はてなキーワード: ノンフィクションとは
まあ、そこは、ほれ、初出が2chのニュー速VIP(+だったかな?)だったわけだし、まとめサイトに拡散される事も最初から織り込み済みだったんだろう。
俺はそれが嫌だからこの類のノンフィクション風長文は増田に書いてるし。
http://anond.hatelabo.jp/20120125230101
目的は釣りというよりは、再確認みたいな行為だと思ってくれ。ある日、なんかどうでもいいきっかけで「あ、こういう話って受けそうだな」みたいな筋書きがふっと頭をよぎるんだわ。
そしてその日のうちに流れを整理して増田に投げる。で、一晩放置して反応を見る。トラバの数とかはてブの数、Twitterの反応とかを見て、「うむ!」と満足するわけ。
小学生の時聞かされた。
変だよね、こんなの。
遊郭としてたと言っても、すぐ前の世代ではなく、その前にやめて地主になって、それをある宗教に寄付して、無一文の状態になって・・・と色々あったらしい
その色々が続いてない事も無いから、こんな事を言ってくるのかもしれないが ( 精神的にいろいろあるからかもしれないが、別に親は生活やお金には困っていない。全然余裕なのに・・・ )
それにしても・・・・
昔から私に関する事だけ、洞察力が欠落したような事を平気で行う人だった
実の母親から、お前の幸せを願ってません と宣言されるようなものだし
普通の健全な家庭の特に専業主婦の人が聞いたら嫌がるようなことを好んで言う傾向もあった
(別にエロい事と言う訳じゃないです。エロい人ではないと思います)
言わなくて良い事実とか、厭世的になるような事とか
例えば、森村誠一氏の小説を読んで、なぜそんなものを読むのか聞いたら、「私は本当の事が知りたいもん」と言ったりされたりとか
森村氏は優れた小説家だと思うけど、年若い人が見ると、厭世的になったり人間不信になる可能性もあると思う。私に勧めてきたわけではないけど、こういう事も踏まえた上での答えとしては適当ではないと思う。
本当の事と言っても、小説はフィクションなので、本当の事が知りたいなら、ノンフィクションのドキュメントかルポを読むべきだと思うし。
言うとしたら、氏は、厭世観を持つような事実を扱いながらも、それだけではない深い何かがあるとか、それを超えたものもあるとか、何とか言えないものなのだろうか、と思う。
世の中にあるものを無批判に肯定的に受け止めるのではなく、時には皮肉や風刺も、クリティカルな思考をするために必要なように、社会の暗黒面を描くのもより良い情況を目指すためには、有効だとか、視点としては、そういう目も必要だから、とか何とでも良い言い方は色々できると思う。
しかし、彼女の場合はそんな事をわかって読んでいたのではないような気がする。
これは離れて暮らしている今もそうだが
どういう人間だったかと言うのが、チグハグすぎて思い描けないし、人に説明もできない。
これは父にも言える事だが。
それで、トラバはしてないけど、さっき書いた恋愛に夢が描けない話
これに繋がらない事もないわけだが
人様のお嬢さんを金にものを言わせて攫ってきて、性的搾取をしてきた先祖・・・と考えると、他人にそんな事をした人間の子孫は、恋愛なんてできない、と思いつめてしまった部分は、小学生だったので、少なからずあると思う。
小学生ごころにはきつすぎる。
ある程度、自己防衛的な思考や論理的な判断力が、育った状態でしかも安定した身分の状態の大学生くらいになってから、先祖の歴史として話すのなら、わからないでもないと思うが・・・
遊郭というのは、気になるから、何かの折に目に触れたものを読んだり、本を立ち読みしたりして、調べた範囲でも、摩訶不思議な構造になっている
江戸時代とそれ以降での違いというのもあるし、江戸時代でも、遊郭というのとその他のものでは、だいぶ違ったようだった
病気で亡くなった江戸を描く漫画家の杉浦日向子さんは、このあたりちゃんと書いていた。(ただ地名を正確に書いてたというだけだけど)
