はてなキーワード: 自由主義とは
別に「独裁」を連呼はしてないけど、橋下も、その支持者も嫌いなので一言。前出の動画を見て簡単に要点をまとめるけど、
まあ、おおむねそういうことを言ってる。ここまではOK?
でも、この上段と下段は矛盾してる。そこが理解できているのだろうか。これをなぜ矛盾というか、順に説明したい。(これが矛盾だと理解できる方は、一気に下の「矛盾について」までジャンプしていただいて構わない。)
まず、橋下や多くの橋下支持者の言う「民主主義」とは何か。本当に理解しているのか? たとえばそういう人に、民主主義って何?って聞いてみると、それは多数決のことだとか言う。馬鹿!としかいいようがない。少しはググれ。多数決というのは、民主主義の本体ではなく、言ってみれば糞のようなものだ。生きていれば必ず出る。それが糞。だが、それはものの本質ではない。やむを得ず出す余剰や排泄物を本質だと言ってみるのは、スカトロプレイに人間の真実がある、というSM愛好家の口吻と同じ程度の説得力しかない。要するに一種の自己弁護と詐欺である。
政治とは意思決定だ。その意思決定の主体を、どこにおくか。大昔は神に預託された巫女が、あるいは神権をもった王がもった。しかし、徐々に一人の意見の過誤を防ぐ意味から、多くの頭脳による方法が用いられるようになり、君主制(一定の中からトップを選ぶ)、寡頭制(複数で決める)、貴族制(階級全体で決める)、あるいはそれらを組み合わせることで意思決定がなされるようになった。古代に一度行われていた民主主義は、近代に入り、社会や経済の成熟と歩を並べ、自由主義・資本主義社会の進展とともに、「みんなの意見を合わせると、おおむね正しい結果になる」という知見の下、選挙による間接民主制という形で、多くの国で採用されることとなった。(余談だが、間接民主制をとる場合、大前提として、投票する大衆は、現下に起きている事態について、必要かつ十分な知識をもつ必要がある。そこで、間接民主制をとる集団では情報を適切に配分する方法が必要となる。多くの近代国家では、そのために民主制とセットで、権力から自由なメディアを発達させてきた。自由なメディアの無い国に、民主制は成立しない。)
で、「みんなの意見」をまとめるために、民主主義はどのような方法を取るか。それは「話し合い」である(というより、それ『しか』方法はない)。集団での意思決定であるから、理でもって他者と交渉し、協調の精神で話し合いをすすめながら、最終的に合意を得て決定する。その際、たとえ少数であっても、その少数意見を尊重すること無しには、集団で合意の形成などできない。特に、間接民主制の下では、たとえ一人の意見であっても、その一人の背後には膨大な人間が存在しているため、軽視することは許されない。少数意見を採らない場合、反対を主張する多数派には「採らない理由を合理的に説明する」義務があるのは当然だ。
ただ、もちろん政治は現実のものであり、現実の人間は不完全なので思想・信条や見解の相違がある。時代の要求する文化によっても、物の価値は変動する。その変化の前後で人の価値観は異なるだろうし、そうなると、どれだけ理を尽くしても最終的に対立が解消しない、という事態は起こり得る。だがそれでも、もちろん政治は決断をくださなければならない。だから、理を尽くして越えられない壁がはっきりしたときには、それを越えるため万やむを得ない解決手段として、『多数決』が用いられることになっているのである。
本来、とにかくひたすら話し合うのが民主主義である。だから、決定を多数決に持ち込むような事態は、民主主義が敗北するときと言ってもよい。だが、民主主義が敗北しても我々は民主制を放棄するわけにはいかない(それよりマシな方法が存在すると知られていない)から、その場合に意思決定を行う最終手段として『多数決』は許容されているに過ぎない。多数決とは民主主義の糞だというのは、つまりそういう意味だ。現代日本の民主制は、理と協調の精神による話し合いを通して多くの素晴らしい意思決定を行っているが(与野党がケンカばかりしていると思っているお子様は、日本の色々な法律がどのように成立しているかちゃんと確認すべき)、不完全な決定のいくらかを多数決という糞としてひり出してもいる。それだけを見て、多数決は素晴らしいなあ、とか思ってる人間は、スカトロジスト(糞尿愛好家)と呼ばれても仕方ない。そう呼ばれることに誇りを覚えていて、一緒にするなと怒る人もいるかもしれないな。すまん。
さて、以上を踏まえ、比喩として、もう一度言う。多数決は糞だ。少数意見を最終的に「採らない・採れない」ことはもちろんある。それでも、一定の合意を得るための様々な譲歩や協調のための配慮は必要なのであって、それは民主主義のコストなのではなく、民主主義による意思決定を可能な限り正しいものにするために絶対必要な手続きだ。だから、多数決をタテにして少数意見を圧殺する人間は、そもそも民主主義者ではない。数の暴力を振りかざして権力を握る人間は、端的に言って独裁者である。
最初に【矛盾】と言ったのは、「少数意見を尊重する」ことこそが民主主義のルールそのものであり、少数意見を尊重しないのは単なる独裁(あるいは数の暴力)であるにも関わらず、「民主主義のルールを守る」と言ったその口で彼が「少数意見を尊重しない」と述べているからだ。少数意見を尊重しないなら、それは民主主義ではない。彼は法律家であり政治家であるのだから、そんな初歩の初歩をしらないわけがない。
あるいは、彼は「ここで民主主義のルールとは選挙のことを言ってるのだ」と言い逃れるかもしれない。だが、「選挙」とはあくまで「間接民主制」を成立させる手続きの一つに過ぎず、民主主義における意思決定システムの本質とは無関係であることもまた、言うまでもないくらい当たり前のことだ(首長が選挙で通ったからといって、その主張が議会の全体合意もなく自動的に「承認」されるような詐術が成り立つなら、最初から議会は必要ない)…これもまた、政治の初歩の初歩であり、法律家であり政治家である彼が絶対に知らないはずはない前提だ。ではなぜ、彼は平気でこういうことを言うのか?
