はてなキーワード: イントネーションとは
人間が棒上の物体を使って、平面に言葉を表現するっていう時点で、そもそも世界中の文字がだいたい線だけで構成されることは確定なんだよな
顔料だって豊富じゃないから単色で使うこと前提になる。だから文字を書くときに、色の違いは考慮されない(赤い「あ」と青い「あ」はどちらも「あ」という音を表す意味)
もちろん人間の顔だとか表情みたいな複雑な絵は誰もが書けるわけじゃないし、いちいち言葉を記すためだけにそんな面倒なもの書きたくないので、とりあえず「?」で終われば疑問文ということにして、読むときも語尾のイントネーション上げて読む。みたいな規約を作って運用しました。
これがもし入力インタフェースとして棒を使わないで、サクッとどんなに細かい絵も一瞬で書けるような時代になるとどうなるのか。
絵文字とかLINEのスタンプとかが流行ったのは必然だったのかもしれない。昔の人も本当はわざわざ言葉を文字にするのかったるかったと思う。
「つぎ、パーティーいつ?」
この発話における不定冠詞(a party)と定冠詞(the party)を峻別する役割を日本語ではイントネーションが概ね担っているのではないか。
パーティー(↑↓)と発音すれば、普通の(つまりは一般的な概念としての)誕生日パーティーや社交パーティーのようなものを指すが、「パーティー」をフラットに発音すれば、仲間うちのクラブイベントっぽい。つまりは、"あの"パーティーという定冠詞的なニュアンスが出せる訳だ。
いわゆる一般に流通しているその語のイントネーションとは違う(しかし、かといって、それについて無知である素振りはないどころか、それについて独特の了解を持っていそうな)独特の(話者同士にのみ共有された"あの"を指す)符丁感がある。わざわざ「あのパーティー」なんて野暮な言い回しをしなくても、ちょっとアクセントの位置をズラすことで、ほら、あれだよあれ、って目配せしているような。
という話
これは長らく自分もそうだと思ってた
当たり前のように標準語イントネーションで話せるはず、とこれまでは思ってた
けど、それは当たり前ではないらしい、それなりに意識して訓練する必要があるらしい、と認識を改めた
自分は地元に愛着はあっても、周囲の言葉を無視してそのまま方言で押し通すような強いものはないし
それよりは周囲と言葉が違うことを引け目に感じる
だけど砕けた関東方言を話すのも逆に恥ずかしいと感じるので、努めて標準語に近い形で丁寧な言葉で話すようにしてきた
それが一番、違いが目立たないからだ
けれど地方出身者が必ずしもそうするわけではないのだなと、旦那を見て思った
旦那は九州の田舎出身で、東京に出てきて長いのに訛りが抜けない
私よりは地元へのアイデンティティが強く押しが強いところも確かにあるのだけれど
とはいえ客商売にもかかわらず、イントネーションが変わらないというのは、さすがに意図してやってるというよりは出来ないのだろうなあと思う
周囲と言葉が違うことが恥ずかしいと思う気持ちが私よりは圧倒的に弱くて、
伝わる範囲での最低限の矯正にとどまった、という感じなのではないかなと思っている
たまに「俺がなおし… 片付けるから」とか言ってるくらいの、通じない単語を置き換える程度の矯正というか、環境適応なのかなと思っている
要は、自分が当たり前に出来ると思ってたことは、周囲に合わせようと自分が無意識のうちに訓練していたからであって、恥ずかしいと感じないタイプの人はその訓練をしないのだろうなということだ
関東方言(といっても幅広いけど)と標準語の差異として、例えば、
ら行が撥音になる 例:わからない→わかんない、食べられない→食べらんない
間投詞としての"さあ"の使用 例:あのさあ、君さあ
”では”が"じゃ”になる、”ではない”が”じゃん”になる 例:それでは→それじゃ、ではないか→じゃんか
などがある
"ない"が”ん”、"へん"になる 例:わからない→わからん、わからへん、食べられない→食べられん、食べられへん
"まう"や"もう"の使用 例:食べてしまう→食べてまう 食べてしまった→食べてもうた
間投詞としての"な"の使用 例:あのな、君な
”だ”、”では”が”や”になる 例:それだと→それやと、ではないか→やんか、 やないか
となる
標準語→「見た目ではわからないけれど、いちど食べてしまえば思っていたよりもうまいではないか」
関東方言→ 「見た目じゃわかんねえけど、いちど食べちゃえば思ってたよりうめえじゃんか」
近畿方言→ 「見た目やとわからへんけど、いちど食べてまえば思おてたよりもうまいやんか」
口語を文字に書き下したときの標準語からの距離はどんぐりの背比べだろう
もちろん、標準語にない語彙や言葉の変化はどの方言にも有るし、
イントネーションも東京方式は京阪方式に比べて標準語に近いとはいえ、違いは多い
