はてなキーワード: 戦争犯罪とは
僕は多国籍軍が正義だと訴えたい訳ではなく、リビアの国民、カダフィに対抗する人たちの事を想うからこそ、多国籍軍ができるだけ少ない犠牲で迅速に成果をあげることを願っている。
介入までの経緯を忘れてる人が多いので、これを書こうと思った。
この文章 自体にたいした問題はないのだが、これを読んで「多国籍軍が悪い!カダフィは英雄!」と言い出す知り合いがいるのに驚いた。かなり平易に噛み砕いて説明してるから、仕方ないのかもしれないが、これを読んで「カダフィと反政府側がにらみあっただけで、世論を無視して多国籍軍が急激に推し進めて戦争始めた」と取る人がいる。
自分は、最後の最後までリビア反政府側の人々、つまりリビアの国民殆どを思えば、できることなら介入が行われない方が良いとずっと思ってた。事の経緯を見守ってた人の多くがそんな想いだろう。介入は望まないという大きな旗、あの写真は今でも忘れらない。リビアの民主化は、リビアの民衆の力で行われるべきだった。
しかし、一ヶ月あまりの間、あまりにも多くの民衆が犠牲になった。
今でこそ武装している民衆もいるが、多くが無抵抗やせいぜい棒や投石程度の武装で虐殺された。非人道的な兵器が民衆に対して使われた。爆撃を命令された戦闘機が命令を遂行できず、マルタに亡命したのを覚えているだろうか。掘り出されただけで数百人という単位で、命令に背いた高官が埋められていた。数千人が地下に閉じ込められていた。多くの幹部がカダフィから離反し、同胞を虐殺することを望まない軍も離反し始めたために、カダフィは傭兵を使って国民を攻撃し続けた。
その間、何度もいまこそ介入すべき時ではないかという論争があった。しかし、リビアの人の誇り高き「死は覚悟の上だ、最後まで自分たちで戦って自由を勝ちとりたい」という命がけの訴えを見て、出来るなら介入なしでカダフィの降伏まで行って欲しいが…と犠牲者数に呻きながら祈るような世論がTwitterでは主流だった。
むしろ、これだけの非人道的な虐殺が行われているのに、介入が今まで起きなかった事に、国際社会は本当によく我慢したとさえ思える。ブッシュだったら半月は前にもうリビアにミサイルを撃ち込んでいたのではないだろうか。オバマは最後の最後まで乗り気ではなかった。(昨日の声明がどっかに上がっているだろうから、読んでいただきたい。)
国連の決議が行われた直前には、反政府側の最後の拠点であるベンガジに総攻撃をかける、残り24時間で全てを終わらせるというカダフィ側からの通告があった。この時点では、介入も致し方なし助けに来て欲しいという意見もリビア国民に見られるようになっていた。もしカダフィ側が本気で空爆を始めれば、多くの国民が一瞬で死ぬ。これを受けたギリギリのタイミングで国連の決議が通った。
決議のすぐあとに、カダフィ側は「即時停戦する」という声明を出した。国連はすぐに攻撃を行わず、カダフィが本当に攻撃をやめるのか見守った。しかし、言っている事とは裏腹にミスラタへの攻撃は止まぬどころか、ベンガジにまで爆撃が行われた。
どうみても崖っぷちの状況だ。
介入はここで始まった。昨日のことだ。
介入を認めたくない、リビア人の手で民主化を成し遂げさせたいと思っていた自分でさえ、これ以上は無理ではないかという瀬戸際のタイミングだった。
しかし、多くの人はこれを聞いて「戦争が今始まった。多国籍軍が戦争を始めた」と取る。違うんだ、一ヶ月前からリビア国民の戦いは続いていたんだ。カダフィの虐殺は行われていたんだ。
一度介入が始まったからには、いかに民衆の被害を少なく、迅速にカダフィを降伏させるかを論点として欲しい。
英国はともかく少なくともオバマは最後まで消極的で苦渋の決断として今回の決定を飲んでいる。米軍は地上制圧しないと言っている。ブッシュのようにやらせまで使って世論を煽って正義を振りかざして攻撃したわけではない。始めに上げたブログで、世論は介入に傾いていないのにとあるが、それはオバマがブッシュのように世論操作しなかった、比較的冷静であった証拠だろう。
イラクがあのような事態になったのは、操作された世論によるところも多く、多国籍軍も正義を振りかざして攻撃しにいった感が強いが、今回は違う。介入が始まったからといって、絶対に最悪のストーリーになると決まったわけではなく、まだどのように被害を最小におさえつつ、どれだけ早くカダフィを降伏させるかという目的が残っているのだ。
たしかに、この介入で得をする国もあるだろうが、これまでのような「反米か親米か」「宗教戦争」「米帝」「イスラム教が悪い」などといったイメージにむりやり押し込めてリビアの状況を捉えないで欲しい。そして、そういうステレオタイプでしか見ない論争によって、カダフィの行った戦争犯罪、虐殺行為、なによりもリビアの民衆の意思と行動と犠牲がおざなりにされることだけは無い様に願う。
カダフィを擁護する意見の中には、カダフィの演説する支離滅裂な内容を信じている方もいます。カダフィは自分の敵を西側諸国の回し者だと言ったり、アルカイーダだといったり、麻薬漬けにされた反逆者だと言ったり、国民が電話を使えないように情報統制しておいて、「国民が私に電話で助けを求めている」等と言ったり、しまいにはアルジャジーラが黒幕だとまで言っていて滅茶苦茶です。最近は「英雄である私が国民を守る為にアルカイーダと戦っている所に多国籍軍を名乗る十字軍が侵略してきた」ことにしたいようですが。次に何を言い出すのか注目しておいてください。