それは、選挙民のほとんどが「民主主義とは多数決のこと」であり「多数決=選挙のこと」である、と二重に勘違いしていることを知っていてそれを都合良く利用するためだ、としか解釈できない。その二つの勘違いを利用することで、「選挙に通ってしまえば独裁してもよい」という思い込みを形成し、支持者がそれを支持する「空気」を作りだして、反対する良識派(というか当然起こる反対)を封じ込め、本来通るはずのない法案を作成し議会を通過させようとしている…それが、目下彼がせっせとやっていることではないか。そして、そういうところがヒトラーの手口と酷似していると指摘されているところであり、彼に警察権や軍事力、立法権があるかないか、ということが問題なのではない。まあ、個人的には彼は、ヒトラーの尻尾というより劣化矮小版のコイズミジュンイチローだと思っているけれど。
以上を踏まえて、彼の言っていることはシンプルに嘘だと私は考えている。嘘から発生する利益を享受する人間をなんというか。その呼称は各自に判断に任せるが、いずれにせよ、民主主義の破壊者が、口先だけ民主主義を唱えながら権力の位置にあるという現状を、どのように見るか、これは呼称なんかよりも重大な問題だと考えている。
これは、彼個人が善意の人であるか悪意の人であるかという問題ではない。民主主義のシステムそれ自体にそもそも脆弱性があって、その脆弱性がまさに攻撃されており、ウィルスチェッカー(メディア)も、そのウィルスがまさに自己の中から(メディアが創りあげたスターとして)誕生したために有効に機能していない、という状況をどう見るかという問題である。
以上、簡明に反論してみたつもりだが、随分長くなった。反論があれば伺う。
中国共産党のトップがリバタリアン扱いってなかなか面白いジョークだよな。
リバタリアニズム(英: libertarianism)は、自由主義思想の中でも個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治的イデオロギーである。リバタリアニズムは他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考える。日本語においてもそのまま「リバタリアニズム」と表現される場合が多いが、本来の思想から語意が変遷している「リベラリズム」と区別する意味で、単に「自由主義」と訳されることはあまりなく、完全自由主義、自由至上主義、自由意志主義、古典的自由主義など多数の邦訳が存在する。しばしば新自由主義、市場原理主義と同義で使用されることもある。またリバタリアニズムを主張する者をリバタリアンと呼ぶ。
http://d.hatena.ne.jp/oooquree/20111024/1319464061
これは自分のブログで、ここに載ってるリンク先に書き込んだ。それも入らないかと思って、自分の二書き込みしといた。このリンクの人は載せたようだ。
報告と言う形で
何がいい人だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この人らがやってる事って、言葉に厚みを加えて、それなりのレトリックやそれなりのインテリなら知ってる事を使って、自分達の怠けを肯定してるだけじゃないのか?
怠けは、犯罪じゃないし、社会主義国家じゃなく自由主義国家なので、刑務所にも入れられないし、勤労の義務があっても、そうしないからと言って、罰則があるわけじゃなし、あの美しい弁護士法みたいなもんだw
別に、勝手に怠けてればいいのに、なぜかすごく熱心に勤勉に、変な理論 もしかしたら間違ってるのわかってて発信してるんじゃないかと思うような理論を、発信してるwww (働かざるもの食うべからずについての、誤用ではないけど、元々は貴族階級に使ったというのを言うのと言わないのでは、だいぶ違うと思う 註↓ )
この人が書いてる事は、元々気にする必要もない事が多い
まるで、アダルトチルドレンを気にする人を、引っ掛けて、気にする状態にしてから、気にしなくて良いと、説いてる人たちみたい。
だって、ニートというのではなくて、普段から、スポーツジムにばかり行って、勤労してなくて、その前はヨーロッパを回ってて、日本に帰って、会社を友人たちと立ち上げるかという話はあっても、あまり進んでなくて、ジムか図書館にいるという人が、普通にmixiを書いてた。
今は、こういう人は日記を閉じて書いてるかもしれない。人が少なかった頃は普通に書いていた。特に煽られたりもしていない。
註
他にも、
また思い出したら書く
132:名無しさん@涙目です。(茨城県):2011/08/17(水) 06:58:08.02 ID:mhxMJbnw0
「この国は中途半端な社会主義なんです。だから中途半端な人間が生まれてくる。
我々は自由主義をえらんだんだから、自由社会にすべきで、それはイコール競争社会なんだから
下流にいれば飯が食えなくなって野垂れ死にするしかない。」
「実際に靴売る末端の連中なんてバカがいい、バカでも売るだけならできる
こちらが出店し仕入れマニュアルの中に組み込めばOK
某経済誌より
「単独でアパート借りるとか考えるから敷金の問題が出てくるわけで、ネットで探せば今や4人とかでルームシェアしてる事例はいくらでもある。
それくらいの人数であれば最初は敷金・礼金を分割で払うことで他の人にお願いすることだって可能だろうし、6万/月より安く住めるだろ。
俺だって学生の時は友達と月11万のマンションをシェアして5.5万/月だった。あの頃のほうがまだバブル覚めやらぬ時代で家賃も高かったぞ。ちなみに文京区。
それすら払えないなら友達んところに転がり込めばいいだろ。
なんていうと、反貧困派のやつらは、それができないから困ってるという。タメがないとか言い訳してさ。
こぎれいにしてれば友達くらいできるだろ。このブログ書いてる人みたいなのが甘やかすから図に乗るんだよ。」
161:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/17(水) 07:02:31.51 ID:R5gZfkzz0
>>132
>下流にいれば飯が食えなくなって野垂れ死に
これいいよね。努力はイヤだけど野垂れ死ぬのもイヤだというヤツが暴発するような世の中になって欲しい。
174:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/17(水) 07:04:25.38 ID:34UeNRGY0
