http://anond.hatelabo.jp/20140913030928
間違っている。
我々は常に間違う生き物だという前提は正しい。しかしだからといって、間違うことを正当化してはいけない。
間違い続けることで人は成長するかもしれない。だが、そんなものは本人の利益であり、間違われることで傷つけられる他人にとってはなんの関係もないことだ。
やりなおすな。リスクをヘッジしろ。ハリネズミのごとく慎重になれ。
そもそも、俺達はニュースを判断するのに値するだけの情報を、知識を、知性を、想像力をもっているのだろうか?
ウクライナとロシア、どちらに味方すべきなのか。イスラエルとパレスチナではどちらにつくべきなのか。ISへの爆撃は妥当か。スコットランド独立にはいったいどういう歴史的文脈があるのか。南京で死んだのは何人か。右なのか左なのか、どちらかであったとして、どういうふうに振る舞うべきなのか。正義とは何か。相対主義は思考停止なのか、それともそう考えること自体が思考停止なのか。知的障害者 vs. 全盲少女。
もしかしたら。すべての叡智を兼ね備え常に正しい判断が可能なオズマンディアスかドクターマンハッタンだかは何人か存在するのかもしれない。はてブにも、いるのかもしれない。だが「そういう人たち」が俺たち自身である保証はない。
認めなければならない。俺たちは地元のチンピラにすらボコられるロールシャッハですらない。衆愚なんである、と。
俺達は阿呆であるからして、日常生活を普通に送っているだけのつもりでも何人かを傷つけてしまう。
なぜわざわざ必要もない事柄に首をつっこんで、通り魔的にさらなる暴力をふるってしまうのか。安いスターのためか。馴れ合いのためか。認めてほしいからか。
承認欲求は人間を成長させるかもしれない。だがその人間的成長とやらは他人を殺してまで手に入れるべきものなのか。そもそも本当におまえは成長しているのか。正気か? はてブで誰がいつどうやって成長した? はてブで進行するのは医者の診断が必要な類の狂気だけだ。
人間性を取り戻せ。
おまえは優しいこどもであったはずだ。できるなら誰も傷つけたくないはずだ。今度こそ間違えるな。いまならまだ間に合うかもしれない。
100文字で世界は救えない。世界を少しづつ削り取るだけだ。ネガティブなベクトルであれ、何かに影響を与えることはいいことだなんてお題目は犬にでも食わせろ。それを信じたやつらがどういう悲劇を生み出してきたか、はてブ民であるなら、その目で見てきたはずだ。
11時に寝て、5時に起きろ。朝食前に軽いランニングをするんだ。会社終わりにはジムに通え。身体を鍛えろ。筋肉はおまえに知性を与えてくれはしないが、情操にはプラスに働くはずだ。
しっかり生きろ。
ちゃんと生きろ。
……モデルの輪郭より以上にその輪郭のなかに完全に自分を埋めこんでしまえばいかに厳しく情容赦ない規範とても彼女を受入れないわけには行かないだろうという、絶望にみちた彼女たちの状況を示すものに他ならない。そして、それでもなお、彼女たちが発見するのは、それでもやはり受入れてはもらえないのだという最後の絶望である。
それはおタクの肥満体が、この競争社会の選別の構図からの際限のない脱走と反逆を象徴する、いわば「ユダヤ人の黄色い星」であるように、彼女たちのこれほど受入れ、従順に従っていてもまだダメなのかという恐怖と錯乱の象徴である。
彼女たちは体重を減らしたいからダイエットをしているのではない。美しくなりたいから、男にもてたいから、新しいファッションが似合うようになりたいから、モデルになりたいからダイエットをし、20kgにも痩せ細って生命までも危機にさらそうとしているわけでありはしない。
彼女たちが深刻に求めているのは、「社会に受入れられる」こと、それ自体である。
選ぶ側であって選ばれる側でなかった男の子であるからこそ、それが選別にさらされ、東大出、一七五㎝以上、五十五kg以下、眼鏡なし、ハンサム、やさしい、都会的、同居せず、などという人肉市場に連れだされたと知った時女の子以上の恐怖にさらされる。
それはしかし、これまでは買手でこそあれ売手になることはまったくまぬかれ、だからこそ買われる側の屈辱や恐怖、ナルシシズムの危機、諦念、などをさえ笑い物にすることすらできていたからこそのパニックである。
男の子たちは、女の子たちをさんざんみめかたち、女性としての機能、家庭維持機械としての機能、付加価値、新品かどうか、で選別したい放題にしてきた。
いまや社会と女の子から男の子が選別されることになったとたん、自分がすべての選別の条件から落ちこぼれたと知った男の子はおタクと化してカタツムリの殻に逃げ込んだというわけだ。逆からいえばそれほどに男の子は驚き、恐怖にかられたのだ。男の子のほうがたぶん格段に、これまで優遇されてきた分弱いのである。彼らは自分たちが外見や標準体重によって裁かれ、選別され、ランクづけられるだろうなどと想像したこともなかったのだ。