さらに、多国籍軍によって国民が攻撃されたとリビアの国営放送では虚偽の内容を流し続けています。リビア人の中には「カダフィは捏造の為に、冷蔵庫に数千人の死体を用意している」という噂を語る人もいます。そんな噂が本当に信じられるような状況なのです。
多国籍軍が正義だとは言わないけど、それ以上にカダフィの言う事を信じるのは陰謀論がかわいらしくなるほどトンデモな事だと自覚して欲しいです。
同じ会社の技術者がしくじって、得意先に迷惑をかけたのを、新任の営業担当として上司と一緒に謝りに行ったんだが、
謝ってる最中も、先方から怒られてる最中も、「なんで俺がこんなことやってるんだろう」とばかり思っていた。
「会社に成り代わって謝罪してる」のは頭ではわかってるんだけど、感情が追いつかない。
さも申し訳なさそうな顔をして頭を下げたんだが、どこまでいっても演技で、誠意などあるはずもない。
ついこないだまで当事者でも何でもないし、事の経緯もついさっき聞いたばかりで、そもそも俺個人には責任はない。
でも会社から給料もらってる以上、「謝ってる演技」をしなきゃいけない。「反省のポーズ」をしなきゃいけない。
「ああ、社会人ってこういう事か」と思った。
で、当時の自分の立場と「韓国に謝罪する菅首相」の立場ってちょっと似てるな、と思った。
菅首相は戦後生まれだから、植民地支配や戦争犯罪に「個人として」責任があるわけじゃない。
でも立場上、お詫びのコメントを発しないといけない。
加害国の首相として、申し訳なさ気な「演技」をすることになるんだが、当然そんなのに心底からの誠意などあるわけがないから、
韓国から「誠意がない」と言われるんだろうけど、そんなのどうしようもない。
こういう状況で相手方に「誠意」を求められると、どこまで行っても解決不能になってしまう。
一般社会では、どこかで手打ちするか、一切の関係を絶つしかないんだろうけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1550289.html
こことか見てるとそんなこと抜かしてる奴が多いが、どれだけ英語メディアに幻想持ってるんだって思う。賭けてもいいが、こいつらは継続的に英語メディアから情報を得ようとしたことなんてないだろう。そうでなければ、欧米のやることは何でも正しいと思う白人崇拝主義者、英語マンセー主義者であるかのどちらかだ。
英語メディアの報道、なかんずく日本関連報道がどれだけ客観的かは、この辺知ってからにしてもらいたいね。
これらはどれも、夕刊フジや日刊ゲンダイみたいなタブロイドの記事ではなくNew York TimesやBBCあたりの高級メディアに見られるものだ。要するに、根も葉もないとまでは言わないが、日本に関する「不都合な真実」には尾ひれ胸びれ背びれあたりがつきまくっているのである(念のためカタカナ云々に関して言っておくと、漢語が外来語であることが完全に忘れられているのと、分かち書きのない日本語では文節・単語区切りを文字種の変化によって示す必要があることが見落とされている)。米英豪あたりの人間が「俺たち西洋人はススンドル」ということを自己確認するためのものとしか言いようがないのだ。日本の中国報道なんかにもかなり眉をひそめたくなるものがあるが、それが可愛く見えてくるほどの惨状だ。
というか、「リテラシー」がどうこうとか抜かしているお前らは「また大西か」という言葉を聞いたことがあると思うのだが、こういうときになると忘れてしまうというのが本当に不思議だ。所詮、英語圏だろうと日本語だろうとマスゴミはマスゴミだぜ?だったらまだ、明らかなトンデモは書けない国内報道の方がずっとまともだと思うのだが。例のWaiWai騒動のことをもう忘れてしまったのかね?あれこそ氷山の一角にすぎなくて、英語圏では本当に日本に関してはトンデモ情報がまともな情報を圧しているのだよ。一部の日本マニア(Japanphiles)たちの地道な草の根努力(たとえばJapanProbeをぐぐれ)があってどうにか日本は評判を保っているなんていう悲観的な見方もできるぐらいだということはもっと知られてもよい。
「日本国民である以上、過去に日本国が犯した犯罪に責任を持て」ってことなんだろうけど、
それならば「北朝鮮国籍持ってる在日は拉致事件に責任を持て」と言ってもいいんだろうか?
「一部の人間が国の名を借りて行った犯罪であり、一般の国民は無関係」と言うのなら、
逆に、国家や民族による犯罪は、その国家や民族に属する国民にも責任が及ぶとすれば、
右翼は日本の戦争犯罪の責任を認めた上で、拉致問題の責任を在日に追求すべきだし、
在日は北朝鮮の拉致事件の責任を認めた上で、戦争責任の追求をすべきだろう。
「〇〇については謝罪します。でもお前らは××について謝罪しろ」となるか、
http://www.japanprobe.com/2010/08/17/shinto-shrine-near-pearl-harbor/
英語だがめんどうだから翻訳はしない。短いから理解できるだろ?