>>132
全く正論だな
330:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/08/17(水) 07:32:33.15 ID:7ZQGzBS60
>>132
>>我々は自由主義をえらんだんだから、自由社会にすべきで、それはイコール競争社会なんだから
まあ選んだのは俺らじゃなくて前の世代だけどな
それでも、こいつらが正しいってことは同意
358:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/08/17(水) 07:38:38.76 ID:o2ObEnAG0
いや全然正しくない
>下流にいれば飯が食えなくなって野垂れ死にするしかない。」
また生活保護法は国民の代表である代議士によって立法されている
競争原理が存在するだけでそれには一定の調整が図られているだけの話
それが現代のリベラリズム
370:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/17(水) 07:41:11.48 ID:GG/24grH0
385:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/08/17(水) 07:44:39.95 ID:o2ObEnAG0
まったく具体性がない
批判したいなら具体的にどうぞ
396:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/17(水) 07:46:27.29 ID:GG/24grH0
通じないなら、その程度だな
そもそも最初に日の丸・君が代が制定されたのは明治時代なわけで、反対派がいるかいないかに関係なく最初から強制でスタートしてるはずだよ。
で、現代で公的強制を行おうとしている人々は当時制定した人々の後を継いでいると(少なくとも主観的には)自認している人々が多いのではないかな。逆に考えてそうじゃなかったら何者だよって感じだし。そういう意味では強要側は連続性を保っていると考えて良いと思う(強要する当人が連続性を保っていると思っているだろう)
あとまあ、当時も従わない奴はいただろうけど、日の丸は元々船舶の識別用の旗なのでうちは昔から別のを使ってんだとか、他にも当然明治体制に対する抵抗派はいただろうし、どちらにしてもこちらは「今の」反対派とは連続性を保ってないと思うよ。今の反対派は(戦前・戦中から続く)強制があることを踏まえた上での反対なわけだし。逆に言うと、国旗国歌は定めておくけど個々人が勝手に尊重して下さいみたいな欧米的な普通の自由主義国状態になった場合、反対派ってどうなっちゃうんだろうって気はするけどね。満足して解散するのか先鋭化するのか。
あらゆる事に反論があるのは、むしろ一般的です。
もしくはOLのふりした中高生の方でしょうか。だとしたら本当にごめんなさいね。
女性の社会進出、結婚及び出産の高齢化、配偶者の低賃金化、社会福祉の低下
まさしく個人が自由に利益を追求した結果の副産物だと思います。
40代になったら30前後の子持ちの母の為に何かするつもりがあるんですか?
50代になったら30前後の子持ちの母の為に何かするつもりがあるんですか?
60代になったら30前後の子持ちの母の為に何かするつもりがあるんですか?
元増田さんならわかりますよね。社会には、ほぼ、Anonymousしかいないんです。
あなたは「どうしたらいい」と言っても、誰かに「どうしてくれるんだ」としか考えていない。
あなたの「どうしたい」はあなたの問題です。この社会の問題にはならない。
あなたは少子化、無子化の社会問題に気付いたようですが、たまたまあなたの「したいこと」だったのでしょう。
生活できる/できないはあなたの都合でしょう。どの程度の生活を指すのかおおいに疑問がありますが。
そのような状況で、わざわざご両親から離れた場所で生活の基盤を作る。
http://anond.hatelabo.jp/20110410024618
http://anond.hatelabo.jp/20110416121851
あの頃は、嫌韓流や中国人が書いた中国非難本みたいなのが流行ってたね。
ただ、まだリアルでは中韓を嫌っているような人ってあまりいなかった気がするんだよね、あの頃は。
それで、やっとここ数年になり、ようやく一般の人達までそれが浸透した感じがする。
つまり、今が全体的なレベルでいうと一番盛り上がってる最中ということ
これ、あくまで印象論ね。
中韓は、これからも仮想敵として日本(の一部の人達)にとって必要な国だと思う。
その条件を満たすには、
哀しいかな、日本には今のところ「自由主義経済で勝ち残る」くらいしか目ぼしい方法はない。
この自由競争って言葉に対してアレルギーというか汚臭を感じる人も相当数いる。
一括りにするなら左翼ってやつ(互いの政策を理解しない中間層が多数派と思うが)
それが、形となって現れたのは2年前の政権交代
ちなみに、蓮舫さん批判する人多いけど、彼女はリベラルの味方です
というかすぐ吹き出すだろう。
そんな時に最強な弁論カードが、「確固たる仮想敵」なわけ。
↓
セーフティーネット、福祉充実、非正規労働反対!などの気運高まる
↓
↓
識者とか「中韓北はいつミサイルを打ってくるか来るか分かないトンデモな国です、なので備え(軍事力)は絶対必要です。
その前提である経済発展を止めては対抗できません。だから格差は仕方ないです。
あなたが負け組なのは あなたの能力がないのが悪いんです、自己責任です、たかじんさんも辛坊さんもざこばさんも皆そう言っています」
そんなこんなで、結局 日本にとって中韓北はあと数十年はトンデモな国々なわけですよ。
日本は その仕組みを匠に活用し、経済でのし上がってきたわけですし。
ただ、今の日本は充分 生活水準も高い国になってしまったので、
このまま無理すれば支障をきたします。
インドや中国、ベトナムなどの発展途上国との熾烈な競争に労働者が巻き込まれるからです。
なぜなら、彼らの生活水準は我々よりも低く、
給与が低くたって 日本の底辺のサラリーマンよりかは少しはゆとりを持って暮らしていけます。
スキルをアップさせる時間的余裕や精神面で有利な途上国の労働者は
今後高いスキルを備えていくだろうし、
生産性の低い仕事に就き、朝から深夜まで働き通しの底辺のサラリーマン達は
家に帰っても スキルを習得する時間や金銭的余裕もなく、やる気も沸き起こらない。