そして、もしそんなことになったところで、自分は不細工なほうだけれども学歴はいいとか、車をえさにいくらでも女なんかひっかかるとか、不細工で運転免許もないけどなにしろ空手五段だとか、別のファクターのなかにいくらでも逃げ込めたのだ。逃げ込む先がまったくなくなったと知ったので、今度は彼らは内宇宙に逃げ込んだ。つまりは彼らはどうしても逃げなくてはならないわけである。
タイトルを見た瞬間、「あっ」という声が出た。
その可能性には思い至らなかった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nhk.or.jp/shutoken-news/20140912/4565951.html
↓
はてなの皆(俺含む)『男はゴミクズ』『男に同情する奴もゴミクズな』
↓
それなら仕方ないじゃん。
↓
かと言って間違いを認めるのも癪なので、とりあえず、タイトルにヤジを入れてウサを晴らす、俺。
↓
冷静になった今。俺みたいな奴が、ネットで人を傷つけるんだ…
だがさらに冷静になろう。
そんな風に心配してばっかじゃ、そもそも、何もコメントできないじゃん。
「誰も傷つけない記事なんて無い」
だから俺は、俺を続けようと思う。
今、ブコメを書き換えた。”俺は間違っていない” という主旨に書き換えた。
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ちなみに、みんなの意見の変遷。
…基本的人権は大切だけど、自分の素直な気持ちには、嘘はつけないよね。
Before: 『明日全盲になるかもしれないだろ? 被害者の気持ちを考えろ』
After: 『加害者の気持ちも考えるべきだった』
女性のほうがけっこう目配りする人が混じってる確率はほんの少し高い
(夢中になっているとへんな人がよってきて手遅れになることがある)
けど男性はそうでもないんでその体験をおぼえててあげてください。
・逆に女性で男性のご老人をエスコートしたらなんかもやもやしたものがのこったことがあるわ。
・スマホがなくても以前も車内で自分の殻に閉じこもりたい人はどんなに狭くてもスポーツ新聞とか折りたたみながら読んでたので大してかわりありません。
目配りできる人は一握りだけ。
疑問の答えじゃないけど、静電気は木やコンクリに触るだけで放電されるから、ノブを握る前に壁にタッチするだけでだいたいバチッとくるのは防げるって。
ここにいる。ここに。
君が見てないだけ。
一昔前は、FtMや男っぽいレズビアンじゃない、性別違和のない異性愛者の女性でも、女性のできることに制限を感じ、男性の立場に憧れる女性がいっぱいいた。
やっぱゲイの方がレズビアンより露出は多いし、FtMだってマスコミの取材を受けたりモデルになったりしてるのに、皆MtFや所謂ニューハーフの人の方が多いように感じてる。
男はそう言うの関心ないんだよ。
オタサーの姫というのを最近知った。
それについてググッた結果、自分が苦手なタイプの女性は程度の差こそあれこんなタイプだ
サークルクラッシュとかそう言うほどでもなくても
男女比が男9割のような、需要と供給のバランスが狂った環境の場合
この感じが、大きめのIT勉強会やイベントでも見られるのがきつい
築数年のオフィスビルに入居しているのですが、なぜか非常階段の扉のドアノブが金属製で丸い。
そう、思い切り握らないと廻らないタイプのあれです。
球形であることによって誰が得するの?
*前提としてわが社ではエレベータの止まる階とそうではない階があり、この扉を使わないと移動できないフロアがあります。
*非常階段以外の扉はICカードで管理された扉やフラッパーゲートを採用しています。
1.両手がふさがっているときに扉を開けることができない
例えばラップトップPCとコーヒーカップを持っていたら開けるのは至難の業。コーヒーこぼれる。
2.ドアノブを握るのが気持ち悪い
何故か水滴がついている場合があってかなり不快。手を洗った後に拭かない不届き者が一定数いるらしい。
また外国人が多い職場なのですが、特定の国の人がトイレで手を洗わないところをたまにみかける。衛生的ではない上になんか腹立つ。
3.冬場の静電気が痛い
握らないと開かない方式なので、高確率で静電気を食らう。常に痛い。緊張の連続。
なんでL字型じゃだめなの?球形ドアノブ業者とオフィスビルの業者が結託してるの?
前々から気になっていたことなので書いてみました。教えてエロい人!
追記(2014/09/13 12:00):
三十半ばやぞ。。相手は絵やぞ!
