仕送り13万円だったらまぁ叩かれるか〜思って画像見たら家賃光熱費通信費込みかよ。全然たいしたことなくてワロタ。
「甘えてられない環境」ってところが叩きどころなのは把握したけど、それだけじゃなくて学生時代苦労してたり今でも貧乏な人間が必死に「俺なんて手取り〜」とか「奨学金が〜」とか言っててウケる。
つくづく親がお金持ってて良かったなーって思ったわ。
父親は口が強くて母親はいいくるめられるばかり。そんな父親が昔から怖くて怖くて、、、でもどうすることもできず逃げてきました。違う部屋にいます。
自分の性格的にも喧嘩はやめて!なんて言えません。情けないですよね。
2階にいますが、ずっと父親の怒鳴り声が聞こえてきて、、、怖くて
追記の疑問に疑問返し
>こういうのって効果ないの?
そのレッテルを、何の根拠があって似非正義だと決定しているのかが
ある個人の判断に依ったり恣意的だったり勝手な解釈が可能な以上、
>僕の都合の良い解釈かな??
うん。増田が「正義のヒマ人」になっているように見えるし、勝手なことを言ってんなぁと感じた。
何故増田に、それが意義のある議論か似非正義かを決める権利があるの?
これを線引きする作業自体が、すでに「正義のヒマ人」の罠に落ちてしまうリスクがある
アスレジャーとは、運動競技(athletics)と余暇(leisure)を組み合わせた造語です。
フィットネス・クラブやヨガ・スタジオなどで着るスポーツウエアを普段着として着用するスタイルをいいます。
米国で健康や運動に関心の高い女性に支持され、それがSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)によって急速に広がりました。
面接とかで取る入試制度を取ってる大学もあるよ。全部が完全にペーパーテストな大学はかなり少ない。勿論難関大学でも私立はそうだ。
まあ、ほぼ合否に関係ない名目上の書類提出とかは勿論そういう入試形式でも有りうるけど。
むしろ今の入試制度は、ペーパーテストがだんだん軽視されつつある。
一般入試こそペーパーテストだけど、他の形式の占める割合が大きくなってきている。
僕も昨日今出川の大学を受けてきたけど、私立入試は何回設けれるから「一発勝負」じゃないし。
地元で受けれるから負担も昔より減ってるし。まあ僕もちょっとあとにはW大受けるため新幹線を使わないといけないわけだけど……。
ただ、学問を学ぶ意義もないのに最難関大学に就職のために行くってのが問題だってのはとても良く解る。
例えば論文を高校生のうちに、仮に稚拙なものであっても「意欲」が図れるようなもを書く風習があったほうが良い気はしたし僕もそれを活用して大学を目指しただろう。
あとまあ国公立だとチャンスが限られてくるってのもアレかもしれん。
しかし、面接などで「意欲」を図るのは、ペーパーテストなどよりもよっぽど真の力が図りにくい。
数時間に渡る試験でも図れないようなパワーを、数十分の面接でどうこうできるとは思えない。所謂「コミュニケーション」出来るだけで、学ぶことの適性なき人間が有利になりかねない。
就職予備校は十分かもしれんが、学問を学ぶ場所としてのにそれはまずい。現状はペーパーテストが一番「マシ」なのだと思う。それを、推薦、AO、特殊科目入試などで補っているのが現状だと思う。
なお、科挙が廃止されたのは、アヘン戦争敗北から洋務運動・戊戌の政変などで「西洋近代化」が推し進められる中で、
科挙の出題科目は「儒学」であったことが、守旧的とみなされてなくなっただけのようにも思える。「古典を暗記して、解釈をする」だけが入試範囲だった。
今の入試は違う。どの科目も、なんだかんだ行って大学で学問をやるには役に立つ。あと、科挙はあくまでも「官僚採用試験」であり、官僚の適性を見るのが役目だった。それに古典しかないというのも問題だった。大学入試とは訳が違う。
まとめると、ペーパーテストはそれなりに合理的。回数を増やすことで、一発勝負の不安定感も一応軽減している。
別形式で、ペーパーテストで図れない力をみる入試もやっている。
それでもやはり、大学を就職予備校とみなして、学問を学ぶためでないのに入ろうとする人達は困りものだしそういうのと学びたい人を分けることのできる仕組みはやっぱり存在したほうが理想ではあると思う。ただ、現実にはそれはとても難しい。
http://anond.hatelabo.jp/20170129093131
AirDropの場合は意図せずして誰でも受信OKにしているケースが多いんじゃないかと思う。
でなきゃ本名と紐付けたデバイス名を晒して回るってちょっと考えられない。勤め先のIDカードを首から下げて電車乗ってるような印象を受けるんだ。
ポケモンのすれ違い通信はやったことがないからよくわからないけど、ニックネームが公開されるんでしょ?
