とりあえず、パソコンがありゃできる、他に高い道具を用意しなくても始められる、って意味では簡単かな。
なのでみんなもやろう。
だから、「なんでもいいけど」、社会に負の影響を積極的に及ぼすだけの人生であることについて、個人としてどう思ってんのかな?って話。
うん。
だから「お前だけ」が頑張れ。
他人に頑張りを期待するな。
サイコパスのAO義塾塾長の文章に突っ込み入れるンゴwwwwwww
全文は http://aogijuku.com/tk2016/
今回の一件で悶々とする中で、改めていま私が為すべき事は何かと考えた時、
それは「AO入試を通して、全社会を牽引していく先導者を輩出していく」という原点を貫き続けていくことだと、思い至りました。
→勘違いやぞ
自らの頭で考え、行動することを身につけていくことをサポートしていきます。
→まず学力つけるのが第一なんだよなあ
そして、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
それは今回の一件でも痛切に感じました。
それでもなお、私はAO入試が、これからの日本社会にとって欠かせない入試形態の一つだと私は確信しています。
AO入試では、大学から受験生へ必ず「志(=大学で学ぶことへの目的意識)」が問われることになります。
「志」を抱くには「意識」が欠かせない
そして「志」を抱くには、
だから私たちが「意識が高い」と嘲笑されることは避け難いこととも言えるのでしょう。
しかし、これからの日本には社会への「意識」が高い人々が「異端」として嘲笑されてしまう少数派であってはならないと思います。
これからを担っていく高校生にとって、そしてひいては日本人全体にとって、
「社会への意識が高いこと」を普遍的なことにしていくためには、
AO入試という入試形態が社会の教育装置として不可欠だと僕は思っています。
とんだ思い違いやね
社会問題を解決していく、社会への高い意識を持った担い手こそ必要です。
→まあわかる
その担い手を育てる仕組みの一つこそ、私はAO入試なのだと思います。
一方で、一点刻みの受験戦争を勝ち抜くには、
社会へ関心を持つよりも、机に向かうことばかりが奨励されてしまいがちです。
→いかんのか?
もちろん、机の上での勉強や学力を身につけることは極めて重要です。
しかしその重要性は、勉強や学力は「手段」であることに対してであり、それ自体が「目的」ではありません。
→意味不明
点数のみで評価することは、手間がかかりません。
→根拠なし
大学での学びも「手段」であって、入学することが「目的」ではないはずです。
→一時的な目的を達成して、それから手段としての学びを行うことの何が悪いのか
高校生達が大いに学問することへの、それぞれの「目的意識」が最も大切です。
その目的意識を問い、社会全体で育てようとするのが、AO入試です。
このAO入試の可能性を活かして、
「ゴール地点」ではなく「スタート地点」へと描き直していきたいのです。
→一般入学者は大学入学がゴールとかいう妄想を押し付けないで下さい(迫真)
やはり、AO入試で入学するには、意識が高いことが求められます。
要するにバカってことやし
むしろ、意識が高いことで嘲笑されてしまう日本社会の現状こそ、最も正さなければならない深刻の病理だと、真面目に思っています。
そんなこと真面目に思ってるなら真性のバカやな
本来ならAO入試の導入に合わせて、学校が変化するべきでした。
学校がAO入試のサポートを万全に行ってくれるのなら、AO義塾の出番など必要なかったと思います。
学校という教育機関に、高校生達のAO入試への挑戦をサポートしてもらうことを期待するのは難しいのが実情です。
AO入試に挑戦する高校生をサポートするコミュニティを創りたいと決心しました。
幸いなことに、AO義塾は毎年、合格実績の過去最高記録を更新し、
本年度のAO義塾4期生も既に慶應義塾大学に150名以上合格することが出来ました。しかしそれを支えたのは、既存の塾・予備校の概念ではありませんでした。むしろ、全くその逆の概念でした。
→AO用の意識高い実績作りのための団体まで用意しているもよう
教える側、教えられる側という関係でもなく、
茂木健一郎とか
200人の塾生がいれば、200通りの志があります。
みんなそれぞれ、違う色、違う形をしています。
それが私たちにとっての誇りです。
合格を目指しません。社会に貢献出来る人材を輩出することを目指します。
そして、この信念は揺るぎません。
