はてなキーワード: 野草とは
(毒性のある)球茎を粉状にして水とともにこねたあと石灰乳、炭酸ソーダ水溶液、または草木の灰を水に溶いたものを混ぜて煮沸して固める。
「毒性のある球茎(コンニャクイモ)を食べる」
「球茎を潰して灰汁で煮る」
「球茎を乾燥させて粉状にする」
を別々に考えれば良い。
なぜ毒性のあるものをわざわざ食べるのか?
コンニャクイモ以外でも、飢饉のときに野草の根だとかを三日三晩も煮込んで食べたなどという話は多くある。
コンニャクイモを毒抜きするためには灰汁で煮込むことになる。
灰汁(あく)とは、原義では灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと。この灰汁を使って食品自体がもつ強くてクセのある味を処理した
灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法はワラビやゼンマイなどのアク抜きに用いられる。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質をもつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする。
コンニャクイモを細かく割って灰汁で煮込むということは中国大陸で古くから行われていたという。
http://square.umin.ac.jp/mayanagi/students/01/01komatsu.html
独特の食感となることで、コンニャクは他の食材とは別に「珍味」としての地位も手に入れた。
リンク先によると薬としても食べられていたようだ。
かの有名な中島藤右衛門が「粉こんにゃく」製法を発明するのはその1000年後である。
収穫した生芋は重量もあり,腐敗・凍結しやすかった。藤右衛門は安永5(1776)年ごろ,生芋を輪切りにし,自然乾燥ののち粉にすることを考案した。これによって長期保存や軽量化が可能となり,販路が拡大し,水戸藩特産物となる。
これも長らくアイディアが出てこなかっただけで、
「すぐに腐るものを保存するために乾燥させる」という発想そのものはごく自然なように思われる。
このように製法を分解していけば、一つ一つは自然な流れであり、それも1000年以上かけて少しずつ改良されてきたことがわかるだろう。
この記事は過去二つの記事を前提としていることを、最初にお断りしておく。
https://anond.hatelabo.jp/20170315161240
https://anond.hatelabo.jp/20180403003916
うつの揺り戻しの勢いで後日談を投稿した後、自分で読み返して「これ書いた人相当病んでるな」と他人事のように引いてしまった。
可哀想な元派遣社員が身も心もすり潰されて不幸のドン底にいる、という筋書きの方が読み物としては面白いのだろうが、実際はそうでもないので、もう一つの後日談を綴っておく。「同情や心配して損した!」と思って頂ければ幸いである。
仕事を辞め、諸々の手続きを終えて少し経った頃、タンポポを堀りに行った。
子供の頃使っていた植物図鑑を見つけたのだ。野草を使った遊びが色々書かれており、ほとんどは試したことがあるのだが、大きな刃物を使うもの、食べるものは母が許してくれなかった。
で、そこに書かれていた「タンポポの根のコーヒー」を大人の力で作ってみようと思い立ち、近所の土手でタンポポを探した。長い根を掘り出して、洗って晒して刻んで炒って煮出す、二日がかりの大仕事である。
手間暇かけてようやく出来上がった飲み物は、格別に美味しいわけではないが、喫茶店で「そういうブレンドです」と言われれば納得するような、中途半端な味がした。いっそまずい方が、ネタ的に美味しかった。