いずれは、彼ら発展途上国の人達より低い給与で雇われる日本人達がたくさん出てくるかもしれません。
これはまだ少し先の話だけど、このまま無策の状態が続けば
いずれそれが真実味を帯びてくるでしょう。
まあこういうこと言うと極端なアレな方々が
必ず思考停止ワードを持ち出すわけだけど、
陰謀論とかって 地震兵器とかユダヤとかそっちの話で、これ経済の原理だから
少なくとも中国は、国民レベルでは日本のことなんて嫌ってないし
国家レベルでも、彼らの真に目指している敵は、アジアの国々でもイスラム圏の石油国でもなく、
もっと大きな別のところにある。
http://anond.hatelabo.jp/20110410024618
あの頃は、嫌韓流や中国人が書いた中国非難本みたいなのが流行ってたね。
ただ、まだリアルでは中韓を嫌っているような人ってあまりいなかった気がするんだよね、あの頃は。
それで、やっとここ数年になり、ようやく一般の人達までそれが浸透した感じがする。
つまり、今が全体的なレベルでいうと一番盛り上がってる最中ということ
これ、あくまで印象論ね。
中韓は、これからも仮想敵として日本(の一部の人達)にとって必要な国だと思う。
その条件を満たすには、
哀しいかな、日本には今のところ「自由主義経済で勝ち残る」くらいしか目ぼしい方法はない。
この自由競争って言葉に対してアレルギーというか汚臭を感じる人も相当数いる。
一括りにするなら左翼ってやつ(互いの政策を理解しない中間層が多数派と思うが)
それが、形となって現れたのは2年前の政権交代
ちなみに、蓮舫さん批判する人多いけど、彼女はリベラルの味方です
というかすぐ吹き出すだろう。
そんな時に最強な弁論カードが、「確固たる仮想敵」なわけ。
↓
セーフティーネット、福祉充実、非正規労働反対!などの気運高まる
↓
↓
識者とか「中韓北はいつミサイルを打ってくるか来るか分かないトンデモな国です、なので備え(軍事力)は絶対必要です。
その前提である経済発展を止めては対抗できません。だから格差は仕方ないです。
あなたが負け組なのは あなたの能力がないのが悪いんです、自己責任です、たかじんさんも辛坊さんもざこばさんも皆そう言っています」
そんなこんなで、結局 日本にとって中韓北はあと数十年はトンデモな国々なわけですよ。
日本は その仕組みを匠に活用し、経済でのし上がってきたわけですし。
ただ、今の日本は充分 生活水準も高い国になってしまったので、
このまま無理すれば支障をきたします。
インドや中国、ベトナムなどの発展途上国との熾烈な競争に労働者が巻き込まれるからです。
なぜなら、彼らの生活水準は我々よりも低く、
給与が低くたって 日本の底辺のサラリーマンよりかは少しはゆとりを持って暮らしていけます。
スキルをアップさせる時間的余裕や精神面で有利な途上国の労働者は
今後高いスキルを備えていくだろうし、
生産性の低い仕事に就き、朝から深夜まで働き通しの底辺のサラリーマン達は
家に帰っても スキルを習得する時間や金銭的余裕もなく、やる気も沸き起こらない。
いずれは、彼ら発展途上国の人達より低い給与で雇われる日本人達がたくさん出てくるかもしれません。
これはまだ少し先の話だけど、このまま無策の状態が続けば
いずれそれが真実味を帯びてくるでしょう。
まあこういうこと言うと極端なアレな方々が
必ず思考停止ワードを持ち出すわけだけど、
陰謀論とかって 地震兵器とかユダヤとかそっちの話で、これ経済の原理だから
少なくとも中国は、国民レベルでは日本のことなんて嫌ってないし
国家レベルでも、彼らの真に目指している敵は、アジアの国々でもイスラム圏の石油国でもなく、
もっと大きな別のところにある。
そう。その通り。それと同じように、完全自由主義ならば値上げは正しい。
平時、ライフラインは法律の縛りを受けている。値上げもままならない。
規制緩和が叫ばれてはいるが、すべてにおいて真に完全自由化が求められているわけではない。
水(水道)は特に重要なライフラインとして民営化すらなされていないのが普通である。
そのような重要な物資の値上げへの非難は間違ったものではない。そもそも、完全な自由経済下におかれるべきものではないのだから。
元記事の理論であれば、電力の不足に対しては電気料金を値上げすれば良いことになる。
数倍や数十倍に値上げを行い、即時支払などを求めれば、多くの人は電気の使用を控え、使用電力は下がり、電力不足はおこらず、医療に限らず必要な人が必要な分だけ使用できる事になる。
しかし、実際にはそれが多くの問題を生むことは明らかであろう。
それは独占が云々と思う人もいるだろう。そう。それもある。
市場の寡占化に限らず、様々な不均衡が実際の市場には存在する。
交通(すなわち流通)や情報の制限された被災地では様々な不均衡が起こり、健全な市場形成は難しいだろう。
さて、タイトルで「議院内閣制」「二院制」「二大政党」と並べられていますが、これはそれぞれ制度として次元が違う話です。また「この3つの制度を組み合わせて使った方が良い」とかいう根拠は政治学的には特段存在しません。例えば、「強い大統領制-二院制-二大政党」のアメリカ、「議院内閣制-一院制-二大政党」の現在のスウェーデン、「議院内閣制-二院制-多党連立」のイタリア、といったように各制度とも、様々に他の制度との組み合わせが存在します。もちろん英国のように「議院内閣制-二院制-二大政党制」でやっている国もありますが、これが特別にメジャーな組み合わせというわけではありません。
そしてこの3つの次元の違う制度の中でも、「二大政党」は他の2つとレイヤの隔たりが大きいです。「議院内閣制&二院制」と違って「二大政党」は時に「二大政党制」などという風に「制度」として扱われますが、厳密に解釈すれば「制度」として(すなわち法的な根拠を以て)「二大政党であるべき」と定められているものではないからです。「二大政党」というのは「結果としてそうなってる」という状態を指していっているものですので、本来的には制度ではありません。それでも「二大政党制」という言い方が(政治学においても)許容されるのは、二大政党の国の大半は、小選挙区制度等で「二大政党になるよう誘導している」実態があるからです。直接的には「二大政党制度」という法的規定が無くとも「立法精神において二大政党を期待・想定している」と言えることが多い、という程度の根拠なのです。
