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2012-10-20

サブカル好きは日本の敵だ! ぶぶぶぶぶっ殺したくなる!!!!!

ある日、ぼくが行きつけのバーに足を踏み入れると、こんな会話がなされていた。

「わたしって○○が好きなんだよね」

「ああ、××ってやつですね」

「おー、わかっているじゃん!(握手を求める)」

バーのカウンターには5、6人の客がいたと思う。その店は小さくてカウンターしかなく、みんなで話題を共有するところだった。それにも関わらず、二人は二人だけに通じる言葉で盛り上がっていたのだ。

ぼくはすぐさま映画婚前特急』のあるシーンを思い起こした。

池下チエの元カレである田無タクミに、新しい彼女ができた。チエはその手助けをしてくれたため、タクミはお礼がしたいと食事に誘い、タクミ彼女とチエの彼氏西尾みのるも含めて4人でご飯を食べることになる。

みのるとタクミは初対面。なおかつチエと肉体関係がある同士ということで微妙な間柄なのだが、会話をしていくうちにお互い百人一首が好きだということがわかってくる。そして、二人で相手が口にした上の句を聞いて、下の句が当てられるかというゲームをしだすのだ。

チエは百人一首がわからない。そのうえ、タクミの新しい彼女まで、このゲームに参加しだしてしまう。

一人取り残されたチエは……怒って部屋を出ていってしまうのだ。

婚前特急』と冒頭のバーの会話に共通しているのは、「限られた人間で知識の確認をしあう」というのと、それによって「阻害」が生まれているということだ。

ぼくはこの手の会話は世界で一番醜いと思っているし、参加しないようにしている。なんの発展性もなく、周囲を排除するような排外的な会話になんか加わりたくない。

そうして、ぼくはバーで一言も口を開かず、朝までずっといた。

こうした会話はサブカル好きのあいだで頻繁に行われている。彼らの会話は本当に幼稚で、頭がくらくらしてくる。ずっと「知識の確認」に終始しているのだ。

A「○○って知ってる?」

B「知ってるよ」

A「すごい! ××は?」

B「知ってるよ」

A「すごい!」

そんな会話を横で聴きながら、ぼくはどうやったら世界平和になるかについて考えていた。結論だけ言えば、サブカル好きを文化シーンから早急に退場させるしかない。

2010年芥川賞を受賞した小説苦役列車』はこんな話だった。

中卒で家を飛び出し、日雇い肉体労働で生計を立てている貫多には、長らく同年代の友人がいなかった。稼いだお金ソープで使い潰すような毎日を送っていた貫多だったが、仕事現場専門学校生日下部が働きに来るようになる。二人は年齢が近いこともあり、現場終わりに飲みに行くような仲になっていくのである

貫多にとっては久々にできた友人だったが、二人の関係は突然終わってしまう。日下部が貫多との飲みに女友達を連れてきたのが原因だ。

その女友達サブカル好きの文化系女子だったのだ。

二人は貫多を置いてきぼりにし、二人だけで趣味の話題に盛り上がってしまう。

一人取り残された貫多は……怒って店を出ていってしまうのだ。

サブカルの醜さを浮き彫りにしたこの小説は、見事日本文学トップの称号を得た。なんていったって石原慎太郎が認めたのだ。

サブカルとは要するに安易な優越感を売る「ファストフード」でしかない。

町山智浩吉田豪菊地成孔などをフォローし、発言を真似すれば、自分も「わかっている」側にいられると考える浅ましさ。実際は、自分で何の価値判断もせずに、彼らの美学フリーライド(タダ乗り)しているに過ぎない。ファストフードを貪り食い、自分は「グルメ」なんだとドヤ顔をしている。結局は、他人の真似事でしかないのに。

たまに「大槻ケンヂが好き」と公言するアイドルが出てきたりして、何がメインなのかさっぱりわからない中途半端雑誌で対談したりしている。そんな人間ははっきり言って「信用できない」。

なぜなら「オーケン」が取り上げられるのが、必ず「主流とはちょっとズレたものが好きな私」という文脈だからだ。

大槻ケンヂなんて、メジャー中のメジャーだ。「サブカル」でのなかで一番目立つものを手にとっておきながら、「一般的な女の子とはちょっと違ってマイナー趣味嗜好を持つ私」というブランディングを展開している。

安易そのものじゃないか。本当に自分だけの美学を持っていて、それに合致するマイナーものが好きなんだったら、大槻ケンヂなんか手に取るはずがない。ネットの片隅にしかないような、誰に言ってもわからないもの偏愛しているはずだ。

大槻ケンヂ」に手を出す時点で、安易なエゴイズムが芽を出している。

雑誌『TokyoGraffiti』を開いてごらんよ。「消費」を、あたかも「経験値アップ」だと思っている連中が大集合している。彼らはサブカル文化人サブカル雑誌が誉めそやしたものをコレクションすれば、自分の「レベル」(「ステージ」と言い換えてもいい)が上がっていくと思っている。

実際は自意識肥大させ、排外的な思想を強化しているだけだ。

ドラゴンクエスト6には「かっこよさ」というパラメータがあったが、すぐに次作で消えている。堀井雄二はわかったんだ。「センス」だとか「オシャレさ」だとかいうのは、決して数値化できないし、競うことでもないってことを。

美学」っていうのは外にあるものじゃない。自分の内側にしかないのだ。ぼくらはそれを孤独と向き合いながら、井戸を掘るようにして、少しずつ深めていくしかない。美学っていうのは他人の真似事で生まれるようなものじゃない。

他人の美学に安易に乗っかって、得意顔をするのは、結局のところ、滑稽でしかない。

じゃあ、この現状を打破するにはどうすればいいのだろうか?

彼らに間違いを気づかせ、正しい道(自分だけの美学を磨く旅)に向かわせるにはどうしたらいいだろう?

ぼくは『小説の読み方の教科書』(岩崎夏海)を読むことでしか解決できないと思っている。

この本は「本当の読書」とは何かを教えてくれる。ぼくらはあまりにも汚染されてしまった。誰よりも詳しくなきゃいけないだとか、センス重要なんだとか、これを理解できるのは頭がいいからなんだろう、とか。

岩崎夏海はそんな現状を正しく認識し、解毒剤を処方してくれる。

誰かを仮想敵とするような読書はやめなさい、と。「本を読む」っていうのは孤独な作業であり、作者の「問い」と「自己」を真摯に向き合わせることなんだ、と。

これはすべての消費行為に言えることだと思う。「誰かに勝つための消費」をサブカルはしてしまっている。

そして、それはすべて他人の価値観に基づいているのだから、始末におえない。「あの人が褒めていたから、これを見れば周りに勝てる」って具合にね。

もっとみんな自分だけの哲学を、美学を信じればいいのに。

誰かの価値観依存して、他者を阻害して、そうやって得意顔になっているエゴイストたち。

こんな人間蔓延っているようでは、日本の文化は早晩終わってしまうだろう。そうなる前に、彼らの目を覚ましてあげなきゃいけない。ぼくはそのために生きるよ。

それぞれが、それぞれの美学を成長させ、それに乗っ取って生きていけば、ぼくは世界もっと楽しくなるに違いないと、信じている。中沢健の美しさを、ぼくらは見習わなきゃいけない。

