「私なんて」:これが連発すると萎える。フォローしなきゃいけないのか、面倒だな
「でも」:でも、だって系はそれ以上話する気失せる。否定から入るなんて論外
「ムリだよ」:あっそ
すまなかった。相手にしないのが一番効くのを忘れていた。
起業するやつってね、人のいうこと聞かないんよ。でも、それは今までにないところを見つけて突き進むということの裏返し。
いうこと聞かないならともかく、承認欲求強いから、まともにアドバイスしても聞かない。
でも、変におだてながらアドバイスしてあげると、なめてくる奴がおる。舐めてきて、厳しいことを言うと裏でこそこそ小細工をして、こちらに迷惑をかけてくる。
多少おだてながらアドバイスをする。だけどもアドバイスは耳が痛い。そうだ。こいつの気持ちをおらせておだてがかりにさせよう。みたいなね。
これについては僕のわきの甘さと人の良さが悪いといわれたね。
だけども、よっぽど会社が軌道に乗って、多少の迷惑ではつぶれないようになるまで、起業家にアドバイスなんかしないと誓った。
まあ、周りに誰もいなくなったが自由にはなれたね、、、、。僕の会社も大概のものだけどね。経歴的に多少の経営の知識だけはあったんだけど。
そんな状態なのにアドバイスなんて誰がする?だから役所系中小企業診断士も銀行も頭を抱えつつ機嫌を取りつつ将来性薄い社長と接している。そんな話よく聞くよ。
でもそいつらは仕事で、役所や銀行家だから金をもらっての仕事だから。もちろん、こちらが真摯に対応してればアドバイスはくれる。
けど、どうしても抽象的にはなるね。こちらの事情全部わからないから。助かるけど。
ニュースサイトの見出しであからさまにおかしな見出しが昨今注目されているが、これを書かされているのが新聞社の地下にいるカッパなのである。ほとんどのカッパは日本語を介さないが、報酬のきゅうりはPV依存なので本文をなんとなく眺め、この辺をくり抜けばPVが集まるだろう・・・という部分を適当に抜き出して見出しとしている。そのため本文を読むと印象が変わったり、本文と矛盾するような見出しが並んでいる。
あまりにひどい見出しは階上のニンゲンに見つかり、特に記事を書いた本人の逆鱗に触れた場合はカッパ巻きとされてしまうが、カッパの替わりはいくらでもいるので人知れず中身のカッパが替わるだけという現状だ。まれに日本語を解する詩人カッパがいて、そのようなカッパは本文を5・7・5にすることに心血を注いでいるものもいる。
しかし最近はカッパの供給量が減っている社もあり、質の低い見出しを作るカッパをカッパ巻きにせず使い回しているところもあると聞く。より一層見出しの質は下がっていくのだろう。
それでいいんだよ
「お前面白くないな」の言い換えかなぁ。
空気読んで
これは複数に分けられると思う。直接的に加害があってやめてほしい時と何かを相手に押し付けたいとき。
出来るようになるから
これは相手に押し付けたいとき専用の言葉。逃げられないように爆発半径に相手を絡めよう。
正常化バイアス。自分は一般人に溶け込めていたという幻想に浸りたい時に出てくる言葉。一般的かどうかは関係ないと言える攻め方を探そう。
○○の意味わかる?
「死ね」の糖衣構文。そりゃ苦手だわ。
みんなそうだよ
「その話は今聞くとしんどいからやめてくれ」の意。切り口を変えて封じよう。一般的かどうかは関係ないと言える攻め方を探そう。
https://anond.hatelabo.jp/20171112000738
https://anond.hatelabo.jp/20170222223450
初めに言っておくけど、私は妊婦や産休を取得する人間を非難したり揶揄したりすることには全く賛同しない。そのような言説には与しない。人口再生産という共同体に不可欠な任務を請け負った人間は社会から出来うる限りサポートされるべきであり、また、就業に関しても最大限考慮されるべきだと考えている。
その上で言いたいのは、だからといって私は妊婦を叩く増田を非難できず、また非難したくはない。
皆リベラル的な言説(例えば悪いのは妊婦ではなく会社だから会社に言え、仕事を切り上げさっさと帰れ等)という言説を正論であると主張している。しかし、何をもってそれを正論と言い切れるのか?
