はてなキーワード: あてこすりとは
ひろゆきがアグネスdisのために日本ユニセフ協会についていやらしい書き方をしてるんだけど。
http://hiro.asks.jp/90907.html
「今一番大事なのは、子供達の為に私たちもできることを考える事です。」
と仰られていますが、アグネスさんが募金先にあげている日本ユニセフ協会は、2012年度、募金の81%しか、ユニセフ本部に送っていません。
一方、ユニセフ親善大使をされている黒柳徹子さんは、募金の100%をユニセフ本部に送っているそうです。
黒柳徹子は個人口座を2つ公開してて、そこに入金された寄付金をそのままユニセフ協会本部に拠出してるのに、日本ユニセフ協会は81%しか拠出してない。子供のためを思えば徹子に寄付するべきだ、という論法なんだけど。ようするに「金抜きすぎ」というほのめかしだ(実際、秒刊SUNDAYはひろゆきのこのエントリを「日本ユニセフピンハネ疑惑」と要約してる)。
しかし「81%を上部団体に拠出し、19%を自前の運営・活動に割いている」という経営実態は、日本ユニセフ協会のやってる活動内容を見るかぎり、相当のパフォーマンスだ。実際、ユニセフへの拠出額 | 日本ユニセフ協会を確認すれば:
がわかる。そして、日本ユニセフ協会のこの誇らしい宣言を見よ。
2012年度、当協会は、みなさまからお預かりした開発途上国の子どもたちを支援するためのユニセフ募金(161億1,252万円)の81%にあたる130億円(下記計算書の※15)を、ユニセフ本部に拠出することができました。これは、世界36の先進国・地域においてユニセフを代表するユニセフ協会(国内委員会)の中で、最高額となっています。また、81%という拠出率も極めて高いレベルを維持しています。
日本ユニセフ協会の国内活動費に使われるのは癪だから黒柳徹子氏に寄付するほうがいいのだ、という考え方もあるかもしれないし、それが一律に間違ってるとは思わない。しかし、黒柳徹子氏のWebを見る感じでは、年間の寄付額はおそらく1億には満たないだろう。そして個人口座では、130億円/年の寄付金の出納をマネージすることは不可能だ。また、善意で無償奉仕を行う個人ボランティアを引き合いに出して日本ユニセフでの19%の資金利用が「ピンハネ」「中抜き」だと叩くのは、ボランティア活動やNPO活動全体にとって、非常に悪い結果を招く。つまり:
からだ。
「100%持ち出しの金持ちをお手本にすべき」「ボランティア実務に関わる人はタダで働くべき」というイメージの流布は、こうした活動の継続性を著しく悪化させる。ボランティア系団体を無償または低コストな善意だけで廻そうとすると必ずどこかで破綻する。ちゃんと優秀なマネージャーと専従スタッフがいて、業務知識と経営資産を継承できる体制がないと、萌芽組織が生まれてはまた壊れ、そのたびに尽力した善意の関係者たちは疲弊してその世界から離脱していく。
だから海外のNGO/NPOはしっかり給料出して堅固な組織を作り、行政とも強いパイプを築いて、運動の継続性を担保する。啓発のためにはTVCMも含めて広告宣伝だってバンバン使うし、効率的な事業運営のためには報酬積んで一般企業から敏腕マネジメント招いたりもするし、運動に貢献するなら物販の収益事業だってやる。というか、強い使命感と継続の意志があるなら、早晩そういう運営に移行してくのが当然の流れなのだ。oxfamとか(RED)とか。で、日本ユニセフ協会は、古典的ながら、比較的これに近い路線で確固とした組織形成をやってきたのがうかがえる。
でも、日本でそれをやると、なぜか叩かれる要因になる。「慈善活動にはコスト概念を持ち込んではいけない」「善意の運動は無償で担われるべき」という愚かしい思い込みが広く浸透しているからだ(個人的には、これは日本財団系の「誰が金を出したかが明瞭でない公営ギャンブルの収益の一部が、社会的エクスキューズのためにドカドカ慈善活動に突っ込まれる」という様式に我々が慣らされすぎた、というのもあるだろうと思っている)。これが、慈善的な社会運動へ参加してみよう、とか、組織してみよう、という行動へのハードルをどんどん引き上げていくことは言うまでもない。そんな理由で草の根における再分配の仕組みが活性化されないのは、社会全体にとっても大きな損失なのだ。
ひろゆきのこのあてこすりが、一応は「叩き」として機能してしまう理由もここにある。ひろゆきは世間の常識にとらわれない無手勝流のように言われるけど、この件に関してはもうズブズブに因習的で俗論にまみれた偏狭な日本人だということ。
てか、長々書いてはみたけどさあ、冒頭のエントリ読めばはっきりわかるよね、ひろゆきが子供の福祉にも日本ユニセフの活動実態にも全く興味がないってことが。アグネス叩きたい一心で持ち出してきただけの話で、しかもそのロジックが粗雑きわまりない。「マクドのポテトは原価率が〜!」って得意げに吹聴する高校生とどこが違うのこれって感じ。そもそもブコメで複数の人が書いてるように、裁判に負けても借金踏み倒し続けたり納税を回避してる奴が、こんなときだけ子供の人権の代弁するようなフリして他人様の金の使い道にあれこれ口出すのがおこがましいわ。
うnうn
マシとかどうとか以前に全然別種・別陣営だよね
挙がってるフェミの人達からしても「ohnosakikoは仲間じゃねー」って言うでしょ
ファッ!?