人類歴史を紐解けばわかるように、自分だけの美学を磨いた人間けが世界を驚かし、未来に名を残すことができるんだ。

そう、紀里谷和明のようにね。

2012-08-29

店頭CDを見せずに聴かせたら売上が4倍に伸びた」はほぼ嘘

これの記事に騙されないように。

http://www.drillspin.com/articles/view/139

残響shopというのは残響recordCDを扱っている場所で、

残響recordというのはマイナーインディーズレーベル

所属するバンドの代表格が、9mmpeople in the box65daysofstaticとか。

9mmは有名だけど、それ以外はまったくオリコンに登場しないバンドばかり。

要は、好きなやつだけが好きな知る人ぞ知るインディーレーベルである

残響shopが扱っているのは残響record所属するアーティストCD殆ど

なので、そのショップに行くのは当然のことながら残響バンドが好きな奴ら。

残響祭なんてイベントもやっているし、レーベルとしてのブランディング成功しているとこなのよ。

残響ブランドが好き!」ってやつらが暇つぶし音楽漁りに行く場所しかないってわけ。、

それに残響shopの近くにタワレコがあるんだけど、それでもわざわざ行くってやつがそもそもの客層なの。

普通CDショップとまるで客層が違うってのは知っといたほうがいい。

CDショップというかファングッズ販売店って考えたほうが的確かと。


で、「店頭CDを見せずに聴かせたら売上が4倍に伸びた」っていうけどさ、

これって「これまで4枚しか売れていないのが16枚も売れた」ってレベルからな。

恐らくは売れた枚数はもっと少ない可能性が高い。2枚が8枚とか。

なにせ四倍売り上げたって例が「mudy on the昨晩」だし。

こいつらはオリコン最高80位くらいで、総数としてあんまり売れていない。

そもそも在庫が二ケタあるって思えない。つーか、ないでしょ。

要は、残響CDが特集されて売れた、くらいの意味しかないのよ。

普通にインストバンド特集!」とか企画すればそれくらい売れたって話なんだよ。

残響shopに行くことあるけど特集されているCDはそれだけでけっこう売れてるようだし。

CDを見せずに聴かせたから」ではなくて、視聴して気に入ったってだけ。

別に企画はなんでもいいわけよ。手に取らせる工夫としてはありだと思うけど。

いかにも企画が成功したみたいな記事になってるが、それは違うだろうと。

色々な本がバンバン売れていた「ほんのまくらフェア」と比べるのはバカだよ。


あと気になったのが、

「その上、音楽との出会いも「これ、おすすめだよ!」だけの、自分自身の中途半端エゴイズムによるものだけだと限界はすぐに見えてしまます。」

って記事にあるけど、残響shopはそうやってブランド押しだして売れてるのに勘違いしすぎ。

残響shopに行くようなやつなんて残響というエゴイズムに惹かれたやつだけじゃん。

「“うた”そのもので判断される世の中になれば」ってよく言うよ。

うたそのもので判断したいときにあえて残響shopで探すってのは最悪の選択肢じゃないか

この企画は「新しい」んじゃないんだよ。残響shopでしか成功しない企画だからみんなやんないの。

しか成功してといっても、普通に別の企画で特集したほうが売れるって話。

そういうことなので勘違いしてあんまマネしないように気を付けてください。

一利用者としては残響shopはくだらないからこの企画もう辞めろ。

そのスペースで素直にインストバンド特集でもやっとけ。

2011-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20110905123746

意図的に偏った言い方をしてるので

はぁ。偏った言い方っていうのは「文章では「殴りたい」とか厳しいことを言ったけど」とかいうことですか。

言い方っていうか内容も大概偏ってるっていう話なんスけど。

論語感ってなに?

孔子論語」(上から目線で)感。カッコのつけどころ間違ったなw

あなたは人を助けるときにどういう姿勢なのかな?

坂口安吾エゴイズム小論でも引いとこうか。青空文庫だし多分大丈夫だろう…と思いたい。

 人は道義頽廃といふ。だが、彼等の良しとする秩序とはいつたい何物であるのか。行きくれた旅人を泊めてもてなしてやつたか美談だといふ。この旅人小平のやうな男で、親切に泊めたばかりに締め殺されたらどうするつもりなのだ。フランス童話にあるではないか赤頭巾といふ可愛いゝ親切な少女は森のお婆さんを見舞ひに行つて、お婆さんに化けてゐた狼に食べられてしまふ話が。だから親切にするなといふのではなく、親切にするなら小平や狼に殺される覚悟でやれ、といふことだ。親切にしてやつたのに裏切られたからもう親切はやらぬといふ。そんな親切は始めからやらぬことだ。親切には裏切り報酬もない。小平や狼の存在が予定せられ、親切のおかげで殺されても仕方がないといふ自覚の上に成立つてゐる絶対の世界なのである

基本的には、人を助けるというのはこの「親切」に準ずる行為なのではないですかね。というスタンス

自分の身に傷が及んでも(たとえ助けた相手その人に傷つけられても)そのことで相手を恨まない。助けて「あげる」とか極力思わない。まあむずいけどね。

から「上(優位)に立ってモノ言うのを助けと称するって実際どうなの」と思っちゃう。

縋られたという立場につけこんどるだけやん。身内でやられたら余計かなわんわww

「ありがたいアドバイス」にはケチつけづらいしwww「その話三回目ですよ」とか絶対云えねえwww

あ、「別にありがたがれとか言うつもりはない」とかはやめてね。上からモノ言う限りそこんとこは全然説得力ない。

感覚的に具体例側に近い人が反論したくてたまらんみたいだけど。

玄関の例でいこうか。

ブログ記事では宅急便が来たときに、「玄関で靴をきちっとしとく」という具体的行動を取らされたって例をあげているけど、筆者自身としては靴が多少散らばっててもいいから早く対応したい派。その方が宅急便の人にとってもありがたいんではなかろうか、と。

でも「自分ならその具体例の行動の方がいい、靴はつねにきちんとが正しい」派が、「靴きちっとしとくの悪くない!言い過ぎ!宅配便に対してみっともない!だらしない!」と反論したくてたまらないみたいだけど。という話。

だらしないとか云うなら自分で出なさい。子に任せたからには子のやり方を許容・尊重すべき。とか思わんのかしら。思わんのだろうな。

子は道具で私有物ならば、自分の思い通りに子が動かないのは誤作動なわけだから、しつけと称した修理を要するって思考に転がる。尊重って発想が「大げさ」になる。

宅急便にはよ出ようというのはそれ自体間違ってるわけじゃないのにね。

特に婉曲的にモノ言ってるつもりはないです。というか文章くりぬいて引用していちいちあれこれ言ってみてるのに、どこか婉曲的でしたかね。

しゃべり方がバカっぽいのは私がバカだからだよ。

言わせんな恥ずかしいwwworz

2011-04-18

http://anond.hatelabo.jp/20110417021106

原発がなくては暮らせないように東北の村を作り変えたのは、首都圏エゴイズムだ。

この言い分は通らないかと。断固として原発を拒否する手はあった。だけど補助金やら何やらで受け入れてきたんだろ。

なら首都圏エゴだけではなく、受け入れ側が突っぱねきれなかった問題だってあるってことだ。

2011-04-17

東北の怒り

4月16日河北新報 「3.11 震災作家たち(6)」より

河北新報HPに掲載されてはいないが以下から転記。

http://ameblo.jp/goldenchildsee/entry-10863022937.html

東北の怒り  熊谷達也

3月11日巨大地震大津波以後、「想定外」あるいは、「想定を超える」という言葉が、この国ではどれだけ飛び交ったことか。

メディアを通してそれを耳にするたびに、最初から私は腹が立って仕方がなかったし、いまだに腹立ちは続いている。

沿岸部の被災地の人々は、あるいは、私を含め、東北に生きることで同じ痛みを抱え、困難な未来を共に引き受けようと覚悟している者、誰ひとりとして「想定外」という言葉を口にしていない。

たとえ確かにそうだと思っていても、目の当たりにした数々の光景はそんな簡単な一言で片付けられるはずがなく、無言を貫くか、懸命になって違う言葉を探そうとするかの、どちらかだ。

 

