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はてなキーワード: 力点とは

2017-05-24

日本人の脳が英語リスニングするために必要なこと

前回ここでリスニング学習法を書いたところ思いのほか反響を得ることが出来た。

http://anond.hatelabo.jp/20170522214348

今回は実際のところどうやってリスニングしているかをまとめてみようと思う。

人はどうやって音を聞いて言葉として理解しているのか

リスニング無意識下で行われる実に精妙なプロセスで、自分でもどうやっているのか正確にはわからないが、注意して観察すれば大まかなところは分かってくる。

まず単語について。日本語は「交渉、高尚、考証、公傷、公称」のように同音異義語が多い言語だ。「こうしょう」は広辞苑で50の見出し語を持っているという。対して英語単語意味時代とともに付け加わり多義的になっている。Random HouseTakeを引くと126の意味登録されている。

どちらにしても、音を聞いただけでは単語意味特定することは出来ず、文脈から単語とその意味を導く必要がある。

文脈が分かっているということは、あらかじめ相手のいいたいことが予想できているということだ。現在トピック、話の向かっている方向、相手のいいたい結論がわかっていれば、リスニングは格段に楽になるが、我々学習者はそれを簡単に見失ってしまい、リスニングは著しく困難になる。

相手の表情や身振り、口調などは文化的な差が大きいが、これに慣れることで相手の話したい内容が事前に予想できるようになり、リスニング力が上がる。

文の予測

文脈を踏まえ、相手の言いたいことを察知した上で、相手の話の最初の数語を聞く。そこで出てきた単語文法構造を元にして、その後に続く文を人の脳は予測することができる。

正確に言えば、英語学習した脳において、文の最初の数語、動詞が出て来るまでを聞けば、その後の展開として考えられるさまざまな可能性は、あらかじめ学習によって脳の回路に刻みこまれているので、その回路が後に続く文を効率的解釈してくれる。

我々は学習によって脳の回路を育て、「始めがこうなら、文の続きはこうなる」という様々なパターンを繰り返し刷り込んで、文を解釈するために必要な脳の回路を作り上げている。そのおかげで、音を聞いてリアルタイムに文として解釈することが可能な脳が構成できている。

まり適切な用語ではないが、これを便宜的に脳による予測と考える。あらかじめいろいろな展開に備えた準備を入念にしているので、「その展開は俺の予測範囲内だぜ!」といった返しが、どんな文の展開が来ても出来るような状態にあるということだ。

予測の中に正解がなかったら、リスニングは失敗する。文のパターンを大量に仕入れて、最初の数語を聞いただけで引き出せるようにしておくことが必要だ。

相手の話が進むにつれて、予測された文の解釈候補が次々と脱落していき、相手の話す一文の終わりにはその解釈も一つに定まる事が多い。

詩的な文では、それが何を意味しているのか一つに絞りきれないことがある。そういった場合複数解釈が渾然一体となって聞き手脳内に残り、深い味わいを残すことになる。

英語を先頭から順に一語ずつ解釈していくプロセス

日本語英語では思考の順序がまるで違うので、英語最初から順番に解釈していくのは多大な困難を伴う。しかしそれが出来ない限りリスニング不可能だ。このときに頭のなかで何が起きているのかできるだけ詳細に追ってみようと思う。

最初の一語の前

英語単語ごとに区切りがなく、滑らかにつながって発音される言語で、それが日本人による聞き取りを著しく困難にしている。

ただ、最初の一語に関しては前に繋げるものがないので、ネイティブにとって少し無理をしたような発音になり、変な音が漏れることがある。これを単語と誤解しないようにしなければならない。

また、変な音の発生を避けるために一瞬「ウェ」という音が入ることがあり、これは喋ることを考えている時に文頭に出てくる単語"Well"とされ、日本語で言うと「ええっと」とか「まあ」にあたる。しかし実際は最初の一語をスムーズ発声するための準備運動という意味合いが強い。

主語

最初主語としてのHeとかIとかTheyとかWeのような、非常に出現率の高い単語が出てきやすい傾向がある。

日本語では主語の省略が頻繁に起こるが、英語では発音の省略が起こる。日本語では言わなくても分かることは言わずに省略するが、英語では言わなくても分かりそうなことは発音がいい加減になる。

文頭のTheyやWeなどは一瞬th音やw音が聞こえるだけということも珍しくない。一般的に、出現率が高い単語ほど発音がいい加減になる。

文頭が聞き取れないとその後も何を言ってるのか分からなくなってしまいがちだ。最初の語が聞き取れなかった場合主語重要でなかったのだと考え、とりあえず先に進んでみるのが重要である

英語字幕と話していることが違う場合

ちなみに英語でもIt isは省略されて全く発音されないことがある。しか英語字幕の中では、ないと不自然なため補われていることがあり、学習からすると「字幕と言ってることが違うぞ!」という困った事態になる。

英語字幕では話し言葉としては自然だが文法的に間違った表現が直されていることがよくあるため、注意しなくてならない。

助動詞動詞

主語の次は動詞か、あるいは助動詞がくる可能性が高い。その中でも、一般動詞ははっきり発音されるので聞き取れるはずだ。

助動詞、あるいはbe動詞は非常に出現率が高いため、ほとんど発音されないことがよくある。

w音が来た場合willかwouldであるほとんど聞き取れない一瞬の休符を感じたらそこにはcanが入っている可能性が高い。r音を感じたらYou're, They're, We'reの'reの部分だ。

そういった出現率の高い音を覚えて一瞬の音を聞きのがさないことが重要だ。

助動詞の後には動詞がくる。その後に来る文のパターンはそれぞれの動詞によって変わってくる。

動詞ごとの文の形

動詞はその次に目的語をとるもの補語として形容詞も取れるものgo toのように前置詞を置かないと目的語が取れないもの目的語が二つ取れるもの二つ目目的語の前に前置詞が必要もの二つ目目的語位置動詞の原形が入るものing形が入るもの、to+動詞が入るものなど、様々なものがある。一つの動詞に様々な使い方があり、句動詞と言って動詞の後に続く前置詞や副詞コンビネーションにより意味が大きく変わるものも多い。リスニング成功させるためには、動詞ごとの文の展開の全パターンを把握し、脳に刷り込んでおく必要がある。

ちなみに、前置詞の後にくる目的語は、動詞目的語と考えず前置詞の目的語と考えるのが正しい文法用語のはずだが、私は区別していない。正しい文法用語思考している人には不便だろうが、ご容赦願いたい。

目的語、前置詞

目的語の中には自分の言いたいポイントになる目的語と、そうでないどうでもいい目的語があり、どうでもいいものは弱く、ポイントになるものは強く発音される。

目的語を二つとれる動詞giveで説明すると、「I gave him a ○○」私は彼に○○をあげた、という場合は、何をあげたかに話の力点があり、彼にあげたというのは話の流れから明らかな場合が多い。

このhimのように、「出現率の高い単語発音はいい加減になる」というルールに当てはまり、話の力点も乗っていない単語は、音が省略され聞き取りは非常に困難になる。例を挙げると、himは「イム」、herは一瞬「ァ」themは「エム」itは一瞬「ィ」といった発音になる。

前置詞も非常に出現率が高く、話の力点が乗ることもあまりないので発音が省略されやすい。ofは一瞬のv(ヴ)音、withは一瞬のth音といった感じになる。

thやvは日本語にはない音なので、聞き取るのが難しいが、注意して聞いていれば分かるようになってくる。正しい発音の仕方を覚えて、音読時に実践していると、さら聞き取りやすくなる。

から単語判断する仕組み

それでもやはり、日本人にとって、音から単語を正確に識別するのは難しい。それに英語にも同音異義語はある。

それが母国語であれ外国語であれ、単語は「音、文の形、文脈」の3つの要素から無意識下で総合的にリアルタイム判断される。

たとえばwantとwon'tの違いが音からからない、という事が私にもある。この二つはそもそも発音が異なるので、ネイティブなら区別は容易なはずだ。しか日本人にはなかなかそうは行かない。

助動詞本来弱く発音されるが、否定形のcan'tとかwon'tのようなもの否定であることを強調するために比較的強く発音されるため、普通動詞との判別が難しい。また、I want you to ~のように「君に~をして欲しい」の~の部分に力点が置かれる場合I want you toの辺りはゴニョゴニョと発音されて弱くなるので、won'tと区別がつかないといった事が起こる。

しかし、ウォントの後にtoやyouが来れば「さっきのはwantだった」動詞が来たら「さっきのはwon'tだった」と判断し、名詞にも動詞にもなる単語が来たら、文脈リズムから名詞動詞判断する、といったことで区別可能だ。このように、様々な情報無意識下で総合的に使うことでリスニングは成り立っている。

これは実は母国語でもそうで、日本人の話す日本語でも、発音曖昧だったり、失敗していることは結構ある。注意して聞いていると、聞く側が自然に補って意味を汲み取っていることが分かる。音から言葉が分からなくても、他で補って総合的に判断するというのは、人の脳が持っている能力だ。

日本語英語発音は大きく異なり、日本人には英語の音を判別するのは難しい。けれど周りの情報を使うことで弱点を補うことが出来る。

たとえば一瞬しか発音されない前置詞を日本人が聞き取るのは難しいが、動詞から現れる前置詞のパターン予測できていれば、一瞬の音でも聞き取りやすくなる。たとえ聞き取れなくても、予測した文の形に当てはめてみることで、文脈から前置詞を補い文を完成させる事もできる。

関係代名詞

英語動詞によって文の形のパターンが大体決まっていて、文の展開の予想を立てやすい。もちろん動詞副詞で修飾したり、toやed形,ing形などを介して名詞を修飾することで文章を飾ったりもするが、修飾部は文の屋台である主語動詞目的語とは発音リズムが変わるので区別できる事が多い。

それでも問題になってくるのは関係代名詞who、that、それと「関係代名詞の省略」のパターンである

関係代名詞who,thatは出現率が高く、発音が省略されるので聞き取れないことがよくある。一瞬のh音やth音を聞き逃さないことが大事だ。

関係代名詞の中は修飾部なので、文のメインとなる主語動詞目的語よりも一段弱い感じで発音することが多いが、区別は難しい。話の力点関係代名詞の中にある場合もあり、その場合は同等かより強く発音されることもある。

ちなみに英語において、弱く発音されるということはゴニョゴニョと、速く発音されるということであり、聞き取りにくくなる。英語重要度が低い部分は聞き取りにくく、速くなり、重要なことははっきりと、遅く発音することで、文の構造リズム表現する。