自分が神経質なのかもしれないけど。
欲しいなら『ちょうだい』と言ってみれば?友達だけに買ってきてる感覚と同じだと思うけど。いい歳して『自分らだけでお土産楽しみやがって』とかなる?普通ならなくない?
焦った。俺のことを言ってるのだと思った。細部では違うが概ねこれ。
でもそうはならない(まだ諦めてはいない)。
それが回復することを願って毎朝起きるがそんな奇跡が起きることは(今のところ)ない。
本当に、どうすればいいんだと思う。
嫉妬は一切ない
と書いておきながら全くそう感じない
子供連れてくるなには同意するけど「汚いし病気持ち込むし」は風邪引いてても無理矢理出勤してきて頑張ってますアピールきめこむバリキャリも同等
最近、東洋経済オンラインの教育困難校シリーズを読むと泣きたくなる。
これ、うちの職場の話だ、と思って、泣きたくなる。
これ、どこにでもある話なのかな。
日本全国?
日本、まずくない?
毎日、授業にもならなくて、毎日、ババアとかブスとか、死ねとか言われまくって、
ちょっと強く言ったら、
そういう子に情熱を傾けるのが教員でしょ、それがやりたくて教員になったんでしょ、って
そんなわけねーだろ、バーーーカ!!
こんな目に遭うことまで想定して、教員になる奴なんていねーよバーーーカ!!
そりゃ仕事だから、時間かけて生徒には関わるよ。保護者とも話すよ。
すぐに結果が出ないってことだってわかってるよ。卒業して何年も何年も何年も経ってから、本人も気づかないところで人生に少しでもプラスになれば万々歳で、そうじゃないことばっかりだってことも理解はしてるよ。
公務員の給与プラスアルファで、朝7時から夜9時まで、昼休みなんて、パンを体内に詰め込む5分くらいで、クレームにうまく対応しながら、全く学校に行かない日なんて月に2、3日でも、休みの日だって狭い生活圏で、あの人は先生だって周囲に見られながら生活して、それでもそういう仕事だって、思ってるよ。
そりゃ、世間やネットで騒がれるアホな教員もいる。生徒にバカにされて当然っていう教員もいる。一つの専門分野に偏った知識だけがあって、コミュニケーションが苦手で。いわゆる発達障害だよね?っていう、生徒とも同僚ともうまくいかない、黒板と問題集だけがお友達の教員もいるよ。別にそれに特化して受験指導で力を発揮してるならいいよ。教育困難校にいたら、本当にただただプライドが高いだけで邪魔だけど。
でも、教育困難校で、罵詈雑言を浴びながらも生徒と向き合って頑張ってる人もいるんだよ。これまで大人にかまってもらえなかった生徒たちに少しでも役立つ知識と経験を、と思って毎日授業を工夫してる人だっているんだよ。
どんなに無茶苦茶言う生徒にも、説教するけど、最終的には皆でフォローするよ。
児童相談所に保護されると学校通えなくなるから、どんなに親に虐待されようと保護されるのだけは嫌だって泣く生徒を家に置くこともあるよ。
発達障害で親の言うことが理解できなくて家を飛び出した生徒を迎えに夜中2時に隣町まで車を走らせることもあるよ。
そんなことを言われて、そんな対応をされて
そりゃ鬱になるよ。やりたくなくなるよ。一生懸命やるだけ無駄だって思うよ。
好き勝手やってる生徒たちにも事情や背景があるのかもしれない。それをできるだけ汲み取りたいとも思うよ。
でも、事情があったら、教員は何でもかんでも受け止めなきゃいけないのか。
いい加減にしてほしい。
別に学校に来なくたって社会で生きていける奴はたくさんいるんだよ。学校だけが世界じゃない。全然学校にこだわる必要はない。