人間は何をどう想定しようと、人智をはるかに超えた力を、時に暴力という形で解き放つの自然だという事を、私たち東北人は誰に教えられることなく知っている。

からこそ私たち東北人は、自然に対して謙虚に向き合い、その厳しさに耐えることを当然としていき続けてきた。

から今回の震災に対しても、失ったもののあまりの大きさに嘆きこそすれ、恨む事はしていない。

ただ黙々とその日に出来る事をひとつづつ積み重ね、日常を取り戻すための辛抱をするだけだ。


だが、内に抱える腹立ちや怒りを今回ばかりは遠慮せずに言葉にしてはいいのではないか

それほど、東京を中心とした首都圏から発信される言葉は、下品なまでに卑しく、呆れ果てるものが多いからだ。

ここまで言葉に傷つけられ、それでも黙っている事は、もう出来ない。今回だけは、東北人はキレていい。誰もキレなくても、私はキレる。

例えば震災直後、大きな決断しましたと言わんばかりに「2万人の自衛隊員派遣する」と発表したこの国の政府

その後すぐに「5万」と変更したと思うが、冗談じゃない。

被災地にいる我々は、2万はおろか5万だってぜんぜん足りない、最低でも10万は必要だと、誰もが直感的に思ったはずだ。

メディアがこぞって原発事故ばかりを騒ぎ立てている間にも、助けようとしたら助けられたかもしれない命が、瓦礫の下でどれだけの数、失われていった事か。

暴走しようとする原発を宥めるべく、現場に身を置き続ける作業員や自衛隊員消防隊員には敬意を払う。

しかし、冷たい雪になぶられる瓦礫を、なすすべなく見つめるしかなかった私たちには、東京放射線騒ぎや計画停電なんかどうでもよかった。

燃料の尽きた底冷えのする避難所で空腹を抱えていた被災者はもちろん、同じ寒風の下で幼い子どもの手を引き、愚痴をもらさず何時間スーパーマーケットに並んでいた仙台市民も、東京のバカ騒ぎに対して、いい加減にしろっ、と心の内では吐き捨てていた。


東京電気を送るために、私たちは進んで原発を引き受けたのではない。原発なんかなくても暮らす事は出来ていた。

原発がなくては暮らせないように東北の村を作り変えたのは、首都圏エゴイズムだ。

今度原発を作る時には、東京湾に作ればいい。原発道路なんか、私たちには必要ない。

あるいは、今後は津波の来ない場所に町を再建すべきだと、訳知り顔で言ってのけるものもいる。

何度津浪が来ようと、海のそばでしか暮らせない人々の、その気持ちがなぜ分からない。

いつも海を見ていた人々の心の在り方に、どうして思いが至らないのか。

もちろん、東京人だって、私たちの痛みを同じ目線で共有しようとしてくれている人々がいることを、一緒に痛みを引き受けようとしてくれている人々が沢山いることを、私たちは知っている。

しかし、それを差し引いても、私の腹立ちが収まる気配は一向にない。

想定外」などという、想像力のかけらもない安易な言葉に、これ以上傷つけられるのはもう沢山だ。

2011-03-22

節電しろ、ただし自分とは無関係なところで」

節電の話になると、真っ先にコンビニの深夜営業とパチンコ屋が槍玉にあがる。

本当にその2つを止めれ節電につながるのだろうか。

http://www.jp.horiba.com/sensorium/eu/eu18/eu18_1.htm

↑によると、コンビニで消費している電力の半分は冷蔵・冷凍設備で、

照明は2割程度でしかないらしい

深夜営業をやめても冷蔵・冷凍設備は動き続けるし、

ピーク時の電力消費を抑えることにもならない。

昼夜問わず営業を禁止しなければ意味はない。

http://www.eccj.or.jp/succase/08/b/pdf/25kan20.pdf

パチンコ店は、パチンコ台にかかっている電気代は2~3割で、

電力の半分以上を空調設備に使っている。

同じような集客力のある他の商業施設と大差ないのではないか

なぜ「深夜のコンビニ」と「パチンコ屋」を槍玉に挙げるのか。

それは「自分にとって必要ないもの」だからはないか

深夜にしか買い物に行けない人にとっては、コンビニの深夜営業は欠かせないものだ。

パチンコ屋の営業をやめたら、パチンコ業界に働いてる人はみんな失業するだろう。

経営者在日朝鮮人だけじゃなく、液晶屋もプログラマー煽りを受けるし、アニメゲーム業界も影響がある。

そういう「深夜のコンビニ」や「パチンコ屋」を必要とする人達に対する想像力を欠いてるのだろうか。

自分と異なる人達がどういう状況に置かれても、自分の生活さえ今まで通り回っていれば構わない、

というエゴイズムをむき出しにしてるだけじゃないのか。

2011-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20110315202725

人間エゴイズムに歯止めをかけなければなりません。

禁欲的な生活を心がけましょう。

子供たいに欲望のまま赴く自由資本主義の決めた順番なんてきにしなくてもいいじゃないですか。

しい道を開拓しましょう。

そのために何かの自由が喪われることを悲しんではなりません。

2011-01-04

団塊世代

若者氷河期ワープア叩き、マスコミ弱者蔑視が蔓延する理由

ズバリ団塊のせいw

団塊どもは数が多かったので、激しい競争にさらされる人生を歩んできました

従って、他人を蹴落としてはい上がることが至上の価値という価値観を持っています。

本来であれば社会において必要とされるスキルは「協力」ですが、彼らは「他人を陥れる」という、それに相反する価値蔓延させた自己中世です

ワープアなどの弱者の問題は本来、社会全体で少しずつ我慢しあって分かち合うという方法が有効なのですが、強欲な団塊は絶対に自分既得権を手放そうとしません。

そして、今や様々な分野のトップになってふんぞり返っています。

そう、おわかりの通り、マスコミの偏った自己責任論などの「弱者叩き言説」は、こうした自己団塊の立場を正当化するために消費されているのです

非正規雇用格差問題の原因は?

=これは団塊のせい。

要するに、多数派であり選挙に大きな影響がある既得権世代の雇用や保障を優先し、若年世代を犠牲した結果が、良くない実態以上にさらに閉塞感をもたらしている格差問題なのです

政治選挙のことを考え団塊に媚びたために、被害が若年世代に集中した結果、経済の悪化、社会の閉塞感と言った問題を拡大してきましたが、マスコミも多数派である団塊に媚び、実態をゆがめて報道してきました

この点、自民経済界は当然責められるべきですが、では、はたしてマスコミ民主党、その支持母体労組がこの問題を取り上げてきたか?と言うことを考えれば、彼らも共犯関係にあると言えます

今までは公共心を持った世代の高い投票率で、まだ抑制されていましたが、これからさらに影響力を強める団塊世代公共心など無い、私欲にまみれた徹底的なエゴイズムの世代です

自分利益を追求することを至上の価値と考え、他人を思いやる心に欠ける野獣のような世代が彼らであり、そのことは「日本という国家全体のことを考える」という左右を問わずに当たり前のことを、あたかも悪であるかのように主張してきた前科から証明されます

あなた職場がギスギスしている理由

=もちろん団塊のせいw

数が多く、競争の中で生きてきた彼らは、他人を陥れるためならなんでもするという、禽獣にも劣る卑しい精神構造を持っています。

ですから組織を円滑に運営するための人間関係構築の重要性が理解できません。

今やトップとなった彼らの価値観現在社会蔓延していることが職場の閉塞感を高めています。そして、団塊どもは相変わらず「協力し合えない職場」の問題点を全く理解せずデタラメ対応現場に強いているのです

自分たちの無能を棚に上げ、現場に無理なコストカットなどの要求を繰り返してきた結果がブラック企業なのです

・gdgd政党民主の支持が不自然に高い理由

=やっぱり団塊のせい。

自民もgdgd?ああ、それは大前提ですね。

また、自民政権時の責任は重く批判は免れ得ないでしょう。

しかし、いくら自民を叩いたところで民主が良い政党だと証明できるわけではないし、支持する要素にもならないと考えるのが常識

しか政権取ったとたんに内政も外交ダメ。景気無策、財政危機で結局国の借金は増え、そして増税という体たらく

どっちの支持率も低いまま推移するのが自然でしょう。

が、団塊どもの性質として、「とにかく負け組になりたくない、叩く立場になるのが最高」という腐った価値観があります

からマスコミメディアスクラムが起きると一斉にそっちに流されるわけです

普段は「個性」「主体性」と喚き、また、協力し合うと言うことを知らない連中ですが、こういうときは結託して叩きに走ります

それがこういう状況の原因の一つにもなっているのですね。

そして、注目したいのが世代問題。団塊とは一般に「1947年から1949年までのベビーブームに生まれた世代」を指しますが…

安倍(1954年)

福田(1936年)

麻生(1940年)

鳩山(1947年)

菅(1946年)