主語目的語のあとにいきなり主語動詞が出て来る、つまり主語主語動詞」や「目的語主語動詞」の形が出てきたら、関係代名詞が省略されているか、あるいは関係代名詞が聞き取れていない。

関係代名詞主語を修飾している場合は、その後でメインの動詞が来ることになるので、それを忘れないようにしなければならない。「主語 who 動詞」や「主語 that 動詞」で関係代名詞を聞き逃すと、ただの「主語動詞」と認識されるので、その後に動詞が出てくると激しく混乱することになる。

関係代名詞を聞き逃さなかったとしても、文の途中で他の文を処理して前の文と頭のなかでつなぎ合わせるのは難しい。そういう複雑な文の構造を使いたがる人は、さらにandで繋ぎたがる傾向があり、そうなるとお手上げということになってしまいがちだ。

一文が長くなってくるにつれて、何の話かわからなくなるのは誰にでもあることだ。それが外国語であれば避けては通れないように思う。

文全体の構造を見失ったとしても、今いる部分の意味を追い続けることが重要だ。文脈、話の向かう方向さえ追えていれば、その先の話を聞き取るのに不都合が生じる可能性は低い。混乱しても立ち止まらずに話を追い続ければ、言いたいことの要旨は分かる可能性が高い。

関係代名詞whatや関係副詞where, whenなども弱く発音されるので聞き逃しやすい。I know where you live(あなたの住所を知っている)と言った時にはwhereとyouが弱くなってウェユリヴ、what it is(それが何であるか)といった場合はwhatもitisも頻出語のため全部ごちゃっとなってワリリズといった感じになる。

英語において「場所、時」は文末にいきなり現れる。なのでwhere,whenはどんな文でもいきなり出てくる可能性がある。

さまざまな場面で、w音は聞き逃すと話を見失う原因になるため、注意して聞く必要がある。

フォーマティと省略

英語において音の省略はインフォーマルな、友達職場の同僚との会話の時などに起こりやすい。目上の人との会話や、フォーマルスピーチでは、いい加減な発音は起こりにくく、日常の何気ないところでは発音が崩れて、聞き取りの難度が格段に増す。

これも結局のところ、フォーマルな会話は重要なのではっきりゆっくりと喋り、プライベート重要な話ではないので発音がおろそかになって、ゴニョゴニョと早く喋っているということだろう。

私は英語があまりできない日本人が「日常会話ぐらいなら出来ます」といってるのをよく見かけるが、あれはおかし表現だと思う。日常会話を聞き取るのはかなり難しい。

フォーマルな場では、日常使われるような基本単語を用いた分かりやす表現は避けられ、婉曲で難解な言い回し知的な感じがして好まれる。これはこれでとても難しいのだが、インフォーマルな場では砕けた発音スラングが出てくるので、これもすごく難しい。そういった英語の癖を掴んで、そういうものとして受け入れてやっていくことが大切だ。

反復と反射

さて、いろいろ書いてきたが、実際のリスニングの場で意識してこれらのことを実践することはできない。リスニングにゆっくり考えている時間はなく、全て反射的に無意識に行えなければいけない。

英語理解を反射にまで高めるためには、音読や、集中して繰り返し聴くことを行い、反復して脳に刷り込んでいくことが必要になる。

頭の中で黙読している時でも、英文自分のモノになっておらず、反射にまで至っていない場合、スルッと頭に入らず、引っかかる感覚がある。それに出会ったら、繰り返し音読したり黙読したりして、スムーズに頭に入るようにする。その積み重ねによって刷り込みが行われ、文が反射的に理解できるようになり、リスニングや、返り読みなしのリーディングが出来るようになっていく。

終わりに

リスニングの上達は基本的無意識レベル刷り込みによるものだが、注意すべきポイント理屈の上で意識していれば、脳内の処理も効率化されやすく、上達も早くなるように思う。

また、これらのポイント意識できていれば、「何だこの発音は! 全く聞き取れないじゃないか! 納得いかない!」といった混乱をすることが少なくなり、学習スムーズに行くのではないかと考えている。

私の英語学習は混乱の連続だった。日本語英語がなぜこんなにも違うのか、私には今でも納得いかない部分がある。怒りと諦めがないまぜになったような感覚と、それでもいつか理解できるんじゃないかという希望が私を英語学習に駆り立てている。

それでも、納得できないうちは頭に入ってこないので、なんとか納得して折り合いをつけて、受け入れて学習をすすめなければならない。

字面と全く意味が違うイディオムを受け入れ、ゴニョゴニョした発音を受け入れ、増えていく単語意味勝手に作られていくスラングを受け入れ、知的すぎて難解な言い回しを受け入れ、優秀なキャリアウーマンが話す信じがたいほどの早口を受け入れなければならない。

英語をあるがままに受け入れて理解しなければならない。この駄文がその一助になれば幸いだ。

2017-05-21

ハンバーグの正しい作り方

うぬらはハンバーグの作り方がまったくわかっていないようだ。そこでハンバーグの作り方を教えてやろうと思って筆をとる。

そもそもハンバーグとしての利点は以下の2点だ。

 

1、いろいろ混ぜられる。

2、形が自在である

 

1についての利点は皆、心得ているようだ。

野菜を入れてたり、豆腐を入れたり、チーズを入れたり、、まぁ好きにするがよい。

今日言いたいのは2だ。形だ。とくに肉の厚さだ。

ここで認識を改めてほしい。さて、大前提だがハンバーグは肉である

形が自在であるということは、厚みが自在であるということであるのだ。

まり、厚い肉を手頃に手に入れる事ができるということだ!そう、厚い肉はうまいのだ。

なぜうまいか。柔らかい肉を作れる温度にしやすいのだ。

柔らかい肉にしやすいかうまい、ということには、素人が焼いたんじゃうまくないということも言い含む。

作り方を伝授しながら説明しよう。美味しいハンバーグの作り方(焼き方)は以下だ。

 

1冷えたひき肉なら常温まで温めましょう。

 ここは最重要です。アホなやつは冷凍していたハンバーグ

そのまま投入したがりますが。ほんと、帰った方がいいです。

 

2たくさん揉むことで、(手の暖かさで)温めるのです。

 これ、多くのレシピで書かれている、こねることの最大の利点はなんと温めることなのです。

 なぜか。事前に温まってると、中心温度と表面温度とのギャップが小さくなる。

 すると、美味しい焦げ目のついた生焼けでないハンバーグが作りやすくなる。

(こねてる本人は気づいていないかもしれない)

 

フライパンの上で、形を均等に整えましょう。

 えーと、まだフライパンに火をつける、必要はないです。

 フライパンの上で、形を正しく整形しましょう。ぬるいと、ゆるいんで、フライパンの上で。

 ここで最も重要なのは、形を均一にすること。一緒に焼くハンバーグは、すべて同じ大きさ、同じ厚さを心掛けてください。

 あとあれ、真ん中へこませるとか。 

 

4いよいよ焼きます

 いまフライパンにはハンバーグが乗ってますね?

 コンロの火力が弱いご家庭の方は、フライパンハンバーグ詰めすぎないようにね。

 では、火をつけてください。ここからは焼き加減をしっかりと見ていきますよ。

 火力は強火です。触らずに、じっくり待ちます

待ってる間にハンバーグについての欠点を2つ教えておきましょう。

一、肉としての筋感がない

二、生では食べられない

そうなんです。生では食べられないんです。たとえ牛肉でもだめなんです。レアは。

からなおさら焼き加減が重要になってくるんですよ。

 

5焼き加減を見て、ひっくり返し、フタをする。

 どこで焼けたと判断するか、ここをしっかり覚えて帰ってください。

 ハンバーグの側面の色がすこし変わってきてますね?真ん中過ぎぐらいまで色が変わってるでしょうか?

 フライパンの面と接してる部分に焦げはあるでしょうか?

 焦げてたら、返しどきです!!さあ、かえしたら蓋をしてください!!

 

6蓋をしたら、水を少量投入し、スチームする。

 これ、蒸すというと何を勘違いされそうですが、目的は、蒸気で焼くのです。

 水蒸気は、100度を超えた水です。フライパンの中の温度を一気に高めるのが目的です。

 肉の厚さによりますが、変なニキビ潰したような汁が上から吹いてたら出来上がってます

 ひっくり返した後はすぐなので、よく注意してスチームコンベクションフライパンの中を見てくださいね

 

以上、どうだったろうか、9割を肉(ハンバーグ)の焼き方に力点を置いて説明した。

そのくらい焼き方(温度管理)が重要ということだ。

ジューシーにするためには卵の量がどうの、牛乳がどうの野菜がどうのこうの、と言いたがるが、

多分君が求めてるハンバーグの作り方の正解はそこにはない。

君が求めてるハンバーグの作り方の正解はこれだ。この焼き方だ。

十分参考にして、今夜は美味しいハンバーグを作ってインスタにでもアップするがよろしい。それではご機嫌よう。

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519182941

うそう。嫁の目の前で風当てたりなんだりするのは「すぐ食べたい」と「不機嫌になる」というふたつの理由ダメらしいのだ。

まり炊きたてのメシを冷ますという選択肢がなくなる。

とすると炊きあがり時間を前倒すように嫁の合意を取り付けるか、あらかじめ冷ましてあるメシを食うという二択になると思うんだよね。

嫁が「不機嫌になる」のは「嫁の目の前で風当てたりなんだりする」のを当てつけと解釈するからだろう。

であれば、あらかじめ飯を冷ましておくという選択肢も当てつけと解釈されるのでその選択肢はなくなる。

ところが増田は「こんな単純な頼みひとつをなぜ嫁は実行できないのか!」という部分にすごく主張の力点を置いてて、冷めたメシを食うのがゴールなのか、嫁をいっしょに罵倒してほしいのかが今ひとつ判然としない。故意にぼかしてるんだろうけどね。全レスみたいなことしてるわりに建設的な発言はことごとくスルーしてるから

実際「単純な頼みひとつ」であって、対応しない理由理解できないから、イライラして罵倒のようになっているだけだろう。あと増田だっていうノリで調子乗ってる感。

建設的な発言(のように見えるもの)は基本的に既に実施たか状況的に効果がないかのいずれかでは。

追記も一通り目を通したが、完全スルーしてるのはあまりないような。現実的で試してないのは LINE で事前に、くらい。多分無駄だけどそれ。

http://anond.hatelabo.jp/20170519133108

うそう。嫁の目の前で風当てたりなんだりするのは「すぐ食べたい」と「不機嫌になる」というふたつの理由ダメらしいのだ。

まり炊きたてのメシを冷ますという選択肢がなくなる。

とすると炊きあがり時間を前倒すように嫁の合意を取り付けるか、あらかじめ冷ましてあるメシを食うという二択になると思うんだよね。

ところが増田は「こんな単純な頼みひとつをなぜ嫁は実行できないのか!」という部分にすごく主張の力点を置いてて、冷めたメシを食うのがゴールなのか、嫁をいっしょに罵倒してほしいのかが今ひとつ判然としない。故意にぼかしてるんだろうけどね。全レスみたいなことしてるわりに建設的な発言はことごとくスルーしてるから