この話を友人にしたところ、「そんなにお金に困ってるの?」と心配された。好奇心ゆえとの主張も空しく、彼女からは誕生日プレゼントとしてコーヒーチケットを頂戴した。
同じ野草を食す行為でも、「山菜狩りに行きました」「自分で摘んできて七草粥を炊きました」はSNSのイイネを集めたというのに。美しい言葉には、現実を捻じ曲げる力がある。
粥に使ったお米は、親戚の田植えを手伝ったお礼として貰ったものだ。
手伝いと言っても、PC仕事にしか携わったことのない私の貢献度は、その辺で虫取り網を振っていた子供たちと大差なかったと思われる。だがお婆ちゃんは「遠いところを来てくれただけで嬉しい」と、後日お米を送ってくれた。
親戚の家の最寄り駅までは、着替えと文庫本を鞄に詰めて、特急料金の掛からない電車を乗り継いで行った。
大学生の頃、そうした小旅行を何度かした。本を読みながら電車に揺られ、行ける所まで行って、適当な店で夜を明かす。知らない街を少し見て回って、また本を読みながら帰ってくる。あれは結構楽しかった。
貧乏旅行は年を取ると辛いというのが一般的見解だろうが、今の私は完全インドアだった学生時代よりも体力がある。
働き始めてすぐの頃、背中が痛むようになった。病院で「体の前面の筋力不足で背面にばかり負担がかかっている」と指摘され、ジム通いとジョギングを始めた。
以前は多くて週二回だった運動が、最近は三回に増えている。体組成計の表示はもちろん、筋肉が補修材を欲するらしく、味覚まで変わってしまった。豆腐や卵がすごく美味しい。こういう時は肉を食べたがるのが普通じゃないか、とは思うのだが、安上りなので助かっている。
先日、桜吹雪の中を走るのは気持ちいいに違いないと思って川沿いのコースを選んだら、花びらと同じくらい大量のトビケラが舞っていて閉口した。文字通り、という納得と、しょうもねぇ、というツッコミが交錯して、一人でフフッと笑ってしまった。
この調子なら仕事も出来そうな気がして、求職活動に挑戦する度に泣いたりゲロ吐いたりするものの、生活自体は概ね楽しい。
あなたの「頑張れば必ず良くなる」は、視野狭窄と思考停止だ。「雇用主はそんなに悪い人じゃない」も同様である。そう考えているのは既に危険な兆候なので、転職先を探すか、休職も視野に入れた方がいい。
嫌だと思ったら、それは表明しておくこと。この人は多少薄暗くても嫌がらない、周囲がうるさくても集中出来る、汚れた場所なら掃除をする。そうした自他からの評価の積み重ねは、あなたの労働環境を改善するどころか、より暗く、うるさく、汚い場所へ連れて行く。
安心して逃げていい。収入はないし夢見は悪いし、揺り戻しで病んだ文章を垂れ流す夜もあるが、一年後も生きている。
逃げるタイミングの判断を誤ったのは自分のくせに悲劇の主人公気取ってバカじゃねーの?とか、そういう自責、全然要らない。ズタボロのメンタルに自分でトドメを刺すのはやめろ。自己憐憫も陶酔も、心の麻酔としてはすごく効くから、痛みが引くまでは好きに使え。中毒や廃人化の危険を伴うのは体の麻酔と同じだから、そこだけは気を付けような。
まだどうにかなりそうなら、上記を参考にして欲しい。
自殺を考えるほど追い詰められている場合、別に死んでもいいと思う。「生きてて良かった」は文字通りの生存バイアスに過ぎない。
ただ、私は「この世から消えたい」という感情のピークに文章を書く作業で手が塞がっていたため、なんとなく死に損なった。結果、なんとなく生きている。
そういう風に、死ぬことは確定だが今は保留にしておく、という選択肢もあることは覚えておいて欲しい。私は近々好きな作家の新刊が出るし、友人の誕生日も祝いたいので、少なくともその間は保留だ。たぶん自ら死ぬより先に、事故か病気か寿命で死ぬ。
当時の私は、「死にたくない」と「消えたい」の間でグラグラしていた。今でもよくする。生き延びて良かったのか怪しいとも思っている。
