はてなキーワード: 学歴詐称とは
自分は大阪生まれてから20年近く住んでましたが(10年前に東京に出た)、その頃に持ってた政治イメージからも「まあこうなるだろうな」という感想です。そして、この感覚は2000年代前半に大阪に住んでない人間には多分わかんないです。
どういうことか。自分が小・中学校に通ってた頃。学校が終わって家に帰ると、つけるわけです。テレビ。大阪のテレビで特に記憶に残ってたものといえば、おはよう朝日ですとかちちんぷいぷいですね。ナイトスクープとかは深夜だったので見なかった。あとはたかじんのそこまで言って委員会。あれはトピックの出し方や出演者の殴り合いがすごかったですね。今でも覚えてるのは、山口の光市母子殺害事件の弁護士が出演して、彼が死刑になった被告の生い立ちに如何に同情してるかを語って涙ぐみはじめて、別の出演者が怒る回。そういうことを言える立場ではないと説教しはじめる。ダイナミックな光景でした。
閑話休題。で、夕方のテレビニュースを見てたら、ある日流れてくるわけです。大阪市の不祥事問題。詳細はwikipediaの時系列でも見てほしいんですが、はいこれ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%B8%8D%E7%A5%A5%E4%BA%8B
もうね、2003年からの不祥事祭りはすごかった。一回や二回じゃなくて、数カ月・数年単位で大阪市の不祥事問題が、夕方のニュースで継続的に流れてたの。なんだこれは、カラ残業、学歴詐称、談合、裏金、風俗通い。ふざけるな、なんでこんなものが野放しになってるんだと。市長や府知事が変わっても出てくるわ出てくるわ。いつまで経っても変わらない。こんな不祥事ニュースを数年にわたって聞かされる府民の気持ちを想像してみてください。ついでに言えば、90年代の大阪オリンピック招致失敗における財政悪化の問題があってのこれですからね。
そこに出てくるのが橋下徹ですよ。当時はテレビ弁護士として人気だったということもあったけれど、彼が当選した一番の理由は「行政改革に取り組む」という姿勢を全面に出したこと。彼の行った改革の多くに問題があったことは今更言うまでもないけれど、それでもなお行政改革そのものの必要性に異議を感じる人は多分少ない。
つまりですね、彼や維新の会が人気を得ていた/得ている理由は何かというと、2000年代において大阪府民に培われた大阪行政への根強い行政不信が原因で、それが未だに払拭されてないんじゃないか、ってことですよ。府知事と市長が維新で揃ってるのも行政改革をやり切るという意志の現れ。大阪都構想もそうですよ。あれは、どこに巣食ってるかわからない大阪市の行政腐敗を、大阪市を解体することで根っこごと全部取り除きたいという強い意思表明に他ならない。それを支持する層も、結局はその政治腐敗を消したいと思ってるだけ。都になりたいんじゃなくて、市を消し去りたいんですよ。
こういうことは、大阪府に暮らしてなかったら絶対にわからないと思う。一部の大阪府民は、肌感覚のレベルで行政不信を抱えてるんですよ。それが消えないで、維新が大阪都構想を唱え続ける間は、維新がずっと勝ち続けると思ってます。
童貞寄りの人間だから、AV女優と生身の女性の違い。正直なところ、何が違うのか良く分からない。
オジサンやOL向け雑誌で見掛ける読者モデルと、インスタグラマー美人ヨガ講師とどっちよりかというと、インスタグラマーで承認欲求をこじらせてる美人の方が精神構造は、AV女優に似ていそう。
整形に抵抗がないという時点で、でも、整形わからないし。最近は、一周回って似た顔の人が出て来たなって思うぐらい。小倉優香って小野真弓に似た子だなーとか。
パッケージやサンプルに書いてある経歴や設定が違っても、後から騙されたことに気がつく。年齢や学歴詐称とか、麻生希が逮捕されてショックだった。
「誰が言ったか」よりも「何を言ったか」によって評価される言論の場として成功した2ちゃんねる(5ch)が、まとめサイトのためのソースロンダリングの場となって久しい。
2ch本体の膨大な書き込みの中から「何を言ったか」を読み取る労を惜しまなければ良い判断ができるようにも思われたが、実は宗教団体による組織的書き込みで流れが作られていたという指摘もある。
Twitterでは迂闊なことを書いて炎上すれば、個人特定されることもありうる。一方でFacebookでは本名で酷い差別言動をしていてもスルーされがちだ。
発言者の素性を完全に切り離して、発言だけを評価するのは、人類には難しいのだと結論付けざるをえない。
であれば、発言者の背景を踏まえた上で、発言内容について評価を下すことが必要だ。その程度の知性は、身に付けることは可能ではないか。
収入源や投資益を守るためのポジショントークであっても正しいことは正しい。愛国者の主張であっても間違いは間違い。性暴力を振るう人間の言葉であっても正論は正論。差別撲滅のために闘う者の言動であっても悪は悪。学歴詐称をしていても1+1=2だ。選挙で選ばれていても水は答えを知らない。
こういった議論ができていない人が多いのだが、知性が不足しているというしかない。考えなくていいのは楽だもんね。党派性といってもいい。賢しらに友的理論とか持ち出して肯定する学者もいたが、カール・シュミットはナチにつながることは伝えないんだよね。否定するべき概念だよ。
ほんと、馬鹿だった。馬鹿が調子に乗って良い研究室に入ったことが間違いだった。
どんな場所でも馬鹿が馬鹿でいていい期間ってあるはずだと思っていたんだけど、そもそもそれがおかしくて、