脳が腐ってるのはお前だろ
腐るほどあるかどうかは関係ねーだろ
ドブスを守る会だけ否定したなら筋は通ってないかもしれないが、
「だけ」なの?
論拠を示してくれよ
正直
フェミのほとんどにはうっすらした軽蔑の念しかわかないんだけど
フェミ批判者の中に一部ものすごく頭が悪い男がいるのも確かなんだよな
お前みたいなさ
http://anond.hatelabo.jp/20120609222257
「元増田」と「私たち」がいるんじゃない。「元増田」と「増田」×人数分が存在しているんだ。なんでか、元増田はほかの人間は問題なくグループ組めてると決めつけてるけど。実はその「私たち」の間でも、ちょっとしたケンカやいじわるやあてこすりや無視なんかが行われているんだ。
元増田だけが弾かれてるわけじゃないんだよ。いろんなタイミングで、誰かがハブられてるわけさ。
元増田だけを弾くシステムなんてあるわけないじゃん。同じように、誰もが弾かれてる。
集団を作るテクニックとして「自分が中心になる」「一人ずつ友だちになっていって、いつの間にかグループにいる」「同じ目的を持つ利害優先の人たちといる」など、いろいろある。20年間、どういうふうにグループに入ろうとしてきたの?
http://synodos.livedoor.biz/archives/1877537.html
これは、思うように動いてくれない若者たちに対して「このままだとこんなひどいことになるぞ」と脅かしたり、
「やーいざまーみろ」と逆ギレの悪態をついて溜飲を下げたりする趣旨のものではない。
すでに現実として目の前にあらわれつつある動きを、少々露悪的に(もちろん「本書」のスタイルに倣ったものだ)
書き記しただけのことだ。
まず、エリート的な高機能ビジネスパーソンが国境越えて活動するのは当たり前で、
これを「(露)悪の未来」として論ずる筆者はなにかがおかしい。
防ごうとする意識の方が間違い。
彼らは国に頼らないし、活躍できる場があれば国を選ばない。
彼らに将来を任せれば、わたしたち40代の老後、少なくとも生きているあいだくらいは、
きっと安心していられる状況を保ってくれるにちがいない。
なにを根拠に「ちがいない」のか。
読んでいてなんだか切ない気持ちに襲われる。
国に頼らず「自分の能力を発揮する場」「高い報酬を獲得する場」のみを求めて国境をまたぐエリートが
どういう動機で狩場の原住民の老人の住み心地ケアなんてことに気を掛けるのか。
どうも中高年移民推進論者というのは
を何故か無視する。
(これは移民を「気に入らない日本の若者」のカウンターとして夢想するからで、
いきおい移民若者像は全てが理想的で自分に尽くしてくれる感心な若者として描かれる。)
実際は、せいぜい来日者が比較的貧しいうちは
年金を始めとした日本の高齢者向け社会福祉なんぞ来日者が維持推進する動機があろうか。
彼らにとって年金制度なんぞは「意味不明な控除で自分の手取りを減らすインチキみかじめ料」であり
それではさすがにイヤだという人もいるかもしれない。若者たちはいいとしても、
40代のなかには、あと40年以上生きる方もいるかもしれない。
もし長生きしてしまったらと考えると、現状を「幸福」と感じ、満足してしまっている若者たち、
スティーブ・ジョブズがいうところの「hungry」でも「foolish」でもない若者たちに、
どこの国の「hungry」で「foolish」な若者だったら
あなた達の老後の支えなんかを任されたいのですか
と問いたい。
具体的な答を返せたらたいしたもんだ。
老後の支えというのは
若者個人の才能や情熱やハングリー精神から産まれるものなんかではない。
社会の老後の支えは、よく練られた社会制度と、なにより社会全体の余裕から出てくる。
もう一つの足は構成員一人一人がその社会にコミットする気持ちだ。
日本はどっちも既に破壊したのだから、あとは一人一人が覚悟しましょうということ。
「頼り甲斐のあるニューカマー」なんぞを呼んだところで、
彼等傭兵は絶対に日本社会なんかにコミットをしない(当然で、薄情でもなんでもない)。
安易に助かる都合のいいボートはないのだ。
近々死ぬ人間を除き。
なにより
「見限ろう」もクソも、若者世代はとっくに見捨てられて長い。
「生意気なことを言ってるなら見限ってやるぞ!」なんて、意趣返しにも脅しにもなってねーのだ。
もらったことない仕送りの打ち切り通告で怯える人間が居ようか。
実際に筆者自身、もしくは筆者の世代が、
若者世代に具体的にどんな支援をどれだけしてきたか聞いてみたいもの。
恩着せがましく口にする「実りのないおせっかい」とは具体的になにをしたことだ?