それでもやり直しの利く方を選び続けて来られたのは、あなたのお陰だ。厚くお礼を申し上げたい。
一週間前の自分へ。
いいから早く寝ろ。もう少し暖かくなったらザリガニ釣りに行くんだろうが。
野草食ったりザリガニ釣ったり、心の病とは別の意味で可哀想で心配されるかも知れないが、私自身は割と楽しい。さすがに用水路で釣ったザリガニを食べる勇気はない。
増田典厩の尽力により、その当主会談が旧増田領(六)で開催される運びとなった。
二人はそれぞれ供をひとりだけ連れて、竹林にしつらえられた厠の中へ入る。
帯を解くと、コの字型に並べられた便器にむきあう形で腰掛けた。
「見事な海綿じゃのう」
増田家(四)が用意した厠には天窓から竹林を通した光が入り、ほのかに緑色づいて見えた。風も緑に香る。
尻の下から聞こえるせせらぎは大きすぎず小さすぎず、意識をリラックスさせてくれる。
自然石のモザイクでヘクソカズラやイヌノフグリなど、野草の絵が壁に描かれ、密室でありながら開放感を演出していた。
遙か西から伝わった公共トイレの文化が増田島で洗練を極めた結果うまれた「便道」、その粋を凝らした厠と言えた。
便道は権力者にとって便利であり、内密の話をするため多用された。
帯をほどいて便器にまたがるという無防備な状態を晒し合うことで親密さを高めることもできる。
出シニケーションである。
実際、漏らしても粗相にならずに済む増田家(八)当主は落ち着いた様子だった。
まずは互いの大勝利を称え合う。繊維製品の交易を通して二人の間には面識があった。
思えば最初から国境が接していた二家が生き残ったのも不思議なめぐり合わせである。
増田家(四)当主が連れ込んだ小姓の増田四五郎は固唾を呑んで交渉を見守っていた。
どちらも淡々とした様子で、天下の未来を決める事柄に触れていく。
「増田中弐殿はお忙しいようだ」と一方が言えば、
他方は「いきなり領国が三倍にも増えて大変でしょう」と皮肉った。
「三倍……?」
増田四五郎は首を傾げた。国数でも石高でも彼らの領地は三倍よりも四倍の増加と言う方がふさわしいはずだ。
しかし、増田家(四)の当主は小姓にしかわからないレベルで表情を強ばらせていた。
「前から提示した条件を受け入れていただけないのなら、代わりに増田領(一)の平定は我らが引き受けましょう」
増田匿兵衛は膝をつめて核心に触れた。
「……ッ」
内外に秘密にしていたことであるが、増田家(四)は未だに増田島最北部を平定できていなかった。
増田家(一)の遺臣が抵抗しているわけではない。
実はかつて傭兵に呼ばれた北方異民族が混乱につけ込んで大量に流入し、容易には討滅できない状況になっているのだ。
激戦と領土の急速な拡大で疲弊した増田家(四)に、この敵の早期撃破は手に余った。
だが、増田家(八)はおおよその真実を突き止めていた。なんのことはない。
残念ながら世界的な視野をもつことで、増田家(四)は遅れをとっていた。
「では……お願いする」
「えっ!?」
ぶりぶりという謎の音と一緒に、素っ頓狂な声を増田家(八)当主があげた。
内情を知っているとの脅しを素直に受け入れられるとは思いもしなかった。
いやな予感がした増田匿兵衛は尋ねた。
「十万じゃ」
増田匿兵衛も漏らした。
とりあえず持ち帰ると思ったのだが、増田家(八)当主はその場で自分たちの言葉に責任をもつことに決した。
本当にこれで良かったのか、増田家(四)の当主が悩む番になった。
彼はつぶやいた。
「それにしても、本当に致すとはな……」
「便道」は排泄の形をとるものであって、実際に排泄をすることはイレギュラーに近い。
だが、敵の首脳は手慣れた美しい所作で海綿や和紙を使って行った。
「まさしく「大物」にございますね」
増田四五郎は緊張でカラカラになった口をやっと開いた。当主はちょっと笑うといきんだ。