日本の政治制度も、もちろんこの区別の原則から外れるものではありません。「議院内閣制&二院制」は「日本国憲法」という最高法規で規定されている制度of制度な代物ですが、自民、民主の「二大政党制」になったのは、あくまで「選挙制度(及び政党助成金等の法規定)を大政党に有利な制度としたこと」「大政党有利な選挙制度をひっくり返す程の大きな民意の動きはなかったこと」の結果でしかありません。
長々と前置きしましたが、「議院内閣制」「二院制」といったレベルの狭義の『制度』と、「二大政党」のような実際的な『政党のありよう』は、政治制度論的には全く別レベルの話だ、ということです。
以下、本題。
●他の国のように二大政党制に~
良く聞く言説ですが、これは「間違い」に近い話です。日本では米英の政治が有名なため、あたかも二大政党制が欧米の標準的な制度のような印象がありますが、政党結社の自由が保障されてる国に限っても、二大政党になっている国はむしろ少数派です。しかもその過半を英連邦またはその流れを引く国家で占めています。二大政党は「民主主義国の標準的な制度」ではなく「アングロサクソン系国家での標準的な制度」です。
更に言えば大国で単独政権が普通な国は英米と昭和日本、サイズを広げてギリシャくらいで、二大政党制の国でも連立政権の方が普通です。英米の政党のあり方はかなり特殊で、英米それぞれに、特有の固有事情によって成立している面が大きいのです。
●一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと~
日本の政治制度は、憲法で規定されているような大枠の部分では、別に一党優位を想定した仕組みではありません。日本の政治制度を大枠で分類すると、「立憲君主国-議院内閣制-(民選第二院型の)二院制」と言うことになりますが、これは結社の自由が保障されている民主主義国家では比較的ありふれた組み合わせです。天皇制を維持することを前提とした上では最も無難な標準パターンと言えるでしょう。このありふれたタイプの政治制度の国での政党のありようは、分極多党制、穏健多党制、二大政党制、一党優位制(例は戦後日本とマレーシアぐらいしか思いつきませんが)など様々です。従って、この「大枠」の部分について「一党優位用の仕組みである」とするのは無理があるでしょう。
そもそも日本国憲法には「一党優位」どころか「政党」に関する規定そのものがありません。日本には戦前から政党政治の伝統があったにも関わらず「国会運用の主体は別に政党である必要はないよ」というのが日本国憲法の立場なのです。
●何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか。
「大枠」が特に関係無いならば「細部」で抜けている可能性が高いでしょう。二大政党制が定着している米英の日本との違いを挙げてみます。
強い大統領制(首相がいない)を採っていて、議会と大統領が別個に選ばれるアメリカでは「大統領-議会」及び「上院-下院」のねじれが日常茶飯事です。どちらでもねじれが生じていなかった期間の方が短いくらいのはずです。それでもアメリカの政治が何とかなっているのは(実は「レームダック現象」のように結構止まってるのですが)、「大統領権限の強さ」及び「習慣的に党議拘束が無い」ことが挙げられます。実は日本の首相も法制度上は非常に権限は強いので(後述)、違いとして大きいのは「習慣」でしかない党議拘束の面です。アメリカ議会においても党の決議というものはありますが、党の決定に反した投票を行っても除名されるというようなことは滅多にありません。従って、大統領が少数派政党所属でも野党の一部を引き抜いて政府法案がとおってしまうことが良くあります。もちろん一部と言えども説得するためには、法案の修正などを余儀なくされることも多いですが、「0か100か」ではなく話し合いで妥協案が作りやすいということです。野党の中核が認めてくれる(かつ与党が我慢できる)ような修正は困難ですが、野党の一部を納得させるだけなら説得でなんとかなることが多い、という感じです。「与党40、野党60、このままじゃ法案通らないので、修正して野党から20人賛成に取り込み。修正を批判して与党から8人離反したけど可決」なんてことを日常的にやっているのが米議会です。
当然ながらアメリカでも日本でも「党議拘束をどうするか」というのは政党内部での独自の取り決めであって、法律で規制しているものではありません。
イギリスではそもそも「ねじれ」は問題になりません。第二院が「貴族院型第二院」であり、貴族院型の通例として非常に権限が弱いからです。貴族院が否決しても庶院が可決していれば、再議決等もなく法案は成立します。
ただ、この両院の権限については「細部」というより「大枠」に近い部分です。日本でも衆議院の優越具合は憲法上で定められています。ちなみに「日本の参院は強すぎる」とよく言われますが、政治制度論的にはこれは怪しい話です。確かに「貴族院型第二院」の場合は第二院の権限が非常に弱い(しばしばイギリスのように形式的存在)場合が多いのですが、日本のような「民選型第二院」や「連邦型第二院」の国では「ちょっとだけ第一院が強い」というのが標準で、日本の参院の権限は(どちらかと言えば強い方には入りますが)「第一院がちょっとだけ強い」の範疇に収まる話です。
●(なぜ)ねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%99%A2%E5%88%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%99%A2%E5%88%B6
あたりをご参考に。
もちろん二院制には欠点も多いのですが、実は世界の主流は二院制です。一院制をとっている国は「軍事政権or一党独裁時代の歴史的な経緯を引き継いでいる国」もしくは「人口数百万以下の小国」が大半です。
確かに二院制は本質的にねじれ可能性を内包しています。にも関わらず二院制が主流だということは、多くの国が「ねじれ」を始めとする二院制のデメリットよりもチェック&バランスのようなメリットの方が大きいと判断している、ということです。
制度論としての正面からの回答としては「なぜ両院の与野党構成がねじれた程度で簡単に機能不全になるんだ?ねじれ議会なんて良くある事じゃないか?」という話になります。