そう、「スルーされた団塊どもの嫉妬」がアンチ自民にとどまら民主支持へと向かっているのです

民主党自民同様、いや、それ以上に徹底的に既得権世代のための政党です。過剰な期待はしない方がいいでしょう。

2010-10-12

少子化の根源的な理由って、自分遺伝子を後世に遺したいという考えはエゴイズムだよね、と考える人が増えたからじゃないだろうか。

避妊がろくにできなかった時代はそんな選択すらできなかったけど、いざ選択できるようになったら、そういう意味合いがはっきりしてきたんじゃないだろうか。

2010-07-12

http://anond.hatelabo.jp/20100711110237

これ見ると、処女厨って、心の中、無意識恋愛関係で「パパママ」「お婿さんお嫁さん」みたいなある種家庭的な恋愛関係になりたいんじゃないかと自分の胸に手を当てて考えて考えた。

生活は慎ましいけれどお互いに信頼しあっていて、離婚とかはありえないみたいな。

エロゲとかもセクロス三昧なのに世界観的に陵辱ものを含めて「女遊び」してる感覚はほとんどない奴が大多数だし(悪いことではないが)。

処女厨処女にこだわるのは非処女に「遊んでる=反家庭的だ」という無意識的な拒否反応を持っているからだと思う。

でもこれって親の世代じゃ当たり前だよね。(今野敏小説も家庭的な価値観のおっさんが遊んでいる若者DQNに複雑な境地を見せる場面が多かった)現代の若者が行使すると、こうも醜いエゴイズムとして映るとは、時代の流れで、なにがあったんだ!?

2010-07-05

セックスに纏わるエゴイズム

夜寝る前に、あれだけ濃厚なセックスをしたのに

朝オレがまだ目が覚めてないうちに触ってきて舐めてきて

準備が出来たら「ちょっとだけ入れてみていい?」みたいな事が

先週末に連続してあった。それぞれ別の女の子

こういう時の女の子の気持ちがちょっとわからない。

2回も連続でこういう事があったので、なんかいろいろ考えてしまった。

物足りなかったのかな…とか。

オレは、セックスに関しては結構いろいろ考える方で

どうすれば喜ばせてあげれるだろう、気持よくしてあげれるだろうと

日々鍛錬って程でもないけど、意識はしているようなタイプ

気絶する程の、セックスまでは全然到達してないないけど

(そもそも、そんな気絶するくらいってのが女の子にとっていいものなのかよくわかってない。)

とんでもなく下手でもないとは思う。思いたい…。

セックスは、人それぞれ違うことを理解して、相手の事をよく観察し理解し

全て包みこんであげる、受け止めてあげる、認めてあげる

なんというか相手に対する思いやりが一番大切だと思う。

純粋にとことんまでセックスというものを楽しんで欲しくて

その為の障壁をとりはらってあげる、お手伝いみたいな側面がある。

ま、その為の物理的なテクニックなんかは足りていないのかもしれない…。

セックスに纏わるこういった話しって

考えれば考えるほど、相手の為とか言ってるけど、結局自分エゴでそうしてるようにも思えてくる。

セックスうまい自分というものに酔いたいだけなんじゃないのとか。

なんだかんだ言って、射精したいだけだろみたいな事も思う。

でも最中は、純粋に相手が喜んでくれる事が嬉しくて嬉しくて、もう射精とか二の次。

頭は真っ白(でも後から振り返ると、かなり高速に色々深く考えてる事に気がつくw)。

もう溢れるぐらい相手に喜んで欲しいという、ただその純粋な気持ちで一杯になる。それを真理だと思い確信する(最中はね)。

女の子にしても、多少の演技はあるだろうけど、それすらも愛しく思えてくる。

早くイッて欲しいからって類の演技でもなさそうで、

そうなると、なんかこいつかわいいな〜となってギュッとしたくなる。で、相手はさらに感じる。

それはもう演技じゃなくて、パブロフの犬的なものとして条件付けられていて

どこからが演技でそうじゃないかという境は意味が無いのかもしれない。

こうして書いてみると、なんとなく独りよがりのセックスにも見えるね。

相手が単純にセックスを楽しむだけならいいのだけど、それ以上を求めているのに、わかってて見ようとしない。

相手の不充足感ってのは、言葉にすると恥ずかしいが、純粋な愛みたいなものかもしれない。

セックス中は愛みたいなものを感じられるから、また求めて来るんだろうか…。

2010-04-05

http://anond.hatelabo.jp/20100405191836

彼女が好きだから過去が気になる」

過去を気にしない方がおかしい」

だからそれは自分嫉妬心エゴイズムという誰しもある

人間の業の問題であって相手の生き方の罪じゃない。

「相手の生き方の罪じゃない」にもかかわらず「過去が気になる」という「嫉妬心エゴイズムという誰しもある人間の業」に自己嫌悪を覚えるような弱い人間は、「相手の経験の確認を怠り非処女と付き合っ」て「自分責任」が問われる自体を避けるべく、処女厨になるべきだ、と。

誰もが「人間の業だからオッケー」と割り切れるマッチョだったら、世の中さぞや幸せに…と思ったら、誰もが嫉妬・エゴを全肯定して他人に押し付けてくる世の中なんて却って不幸だわな。

2009-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20091110234022

自己の生を豊かにしなければ他者の生を豊かには出来ない、というような理屈があるならともかく、

自己の生の充実を犠牲にして他者や社会に貢献しようとすること自体は、非難すべきことではないだろう。

自己の生の充実だけを求めるのは、エゴイズムでしかない、という理屈も成り立つ。

個別のケースで、どちらの理屈がより当てはまるか、というのは、自明に一般的に判定できることじゃないだろう。

仮に、自己の生をなおざりにして、大きなもの、国や社会に血道を上げることが非難すべきことであるとしたら、

それは、身近な他人や社会、身近な現実に貢献したり、寄与することなしにそうすることのもつ、ナルシスティック観念的な部分だろ。

しかし、そういう批判は当たっている場合もあるにせよ、それだからといって、自己の生の充実を優先目標にしないこと、を

非難する理由にはならない。

2009-10-01

自民党総裁選。

麻垣康三の最後の一人が総裁になったという結末である。このタイプ名前が挙げられた人がそろって総裁になることは滅多にないのだが、それだけ、人材が不足しているという事であろう。

自民党再生を唱えているが、どのように再生するつもりなのかによって、自民党が再び与党に返り咲けるか、このまま議席を失って泡沫になっていくかという末路が見えてくる。

多選規制を導入し、政権運営に貢献のあった官僚新人議員として選挙区を与えて取り込むことで人材の確保と行政へのコントロールを手に入れる体制を整えるか、地盤私物化継続し、官僚天下り先に行くしかなく、政治行政税金無駄遣いし続けるという、これまでの体制を続けるかという選択である。

谷垣氏はお金が足りないなら増税すれば良いという考えの財政再建派であることから、どちらかというと、後者の選択をする可能性が高い。

そうなったらそうなったで、予想通りということで、自民党の泡沫政党化、地方政党化が進むだけであろうし、そうならなかったら、青天の霹靂とでも言って驚くしかない。

二大政党制は、選択肢が二つだけしかないという欠点の多い制度であり、どちらかというと、その選択肢は善と悪というわかり易い選択ではなく、最悪と論外といった、どちらを選んでも良い結果に繋がらない選択肢だけが出てくる事になりやすい。

この制度をまともに運用するには、党員の意見を吸い上げる党員集会によってマニフェストを作るという運用上の配慮だけではたりない。党員の知性や理性のレベルによっては、エゴイズムにあふれたどうしようもないマニフェストが出来上がってしまうという欠点が表面化しやすいのである。

民主制は、有権者能力以上の代表者を得られないという特性がある事から、有権者能力を高める手段が必要になる。能力は、それを問われる場所が存在する事によってのみ鍛えられることから、民主制の学校である株式会社において、株式会社有権者である株主に定期的に選択を問い、鍛える事で、国民全体を鍛えるという手法が取られるのが望ましい。経営方針や設備投資方針、仕入れや在庫の量の決定といった細かな選択を株主に問うのは、いろいろと問題があるが、企業名.com以下に、娯楽情報サイト政治家サイトミラー宣伝目的で置くとし、どのサイトを置くかを問うのであれば、電子投票の練習にもなり、また、事業所や出張所が置かれている選挙区ごとに現職と元職や新人を並べて、どの候補のwebミラーするかを問う事で支持率調査そのものとなり、有権者の直接の意見という錦の御旗を間接的にかざす事が可能となる。これは、議員にとっては、献金やパー券といった資金面での圧力以上に、高い圧力となる。