明治以降国家神道として神道を流行らせたりする時に、その町のイメージが悪くなってはいけないという配慮からなのか何かはよくわからないけど、映画でも何かの作品でもその町を舞台にしたものは、江戸時代は心中モノが描かれたりしてたけど、今は全然ない。他の町も吉原以外は似たようなもので、特にタブーだかたというわけではなく、吉原が通俗的にそのような場所として有名だからわかりやすいからかもしれないが。( 江戸時代の吉原と今のとではだいぶ趣が違うけど )
有名な江戸時代の人形浄瑠璃や歌舞伎の演目で、伊達の殿様に切り殺されてしまう太夫の話がある。実話かどうかは定かではないらしいが、その太夫の死体が流れ着いた淵や、亡骸が祀られたとされている寺か神社もあるらしい。この話は、武士より武士みたいな形で亡くなってしまった遊女というところが皮肉なのだと思う。 創作だとしたら、こういう人身売買に誑かされて鼻の下を伸ばしている武士に対する皮肉もあったのではないかと思う。
遊女の腹から生まれた大名 で検索すると 23人もいたと記したページも出る
http://kkubota.cool.ne.jp/saihouji.htm
皮肉だ
江戸時代でも人身売買は悪いとわかる倫理観はあったと思う。わからないわけがないと思う。
それなのに、簡単に誑かされてしまう。
子供のときに読書感想文というのがあって、あれが実にくだらないと、子供心に感じた。だから、絶対に本当のことなど書かなかった。いい加減に書いて、つまり、先生が喜ぶようなことを書けば褒められた。実際に、それで賞状をもらったこともある。ああ、くだらない思い出。
本を読んで、その感想を文章にすることは、自分の考えをまとめる、という訓練としては、そこそこの価値がある。気持ちというのは、なかなか他人に伝達できないものだから、その局所的なものを一般的にする行為は価値がある。しかし、そもそも、人に伝えたい、という気持ちがまず大切であって、「わかってもらいたい」という動機がなければ、文章はけっして良くはならない。その気持ちがない状態で書けば、ようするに入試の小論文に見られる、おきまりの構成、テーマ、常套句の嵐になって、読めるけれど、意味のない文になる。そういったものをいくら書いたところで、それは文章を書けることにはならない。
それよりは、この頃の流行のブログの方が、少しはましだと思う。誰ともわからない相手に(そんな者はいないかもしれないのに)、気持ちを伝えようと前向きになってアウトプットする素直さは、非常に平和的で、社会的で、そして善良である。
自慢したいことや、同情してほしいことや、知ってほしい気持ち、褒めてもらいたい行動、そういうものが誰にもあって、それをこれほど公的かつ私的に(つまり遠いけれど身近で)書けるシステムは今までなかっただろう。この際だから、読書感想文なんかやめて、ブログを学校の先生が読めば良いのではないか。
まず、小説(フィクション)の感想文というのは、小学生にやらせるやらせない以前に、そもそも馬鹿馬鹿しいものなので、これは、教育どうこうの問題ではない。もし、国語の時間に文章を書くことの訓練をさせるつもりならば、小説ではなく、絵画であるとか、古建築であるとか、まったく別分野の芸術に対する感想を文章にさせてはどうか。文章になっているものの感想を書かせると、単に8割はその内容をピックアップするだけで、創造力、文章力の訓練には適さない。出版社に勤めて、本のあらすじを書く仕事を将来するのならば、多少は役に立つだろうか。それ以外に、小説のあらすじを把握する意味も価値もまったくないと思われる。そもそも、本の裏表紙にある「あらすじ」が僕には無意味だ。
一方、ノンフィクションに対する感想文というのは、ある程度、論理的な思考を養う意味では、効果があるかもしれない。受験の小論文で試される学力もここに近い。つまり、求められているものは、論理性、着眼などである。
おそらく最初の目的は、子供に本を読ませること、だったと思われる。僕は、子供に本を読ませる必要は感じない。読みたいものがあれば、必ず自分から読むだろう。それが人間だ。
繰り返しになるが、文章を書くときに必要なことは、読む相手を想定すること。その人に伝わるように書く、という訓練が重要だ。読書感想文は、誰に宛てた文章なのだろうか? いったい何のために書くのだろうか?
うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。
でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか。
三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。
六十枚とした理由は2つあって、
もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクションの新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである。
その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。
といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。
「Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。
なぜ「Number」テイストのフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。
「Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。
簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。
それをフィクションに適用すれば、フィクションとノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。
そうしてNumber文体で小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。
さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。
ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。
小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌「Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。
高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。
そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。
そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。
そのことを書こうと思ったのだ。
題材は、高校野球にすることにした。
書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。
だから最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである。
ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。
その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである。
おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。
そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。
分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落でコンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである。
そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。
「緻密に選手にクローズアップするNumberの文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。
覚悟はできてるか、俺はできてる。
(中略)
とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)
するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分のものとは思えなかったのだ。
いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語が自分が考えたものだとは思えなかったのである。
それはまるで、もとからこの世界に存在していたものであるかのようだった。
いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。
ぼくのしたことは、その事実をテキストとして書き起こしたにすぎなかった。
つまり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである。
そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。
なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである。
そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。
しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。
いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。
そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、
原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである。
しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。
何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。
評価されなかった。
それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。
しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。
その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。
落ち込んだ。
ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。
ぼくの敬愛するルソーやゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。
カフカや宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。
そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。
立ち直った。
ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。
処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社の編集者である加藤++さんから、小説の執筆依頼を受けたのだ。
そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。
思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。
チャンスがキタ。
ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね
その時、ぼくは決意した。
この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。
そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。
あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。
チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。
そうして書いたのが、「もしドラ」だった。
大ヒットした。
それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社のマンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。
しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。
その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。
その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンのハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。
これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。
チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。
すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。
それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。
このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。
ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。
村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋に文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。
ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。
そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版の編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます。
最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガ「ドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガや創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう。
「危ない話」の広瀬隆氏あたりが有名だけれども、
http://www.geocities.jp/goki_con/e/54.html
オイラは小学校低学年頃で、残念ながら、その頃の記憶はまったくない。
幸福の科学がフライデー被害者の会を名乗ってデモや訴訟をやる騒ぎがあり、
(ちなみに当時、ビートたけしは俺は加害者の会だ、という冗談を言っていた)
この件で彼のことを初めて知った。
その後も、彼は料理の鉄人あたりに出演していたし、
直木賞受賞作である、「遠い国海から来たCOO」が映画化されたこともあって
(日テレ40周年で製作された角川映画なんだが公開が春樹氏の逮捕と重なった!)
どんな人だろうと気になり、彼のエッセイを読み出したのだ中学3年~高1のころ。
ちょっとオトナな話が多いので、オトシゴロのオイラはすぐに引き込まれていった。
反原発の話題も多かったが、科学の子(もちろん学研的な意味で)を自負していた当時のオイラは、
(その後、核をテーマに「パンドラの選択」という小説を出されるのだけれども、これはあんまり面白くない)
3.11の後、ふと読み返したくなって、中古本を買ってきたのだが(残念ながらほとんどの著作が絶版)、
週刊朝日での連載をまとめたエッセイ集では、原発関連企業のCMにはでません!なんて話があって、
勝間和代の一件もあって非常に興味深い。
さて、景山さんは、放送作家出身で、
昭和40年代の日本のテレビ業界を扱った長編小説の「ガラスの遊園地」がある。
例の、「テレビは真実を伝える」「NHKはどこにいる?」発言のシーンだ。
ここで、ある登場人物が「最後の最後になって、佐藤首相もとんでもない名言を吐いてくれたんだね」と解説。
学園紛争の映像に作り替えてしまった映像を見た話を主人公にしてみせる。
ナレーションやコメントを付け加るだけでなく、編集して発言の順序を入れ替えれば、
この後、テレビを見て育つようになれば、日本人はフィクションとノンフィクションの区別がつかなくなる、という話が続く。
この話を読んで、オイラはとても背筋が寒くなった。
指摘されたとおり、自分は無批判にテレビが伝えることを信じてしまっているではないか!