2016-10-30

PPAPを見るたび思い出す。

支点力点作用点!!(動画見てみたらそんなに似てなかった)

2016-06-01

IDコール

気づくのに、だいぶ間があいしまったので、これから

返信するのもどうかと思ったけれど、簡単おこた

しておきます

1.

id:oxymore “本当であれば”とか言いながら記事の内容に乗って言いたい放題政権disに繋げてる人は気持ち悪くないんですか?とても冷静とは言い難く、弁護士としての資質を疑います


そもそもそれを、どうしてわたしにおっしゃるのか。

わたしコメント力点は、なによりど素人が、さも

わかったふうに精神疾患であるかのように決めつける、

偏見しかないもの複数アカウントが持ち出して

いる陰湿な感じにたいして、何とも不快であると表明

しているところにあります

焦点の異なるコメントにたいする批判(?)としては、

いささか筋違いなのではないか愚考する次第です。

しかしCapricornusさんのいわれる「冷静」であるということ、

これはこれで大事だとおもう。正々堂々、「冷静」に議論すれば

いいと、わたしもそう思います精神障害だと決めつけている

ような人たちは、はたして「冷静」か、否か。あるいは、何かを

主張するさいに、その人の職業資質(?)や属性論点

ずらすようなやり方は、「冷静」で「説得力」をもつのか。

あなた論法は、このような方たちには適用されないのでしょうか。

弁護士」として発言してはいない人たちにはあてはまらない?

政権批判あなたの言い方なら「言いたい放題政権dis」)する

不届き者をやりこめるなら、少々の乱暴は許される?

しょせん、ネット便所の落書きの延長、実名だすならともかく、

本名なのらなければ何を書いてもいい? さて。

2.

Capricornusさん最初コメントにこう書かれていました。

事実に反するばかりと言う怪しい記事持ち上げてるこのブログを持って、保守速報を持ち出す安倍氏批判してる人たちには説得力と言うものを学んでほしい。事実はどうあれこんなペラ一信じ込む弁護士って不安じゃない?



この「事実に反するばかりと言う怪しい記事」というのは、

これ、誰がそう言っているのでしょうか? 伊藤弁護士

ブコメのどれか? それともCapricornusさん

伊藤弁護士記事中にはそのようなくだりは見つけることは

できませんでした。たしかに、彼女流出メモの内容に

ついては手短ながら例をあげつつ「的外れであると指摘

していますしかし、記事自体についてはそう言ってはいません

(もちろん、記事はすべて事実だ、とも書かれてはいない)。

FACTA記事言及したブックマークコメントも、眉唾だと

評しているものはおおいが「事実に反するばかりと言う怪しい

記事」といっている人が大勢、というわけではないようです。

池田信夫氏でさえ、「しょせんFACTAから真偽のほどは定か

ではないが」と書いていましたが、ひとまず真偽不明、とする

のが、「冷静」な読み方かと。

たとえメモの内容が、伊藤氏の現実の「事実に反」していた

として、そういったでたらめな文書が流布されている、など

いくらでも現実的にありうる事態を考えうるし、とうぜん、

それをもってFACTA記事を「事実に反するばかり」とは

論理的にいえません。

誤読詭弁、あるいは書き間違いでなければ、「事実に反する

ばかりと言う怪しい記事」と主張できる根拠わたしがよみ

おとしてしまっていることになります。面目ない、ぜひご教示

いただければさいわいです。

3.


しかに、伊藤氏の書きぶりにも脇が甘いところがある。

あなたの「記事の内容に乗って言いたい放題政権dis」という、

批判」と「誹謗中傷」を混同する言い回しには、わたし違和感

をもちましたが(かりにも自由民主主義を標榜する権力が、人々を

監視するならば、原則的には、それは二枚舌だと、批判されても

しかたがないでしょう)、伊藤氏の文中、とくに

って、およそ大人国家対応じゃない。子どもみたいな対応です。

恥ずかしいです。それこそネトウヨレベル。呆れてものが言えません。



のくだりの前後など、頻出する「ネトウヨ」、また「子どもみたい」、

「恥ずかしい」「呆れてもの」も言えない、などなど、読むものに、

ある方向での感情を抱かせがちな、いわゆる充填語がおおく、論点

取的な筆の運びになってしまっていると批判されてもおかしくない。

ただ、この文章活動家アジテーション権力監視行為一般

たいする牽制政治的声明NPONGO代表として権力による

監視行為への基本的姿勢を述べたものでもあるでしょう。

そのような性質文章ならなおさら言い回し・語彙の選択、どこまで

いえて、どこからは慎まなければならないのか、などなど、いくらでも

書くさいに考慮すべきことはあろうし、批判する方も仔細に吟味すれば

よい。伊藤氏の文章も、私のこの文章だっていくらでも批判される点

はあるでしょう。

ともあれ、弁護士ともあろうもの、「冷静」たれ、と批判しているひとが

いたとして、とうぜん、まわりはその批判者も「冷静」であるかどうかは

いやおうなしに見えてしまうし、「公正、フェア」であるかもはかられる

でしょう。そのような「冷静」な批判には、具体的な事実文言など、

根拠論理がそうおうに求められると思うが、いかが?

5.

などとつらつら書いているうちに、続報きましたね。

(続) 安倍政権が監視しているとの報道・FACTA編集部に話をきいてきました。

さて、「事実に反するばかりと言う」「怪しいペラ一信じ込」んで、

「言いたい放題政権dis」るようなとうてい「弁護士として」ふさわしからぬ人物が、

裏取りのような真似は間違ってもするはずがないので、いったいどんな

妄想を書きつけているか、楽しみにあとで読んでみようと思います

2016-05-23

『レヴェナント』のテーマ考察

『レヴェナント』を観た。

監督の前作『バードマン』に比べて難解で、現段階ではテーマがさっぱり分からないのだが、主に海外サイト議論を参考に、テーマ考察をまとめておくことにした(これを踏まえてオーディオコメンタリーインタビューが出るのを待つことにする)。

そこで以下、結論難解な理由、様々な視点から問題提起、現段階で考えられるテーマ妄想)の順に書いていくことにする。

1. 結論(先出し、めんどくさい人はここだけ読めばOK)

考えながら書いたので、思ったより文章が長くなってしまった。結論を先に書いておく。

(1) 『レヴェナント』はどういう物語

『レヴェナント』をそのテーマに基づいて要約すると次のようになる。

主人公グラスは、その人生の全てであった息子ホークを殺されたことで、生きる意味を見失い、死亡する。 しかし、息子を愛する気持ちにより、死と再生を繰り返し、野生動物に生まれ変わってまで生き残り、宿敵フィッツジェラルドのもとにたどり着く。

最後の戦いではフィッツジェラルド瀕死の重傷を負わせた末、神の代行者リーによる神罰を引き寄せ、息子の敵を討つ。 息子を失い、復讐という目的も失ったグラスの精神崩壊し、(ブチャラティ的な意味で生き延びていた)肉体もついに死を遂げる。

(2) 『レヴェナント』のテーマは何か

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2. 難解な理由

(1) 単純なテーマに落とし込みづらい

『レヴェナント』のストーリーを単純に言えば、「復讐心に捕らわれた男が、大自然の中で死闘を繰り広げるが、最終的に復讐をやめる話」である(図式的に表現すれば、『大いなる勇者』+『デルス・ウザーラである)。

このストーリーを見たとき、すぐ連想するテーマは、①復讐のむなしさであったり、②大自然と対比された文明批判である

しかし、①復讐のむなしさがテーマだと言い張ることには疑問が多い。というのも、(後述するように)復讐をやめた後の主人公の表情は発狂寸前のそれである復讐を完遂して破滅するか、中止して救われるかの方がテーマとしては明確なはずである)し、監督自身インタビュー復讐物語を描くこと自体には興味がないと答えているからだ。

さらに、②文明批判テーマだと言うのも苦しい。というのも、この映画には文明に対する疑問が提示されることがないからだ(『デルス・ウザーラ』のデルス、『大いなる勇者』のジョンソンのように、文明対立する人物が出てこない)。

ということで、『レヴェナント』は単純なテーマ理解することが困難である

(2) 解釈に影響を与えそうな要素が満載

『レヴェナント』は昔の映画からたくさん引用をしている上、宗教的意味ありげな要素がたくさん散りばめられている。さら監督過去作品との整合性まで考慮に入れるとすると、どの要素にどの程度力点を置いて物語解釈すれば良いのか分からないという問題があり、これがテーマ理解の妨げとなっている。

(3) 特にタルコフスキー引用が難解

(2)と関連するが、『レヴェナント』ではタルコフスキーの諸作品(『僕の村は戦場だった』、『鏡』、『ノスタルジア』、『アンドレイ・ルブリョフ』)から引用が多数なされている(これを分かりやすくまとめた動画がある:https://vimeo.com/153979733)。

しかタルコフスキー作品と言えば、それ自体が難解映画の筆頭である。そこから引用となると、どういう意図なのか(タルコフスキー意図をそのまま継いでいるのか、ただタルコフスキー表現が気に入ってやりたかっただけなのか)が皆目検討がつかないのだ。

3. 様々な視点から問題提起

そういうわけで、『レヴェナント』は難解な映画なのだが、海外ファンサイトでいくつか有力な問題提起がなされていたこから、これをいくつかまとめておく。

(1) [視点Ⅰ] イニャリトゥ監督過去作品から見る

ア. うまくいかない親子の関係

まず、イニャリトゥ監督過去作品では、「うまくいかない親子の関係」が描かれることが多い。

監督の前作『バードマン』では、監督そっくりの父親が、娘に全く愛されず尊敬もされていないことに気が付き、悩む様が描かれる。また、デビュー作『アモーレス・ペロス』では、マルクスそっくりの元反政府活動家が、活動のために家族を捨てたことで愛する娘と会えず、悲しむ様が描かれている。

これらの作品に比べ、『レヴェナント』は異質である。というのも、主人公グラス(ディカプリオ)と息子ホークの関係は互いに愛し合っているからだ。

この点をどう評価するのかがまず1つの問題である問題点α)。

イ. 死と再生

前作『バードマン』で、主人公は、演技に悩んだ末、舞台拳銃自殺をする場面で、拳銃実弾を込めて自分のこめかみに発射する。その死を賭した演技が絶大な評価を受け、主人公は自らの弱さの象徴であるバードマンを打ち倒すことに成功する。

