はてなキーワード: 日本の象徴とは
ここ数日、レールから降りた人々に対する注目が集まっている。
(この日記ではレールに乗る=大卒で企業に入社し社会人生活をスタートすること、と定義する。)
関連する日記のブコメを眺めると、彼らの考え方への批判やレールを外れることの愚かさを指摘する内容が多い。
一方で、レールに乗った人生とはどのようなものか、その良さについて指摘する内容がほとんど記載されていないように見受けられる。
大卒会社員の私生活を綴ったブログと言えば某氏のブログが真っ先に思い浮かぶが、あのようなきっつーな内容を読まされて
エンターテイメントのネタとしては、きっつーな自虐話を綴ったほうが受けがいいことは理解している。
しかしながら、レールを外れた人々を声高に批判するのであれば、会社員諸君は自らの人生がいかに良いものであるかをもっと声高に発信すべきだと思うのだ。
なお、本題とはずれるが、筆者はレールを外れるか外れないかは手段の話であると考えており、目的を決めた上で最適な手段を選ぶべきという意見である。
自分という人間が、世の中にどのような価値を提供できるのか、後世に何を残したいかを考えて欲しい。
金持ちになることを目的としても良いと思うが、金はあくまでも提供する価値の対価であることを忘れないで欲しい。
前置きが長くなったが、レールに乗った人生の一例として筆者の思うところを紹介したい。
筆者は大企業務め、入社10年目、既婚、子無し、共働きで世帯年収1300万である。
年俸制のため、期初に上司へコミットした成果さえ出せば後は好きなことをしていても問題はない。
筆者はおおよそ9時から10時の間に出社し、19時から22時の間に退社する。
体感で業務時間の2割くらいを年度の成果に関係のない勉強などに使っている。
書類や雑用は多いが、割り切ってささっと終わらせるようにしている。
大企業は衰退する日本の象徴として語られることが多いが、いいところも沢山ある。
まず仕事の規模感が大きい。子供の頃に憧れた巨大イベントや、国に関わる仕事に携わることも可能である。
一方で当然デメリットも沢山ある。
メリットとして述べたことと反転するが、規模の小さい仕事は認められずらい。
そのため、挑戦的なプロジェクトをなかなか始めにくい。
世の中の仕組みを変えるような可能性を秘めている凄いプロジェクトであっても初期は小さく始めるものであるが、そのロジックが理解されにくい。
また、安定感がある反面、給与が頭打ちになる。筆者自身もそろそろ給与テーブルの上限が見えてきている。
大企業にいるからと安心せずに、常に転職ができるようなメンタリティとそれを裏付けるスキルを磨いておくべきと考えている。
最初にも書いたが、若い方々には目的をしっかりと考えてほしいと思う。
その目的を達成するための手段として、企業務めという選択肢は必ずしも悪いことばかりではないよということを伝えたかった。
(が、筆者の人生の目標を記載していないこともあり、何を言いたいのかよくわからない文になってしまった。)
以上。
日の丸の赤というのはまさに暖色の中心の赤。
それを中心に据えながらCool Japanを表現する難しさはデザインを心がけた人間ならすぐに分かることだ。
セレモニー中に使われている暖色は赤のみ。しかも、FF0000と表記したくなるくらい原色の赤。
それに対して、ショーのメインとして使われているのは白黒のモノトーンと、赤の補色に当たるシアンとそれより寒色側に位置する青系のみ。
基本となるモノトーンは、潔さや清潔感を想像させる白、礼儀や誠実さを感じさせる黒という日本の代表的なカラーと言える。
そこにただ寒色系を織り交ぜだだけでは無機質で寒々しいショーになってしまっただろう。
しかし、日本の象徴であり暖色の代表格と言える赤を、さらにテーマカラーではなくアクセントとして時に大胆に用いたことで、内に秘める情熱やたぎるような生命力が見事に表現されていたのだ。
恒星は青くなるほど温度が高くなる。そんなことをも思い出させてくれるような、火傷では済まない熱さが伝わったはずだ。
そのために黄色や緑などの生命感溢れるカラーを徹底的に排除し、それが生命力溢れる原色を前面に押し出すリオのショーに対して真っ向から挑むことになったのは単なる偶然ではないのかもしれない。
リオが押し出したのが生命や自然だったのに対し、マリオやドラえもんなどの非実在キャラクターや都市やテクノロジーなどが存分に登場するムービーがそれを物語っていると言っていいだろう。
多くの観衆や視聴者はこのたった10分間だけのショーを見ただけで、リオオリンピックは過去のものになってしまったと感じたはずだ。