株主は、企業にとっての有権者であるだけでなく、政治家政党に対してもおおむね有権者なのである。

http://www11.ocn.ne.jp/~ques/diary/diary.html

[2009.9.29]

2009-07-24

九重りんから学んだこと

九重りんから学んだこと、それは、「娘のために、母親は死んではいけない」ということだった。

シングルマザーは死んでも死んではいけない。

育児ノイローゼ自死、などは論外である。

 

九重りんは、ほんとうは彼女の年頃ならば、無償でふんだんに与えられなければならない愛を、

性を差し出して、得ようとしている。

憐れすぎる。

 

そうして「教師」という職を、(逆説的に)一番信頼しているのは彼女である。

教師という職につくものは、いくばくかの愛を無償で与えるものだと信頼している。

ほかのこどもよりも、幾分多めに求めているだけなのである。

性を差し出して。

青木くんは、彼女が求めるだけの愛(かつ、職分が許すだけの愛)を与え、絶対に、対価をとってはいけない。

 

あの作品のなかで、最も罰せられるべきは九重 秋である。

彼女出産で死んでいたら、九重りんの生涯は、もっと過酷なものであった。

彼女が不用意に従弟と同居なぞするから、残された九重りんの生涯が、過酷なものになっている。

 

秋の選択は、とてもエゴイズムに満ちている。

 

 

増田: 1歳になる娘もちのメス。 じつは、「こどものじかん」は1巻を読んだだけ。 wikipediaの「こどものじかん」の項目を読んで、かなしくなった。

  わたしのような「こどものじかん」への感想?を取り去る意見もとむ。 このままでは、続きを読む気がしない。

2009-05-11

母の日だったからこそ、敢えて母に奉げる怨歌

母よ、あなたが居なければ私はこの世に存在していない。そのことについては感謝しよう。

『生んでくれてありがとう

 だが、それとこれとは別の問題だ。

あなたが「愛情である」と主張してきた“それ”は、単なる「エゴイズムの発露」ではなかったのか?

子供には学歴勉強の事で不自由はさせたくない”と言い続けていた実母の本音は、

「優秀な子供母親というポジションを獲得する事で、夫や姑への対抗手段にしたかった」

そういうことでしかなく、またそういう人物である。

まぁ、大体そんなところだろうと予想していたけどね?先日鎌掛けて聞き出してみたら全くその通りだったので、内心大笑いしてしまったのは( *´ノд`)ナイショ

 実母は中卒。高校へ行けなかったんじゃなくて、貧乏だったから中卒で働かなければならなかった人。早くに両親を亡くしてて、歳の離れた兄サマに養ってもらう事に耐え切れなくて、迷惑かけてることに我慢できなくて集団就職した人。

 決して愚鈍人間ではないよ。偏屈親父な亡夫が残した、“他の人にはわかりにくいメモの山”を読み解きながら一人で果樹園を続けていることからも、「充分な教育の機会に恵まれさえすれば、相当な人物となったのではないか?」とも思えるんだけどね。

 中卒のために“学歴が無い”“勉強ができない”ことで苛められ続けていたらしい。結婚後も、大学院卒で看護婦長だった姑から“嫁としてふさわしくない”などと相当にやられていたことを考えれば、同情の余地はある。大卒で教師崩れな親父は、どうもそういう機微の分からない人だったようだから尚更だろう。

 確かに同情の余地はあるんだけど、息子の“脳障害発達障害”を見落として、精神の暗闇をさまよう地獄の半生に叩き込んでくれたことには変わりはない。見落としたと言うよりもそんなことには関心が無かったんだよな?

 いまさら泣いて土下座されたところで、毎日のように「死線を彷徨う」ような有様を強いられ続け、無かった事にしたいくらいに屈辱まみれだった数十年をやり直せるはずも無いし。

 自分が“生きていていい”ことを実感するのに、“他者を言いなりにする必要がある”のは、列記とした精神病なんだよ。

たとえば、病名“代理ミュンヒハウゼン症候群

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%90%86%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

 自覚のあるなしは関係しないし、むしろ自覚があることの方が稀。

 少なくとも、心理的・精神的に健康であるとは言いがたいよな。

 重ねて問おう、「母」を名乗るひとたちへ。

あなた方が「愛情である」と主張して止まない“それ”は、本当に『エゴイズムではない』言い切れるのだろうか?

何のことはない。精神的に健全でない人たちが、心理的に不健康人間を作って、こころを病んだ人間たちが音頭を取っているから、不健全な世の中になっていくのではないのかな?

追記

何処かで読んだような文章だと思った人、それ書いたのたぶんオイラだから。

2009-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20090210202511

一理ある、の横増田です。

自分のどこが悪いのだろう。何が悪かったのだろう。

デートのときになにか大きな不手際があったのだろうか(話がとぎれて気まずい空気などにはならなかったので、自分の気づかないところで何か大きな失敗があったのかという意味)。

容姿のせいだろうか(やや太り気味なので)。

がっついているように見られてドン引きされたのだろうか。

それとも逆に色気の出し方が下手なのだろうか。

自分はなんて甲斐性がないのだろう。自分には生きていく価値がない。

まあ、そんなにくよくよしてても仕方ないです。

とりあえず、凹まずに次を頑張りましょう。

どんなに可能性薄い人でも、女性とのコミュニケーションを断ってあきらめない限りは可能性はあります。バットしっかり振らなきゃあたるものもあたらない。問題はそのバットをもう一度にぎれるかどうかです。

ちなみに男性容姿女性マイナスにならないと個人的には思います。

 

ここはとても大事なところなので出来れば再確認させていただきたいのですが、上記のような事をしっかり行えば、女性男性エゴイズムを受け入れてくれる場合も多いと言う理解でいいんですよね。

残念ながら答えはNoです。

ここからは自分の独断と偏見なので、半分ジョークだと思って読んでください。

 

女の子が体を許してあげたいと思うのは、「惹かれている、かつ、信頼できる」かなと思います。一生懸命努力して彼女があなたに惹かれても、二人の間に信頼関係が気付けてなかったら、長続きしないと思います。一発はできるかもしれない。ただ、一発だけやりたいなら風俗に行った方がコストパフォーマンスよいです。できるなら女性は長くつきあえる女性を選んだ方が、お互いの人間的な成長に繋がると思います。

 

しかし基本的に成功体験がないもので、(例えば増田では良く童貞がバカにされますが、それと同じように)デフォルト自分が汚れた存在として女性から見られてしまっているのではないか、女性とうまくコミュニケーションできないので自分童貞であることはうすうす感づかれているのではないだろうか、だからこれからも自分男性的な欲求というのはキモイと否定されこそすれ肯定されることなどはないのではないだろうか。

そのように悲観に暮れてしまうのです。そういう意味女性に対する恐怖心がないとはいえません。

もし、今まで振られた女性がいるのなら、こういう部分をさらけ出してどうすれば女性とうまくコミュニケーションが取れるかどうかを相談したり、デートの仕方や彼女として合いそうな人のアドバイスをもらうと良いと思います。その時に、絶対その女性に手を出さない事。できるならその女性に、前の事は水に流して、絶対つき合おうなんて自分が言い出したりしないと約束した上でアドバイスをもらうとよいかもしれません。

きっと協力してくれると思いますよ。

 

お金をつっこむというのはどの程度のことをおっしゃられているのでしょうか。もしよろしければ出来る範囲で数字を教えていただけると参考になります。私は数回デートした相手に三万円のネックレスバースデイプレゼントとして送ったことがあります。めちゃくちゃ喜んででくれたんですが、なぜかその後すぐ音信不通になりました。自分の一ヶ月の小遣いを全てそのプレゼントに使いました。それくらいは投資投機)として当然という認識で良いのでしょうか。