ちなみに米国では真珠湾と9.11とバターン死の行進は南京事件と同列の戦争犯罪だが原爆投下や東京・ドレスデンなどへの無差別爆撃はよくて必要悪、悪くすれば正義の裁き。これを念頭に置いて理解すること。
ついでに、上記サイトJapanProbeは俺の知る限り、英語の日本関連サイトのうち、学術的なものを除けばもっとも良識的で知的レベルが高いところ。JapanTodayとかdebito.orgとかは評判だけは高いが内容は「英語版の極東板」(ただしターゲットは日本)なので、腹を立てたくない人は見ない方が賢明。
日本の戦争犯罪は無秩序で規律を著しく欠いた軍隊に典型的なもので、ソヴィエト赤軍とか中国国民党軍とか同様の例は沢山あるからね。
ナチスのやったことはそれよりもさらに一段階重い罪であり、そしてナチス的なるものはドイツから消え去ったわけではない(実際、ドイツに限らず西欧ではネオナチ極右政党がかなりの力を持ってるしそいつらが在特会並のごろつきであることは有名)というだけでそのことは明らかでしょ。
逆に、日本の「修正主義者」並の人間なんて旧連合国を探せばいくらでもいるんだよ。原爆投下や東京大空襲の肯定論者とか、西欧の植民地体制での搾取の否定論者なんてむしろ多数派なんじゃないかって勢いだし。ドイツだって国防軍(ナチスのSSとは別物)はむしろ民族の誇り扱いされてて、ナチスのユダヤ人虐殺に協力していたことはタブーだったわけだしね。
むしろ日本は客観的に見て歴史に対して総じて謙虚だと思うけどね。そう思われてないのは中韓の政治的な意図というよりもむしろ欧米のオリエンタリズムや、それに迎合する日本のサヨクが原因じゃないかと俺は思うよ。
それよりもそもそも、日本の歴史修正主義者をネオナチと同列視することに根本的に無理があるんじゃないの?
ドイツだってナチスはともかく国防軍の戦争犯罪については否定派は沢山いるし政治家の暴言だってたくさんあるわけだけど。実際は国防軍とナチスは切っても切れない関係だし、ユダヤ人虐殺に協力していた例なんてきりがないんだけどね。
イギリスやアメリカあたりに行けば植民地支配や無差別爆撃の肯定論者なんてむしろ多数派。
人種差別だってそうで、フランスではほとんど全会一致でブルカ禁止法案が可決したし、アメリカでは二大政党の副大統領候補だった奴が「WTC跡地の近くにモスクを建てるのは敵の勝利を意味する!」なんてヘイトスピーチまき散らしてるぐらいだ。
要するに、所詮は政治家のクォリティなんてそんなものということ。そんなことはだいたいなんとなくわかった上で「経済だよ、馬鹿(by クリントン)」と思ってるのが有権者のサイレントマジョリティなわけで(でもなければ小泉人気の説明なんてつくわけがない)、実際石原とかが十年以上都知事の座にいてもせこい嫌がらせ以上の悪事はできていないわけで、そこを「歴史問題が一番大事だ!」みたいにごり押しするから反発買うんじゃないのか。
あ、ちなみにこう言うと「ナチスも『そこまで悪いことはしないだろう』と思われていた」とか反論が返ってくると思うが、その反論は現在の日本がワイマール共和国と同レベルのカオスかどうか考えてからにしてもらいたい。少なくとも西欧に比べれば日本では極右の影響力ははるかに小さいわけで。
ttp://takedanet.com/2010/02/post_af6d.html
●ルーズベルトがこの世を去ったとの電報がヒットラー総統の元に届いたとき、ヒットラーは飛び上がって喜び、罵詈雑言を浴びせた。
「ルーズベルトは今次の戦争を第二次世界大戦に拡大させた扇動者であり、さらに最大の対立者であるソ連を強固にした大統領として史上最悪な戦争犯罪者として歴史に残るだろう。」
●ルーズベルトがこの世を去ったとの電報が鈴木貫太郎首相の元に届いたとき、貫太郎は静かに瞑想し、次の弔電を打った。
「今日の戦争においてアメリカが優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力が極めて優れているからです。その偉大な大統領を失ったアメリカ国民に、深い哀悼の意を送るものであります。」
「伊勢神宮を爆撃した者への神罰」
と報じた。
●ルーズベルトがこの世を去ったとの情報に小躍りする息子を、当時の日本婦人は次のように諫めた。
「あなた、立派なご老人が亡くなったのよ。喜んではいけません。」
・・・・・・・・・
ルーズベルトは人種差別論者として知られ、戦争前から「黄禍日本(黄色人種の日本は世界の禍だ)」と言い、「日本人だけは生かしておくわけにはいかない」と宣言してはばからなかった。
もちろん、それを知っていた貫太郎は、それでも「アメリカ人にとって偉大な」大統領を失ったアメリカ人に「深い哀悼の意」を表している。
民族には優れた民族があるかどうかは判らないが、「民族とその文化」の合計には、優劣がある。それは明らかに、
であった。
いえ!申し訳ないのはこちらこそ。お付き合いいただいてありがとうございます。
増田は交通事故の被害者や、新聞紙面に載る殺人事件の被害者にも、今回と同じような問題意識で持って「何を思うべきか」を考え込んでしまったりするのでしょうか。
たいていのことは考え出すと考え込みます。戦争然り事故事件然り。ただ事故/事件の発生を良しとした歴史や価値観を知らないので、ああ痛ましいなと思って、こんな風な「痛ましいな」の思い方でいいんだろうかと思いはしますが、そこで止まります。戦争犯罪とその他の犯罪は(その他の犯罪の中でもそれぞれ)性質が違うと思うので、同じようには悩みません。でも神聖視と言われればそうかもしれないなと思いました。区別なのか差別なのか自分でも分かりませんが、昔から戦争に興味があって。国内の暗いニュースだと治安や世間の変化や報道のあり方や、そんなことを考えてしまいがちです。