安定した時代には、常識的なライフコースというエスカレーターがあり、
それに乗っていれば、社会のことなど考えられずにいられました。
自らの頭で考え、行動出来なければ、一寸先は闇な時代です。
でも、そんな不安定な時代に生まれた私たちのような世代だからこそ、
スリリングだけれども、わくわくするような人生を送れる世代です。
明日がどうなるのか怯える人生より、明日を切り拓いていく先頭に立つ人生に、僕たちの世代はしたい。
※ポエム終了
そしてそれは全てAO入試に挑戦することで得られる学びです。
時代の転換に合わせてそろそろお役御免です。
こうした背景を考えれば、
やはり、新しい学びの場が不可欠です。
AO義塾はその新しい学びの場たらんと、
そして再出発の第一弾として、
「社会問題を考えるワークショップ」を12月26日(金)に開催します。
皆さんと一緒に「考える」機会としていきたいと思っています。
対象は高校生ですが、参加人数によっては、大学生の見学も受け付けます。
こうした企画等を通じて、全世界を牽引していく先導者となることを目指す、
ぜひ意欲溢れる、才能の原石である高校生の皆さんのイベントへのエントリーをお待ちしております。
それは「結果」で示してみせます。
斎木陽平
全体的に文章が下手で草生えた
なぜかこいつは脳内で一般入学者を大学入学がゴールの「意識低い人間」に仕立て上げてるんだよなあ
ネットも本当の初期のころはそうじゃなかった。
自分も似たよな状況になりかねないので、もうすこし詳しく書いてほしいな。
好きオーラはどのくらい出していたたわけ?
相手がそのオーラに気付いてくれていた感じはあったわけ?
言葉でそれとなく伝えたわけ?
前に取引した広報(制作進行ともいう)担当者がやってると言ってたよ。
ああする事でこちらの苦労を知って欲しいとか。
涙ぐましい努力だけど俺は買わないよ。
今になって思えば、サイバーメガネの組織運営能力はこのオフ準備会の時点で露見していた。
おいらが見た、はてブオフ会の準備が混沌化する経緯 - 淀川のほとりから見るセカイ http://dora-kou.hatenablog.jp/entry/2014/06/29/%E3%81%8A%E3%81%84%E3%82%89%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%80%81%E3%81%AF%E3%81%A6%E3%83%96%E3%82%AA%E3%83%95%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%BA%96%E5%82%99%E3%81%8C%E6%B7%B7%E6%B2%8C%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B
私は男性の大島弓子ファンです。最近、福田里香・藤本由香里・やまだないと著の『大島弓子にあこがれて』(ブックマン社)という本を読んだのですが、収録されているやまだないとと福田里香の対談にあった以下の内容を目にしてとても悲しい気持ちになりました:
(略)
やまだ「まあ、その言葉のあとに、『少女にうまれなかったんだからあきらめな』ってのが続くんだけど(笑)。」
(略)
やまだ「私は、男の人が大島弓子をわかりたがるのはね、大島先生に対抗意識をもっているからだと常々思っているのです。」
福田「なんか、男の人の逆鱗じゃないけど、何かに触れちゃってるってこと?」
やまだ「あれだよ。「君が夢中な大島弓子より、僕は君のことをわかってる」みたいな、「ほら、君って、こういうことを考えているだろう?」「僕が本当のことを教えてあげよう」って。ああ、大きなお世話(笑)」
なんというか・・・とても悲しい気持ちになります・・・。ポリティカル・コレクトネス的にどうかという問題は措くとしても、そもそも「大島作品についての語り」としてこれはとても悲しい気持ちになるんですよね。。
まず思うのは、特にキャリア後半の大島作品(『綿の国星』後の『ロングロングケーキ』あたり以降)は、もう作品の内容自体として読者の性別がどうのという類の物語ではないように思うんですよね。これは真摯にやまだないとと福田里香に問いただしてみたいのですけど、例えば、『夏の夜の獏』『つるばらつるばら』『毎日が夏休み』『ロストハウス』『グーグーだって猫である』等々の素晴らしい作品に心を打たれることにおいて、読者の性別とかが何か関係あるんですかね?