さて、最近、この話を強烈に思い起こさせる一件があった。
我が郷土、福岡選出、部落解放同盟のプリンス、松本龍氏の言動と
それをめぐる報道だ。
http://www.youtube.com/watch?v=TpvGCRA4228
http://www.youtube.com/watch?v=rCuBxebD4-Y
・地元漁協が強く反対しているこにも関わらず、知事が漁港集約を進めようとしていること。
この2点を知っていれば、だいぶ受ける印象が違うのではないか?
あれって本当に「叱責」?
この剣幕に知事もおもわず苦笑い、ぐらいのコメントだったら、はたしてどうだったか?
オイラはあまり松本龍に好意的な印象をもっていなかったのだが、
この件ではついつい同情してしまった。
書いた増田です。これは(書いてないことはあるけど)ノンフィクションなので念のため。ネタばらししてる人がいるけど、それは別人。自分でも他人から聞いたらネタだろと思うから、ネタだと思われても仕方ないか。
自分はただの客で、店の人ではないです。サッカー台って専門用語だったのか!スーパー業界の人ではないので、本で読んだかテレビで見たかどこかで聞いたんだと思う。
財布は全然いいものじゃなくて、長財布とボックス型の小銭入れで両方1000円くらいの安物。3年くらい使っててそろそろ買い換えようと思ってるところ。現金は両方あわせても3000円くらいしか入ってなかった。
近所の井戸端会議情報によると、あのおばさんはスーパーに限らずいろんなところで「もらってあげる」をやっている有名人だそうだ。なんかすさまじいエピソードをたくさん聞いてしまった。
震災以降ずっと気になってる事。
不謹慎厨に怒られそうだと思って
ツイッターじゃ言えない事。
あの
淡々と具体的に しかも死んだ直後に話すことができるのだろうかという
よくわからない疑問。
あれだけの震災で人が死ぬと
実感も無く、そういうもんなのかもしれない
悲しみがどうこうって そういうもんなのかもしれない
でもなんか疑問。
それと
原発もそう
菅総理についてもそう。
全部がそう見える。
理由を見つけて
悲しんだふりをする 綺麗に見られたい層と
理由を見つけて
別に悪い事じゃない
誰にでもある欲求で 別にそれを咎めるつもりはないが
日本人にとっては切ってもきれない
一生つきまとうであろう問題があっての事。
それをまるで他人事のように処理し
欲を晴らす行為は 本当に 綺麗なのか正義なのか。
災害の記事を読んで無関心なわけではない
悲しい出来事だと感じるくらいの余裕は俺にもある
でもそれはそれなんだ。
その自殺を利用して
マスコミは どんな結果を欲しがったのか。
それが気持ち悪くて仕方がない。
俺がどうこうじゃない
棚にあげるつもりはない。
俺もアホなのは承知の事。
そう思う。
思考は自我の中にある。
考え方を忘れたら
人はただの道具になる。
そうなりたいなら自由だけど。
そうなりたくないなら 脊髄反射をやめるべき
プロパガンダのようなニュースや動画サイトの情報に踊らされるのをやめるべき。
いや、むしろ見ないべきだ。
もし誰かがその記事を読んで
悲しんだり怒ったりって事をしなくても
明日は同じようにやってくる。
明日をコマとしてではなく、人として生きたいのなら。
一ヶ月前に書いたものがホットエントリになってびっくりしました。
「http://anond.hatelabo.jp/20110502165746」の続きです。
新たについたトラックバックにも、返信しようかと思いましたが、手に負えなさそうなので、補足を記して、まとめてご返信とさせていただきます。
まず、妻が「物が捨てられない人」ということを過剰にアッピルしてしまったことで、はてな界で伝説になってる xevra先生をはじめ、多くの方にご心配であったり、「パーソナリティ障害なのは確定的に明らか」「このままでは旦那の寿命がストレスでマッハなんだが・・」のような破壊力ばつ牛ンのエスパーレスをしていただき、恐縮でございます。深い悲しみに包まれたあまり、思わずブロント語が出てしまいました。
さて、それ以外の誤解ですが、「改善していない」ことはありません。
みなさんが大好きな使用済み生理用品は、ここ半年はまったく見かけません。
鼻をかんだティッシュは、完全ではありませんが見かけなくなりました。ゴミ袋も気がついたら替えてくれることも増えました。少しづつ改善されております。