せいぜいが、
「状況も見えてない無責任な若者論で説教していい気になる」ことを
なんとなく凄いことしてあげたみたいに記憶してるだけだろう。
この”暴論”すら結局はそういう匂いが濃厚に漂っている。
「若者を挑発してケンセツ的な議論を導いてあげた」とかなんとか。
「食えもしない”おせっかい”でお為ごかしの恩恵面されてもなあオジサン」
という「本書」の序文をきちんと読みながら
新春のお笑いのつもりだとしても若者から失笑しか買わないだろう。
「暴論」は状況が見えてないことの言い訳にはならない。
若者はこの筆者みたいにあてこすりで人を動かそうとか、なんかを乞うてるとか、そういうことをしてるわけではない。
何よりもう、仮に今から全速力でどのような若者向け政策を打ったって、今の20~30代世代には手遅れだ。
ライフステージにせよキャリアにせよ、取り返しが付かないことだらけだ。
もっと究極的な話をすると、
バブル世代以上中高年が下の世代に何かしてくださるつもりがあるなら、
団塊ジュニアのピークが繁殖期過ぎるまでには彼らの雇用をどうにかしとくべきだった。
あそこを無策に過ぎた時点で日本の人口ピラミッドが回復するチャンスは無くなった。
別にこの山口浩という人がそういう状況わかってたら当時何か出来てたとも思わないが、
ただ何もしてこなかったし何も出来ない人間が吠えんなよということ。
もし「いや違う、俺はやろうとすれば何かが出来る」ということなら、
今の若者世代よりざっと20年長く世に出ていながら何も出来ず今日の状況を招いて
あげく下の世代に恨み節をいうとは烏滸の沙汰だろうバブル世代。
無力を認めたほうが立場はマシ。
要するに、今後はもう全員覚悟するべき。
十年以内に死ぬ予定の人間以外は。
40代は敵に回る?
あんた達にはたいした嫌がらせなんか出来ないし、
なによりあんた達も確実に、絶対に、助からない。子供が居るなら子供もだ。
沈む船の中でまーだ「誰を脅せばいい目見られるかな」「誰を殴れば助かるのかな」
なんてことを考えてる暢気さはさすがのバブル世代の貫禄がある。
繰り返しになるが
「暴論」という体はこの山口浩さんがまるで状況をわかってないことについての言い訳にはならない。
この世代のオッサン達がするべきことは下の世代に喚き散らすことではなく
http://anond.hatelabo.jp/20111028064933
>nisemono_san
その中でも似非原という奴は本当に陰湿。過去にKagamiという人を追い込んだ > http://nekodayo.livedoor.biz/archives/606456.html 2011/10/25
このリンク先には、証拠になるようなものは提示されていない。でも、わからない。
こんな信憑性があやふやなブログをわざわざ持ってきて、自分の事なのに、「似非原と言う人」と言い、「本当に酷い」などと思ってもいない事を書く意図がわからない。
自分のこの「なごみ近況エントリだったのにどうしてこうなった!!」 酷さは何とも思わないのだろうか?