こうした死と再生イメージは、映画でよく用いられるモチーフである(『鏡』、『8 1/2』など)が、『レヴェナント』ではこれが3回(数え方によっては2回とも4回とも)も行われる。

① 熊に襲われ瀕死となり、フィッツジェラルドに埋葬されるが、立ち上がる。② インディアンに追われ、川に流されるが、生還する。③ 崖から落下したのち、馬の中に隠れ、回復する。

ではそれぞれ、何に生まれ変わったのだろうか。前作『バードマン』で主人公は、拳銃自殺ギリギリのことをすることで、弱さ(バードマン)を克服した強い人間に生まれ変わった。では本作ではどうか。

これについて、海外サイト面白い考察があった。グラスは死と再生を繰り返すたびに、野生動物に生まれ変わっているというのである

(ア) 熊

まず最初にグラスは熊に生まれ変わっている。その表れとして、グラスは熊の毛皮を着て、首に熊の爪のネックレスをしている。さらに川で魚を手づかみにし(木彫りの熊)、それを生のまま食べている。

(イ) 狼

次にグラスは狼に生まれ変わっている。その表れとして、インディアンバッファローの肉をもらう際、四つんばいになって人間にへつらっている。そしてインディアンが肉を投げると、これを貪るように食っている。

(ウ) 馬

さらに、グラスは馬に生まれ変わっている。これは冷たい夜を生き抜くために、馬の死体の中に隠れ、後に這い出ていることから明らかである

(エ) 謎の肉食獣

最後の戦いにおいて、グラスは牙と爪で戦う肉食獣に生まれ変わっている。これは、銃を放棄し、斧(牙)とナイフ(爪)で戦っていることに表れている。

上記の見方はそれ自体面白い見方だと思うが、これによって何が言いたいのか、というのはまた1つの問題である問題点β)。

なお、グラスが当初の瀕死状態から山を走るところまで回復するのは、死と再生を何度も繰り返すからだという見方があった。

(2) [視点Ⅱ] タルコフスキー引用から見る

先に貼った動画https://vimeo.com/153979733から明らかなように、『レヴェナント』ではタルコフスキー作品から引用が非常に多い。

そのうちよく解釈に影響を与えそうなものとして挙げられるのは、「宙に浮く女性」、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」、「鳥」、「朽ち果て教会」、「隕石である

このうちここで取り上げたいのは、「ラストシーンでグラスがこちら(観客側)を凝視する表情」である。他の引用解説が面倒くさすぎるので各自ぐぐってほしい。

この表情の元ネタは、『僕の村は戦場だったである。この映画主人公イワンくんは、ソ連少年兵であるが、母と妹をナチスによって殺害されている。問題の表情は、そんなイワンくんがナチス相手戦闘を仕掛けるシミュレーションを1人でしていたときのものである

まり、この表情は、純粋で愛に満ち足りていた少年の心が、ナチスへの復讐心で歪み、壊れかかるときのものである

これをそのまま『レヴェナント』のグラスに類推するならば、グラスの心は最後の戦いの後、壊れかけていたことになる。

しかし、『僕の村は戦場だった』と違い、『レヴェナント』では復讐を止めた後にこの表情をしている。そのため、イワンくんの内心をそのままグラスに類推していいものか、グラスは最後にどういう心境だったのか、という問題が生じる(問題点γ)。

(3) [視点Ⅲ(おまけ)] 監督目標から見る

イニャリトゥ監督インタビューで、目指している映画として以下の5本を挙げている。

黒澤明デルス・ウザーラ』② コッポラ地獄の黙示録』③ タルコフスキーアンドレイ・ルブリョフ』④ ヘルツォークフィッツカラルド』⑤ ヘルツォークアギーレ/神の怒り』

共通点は、いずれも撮影に困難が伴った映画であるということである

①『デルス・ウザーラ』では秋の風景を撮るはずが雪が降ってしまったためソ連軍を動員して人口葉を木に付けた、②『地獄の黙示録』では台風でセットが全て崩壊した、③『アンドレイ・ルブリョフ』ではソ連当局検閲が通らず製作から公開までに10年以上の歳月を要した、④『フィッツカラルド』では実際に巨大蒸気船を滑車を使って山越えさせた、⑤『アギーレ/神の怒り』では撮影過酷から引き上げようとした俳優を銃で脅した、などなどの多数のエピソードがある。

そうすると、「テーマとかどうでもよくて、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃ・・・」という疑念が湧いてくるのである問題点δ)。

(4) [視点Ⅳ] 「復讐神の手にある」の意味から見る

これはグラスが途中で出会った一匹狼のインディアン言葉だが、意味は正直言ってよく分からない。

ただ、ラストシーンでグラスが復讐を委ねた相手インディアンリー誘拐されたポワカの父親である。このことから海外サイトの中には「リー神の手、すなわち、神の復讐の代行者である」との解釈が多く見られた。

(5) [視点Ⅴ] グラスの生きる意味から見る

イニャリトゥ監督作品テーマはいずれも生きる意味にまつわるものであるが、この点に関してグラスが2つの重要言葉を残している。

All I had was my boy... but he took him from me.“

「私にとって息子は全てだった。しかフィッツジェラルドは私から息子を奪った。」

“I ain't afraid to die anymore. I've done it already.”

「私はもう死ぬことを怖れていない。私は既に死んでいる。」

息子が全てだったという台詞は、グラスの生きる意味が息子にあったことを示している。そしてこれは、デビューから親子の関係を描き続けてきた監督自身言葉でもあるだろう。

息子がフィッツジェラルドによって殺害されたことで、グラスは生きる意味を失う。代わりに「復讐」という意味見出したかのようにも見えるが、それによって再生した姿は上述したように、野生動物の姿である

このことからすると、私は既に死んでいるという台詞は、「生きる意味を失ったことで、人としては既に死んだ」ということを意味するのではないだろうか。

(6) [視点Ⅵ] グラスは死んだのか論争から見る

海外サイト掲示板などで最も熱く議論されている論点は、グラスは死んだのか?という点である

これが問題となる理由は、①復讐モノの物語復讐者の死で終わる場合が多いということと、②戦いに勝利したとはいえグラスも致命傷を負っていること、③スタッフロールが始まってもグラスの吐息が聞こえること、といった事情があるからである

さら映画外の理由であるが、④前作『バードマン』においても主人公最後に死んだのか死んでいないのかで論争があったこともこの議論に影響を与えている。

死んだ説に立つ人は①②の事情を挙げ、死んでないよ説に立つ人は③④の事情を挙げている状況にある。

しかし、これもテーマとの関係で考える必要がある(問題点ε)。

4. 現段階で考えられるテーマ妄想

これらを踏まえて、現時点で筆者なりに『レヴェナント』のテーマについて考察してみたいと思う。

(1) 問題点α:監督過去作と違い、『レヴェナント』では親子(グラスとホーク)が愛し合っている。これにより、監督連続して掲げてきた「親子」というテーマ消失・変容したか

結論

① 『レヴェナント』においても主要テーマは「親子」である

「親子」というテーマは『レヴェナント』においても依然として維持されている。

その根拠は、(a)グラスの息子ホークというキャラクター史実存在していないのにわざわざ登場させたこと、(b)監督インタビューに対して、息子を登場させたのは親子関係を題材にすることで物語がより複雑で充実したものになると考えたからだと答えていること、(c)デビューから前作まで延々親子関係テーマにしてきた監督が、ここに来て生涯のテーマを捨てたとは考えにくいこと、である

② しかし、「親子」というテーマに対する切り口が、前作までとは違う。

前作までの切り口は、分かり合えない親子の問題をどう解決するか、というものであった。『レヴェナント』はそうではなく、子供を生きる意味としてきた親が、子を喪失したとき、どうなってしまうのか、という切り口で「親子」というテーマに迫っている。

その根拠は、(a)グラスが息子ホークが人生の全てであったと言及していること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(2) 問題点β:グラスは死と再生を繰り返す過程野生動物に生まれ変わっているが、これは何を表現しているのか。

結論:息子ホークを失ったことで、グラスが生きる意味喪失し、結果、人間としては死んだということを表現している。

その根拠は、(a)野生動物へと生まれ変わるタイミングが、息子ホークを失ったことをグラスが認識した時点からであること、(b)グラスが息子を失ったことで一度死んだと(解釈しうる)発言をしていること、である

(3) 問題点γ:ラストシーンでのグラスの表情の意味は何か。

結論:グラスの精神が壊れ(かかっ)ていることを意味している。

その根拠は、(a)元ネタである僕の村は戦場だった』のイワン少年がやはり精神が壊れかかったときにこの表情をしたということ、(b)息子ホークという生きる意味に加え、復讐という一応の生きる目的さえ失ったグラスには、これから生きる意味が何もないこと、である

(4) 問題点ε:グラスは死んだのか。

結論:グラスは死んでいる。

この問題は前作『バードマン』で同様の問題が争われたときと同様、作品テーマから考えなければならない。

前作『バードマン』で主人公の生死について争いになったとき、生きている説が有力となった理由は、作品テーマが「『中年危機』を迎え、娘ともうまくいっていない父親が、この先どう生きていけばいいのか」というものであったという点にある。つまり主人公が死んでしまうとこのテーマとの整合性が取れないのだ。

しかし『レヴェナント』では、主人公は既に自分は既に死んでいる旨を明言し、生きる意味を新たに獲得した様子も認められず、その心は壊れかけている。

ここから解釈が分かれるところだが、『レヴェナント』のテーマは「親が子をいかに愛しているか」という点にあるのではないか

グラスは本人が言うように、息子ホークの死亡を確認した時点で、死んでいた。それにもかかわらず死と再生を繰り返し、フィッツジェラルドのもとにたどり着いたのは息子を愛する精神の力(つまりジョジョ5部のブチャラティ的な意味で生きていただけ)によるものではなかったか

フィッツジェラルドを打ち倒し、インディアンリーによる神罰を引き寄せた時点で、彼の精神崩壊し、肉体的にも精神的にも死亡したのではないだろうか。

(5) 問題点δ(おまけ):監督は、むちゃくちゃつらい撮影がしたかっただけなんじゃないの?