「ふんっ!」
彼の下から聞こえるせせらぎが変化した。最強の武将はうんこでもって自らが流されないと示唆したのである。
「お美事にございます」
だが、
「……切れた」
前回
http://anond.hatelabo.jp/20160619002153
次回
仕事の悩みや資格勉強のわかりにくい部分など、彼女がほぼ一方的に質問をしてきて、俺がそれに答えるというやり取りが2時間続いた。
彼女はいつも俺を褒める。どうやら本気で俺のことを頭がいいと思っているようだ。正気かよ。
彼女は実家が裕福だ。父親は誰でも知っている企業の支店長まで務めた人物。彼女の姉も極めて優秀。彼女はそんな家庭に反発して、芸術の道に入った。「才能なんてなかったけど、逃げ出したかったから」なんて言いながら、死ぬほど努力しても入れない人が多数いるような名門に入った。そこでは誰もが「我こそは」と思っている中、一人だけ「私は才能がない」といいながら、大変な評価を得ていたということだ。彼女の同級生に聞いたところによるとだが。
それに比べて俺の経歴は惨憺たるものだ。
完全に負けぐせがついて就職は失敗。
圧倒的なクソ企業でゴミのような毎日を過ごし、3年で退職という王道。
金がなくて生命保険もがん保険もあらゆる保険を解約。その後病気が発症。保険に入れない身と化す。
ティッシュペーパーが死ぬほど欲しくて献血した所、血液に異常が発覚。
病院の検査費用があと100円払えず、書類に拇印を押して家に帰り、12冊持っていた本をブックオフへ。10円*12冊で見事支払うことに成功。薬は買えなかった。
カードは未払で完全停止。債務整理をお願いした弁護士費用をも月2000円支払いで2年かけて払う。
カードの債務は20万円。それを毎月2000円ずつ支払う。常人なら20万はすぐに返せるが、俺はそうではない。弁護士費用と合わせて4000円。これは3週間の食費に相当する。
当然ながらクレジットカードは今後7年作れない。これはボディブローのように効く。クレジットカード前提のサービスは世の中意外と多い。「ほしいな、便利だな、安く上がるな」と思うものこそ信用が必要なものだからだ。
その他、友人からの借金もまた月数千円ずつ支払う。恐ろしいのは銀行振込の手数料だ。2日分の食費が飛んでいく。
ヨモギ、オオバコ、タンポポでビタミンを補い、小麦粉でエネルギーを得る。
その他の野草も大概食べた。
野菜が食べたくなって発狂して近所の家庭菜園に夜霧に紛れて侵入し、トマトを食べた。俺に妹などはいない。俺の、俺だけのために盗んだ。罪悪感で、3つもぎ取ったうちの一つは玄関において逃げた。
その後、なんとか潜り込んだ会社で月12万の給料で働きつつ現在に至る。
そう思いながらも、体面だけは保った。
ヨモギオオバコタンポポ法を再び使用し、食費を超圧縮してHSKとTOEICの試験を受けた。
HSKは4級、TOEICは780点を取った。給料は変わらない。
まずはスーツを買う金をヨモギ法で貯めて、なんとか転職をしなければ。
そこらの観光地の土産屋の販売員のほうが稼げるんじゃないかと考えたりもするが。
俺が夜毎公園に水を汲みに行き、オオバコとヨモギの新芽を摘んでいることなど見えない。
ただ俺が節約生活をし、"ちょっと変わったロハスな自炊"をし、家具も食器も自分で作り、独学で語学を身につけたというのが全てだ。
数年間は友達、ネット上で彼女から告白を受け、遠距離恋愛。童貞はテレフォンセックスで捨てた。
その後、実は同じ地域に住んでいることに気づき、お付き合いを始める。
服も靴も美容院代も何もかも持たざる者だった俺を、才能のない芸術家は高く評価したようだ。
そもそも5ヶ国語に堪能な人間がなんで3ヶ国語に不慣れな人間を褒めるのか。
俺は単にペットとして扱われているだけじゃないのか?