それは、あちゃー!!って感じです。

ちょっと重すぎるプレゼントです。彼氏や夫でもないのにそういうプレゼントを異性からもらうとそりゃドン引きです。そもそも数回デートして、つき合おうってならない関係ならそもそもその女性は、あきらめた方が懸命かなと思います。つき合おうと言い出すチャンスを逃してしまうと、なかなかそういう関係にするのは難しいです。

あとお金を突っ込むのは、自分彼女もうれしいものにしましょう。プレゼントは喜びを共有するために使った方がいいと思います。見返りが丸見えで相手に渡すものではないかもしれません。実際は、金額は数千円のプレゼントでうれしいものです。

それよりも、一緒に遊びや食事に行くためにお金をちょっと多めに出してあげる(全オゴリは相手によっては気がひけるかもしれない)とか、あとデートとして自分の服を買いに行って、その女の子のセンスを見込んで選んでもらうとかそういうのに使った方がよいと思いますよ。あと自分を磨くためにとか。

こういうお金の使い方だと、自分もうれしいし、その女の子も喜んでくれると思います。

 

あんまり偉そうなことは言えませんが、自分自身は高校時代は全くモテず、大学2年生ぐらいから頑張り始め、3人とつき合って4人目の人が奥さんになりました。

 

とにかく、女性コミニュケーションを取ろうとすること。そうしつつも、がっつかないこと。最後は思いやりでしょうか。

 

あと、性欲と相手を本当に彼女にしたいのかを切り分けるために、本当につき合いたいかは、一、二回オナニーしてから考えた方がいいですよ。これ、ほんとです。

http://anond.hatelabo.jp/20090209230423

意見ありがとうございます。

>振ってくれた女性にいろいろアドバイスしてもらうとよいよ。

確かに、今まで告白した女性アドバイスを求めたことはありませんでした。当人にアドバイスをしてもらえたら参考になることがあるのだろうなと言うのは頭では分かるのですが、それよりも振られてしまったことで男として否定されたことがショックでパニックになってしまい、もうその人とはコミュニケーション出来なくなってしまっていました(少なくともこれまでは)。まあそれでも何度か電話メールはしたのですが完全にシカトされました。

返事がないことについても正直怒りしか湧いてきませんでした。そういうことも含め失恋に対して自分の感情を制御することでいっぱいいっぱいになっていました。

自分のどこが悪いのだろう。何が悪かったのだろう。

デートのときになにか大きな不手際があったのだろうか(話がとぎれて気まずい空気などにはならなかったので、自分の気づかないところで何か大きな失敗があったのかという意味)。

容姿のせいだろうか(やや太り気味なので)。

がっついているように見られてドン引きされたのだろうか。

それとも逆に色気の出し方が下手なのだろうか。

自分はなんて甲斐性がないのだろう。自分には生きていく価値がない。

そのような自暴自棄な感情と共に、自分の男の部分を否定してきた目の前の女性に対する憤りみたいな感情を持ってしまう自分の器の小ささにも打ちひしがれてしまっていました。


>だから男は嫌がられないように一生懸命努力するんだよ。あなたはモテるためにお金を服や美容院デートのためにお金を突っ込んだことがありますか?女の子は、イケメンを選ぶんじゃなくて、自分のためにかっこよくいようと一生懸命努力してくれる男性に惹かれるもんだよ。

ここはとても大事なところなので出来れば再確認させていただきたいのですが、上記のような事をしっかり行えば、女性男性エゴイズムを受け入れてくれる場合も多いと言う理解でいいんですよね。

私は自分自身で出来る事に関しては(女性とのコミュニケーションではなく、清潔にするとか金で解決できること)は比較的努力していると思っています。

しかし基本的に成功体験がないもので、(例えば増田では良く童貞がバカにされますが、それと同じように)デフォルト自分が汚れた存在として女性から見られてしまっているのではないか、女性とうまくコミュニケーションできないので自分童貞であることはうすうす感づかれているのではないだろうか、だからこれからも自分男性的な欲求というのはキモイと否定されこそすれ肯定されることなどはないのではないだろうか。

そのように悲観に暮れてしまうのです。そういう意味女性に対する恐怖心がないとはいえません。

そうではないんですよね。このまま努力を続ければ私の要求(性的要求も含めてです)に応えてくれる女性が出てきてもおかしくないと言うふうに捉えてもいいということですよね。

お金をつっこむというのはどの程度のことをおっしゃられているのでしょうか。もしよろしければ出来る範囲で数字を教えていただけると参考になります。私は数回デートした相手に三万円のネックレスバースデイプレゼントとして送ったことがあります。めちゃくちゃ喜んででくれたんですが、なぜかその後すぐ音信不通になりました。自分の一ヶ月の小遣いを全てそのプレゼントに使いました。それくらいは投資投機)として当然という認識で良いのでしょうか。

長文でリンクしてしまい大変恐縮しています。「一理ある」と返答してしまったばっかりに童貞に質問されてしまってご迷惑ではないでしょうか。少しエスクキューズすると、私がここにリンクを張ったのは、「童貞馬鹿にする気持ちはございません。しかし・・・」の増田さんよりは、「一理ある」の増田さんのほうが優しそうだなと漠然と感じたからです。

逆に言えば、本来「童貞馬鹿にする気持ちはございません。しかし・・・」の増田さんにこそ、私の質問には答えて欲しいなという思いはあります。(一つ前の質問も含めて。)

もちろん、他の方のご意見も参考になるのでいただけるご意見は全て有難いことだと思っています。

失礼いたしました。

蛇足:共感できる部分の多い記事でした

3人と付き合ったけど、まだ童貞 http://anond.hatelabo.jp/20090209005818

それにしてもモテませんね。 http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080125/1201189268

2009-02-05

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090205221251

もうこんなコメントがついてる。

他人にスルーを要求するくせに自分スルーできない。

一方的にお前を殴らせろ、殴られてもお前は泣き寝入りしろというすさまじいエゴイズム

ついていけんわ。

2009-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20090108144716

その「奥さんへの同情」ってもう同情とは別のただのエゴイズムだと思うんだよね。

全てエゴイズムですと言ったらそれはそうなんだけど多少なりとも奥さんに近づこうともしていないと思う。

2008-12-28

カブトボーグベスト10

あいかわらずイカれてる

だがそこがいい

10位:ロイドさんの過去(第12話 過ぎ去りし日 チャコールグレイフォルクローレ)

9位:ベネチアン初登場(第7話 涙の素パスタオーバー・ザ・レインボー)

8位:勝治のおじいちゃん(第8話 鎮魂歌リビングレジェンド・グッド・ナイト)

7位:リュウセイ暴走(第24話 試練!ワンダー・ミラクルハート)

6位:マンソン(第41話 裏切りの序曲!ノイズ・アンド・ファンタスティックハーモニー)

5位:勝治ネ申回(第31話 王様は絶対!スキャンダラスマジェスティックエゴイズム)

4位:飛行機(第39話 墜落!?エアボーグナインナイン)

3位:地下バトル(第29話 危険地帯!ダークバトル・ソルジャーズ)

2位:G(第14話 敗北、そして崩壊…ロストワールドエンドロール)

1位:最終回(第1話 親父越え! 勇気ライジングプロミネンス)

2008-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20081217155611

女はラクが出来て羨ましいらしいです。を書いた元増田です。

温かいほっこりなさせてもらえるコメントから、耳に痛いドキっとするコメントまで、いろいろ考えさせていただきました。

愚痴だらけとのコメント、ごもっともです。

言い訳させて貰えば、日頃の感謝の気持ちまで書き続ければ、ただでさえの長文が更に収まりがつかなくなりそうでしたので極力、割愛しました。感謝の気持ちは本人に伝え、ついつい身の内に湧き上がってしまう傲慢な気持ちの方だけに集中しようと思いました。「苦労自慢になってるよ」というコメントには、普段、自分が毛嫌いしている「私が不幸なのは全部他人のせいなのよ!ぷんぷん!」的な考えにいつの間にか陥ってしまっていたと、気づかされました。