結論:それはインタビュー見てるとそうかもしれない・・・。

5. 結論(再掲)

本作のテーマは、親が子を愛する気持ちいかに強く、大きいものか、ということである

2016-05-19

ズートピア』が描くグロテスクな"多様性"

 『ズートピア』はオーウェル小説動物農場』のディズニー流のアップデートである舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間ほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。

 しかし、私が主に取り上げたいのは『ズートピア』と『動物農場』の相違そのものではない。『動物農場』のアップデートであるなら、そもそも『動物農場』という作品が生み出された背景がそうであったように、『ズートピア』もまた同様に"子供向け"に戯画化されたものではない、ということだ。つまり、ある一定ディズニー並びにハリウッド作品を観る際にどうしても想起してしまう"勧善懲悪"とも呼ばれる単純な力関係に留まる作品として論じてしまうのは、この作品が描いている(我々が住む"先進国"社会酷似した)社会形態のを、グロテスクものとして描いているという事実を見落としてしまう、ということだ。

 「グロテスク」が具体的にどういう性質を指してるかは後に詳しく取り上げるとして、まずは『動物農場』との相似を洗い出そう。『動物農場』では既存権力の持ち主である人間を打倒しようと農場内の長老である豚が呼びかけた後、その長老と同じ種である豚が主導となり人間の打倒と、権力の奪取を果たす。権力の逆転が描かれた後、そこからさらにその権力が腐敗し、かつての権力の持ち主と酷似していく様を描いている。『ズートピア』でも同様に、権力の持ち主である肉食獣を追放し、草食獣が権力を得る。しかし、その後の社会様相の腐敗として描かれるのは、『動物農場』のそれとは違うものである。この肉食獣が追放される背景は、砂川秀樹が「男色近代社会化以前には受容されていた」という言説に対する反論として、近代社会以前から否定的に捉える見方があったことを挙げ、それが近代化社会以降にゲイに対する「病理フレーム」が形成されたことの背景にあるという指摘していたケースと酷似している。すなわち、ズートピアという街にあてはめるなら、冒頭の子ども劇において近代化文明化というものを"進んだもの"とする言説が背景にあるからこそ、その言説が暗に導き出す"野生"というスティグマが、肉食獣という属性表象として充てられた、というわけだ。草食獣であり小動物であるジュデイが警察官を、肉食獣の子どもが税の査察官を目指すということを、それぞれの属性と"相反するもの"への志向(だからこそ"自由"や"可能性"の提示となる)として挙げられていること自体に、すでにこの世界形成する言説の中に、後に肉食獣が「病理フレーム」の中に収められることを暗示している。

 『ズートピア』と『動物農場』でそれぞれ権力の腐敗の在り方が違うのは、『ズートピア』が主題として据えているのは、差別が未だ存在する社会においての振る舞いであり、また、そうした社会対峙することの難しさであるからだ。だが一方で『動物農場』と共通しているのは、たとえ既存社会構造の不当な点を糾弾したものであったとしても、新たに権力に座する者が、特定属性を以てして社会的地位を不当に貶めたり、あるいはその逆に持ちあげたりすること。つまり権力立場にあるものが、いち個体が否応なしに複合的にまとうあらゆる属性の中から任意属性を持ち出したり、あるいは見出したりして、それを根拠権力側の良いように用いることそのもの社会の腐敗を招く、と指摘している点にある。こうしたケースは今日の"先進国"社会においても行われている。そのあらゆるケースの中でも、創業者であるウォルト・ディズニーが、かつて「赤狩り」と呼ばれたハリウッドにおける排除運動に加担していたという記憶を持つディズニーにとっては、なおのこと無縁ではないだろう。なぜなら、その赤狩りこそ、『動物農場』が受容されたのと同じ背景の中で起きた現象なのだから。つまり、『動物農場』が、"反スターリニズム、反ソ連"として受容された時代イデオロギーの中に回収された結果招いた、「赤狩り」という別の形での全体主義化を経た後の問題提起をする為、違った様相社会の変化を描く必要があったのだ。では、その必要はいったいどういう形のものなのか。

 まず、そもそものズートピア』(原題も"Zootopia")というタイトルから振り返ってみたい。誰もがその語感から動物園("Zoo")とユートピア("Utopia")を連想するこのタイトルと、それが充てられた都市の姿や本編内で取り上げられている問題とを照らし合わせると、この名前一種ミスリードを引き起こそうとしていることは誰の目にも明らかだろう。しかし、このユートピアに対するミスリードを行おう、という意図製作者側にあることを考えると、一方でユートピア思想のものを全く信じていないであろう、という可能性が高いものとして浮かび上がってくる。つまり、この作品世界はそもそも、主人公にとっての、あるいはそれに感情移入するであろう観客が考える様なユートピアを描こうという意図の下では成り立っていない、と考えることも決してできなくはない。では、それなら反対にディストピアを描こうとしていた、とするのもまた違うだろう。それこそオーウェルが『動物農場』の後に出したディストピア小説『1984年』で問題としているような、監視カメラシステムを駆使した管理社会は決してネガティヴものとしては描かれていないし、作中で市長と並び権力象徴として現れる警察だって最後にはジュディに味方する。ズートピアに張り巡らされている権力構造が、一様に悪しきもの還元されるものとして描かれていないところを見ると、『映画クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲』において大人たちが夢中になる昭和の街並みのように、ユートピアを模したディストピアを描いている、とするのものまた違う。では何を志向していたかといえば、ただひたすら身も蓋も無く、我々"先進国"における社会現在の姿を炙り出すことにこそ本作の力点がおかれていたのではないだろうか。

 オーウェルが『動物農場』で描いたようにユートピアへの志向がある種のディストピアを生み出し、また『1984年』でディストピアは一方で誰かにとってのユートピアであることを描いてきたこと、さらに言えば今までのディズニー作品ハリウッド作品が数多く生み出してきた作品へ寄せられた批判を鑑みれば、主人公ないし観客のユートピアを描くことで何かの可能性を見出そうとする、虚構作家なら誰もが夢見る境地との決別こそが、今のディズニーが走っている地点ではないか、とすら思える。だとするなら、管理化・全体化社会兆しとして表象される監視カメラとの関係、後半で肉食獣と草食獣とが分断されてしまったと言われる前から存在する、小動物と大型動物との"棲み分け"をあからさまに感じる都市デザインマジョリティマイノリティ形成マクロでいうところの都市デザインミクロでいうところの建築様式という、物理的な段階からすでに反映されている)、朝礼時には着席を強要しながら、大型動物に合わせて設計されてるが為に、ジュディが座ると署長の顔すら見えないサイズ感の机とイスが、ジュディが"認められた"後も変更は行われず、それどころかジュディとニックに同じイスを共有させること(1人分の席に2人が座らされているのである)や、かつてジュディに偏見しかいいようがない対応をしてきたことに対して何も悪びれもしなければ、むしろジュディに対して冗談を飛ばすほどの親密さを示してみせる警察署長の態度、そして何より権力に対して何も批判的な態度を持てそうにない警察という組織が持つホモソーシャル性格をあけすけもなく描いているのは、それらに対して作品内で明確な批判が行われないということの薄気味悪さも含めて呈示しているのではないか

 だとするなら、本作が「子供向け」であるが為に、権力に対して批判的な態度を伴っていない、とするのは、少々早計ではないだろうか。確かに、ディズニー子どもを含めた幅広い年齢層の支持によって成り立っている。しかし、その中には子供と呼ばれる低い年齢層の観客もいれば、それこそ子供の頃からディズニーに触れ続けた高齢の観客だっている。そうした状況の中で、こと任意の年齢層の観客だけ取り出し、それにのフォーカスをあてようとするのは、作品もつ性質を見誤ることに繋がるおそれがある。「子ども向け作品からしょうがない」とするのは、すでに子供の在り方を規定づけるものしかないのみでなく、未だ巨大資本によって子供たちが社会へ"馴致"されるべきだとすることへの別の形での肯定にも繋がる。しかし一方で、ディズニーが「子供向け作品」の地位に就いていることも、決して無視していいものではない。ならば、なぜディズニーはずっと「子供向け作品」であり続けたかを問わねばなるまい。結論から述べれば、それは「グロテスク」だからである

 これまで述べた「グロテスク」の定義は、マサキチトセが自身の論考のタイトルに用いた『排除忘却に支えられたグロテスク世間体政治としての米国主流「LGBT運動」と同性婚推進運動欺瞞http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/23399 に依っているところが少なからずある。しかし、ここで取り上げたい「グロテスク」については、美術観点からのものである。どういうことかというと、ディズニーアニメ製作者としての名前を不動のものにしてからずっと追及してきたのは、デザインと動きの"かわいさ"である。"かわいい"とされるものは、その多くが直線的なイメージではなく、曲線的なイメージによって、硬質なものではなく、柔軟なイメージによって構成される。これらの美学根本を辿れば、動物植物をあしらった、古代ローマ美術様式の一つであるグロテスク様式に辿り着く。ツイッター上で「モフモフ」と公式アカウント形容された『ズートピア』を形成する美的様式は、根本からして「グロテスク」なものなのだ。この2つのグロテスク」がピタリと重なり合うのは言うまでもなく、主人公ジュディの造形や仕草であり、冒頭に警察を夢見る彼女暴行を働いたキツネギデオンウサギが(警察官を目指すに値しない)弱者たる徴として挙げた「鼻をヒクヒク」させる動きが、権力関係が決定的に転覆される場面の直前に配置されていることからもわかる。

 「かわいい」は弱者の徴である。それ故に、その「かわいい」を極めたディズニーは、今日アメリカ象徴し、公的権力からも寵愛を受ける地位を築き上げた。つまり、『ズートピア』は、その地位を利用しつつ、現在アメリカをはじめとする先進諸国社会形態の描く"多様性"の脆さと「グロテスク」さを描くことと、またそのヒントや問題は、明白に誰かに取り上げられているわけでなくとも、世界のいたるところにある、この2つを描くことを目論んでいたのではないだろうか。その一例として、コロンビア女性シンガーであるシャキーラ演じるポップスターガゼルモデルとなっている動物であるブラックバックは、オスにしか角が生えていないこと。つまりガゼルトランスジェンダーポップスターであるということが、作品内で明確に言及こそほとんどされていないが造形として現れていることから見ても、決して拭い去れるものではないと私は思う。