同期たちは自分よりも遥かにできる人間たちで、研究室に所属した瞬間から自分には居場所も同レベルの人間も、低レベルな自分を支えてくれる人間もいないと感じた。
なにより、研究室にいる人間たちがすべての面、たとえば研究以外の社会性、人間性、ユーモア、もう、本当にすべての面で優秀だったのがつらかった。
いっそ馬鹿にしてくれたほうがまだよかったんだ。そっちのほうがまだ気が楽だった。責めるところがあるから。本当に完ぺきで、責めるなんてことできなかった。
へらへら笑って楽しく会話をして、できが悪い自分にも分け隔てなく接する傍らで、毎週のように何らかの業績が生成されていく空間だった。
そこにいて、何も生み出せずにいる自分は存在意義がないように感じた。
自分について指導してくれる方も本当に優秀で、だからこそこの人の時間を奪うことがつらくてたまらなかった。
自分が研究室の誰かに時間を使わせるだけで1stTierレベルの業績が数時間数分数秒と発表が遅くなっていくのが手に取るように分かった。
自分を騙し騙し今まで居座っていたけど、いざ修論を書く段階になってそれが一気に襲ってきて本当にもうなんか無理だなこれと思って増田に書き始めている。
実際、ろくな業績もないくせにこの研究室の卒業生ですって名乗るのもおこがましい。変な話、逆の意味で学歴詐称をすることを本気で考え始めている。
あの研究室卒業でこれもできないのかと思われるのも嫌だし、これであの研究室を卒業できるのかと思われるのも嫌だし、
もっと言うと「卒業させてもらったんだな」と思われるのがわかりきっている。こいつはダメなやつなんだなって思われるんだろう。
結局は自分が何もできなかったのが間違いだったし、全部自分が悪かったんだよ。それに気づくのが本当に遅かったんだ。
研究室に入り自席のそばに来る度に、私が座る椅子じゃないなと思うようになった。もっと優秀で意欲溢れ自分から学び質問できる、そういう学生が座るべき椅子だった。
少なくともそれは自分ではないことだけは確信している。だから、私はさっさと修士辞めるべきだったんだと思う。辞めてどうするかなんて知らないけど、辞めたほうがよかったんだと思う。
辞めたほうが、よかったんだろうと、本当にそればっかり頭に浮かんでくる。もっと早くいなければよかった。もっと早く消えていればよかった。そうしておけばよかったんだよ。
先週(10月23日)、衆議院議員選挙が行われた。日本国民の義務として、私ももちろん参加したが、昔の選挙と違い、今の選挙って惰性みたいなものなのかもしれないなあとぼんやり思う。
記憶は朧気だけれども、一人の独裁者ではなく国民の総意を決めるために、投票によって議員という国民の意見を取りまとめる人間を決め、みんなが納得する政治を行おうとするというのが、選挙の目的だったように思う。
けれど今日本では議員の25%程が世襲だといわれているように、その「国民の代表」という議員の立場のあり方が、いまいち大衆の納得のいくものではなくなっている。
愛知7区問題とかその典型だよね。二人のからどちらかしか落とせないというシステムにより無効票が続出して、山尾志桜里議員が当選することになったようだし。
で、なんでそういうことになったのかと考えると、やっぱり戦後ずっと続けてきた選挙システムが「民主主義」を作り出すのに適当ではなくなっているんじゃないかな、と思わずにはいられない。ちょっと軽く3つ挙げてみると
1:議員数が定数
一票の格差問題で480→465議席になったが、議員数を人口比ではなく定数にしていること
議員が小選挙区の地盤を固定することから、地盤を引き継ぎやすいこと。
最初から支持者がいる地盤のほうが圧倒的に有利なため、世襲議員は個人の資質を図りづらい。
政治の在り方として、各地域の意見を取りまとめる議員が、似たような考えを持つ人を集めて政党を形成して意見を煮詰めていくのが民主主義の理想像だと思っているのだけれども、
現在それって逆になっているよね?私の気のせいならそれはそれでいいけれど…。
選挙の目的はあくまでも「代表としてふさわしい個人」を決めるものだと思えるのだが、政党間のいざこざがあれば面倒だからと個人ではなく政党名で入れることが多いように思う。
正直個人で入れる場合など、芸能人などよほど有名な人のみのように思う。
そういう明らかなものがない場合、消去法で学歴詐称だの不倫だの行っている議員に入れざるを得ないことは少なくとも私はすごく悔しいなあ、と思ってしまう。
選挙は仕組み的にだれかに絶対投票せざるを得ないため、こいつ個人についてはあまり信用してないけれど、政党的には入れざるをえない…。みたいなことがよく起こる気がする。
若者の投票率が低い、ということが言われて久しいですが、選挙というシステム自体も古くさいものになっているので、かつては民衆の代弁を行うためになされてきた「選挙」ということ自体が信用できないものになっているんじゃないかなー。と思っている。
結局このシステムの見直しを行うのも議員様なのだろうし、自分らに優位なものである以上変わることはないのだろうけれど、こういうことが腐敗を招くのではないだろうか。
あとこれは選挙自体というよりも選挙に参加する際のめんどくささですが、ネット投票かせめて電子投票が行えるようにしてほしいと思います。せっかくのマイナンバー制度もほとんど利用されていないし、時間外は時間が決まってるし、選挙当日に行っても結構待たなければならないので面倒くさいことこの上ないです。お偉いさん、ちょっとは考えてみてほしいなあ。