もし、本当に酷いのであれば、どこがどう酷いなど言う事もできると思うが、悪いところは特に無い。あるのは都合の悪さだけ
あのパターン
医療生協のN里と同じ http://anond.hatelabo.jp/20111022191646
良い人ナイーブな人潔癖な人は怖い、自分達をいい人だと思ういたくて、そう思えなくする事実を否定したり排除したりするから
良い人 ナイーブな人 潔癖な人 に加えて、駄目人間を自称する人(駄目ではないのに) 、も入れなければいけない
弱者と言うポジションと同じで、駄目人間と言うのもポジションなんだ
何もしなくてよいと言う
駄目人間様の前には、人権も何もないんだ。 でも、世の中 そうなっている。 駄目人間様には弁護士がつく。 家賃滞納でアパートの施錠された人のはニュースになり、家賃滞納も無いのに鍵施錠された人は弁護士も付かないし、ニュースにもならない 変なの
前書いたもの
http://anond.hatelabo.jp/20110930123704 追い出し屋は、いまだに話題になっている。おかしい。立ち退きでアパート半壊は?
あぁこの人も一緒にコピペして忘れてた
“本当に陰湿だと思う。 社会的制裁を〜というページを作られるはずだ。荒川さんたち タイトルつけたし ギーグハウス主催の人のブログに書き込んだら中傷と気付かれない形で中傷され” 2011/10/25
この人もよくわからない。
木で鼻をくくったような態度
上の事に関しては、短いブクマコメ内なので、ああいう書き方になりましたが
中傷と気づかれない形での中傷とは、どういう事かというと、今は消えてますが 最初にid:yuiseki「こちら、大変読み応えのあるコメント欄となっておりますので、是非ご覧になってみてください 2011/10/21 」http://megalodon.jp/2011-1025-0222-41/b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/pha/20111009/1318158999%23c
と書くので、こっちは、なんか変な気はしないでもなかったけど、自分ができる協力をしようと思ってくれた人なのかと思い、感謝してお返しにグリーンスターで律儀にも「どうも」と入れて返したりもしてたんですよ!
それが、どうも、同じギークハウスの他の人は、あてこすりのような、「どうしてこうなった」とか広義の上では人格否定とも取れるような、こういう態度を取られた者は、非常に強い疎外されたと感じるであろうと予想される事を同じブクマで書かれてたので、しかもドワンゴ社員と言う一筋縄では行かない人が集まっている会社の関係の人とわかったら・・・ あれこれって?もしかして?と思っても不思議ではないと思うし、疑心暗鬼になる事も必至だと思う。
私は、それまで、仮説と事実の区別は、割と考えて書いてきたと思う。仮説の状態で決め付ける人、断定的な言い方をする人の問題についても、考えた事を書いたりもしてたと思う。
そういう書き方で、書いたものでは無かったかもしれないが、陰湿だと思う、と自分の主観や気持ちを書いていただけなので、これを思い込みと、断罪すると、そもそも誰も自分の意見をもてない事になってしまう。 ○○だと思う、というのは、○○かもしれないけど、△△かもしれないというのを、当然言外に含んでいるので。
何を思ったか、また、それに群がるように?(これも主観だが) ブクマが集中して、その人たちのブログを見たり検索したりすると、ギークハウス関係者を多数含んでいる・・・・という状況がわかれば、ああヲチされてるんだなと、考えてもおかしくはないし、それで余計に嫌な気になるというのも、当然だと思う。
ネットウォッチというものがあるのは、知ってたし、残念ながら、はてなブクマはそういう使われ方もしていると思う。ネットウォッチって、普通に観察するのもあるかもしれないけど、意地の悪い目で観察してそれを観察対象が知らないところで情報交換し合うという悪趣味な事をしている人たちがいるのも知っていたので、なおさら嫌な気がした。向こうもそれを狙って複数でブクマしてるんじゃないかなとも思う。気に入ったならお気に入りというのもあるが、それには入れないわけだし・・・
アップアップしている困窮した当事者にとっては、精神的にこの上なく堪えるだろうなと予想して、普段なら何ともないただブクマすると言う事を嫌がらせでやるという行為(嫌がらせだと仮定して) だが、普通に弱ってない人にやっても利かないから、ここぞとばかりに責めてくるのかなと思うと、やっている方の弱さやしょうもなさも見えて何とも言えない気になる。。。
何か気に入らない事があるにしても、それを言わないで、(それを言っとしても通らない事もあるし、言われても困る事もあるが、) ただ静かにブクマするという行為は不気味だし卑屈な行為だ思う。
誤解で、好意からまたは他意はなく興味のあるページだったからブクマする、というのもあるかもしれないが、ブログでもそれは止めて欲しいと書いて、観察されてるみたいに感じるのでと理由も書いてる。何か一言コメントしてブクマしていくならありかもしれないが、こちらが求めている支援は素通り?という問題も残る。
前から何回も引用している増田だが http://anond.hatelabo.jp/20111022215058 ここの5に傍観すると言う姿勢が相手を怒らせる事も書かれている。これは悪意無く善意で関わった場合を想定して書かれているようだが、その場合でもこう書かれている。
だから、悪意無い行為だったとしても、id:yuisekiの取った行動は、あまり褒められたものではないのではないかと思いますが。
http://anond.hatelabo.jp/20111028070023
ていうか、当たり前の事では?