2015-11-26

ぶりっこは汚い発音だとおっしゃいましたか

じゃあぷりきゅあはどうなんですか

おわかりいただけないようでしたら「」で「ぷりきゅあ」としておきましょう

ぶりっこアナルから勢いよくおならと大便をひり出している光景喚起する音であるのに対し

ぷりきゅあはアナルから踏ん張りのうまい力点において次々と大便を運び出しているそのリズム喚起する音である

もはや何も言いますまい出るものは出たのです

2015-09-18

ジャップ糞女を殺すことにしか人生の楽しみがない

結婚するにも女を利用するにもジャップ糞女を殺すところに力点がある

2015-08-29

合理的家畜社会を考える堀江

よく増田優生学のような意見散見されるが、階級社会が厳しくなりすぎるとレジスタンス組織されたり、社会運動が巻き起こったり刑事事件が頻発したり等ろくなことはない。

ホリエモンは捕まる前に、人間は適度に性欲と食料を供給すれば満たされるので大衆にはそう対応すればいい、と言った。

この手の発言現在ツイッターアカウントでも行われており、数日前も「使えない奴は働くな、効率が落ちて邪魔になる。その代わり生保でも何でも受けて暮らしていればいい」などと発言していた。

これはよくよく聞くと差別発言ではない。ただ単に両発言ハードボイルド効率性を述べているだけだ。

勿論感情的は全く良い気分はせず、前者であれば人間動物ではないという反論がなされるあろうし、後者においては働く権利や機会均等性などが叫ばれるだろう。

ホリエモン増田の違いは、プライドを発揮していても冷静に利を判別できているところだ。

締め付け過ぎた社会体制悲劇を生むことをホリエモンは知っているのである

悪く言えば、豚を飼うにはほどほどのジャンクフードと性欲解消のメディア、そしてすし詰めの住居をもれなく与えてやれば良い、という発想になる。

勘違いしないで欲しいが、これを書いている自分自身支配層でもなければ高い地位を得ているわけではないという点だ。

理にかなっているかどうかという観点しか話をしていない。

ただ単に優越視点しか持てない人間は、小さな頭の良さのみを持つ影響力なき小人であり役立たずである

会社組織の中で自分役割しか理解できない無能である

個人において頭が良いか悪いか、優越しているかどうかに力点があるものは大局が読めず時代の節目に敗れる。

2015-07-19

自然日本語文を書くには

英文の私訳をちょこちょこすることがあって、違和感もたれないようにするにはどうすればよいかググって理解した内容を自分メモとしてまとめてみる。

次の例文を参考にする。不謹慎なのはご容赦いただきたい。

例文
英文
The heat killed many people.
和文
暑さで人がたくさん亡くなった。
スル言語とナル言語
英語

英語は力がどう動いたかに着目する。てこの原理のように、
The heat力点
killed支点
many people作用点

と考えると分かりやすい。

まり、「kill」という動作が「The heatから発せられて「many people」が受け取ったということになる。

日本語

日本語が状態の変化にのみ着目する。この場合
前は生きている状態
今は死んでいる状態

と変わったので、その状態変化を意味する「亡くなる」を遣う。

この後は

  • 誰が? → たくさんの人が
  • なんで? → 暑さで

という形で文に足していけばよい。

数量詞遊離

次の例文に違和感を持たれるだろうか。私は覚える。

―――郵便局の窓口にて
局員:いらっしゃいませ
 客:すみません、5枚の桜のマーク切手を下さい

客はどう言えばよかった

数量詞の遊離とはふつう動詞を修飾するべき数量詞が別のところを修飾してしま現象だ。上の例文だと「桜のマーク切手を5枚下さい」となるのが自然で、その場合は「下さい」を修飾することになる。

すみません、5枚、桜のマーク切手を下さい」と言うこともできるが、これも同じく「下さい」を修飾している。遊離先の場所が変わっただけだ。

many people

冒頭の例文も郵便局の例文と同じように考えることができる。「たくさんの人が亡くなった」と表現することもできるが、上記の遊離がされていないからことな翻訳調になってしまう。「亡くなった」を修飾するようにして、「人がたくさん亡くなった」とすれば自然文章が出来上がる。

まとめ

数量詞遊離はロジック面で不自然な文から自然な文に変える働きがある。

それ以上に重要なのがスルに着目するのかナルに着目するのかという考え方の違いだ。無生物主語の文に違和感を強烈に覚えるのもこうした考え方の違いなんだろう。この違いを覚えていると、英語の読み書きが楽になるんじゃないかと思う。

2015-05-12

響け!ユーフォニアム」の滝先生モヤモヤする件

アニメ響け!ユーフォニアム」を通して見る揺れる心

http://seagull.hateblo.jp/entry/2015/05/11/144400

こちらを見てて、滝先生が「生徒に目標を決めさせる場面が誘導尋問である」という指摘に「そう!そうなんだよ!」と思った吹奏楽経験者です。

自分は中高大とアマチュア吹奏楽続けてた(就職時間が取れなくて止めた)んだけども、中高はいわゆる弱小で、大学も中高に比べれば雲泥とはいえ、まあそこまで上手くはなかった感じの人間です(全国大会にはほぼ縁のないレベル)。

でまあ滝先生モヤモヤする点って、それが効果的かつピーキー手法からなんですよね。

そもそも吹奏楽(オーケストラもだけど)同時に演奏する人数がやたらに多い。

ロックバンドですら「音楽性の違い」とか様々な理由で解散するのに、50人からの人数(しかもまだお互いの意思疎通・合議能力に乏しい高校生)をまとめ上げるのは大変。

生徒の自主性を尊重してたら時間がかかってしょうがない。

その上、「部活の外の人たち」は「コンクールの結果」でしか部活価値判断してくれない。

短期間で「コンクールの結果」を出すためにはああいうやり方が効率的ではあるんですよね。

ただねえ、中高の部活って、「迷ったり・失敗したりする」事も大事財産だとも思うのですよね。

特に高校生ともなれば、自主的に色々やってみたくもなる年頃で(高校生だと演奏会で身の丈に合わない曲を選んで轟沈なんてことも結構ある)、それを先生がキリキリ誘導ちゃうのが正しいのかっていうところはすごくモヤモヤするわけです。

もちろん、生徒たちの意思サポートできる知識とか人脈とかはすごく大事なんですけど、結果として路頭に迷ってたからといって、圧倒的な手腕でひとつの方向に導くのが「正解」なのかどうかってのはまあ「答えのない問い」ですよね。だからモヤモヤする(それとは別に先生みたいな「デキる人」の表面だけ見習って、生徒を地獄に叩き落す勘違い指導者が少なからずいる、って問題もあるんだけどそれは別問題なのでおいておく)。


実際問題として、「顧問先生に導かれて結果を叩き出した」生徒たちの少なくない人数は、高校卒業音楽から離れます

まあもちろんそれはある意味当然の事(高校部活吹奏楽に限らずおおむねそんなものではある)なのだけども、「彼ら彼女らが高校自分が今後音楽にどう向き合っていくかを考える機会と知識」をきちんと得られた結果なのだろうか、ってのは色んな吹奏楽経験者を見ていて疑問に思うところなのでした。

結局先生にのせられて部活を続けて、「その先を自分がどう歩くか」を考える機会も材料も得られなかったんじゃないのかって。

ま、回答はありません。でもねえ、全国大会に出る吹奏楽部だった人でも、吹奏楽CD(今はCDに限らんけど)を買ったりする人って少数派だったりとか、吹奏楽プロ音源ってびっくりするほど多種多様にあるのに、売れているCDアマチュアCDばっかりだという現状とか、肝心の全国大会でもトップレベル学校がいまだに非音楽的な曲カットをしていたりする現状だとか考えてると、「結果」ってなんだろうなーと思うわけで。

そもそも音楽客観的定量的に決められるような「結果」なんてないんだから当たり前ではあるんですけどね。

あくま吹奏楽コンクール演奏技術のみを競う場ですから(だから音楽的にひどいカットをしても基本減点されない)。


なんかモヤモヤに引きずられて話がそれました。すいません。


で、原作の誠実なところは「このモヤモヤにはすっきりした回答なんぞない」というところをきちんと描こうとしているところだと思います

同じ音楽を扱った作品でも「BECK」とかだと勝負普通に勝ってしまうわけですけど(あれは基本的には、プロが「客ウケ=動員数」という基準勝負してる話だからそれでいい。作者の「本当にいい音楽は誰にでも伝わるはずだ」という暴力的な音楽観はヒシヒシ感じるけど)、この作品は「結果」ってのがそんなに分かりやすものではない事をきちんと踏まえている。

から先生全面的に作中で肯定されるわけではない(はず、原作一巻を読む限りでは)し、かつ、群像劇として多種多様価値観の人々が「設定された目的のために協力はしても考え方を相容れることはあんまりない」という方向で話が進みます


このモヤモヤについて、見る人が色々考えてくれるといいなあと、私も思う次第です。


他にも作中の曲についてとか原作者楽曲スコア見てなくて事実誤認してる部分とか色々言いたいことはあるんだけど、最後ひとつだけ。

「吹部」っていう略称は、大学の「回生」並に関東東北(多分北海道も)では通用しないから気をつけろ!

ただし、「ブラバン」はブラバンで熱心な吹奏楽部員の神経を逆なでする(brass bandは本義的には金管楽器打楽器の編成を指すので)から気をつけろ!

ちょっとだけ追記しておくと、

そもそも「コンクール全国大会出場」と「コンクールに出場して思い出作り」の二択しかないのがおかしいって指摘はきちんとしておいた方がいいですね。例えば演奏会に力入れたいからとかマーチング力点置いてるからとかでコンクールに出ないって選択をしている学校も少数だが存在するし。ここには滝先生の「吹奏楽部コンクールありきだ」っていう偏狭さがあるともいえるわけです。あえて極端な二択を提示することで、ほかの選択肢考慮する余地を奪うって言う詐欺師常套手段です。

極論、そういう様々な選択があってモヤモヤする音楽活動ってやつを、コンクール一生懸命やって技術的に上手くなるっていう否定しづらい名目で塗りつぶしてるともいえる、んだよね。滝先生は。

2015-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20150306015906

んなことない。最近はすぐに離職するような精神未熟な学生を避けることに力点が置かれてるから面接元増田っぽい人が来たら即お祈りしちゃう

早慶旧帝レベルだと離職しても再就職やすから、気に入らないとすぐに辞めちゃうんだよ。

2015-02-17

宮崎駿インタビュー:「シャルリー・エブド」の風刺画へのコメント

宮崎駿さんが、ラジオ番組で、仏週刊誌シャルリー・エブド」の風刺画問題についてコメントしていた。読売記事が出ている。

政治週刊紙「シャルリー・エブド」の本社銃撃事件をめぐる風刺画問題について、アニメーション映画監督宮崎駿さん(74)は、16日放送されたTBSラジオ番組荒川強啓デイ・キャッチ!」で、「異質の文明に対して、崇拝しているものカリカチュア風刺画)の対象にするのは、僕は間違いだと思う。やめた方がいい」と述べた。

