どうも、細田守の新作が公開されると、はてなではアニメの話が盛り上がる。
特に盛り上がる話題が、ポスト宮崎駿は誰か? 的な話題だろう。
とはいえ、アニメ監督はスパイラルOP細田とドラゴンクエスト庵野(おっと、今や風たちぬ庵野と言った方が通りがいいなあ)だけではない。
かたや長編オリジナルアニメ映画、かたやBL原作の二分アニメの監督と今現在の境遇はあまりにも違うが、
まあはてなにいるようなおじさんにとっては
クリーミィマミの「わたしのすてきなピアニスト」回の人と言えば
「あーあの人ね」と通じるだろうか?
まあ通じなくても通じてもいいや、ともかくアニメ監督は作品ありき。
まあなんといっても代表作はこれだろう。
ブルーレイが最後にリリースされようと、滅多にテレビ放送されなくても、ジブリ作品はジブリ作品。
この作品の魅力は何か?
ざっくり言ってしまうと、
「ありのままを肯定してくれる優しさ」みたいなものが奥底に流れている。
空が飛べなくても、空を飛ぶ機械を作る才能がなくても、ただありのままの自分を肯定してくれる。
さて、海がきこえるの何が優しいのか。
いや、そうではない。
それも、両頬を。
主人公がぶたれるあの印象的なシーンは、実は右頬と左頬を一回ずつ殴られる。
このシーンは、主人公が男の目線から見ても、女の目線から見てもダメな奴だったことの象徴だろう。
そう主人公は否定されるし、肯定もされる。(肯定されるシーンはラスト少し手前の回想シーンが特徴的だろう)
そんな当たり前のことが、優しく思える。
ちなみに、主人公をぶつ松野(親友キャラです)が、左利きだからこそ、両頬を打たれるという展開になるのだけれど、
この彼が左利きという設定は、右利きの主人公やヒロインとの差異をよく演出していて、面白い設定ですね。
あともう一つ、海がきこえるで話しておきたいのが「ファーストインプレッション」という曲が流れるタイミングである。
この曲が流れるとき、決まって主人公は、ヒロインの新たな一面を見ることになる。
繰り返される「ファーストインプレッション」、もちろん言葉的には矛盾があるんだけど、
時系列的には最初のファーストインプレッションがテニスのシーン、
これとか俺(誰?)だしな
語彙が少ないからすぐばれると思ったけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20150808191732
c_shiika当たり
VB+Oracleのクラサバのプロジェクトのところに派遣された。
↓これみたいに、SQLを実行する前後を BeginTransaction〜commit/rollback で挟んでいるのだけど、
transaction = connection.BeginTransaction(・・・) command.CommandText = "INSERT INTO ・・・" command.ExecuteNonQuery() transaction.Commit()
↓のように、commandとtransactionを関連付けないと、トランザクション関係なく実行されちゃうよな。
transaction = connection.BeginTransaction(・・・) command.Transaction = transaction command.CommandText = "INSERT INTO ・・・" command.ExecuteNonQuery() transaction.Commit()
プロジェクトでトランザクションを使っているところを全部確認したけど、一箇所もcommandとtransactionを関連付けてるところがなかったわ。
まあ何年もまえからやってるプロジェクトで問題になってないんだから、俺が指摘して問題にすることもないかな。
あと、Oracleに接続するユーザーとパスワードが.iniに保存されていて、それもいいのかよって感じだったわ。
アプリ自体にはログイン機能とか権限によってデータのアクセス制限があるのに、アプリ経由しないで直接Oracleに接続したら全部の情報見放題になるわ。
開発現場は、派遣のPCはネットに接続させないとか生データは見せないとか情報漏洩に神経を使ってるに、実際に運用されるであろう現場ではゆるゆるっていう。
あれ人生の真理だわ。
女が求めてるのは、かっこよくて、かわいくて、ちょっと知的で、知り合いが持っていないモノ。恋のアバンチュールだ。