また個人的に素晴らしい変化だと思ったのが洋服と雑誌を捨てられるようになったことです。
改善していく過程は全く書きませんでしたが、書くと長くなるので、要点だけ記します。
最初は怒鳴ってケンカすることが多かったです。ですので「怒らず冷静に対応した」というのも誤解で、最初は怒っていました。ただ、ご存知のように言って直るぐらいなら苦労はしないわけで、私も情報を集めて、試行錯誤しました。
私が率先して掃除をしてしまうと、妻は機嫌が悪くなります。どうしてかはわかっていました。私が掃除をすることで「自分は掃除もできないダメな妻」と感じてしまうのです。そこはよく話をして「ダメ妻だとは思っていないよ。大好きだよー」とフォローしました。基本的には注意しつつ褒めつつヨシヨシナデナデしつつといったところです。
それから、洋服を捨てられるようになった話ですが、たまたま見た「ティム・ガンのファッションチェック」があまりに素晴らしかったので、一緒に見るようにしたところ、しばらくして、洋服を整理するようになりました。ティム・ガン△。
俺にとってスマトラ地震もリビアの大量虐殺も今回の東日本大震災もあまりレベルは変わらない。経済的に打撃を受けたってポイントで
そもそも不謹慎とか自粛とかって、震災にあった本人とか、友達・家族が亡くなった人に対して気を使おうっていう意味だと思う。
別に俺は地震で大切な人は失っていないし、俺の回りの人も同様だ。それなら何を自粛する必要があるのだろうか?
最近、地震の事を風刺した事で少し冷たい目で見られたりもしたけど、その人たちの中に不謹慎の対象になる人はいなかったと思う(も
ちろん確定的ではないが)。
この自粛ムードって結局は、悲しんでる自分が好きなオナニー野郎がノンフィクションの悲劇を見て涙するのと同じレベルだと思う。
結局は単なる野次馬で、悲劇に参加した気分になる為や、自分に酔う為に寄付や献血はすれど、自分の人生や命を賭してまで被災者を助
けるつもりはない。(人生を賭している東電社員は自慰感情よりも責任感で動いてるんだろうし)
もちろん、募金で助かる命もたくさんあるし、オナニーが悪い行為だと言っているわけでは決してない。かく言う俺も昨日もオナニーし
たし。
ただ、そのオナニーや自粛の空気を他人に強要して、悲劇に共感できない・しない人間を「心のない・冷徹な」といった冷たい目で見る
のは確実に間違いだと思う。
寄付する自分が好きなら他人に関わらずに寄付すればいいし、悲劇に悲しむ自分が好きならいくらでも悲しめばいい。
自分で自分の演技に気付かなくたって別に生きていけるし、俺個人としては見ていて嫌悪感を覚えなくもないけど我慢できる。
でも、そこを全部理解しろとは決して言わないが、強要しない為にはある程度理解する事も重要な事も事実。
別にがんばろう日本とか思わない。
放射性物質が俺の地域まで流れてきそうなら、そこで初めて危機感に目覚めて東電を応援するつもり。
あとは、俺自身や俺の家族・知り合いの為に、経済を一刻も早く回復させたいから金はなるべく使って遊んで人生楽しんで、経済に貢献
したい。
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
パチンコ屋さんの前には自転車や車が何台も止まっていて、大学生なのかフリーターなのか分からない青年や、「会社どうしたの?」というサラリーマン、年金暮らしであろうと思われるおじいちゃん・おばあちゃんなど、沢山の人が通い詰めているのを見掛けます。
僕が社会人になりたての頃、友達に誘われてパチンコを始めました。
何回かやっている内に味を締めたのか、起きたらパチンコ屋にいた…というような末期に近い状態に。
何を言ってるのか分からないかと思いますが、これはノンフィクション・事実であり…それほどにハマっていたのです。
・調子が悪いと¥5,000が10分で溶ける、スロットなら更に加速
・友人からの『勝ったら奢る』という謎の押し付け
・友人が給料・ボーナスを突っ込んでいるにも関わらず負け続けている
・負けが込むとストレスが溜まり、顔が歪む
・タバコの煙が凄く、空調・清掃が追いついていない為、気持ち悪くなる・臭い
・他人の当たりを嫉み、心が荒んでゆくのがハッキリと感じ取れる
暇潰しにもなるし、トータルで20万ぐらいは儲かっていたのですが、これらの要素で僕は辞めることに至った訳です。
今考えると、何故ハマっていたのか…?