 番組内で紹介されたインタビューでの発言で、風刺画は「まずもって自国政治家に対してやるべきだ」とも指摘した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150217-00050003-yom-ent

俺はこの放送iPodで聞いたのだけど、この記事微妙力点が違ったと思う。(ずれているとは言わないですけど。)

まず、宮崎さんは、最初に、

風刺画は、まずもって、自国政治家に対してやるべきものであって、他国政治家に対してやるのは胡散臭くなるだけですよ。第一次大戦の時から漫画によって国民教育するということがずっと行われてきた訳ですから・・」

と、社会における風刺画役割から批判をして、その後、「異質の文明を云々」と倫理面の話をしていたと思う。

2015-01-14

ベイマックスにくっそ感動した件

いやタイトルと通りなんだけどさっき見てきたけどすごいよかった

良かった点をなぐり書きしてみる

なおかなりのネタバレはあるのでこれから見たい人は注意。読まないように。

まず映画見終わってからの第一印象はすばらしいCG技術だけではなく脚本がよく練られた映画はだったということ。

監督意図してるであろう強いメッセージ性を感じた。

各々のキャラクターにそれぞれ一貫した役割存在しすばらしく非常によく描けてる。

様々なキャラクターがそれぞれ役割を持って舞台を演じ、リアリティがあるのでのめりこめる

そして泣き笑い一緒に葛藤できる、それが良かった

簡単にストーリー概要を説明すると

頭が良くて才能を持て余していた弟が兄の死をきっかけに

彼が作ったロボットを通して兄の死の真実を知り人間的に成長していく

そんな話だ

で、この映画もっとも注目するべき点は主人公人間的な成長だ

彼がどのような人間最後はどのように成長したのか?

映画監督はその点に最大の力点を置いてキャラクター役割を振ったように思える。

まず主人公の弟について。

彼はすごく頭がいい。それこそ天才的なロボット工学センスをもっている。頭もいい。

しかし彼がそのありあまる才能を利用する対象は常に「自分」だ。

お金儲けをするため破壊衝動を満たすため知的好奇心を満たすため。

そしていつも周りに迷惑を掛けている困ったさんだ。

一方で主人公の兄。

彼は弟に比べたらすごく凡人だ。

これといった才能もないしロボットの知識も弟に比較して全然ない。

つのロボット(ベイマックス)を作るにも何度も失敗する。

ただし彼は主人公にない物をただ一つだけ持っている。

それは何か?

他人を思いやる心だ。人を助け合う心。それは弟には決してないものだ。

まず彼は自分の弟を思ってる。

自分の弟の才能を適切な道に導こうと、くすぶってる彼をなんとか羽ばたかせようとする。

彼は自分大学の恩師である教授を思いやっている。

そして教授を助けるために無謀にも火の中に飛び込んで命を落としてしまう。

彼は優しい心をもっている。

から優しい心を持つベイマックスができた。

ベイマックスは決して人を傷つけない。

なぜなら兄は破壊衝動を満たすためではなく知的好奇心を満たすためではなく人を助けるためにロボットを作りたいと思っている。

そのような心が他人を思いやるベイマックスを生んだのだ。

彼の関心や興味は全て他人へ向いている。

彼の役割他人を助ける優しい勇者

力だけでは決して手に入れることのできない強さを持っている。

そんな兄がベイマックスを残して死んでしまった。一人残された弟。

途方に暮れた弟はどうするか?

自分破壊衝動復讐心にとらわれベイマックスを改造し兄を殺した犯人を捕まえにいく。殺しに行く。

改造で強化されたベイマックスは彼の心をそのまま映しているように思う。

復讐復讐破壊

でもそれが本当に兄の望んでいたこなのだろうか?

いやそれは違うだろう。

ここで彼があることをきっかけにベイマックスの隠された役割

「人を幸せにする」という本来ベイマックス役割理解する。

ベイマックス存在価値は何か?

それは助けるためだ。

それは不遇な理由復讐心を持つ犯人の心を救うことでもある。

彼は価値観を転換させる。見方を変える。

そして今まで気付かなった点に気付くようになり、復讐が本当の目指すべき道ではないことを知る。

この点で従来の善悪懲罰映画と一線を画す。

この映画典型的ヒーロー映画のように見えるが、実のところ本当の悪役は基本的にいない。

一方的に善と悪を対峙させてお決まりパターンヒーローが勝ち町に平和が訪れる。

そんなストーリーでは決してない。

クライマックスに彼は危険であるにも関わらず

一点の迷いもなく自分の身を呈して人を助けようとする。

それは燃え盛る炎の中で教授を助けに迎えにいってなくなった兄の姿と重なるようであった。

そしてベイマックスとのお別れ…

彼は最後に人を助けるためにベイマックスを使った。

自分のためではなく「他人」のために使ったのだ。

それはただ単に力が強いだけ、頭がいいだけでは得られない本当の強さだ。

そんな成長を遂げてエンドになる。

かいところはちょっと違うかもしれないがこんな感じの映画だった。

すごくよかった。

2014-06-08

職場空気を良くする人

あなた出会ったことがあるだろう。

空気感を良くする人。その人がいるとパッと雰囲気が明るくなるような人。みんなの表情を変え、居心地をよくさせる人。

私も今までいくつかの職場でそんな人に出会った。その人達に共通することはなにか、と考えてみる。

まずは笑顔。魅力ある表情で人を和ませ、周りの人にもその笑顔は伝染していく。

次に率先性。会話を率先して盛り上げる。だけどしょっちゅう話題の中心にいるわけではなく、自然とみんなに話題を振れる。「調和させる」力。

そして仕事ができること。仕事を早く進めるための知識と知恵を備えており、それを部下に指導する努力も怠らない。

私感では職場に一人いれば良い方といったレア存在だと思う。と同時に最も尊敬できる上司(人間)でもあった。

また退職なりでいなくなった時にその存在感を改めて思い知らされることも共通していた。

そして最も力点をおきたい共通点が、こういう人は総じて女性だったこと。全員とは当然言えないが、男性ならびに同棲である女性からも好かれる存在であった。やはり女性気遣いストレスケアで優れているのだろうか。女性社会進出は、少なくともこの点で、社会を良くする一要素だろう。

2013-12-29

女性アンドロイドを守って女性は守られず

先に書くけど俺は独身の男。

何かを守ろうとしているうちに、守るべき物がずれてきちゃうパターンってのはよくある。

日本労働行政でも、「職を守って人を守らず」になってしまっていて本末転倒だって話はよく聞く。児童売春とか幼児虐待の件でも、結局「子供を守ろうとしている自分たちは偉い」とか、「児童性愛は心の中だけでも持つことは許されない→男を罰しろ」とかの議論に終始して、結局子供は守られずに終わるってパターンが多い(実際に子供を守るための具体的な活動をされている人たちは尊敬するが)。レイプ犯罪裁判でも、犯罪者を裁くことに力点が置かれた結果被害女性警察検察裁判所で「二次被害に遭う」という例は多い。

例えば、ロボット性奴隷として作ろうとすることへの反応とかでも同様。しばらくまえに「ロボット研究者自分の好みの性奴隷を作りたいだけだ」っていうネット上の書き込みが話題になったけど、冷静に考えれば、男の性欲のはけ口をロボットもしくは機械に向けさせれば、女性の性被害を大きく減らせる可能性があると思うし、そんなに悪い話ではないと思う。「女性解放されるためにはどうすれば良いのか」っていう本来の議論が忘れられて、「女性が苦しむのは男のせいだ。男を懲らしめろ。」「女にモテないなくて人格がゆがんだオタク男はウザい」という方向に行っちゃって、結句うーんって感じ。

もっといえば、女性も、自分が好みの顔と身長と体型でナイスチンコを持ったイケメンセックスロボットを作れば男女平等・対称でいいと思うけど。俺は特にそれが問題だとは思わんな。たぶんアメリカとかではそうなるだろう。

これに反対する人は、「そういうことではなく、男が女性を対象とした欲望を持つこと自体が悪いんだ」とか、「女性を性の対象として見るという発想がおぞましいのだ」とか、その当たりの反論をするのだろうけど、結局これは結論が出ないし解決もできない問題だよな。というか、意図的に結論が出ない方向へ議論を誘導したいのだろう。女性の権利とか人権団体的な方々も、組織を維持するにはそれなりに金も労力もかかるし、結論がでて終わりになってしまテーマじゃ団体を維持できないし、定期的に話題を作らないと宣伝/広報もやりづらいだろうし、そこらへんの苦労はお察ししますという感じで生暖かい目で見ている。

まぁ、肝心の学会誌については、「チャレンジするところ間違えたなー」という感想はあるけど。

2013-10-30

男女の地位を逆転

少なくとも昨今のフェミニズムは女が単純に男の地位に迫り、逆転させるような社会の在り方を希求していないと思う。

男の地位に女がなり変ったとして、もともと女性が感じている「生きにくさ」の構造はなんら払しょくされない。主語が入れ替わっただけなのだから

そんなところにフェミニズム力点はない。

そうではなく、今の社会構造のものを(主に男に)自覚させ、社会構造を変革し女がより「生きやすく」するよう考究することがフェミニズム現代課題ではなかったのか。

社会構造のあり様そのものを変える作法は、マルクス主義フェミニズムでも、メディアにおける性差別アナウンサーの男女の人数構成や話題の内容の男女差など)でも、とっかかりは色々ある。

今こうした研究をしている人たちは、単純に男と女とを挿げ替えることを発想しているのではないのではないか

男女の入れ替えは、古臭いテンプレ化した譬えとはいえ、社会構造自覚には有為に働くだろう。今回の文章もこうした点に効果を求めているのだろう。

だが、その向こう側は?