その証拠に、東京五輪セレモニーを挟んだ前と後のショーとでは全く違うものに見えたのはわたしだけではないはずだからだ。
一見挑発ともとれるこの行為は、まさに地球の裏側であり全く文化の異なる国にバトンが渡されたことを意味するには効果が絶大であり、オリンピックが終わった直後であるにも関わらずすでに4年後を期待させるにはこの上ない演出となったと言っていいだろう。
居合わせた観衆や視聴者の誰もが東京五輪に少なかぬ期待を抱いたはずだ。
ここまで大したデザインも勉強したこともなく、ホームページの配色くらいしか担当したことのない人間の妄想だったがいかがだったろうか。
しかしそれよりも何よりも、自らの人生40年を振り返って、まるでその集大成を走馬灯のように見させられたかのようであまりにも感慨深かった。
本当に近頃の商用文化だけでお茶を濁すようなものにならなくてほっとしている。この時代に生まれてよかった。
ただこの考えで行くと、小池百合子氏が選んだ高価なお着物の配色は東京五輪のテーマとはそぐわなくなってしまうのだがこれは何かの暗示だろうか。
高齢化社会において超高齢者が現役で頑張る姿というのは美しく見えるかもしれない。
ただ、果たしてそれを実現するためにどれだけの犠牲が必要になっているかは想像に難くないはずだ。
自分が働く会社は中小零細企業であるが、初代が頑なに社長の席を離そうとしなかった。
文字通り実印をしっかり握りしめ、どんな契約だろうと必ず社長が目を通して許可をもらうことが不可欠だったのだ。
自分が入社した頃ですでに70を過ぎていたのだが、当然価値観も古く、新しいものの導入にはとにかく首を縦に振らなかった。
そのために競合からかなりの遅れを取る羽目になったのだが、自社に関してはまさに運だけで、本当にたまたま生き延びることができていた。
しかし、とうとう認知症の兆候が現れ始め、二代目である息子たちが世代交代を申し出ようとすれば、人目をはばからずに大声を張り上げて拒否をするようになった。
その頃自分は本社の事務にいたのだが、それこそ毎日のように「泥棒!」「俺をそんなに殺したいのか!」などという怒号が響き、誰もが会社の未来に対してただただ不安を抱え続けていた。
世代交代にはそこから数年を要することになったのだが、最終的には本人の記憶も曖昧になり、現場の社員レベルではうかがい知れない間に専務である長男と世代交代の書類が交わされることとなった。
それからも先代の社長がふらりと会社にやってきては、社長室の椅子に腰掛ける新社長に対して「なぜお前がおれの椅子に座っているんだ!」などと叫ぶ姿がみられた。
そのためしばらくの間、社長室は決裁や業務に関わる機能を全てなくした状態で先代のために開けつづつけることになってしまうほどだった。
先代が老衰でこの世を去るまでその習慣は続けられたが、入院してから亡くなるまでの期間があまりにも短かったことや、先代の功績に対し葬儀があまりにも質素で、さらに葬儀会社と思われる外国人がちらほら出入りしている姿が見られたことは、社員たちの間で口に出してはいけない雰囲気に包まれていた。
それから程なくすると、2代目社長は突然の世代交代を発表した。社長になってからたったの5年。年齢で言えば60になったばかりの頃だ。
確かにその5年間は激動の5年だった。それまでの遅れを取り戻すように様々な設備を導入し、新事業部もできて(自分はそこに異動することになった)会社の規模は1.5~2倍近くになった。
先代が実権を握っていた期間が長すぎたことで、2代目はいわゆる道楽社長だったのは確かだ。この5年の急成長も、実を言えばその息子である3代目による功績が大きい。
だからその功績を讃えようという意思、さらに先代の轍を踏みたくないという意思による世代交代であると聞かされたが、正直、社長という肩書も持ったし、さっさとリタイアして遊んで暮らしたいというのが本音だろうというのがもっぱらの評判だ。
そんなわけで今の社長は35歳という若さでその立場に就くこととなった。
しかし、先述の通り初代に抑え続けられた鬱憤と2代目に対する不信感が功を奏してか、会社の業績は今も伸び続けている。
一度カバン持ちで経営者同士の会合に参加した事があったが、高齢の経営者に囲まれながらも謙虚ながら対等に話をする社長の姿はなかなかに見応えがあるものだった。
初代が実権を離さなかった反動で、一気に3代目が就任できたことは会社にとってメリットでしかなかった。
もしこれで道楽者の2代目が未だに実権を握っていたら、本当に会社はどうにかなってしまったかもしれない。
この会社で起きたことを振り返るとこうだ。
