2013-12-05

褒められることが不快だった。

文字にすれば、このつかみ所のないもやもやとした暗い気持ちにも整理がつくかもしれないとの期待を込めて、心の暗部を覗いてみる。

 

物心ついたときには、父親に褒められることが不快だった。

照れていたのではない。悲しいような、つらいような、屈辱的なような、とにかく、これは嫌な感情だ。

小学校で、たびたび音読宿題が出た。教科書の指定された箇所を、親の前で声に出して読み、その感想と日付を、専用の表に親に書いてもらって、先生に提出する。当時、そういう機会では空気を読まずにはしゃぐタイプの子供だった私は、必要以上に大袈裟演劇的に抑揚をつけて、大きな声でハキハキと音読していたと思う。

父は、私が音読をすると、とてもよく褒めてくれた。

天才だ。」

「すごいね~。」

「上手だなあ。」

それが本当に不快で。

なんだかひどく屈辱的な気持ちになった。だから私は音読の相手は母に頼んでいた。でも、父は仕事が終わるのが早く(夕飯はいつも家族皆で食べていた)、母が家事で手があかないと「お父さんに頼んで」ということもあったし、そういう時は本当に嫌だった。自分プライドが許す限り、つまらなそうに、つまらない気持ちで読んだ気がする。

まり覚えていない。

でも父親が笑顔ベタ褒めするのも、読めない達筆というよりは汚い字で何か一言コメントを残すのも、嫌な気持ちが湧き上がるものだった。

 

父は、自他共に認める親バカで、私のことをことあれば「天才だ、頭がいい」「かわいい美人だ」と褒めていた。

美人だね~と言って育てると、美人に育つらしい」と言っていたから、意図的積極的に言っていたのもあると思う。

5歳の時に、親や祖父母が、この子東大に行けるんじゃないのウフフみたいな話をしていて、私は「東大ってすごいところ? じゃあ行く~!」と発言をした。この発言は高校生になるくらいまで繰り返しひっぱられ、その度に父は頬を緩ませた。あいにく東大はさすがににムリだったけど。顔面の方も、まあ仲いい人には褒められることはある。くらいに人並みで、劇的なモテエピソードなんかは特に無い。

 

父はとても頭のいい大学の頭のいい学科卒業し、頭のいい人しか取れないような資格をとって、それでたくさん稼いでいる。ブランド志向というか、学校名前をすごく気にしていて、私の受験ときも、あそこは旧帝国大学だ、筑波大は横国に比べて昔なんとかかんとかだったから格上だ、とか、そういうところをニコニコと語っていた。

 

父は私のことを間違いなく愛していたと思うが、小学校低学年くらいまでのころは、子供の子供な所に我慢ができず、時々キレて怒鳴ることがあった。

私はすぐにものを散らかしっぱなし、部屋を汚いままにしてしま子供で(今もだけど)、「片付けなさい」といって片付けを始めても、他のことに気を取られてしまい、気がついたら片付けがちっとも進んでいない。ということが、たびたびあった。片付け以外にも、何か、やりなさいと言われて、「あとでやる~」と返事をしたきり、いつまでたってもやらない、ということはよくあった。そういう子供だった。今なら気持ちもわかるけど、子供の将来を思ってしつけが~とか、それ以前のところで、父はイライラしてキレた。(その気持も今はわかるんだけど)。

  

「なんでお前は言われたことができないんだ。」

「俺は命令しているんだ。俺がやれといったらただそれだけをやればいいんだ。」

「ただ1こやってほしいってお願いしているだけなのに、何でお前はソレ以外のことだけをやるんだ。」

「何回言わせるんだ。」

「お前は俺がやれといったことだけをやればいいのに、なんでそれだけのことができないんだ。」

「何度も何度も何度も。これだけ言っているのになんでわからないんだ」

 

なんていうか、たまに裏声混じりにでもなりかけた、抑揚のある言い方で、時には囁き時には大声になる、メリハリのある語り口で、父は私をよく、叱りつけた。

 

思えば反抗期は無かった。というより、させてもらえなかった、いや、できなかった。

父に少しでも叱られる…言及される可能性があることを避けていたから、いわゆる反抗期の時期は、自室でばれないようにばれないように泣くことが増えた。それだけだった。

家族で服を買いに行くことができなかったし、今でも親におねだりということができない。ちらりとでも、例えば「違うのにしたら?」みたいなことを言われると、なぜだかわからないけれど辛くて、泣いてしまう。

  

 

12月になって就活が解禁になって、自己分析とかそういうこと、その度に私は自分の卑屈さに苦しめられる。

頭ではおかしいとわかっているし、友人に溢す度に否定してもらっていることなのだけれど、自分存在企業にとって足手まといになるとしか思えなくて、つらい。失敗をして迷惑をかける未来しか思い浮かばないし、なにか自分決断が、ささやかながらこの社会に影響をおよぼすのかと思うと怖くて不安で、何よりも申し訳なく後ろめたくて仕方がない。

この気持ちはもちろん、就活ストレスになっていたり、ゆとりつくした学生から社会人へとなる上での甘ったれた逃げや、通過儀礼的なものも多分に含んでいるのだろうけれど。

あなたが重視する価値観は? という分析では、「他者への影響」がゼロで「組織への忠誠」がマックス、「先人や上司への尊敬」が次いで高かった。ちょっと気持ちの悪い結果だ。笑ってしまった。

 

この卑屈さをたどったら、父に怒鳴られ萎縮してただただ泣いた15年前を思い出した。そうか、小さいころあんなふうに怒鳴られたら、そりゃあ卑屈にもなるなって。

少し違えば反骨精神あふれる人間になったかもしれないけれど。なるほど、あの過去が今にこうつながるのね。納得。

 

でも、褒められた時のあの不快感けがうまく説明できない。

なにがあんなに嫌なんだろう。

私は父の笑顔のなにがショックだったんだろう。

育児論でよくNGとされる、「努力ではなく才能を褒める」ことをしたから?

じゃあ父は、どういう態度を取れば私は喜んだんだろうか?

 

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