彼女の中の「ほかとはちがうだいじなもの」と書かれたおもちゃ箱に入っているだけなんじゃないのか?
わからねぇ。
日頃は堂々としているつもりだが、ふとした瞬間にどうしようもない惨めさで動けなくなる。
「マスコミが貴重な食料を横取りした!ガソリンを横取りした!」
時間も人員も機材も限られている中で、あらゆる場所の被災状況を取材して報道するほどマスコミ各社は暇じゃない。
その上食事もガソリンも持ち込みとなると、人を減らすか補給車を伴わないといけない。
ところが人を減らしたり補給を含めた取材隊となると、取材できる範囲は限られてくる。
おまけに「マスコミは大量の食料やガソリンを被災地に持ってきておいて、被災者には米一粒もガソリン一滴も譲らない!マスゴミ死ね!」とおバカな連中に叩かれるのが目に見えている。
ネット上で吠えてるおバカたちは、マスコミがどうすれば満足なのか?
記者が一人太陽光発電カメラを携えて徒歩かチャリンコで被災地入りし、野草でも食って生きながらえながら被災地をくまなく移動し、逐次YouTubeにでも映像を公開すればいいの?
でもそれって、マスコミを叩いてるおバカちゃんたちでもできるよね?文句言う前にやれよ。
「今のままで十分だよ」と思っている人はわざわざそう思っていることを声に出さない。
一方で不満を抱えている人は極めて大きな声で各所で喚き散らすので目立つ。
そして、とくに日本はこの風潮が強い気がするのだが、基本的にあらゆることが満場一致、悪く言えばなあなあで進むことが前提になっていて、批判されることに慣れていない。
それで「批判される → やめる」と安易な決断を下してしまう。
何事にも批判はつきものなので、批判を受けた上で「やめるべきか、改善して続けるべきか、然るべき対応をして現状維持か」を判断するプロセスがあるべきだ。
インパール作戦って補給を無視した愚劣な作戦って世間ではよく言われる。
でも、これが当時のビルマ(ミャンマー)方面軍がビルマの防衛をするにあたっては最善手だったって話はしちゃいけない雰囲気あるよね。
当時日本が抑えてたビルマっていうのは日本軍にとって放棄、撤退できない大きな二つの理由があった。
それはビルマの後方に位置する東南アジアの資源地帯の防衛と中国軍へのアメリカイギリスによる支援ルート(援蒋ルート)の遮断。
特に後者は南方への戦力の引き抜きで弱体化しつつあった支那派遣軍を守るのにどうしても必要だった。
ここを突破されたら支援物資の米式装備で固められた中国軍が襲いかかってくることになる。
さて、この状況でビルマ方面軍が持ってる戦力といえばろくに機械化されてない歩兵師団と航空師団1つの合わせて10個師団。
ビルマの広大さから見ればあまりにも少なすぎる戦力だ。対峙するイギリス軍(15個師団以上)と中国軍(10個師団相当以上)に対して戦力は質量ともに劣勢だった。
このビルマは北部はともかく中央部はだだっぴろい平原が広がっていて自動車が動きやすい。そレに対して鉄路がすごく貧弱。(日本軍は部隊の迅速な移動は鉄道に頼りきり)
これがなにを意味するかって言うとまともに戦ったら制空権もなくて動きののろい日本軍は機械化された連合軍に粉砕されるってことだ。(実際にされた)