客観的に見ても、何もしてないじゃない?
ただ、あそこのブログに書き込みしただけで、事情がややこしかったので、いくつかにもなった、というだけで
何でこうまで言われないといけないのかわからない
昔デモにまで参加してた真面目な人が、何なんだろう?
労働関係のデモで訴える時の理念て、労働者の権利だけど、その根底には、人間らしさを求めてのことなんだから、拠っているのは基本的人権ではないかと思うんだけど・・・
他人が書き込んでると、気に入らないのかな
こっちが、自分を助けない!!!って怒ったというのとは、違う話なので、珍しいと思う。
救済を求めてる人で、ブログやサイトも作ってる人が、書き込みしたら、はっきりした批判とかではなく、気に入らない様子をあてこするような事を、はてなブックマークと言うすごく間接的な場でやって( まあ、そのあたりも、はっきりしないあてこすり的なものというのを現しているが )来て、困窮してた人を精神的に圧迫したり、神経逆撫でしたりするという非人道的で、建設的ではない、不毛な珍しい事を行っているわけだから・・・
アスペルガーと言っても色々いると思う。もっと違うアスペの人と関わった事もある。
論理体系は概ね崩れてない。けど概ねであって、やっぱり事実と仮説の区別が弱い。主観と客観の逆転までは行かないか全てに対してそうではないとしても、そういう部分もある。やり取りして気味が悪いのは、狂ったその人の主観の中に引き込まれるみたいになっている事。気味が悪いし独特なものがあった。
はてなにもブクマされている評判が良くない記事に、共感した前からの知り合いの人に、データの読み方に問題があると、何の断りも前置きも気遣いも無しで言い放っていた。そう考える面はない事もないが、そのデータからそれに結ぶ付けるのは、おかしいのではないか、というような事だったが、そんな前置きや気遣いは無し。親しい間柄だから、と言うわけでもないのがわかる他人行儀な言葉遣いで、それだった。
何の迷いも無くと言うより、むしろ他人の揚げ足取りのような事が、したくて溜まらないのかも。たまらないというような一般的な人の感情の動きとは違っても、むしろ積極的にそっちの方向でいきたいみたいな。
ブクマはこれなんだが
http://b.hatena.ne.jp/entry/zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110928-00000011-pseven-pol
これのおかしさを指摘できるあたまはあるのに、まだどっちとも決め付けられない事で言ったら激しく相手の人格否定をしているような事や、大きなショックを与えるだろう事を、むしろ積極的に言う。
このあたりは、論理的じゃない。論理の飛躍をたくさんしている。
こういうの、アスペルガーかもしれないけど、アスペルガーを隠れ蓑にしているのではないかと思った。
つけたし、今、少し訂正してて思い出した事がある。他人行儀な言い方をする間柄では、反感持たれそうな事を、あてこすりのようなある意味持って回った言い方で言う。直接は関係ない例だが、そこでその例を出すと、相手にあてこすってる意味にもなるというような事を言う。
なんで、そんな事が言いたくなるのかはわからないけど。
あと、この人、相手と自分の区別が付いてないんじゃないかと思った。
書いてる文章が、誰がなのか、わかりづらい書き方をしていた。
それに、失礼さが相手を他人と見てないようで、怖かった。
ギリギリいっぱい相手にとって、不利な可能性を想像して(妄想して)それを、確定してる事実のように、決め付けて書く。
このへんには、かなり論理の飛躍があると思う。
こっちも、その可能性を考えるから怖いと言っているのに、それを敢えて言う。
一見第三者的で客観を装ってるところが不気味だ。
でも、本当に悪気が無いのなら、しかも自分がアスペと診断されたと言うなら、自分の認識がおかしいと多少の自覚もありそうなものなのに、謝罪したり、譲ったりと言うことは無い。
気味が悪い。
O子による問題のコメント
「そもそもクサバヤシの人が記事の中で(主に)B子さんを「〔蔑称1〕」呼ばわりしているのは、こういう理由がある。(中略)
既にブログはないが以前「〔蔑称2〕」だったということをダイアリーに書いていたA子さん=B子さんで、ほぼ間違いない。本人は否認するだろうけど(一度しらばっくれられたし)、昔から見てる人は気づいている。クサバヤシも気づいていたから「〔蔑称1〕」と書いたんだろうと私は思った。酷い言い方していると思うが、そう考えないと彼の言ってることは筋が通らないから。」
