ああああああ!
「りっきょう(道路の上を通ってるアレ)」って、「陸橋」か!!!
何故かずっと「立橋」だと思いこんでいた。
というか、漢字を意識したことが無かった。自分にとってアレは「りっきょう」でしか無かった。
これまでの猛烈に長い人生の間、ずっと勘違いして生きていた(国文卒)
こええええええ!
むしろ、今までどこかで「陸橋」って書いてあるりっきょうを見なかったのだろうか?
否、多分見てるけど意識してなかったんだ。
私は自称していません。
2004年のはてなアンテナから参入し、今年で18年目の古参と言ってもいいと思うのだが、自分には一才の文才がないと思っているし、過去いくつかブログをやってきたが文章でバズったことは一度もなく、ましてや見ず知らずの人の心の琴線に触れるような情緒的な文章や、披露するに値するような専門知識もない自分にとっては、増田に投稿することをずっと敬遠していた。
昨年9月にふと何の気無しに投稿をしてから、気が向いては適当な文章を書くようになった。
ちょうど一年が経過したので、どのくらい読まれたかを振り返った。その成果は以下の通りである。
エントリ数:96
0ブクマ:79
野球に例えて、1ブクマ以上を安打とする場合、96打数17安打で打率は.177で二軍落ち間違いなし。直近は16打数ノーヒットで復調の兆しも見えず。
1ブクマを安打、2ブクマ〜9ブクマを二塁打、10ブクマ〜99ブクマを3塁打、100ブクマ以上を本塁打とする(激甘判定基準)と、長打率は.404で散々たる成績である。
全エントリの半分くらいはブクマもコメントもされておらず、ネットの海に漂う藻屑と化している。
定期的に増田に投稿している他の人もどうなのか知りたいところである。
個別データは以下の通り。数字ははてなブックマークのブックマークされた数を示す。ちなみに、セルクマは一切やっていない(えらい)。
↑古い
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↓新しい
たまたまなんだけど割と有名な設計士に巡り会えたのでいろいろと話をしながら設計することができた
誰かの役に立てばと思うので残しておく
いろいろと話していて
「じゃぁいらないですよ多分」
って言われた。実際に要らなかった。外のゴミ箱はあるけど掃き出し窓から出ればいいので不便してない。
設計士と一緒に参考になりそうな家(建売)を巡ってたんだけど
だいたいどの家にも巨大なパントリーとか大きな食器棚とかがあった
「こんなにパントリーいらないですよ」
って言ってくれてたんだけど、流石にそのときは「大は小を兼ねるだろう」とか思ってたんだけど
住んでみて分かった。あんなにいらない。
食器棚も引き出し4段ぐらいで十分だった。
キッチンにごちゃごちゃ棚をつけずにシンクの上を開けることでスッキリ広くなった。
戸建てイコール4部屋とか5部屋みたいな感じなんだけど子供が二人ってこともあってそんなにいらない
周りの家を見ても空いてる部屋は押し入れになってしまってるようで無くて良かったと思っている
とにかく収納が多い家が持て囃されるんだけど収納なんてあったらあっただけ使ってしまって
捨てる動機にならないから要らないと伝えたら設計士も同意してくれて必要以上には付けなかった
階段の上下や洗面所の付近、ウォークインクローゼットと玄関のシューズクローゼットで十分足りた
前述の無駄な部屋もないので要らなくなったものはさっさと捨てる動機にもなっている
建築法で必要な窓はもちろん確保しているけれど極力窓を大きめにして集めることで
結果として外壁が一続きになって一枚の大きな壁になるからやたら重厚感が出て満足している
後で気付いたが確かに豪邸は壁を大きく作っている まぁ家もデカいからだけど
ちなみに窓が少ないが採光は全く気にならない
知らなかったが法令で24時間換気を必ずしないといけないようになっていて
そのせいで冷暖房した空気が外に逃げるため、熱交換型の換気システムの導入を勧めているようなんだけど
普通の24時間換気で十分だし、そもそも換気も止めて貰って問題ないとのこと
今時の住宅建材はハウスダスト対策がかなりしっかりしているから余程のことが無い限り大丈夫らしい
そして確かになんともなかったし、冷暖房費も全然かかってないから問題になってない
みんなも建売とか展示場で騙されないように
それこそツイッターで良いのでは
だから総理大臣にはふさわしくないのだなどと言い出す普段は差別差別人権人権とギャーギャーうるさい人らが、夫婦同姓を望む多くの女性をバカにし差別してるという自分の差別性に気付かない不思議。
1. 表現の自由戦士の自認
例えば百田尚樹氏の一橋大講演中止騒動などに興味は持てなかったし、一般の「表現の自由」にはあまり興味がありません。
表現の自由に明るい人々の話を聞くと、ヘイト本などは「買えば売り上げに貢献して癪なので、図書館が所蔵することで十分に批判されるべき」という意見が多数派のようですが、私個人は「目に入れたくない」「子供の目に触れさせたくない」という感想しか持てないのは、私自身の未熟によるところだと思っています。
刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)により、いわゆる無修正のアダルトビデオの販売は基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?