勉強も、コミュニケーションも、経験も、学校以外でもできるようにしてくれている大人がたくさんいる。
だから、別に無理して学校に来る必要はない。邪魔だから退学しろ、ではなくて、きっと君にもっとぴったりの道があるよ、って思ってしまう。
高校は、社会に出てから少しでも苦労しないように色々経験するところで、好きにやりたいなら、社会に出たらいい。
しんどいですよね。
私は今日は久しぶりに8時に帰れました。
国語なので、採点も大変です。
しんどいです。
私はもう次年度いっぱいで辞めようと思っています。
メニュー画面でしばらく何もせずに放置していると、突然ボイスが流れてくるゲームがある。
しかしあれ、「ああそういや放置してたわ助かったー!」ってことがそんなにあるのだろうか。
極めて個人的な感想だが、こちらが聴く用意もできていないのにいきなり声を出されるのは、
艦これみたいに、オンオフの設定があるのはいい。できれば全部ああしてほしい。
ただ、艦これは時報のボイスもあり、あちらに関する設定はないのがちょっとなあと思うこともある。
「だったらボイス全部切ればいいだろ」と言われそうだが、そう単純な話でもない。
中破や戦闘不能のボイスまで切ってしまうと戦況が把握しにくく、ながらプレイがやりにくいのだ。
この世界はシミュレーションの中にあるかもしれないといいますが、その前に。
そもそもシミュレーションの世界、本物の世界とは一体なんなのでしょう。
仮に t-1 の状態から t が計算可能な決定論的な「本物」の宇宙U1が存在したとして、
別の法則をもった宇宙U2の中でたまたまU1世界のある時点の t-1 から t を計算するということが行われたとしたら、
そのときU1の宇宙は「シミュレーションの中にある」のでしょうか?
考え方としてはその計算が行われるのは宇宙U3でも宇宙U4でもU99999999でもよいので、どこかの宇宙ではそのような計算が行われているはずです。
では決定論的な世界はすべて「シミュレーションされた世界」なのでしょうか。
そう考えると――例えば決定論的な世界の中で、t-1の状態には影も形も存在しなかった空中ディスプレイがポップアップして"こんにちは"と表示されるような――エデンの園配置の宇宙状態であれば、それは「シミュレーションによってしか作り出し得ない宇宙状態」と言ってよい気がします。
他の考え方としては計算に還元できない意識というものが存在しており、その意識が存在する世界が「本物」であとは「シミュレーション」だと言う考え方もある気がします。
https://twitter.com/menn/status/828906099692548096
このツイートは、山手線でiOSの共有画面を開いたら、AirDrop全員から受信許可マンがいっぱいいたよ、っていうツイート。
これって、ポケモンBWのCギアのすれ違い通信と似てないだろうか?
近くでAirDropを全員から受信許可にしている(=Cギアのすれ違い通信をONにしている)人数/名前(ポケモンはニックネームだけど)が見れるところとか。
と言っても、Cギアのすれちがい通信は近くに同じゲームをやっている人がいるということにワクワクしたんだから、iPhoneのシェアがある程度ある日本で周りにiPhone使ってる人がいるってことがわかっても、よっぽど人がいないところで発見したとかじゃないとワクワクしない事に気づいた。