1-O子は「〔蔑称1〕」が「酷い言い方」であると自覚していた/現代日本社会において「〔蔑称1〕」は「〔蔑称2〕」よりもかなり強いニュアンスをもつが、意味・用法においては多くの場合近似であり交換可能であると考えられる/よりニュートラルな表現として使用される呼称をO子は選択しなかった。【意図的な無礼】
2-O子は、「A子=B子」であると示唆された際にB子が「しらばっくれた」と延べ、「本人は否認するだろうけど」との認識を示している。すなわち、問題のコメントは、真偽の如何にかかわらず、本人が公開を望んでいないことは明らかである個人情報を、本人の意思を無視して一方的に公開することを意図したものと認定しうる。【悪意】
3-「プライバシー権を一方的に、しかも安易に侵害する」「そもそも相手のプライバシー権を認めず、プライバシー権の主張を『罪』(≒「しらばっくれる」)と捉え否認する」は、性的弱者に対する差別的取り扱いの典型的なパターンとして認めうる。【差別性】
4-したがって、O子の行為は「悪意に基づく、差別性をそなえた行為」もしくは「悪意に基づくものと紛らわしい、差別性をそなえたものと類似した行為」として理解しうる条件を備えている
5-しかし、4を指摘された際に、O子は「たぶん最初から私のネガキャン、情報拡散が狙いだったんだろう」と反応し、問題のコメントを削除する一方、「B子とその取り巻きが、以前当てこすり記事を批判されたことを根にもち、その報復のため自分に対するネガティブキャンペーンをくり広げている」、との印象を与えるようなメッセージを多方面にばらまいた。その結果、「現代日本社会においては被差別属性をもつ者こそが強者で暴君であり、O野さんははめられた」と多くのはてな民が信じることとなった。
6-その後O子は主に「不注意と軽率」を謝罪し、関連コメントを削除した。しかし、「A子=B子」の判断が誤りであったという認識は未だに示していない。
「クサバヤシの人」は、「B子とその取り巻き」がO子の言動に対する批判的言及、あてこすり、揶揄をくり返していたことに関して、前者を批判し後者を擁護する記事をたびたび投稿していた。しかし、その中には実際にはO子と関係のないことは明らかなtwitter上の発言等も含まれており、揉め事を好む気質ゆえか、O子に対し庇護者として優位に立つことを目したものか、真偽問わない情報を織り交ぜて両者の対立をいたずらに煽るような傾向が認められる。O子が「はめられた」とするならば、「クサバヤシの人」によっても「はめられた」というべきだろうが、しかし多くのはてな民はO子を庇うナイトたるかれの侠気を信じ崇めほめ讃えるのであった。ホサンナ ホサンナ
昨日が事務処理の締め日だったので休むわけに行かず、今日は会社を休みました。
多重下請け&業務量削減、で、いま自分を実質的に律する人が誰もいない。だから遅刻魔が容認されてしまっている。トラブルはまれによくあるし、そのたび各方面に迷惑をかけるし、このままだと自分が腐る。わけあって働けない家内を抱え、所帯持ちの責任で不本意ながらいまはこんなところにいる。本当はいたくないから、遅れる、休む。ああ、フリーランスは楽しかったなあ。
自分用のタイムレコーダーが欲しい。会社で仕事をするためにではなく、美しいタイムカードを作るそのためなら、定時よりずっと前に勤勉に出社できそうな気がする、自分の机に設置したら、周囲が自分たちのモラルの弛緩に対するあてこすりと受け取るだろうというところまで想像がつく。それなら、今のようにチームのお荷物をやっていたほうが平和だ。
要するに自分の無意識の方がずっと狡賢い。それだけは認めないといけない。
中世貨幣学説史の本が届く。なんでこんな本を自分は買わずにいられない?友人が来て話をした。トリレプタルが近々承認されるらしい。元気がちょっとだけ出た。
週末電験三種の試験がある。二ヶ月準備期間があったのに全くなにもしてない。たぶん今回は見送る。ホイートストンブリッジの式だけは理解できた。別に法定停電の手配ができるからといって今よりましな職がみつかるとか思わないけど、電気のことも知らないままこうやって腐って滅びていくのはいやだ。
なにもかも間違っている自分たちを正しいと大声で言いたい。ベルグソンに傾く若手を一喝し、ヴィシー政府は正しいと居直ったドミニコ会士の気持ちがすこしわかる気がする。
コンビニでマテリアルガールがかかっててふと思ったんだけど(-ガール、というsuffixがつくからといって中田ヤスタカの未発表曲じゃありません)マドンナのパパ・ドント・プリーチのときの教皇ってあのポーランドの人でよかったんだっけ。