懐疑の意識を持つことに対して恐怖を感じるのは何故なんでしょう。平和であろうと、社会のありように懐疑心を持つことはおかしなことではないと思いますが…。また、立脚する正しさのなさへの不安から迷いが生まれているのなら、その足場を可能な限り確かなものとしよう、という方向性に進むことを考えたりはしないのですか。「何を思うべきか」で内面へと向かうことをひとまず置いて、外面からの理解を進めても良いんじゃないかと。
なんだかんだ言っていますが、実感としては戦争は悲惨だな平和な世界の方がいいなと思っていて、戦争は私が(知識として)知る物事の中で一番怖いものです。それを考えていて、自分の中で理屈(平和が善ではないかもしれない)と感情(平和が善だ)がイコールじゃなく、しかも自分がこの世で一番怖いものと同じかもしれないと思ったら、それは怖くないですか。社会に対して疑問を持つこと(例えば民主党政権の行く末を危ぶむような)自体が怖いわけではないんです。
正しさの足場を確かなものにしようとしないのは、ここでも感情(立脚する正しさのなさが不安)と理屈(ある正しさに立脚するのが不安)の対立があって、どうすればいいか分からないからです。そんなこと言ってたらなんにもできないじゃないかと自分でも思いますし、日常生活を営む上で私は私の正しさに則って動いているんですが、考えてみたら… →「私はなにを思えばいいんだろう。」というぐるぐる。
戦争と比較して平和が「良い」とされる点は、そうした意思決定の正否の問題とは無関係なように思われるからです。平和が全ての問題を解決してくれるかの如き過剰な期待がなければ、こうした問題を見て『本当に平和は良いものなのか』等と言う疑問は出て来ないのではないかと思います(それは押し付けられた平和教育の罪なのかもしれませんけど)。
意志決定の正否の問題とは無関係に、平和を良いものと断定できる、ということでしょうか。平和が万能だとは思っていないつもりですがその理屈はよく分りません。なぜ無関係なのか、なぜ断定できるのか、解説をお願いできますか? …本当に長々と付き合わせてしまって申し訳ないです。
そうなんです。だから「思うこと」が問題になって… →「私はなにを思えばいいんだろう。」
なにもかも思うこと故に起こるんだし思わずにいることはできないのだけど、なにもかも思うがゆえに起こるなら何を思うかは重要で、しかし何を思おうかを思うことで既に私は思っていて、あれ?というぐるぐる。思い続けることを非難する気持ちは少しもありません(ここでいう「思い続けること」は他者への不寛容とは別物です)が、レトリックになるくらい当り前に、思い続けるが故の戦争であり平和でありなんです。
ついでにいうとわざわざそういう事例を持ち出したことの含意も考えてもらえるとなお幸いです。
自分なりに考えて答えました。考えが足りないならストレートにご指摘いただけると助かります。
増田さんのいうことを自分が理解できていないのか、いいたいことを伝えられていないのかがもう分からないので、できるだけ分かりやすく書いていただけると嬉しいです。自分ができないくせに求めてごめんなさい(これが私の精一杯です)。なんかずれてるなあと思うのですが、うまく説明できないし説明したそれがまた伝わらない(ように私には思えるのだけど実際どうだか分からない)し。いつも似通った発想をする人に囲まれて、その理解力に頼っているんだなぁと痛感しました。
ちょっとひどすぎるよ、もう。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090914/p2#c
しかし彼は「ポル・ポト」ってことばが使われても「不愉快」とは感じないんですよ。この反応の違いにはもちろん理由があるわけで、彼が(そして彼を擁護しているパチもんが)徹底して目を背けているのはその部分であるわけです。
どこまで印象誘導すれば気が済むわけ?
その反応に違いがあるのは、理由は一つ。そもそもHALTANは左翼に親和的で、猿みたいな衒学的な議論にのっていた。だけども、小難しいことをいって、さもご立派なことを言って他人を煽っておきながら、その実態は単に自分のことしか考えてない連中ばかりだったという失望があった。それでHALTANは左翼を信用しなくなったんで、彼のブログはそれしか言ってないといっても過言でない。
簡単に言うと、そういう言辞に素朴にのってしまった自己嫌悪がすごいんだよ、HALTANの場合は。そこを踏まえておかないと、あのブログは何にも分らないよ。
自己嫌悪も加わるから、だから左翼に対してより厳しくなるわけで、では右翼の渡辺昇一の肩を持つのか、そもそもHALTANは右翼かというと、ブログを読む限りでは全然そんなことがないわけだ。もともと右翼に親和性がないから「あっそ」で終わる。それだけのこと。
それだけのことなのに、よくもまー、これだけ印象誘導するもんですな。
むしろ、左翼に反感を覚えているというだけで、ここまで印象誘導する猿によっぽど「心の闇」を感じるね。何様のつもりだよ、いったい。ものを知ってるのがそんなに偉いのか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/HALTAN/20090916/p1
Apeman なんぼあがこうが、「場違い」だの「飛躍」だの「恐ろしい」だのと「偉そう」に書いた挙げ句、新書一冊読めばわかることをふまえてないことを指摘されて逆上した・・・という事実は消えない
新書一冊読めば、トリアージとホロコーストを絡めた議論に納得できるっての?できないよ。それができるのは、猿の仲間だけじゃないか。
それより、「所得の再配分」とはどういう意味なんだ。「逆さに振っても鼻血も出ない」とは思われない金持ちから分捕るというのが本音でしょう? しつっこく「所得の再配分」といいかえてるところを見ると、なんとか印象操作してごまかしたいというところだろうが、そうはいかないよ。