個人の自己決定よりも同質的な共同体の繁栄に重きをおけば、正論となるのはむしろ保守的な価値観(性役割分担やモーレツ企業)ではないだろうか。(私は自己決定に重きを置くので反対だけど)
はてブが正論として扱うものは、本当に正論なのだろうか。そんなものは存在するのだろうか。結局は価値観というものに収束してしまうのではないだろうか。
ミクロに見れば、あなたが元増田と同じ苦境に陥った時、果たして仕事を無視して定時で帰ったり上司に人員補充を進言できるのだろうか。上司や会社から不当な扱いを受けたり解雇されるかもしれないのに?
私だって労働者の権利は守られるべきであり、時代に合わせた経営が行われると嬉しいと考えている。
しかし元増田がその理想を実行しようとして、結果不利益を被った場合、誰がどうそれに報いるのだろう。理想のための礎となれと強要するのであれば、戦中の日本やISとどう違うというのだろう。
元増田にかける言葉として「こちらの価値観に賛同すれば回り回ってあなたにも利がある」という言説はまだ説得力を持つが、「こちらの価値観に賛同しないものは不利益を被っても我々の関知するものではない」というのであれば、それは結局全体主義と何が異なるというのか?
多様性の中で認められるものには、旧来の家父長制や性分業といった価値観も含まれる。リベラルというのはこういったものも包括してお互いに強制せず、認めあうものではなかったのか。そしてそのために対話があるのではないのか。
自分たちの思想に賛同しないものを、旧弊な価値観から抜け出せない蛮族として扱うことこそ、下劣で野蛮な行為だと私は思う。そして元増田のような苦境にある人物と対話するときに重要なのは、働く女性の苦境を繰り返し説いてわかってもらうこと、また過渡期に発生する元増田のような苦しみに対し、出来る限りの理解に努めることではないのだろうか。
追記
私は共同体に重きを置く価値観を「持っていない」、だけども「働く女性を的外れに叩くバカ」であっても安易に叩くことはやめませんか、と言ってんだけど読めてないんか。
あと性役割からの解放を目指した結果今の産休制度とかがあるんだと思うんだけど…
id:ooishikuranosukenowakenai
共同体に重きを置く価値観を持つのは勝手だけど他人におしつけたり因果関係のない性役割だのモーレツを持ち出すのはやめような。あと働く女性が戦ってるのではなく働く女性を的外れに叩くバカが叩かれてるのが現状
http://b.hatena.ne.jp/entry/348633710/comment/ooishikuranosukenowakenai
銀行「お、がんばっとるなぁ 返済分もらってくぞ」600万ほい
従業員達「しゃちょ~」
零細企業経営者「いや、返済とか税金でお金はぜんぜん残ってないんだよ」
従業員達「あぁ!そんなことあるか!利益を還元しないなんて、ここはブラックか!炎上させっぞ」
従業員達「おら」200万ほい
ああ、よく見たら、学生のお遊びベンチャーに加えて、大企業出身者のベンチャーも混ざってるのか。
でもやっぱりそれは仕方ないかもしれない。やっぱり人を使うには普通では金が尽きるし、そこに出してくれる人はいない。
本来、起業は数か月で離陸しないとならない。でないと、金が尽きるから。だから、無償労働の人に頼る。
IT系となるとさらに開発期間の問題もあるから、数か月で離陸とかかなりの隙間を狙ってうまくつかまんと無理だね。受託を受けれたら受託屋になるのがいいかもしれんが。
3人雇えば、人件費月30万としても月100万飛んでいくよ。でも、月30万でどうにかできるような人ってあまりそこまで頼りにならんよ。
どうしても無休で手伝ってくれる人は望まれるというか、社長自身食い詰めながらやらんとならんものだしな。
それでも社長一人でやってたら、むしろ雑用のほうに仕事を取られる。社長自身も飯を食って生きていかないとならないけど、出資として貯めた金しか使えない。