別にことさらドミニコ会=説教者修道会に対するあてこすりの意図はないよな。全体としてカトリック信仰に喧嘩を売る意図はあまりに明瞭だけれど。しかしまあドミニコ会士の現代における等価物は人権団体とか環境団体のロビイストだろうな。同性愛者に権利を、とか無神論的自由主義、不可知論を標榜しながら、彼らのやってることは「キリスト教徒にふさわしい精神」の押し売りの現代版だ。そしてそれにすばやくすりよる金貸しども。カーボンエミッションの売買は現代の贖宥状そのものだ。マモンのかわりにガイアとか人権、健康とかを偶像崇拝するというのがこの「新しい中世」の堕落した教義らしいよ。そのうちタバコを吸ってると公共に対する毒ガス攻撃として異端審問にかけられる世の中にマジなりそう。タバコを吸うという愚行がいかに自然法の観点から正当化しがたいか、スコラ的に論証できるようになっとくと就職口に困らない、まっくらな未来が来るかも。下々はカルミナブラーナでも聴いてその日暮らしの楽しみを謳歌するすべを学んでおきましょう。(児ポがらみの論点はあえてスルーしますがもちろん関係ありありです)
言葉の『意味』を扱う意味論という学問の世界では「関連性の原則」というものが知られている。会話の最中に「関連性のない話題は基本的に選ばれない」という原則。
その原則のおかげで、「一見関係が無い話題を出すことで、直接には言えないことを遠回しに伝える」というよくあるレトリックが成り立つことになる。
たとえばギャング映画なんかでよくある、融資を断った相手に対してイキナリ「…そう言えば、お孫さん、そろそろ可愛い盛りですね?」ってヤツ。「…キ、キミは私を脅すのか?!」「落ち着いてください。私はそんなこと何も申し上げていませんが?」みたいな。直接言ったら『脅迫』になってしまう内容を、相手に〈推測〉させることで、
(1)『脅迫』などしていないと逃げる余地をつくり
(2)余裕を見せつけることで相手の恐怖感を煽り
(3)頭のキレる相手にこちらの頭のキレを見せつける
…など、様々なメリットが期待できる話術。
また、『伝聞』というスタイルで、自分から相手に直接言い難いことを仄めかす、というレトリックもある。
たとえば、相手のことを疑っているときに「いや、キミが詐欺師だと言う輩がおってね。いやいや、ワシは当然キミのことなど疑っておらんがね。そういうことを言う人間もいるので、ここは一つ身の証を立てて貰いたいんだ。」…とか言って、要するに疑ってんのはテメーだろ、みたいな。まあ実際ここまであからさまな言い方は珍しいけど世の中では結構よく使われている「世間」話法とかが、つまりソレです。「お前そんな人と結婚するなんて、別に私は構わないけどヨソサマになんて言われるか…」「だからそのヨソサマって誰だよ!連れてこいよ!」みたいな。
政治家は、こういう話法を普通に駆使してしゃべる。いわゆる「永田町語」というヤツですね。だから、結果として彼らの会話はどこまでが普通の言葉でどこからがレトリックなのか非常に分かりづらい。政治の世界でずっと取材してる記者とかもまた、その辺りのアンテナをビンビンに張ってないと仕事にならないので、言葉の直接的な『意味』だけでなく言葉に含まれている意味、いわゆる『含意』を読み込む習性が非常に高い。先日の麻生の株屋発言も、そういう文脈で見れば、どうして各紙がああいう報じ方をしたのか理解できると思う。
株屋発言について詳細を吟味するページ:http://www.garbagenews.net/archives/497015.html
このリンク先の方は、各紙の報道を「麻生発言をねじまげるもの」と判断した上で
意図的ならば悲しい話であるし、本筋を見極めて概略を伝える能力に欠けているのなら、それはそれで(報道としての)存在意義を疑わざるを得ない、というところだろうか。さらに加えるとするなら、なぜ大手報道会社が一斉に同じ「認識ミス」を「同じ部分」で行い、「同じように」「同じタイミングで」報じたのかも、考えてみる必要があるのかもしれない。
確かに、麻生発言にそこまでの意図はなかったかもしれない。でも断言はできない。だからこそ、「文脈の中で、問題があるとは思わなかった」という声と「自分は不快に感じた」という声の両方があるわけで、その意味でリンク先にある読売の報じ方は実は非常に正確だと言える。逆に「麻生発言には全然問題なんてないじゃないか」と新聞が報じれば、後者の感じる不快感はスルーされ、こういう皮肉やあてこすりによるイメージ操作を政治家がし放題ということになりかねなくて、危険なのだ。