また、男性男性があるが故の苦労については、日頃はてな周辺でよく目にしているので、私があえて触れる必要もないかなと思ってスルーさせていただきました。

愚痴だからこその増田じゃないか。

身近な人にこぼしたら、それは「あまやかしてくれ」「がんばってるって認めてくれ」ってそれこそただのエゴイズム自己満足。無言の強要

そうじゃないんだ。自分でそんなことはわかってるんだ。

でも、やりきれないもやもやは、どこかでこぼさなければ自分から毒になってあふれてしまう。自分が壊れてしまう。

だからそっと、増田

こちらのトラバコメの通りです。「そっと」なんていう可愛い内容ではありませんでしたが。

加えて、実生活で愚痴れば「そうそう、頑張ってるよ!」と迎合して言ってはもらえるでしょうが、それで溜飲を下げるだけでいいのか自分?と、思うところもあって。甘えたい。甘やかされたくない。どっちも本心で、その両方の言葉増田でなら貰えるのではないかと思って書き込みました。

「反応が欲しかった」という点では、「釣りだろ」っていう指摘を否定できません。

言って欲しいと望んでいた「頑張ってるね」の言葉も沢山いただけましたし、「ラクをしてもいいんだよ」という言葉には「ありがとう。疲れを感じたら、きちんと休みをとってるよ」とお返事させていただきます。覚悟の上でしたが「自分責任だろ」とのコメントにも、まったくもって反論できず、真摯に受け止めたいと思っております。「もっと気楽に要領よく生きてみては?」というお言葉も、普段しっかりと実践しております。食事をおごってもらったり、重い荷物を持って貰ったり…と、「女性であるからこその恩恵」も享受してきましたし、実家で暮らしているのがその典型で、頼れるところに頼ってます。自分に都合良く、そういった部分をカットしたのは、記事の内容がどっちつかずになりそうだったのに加え、女としての…いやいや、「自分自身のズルさ」が現れた結果です。

予想外に文章の優劣までに言及された時には、「うぁ、そんなトコまで注目するんだ」と、感心さえしてしまいました。

更にヒゲアルファブロガーまで釣れたのを知った時は、頭が真っ白になりました。

キター!弾さんストレート。炎上確定

このエントリーを読んで、何を一人で盛り上がっているんだろう、恥ずかしい…と、思っていたのですが、実際に自分の身に起こってみると気持ちがちょっと分かった気がしました。

浜ちゃんに突っ込まれた!

痛い!

ケド、嬉しい!

…みたいなミーハー気分だったのだと思います。

せっかく微妙に的を外してるものの、ありがたいお言葉を頂いたので触れさせて頂きます。

身内には言えない「頑張ってるね」もある

でも、そう言ってもらって、認めてもらったという気持ちになったかな?

なったと思いますよ(笑)

残念かつ幸いなことに、一番うれしい「頑張っているね」は、身内ではなく同志のそれ。身内といえど、どう頑張ったかの理解は同志には敵わない。(中略)

あなたの不幸、それは(元)夫にばかり、そして父にばかり、共感を求めたことではないだろうか。

「同志を利用」することを思い立てば、その同志を通して夫や父と共感できたのではないだろうか。

子供を育てていく、家庭を守っていくという点では、私は元夫を同士だと思っていました。

共通の認識を持って、一緒に頑張って欲しかった。家計が今どういう状況で、今の暮らしを続けていたらどういう状況になるかを知って欲しかった。

「いやいや、でも仕事に関してなら、畑違いの人間から言われても嬉しくないだろ?」って事なら、それでも、やっぱり「素直に嬉しい」と思います。

あぁ、気遣って貰えているんだな…と。

本当の意味で100%理解して欲しいだなんていうのは、さすがに傲慢ですし、無理な話でしょう。

大抵の人間自分経験したことしか実感できない。他の人の苦労や努力想像しかできないものです。

ただ、その想像すらしてもらえない。気にかけて貰えない気持ちが当時は言葉にならず、涙となって流れて元夫をうんざりさせてしまったようです。

そして

身内という共有結合を成り立たせるためには、他者という電子が必要なのではないか。

近しい存在だからこそ、距離感の取り方が難しい。私はこの部分が理解できていませんでした。

さすがはマッチョな人は、難しいことを考えているのだな…と、改めて痛感しました。

よく他のエントリーも拝読しておりますが、奥様に対するリスペクトが綴られていて好感をもっておりました。でも難しい言葉を並べたててないで、素直に「頑張ってるね」って言ってあげればいいじゃん。なんで出し惜しみしてんの?とも思います。

相手をいたわる言葉は、言って言いすぎることはありません。ブログで持ち上げつつ、実生活でも言ってしまえ。このオシドリ夫婦め。

悩み相談に男性は『解決策』を求め、女性は『話を聞いてくれる人』を求める。

そういった感覚の違いが、如実に現れたエントリーだったなと思いました。

それと感情吐き出すだけ吐き出して、慰めの言葉を貰えている内に黙って消えればいいのに、なぜ無粋にも戻ってきているのかというと

http://anond.hatelabo.jp/20081217173857

こちらの方のエントリーレスしたかったが為です。

読んでからしばらく腹が痛い。これはやっぱり男性のせいだろう。それ以外にあなたの怒りの持っていきばはどこにもない。だが、男性であるところの僕はあなた個人のために何もできない。憂鬱だ。


優し過ぎです!!!!

あなたが心を痛める必要は全くありません。世間一般の男性の罪?を、あなた一人が背負って苦しまないで下さい。

あなたは私に何もしてくれなくていい。私は私のやりたいように勝手に生きて、勝手に悩んで、勝手に怒っているのです。他の生き方も選べるのに、それを選ばなかったのは私自身です。私の責任です。

その気遣いをご家族や周囲の人たちへ向けていただくことで、私の前記エントリーは報われます。

どうか私の知らないところで勝手に生きて、勝手楽しみ勝手に笑ってて下さい。

その他、この場では取り上げきれませんでしたが、応援や慰め、お叱りの言葉ありがとうございました。気持ちが落ち込んだときには、いただいたコメントを読み返して励みにしたいと思います。

優しいコメントは瞬間的に心が温まり、厳しいコメント時間が経つにつれ身に染みていくのを感じました。

大人になると、ダメな事を面と向かって「ダメ!」と言ってくれる人が少なくなるので、本当にありがたいと思いました。

そして、最後に。

このエントリーを書いた後、コメントを読んだ後に気付いたことを書きます。

私は「優等生自分」が好きでした。離婚するまで、私は「父の自慢の娘」でした。

今、その地位が揺らいでいるのが怖い。だからニュース一般論に過剰に耳を傾け「父の考えは古い」「世間ではこうだ」と世間的に認められることで、父に認めて欲しかったのだと思います。

父は戦後の生まれで、物も食べ物もない時代を生き抜いてきた人です。幼い頃から新聞配達をして家計を助け、いつもお腹をすかせていたと聞いています。そして右肩上がりの経済成長期に努力すれば報われる。結果が出なくても努力すれば認めてもらえる。といった状況の中で、しっかりと堅実に仕事をこなしていきました。バブル期の世間が『イケイケドンドン』な浮かれ気分の時も倹約を貫き、ゴルフパチンコもせずに質素な暮らしを続け、定年退職した今も「年金受給者の身分で贅沢したら申し訳ない」と、テレビを見ながら細々と暮らしています。

ある時、「母と一緒に旅行に行っておいで」と旅費を負担する提案をしたのですが、母と共に頑なに拒否されました。「気持ちだけで充分」だそうです。結局、その時は折衷案として食事をご馳走することで落ち着きました。

母も幼い頃に父親(私の祖父)の借金を背負いながら、その事を決して語らず、その借金がなくなるまで働き、世間では「いきおくれ」となる年頃まで結婚しなかったそうです。大人になって親戚の人から聞いた話です。