つまり、コアな左翼っていつもこれ。人のいい振りして、他人を釣って、でも実態は違う。本音は「脳の失敗」なんぞというタグを見たって屁とも思わん人間の集まりじゃないか。
ホロコーストでも南京事件でもなんでもいいが、他人の血や涙と、お勉強で得た知識でこけおどして、まずくなったら印象操作して他人を悪者にして、それで人のいい読者を釣るなっての。そういうことをやっている限り、猿の戦争犯罪に対する問題意識はカスになる、ブログの記事も全部ガラクタと化すんだ。いい加減にしろよ、もう。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090914/p2
猿はひでーわ。もう辛抱ならん。
そのxについて基本的なことは把握していることが必要である・・・というのはそんなに理不尽な想定なんですかね? 「あんた、xは場違いだって言うけど、そもそもxについてろくに知らないじゃん」と言ったら「知らなくて悪いか、このxオタが!」って言われたんですけど。
HALTANは知らん知らんとボケてるが、一応世間の人並にホロコーストは何か知ってるには決まってるじゃないか。それともなにか、戦争犯罪を語るには猿やそのお仲間なみでなきゃいかんというのか。HALTANが「戦争犯罪のことなぞ私はよく知りません」というのは、ただのあてつけだっていい加減にもう気づけよ。
毎度毎度、自己正当化のための印象操作がひどすぎる。「所得の再配分」もそうだし、これもそう。そこまで自分の間違いが認められない人が、なんで戦争犯罪なんて扱えるんだ。戦争犯罪って、人間の過ちを認めるものであって、当然その罪は自分の中にもひそんでいるはずなのに。
「心の闇」ってのはこういう時にこそ使いたくなるフレーズだね。
心の闇という言葉はあんたたちこそふさわしいよ。だいたい、お仲間さんは最初はHALTANになんて言った。「脳の失敗」なんてタグまで創作した人たちだろ。左翼のくせに。どっちが心の闇だよ。本当にひどすぎる。
靖国は明治に国家の要請でつくられた官製の神社で、たとえば西南戦争の朝敵側など、国家に敵対した側は祀っていない、その意味で、非政治的な鎮魂の社という主張は欺瞞的。
ただし、国家に身を捧げた人々を追悼し、称揚する施設は、近代ナショナリズムの論理からいうと、まあ、あっておかしくないし、当然という意見もある。普通の話。このへんで、その形式が特定宗教だから揉める、というのは、ほかの国でも最近になってのことだから、そこに無神経でも、それほど「遅れてる」ともいえない。ただし、改善した方がよい、のは当然。
ポイントとしては戦犯問題については、極東軍事裁判を日本は国家として受け入れた、それが前提になって国際社会に復帰した、という事実があるので、それを覆すような政治的メッセージを送ることは、サンフランシスコ平和条約にもとづく政治的枠組みを壊すものだと見られても仕方がない、ということ。つまり、戦犯を戦犯視し、政治的に称揚せず、戦争犯罪者とみなす、というのは、国内問題ではなく、国際的な約束という側面もある。だから、そこを変えたいのであれば、国内世論だけでなく、当時の戦争の関係国にも納得してもらう必要がある。これは、東アジア諸国が干渉的であるとかそういう問題ではない。たとえば、オーストリアは終戦時に国際的な約束としてドイツとの合邦を禁止された。これも、これを変えようと思ったら、国内世論だけの問題ではない。そういう、これを条件に戦争を終わらせますよ、という条件のひとつであった、ということを意識する必要がある。
国内問題としての政教分離としては、靖国が国家によって、特権的地位や恩恵を与えられているか、という問題が一つ。国家の公的な追悼施設として位置づけられているとすればそういえる。現状は微妙な位置づけなんだよね、これ。事実上はそう見られているけど、制度的にはそうではない。このへんのねじれを解消するのはよいことだろう。
もうひとつこれと関連する話だけど、人権問題というか信教の自由との絡み。非神道者を祀ることの意味、もちろん、オバマの背後霊に悪口を言わせるのも合法ではある以上、靖国に少しも公的な性格がないのなら、問題はない。ここで、事実上、というのが、判断の微妙な、というかめんどくさいことになっている。キリスト教徒が神社にかってに祀られた場合、普通は、まあ、微妙にありではあるんだろうけど、でも、よく考えれば、いやがらせ的ではあるよな。ほめられた行為ではない。
セーブ・ダルフールは近年のアメリカでもっとも大規模な運動のひとつだ。
ダルフール紛争が一年経過したころにこの運動ははじまった。平均的なアメリカ人にとっては何の縁もない地方の紛争である。レイプや殺人、ジェノサイドといった物語が新聞をにぎわし、それがダルフールを物語る言葉となっていった。この暴力を阻止するという動機にもとづいて、何百万人という市民が動員され、運動が盛り上がっていった。
しかし、その後5年たってみて、ダルフール紛争は近年でもっとも誤解された紛争のひとつとなってしまった。
というのもダルフール問題の活動家は運動を盛り上げるために、ダルフール紛争の本質を捻じ曲げたキャンペーンを行い、実態よりもセンセーショナルに扱ったからだ。
「何十万のダルフールの人々が”殺された”」というのだ。
活動家たちが認めたがらなかったのは、被害者の大多数が本当は紛争に起因する病気や栄養失調によって死んだのだという事実であった。
確かに、ダルフールで発生した圧倒的な戦争犯罪行為の事実を前にしては、病死と殺害とを識別することには、さして重要な意味はないのかもしれない。しかし、こうした分類の仕方に無頓着になった多くの活動家は、アメリカ政府に対して人道的な救援や平和構築よりもむしろ、暴力抑止や国際PKO部隊の派遣のための予算を要求するようになっていた。
