はてなキーワード: 疑似科学とは
家族や友人にちょくちょく来てもらえる距離ではなかったため物資を揃えることが難しく、
シャンプーはよくわからぬ大きなボトルのリンスインシャンプー、ボディソープもおなじく。
週三回の入浴時にボディソープを泡立てて顔も洗った。
その生活を1ヶ月続けても、特に髪にも肌にも大きな問題はなかった。
ないのだが、冷静に考えて、
あるいは
「オールインワンジェルを塗る」
などの行為に本当に意味があるのだろうか。肌に水塗ると水吸うとかおかしくねえ??
とふと思ってしまったのだ。
もちろん、肌 しくみ で検索すれば出てくるような知識は目を通している。
いるんだがいまいち腑に落ちない。
食べ物に気を付けていい肌を作れというならわかるのだが、
(ただ、昔肌にいいという温泉に行った際、備え付けの紙パックを温泉に浸して顔にのせていたら、翌日顔から完全に毛穴が消えてびびったこともある)
今私は家に帰ってきたので、いつも通り洗顔料で顔を洗い、つっぱるかんじがするので化粧水をはたき、しばらくおいて水っぽさがおさまるのを待って乳液を塗っている。
水っぽさがおさまったのは浸透したんじゃなくて乾いただけではないか。
乳液を塗ってぺんっ、とした(※)が、これが本当にいい状態なのか。
※https://dailyportalz.jp/kiji/kesho_taiken
よくわからん。
【追記】
案の定というか「女の信じてるものなんて疑似科学」というミソジニーまるだしなトラバがついているが
近年では定説の「アミノ酸に分解されるから意味がない」は覆されつつある。
単に「○○だから」とバカにする、あるいはみんなやってるからで続ける非科学的な姿勢でなくて
きちんと知りたいのだ。
できないなら黙っとけばいいのに。
私の通ってる大学は理系で、文系の学部は1つもない。大学図書館も理系の本や論文に偏っていて小説や詩の本はほとんどない。そういう図書館なのにジャンル分けがふざけてて生物学と農業工学の本が混ざっていたり、天文学コーナーにオカルト本が置いてある。
大学図書館の件に気づいてから市立図書館に行ってみたら実はここもジャンル分けがしっかり出来ていなかった。宇宙人の本が天文学コーナーにあって、EM菌の本が農業コーナーにあった。
どっちの図書館にも意見箱で具体的に指摘したが、2、3ヶ月経った今でもどっちも変わっていない。疑似科学をどう分けるかは難しいが一般的にオカルトや嘘だと云われるようなものはゾーニングするべきだと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90_(%E6%AD%A9%E8%A1%8C%E6%B3%95)
まあ、ぶっちゃけこれだけ読めばいいんだが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/japanbujut.exblog.jp/21221813/
ナンバの厄介なところはそもそもナンバの定義がされていないことだ。
「いやナンバは手を振らない歩き方で…」
「重心の移動が…」
「地面を蹴らない歩き方だ…」
「いや真の○○はそういうものではなくて…」とヌルヌルと形を変えて逃げてしまう。
ここではこの論文を参考にしよう。
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181119154744.pdf?id=ART0009639792
武智とは演劇評論家の武智鉄二のことで、「ナンバ論」の元祖のような位置づけであることが分かる。
この時点で「歴史学とか民俗学とかの研究者ですらねえの?」って感じだけど。
ナンバというのは、農耕生産のための全身労働においてとられる姿勢で、右手が前に出るときは右足が前に、左手が前に出るときは左足が前にという形になる。
ナンバとは右足と右腕をそろえて前に出したいわゆる半身の構えのことで、簡単に言えば、農夫が鍬を手にして畑を耕す姿勢である。
これって「踏ん張りの効く姿勢を取るときは利き足を前に出す」ってだけの話じゃん?
西洋人だって鍬を振ったり剣で斬ったりするときは「半身の構え」だよ。
ナンバの姿勢を説明するときに、よく、右足が出るとき右手も前にだす、というように説明される。しかし、これは正確ではない。
日本民族のような農耕民族(牧畜を兼ねていない)の労働は、つねに単え身でなされるから、したがって歩行の時にもその基本姿勢(生産の身ぶり)を崩さず、右足が前へ出るときは、右肩が前へ出、極端に言えば右半身全部が前へ出るのである。
しかし、このような歩行は、全身が左右交互にむだにゆれて、むだなエネルギーを浪費することになるので、生産労働の建て前上好ましくない。
そこで腰を入れて、腰から下だけが前進するようにし、上体はただ腰の上に乗っかって、いわば運搬されるような形になる。
(中略)
まあ「江戸時代は草鞋や下駄だからそれに合わせた歩き方だった」というなら分かるけど、
「ナンバは疲れない、現代人の歩き方はダメ」みたいな話にはならないよね。
飛脚って利き手で荷物を持ってるから、常にそちらの手を前に出す形になっているわけで、
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57657
男性が多いコミュニティだから女性の居心地が悪い、というのは一つの原因なんだろう。
でも、なぜ男性が多いかと言えば、それは女性が百科事典に興味を持たないからでしょ。
Wikipediaを読み漁ったり、間違いを見つけて修正したり、自分が知ってることを書き残そうとしたり、
そういうことを多くの女性がやりたがらない。
Wikipediaの記事を編集するのに性別の申告や審査なんて存在しない。
ウィキペディアンとして積極的にコミュニティに参加するならまだしも、
「ケイト・ミドルトンのウェディングドレス」だったら議論になるのは当然だと思うが、
女性向けファッションブランドや化粧品メーカーの記事の必要性が認められないなんてことはさすがに無かろう。
【田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品の創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本のゲームのために──【若ゲのいたり】
http://news.denfaminicogamer.jp/manga/180913
ゼビウスの人の記事なんだけど、「日本人のゲームのやり方は禅に通じる」的なところから一気に胡散臭くなる。
こういう現代の事象を過去の日本文化と結びつけて語るのってたまにあるけどなんか名前つかないの?
似ているってだけで因果関係がまるでないし、「日本人の遺伝子には……」とか言い出すと明らかにトンデモ。
しかも言っている人には「すごい発見をした」みたいな興奮が感じられてうんざり。
こういう疑似科学でもない、何ていうの? 疑似人文科学? にズバリな名前をつけてほしい。
「それ○○だよ」って言っておけば終わりみたいなの。
けっこう安易に「そうだったのかー!」と受け入れる人いるのが怖いのよ。
いやいや、似ているだけだから、っていう。「英語のRoadは道路が起源でつまり日本語と英語は同祖」って言っているのと変わんないから。
どうにかしてくれ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180903-00013215-jprime-ent
8月に乳がんで亡くなったさくらももこ氏であるが、上記のニュースによると民間療法に嵌って、波動で乳がんを治そうとしていたらしい。
2018年現在の日本では、オカルトブームは終息したことになっている。
1995年のオウム真理教の事件によってオカルトは危険だという認識が広がり、1999年7月のノストラダムスの大予言も盛大に外れた。
その後の2000年代にはスピリチュアルブームが起きたが、それも短期間で終わった。
しかし、オウムのような宗教や胡散臭いスピリチュアルは否定されても、疑似科学レベルのようなオカルトは未だに健在である。
ちびまる子ちゃんの初期アニメにおいて、ノストラダムスの大予言を扱ったエピソードが存在する。
まる子(=作者のさくらももこ)は、1999年7月に人類は死んでしまうのだから、勉強しても無駄だと無気力状態になる。
現実世界でも1999年7月には何も起こらなかったのに、それから20年後に作者はこのような形でオカルトにすがるとは予想もしなかっただろう。