派手な演出・当たった時の爽快感など思い当たる節はありますが、あそこまで熱中していた理由は明確には思い出せません。
でも、ハマるってことは楽しいと感じてたってことなんですよね。
仕事では上司やお客さんとのコミュニケーションに疲れ、東京には友達はおらず、特に趣味も無く、相思相愛な相手もいない為、今の生活にはさほど刺激がありません。
目から生気が消えてるような、頬が数年つりあがってないかのような、気がします。
皆、何して毎日過ごしてるのでしょうか?
水商売やクラブなど、夜遊びの刺激に逃げるのは、この年になったらダメと思ってるのですが(そもそも先立つものが無い)、どうして良いか分かりません。
没頭できる何かが欲しい。
それと収入は関係ないと思うよ。内容で勝負するならともかく。逆に、内容の充実した本を書いているノンフィクションライターとかが報われない現状をどうにかした方が。
うん、おっさんごめんね。
今後はそういう体でいくんだよね。
これ以上、野暮なことは言わないから
今後もそのノンフィクションの体の奴
まってるよ。
見るようにするよ。
がんばって!
ブクマで感心しているブックマーカーは、フィクションの読者の立場で捉えている。
コンテンツとして消費はそうだろうが(ネットで読む人生相談にそれ以外どうしろと?)
「唯一無二の正解だと思ってる」だとか「元増田だけが別の可能性に気付いてる」とかは勘違いだよ。
みんなソレぐらいわかってて楽しんでるだけ。
慎重にあらゆる可能性に配慮した回答と言うのは
「この情報だけではわかりません」と常に何も答えないことだ。
それではコンテンツは成り立たないので、
こうでしょう、と回答するだけのこと。
「問題あるのはとーちゃんよりむしろかーちゃんだろ」という「解」答は
鮮やかだし最も説得力がある。
元増田のような人は「自分だけが別の視野、他の可能性を見てる」と考えるんだけど
みんなのようなコンテンツ消費の前提に達していないだけだったりする。
みんながショーだと知って消費してるプロレスを、
http://anond.hatelabo.jp/20100719214425
全く理解していないようなんで、おせっかい。
元々の元増田とも、横元増とも、相手をしていた人とも、まったく違う、ただの増田。
末期癌の夫に4カ月付き添った。小説を書いてる。
夫を亡くして初めて「命の重さ」を実感した。だから、どれほどむかつこうとも「死ね」とか「殺すぞ」とか、匿名の相手には言わない。なぜなら、その人は言葉を紡ぐことで、ようやく命をつないでいる人かも知れないから。
軽々しく「命」をネタにされたことに憤るのなら、軽々しく「死ね」「殺すぞ」と書くのは、自分に刃を向けたも同然のことになると気づいてほしい。そういった言葉自体が「命を軽々しく扱っていること」になるからだ。
>>愛されて愛されて、抱きしめられて、見舞いも何人もくる患者さんの横で
このくだりでは(見舞い客の来ない患者さんに遠慮せいってこと? 私、責められてんの?)と思ったので、元増田の投稿文を快くも思ってはいないのだけれど。
私自身、ものを書いて、誰かにメッセージを届けたいと思っている身なので、元増田の「ただ、そこにある命を慈しみたい」というメッセージは素直に受け止めた。
フィクションか、ノンフィクションかで、かなり評価の分かれる話だろうから、はっきりさせてもらいたい気持ちはあるけど、しょせん、増田だしねえ。