コマさん気弱だけど優しくて弟思いなんだよ。
不慣れなことも頑張る健気な姿や、でもうまくいかなくて少ししょんぼりしちゃうところが胸に来る。
思えば自分も不器用な兄で、がんばってもうまくいかないことが多いのかも。
もっとちゃんとしなきゃと思いながらできなくて凹む。
都会に馴染みたくて弟にその姿を見せたいコマさんの気持ちがちょっとわかる。
エスカレーター乗れなかったりハンバーガーたくさん買っちゃったり、、、
応援したくなるんだな。。携帯の電波を探すコマさんの不安?と頑張りを思うと泣けてしまう。。
なんでこんなに感情移入してるのかなぞだが。。
少し前、祖母が亡くなった。
祖母が亡くなる1年ほど前に、祖父が亡くなった。
祖父は10年ほど前に脳梗塞を患い、その後遺症から、物忘れが激しくなった。
俺は大学に在学中、そして社会人になってからも、可能な限り実家に帰り、祖父母に顔を見せていた。
俺の親は共働きだったので、小学生の頃は、学校が終われば、近所の祖父母の家に行って、親の仕事が終わるのを待つのが日課だった。
祖母の見よう見まねで料理を覚え、祖父の夕飯にも出した。
「うまい、うまい。これは将来料理人だな!」と言ってくれたことが今でも忘れられない。
病弱だった俺が熱を出すたび、祖母は車の免許が無いからタクシー飛ばして総合病院に連れて行き、
本当につきっきりで看病してくれた。
祖父母には、書き連ねることが出来ないくらい、沢山の恩がある。
大学生になって、離れて暮らすようになったけど、できる限り顔を見せに行こう。
祖父母に顔を見せ、他愛の無い話をする。
物忘れが激しくなった祖父の話は、同じ話を繰り返す。が、それでも聞いて受け答えする。
母親が言う。「あんた、よくずっとおじいさんの話聞いてられるねぇ。」
俺は特に苦痛は感じなかった。祖父の中の俺の記憶が薄れてきているのを感じてはいたが、それでも苦にならなかった。
何年かそんな状態が続いたが、祖父は入院し、そのまま天に召された、
少しは恩を返すことができただろうか? と、そんなことを思っている暇は無かった。
アルツハイマーだそうだ。
朝から晩まで、居間でぼーっとしている。暗くなっても電気もつけずに。
祖父がいない初めての正月。アルツハイマーが進行した祖母は、地元を離れて10年以上経っている俺のことを、ほとんど覚えていなかった。
あんなに明るく朗らかだった祖母は、もうそこにはいない。いるのは、小さく弱々しくなった、俺のことを覚えていない祖母。
俺はそれが辛くて耐えられなかった。
何かと用事をつけて、実家に帰らなくなった。
それが続いて1年、祖母も後を追うように天に召された。
これ以上自分が傷つくのを恐れて、恩返しが出来なかった。
泣いてかすれた声で、そう言うのが精一杯だった。
こんなところで言っても届かないことは分かってる。けど、言わせてくれ。
「ばぁちゃん、ずっと世話してもらって、いっぱい迷惑かけたね。長い間ありがとう。
いつになるかは分からないけど、俺がそっちに行ったときは、またあのときみたいに、
ばーちゃんと晩飯作って、じーちゃんに食べてもらいたいな。」
わたしの高校の野球部は別に強くない。しかし数ある部活の中でも本気で活動していたほうだと思う。
しばらくすると、一組の親子が来て面談が始まった。その声を聞いてすぐに、自分の同級生だとわかった。
彼はこの夏で野球部を引退し、大学受験のために通い始めるそうだ。
簡単なあいさつがあって、そこからは塾長とその生徒による面談が続く。
得意科目や苦手科目、普段の勉強についてや部活のことなど、なんてことない普通の面談だ。
それに対して生徒は「はい!」「はい!」と元気よく返事するが、具体的なことは何一つはっきりしない。
「じゃあなりたい職業は?」「うーん、無いですねえ」
何かに懸命に取り組むのは良いことだし、青春に飢えた大人たちもさぞ彼を賞賛することだろう。
体育会系で育った人は「彼らには日々のキツい練習で鍛えた精神力がある」などと言うかもしれないが、
たとえそうだとしても、果たして後に残るものはそれだけなのだろうか。
わたしは文化部だった。活動の中で将来やりたいことも見つけたし、今何をすべきかもわかっていた。
だから運動部のことはよくわからないが、少なくともわたしには部活を引退した彼らが抜け殻に見えてならなかった。
部活から得られるものは様々だと思うが、一つのことに熱中しすぎることは案外危ういことなのかもしれない。
どれだけ野球を頑張っていたとしても、大学受験では大した利点にはならない。
彼らを賞賛する人は多いが、その後は誰も彼らを救ってはくれない。なんだかかわいそうだ。