自虐ネタ、ネガティブネタが非常に豊富な、とにかく恥の多い人生を送ってきた。たぶん哀れんでほしかったんだろうし、その哀れみからくる慈悲か注目か、そのへんのなにかを欲しがったんだろう。
最近やっとわかった。哀れみは麻薬だ。それを受けたらちょっとだけ「私は哀れまれるだけの不幸を浴びてきたんだ」と、自分の不遇が肯定された気分になれる。それで更に、より情緒的で、不幸なエピソードを話すモチベーションが生まれる。どんどん不幸になる。どんどん不幸にハマっていく。アイデンティティが不幸に侵されていく。口から出た先が全て不幸になっていく。
これは駄目だ。麻薬だ。依存症だ。不幸が、依存が、自らの心身を侵食していく。より不幸を、より不遇を求めてしまう。これは駄目だ。私を哀れまないでくれ、私を哀れむな、自虐ネタは、ただ笑い飛ばすだけで終わらせてくれ。笑い飛ばすだけなら、より面白可笑しくの方向に行くだろう、哀れみは、哀れみだけは、飲まれてしまう。これはマズい。良くない。駄目だ。哀れむのはやめてくれ。怖い。
『同情するよりカネをくれ!』