実は(二院制とは別の側面ですが)日本の採っている議院内閣制は、行政府の安定性が最も高い制度になります。強い大統領制や、大統領と首相が行政権を分け合う半大統領制は、議会勢力と行政府の代表が独立した選挙で選ばれますので、制度の本質として行政府と議会の一致を担保していないため(両院間の対立ではありませんが)、行政府と議会の対立は議院内閣制より遥かに起きやすいのです。フランスのコアビタシオン時代にせよ、アメリカ大統領の任期後半(たいてい議会が野党多数です)にせよ、ひどい政治停滞にはなっていないわけで、普通はねじれても何とかなるよ、というのが民主主義国一般での実績なのです。
●それとも二大政党制の作法を政党も国民もマスコミも知らないのが問題なんでしょうか.
そもそも二大政党制と「ねじれ」とは直接的な関係はありません。
議院内閣制の日本では「ねじれ」が「両院対立」として現れましたが、「ねじれ」の問題点の根本は「行政と議会の対立」なわけです。この対立は「一党が圧倒的に優位で行政も議会も常に押さえている」という(自由主義的民主国家としてはかなりレアな)状況でない限り、しばしば起こる方が普通な訳です。
「作法を知らない」とするなら「二大政党制の作法」ではなく「議会制民主主義の作法」というべきでしょう。そもそも英米以外の大国はほぼ常に連立政権ですので、どの政党も最終的に何らかの妥協すること無しには政策が実現しないため、閣内/閣外双方の政党間での政策のすりあわせや、政権交代/政権与党組替時の継続性、について不文律が確立しているケースが多いです。
「日本の政治制度は大枠としてはごく標準的なもの。それが上手く行かないなら、制度大枠に起因する本質的な欠陥ではなく、日本特有の事情による欠陥と考えた方が良い」
ということになると思います。(その特有の事情って何だ?という話は政治制度論の範疇を超えますので、ここでは省略させてください)
もし「ねじれ」のような問題を解消するなら、制度論から言っての解決策自体はいくつもあって、例えば
・狭義の「制度」面からの解消→イギリス流に実質的一院制にしてしまう。
(自由主義的民主国家において最も行政府が強力となる政治制度は大統領制ではありません。議院内閣制&一院制の組み合わせになります)
・運用面による解消→アメリカ流に各党が党議拘束を外し、個別の議論で成否を競う。
の2つの方法なんかは、二大政党との相性に100年以上の実績があります。日本の国会の「ねじれ」については制度の大枠の問題、運用面での政治行動の実態の問題、の双方が重なったゆえに生じているので、どちらか片方の解消だけで解決するはず、という考え方ですね。
最も前者は憲法改正が必要な点で、後者は政党の内部規定という法律で縛りにくいものである点で、実現可能性が非常に厳しいのですが。
日本で始球式をすることも決まっている、話題のサンデル教授の本『これからの「正義」の話をしよう』を読んだ。
シリアスゲーム的な考え方だと思った。押し付けがましくなく、それでいて熱意がある。
ダン・アリエリーの「予想通りに不合理」では、行動経済学として人々の社会規範と市場規範に焦点を当て、さまざまな実験を通して規範の適用の仕方を検証している。
サンデル教授はこれまで社会規範の適用されてきた社会に市場規範を適用するという最近の風潮を危惧している。
それは、アメリカのみならず、諸先進国においても同様だろう。GDPでは幸福は測れないということだ。
そうした現状で、公正な正義を一人一人が認識しようとすることは社会の幸福への試金石になるかもしれない。
宮台真司の推薦文にもある通り、サンデル教授はコミュニタリアン(共同体主義者)だそうだが、一部のコミュニタリアンにとっては違和感のある呼ばれ方だそうで、その原因は「正義は個々のコミュニティが好き勝手に定義したものに過ぎないという相対主義的見方を表しているように思える」からだそうだ。
つまり、コミュニタリアンと呼ぶ側(功利主義、自由主義)がコミュタリアンの物語の探求という考え方を見落としているということだ。
NHKの白熱教室を観た方はわかると思うけれど、サンデル教授は功利主義、自由主義、そして共同体主義を実際に起きた問題や思考実験によって人の正義と自由、正義と権利、自由と権利といった問題を焦点に繰り返し問題提議、検証していく。
5章以降のカントの示した人生観やロールズの考える自由は、より具体的で、わかりやすく、刺激的だ。
人生観で特に印象的だったのは、マッキンタイアの「物語の探求としての人生を生きる」という考え方だ。
自由を追い求める考え方は目的論を独善的とみなす。しかし、現実的には人々は人生という物語を解釈している。
自由に選択できることが真の意志の尊重とするが、
物語の探求という生き方は、アドベンチャーゲーム、ロールプレイングゲームのようにマルチエンディングのような、または、SF的な多世界解釈に近いと思う。
そして、それは強烈だ。これからの諸問題との対峙する時、コミュニタリアンの正義に対する捉え方は安易な自由や平等主義よりも解決への熱意を持っている。
サンデル教授は功利主義、自由主義、共同体主義という選択肢を検証し、最終的にトゥルールートとでもいうように納得させる形で共同体主義への道筋を示した。
心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱されたフロー体験というものがある。
フロー(英語:Flow )とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ZONE、ピークエクスペリエンスとも呼ばれる。その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。
チクセントミハイが見たところによれば、明確に列挙することができるフロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている。
2. 専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
4. 時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5. 直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6. 能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
(フロー:wikipedia [ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC ])