セーブ・ダルフール連合は、政治家に圧力をかける多くの支持者を動員してきた。さらに、彼らは政府に暴力の抑止と国連部隊の派遣を働きかけるべくロビイストを雇っていた。
ロビイストが活動する以前のアメリカ政府は、ダルフール問題に対して10.1億ドルを投じていた。このうち、8.39億ドルが避難民キャンプや人道的支援のために使われ、平和維持活動のために直接割り当てられたのは1.75億ドルであった。このことは、当初、アメリカ政府が平和維持活動よりも人道支援に重点を置いていたことを意味する。
ところが、2006年から2008年にかけて、セーブ・ダルフール連合および他のグループは、政府に人道支援から平和維持活動に資金の使途をシフトさせようと働きかけた。恐らく、ロビイストと市民運動の盛り上がりによるものだろう。
これにより、現在までに支出された20.1億ドルのうち、51.3%にあたる10.3億ドルが人道支援の目的で使用され、9.8億ドル(48.7%)が平和維持活動にあてがわれることとなった。この比率の変化は人道支援から平和維持活動への重心移動を物語るものだ。
結局のところ、政府がこの比率を変えたことには大きな問題があるといわざるをえない。というのも、被害者調査によれば、ダルフール紛争の影響下で病死したり栄養失調で死亡した被害者の数が高止まりしているなかで、「殺害された」被害者数は2004年4月8日の停戦以降は著しく減少しているからだ。
もしダルフール活動家が資金の使途について軍事介入を重視するよう迫っていなければ、もっと多くの命が救済されたのではないのか。
また、多くの活動家がダルフール紛争の本質を見誤っていることも問題だ。彼らはスーダン政府および野蛮なアラブ部族が関与した虐殺については責められるべきだとしており、「セーブ・ダルフール」は、多くの宣伝、ニュースレターあるいはウェブサイト上で「進行中のジェノサイド」という言い方で紛争を表現している。
ジェノサイドという用語は、もともと事の重大さを国際社会に喚起するために使われた言葉だ。この言葉に触発されて、各国政府や国際機関が迅速に紛争に立ち向かうわけだ。
活動家は善意だったかもしれない。しかし、「ジェノサイド」という言葉が大衆の間で広まると、有責な事柄と無罪の事柄のバランスが失われ、予想もしなかったような事態になった。
「ジェノサイド」という言葉は、単一の志向をもった犯罪を示唆する。しかしながら、犯罪に関与した者たちが、実際、定義されたとおりの犯罪者であるかは定かではない。
もちろんスーダン政府はダルフールにおいて多くの人々を殺害しており、この点の戦争責任は免れえない。しかし、反政府勢力もまた、いくらかの責任を免れないだろう。国連がダルフール調査団を派遣した際、多くの反政府グループが深刻な人権侵害や人道法上の違反を犯していたことが明らかになったからだ。
つまり「ジェノサイド」という言葉は、紛争のある一面を浮かび上がらせるのは確かだが、それによって他の一面が逆に隠されてしまうことがあるのだ。
ダルフールについていえば、「ジェノサイド」という言葉が膾炙することによって、反政府勢力が国際社会のレーダーの捕捉網から感づかれずに済む効果を生み出してしまった。また国際社会の関心をもたれないまま、人道法違反を野放図にすることを許すことになったのだ。「ジェノサイド」という言葉にこれほど注目しなければ、恐らく活動家は反政府勢力の犯罪を見逃さなかっただろう。
例えば、ダルフールの反政府勢力の有力なスポンサーはエリトリアやチャド、SPLM(スーダン人民開放軍)だが、彼らは、昔からアメリカ政府の支援を受けてきている。つまり、反政府勢力のライフラインを支えているのはこれらの国や組織だ。
今日、ダルフールの状況は歪んだ見方がなされている。進行中の紛争や暴力行為の多くは盗賊や無法者そして部族間紛争に起因するものとみされている。UNAMID(国連とアフリカ連合(AU)の合同PKO部隊=国連・アフリカ連合ダルフール合同活動)によれば、09年6月における死者数は16名であり、いずれもスーダン政府軍と武装勢力との衝突によるものではなかった。
昨年一年間におけるダルフールでの被害者数は、政治学者が内戦と定義する一年当たり1千人の死者数を下回っていた。
このように状況が変化しているにもかかわらず、多くの活動家はスーダン政府が大規模な攻撃をダルフールに仕掛けていると論じ続けている。「進行中のジェノサイド」「ダルフール戦争」という言葉が、いまだに活動家の資料や宣伝に頻繁に使われているため、多くの人がダルフールはそんなに変わっていないのではないかと思い込んでしまっているのだ。
ただ最近、オバマ大統領は現状を指して「ジェノサイド」という言葉を使っており、国務省とアメリカ大使も、ダルフールのジェノサイドは終わったと主張しているスコット・グレイション(スーダン特使)と距離を置いているようだ。
しかし、そろそろアメリカ政府とダルフール活動家は性質においても規模においてもダルフールの状況は一変したという認識をもつべきだろう。
軍事介入や紛争の一方当事者(スーダン政府)の断罪のかわりに、平和構築と2百万人を超える国内避難民の救援に力を入れるべきときだ。
作者:マーク・グスタフソン
NHKの「A級戦犯は何を語ったのか」を見て、初めて知って大変興味深いと思ったことが二つ。
・南京大虐殺に対する責任が、A級戦犯が判決を受ける主因として問われた。
これは大変重要なこと。つまり、南京大虐殺がちゃんとあったことが東京裁判で認められて、A級戦犯がこれを理由に判決を受けているということだ。他にも細かく見ていけば日本軍の戦争犯罪はたくさんあったはずなのに、南京大虐殺があえて選ばれたのは、南京に外国人がたくさん住んでいて、証言や証拠が集めやすかったからだろう。