白人と付き合えば、それが一気に手に入るんだもんな。イケメン外人というステータスさ。
Say peopole ピカチュウ、ピカチュウ like that! to fxxk the JAP poor puXXy
今日、女友達から「クラブに行ったら知らない男におしり触られた~ほんと勘弁してほしーわ」と
勘弁してほしい割にはなぜか笑顔で言われ、「えーまじかーあんま行かないほうがいいんじゃないの」と
返したら「うーん、そうかも」と多分また行くだろうな~って感じの雰囲気で相槌を打たれた。
この女の子はどういう意図があってこの話を振っていたのだろう。
また、なんて反応したらよかったんだろう。
よくわからない。
フェミニストはミソジニストみたいにバカじゃないんで、強い女性が自由のために行動し、その結果(現代的な、その場にいない視点から言って)考えが足りない行動をとってしまったからこれはアンチフェミみたいなことは言い出さないので。
最近の音楽や芸術作品のタイトルは長くなっている傾向があるらしい。
Googleで検索されやすいように単語が増えてタイトルが自然と長くなったのではないかという説がある。
例えば、長いタイトルの小説は検索でヒットしやすいのでよく売れる。
そして、売れ行き好調な長いタイトルの作品を周囲も真似をする。
結果、長いタイトルの文学作品や音楽がさらに増えるということになる。
おそらくほとんどのアーティストは無意識的ではあるが、世の中の多くの芸術作品は知らぬ間にGoogleの検索アルゴリズムの影響を受けているというわけだ。
フェミニストが好きそうなヒロインの災厄振りまきっぷりがヤバい。
あらすじ(と感想)
汚染されて植物が育たず人の寿命が半分になった世界で、イモータン・ジョーというラスボスの男が汚染されていない水源と燃料を確保して一大勢力を立ち上げ、健全な植物・健全な人間を生み出し後継者にする研究をしていた。そして彼の砦の周囲には人が集まり障碍者でも生活できるような状態だった。
植物栽培についての考察があったので紹介→ http://ameblo.jp/a-c/entry-12057538569.html
主人公のマックスはそれと知らずジョーの縄張りに入り捕まってしまう。マックスの血は誰にでも輸血できるため、拘束され兵士用の輸血袋代わりにされてしまう。
ここに災いをもたらす女が登場する。ジョーの軍隊で将軍をしていたフュリオサである。(この映画はフュリオサの目的をマックスが補佐するような関係なのでフュリオサの方が主人公かもしれない。)
ジョーは汚染されていない子供を産ませるために砦の汚染されていない区画に数人の子産み専用の女を閉じ込めていたが、フュリオサは彼女たちを救いだし、燃料輸送任務で使っていた装甲車で汚染されていない土地へ逃げようとする。しかし本当に汚染されていない土地があるかわからない。後で明らかになることだが、子供のころに住んでいた場所に緑があったはずだという記憶を頼りにした見切り発車の逃走だった。しかもフュリオサは将軍のくせに部下たちの協力を得ることもできなかった。(生まれる子供にしてみれば汚染されず食料に困らない環境の方が良いよなと思った。それとここら辺はDV駆け込み寺問題や国際結婚の子供持ち去り問題が絡んで考察面倒そう。)
逃走はすぐにばれて裏切り者としてジョーの軍隊に追われることになる。このときマックスは輸血袋として戦場に連れて行かれる。フュリオサと元部下が戦闘になり彼らが大勢死ぬ。しかし運よく砂嵐に巻き込まれたり、マックスと彼の血を輸血されていたニュークスがフュリオサの仲間に加わったりとか、いろいろあって予定の逃走経路上にある谷にたどり着く。ここでフュリオサは谷に住む民と燃料を提供する代わりに谷を爆破して足止めするように取引していた。しかし「5人くらいのちょろい追手だから大丈夫よ」と言ってたのにフュリオサは砦の総戦力を追手として引き連れてきた。「話がちがーう!」と谷の民激怒。谷を爆破して追手の足止めしても、燃料を置いてかないで逃げるから、谷の民は装甲車を止めようとする。戦闘になって死者がたくさん出るし、お目当ての燃料は戦闘に巻き込まれて爆発するわで、谷の民は散々な結果。全部愚かなフュリオサと関わったせいである。