だから最前線を戦車や飛行機が活動しにくい北部のアラカン山脈まで伸ばす必要があった。そしてその拠点となりうるインパールが必要だった。
つまりあのまま防衛していたら負けることを牟田口や陸軍の上層はちゃんとわかってたんだ。
でも、上述の2つの点から絶対に退くことは出来ない。だから無謀とも思えるようなインパール作戦が行われた。
補給無視と言われるがちゃんと必要量の補給要請はしてたけどそもそも補給部隊がないから結果的にああなってしまった。
それを少しでも埋め合わせようとしたのが食用野草の研究や水牛を連れていくという付け焼き刃の策だった。
牟田口が非難されるべき点で言えば撤退の判断が遅れてしまったことただひとつ。
ただこれにしたってインパール作戦が行き詰まった戦局を打開するという政治的な打算で必要以上に持ち上げられて
実情を知らない上層部から督戦の激励が矢継ぎ早に来てしまったせいもある。
つまり支援はしないけど攻略はしろという無茶ぶりが来てたわけだ。
たしかにこの撤退判断の遅れのせいで大多数の死者がこの時点で発生した。
でもあなたはこの状況下で撤退の判断を果たして下せるか?俺はたぶん同じ状況なら同じことをした。
このようにインパール作戦は撤退が不可能な選択肢がない中での最善手な炎上プロジェクトを指揮した中間管理職と、それが落ち目の企業の期待を集めてしまったことによって悲劇が起こった。
ビルマを放棄する=中国軍が強化、そして後方の資源地帯が脅かされる。
というどちらも出来ないという完全に詰んでいる状況だったのだ。
それをなんとかしようとしたのがインパール作戦で状況的にも最善の策だった。
・特徴となる色や形(「大きい」はあまり特定力の高い単語じゃなさそう)
・分かれば大まかな生物の分類(セミならセミ)を、カタカナで(生物の正式名称は普通カタカナで表記されているので)
このくらいの情報を適当にぶっこんで、画像検索し、近そうなものを探していく。
昆虫や野草の類はマニアがたくさん居て、生物の特徴がよくわかる写真を上記のような情報とともにブログに載せていたりするので、だいたいこれで分かる。
外国の生物などは難しいが、それでも似た写真から生物のより細かい分類(ハルゼミの仲間のようだ、とか)を推定して、絞り込んでいくことで結構分かる。
なにかを作る人とそれを売る人がいる。と思って、現代は「売る人」のが多い。
大抵の労働者は成果物のない「労働」を売るしかないのだけど、形の無いものだから買い叩かれる。
というより労働のクオリティの判断基準が存在しないとも言える。
労働者本人が一生懸命働いているのが良、とされると差がつくので、労働時間で判断する。
ここに、明治政府の、というか産業革命以来の失敗があるように思ったんだけど、こういうことに詳しい本or人いませんか。
皆見ないようにしてるんだろうけど、近代のシステムって疲弊してるでしょう。
日本が近代化する前、江戸時代はどうなのかなと思って、ちょうど大河ドラマで八重の桜やってるけど、やっぱり今みたいに行き詰ってたんだろう。
でもそれって内部の問題というか「士農工商」のシステムの疲弊なのかな?。
外圧がかなりあって、対抗できなかっただけで
士農工商のシステム自体は人を幸せにするものだったのではないか?