こうした次元での議論が注目されると、論点が男女の権威権力シーソーゲーム矮小化してしまい、今後男も女もひっくるめた新しい社会構造への議論という可能性が見えにくくなる。

男女の単純な挿げ替えは、一見すると非常に「わかりやすい」が、実は事態を「わかりにくく」している。

2013-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20130924133423

別にビックリするような技術革新なんてなくても、お金をかければ今よりも開けやすキャップは作れるでしょ。手とキャップグリップと回転中心から力点までの半径で開けやすさは決まるのだから。要はそこにコストをかけてもペイしないと判断されただけ。作ってる側が偉そうにするほどの話じゃないよ

2013-07-24

艦これ2-4突破のためのtips羅針盤ボスにヘイトが溜まる人向け

もはや2-4突破までがチュートリアルと言われるほど、価値が減じられてしまった2-4ステージだけどやはり2-3までとはレベルが違う難ステージであることには変わらないのでそのtips

既存ブログ等であまり力点おかれていないことを書きます


1. 高レベル戦艦正規空母(Lv30以上)のみで挑むとボスまで行ける確率が相当減る

それほど言われていないのですが、2-4も確実に艦種レベル羅針盤のデレ方が相当変わります駆逐艦軽巡を1隻連れて行きましょう(駆逐艦を旗艦にして3-2用に育てるのが良いかと)

あるいは低レベルクリアを目指すのも手です。


2. ボスに通る火力を持つの金剛型長門型のみと考えてよい

ので現実的には、2-4-1回しをする前に金剛型2隻以上を揃え育てましょう。装備開発で41cm砲以上を揃えるのも手ですが、2-4まで戦艦用の装備開発はいらないかと思います

もちろん、改造後、近代化改装で火力、装甲最大にするのは必須です。


3. 正規空母2隻用意し、半分以上(上位スロット2つ)を戦闘機にすると航空戦優位が安定

赤城に加えて、正規空母を1体加え育てましょう。2、3の作業とも2-3を突破してからでよいかと思います


4. 戦艦は400/100/600/30、空母は400/200/500/700、艦載機は50/60/30/120がおすすめ

今の流行?のレシピです。鉄鋼をより使う空母レシピがありますが、バランスよく資源を使うことを考えると400/200/500/700が良いかと思います

艦載機別に開発しなくてもよいかと思いますが、資源が余り始めたらってことで。米帝場合は何も言いませぬ。



ということで、2-4突破に向けた現実的な艦構成は駆逐or軽巡1、金剛型戦艦2、航空でもなんでも戦艦1、空母2(全て改装近代改装済み)となるかと思います

戦艦5~6隻の南ルート突破もまたある意味現実的かもしれませんが。ともあれ、後は運です。

2012-11-01

「『なんの役に立つんですか?』の暴力性」に対して言いたいこと

http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1

うん、まぁ言いたいことは分かる。

ただねぇ、その魚研究教授さんを擁護したいあまりファビョって工学農学医学薬学あたりにまで矛先が向いちゃってるのよ。

具体的には

文明というもの人間純粋好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物しかない。」

「真理を追究していたら、偶然にも文明がいっしょにぽろっと現れて、それの恩恵を人が受けている、それだけである。」

「はっきり言って人の役に立つなんて事は、真理を明らかにするという事に比べたらあまりにも矮小

この辺ね。

ここまであからさまな実学ディスも珍しいからどこの理学部出かと思ったんだけど、ド文系詩人さんだってうからビックリよ。

基礎科学の例として化学が挙げられてるけど、あれは"金儲け"を念頭に置いた錬金術を始祖とする学問からね。

どうもステレオタイプイメージだけで語られてる気がするなぁ。果たしてどこまで理系研究事情精通してるのやら。

"人の役には立たないが、張本人らが楽しいからやってるんだ"という共通項を持った基礎科学研究者詩人であるご自身を投影して自己擁護しているようにしか見えないのですよ(ただし、一口に"役に立たない"とは言っても前者は長期的に見れば人類に多大な恩恵をもたらす可能性もありますわな、ご指摘通り)。

まぁそれはそれで結構ですが、その過程自分らとは相容れない人々、つまり実学をやっている人間をも蔑むのはどう考えても勇み足。

まともに実学やってる人間基礎科学研究者のうちのほんの一部が残した偉大な業績)から多大な恩恵を授かっていることを日々痛感していますから、わざわざ基礎科学マンセー実学sageされたところでねぇ。

んで引用した文言ツッコミ入れていくと、まず一個目ね。「文明は糞でしかない」と。言いますなぁ。あなたがその文章を綴るにあたってカチャカチャやったキーボードとそれに繋がってるパソコンね、そいつらを開発するのに一体どれだけの人間が汗水流したのかと。そもそもだよ、文明が芽生えるにあたって必ずしも"知的好奇心による真理の発見→実生活への応用"というプロセスが成り立っているわけではないんだけど。例えば熱力学ね。どこぞの文系さんがよ~く飛びつく"エントロピー"っつー概念、これは熱機関エンジンみたいなもの)の研究から生まれたものなんですわ(カルノーサイクルでggってね)。機関車やらなにやらを動かすための動力、つまり実学無しでは基礎科学の一端を担う熱力学は発展しなかったわけ。

んで二つ目、「偶然にもぽろっと」… 力学基本法則を押さえたからといってテキトー金属ガチャガチャやってるだけでロボットが作れるかっての。

そして最後の「矮小」 これねぇ、本気で人の役に立とうと頑張ってる人間に対してフェイストゥーフェイスで同じこと言えるの?

あなたが何をしたいと思おうか、何に力点を置こうが、自分は一向に気に留めませんが、その趣向を一般化しちゃいけんわなぁ。

ヒスを起こして無害な、というよりも有益まりない人間に対してまで攻撃性を見せてしま人間の方がよっぽど「暴力」的だと思う。

2012-02-05

Re: 落日パナソニック

先日パナソニック決算報告があり、2012年3月期の利益予想が7,800億円の赤字になったという発表がありました。 http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20120203_509787.html

また、1月28日週刊東洋経済では、「落日パナソニック」という特集が組まれていました。この特集が組まれた段階では、赤字額がまだ 4,000億円の段階でしたが、それでも絶望的だという論調で書かれていました。

実際社内ではどうなっているのか、またどう受け止められているのかについて書いてみます

社長レースについて

社内ではほとんど話題になりません。社長が交代する、しないについても全く興味がない様子です。タブー視されているのではなく、単に関心がないだけのように見えます

雑誌に書かれているとおり、確かに津賀専務の評価は高いです。大鉈を振るう改革を進めるので、反発も強いですが、きちんと数字を出しています。ただし、本社で「年齢が若すぎる」という声が出ているかどうかはわかりません。否定できないほどには、パナソニック年功序列です。

余談ですが、 p27 に掲載されている「津賀が新工場を閉じるべきと発言したら、取締役会修羅場になり、席を立つ取締役まで現れた」というのはかなりリアリティがあります。普段の社内会議も、机を叩いたり叫んでみたりで、相手に威圧感を与えて意見を通そうとする人がいますから...

テレビ事業の失策について

プラズマテレビへの傾注が今の事態を招いたとしていますが、これは疑わしいと思っています。少なくとも、液晶メーカーが軒並み赤字になっている中、パナソニックプラズマを早期に撤退して液晶に注力していたらよかったかというと、それはわかりません。ただし、2010年尼崎第三工場は、減損処理をしていることからもわかるように、失策だったのでしょう。

「まるごと事業」の空虚について

32ページからはまるごと事業に関して、事業部間の対立などが書かれています。これはパナソニック社内ではとても有りそうな話です。

まず、予算や人員が事業部単位で割り当てられますから自分の事業部の利益を最大化しないといけません。そして、事業部感で連携する際に「どちらがやるかはっきりしない仕事」は、拾ってしまうだけ損になります。極端に言えば、事業が失敗したときに、いかに相手に責任を取らせるかを考えて仕事をしている向きもあります

それから、紙面では「部門間の身分差」について書かれています。私の実感では、まず大阪が本流で、それ以外は傍流扱いです。事務職はわかりませんが、技術職では「ハード屋」と呼ばれる、電気回路などのエンジニアが偉く、次に「機構屋」、最後に「ソフト屋」が来ます工場生産技術者の地位もハード屋より低いでしょう。それぞれがお互いに責任をなすりつけあっている風景はよく目にします。また、重要な決定はほぼハード屋だけで行われ、その決定にソフト屋が従うことになります

このような状況でいくら「まるごとソリューション」と叫んでみても、うまくいかないのではないかな、と思います

水道哲学について

33ページに「水道哲学」について軽く触れられています。そこには「松下幸之助によって提唱されたが、今や乗り越えるべき過去であるはず」と書かれています

しかし、社内ではまったく逆で「松下幸之助が言ったことは、時代が変わっても常に正しい」と繰り返し叫ばれています水道哲学も、かなり強調されるテーマです。ですから最近でも「ボリュームゾーン戦略」や「中所得者向け商品」と名前を変え、いかに数を売って利益を出すかに力点が置かれてきました。もっと言えば、09年度の不振高所得者層に注力しすぎたからで、水道哲学無視した結果であり、松下幸之助精神に立ち返らなければならないといったムードさえ漂います

ですから、高度成長の価値観から抜け出せていないのは確かですが、社内ではそれで上手くいかないのは「やり方が悪い」からであり、「水道哲学そのものが悪い」という考えには決してなりません。

中村邦夫という聖域について

役員の人事がどう決定されているのかは全くわかりませんので、社内で中村会長がどう扱われているかだけ説明します。

端的に言うと、「松下幸之助が亡くなったあと傾いていた松下電器を立てなおした救世主」という扱いです。研修でも歴代社長の中では、松下幸之助の次に長い時間をかけて説明されます中村会長大坪社長の業績も、やはり比べられます。そのような中で、求心力を発揮するのは難しいのかもしれません。

この会社もうだめかもわからんね

その他、雑誌に書かれている中長期的な将来の話はわかりません。ただ、最近大坪社長の象徴的だった一言があります。それは、サムスンとLGに有機ELテレビ商品化を先行されたことについて、「サムスン、LGが2012年中に有機ELテレビを発売すれば、我々は出遅れることになる。遅れて出す以上、商品のスペックで負けるということがあってはならない」と答えたことです。 http://av.watch.impress.co.jp/docs/series/ce/20120117_505035.html

日本企業の負けた原因は、スペック技術力ではないと思っています戦略の誤り、組織的な非効率を見なおさず、「商品力で負けないようにする」とだけ答えるのは滑稽です。

かつては平均年齢35歳だった会社も、今では45歳です。自己資本比率は30%を割り込みましたが、今なお社内に危機感は感じられません。サムスンアップルを例に出し、赤字会社ばかりではないことを述べると、「彼らだっていつまでも儲かるとは限らない」「円高だから」「雇用を守るという社会的責任がある」となります。今回の赤字決算のことを話したら、「それでも営業黒字で、会計上の赤字でしょ」という返答が周りの社員から返ってきます年功序列ですので、課長になれるのはだいたい40歳を過ぎてからです。

どうしましょうね。

2012-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20120121231527

あ、「ナンパ師」のほうに力点があるのか。つまらない。

匿名ナンパ師なのかと思った。増田メンバーナンパにいったら面白いのにな。

2012-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20120116175651

横だが。

こんなこと言い出すんだからな。


民主党マニフェスト重要性に力点おおいていたことと、一般市民がそれをさほど信じていないことは何も矛盾しないのだが。

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