・初代が一代で築き上げた会社であり、常に実権を持ち続けていたために2代目が育たなかった。
・古い価値観、商売人独特の頑固さによって、新しい技術の導入に対し致命的な遅れを取ることになった。
・しかしそれを危機と考えていた3代目が陰で人一倍の努力をしていた。
・それを感じたのか、それとも単なる道楽好きが幸いしただけか、2代目の就任期間が短かったことで、若手社長の誕生により会社は持ち直すどころか成長することができた
たまたま立地に守らてていたことで初代の行動が許されたということもあるかもしれないが、一歩間違えればいつ潰れていてもおかしくなかった状況だったといえるだろう。
ここまで長々と書いてしまったが、高齢者が現役であることの一番の問題は、後継者が圧倒的な経験不足に陥ることだ。
そのことは親族経営の会社で働く人間は痛いほど痛感しているのではないだろうか。
しかし、戦後の高度経済成長を経た今、その頃に成長を遂げた企業のほとんどは親族経営であるのも事実だろう。
自分にとって、天皇陛下による生前退位の意向は、そうした社会のあり方に対する警鐘であり、まさに自信の退位を手本として日本の象徴としての務めを全うしようとしているように見えて仕方がなかった。
昭和という激動の時代を動かし続けてきた先代の背中を見てきた上で、子供の著しい成長を感じるからこその、まさに平成天皇しか成し得ない判断ではなかろうか。
高齢者が働かざるをえないような社会保障が不安定な状況の中で、実権だけを手放せというのは都合のいいことに聞こえるかもしれない。
しかし、我が社において何をおいても悲しいことは、認知症が始まってしまったことで2代目との関係は悪化の一途を辿り、先代はせっかくの功績が讃えられることもなくこの世を去ることになってしまったことだろう。
自分が作り上げた会社だから自分が自由にしたいと思う初代の想いがわからないわけではない。しかし、個人のわがままで数百人の従業員が露頭に迷うことが許される世の中であってほしいわけでもない。
願わくば高齢でありながら自社の実権をしっかりと握ったままの経営者は、自分の思考や価値観が明晰であると自覚ができているうちに、後継者へと席を譲ってほしい。
先日グアムに行った時のこと。
いままでグアムといえば熱海と同じくらいの距離感だと思っていた。
商品も日本向けがほとんどだし、案内はもちろんサービスすべてが日本人に向いているようなものだった。
どの店に入ってもハングルがならび、韓国人が経営しているであろう商店が驚くほどに増えていた。
すれ違う人間も韓国人か中国人がほとんどで、たまにすれ違ってもそれが日本人であるか判断するのは以前ほど簡単ではなくなってしまった。
自分たちはメインストリート沿いの安価なホテルで済ましたが、年老いた両親には背伸びしてハイアットの宿泊をプレゼントした。
安価なホテルのビーチサイドにあるバーで辛ラーメンを見つけたときは笑って済ませられる象徴的な出来事と思えたが、なんとハイアットのバーにまで辛ラーメンが用意されていたのだ。
彼らといえばどこであろうと車座を囲んで食事を始める民族だが、まさか高級ホテルまでもがそれに迎合するだとは思いもよらなかった。
そう思って庶民の味方ABCストアに立ち寄ってみるとここでも韓国人の多さに辟易した。
しかも、食品の大半は明らかに韓国人をターゲットにしたものばかりに絞られ、さらに売っているものすべてが以前に比べて割高なのだ。
しかし、当の韓国人達は躊躇せずカゴを食品とおみやげでいっぱいにしていくではないか。
これで痛感した。
そんな価格に敏感な日本人を相手にするより、草の根一本残らず食い尽くす勢いで買い物をする人種を相手にしたほうが商売になるに決まっている。
もう自分たちの財布はまったくあてにされていないということだ。
結局ジュースを数本買うだけですごすごと店を後にすることにした。
聞くところによると、妊婦の間にグアムに連れて来て、生まれた子供にUS永住権を取らせるというビジネスまでもが流行っているらしい。
その事の真偽や是非は別としても、今の日本人にそこまでのしたたかさがあるだろうか。いや、それはおそらくNOだ。
綺麗事ではなく、これからの世の中でそんなたくましい民族に自分たちが太刀打ちできるのか、正直不安になってしまった。
悲しいかなこんな話を同僚にしたら、家族で旅行にいけるだけ贅沢だと反論されてしまった。
別に普段から節制したうえでご褒美としていった旅行なのだからそんなことを言われる筋合いはない。
その返答こそが安くなってしまった日本の象徴のようで心の底から悲しくなってしまった。
これはもう手遅れかもしれない。