また、もう少し以前の例えば『バナナブレッドのプディング』だって、自分のセクシャリティをうまく受け入れることができていないような読者(私もそうでした)にとっては、性別に関係なく、この物語にひどく心を打たれるところがあるでしょう。(まさかやまだないとと福田里香は全ての男性が自分のセクシャリティを素直に受け入れることができているとおもってるんじゃなかろうな)
それにさ。
私が大島弓子作品を愛しているのはその世界に「自由」があるからなんですよね。本当は「年齢」なんて関係ない(『夏の夜の獏』)、本当は「性別」なんて関係ないし「時間」さえも関係ない(『つるばらつるばら』)、本当は「学校」なんて関係ない(『毎日が夏休み』)、本当は「家」なんて関係ない(『ロストハウス』)、本当は「人間」か「猫」かなんて関係ないし「飼う/飼われる」の非対称性も関係ない(『グーグーだって猫である』)、といったように、この世界の通念を「本当は〇〇なんて関係ない」と突き崩した先の「自由の輝き」が大島作品にはあるんですよ。
そして、大島作品を大島作品たらしめているのは、その「本当は〇〇なんて関係ない」という「自由」の輝きと、その「本当は〇〇なんて関係ない」と突き抜けた先で(のみ)生じる「ひとつの生きもの」対「ひとつの生きもの」の関係性におけるある種の「フェアネス」の美しさなんですよね。
で。その大島作品に存在する「自由」の輝きと「フェアネス」の美しさに照らし合わせるとですね、やまだないとと福田里香の「男の人は大島弓子をわかりたがる」という一連の揶揄に含まれる「自由」と「フェアネス」さの欠如には、本当に、とても、悲しい気持ちなってしまうのです。
なんか本当に悲しいんですよ私(ちな来月昇給)
いつ干渉なんて話になったんだ。
そんなもん最低限でいいから自分の科目の専門知識と、なぜ勉強するのか?に答えられるくらいの人生経験くらい持っとけって言ってるだけ。
西新宿にある就職・転職サービス運営の会社で似たような嫌な面接を新卒採用の時に受けた。
いまは会長職に退いてるけど、当時は社長のO氏から不快なことを言われた。
業界3位くらいだけど勢いあって、若手の仕事内容紹介でもハードワークなのを隠さず出していて、
なかなかいいなぁと思って選考受けて、社長との最終面接でモラルのかけらもないことを言われた。
中学から大学まで附属校で進学しているのを見て「ボンボン」とか「おぼっちゃまだな」と揶揄され、
父親の勤務先がマスコミなのを見て、「いいところに勤めてるじゃないか、コネで入れてもらえないのか?」と言い、
自宅の住所を見て、「うち(会社の所在地)の近所じゃないか?いいところに住んでるなぁ、ホントお坊ちゃまだな」と馬鹿にする。
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A:バージョンアップしてください
>210 geroimo ◆yglmp1Czy2 sage 2014/10/22(水) 19:38:51.40 ID:GPEAqpm/0 1回目
> Live2ch Ver1.28b3
>とりあえずageteyon sageteyonスレの既得件数とかがおかしくなるの修正。
>これ原因は単純で、なぜかこの機能を使ったスレのスレタイは、オケツにタブ文字が入ってるから。
> Live2chのidxファイル(スレタイとか既得レス数とか保存している)は
社会を変えるには時間が死ぬほどかかるし、本質的には働かなくても食えるくらいの技術革新がないと無理。
それまでの間の子供達には大人しく犠牲になってもらいましょう(教師がワークライフバランスとか言って家でどうでもいいテレビとか見る時間を確保するために)って話に加担して何も疑問に思わないんだ?って話。