目的論的な解釈や考え方はフロー体験を促しやすいのではないだろうか。
自己実現理論(じこじつげんりろん)とは心理学者・アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。又、これは、「マズローの欲求段階説」とも称される。
2. 安全の欲求(safety need)
3. 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
4. 承認の欲求(esteem)
5. 自己実現の欲求(self actualization)
の5段階に分類した。
自己超越
マズローは晩年、5段階の欲求階層の上に、さらにもう一つの段階があると発表した。それが、「自己超越」(self-transcendence)の段階である。 自己超越者(transcenders)の特徴は
1. 「在ること」(Being)の世界について、よく知っている
5. 深い洞察を得た経験が、今までにある
6. 他者の不幸に罪悪感を抱く
9. 聡明である
10. 多視点的な思考ができる
11. 外見は普通である(very normal on the outside)
マズローによると、このレベルに達している人は人口の2%ほどであり、子供でこの段階に達することは不可能である。 マズローは、自身が超越者だと考えた12人について調査し、この研究を深めた。
(自己実現理論 :wikipedia [ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96 ])
フロー体験や自己超越といった段階は、ただ安易な自由や平等を考える以上に、個々人が社会で生きる目的を認識することが重要であることを示しているように思える。
英首相 「英国での多文化主義は失敗」
イギリスのキャメロン首相は、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが相次いでいることを念頭に、「イギリスでの多文化主義は失敗した」と述べました。
「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化がお互いに干渉せず、主流文化からも距離をおいて存在することを推奨してきました。そうした、いわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と正反対の行動をとることすら許容してきました」(イギリス キャメロン首相)
これはキャメロン首相が訪問先のドイツで行った講演の中で発言したものです。キャメロン首相は「イギリスでのこうした多文化主義は失敗した」とした上で、異なる価値観を無批判に受け入れる「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観を積極的に推進する「真のリベラル社会」を目指すべきだとの考え方を示しました。
イギリスでは、イスラム過激思想に感化されたイギリス育ちの若いイスラム教徒によるテロやテロ未遂が相次いでいて、大きな問題となっています。
こうした問題の背景には若いイスラム教徒の一部が、イギリス社会に同化しきれていないことがあるとの指摘がなされていますが、キャメロン首相の今回の演説は「多文化主義」が同化を妨げてきたとの認識に立ったものです。(06日07:21)
どうも腐女子関連を相手にすると
根も葉もない単なる屁理屈が出てきて、ひっかきまわされるんだよなぁ…。
いやそれ以前に規制派が腐女子相手にBLを規制する合理的な説明が全くできていないんだが。
俺は男だからBLがどういうものなのは本質的には理解していないのだけど、それでも規制派は「BLによってどう不健全になるのか」ということが説明できていないというか「誰の性道徳がどうなるのか」自体を全く述べていない。この「誰」の部分は男なのか女なのか、それすら述べていないだろう。これで規制しろと叫ぶんだから卑怯を通り越してほんとキチガイ。
千歩譲って「同性愛者が育つことがけしからん」という価値観を認めたとしても、BLが現実の同性愛を助長するとは考え難いだろう。女性向けのBLモノはそもそも現実に存在し得ない完全なファンタジーなのだから。BLによって、男がホモになることも、女がレズになることも、有りえない。もちろん同性愛が不道徳という主張そのものが自由主義国家においてはキチガイ沙汰だということを横に置いた上ですらこれってことだぞ。
もちろん規制派はこのようなファンタジーを想像することすら許しがたいのだろうけどさ。ほんと理解に苦しむよ。そのようなキチガイも世の中にいるということを想像することは出来るけど、一応自由主義者の端くれである俺の中で噛み砕いて理解するにはあまりに乖離している。日本が突然イスラム教国家になってイスラム法の話が始まったような気分だ。
本当は国家行政や地方行政が表現を規制するのは全部NGというのが基本です。
表現の自由は人間関係や社会を構築するコアの一つで、これを破るにはプライバシー(柳美里とか)や、絶対であるべき思想・良心の自由および生命・身体の自由くらいの強力な人権が要る。
個人主体ではない、社会全体の概念である、公序良俗やわいせつの人権で破るのは大変筋が悪い(破れる、と根拠なく思っている人が多すぎるけど)。
これは自由主義以後の鉄則で、これを守らない国は基本的に自由主義国家ではない(この定義だと自由主義国家は世間で言われているよりかなり少なくなるが)。
自由主義より優れた人権思想があれば別だけど(普通はこれに民主主義と立憲主義が結合するし、場合によっては社会民主主義か新自由主義が結合する)、まだない。
どうしようか一晩悩んだが、やっぱり質問した以上、レスを返すのが礼儀じゃあないかと。…それが相手をメチャメチャ怒らせるのが判っていても。
ただ、どこまで行っても平行線以外あり得ないと思うので、この件について、当方からはこれきりにさせてもらう。書き逃げ御免、悪しからず。
『そうなんだけどさ…』を書いたのは、第一にまず不思議だったからだ。ゴミ焼却場や火葬場、その類いの施設であれば反対運動をここまでボロンチョ貶したりはしないはずだ。で、出た結論が、たぶん、障害者を潜在的なリスクと見做していない、ということ。あ、念のためあらかじめ書いておくけど、脅威度の評価と差別感情というのは別問題だからね。
id:mats3003 入居するよ。別にね。ちなみにうちには娘がいますが何か?