ガラス窓の向こうの中庭では音楽系のサークルが一昔前の音楽を演奏していた。
僕は何とはなしにそちらに耳を傾けつつ、次の言葉を発した。
「別にマゾだとか被支配欲とか破滅願望って訳じゃないんだ」
「むしろ、誰かが僕を支配しなければならないという状態に縛られてる状態が欲しいんだ」
「こんなにどうしようもない僕なんかを、ね」
ここまで話して、日替わりラーメンの新作「麻婆ラーメン」に口を付けた。
麺を何口か啜り「これは罰ゲームに使えるな」と呟いた。
「谷倉に食わそうぜ。最近後半組の瑞希さんと仲良いしな」
対して、向かいの席に座った芦原は定食Aのステーキを切り分けながら相槌を打った。
「今度の必修のレポートが終わったらまたやろうか。北森も呼んでさ」
良いなそれ、と言いつつ芦原の視線は配膳に固定されている。
いつもの事だと流して、左で菓子パンを手にこっちを見ている凪川を見た。
「話を戻すとさ、支配されてるのに支配してるって言う矛盾みたいのが良いと思うんだ」
芦原がニヤニヤして横やりを入れた。
「このロリコンが。お前が捕まったらネットで晒し者にしてやる」
はいはい、と流して話を続けた。
「この矛盾はね、結局相手も隷属してるってのが素敵なんだよ」
「犬の散歩で言うなら、縄の付いてる部分こそ違えど、飼い主と犬は繋がってるって事でしょ」
「けど、飼い主は自分から縄を離せる」
凪川は眉根を詰めて言った。
「都合の良い対象として扱われたいのか?」
「いいや、違うよ」
「もし、飼い主も自分で縄を離せなかったらどうする?」
「僕は、その状態が欲しいんだ」
「形としては支配されてる、けどそれは惰性に過ぎない」
「いつ支配され返されるか分からない。それでも支配し続けなければならない、離れられない」
「奴隷となった相手の従順な姿に安心しつつも、時折絶望に浸って欲しいのさ」
凪川は渋い顔をしてこちらを見ている。
場違いだと思いつつ、こいつに倒錯的な性体験をさせたいと思ってしまった。
顔に出ないように取り直しつつ、言い返して反応を見ることにした。
「死にたいと四六時中言っているよりは良いだろ。性的エネルギーは活動の活動源だ」
「方向性が道徳的ではないのは良いのか」
「0°がまともだとして、720°でも傍目には分からなければ良いのさ」
「道徳的であるかどうかは過程じゃなくて結果にあると思うよ」
「その結果が支配関係なら180°だろ。それに、俺らに言ったら過程が分かってるから意味ないだろ」
「依存してるから良いのさ。愛を受け止めておくれ」
「フルメタルジャケットの方だ、良かったな」
「痛いのが好きなら、そうとはっきり言えば良いのに」
「どう解釈すればそうなる変態バイペドフィリア。地獄に落ちろ」
今日も厳しいな、少々古いがツンデレ的愛情表現かね……とにやりとした。
凪川の目にあるはっきりとした嫌悪については、今は深く考えたくない。
芦原は黒檀色の瞳を探る様に向けている。
「…………良いんだ、今さえ楽しければ。どうせ刹那的にしか生きられないし、受け止められないから」
「あっそ、好きにすれば」
「ごめん」
それから3限開始までは何事もなくいつもの日常が戻って、4限に解散した。
銀朱に染まる最寄りのバス停で降り、鍵束でドアを開放する。
その日 友人が一人死んだ。
午前6時、その報せが映ったディスプレイを見つめていた。
7月の初めに、人が死んだ。
読んで頂きありがとうございました。