投資家もベンチャーに出すと、成功した場合資産価値5年で10倍は求められるものだから削れるものは削ってほしい。
契約って、一歩間違えたら悪魔の契約だし、相手が無知でおだてたら木に登ってくれるのならおだてて木に登らせたい人間はいつもどの世の中にもいる。
須賀原洋行(@tebasakitoriri)さん | Twitter
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その後、ページ原稿を次々とアップするも途中で「編集部に怒られそう」と無断が発覚
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「出産する女性が悪いと愚痴る」と「経営者が悪いと愚痴る」で、前者が望ましいと感じる理由が全くわからない。
愚痴っただけで状況が改善しないのは両方一緒だし、出産する女性が叩かれ続ければ誰も幸せにならない上に、そのうち国も滅びる。
「経営者が悪い」という愚痴は、ある臨界点を越えれば組合運動なり法規制なり、何らかの実現性のある対策に結びつく可能性はゼロではない。
すぐ身近にいる最高のスターの卵にどういう形で並び立つかっていうスタンスの違いが描かれてるよね。
小春ちゃんはドレスを一緒に作ることでゆめちゃんをサポートし、時にはステージに共に立つことを選んだ。
対して、騎咲レイが選んだのは新たなブランドを立ち上げて、エルザが頂点を競える相手となることを選んだ。
今まで表舞台への最後の一歩を踏み出すのを避けていた状態から、ステージへと踏み出したという点では同じなんだけどその中身には大きな違いがある。
小春ちゃんはゆめちゃんが最高のアイドルになれることを信じていたし、ゆめちゃんも小春ちゃんなら一緒にアイドルになれることを信じていた。
同じ夢を共有した2人のアイドルの卵が長い時間をかけて叶えてきた夢の1つのゴール地点だ。
これからも手を取り合って更に高みを目指すという願いがそこにはある。
騎咲レイの夢とエルザの夢は一致しているが、その夢の中に騎咲レイの姿はない。
エルザだけがいる。
エルザが最高のアイドルとなる事がお互いの夢であり、騎咲レイはその計画の一部にすぎず代わりの効く歯車だ。
それはファンのためではないと宣言するのは、エルザを頂点に立たせるという目的意識の強さの表明だ。
ファンのためにステージに立ってしまえば、ファンのために自分が頂点を目指すことになる。
そうではない。
エルザのために、頂点を目指すエルザが切磋琢磨するに相応しいライバルとなるために自分はステージに立つのだと己に言い聞かせているようですらあった。
そう、騎咲レイは宝石を磨くための宝石、最高のアイドルを作り出すための最高のライバルであり、犠牲なのだ。
ゆえにプリンセスにならない。
己がステージに立ってもエルザなら絶対に己を打ち負かして頂点に立つと確信している。
その頂の高さを少しでもエルザの求める場所に近づけるための、エルザと拮抗し続けエルザを高みへと導くための砥石としてのライバルとなる事を選んだのだ。
自分が夢を託した相手の中にかつて見出した最高の輝きを現実のモノとすること。
だがそれぞれが夢を託した相手が見ている夢の形が違う。
虹野ゆめは幼いころに夢を語り合った2人がアイドル界を盛り上げることを夢見た。
エルザフォルテはかつて望んだものを手に入れることが出来なかった自分が、今度こそ世界に自分を認めさせる最高のアイドルとなることを夢見た。
そうしたゆめとエルザの夢のカタチの違いが、それぞれの相棒がその夢を実現させる形を返させたのだ。
どちらが正しいかではない。
どちらも尊い。
満を持して小春ちゃんとゆめちゃんのペアライブはそれはそれは尊かった。
夢を叶え、夢の続きを歩み続けることの喜びがあった。
それゆえに、それでもその道を突き進んでいくという姿に気高さがある。
騎咲レイという一振りの剣が嵐を切り裂きアイカツの世界に切り込むという騎士道の物語がそこにあった。
少数派だからかな