるから行列も減る

距離移動したいなら電車を使って着いた先で短中距離EVを借りれば良い

どうしても自分の車じゃなきゃ嫌なのじゃとかい偏屈な奴は、e-fuel車だの燃料電池車だの比較的高コストな車を買えば良い

そうやって、EVは割り切った方が環境に良いと思うんだが

まぁ、そんなド正論許したら宏光mini中国)の時代になるから欧米日などの既得権益国はバッテリークソデカバカEVばっか作ってるんだろうけど

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