このように、普通の人(非業界人、という程度の意味で)が「生の情報」「一次ソース」に触れたところで、果たして『事実』に到達できているかどうかはまだ分からないのだ……ということは一応指摘しておきたい。国会の議事録読むときとかでもそうだけど、どういう文脈で、政治背景で…ということと併せて、「どういうレトリックで」喋っているか、ということにも注意を払う必要がある。それは報道記事を読むときも同じで、結局そういうこと全体をひっくるめて情報の価値をはかる能力をメディア・リテラシーという。リテラシーのない状態で、ただ漫然と垂れ流される一次情報だけを見ていても、情報を流す側の操作を見抜くことなんてできない。
まあこの元記事自体が一つの政治的な意図をもった何かなんですよ…ってことなら、もう何をか言わんや、って感じなんですけれども、一応とりあえずマジレスしてみた。増田だしな。
芸術家云々と書いたものですが、
「芸術家」かどうか関係なく、プログラマーはまずは人間ですから、質や程度の差こそあれ、自己表現欲求や生きる葛藤みたいなのを抱えると思います。
いや、あれはあなたに対する意見ではないので無視していただいて結構です。
私が言いたかったのは、「プログラマーはプログラマーであるだけで生産的で創造的なのだ」というような自家撞着に陥っている視野の狭い人たちへのあてこすりです。単なる愚痴ですし、私の前の記事ぐらいからすでにあなたの話と無関係なところに行っているので無視していただいて構いません。敢えて言えば、あなたのような問題意識の(経験したことが)ない人を批判しているとは言えるかもしれません。
そこらへんの思いと自分のプログラミングが結びつけている人がいるなら、どう結び付けてるのか、結びつけないのならどう結び付けていないのか聞きたいです。
別にプログラミングに限らないんですよ。私は学生時代数学科にいましたし、純粋数学やってる人間ってのはプログラマー以上に「純粋数学こそが真理だ、役に立つか立たないかなんてクソ食らえ」っていう意識が高いわけですね。そういう意味では純粋数学者ってのはギークなんかよりよっぽど芸術家気取りでしょう。しかし、その巨大な自負に見合うだけの能力(運や努力やめぐり合わせも含め)を持っている人というのは僅かしかいない。その辺に疑問を持つような人は純粋数学から応用数学に転向して技術者として就職したりするわけです。
で、その上で言うのであれば「数学的思考法」というのは非常に役に立つと思います。プログラミングも、ギークレベルならともかくリテラシーレベルならば簡単に身に付けられるし。と言いますか、コンピュータ・サイエンスっての数学の分派なので、「プログラミングを学べば人生に役立つ」とか言ってる人にはかなり微妙なものを感じるんですよ。「それなら数学を学んだ方がよっぽどいいんでないの」と。
いや、数学に限らないんですよ。抽象的な思考を操りこなせるようになれば視野が広がるのは当たり前なんです。ただしそれは、分野特有のものじゃない。だから正直「プログラミングを学べば人生に役立つ」とか言ってる奴には「まだその段階か」と思わざるを得ないんです。ある程度以上の段階に至れば後は今まで学んだ思考法の繰り返しになって、勉強自体が人生を切り開いてくれるってことはなくなる。
そこから先をどう考えるか、です。
学を曲げて世に阿る人のことは無視しなさい。名前も書いてはなりません。
怒ってリンクすれば彼奴の pagerank が上がり、彼奴の思うつぼです。
それからその人が学者として全うであるかどうか簡単に知る方法は査読付き論文を最近投稿しているかどうかです。
彼奴は現時点において日本仏文学会会員でないと記憶しますので、仏文学者というのは自称に過ぎない、と判断することもあながち不当ではありません。
追記:フランス語では代名詞の代わりにしばしば個人を特定する凝った表現をつかいますが、これはあてこすりの手段としても効果的です。東大総長を勤めた某氏がよくやっていました。
たとえば「著書の売り上げを増し、引退後に合気道の道場を建てるという夢のためには世の人を怒らせようと世の中が荒もうと構わないエゴイストの女子大教授がまたマッチポンプをやっているよ」などといった表現で特定しましょう。「それって誰?」という人が増えることが最終目標です。彼奴のような者の名前が忘れ去られ、多くの人がより日々のつとめにいとなみに精励できるよう、みんなで彼奴の textual appearance を引き下げてまいりましょう。