この辺の戦闘で子産みの女から死者が出る。装甲車から落ちて死んだので遺体はジョーの軍に渡り、一応おなかの子を取り出してみたものの死んでいることがわかる。奇形などない汚染されていない胎児が死んだことに一同落胆し、胎児の兄にあたる男は嘆き悲しみフュリオサたちへの怒りを燃やす。(フュリオサがやったことは次世代の破壊であったことを示唆している印象的なシーンだった。)
沼地で装甲車が立ち往生してジョーの軍に捕まりそうになったけどマックスが一人で追手に向かって行ったらいつの間にか倒してたりして、なんだかんだで目的地にたどり着く。砂漠の真ん中の鉄塔の上で若い全裸の女が助けてくれと叫んでいた。罠である。フュリオサの故郷の老婆たちが追いはぎをやっていたのだった。老婆は語る。汚染によってかつての緑の地は消え去り、旅人を待ち伏せて殺して生活していると。(出で立ちはなかなかキマッテいたけど、人の善意を悪用した卑劣な一族だ。)フュリオサは泣き叫ぶしかなかった。
その後、老婆たちと相談してもっと先まで行けば汚染されていない地にたどり着くのではないかとバイクで旅にでようとする。しかしマックスの「汚染されていない地がほしいなら、そんな不確定な旅をしなくても手薄になってる砦を襲ってぶんどればいいやん」という提案に乗り、元のメンバーと老婆たちとで再び装甲車で砦を目指すことになる。(どっちのプランも行き当たりばったりだと思った。しかし後者の案の機会は今しかない。)
再び足止めに利用した谷に差し掛かったあたりで、休憩中のジョーの軍隊に見つかり最終決戦に突入。味方からも死者を出すもののジョーとジョーの息子を殺し、ニュークスの自爆攻撃により追っ手を振り切ることに成功する。砦にたどり着き、ジョーの死体を晒し、フュリオサ一味が勝利したことを宣言。流れでフュリオサが砦の新たな主になった感じになり、マックスは神格化されていたジョーの死体に群がる人々の波の中へ消えて行ってしまった。
そんでこの映画は終わり。
なんか、フュリオサのやってることって行き当たりばったりすぎじゃないですかね?
最初から革命を狙っていれば凄い人物だと思いますが、マックスの助けがあって上手くいってただけでしょう。
そして、そのマックスはいなくなってしまった。ジョーの子供はまだ一人生きているし、子産みの女はジョーの子を孕んでいる。
これからの砦は前途多難だ。ちょっと調べてみたら、砦は滅びるという予想があったので紹介しときます。
http://dailynewsonline.jp/article/982485/
結論。
マッドマックスは、フェミニズムをテーマにした作品だと仮定するとおかしな描写が多いです。フェミニズムのシンボル的なヒロインが部下を裏切り、行き当たりばったりの行動で、敵となった元部下や自分を取り立ててくれた人類を汚染から救いかねない偉大な指導者、そして信じて付いてきた味方や協力者に大勢の死をもたらす様子を描写は、アンチフェミニズムと考えた方が自然ではないでしょうか?フェミニズムや女は危険だから引きずりおろした方が良いというイメージを広めるためのアンチフェミのプロパガンダ映画ではないでしょうか?
マッドマックスを支持するフェミニストの方って、あの犠牲を肯定できるんでしょうか?戦時プロパガンダで大衆は細かいところを見るとことなく、心地よい方向に誘導されるのかという考えが浮かんでこわかったです。
個人的にはおもちゃ会社を騙して作ったとされるイデオンとか好きなんで、フェミニストを騙して娯楽映画を作るのは問題ないと思います。
抑圧的な敵を描いた作品では、グレンラガンなんかが良いと思います。人類すべてが持つ螺旋力という不思議な力(おそらく生命力や想像力といったものを直接エネルギーとして描写したもの)が出てくるんですけど、それは宇宙をも滅ぼしかねない代物なんですね。それで敵の親玉が人類が増えすぎて螺旋力が爆発して宇宙を滅ぼさないように、地上に化け物を放って人類の頭数管理をしているっていう世界観です。しかも表のラスボスと真のラスボスという2重構成にしたことで、表のラスボス討伐後に社会の変化や用済みの英雄の扱われ方なんかもちゃんと描写しているんですね。全て終った後にどこかに消えてゆく主人公という共通点もありますし、グレンラガン=和製マッドマックスなんじゃないでしょうか?
ketudan1回全部読むまで「フュリオサ」と「主人公」が別人だとわからなかった。序盤の書き振りではどう見てもフュリオサがcentral characterだし、3段落目からなんの説明も無く「主人公」が現れてるのな。