関西弁が標準語とかけ離れているというなら、関東方言含めて他の方言も標準語とかけ離れているし、関東方言が標準語と離れてないなら関西弁も標準語と離れてないとみなすべき。
https://anond.hatelabo.jp/20200610161813
両親のルーツがどちらも鹿児島なので、盆暮れにいちいち帰省していたくらいには愛着がある、そんなワイやけど、
関西住まいのワイにとって、料理の味付けは甘口なのは良いんだが、出汁の旨味みたいなものにどうも関心がないように感じる。
思想性とかも、まあ右翼的ではある(これは左翼思想が市民権を得てる京都周辺に住んでるからおもうのかも)。
要約するに、豪胆?剛胆?にみえて、その実おおざっぱ、しかし内実は(大昔の成立過程で東国から虐げられた歴史を持つからか)悲劇愛好者でポッキリ折れやすい一面もあるようだ(その方言のイントネーションがなんでかナヨッとして聴こえることもその印象を強調している)。
※追記:ざぼんラーメンの旨さが解るようになったら、真の鹿児島人といえるのかもしれない(ワイにはアレが鹿児島各地で愛好されてる理由が理解できない)。
私は名古屋出身で東京住み。両親も名古屋出身。実家に帰れば尋常ではない名古屋弁になる。
しかし東京にいると、イントネーションがやや名古屋弁がかるものの、標準語になる。無理やり標準語をがんばっているわけではない。周りの地方出身者、関西圏の人も大体同様だと思う。
しかし方言を絶対に諦めない、一部の、何故か関西圏の人がいる。
私も含め、地方出身者は自分の方言を恥じているわけではない。標準語に囲まれていれば自然と方言は消える。順応性だと思う。
これだけ周りが全て標準語の中で、1人だけ自分の方言を貫き通すのは、逆に意識して話さないと難しい。
お笑い芸人は良い。自分の言葉でお金を稼ぐ人たちは自分の才能を最大に引き出せる方法の一つとして方言を使う。
関西お笑い芸人がテレビの中で日本中へ向けて関西弁でみんなを笑わせ人気者になる。
これは市井の面白くない関西人には全く通用しないのに面白くない奴に限って東京で関西弁を使う。
結局はこれが言いたかった。
東京に住んでいて無理やり関西弁を話す人は本当に面白くない。自己肯定感が低く、自分に自信がないためテレビの中の人気者との唯一の共通点、生まれ持った方言をゴリ押しして自分を飾る。
関西弁でワーワー言われると何となく盛り上がった気がすることもある。それを勘違いした奴が結婚式の二次会の司会を買って出た。二次会は全く盛り上がらず滑りまくり失笑すら出ず時間より早めに終わってしまった。
今動画を整理していて見つけた。
私の二次会わやだがね!
生活教は“生活をより良くする”という教義のもと、日々ライフハック的なことを広めている。
この辺りを中心に活動しており、地域新聞に載る程度には有名な新興宗教だ。
宗教そのものが形骸化している現代では、信仰心が薄れているからだ。
数少ない信者も面白半分で入信しているのがほとんどで、実質的に布教しているのは教祖のみだ。
そんなローカルマイナー宗教が、この世界では熱狂的に信仰されているとは。
「いくら可能性の数だけ未来があるとはいえ、俺の世界にこんな可能性が?」
「これこそが“分裂世界”さ」
俺の世界では、そもそも宗教が廃れているから、信仰が盛んになる分岐点が存在しない。
だが分裂した世界では、このように有り得ない未来すら有り得てしまうのか。
「宗教は民意を意図的に調整できるからね。それが実権を握れば、こういう世界になるんだろう。まあ分裂した世界では、何がどう変わってもおかしくない」
それにしても、見れば見るほど異様な光景だ。
同じ服を着た人間が一堂に会すると、こんなに気色悪くなるんだな。
「さあ 回しなさい 救いは 回した 先に あるの です」
信者たちの喚声に紛れて聴こえるが、独特なイントネーションがすごく耳に残る。
聴こえた方向に目を向けると、声の主はすぐに分かった。
一際、装飾が豪華なあたり、恐らくあれが教祖だろう。
「さあ 布施て “生活式回転抽選器”を そして 自分を 信じて 回しな さい」
大層な名で呼ばれているが、あれはカプセルトイマシン、いわゆる“ガチャ”っていうやつだ。
さっきから言っている「回す」ってのはガチャのことだったのか。
遠巻きからじゃ中身は見えないが、どうやら信者たちの信仰心をくすぐるものが無作為に入っているようだ。
「やった! 『過剰な転売』の免罪符と、『非合法に動画をアップロード』の免罪符だ!」
それをランダムのガチャって、霊験あらたかな感じがまるでしない。
しかし信者達はガチャに列を成して、取り憑かれたように一心不乱に回していた。
「同じものが 出ても 大丈夫 掛け合わせると 効果が 上がり ます! だから 布施て! 布施て!」
金を巻き上げるにしろ、もっとマシな方法がありそうなもんだが。