(現状の規制は適切だが、その上で、より広く規制すべきである、という考えの場合も、ここでは「適切だと思う」に含まれるものとします。)
適切だと思いません。
「わいせつ物」などよりも、性行為を禁止する方がよほど有意義だと思います。
3. 名誉毀損
適切だと思います。
いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定や罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?
(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定や罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれるものとして回答してください。)
難しい質問ですが、どちらかと言えば適切だとは思いません。
現時点では実効力に乏しく、一方で実効力を持たせるよう強めてしまうと萎縮効果も無視できなくなり、「現行法の限界」を解消できたとは思えません。
(性質上、名誉棄損などとは違い親告罪にはできませんので、例えば友人同士の悪態などに萎縮効果を生むと、弊害を受けるのは当事者たちだと思います。)
とは言え代案もありませんので、現状ではbetterと言わざるを得ないかもしれません。
行政裁量権の範囲内で対応できなかったのかな、とは少し疑問に思っています。
(例えば、在日外国人の団体などの法人格に対する侮辱・名誉棄損として訴訟を起こすとか、それを行政として支援するなどがあってもよかったかもしれません。)
ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?
適切だとは思いません。
日本赤十字社は、2019年、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボをしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
「このようなポスター」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、宇崎ちゃんのポスターが不適切だったとは思いません。
「このようなポスター」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトルに位置する人々に対する悪質な差別・虐待であると言わざるを得ません。
JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
「このようなパネル」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、ラブライブ!のパネルが不適切だったとは思いません。
「このようなパネル」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトルに位置する人々に対する悪質な差別・虐待であると言わざるを得ません。
8. あいトレ
あいちトリエンナーレ2019(「表現の不自由展・その後」を含む。)には補助金が交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?
適切だと思います。
違法・暴力的手段で合法的な展覧会を妨害するような、犯罪者・反社会的集団に迎合する態度はありえないと思います。
通読したことはありませんが、 『リアル憲法学』法律文化社 を一冊持っています。
まず、「見たくない」からゾーニングを求めているのか、あるいは「悪影響がある」からゾーニングを求めているのか、それらの論点を都合よく使い分ける人を良く見かけますが、大変卑怯な態度であると言わざるを得ません。
「見たくない」人のために一歩下がるのは時に必要なマナーだと思いますし、それ自体の不利益はそれほどないので、受け入れることは難しくないと思います。
一方で、「悪影響がある」と認めるということは、(「悪影響」の種類にもよりますが、)「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」という(差別的)構造を追認することにほかなりません。
議論の土台が、「この世に存在してもいい」ということを前提にしていない限り、その「議論」に巻き込まれることそれ自体を拒否する必要が生まれてしまうのです。
これは「議論を拒否したい」ということではなく、むしろ建設的な議論をしたいのですが、それが難しいということです。
(「見たくない」という感情に「悪影響」という理屈を付けるな、という意見もありますが、私としてはむしろ、「悪影響」という偏見を「見たくない」という同情の盾で守っているようにも見えます。)
また、「見たくない」人のためのゾーニングばかりが議論されますが、主題はむしろ「見られたくない」人々のためのゾーニングにこそあると思います。(前者ももちろん大切です。)
プライバシー権というのは、古典的には「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」とも言われましたが、これは自己決定権などとも関係の深い権利です。
例えば、「着たい服を着る権利」は、「公共空間に着て来るのだから、個人の自由では済まない」のでしょうか?
もう少し議論の分かれるところを言えば、「タトゥーを隠さない権利」についてはどうでしょうか?
安易な「ゾーニング」に反発する人々が求めている権利というのは、そういう意味で「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」ではないでしょうか。
「エロ」という多義的な言葉で議論されることが多いですが、「性的活動に必要なポルノ」ばかりではなく、「文化的活動に必要なファッション、アート、ジェンダー・エクスプレッション」であることも少なくないと思います。(宇崎ちゃんのポスターや、ラブライブ!のパネルは、後者であると思います。)
その意味では、ゾーニングそれ自体はむしろ我々の権利を守る大切な壁であると思っています。
しかし、「ゾーニング」という言葉がそのように使われる場面がほとんどないのは、腑に落ちないところです。
さらに、表面的には「性的活動に必要なポルノ」であっても、それが政治的文脈を伴い、「政治的表現」として表出される場面もあります。最も扱いの難しいものとして、そのような「政治的表現」が、ファッションやアートに転ずるという現象もあります。
これは最初の議論に戻りますが、「性的活動に必要なポルノ」について、「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」ものではない、という声を上げる必要も時にはあります。
身ぐるみ剥がされて草
残り2割はワイが貰うで
おじさんが愛するんだよ♥この愛棒で♥
この談話がすごい!2021
てめえでてめえのことを愛せなくて誰がてめえを愛するんだつってんの