・インドのパール判事など一部の判事が異なる意見を表明した話は有名だが、結局、こういうことらしい。英米法には、共同謀議(Conspiracy)という独特の概念があって、要するに相談するだけで罪になるというもの。これが、A級戦犯の戦争犯罪を追求するために使われた。ただ、この概念は英米法に特有のものなので、それ以外の国の判事にとってはなじみがなく、異なる意見を表明するに至った、ということらしい。
id:simulacreです。普段「増田じゃなくてはてダに…」と言ってますがチラ裏な内容なのであえてここに落書き。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/blog/onuka/2009/01/21/entry_27019611/
>>id:napsucks 自己責任論を批判する人は「戯言」とか「クソみたいな意見」などという罵倒をするだけじゃなく、理詰めでこの人を論破できるの?力ずくでこの人を黙らせたって多くの人々の「心の疑問」を封殺することできないよ?<<
http://japan.cnet.com/blog/onuka/2009/01/21/entry_27019611/
↑なぜこれが「クソみたいな記事」で「戯れ言」なのか。
>>景気が良く、派遣やバイトでもいくらでも結構良い給料の仕事がある時は、適当に職を変えながら遊んでいた人たちが、景気が悪くなって派遣が切られたら(不況の時切られるのが正しく派遣やバイトの本質)あわてて文句を言う。<<
>>サヨクがかったマスコミは何でも”大企業が悪い” ”政府は労働者を守るのが仕事” と言う時代遅れのスローガンをかかげて政府を攻撃する<<
いやー、どっかで聞いてきたような紋切り型の派遣村叩きだね。じゃあ本当にあの派遣村にいる連中が「童話のキリギリス」よろしく、本当に「適当に遊んでた人たち」なのか。というか、農業や飲食業を「3K」って?それに「政府は労働者を守るのが仕事」なのは当たり前だろ。国家が国民を守るのは当たり前なんだから。右も左も関係ないよ。
>>私の姉は60歳近い年ですが、旦那の稼ぎが悪いので、今でも某ハイテク企業に派遣で働いています。フルタイムで働き、一応英語ができるので英語で掛かってくる電話は(正社員が取れないので)姉が全部取り、能力も経験も一緒に働いている正社員の女性より上なのに派遣のまま(一応正社員にならないかと言う話はあったそうですが)。 私が(長男なのに)アメリカに居るので両親の世話もしてもらいました。今は母親と旦那の面倒もみながら忙しく働いています。<<
>>でも私が本当に腹が立つのは、そういう甘えを利用している日本のサヨクマスコミと、信念の無い政治家などの指導階級の人間です。ここには書きませんが、中国や朝鮮の”根拠の無い戦争犯罪問題”や、未だに”東京裁判史観”から抜け出られない自虐体質も、政治家のそしてサヨクマスコミの問題だと思ってます。<<
派遣村とも労働問題とも関係ねー。今時こんなの産経と2ch以外で見るなんて思ってもみなかったよ。
http://japan.cnet.com/member/u301501/profile/
もう経歴だけ見ると典型的な「アメリカかぶれのクソッタレ」じゃないですか(単にアメリカに住んでるだけじゃなくて、無駄に変な英単語を使っている読みにくいプロフィール)。というか、こういう安全地帯で上から目線で貧民を啓蒙しようとする人を見ると、本当に胸くそが悪くなるんですよね。この人が仮に「日本の納税者」ならばここまでクソ呼ばわりすることも無かったんですけどね。
なんというかさ、いつもなら「安いエサだな」って思うだけなんだけど、世の中の多くの人がこういう考え方を持っていると思うと、ぞっとする訳ですよ。だからあえて「クソみたいな戯れ言」なんて言葉を使った。
要約すると
『泣けば許されると思ってんのか!!!!!!!!!
泣くぐらいだったら最初からやるな!!!!!!!!!!!
という野次の一つでも飛ばしたくなります。』
・落書きした女子大生を批判してるやつはキモい。日本人って根暗だよね。
しかも先方が許しているのに、この期に及んで徹底的に叩くとか、
自分はどんだけキ○ガイだよとか思いましたが、
・これがイタリアだったから良かったけど、中国や韓国が相手だったら日本はどんだけ足元叩かれたかって話ですよ
大問題になっていた可能性が高いでしょう。』
叩くやつも悪い、叩かれるやつも悪いと言いながら両方叩くという異次元の視点から物を言い、終盤ではいきなりの特ア批判まで飛躍。
何様なの?神様なの?
個人的にはこの事件、叩いてるやつに「じゃあお前どんだけ潔癖な人間なんだよ」って言いたい。
『罪の無いもが石を投げよ』っていう。
自分自身はそこそこカルマにまみれているくせに、勝手なときだけ真っ白でのっぺらぼうなアバター「日本人さん」とか「名無しさん」に化けて
「許せない」だとか挙句イタリアに「日本人を代表して謝罪します」ってメール出してるやつとかホント考えられない。
是非とも砂漠でラクダに逃げられてぇぇぇぇって感じ。
知っている人も多いかと思いますが、
実名まで割れて、叩きに叩かれついには先頃
現地までわざわざ出向いて学長ともども謝罪したそうです。
これは「何もそこまで」なのか、「当然」なのか、どちらなんでしょう
個人的には女子大生を擁護する気になれないんですよね
こういう「みんなが落書きしている」場所なら「やっちゃう」のは、
決して誇れることではないと思うわけです。
自分たちの名前と学校名を書くという、当人たち以外には
知性が感じられるし、楽しめる人もいるんで、まだ許せるんですけど。
まあ、泣いた方は自らの罪の深さを懺悔して泣いたわけではなく
自分の想像を超えて事が大きくなっていって
大聖堂の館長とか出てきちゃって、もうどうしていいか
わかんなくなっちゃって泣いちゃっただけだと思います。
泣けば許されると思ってんのか!!!!!!!!!