父も母も「男だから」「女だから」という枠組みなしに苦労をし、そしてその苦労を人のせいにするでも、いじけるでもなく、ただがむしゃらに生き抜いてきました。

母は「嫁の苦労」を実体験しているので、私に「結婚しなさい」とは言いません。

私が子供の頃からの事ですが、夫婦喧嘩は必ず父の「誰のおかげでメシが食えると…」発言で終結します。もし両親が離婚したとして。父には当時稼ぎがありましたし、家も父名義ですから家事は行き届かないまでも暮らしていけたでしょう。しかし母は実家にも戻れず、住むところも働くところも困り、文字通りに暮らしていけません。その現実を突き付け、自分に反抗するなら出てってもいいんだぞ。と、意地悪く言う父に母は何も言い返さず。そして父の言い分だけが通る様子を私はずっと眺め続けていました。労働収入を得ないということは、こんなに肩身の狭いものなんだ…と、母の無表情になった横顔を見て育ってきました。どなたかのコメントで「保守的な考えを批判しつつも、本人がその保守的な考えに固執している」とありましたが、根本はこの部分にあるのだと思います。

そして大人になった今、私が母の擁護をすると「出戻りのくせに…」と、やはり突かれると痛いところをバシバシと突いてきます。父は真面目で偉い人ですが、出来すぎ故に弱い立場の人間を遠慮なく攻撃してくるのです。

父も母もどちらも苦労した。安定した暮らしを手に入れるという点において、父の苦労は報われた。でも母の苦労は?と、思うと疑問です。どうして二人とも貧しい思いをして、母だけが弱い立場のままいるのか。それは母が女だからだろうか。その気持ちが前回の必要以上に父を、そして男性を貶める内容となりました。

父の世代は努力が報われたのに、私の努力は報われない!と、いじけた発言をし、その私の努力とは比べものにならないほどの大変な父の苦労を評価をしたくなかったのは。母のことは好きだ尊敬してるいいながら同じ生き方をしたくないと思っているのは。

母の俯き黙った横顔が脳裏に焼き付いて離れないからです。

勿論、しょっちゅうそんな一方的なケンカをしているのかというと、そんなことはなく。週末は必ず二人で買い物に行くくらい仲の良い夫婦です。ただ父が定年退職してからは、顔を合わせる時間が増えたせいかケンカになる事が多くなってきたようで、その時は本当にどうしていいのか分からなくなります。母を擁護すると「出戻り。嫁に行け」と、火の粉がこちらに飛んできます。「父の自慢の娘だった私」は、もう結婚することでしか果たせない。でも私は多分結婚しない。

優等生でいたい自分と、母の横顔。

私はもう父が誇りに思うような娘にはなりそうもありませんが、だからといって無理矢理、父を貶める必要も全くありませんでした。

父にどんなふうに思われようと、父は私の誇りです。勿論、母もです。

これからはケンカになれば引き続き母の味方をしつつも、父の顔を立てられるように、うまくカスガイになっていこうと思います。むしろ孫である私の娘がその役を担っているようです。あと自立も引き続き頑張ります。

前回のエントリーを書いた直後は、答えのない悩みを書いて、私はいったいどうしたいのだろう。頑張るしかないか…と、思っていたのですが、思いがけず奥底にあった他の悩みと、それの解となるヒントを得たような気がします。

とりあえず、出ないと噂されていたボーナスも支給されましたので、両親には日ごろの感謝を込めて何かプレゼントを贈ろうと思います。父には痩せて貰う為にウォーキングシューズとか考えていますが、母は父に輪をかけてシュミがない人なので、本当にどうしようか、それが目下の悩みです。

初めて給料が出たときに花を贈ったら、花瓶にも入れてもらえず枯らされたので、別の何かにしたいと思っていますが…。「何か欲しいものある?」って聞いたら、普通に「洗剤」とか答えが返ってきそうだからなぁ…。

悩みは尽きません。

2008-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20081217155611

おつかれさま、増田

たまにはやすみたいよね。一日でもいい、がんばってるね、たまにはゆっくりしなよって頭をなでて、そっと眠らせてくれたらいい。

愚痴だからこその増田じゃないか。

身近な人にこぼしたら、それは「あまやかしてくれ」「がんばってるって認めてくれ」ってそれこそただのエゴイズム自己満足。無言の強要

そうじゃないんだ。自分でそんなことはわかってるんだ。

でも、やりきれないもやもやは、どこかでこぼさなければ自分から毒になってあふれてしまう。自分が壊れてしまう。

だからそっと、増田

働くってことは「もっと、もっと」を求められることで、試験みたいなゴールなんかなくて、それはアタリマエのことだからこそ、みんな言わずに見ないふりしているだけで。

でもときどき、すこしだけ、気を張った自分をゆるめたいと思たっていいじゃないか。

おつかれさま、増田

2008-11-05

ただのコミュニケーション不全としての「空気嫁

僕が嫌いな日本語のひとつは、「空気が読めない」。空気が読めなくて何が悪いのか、理解できないから。なぜか。

たとえば京都ぶぶ漬けの話はただのネタだ。でもあれは、ぶぶ漬けが出てきたら、そろそろ失礼しますと言って帰らなきゃならない。そういう約束事がはっきりしている。この約束事の集まりが、文化であったり文明であったりする。ぶぶ漬けにまつわる決まり事約束事を知らない人は、京都人間ではなく、「空気が読めない」非文化的非文明的な野蛮なイナカモノというわけだ。

この約束事の集まりは、都市により社会により集団により違う。それぞれの集団の構成員にとって明白な約束事はあるだろう。それに従わないものは空気が読めないのだろうし、そういう場面は日本に限らずどこにでもある。

他方で、今普通に使っている言葉としてのこの「空気が読めない」といったときの「空気」って、本当に約束事としてはっきりしたものを前提としてるんだろうか。それがよく分からない。

ようはその場その場の雰囲気や人間関係やといったものの総体を読むことが「空気を読む」ということだと思う。でも、その場合に目に見えない、はっきりしないもろもろの「総体」は、当たり前だが時と場によって変わるので、たとえ同じ場所同じ街同じ人の集まりでも、一定しない。つまり空気とは一定のものではなく、常に揺れ動く。だから決まり事約束事がそう明白なわけではない。「空気読め」と言ったとき、不明確で不定なものの何を読めと言ってるんだろう。

空気読めと言うのは、読めと言っている人が考える「空気」を他の人も共有しているように思われて、にもかかわらずこの「空気」を共有しない人間がいる場合だ。見方を変えると、単に「空気」を共有しない者を排除しようとする、あるいは強制的に空気を読むことを押し付けようとしているだけではないか。

ではなんでわざわざこんな回りくどいことをするんだろうか。分からない人がいるなら、教えてやればいい。いや、そう単純にいかないのが人間関係の難しさで直接に言いにくい、というところだろう。だから、明確な言葉にせず、かといって言葉と言外の約束事もはっきりさせず、その場その場の「空気」が尊重されることになるし、その場を支配し最優先され、空気を読めないものはいらないという話になる。

言いたいのは、これってただのコミュニケーション不全でしょうと。

自分が言いたいことを抑圧して、その名目に人間関係を大事にしたいからといって直接的な表現は避けて、ただ「空気が読めないヤツだ」という。で、何が何かよく分からない「空気」に従属させるか、集団から排除する。人間関係を大事にしたいという一見優しさめいた配慮は、本当は意思疎通の努力を欠いたただのエゴイズムでしかない。

人間は、自分の気持ちや考えるために、たとえ伝わらなくても分かってもらえなくても、そこで絶望的な努力をする生き物だ。ただのコミュニケーション不全を空気読めと言いかえてごまかして、それで本当に人間なのか。人間ならば、空気を読まないことも必要なのに。

とはいうけれど、こういうわけの分からない「空気」が尊重される場面があるのは、別に日本だけでないと思う。でも、日本の場合、ちょっと極端すぎやしないか。調子に乗って新聞までこの言葉を使って「KY総理」だのなんだの書いたこともあったけど、それってどういう意味か、本当に考えたことがあるのだろうか。なにも流行言葉みたいになることはないのだ。

僕は、「空気」という言葉が、心底、嫌いだ。

2008-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20080908090725

何が「エゴイズム」だよwグダグダ言ってる暇があったらそのキモいナリを何とかしろよw

心をつかんだきっかけなんて「可愛い」か「かっこいい」しかねーよ。見た目や内面でな。

勝手絶望して悦に入りたいだけならさっさと消えろ。

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