「商」って「売る人」でそれは誰かがつくったものを右から左に流すだけの人なので卑しい。
(そう考えるのは差別ではなくて自制だと思うんだ。金の亡者にならないための。)
「士」は何も作らず、精神性。
「工」は頂いたものを加工する。
よくできてるなあと思う。
下に行くほど、「神」から「金」に近づき、卑しくなる。
なんか今ってそういうのがごっちゃになってて、「士」にあたる政治家が金儲けしたり、「商」にぶらさがっている奴が自分を奴隷じゃないと思わされている。
労働者=「工」と「商」の間だと思うんだけど、奴隷が職人になる(身分を上げる)ために働くのか、商人(身分を下げる)ために働くのかで方向性が違ってくると思う。
働かないと生きていけないと思うかもしれないけど、そんなことないよ。
何を食べても生きていけるし(食べられる野草の知識があるといいですね)、毎朝スーツ着て満員電車に乗るシステムから外れれば何を着てても関係ないのです。
税金はもう充分払いましたし、保険だって病気になったら死ぬから構いません。
…とこういう境地に立つと逆に、人間のシステムに入りたい自分に気がつきますね。
人は人との間に生きているんだな。
幸い私には、繋がってもいいな、って人たちがいるのでそのひとたちのために働いている。
グローバル何とかって象が頭の上で握手してるようなもので、蟻には関係ありません。踏み潰されることがあるかもしれないけど、生きるって卑小なものなので、仕方ない。
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20130427/1366990148
これ書いてる人って、俺の周りにいる田舎の人に似てるんだよね。
田舎をデスッてるわけではなく、田舎にはそういう人が多いという話。
俺がそういう知識を知らないとわかると、
そんなことも知らないのか!みたいな感じで
俺の生き方を全否定してくる。
俺の中では、
いやいや先輩、それをいうなら俺だって先輩の知らない事たくさん知ってますよ、
と言いたいが、俺がそれを言ったところで、それはスルーされるので
口には出さない。
まあ要するに、何が似てると思ったかというと、
「世界観が超せまい」ということ。
そこから外れてる物事は全否定みたいな感じ。
別にその先輩は、都会に行ったことがないわけではないんだけど、
行って帰ってきても、自分とは関係のない全く別の世界だったぐらいの認識で、
なにも変化なし。自分と同じ人より、違う人のほうがずっと多いんですよ!
ってことが認識できない。
自分と違うものに触れても、頭の中に取り込んだり認めたりする思考回路が無いので、
触れてないのと同じ結果になっている。
ただ「頭の中の世界観の箱が狭い」というのはいいこともあると思う。
それは、判断が超早いということと、自分に自信が持てるということ。
力尽きたので以上。気が向いたら書く
http://okwave.jp/qa3090210.html?ans_count_asc=1より
- 0時に携帯とPCにグリーティングカードを贈る。
- 何が食べたい?ラーメンといわれたときに、そのまま中国に行く(あと北海道も)
- ケーキに写真をプリントするサービスを使って彼女の満面笑みの写真のケーキを作ってもらって渡した。??http://www.lekadan.jp/print.html??
- ドライブインシアターでまったりした。
- 彼女がはまってるキャラクターのネックレスを友人の職人に作ってもらってプレゼントした。
- 同じく彼女の好きなキャラクターのイラストを友人に描いてもらった。
- プレゼントの大きさは指輪なので小さな箱ですんだんですが、その箱を何重にも箱でくるんで空ける楽しみを演出した。(最終的には1M四方になりました^^彼女がでかいぬいぐるみとかが好きな子だったのででかめにしました。箱を当てるたびにコメントを書いた紙をはって空ける楽しみをさらに演出したらかなり受けてました)
- 彼女の好きなキャラクターのHPを作ってあげた。
こういう気が利いたの参考になるー
子供の頃、なりたいモノなんて何も無かったのに、子供の頃の夢とか聞かれても、正直困る。
なりたいものは何? と聞かれたら、その場の空気で求められていそうな答えを出していた。
だから、小さい頃になりたかった職業とか目指せばいいのにとかいわれても、ないものはないから、困る。
強いて言うなら、小学生の頃からずっと自殺したいと思ってた。今でも、自殺は選択肢から外れる事は無い。かと言って別にメンヘラでもない。と思う。何の脈絡も無く、突然死にたいとは思うけれど、ネットにはそういう人が溢れているし、そんなのは良くある事なのだろう。
深く突っ込んだ人間関係が嫌い。恋愛もどうでもいい。結婚もしたくない。学歴もなければやりたい事も無い。目指すべき方向性も無い。でも生きている。とてもとても残念な事に。
http://anond.hatelabo.jp/20070221035338
臓器提供する気はないよ。最低半年は野晒しになる予定だから。その土地もいくつかピックアップしてるし、最後の手段としての土地は既に田舎に買ってある。倉庫付き。たまに行って草刈ったり野草摘んだりして、地元の人ともちょっと話とかするようになった。死ぬ予定はきちんと立ててるからご心配なく。