泣くぐらいだったら最初からやるな!!!!!!!!!!!
という野次の一つでも飛ばしたくなります。
イタリア側は謝罪に出向いた誠意を受けて
「平和大使」に任命したそうですが、なんとも安い平和大使がいるもんです。
本人はさっさとコトを収めたいから出向いただけなのに
恥の上塗りです。もしかしてイタリア流のお仕置きなんでしょうかw
日本側のあまりの厳しい対応にイタリアの人はどん引きしてるっぽいんですが、
自分はこれでいいと思うんです。
日本の観光地で外国人に軽々しく落書きされたらやっぱり不愉快ですし
「イタリア人が日本で同じことやったらこうしてもらいますよ」という
ある種の抑止力にもなると思うので。
しかも先方が許しているのに、この期に及んで徹底的に叩くとか、
自分はどんだけキ○ガイだよとか思いましたが、
自分のそういうところは本当に嫌いですが、やっぱり本音では
この女子大生を簡単に許す気にはならないです。
イタリア甘いよと。
こういう「過ちを許さない」窮屈なところは日本独特な気もします。
一昔前なら内定取り消し、嫁にも行けないみたいな状態です。
そういう窮屈さをみじんも見せずに軽々しく落書きしたところに
腹を立てているのだと思います。
日本で生活するなら、やっぱり自分が日々感じている窮屈さとか
ある種の異常さを他の人も同じように感じて窮屈な思いをしてくれてないと
ムカつくんです。日々を窮屈に抑圧されて生きるということは
日本人としての義務です。
だから落書きしたことに対してでなく、「窮屈な思いから逃れた」という
罪に対して罰を受けてほしいんです。
自分は日本のそういう窮屈なところから逃れたくて
よく海外に行きたくなるんですが、
見かけ以上に重い事件だなあと思います。
自分でこんなに叩いておいて言うのもなんですが
2ちゃんねるとかで繰り広げられた叩き方は異常です。
ただ異常ですが、多くの日本人の“本音”でもあると思います
他人の不幸を見て喜ぶという下品で迷惑な本音ですが、
そうやってお互いにストレスを与え合うことでやっとバランスが取れる
社会なんだと思います。
大問題になっていた可能性が高いでしょう。
英国the economist誌より省略しつつ訳・大きく誤訳しているところはないはず・・・
http://www.economist.com/world/africa/displaystory.cfm?story_id=11294767
言葉に出来ないほどの暴虐
強姦の嵐
(略)
2003年にコンゴ東部以外での内線は公式的には終りを見せた。
(略)
政府と多数の反政府組織との停戦は東部の市民にはぜんぜん安心できなかった。すべての勢力、国連が言うには政府の軍隊も、が強姦を戦争の武器として使っている。
多くの犠牲者が女性・少女で、ほよちよち歩きのぐらいの子供ですら犠牲となるし、男性・男児も時にはターゲットとなる。
(略)
2.銃口を向けられた親族が、彼らのその娘、母、姉妹をレイプせざるを得なくさせられる。
3.女性は性の奴隷として、排泄物や彼女の殺された肉親の肉を食べさせられる。
4.ヴァギナに銃口を入れられ撃たれて死ぬ女性もいる。
5.ユニセフの職員によれば、地面に掘られた・剃刀の刃が埋め込まれた穴の中でセックスをするまねをさせられる男性もいる。
強姦は、時として敵勢力の攻撃の報復、また時として民族浄化、ある時では恥や傷また病気によって敵の士気を下げるために行われる。強姦を受けた男女を持つことによる、トラウマやそのぞっとさせるような傷が家族や村全体を上手く運営できなくしてしまう。
(略)
国連のレポートによると、2007年前半期の南kivu(州の名前?)だけで4500件もの性的な暴力行為が行われた。そして一つの事件に対しに報告されていない10件から20件ほどの同じような事が行われているだろうと言っている。
戦争に於けるレイプは新しいことではないし、コンゴは長い間戦争・内戦を経験してきておりほとんど司法システムが出来ていない。レイプは違法だと思われているにもかかわらず、(人々は加害者を避けるのではなく)被害者の方を避ける。政府の軍隊や反政府組織のリーダーはレイプをたいした攻撃とは見なしておらず、なんの手も打っていない。「戦闘員はヴァージンをレイプすれば無敵になれると信じている」と言われている。
(略)
そしてこれらは、すべのコミュニティの人間性を壊し(隣人同士の助け合いなど?)、消滅させようとする計画的な試みだと国連は言っている。
550、000もの人々が自分を守る手段もなく難民となっている。国連の17、000人のブルーヘルメット(平和維持軍)と軍事オブザーバー達、1000人の警察官がいても広すぎてこの暴力を終わらせることが出来ない。
(略)
世界の注意をコンゴ東部の市民の苦境にひきつけよう。コンゴ外の政府・組織が政治的な経済的な支援を行うことが(このコンゴ東部の惨状を救う)きぼうとなる。
『すべの国連加盟国が、戦争犯罪そして人間性に対する犯罪から自国民を”守る責任を持っている”ことを遵守する約束をしたのだから、コンゴ東部のそのような犯罪に世界中の人を注目させることが(コンゴ東部の)外にいる我々が少なくとも出来ることだ。』