id:jaikel ううん、だからなに?としか。実例は見ているし、知っているし、実際近所にもいる。それがどうした、以上の感想はない。
こういうレスポンスが帰ってくるのは、自分の娘がいきなり抱きつかれるとか、そば歩いていた人間に突然殴られたりする可能性を考えていないから、何じゃないかと思う。突発事態が起きたときに対応できるように、視界の中に彼らが入ってきても、脳内でマークして、視界の外に出るまで警戒レベルを少しだけ上げておく、みたいなこと、してないでしょ?原子力発電所や軍事基地が嫌がられるのは、実害に加えて、日常生活におけるリスクを増大させるからでもある。障害者更正施設もそう。実際にその手のものが出来ると、その周辺地価は下落する。やくざさんの事務所が入ったビルと同じで。
で、反対の起きた場所はこういう施設がこれるくらいだから、もともと地価が低かったんだろうと思う。で、その地価を更に下げるようなことになって喜ぶ地主も住民もいない。
id:Ivan_Ivanobitch 家を貸して、自分たちは引っ越せばいい。これが自由主義。他人の引っ越しは排除してはいけない。これが自由主義。
そこら辺を考えてないから出てくるコメントなんだろうと思う。毎日毎日、夜中にドッスンドッスン足音がしたり、歩いてるといきなり目の前にものが落ちてくるような家に好きこのんで越してくる物好きはいない。雨水なのかオシッコなのか判らない敷石の凹みのたまり水を避けて歩くのが楽しい、なんて人も。
で、これ。
id:washburn1975 差別, これはひどい 出たよ恒例の自称リアリスト。毎度毎度ツッこむのも疲れるんだけど、じゃあ自分の子供が自閉症だったら座敷牢にでも閉じ込めておくの? 自分が自閉症だったら閉じ込めておいてほしいのか?
幸いにして隣のジェントルジャイアン君は外向きの性衝動が(割合)希薄な自閉症児でガニメアン君のような知的障害児じゃあないから、直接的な性被害に遭う可能性は低いんだけど、ジェントルジャイアン君の感覚刺激に対する反応なんかによっては今後、彼が自慰行為に熱中する可能性がある。どの程度の可能性か、調べようもないし、俺はとてもじゃないが怖くて自分から聞く気にはなれない。で、先に書いたように我が家はすでにして座敷牢の中に位置しているわけだ。washburn1975さんには例えば、便所と庭の区別もつかないオナニー猿(そんなものには退化しないよな、ジェントルジャイアン君)と一緒の座敷牢の中に娘が閉込められている親の気持ちって判ってもらえるだろうか?
あるいは、自分の息子を座敷牢からでないように神経をすり減らしている親の気持ちを。
…ああ、書いてて自己嫌悪一杯だ。
差別イクナイ。差別者は悪。うん。ドロひっかぶらないとこでそう書くのは心理的なコストがゼロでしかも正しいこと言ってるという気分高揚というプラス効果もあるんだけど(同性愛者は何かが欠けているとか言い放っているのはアレ、やっぱり心理的コストがゼロなんだろうか、信じ難いけど)、ドロと格闘してる側が見ると、なんか「清潔なのはいいよね、みなさん。でもみなさんもわざわざ汚れたくはないんでしょ?」とか言いたいみたいな気分になるんだ。だからといって横からちょっとドロひっかけちゃってもいいって訳じゃないのは承知してる。ごめん。
ああ、それから。
施設を受入れろっていう側は果してそれに伴う負担増を解消できるだけの体制を整えているんだろうか、本当に。以下、ご参考まで。
大倉山投げ落とし事件
http://anond.hatelabo.jp/20101210233537
http://anond.hatelabo.jp/20101211021647
村上は美大を問題にしてるが一番問題なのは小中高の美術教育だと考える
村上が批判するところの『自由主義』≒内発的なものを表に表現することこそ美術の真髄であるという思い込み
小学校はともかく中高でそういう教育を行うのは問題なのではないか
日本の美術教科書は他国と比較すると異様に薄く内容的にもかなり異なる
典型例として
自分を見つめる
とNGが出る
褒められる絵
美術教師・教科書が褒める絵のスタイルには傾向があり、顕著なのが風景画における印象派
心ひかれた場面に出会ったら絵に表してみましょう
光や影、広がりや奥行きを各画面の構成や色彩で工夫すれば、印象深く表すことができます
→印象派
日本の美術教育は印象派が美術の最先端だった頃に開発された技法が輸入され太いチャンネルになっている
その結果として印象派的な書き方を教えることが日本の美術教育の一つの王道を成している
分厚い
美術史を丁寧に教える
ルネッサンスの項では遠近法が開発され、そうした理論の注入が行われた結果それまでの中世の絵から
どのように変わっていったのか、等が論理的に
20世紀の項では
ピューリズムとかシュープレマティズムなどマニアックな流派まで結構詳細にどういう背景を持って
どのような流れで出てきたのかを触れる
半分は美術史をやり残り半分は実作
例えばエジプトの壁画、ファンアイクの絵、マチスの絵に到るまで丁寧に模写をした上で
それがどういう時代背景の元にどういう技法で描かれているかを自分なりに読み込んで
まとめる、ということを行う。
日本でも美術史をやらないわけではないが、それは日本史世界史の授業で行い
美術の授業とは切り離されている
基本的に向こうでは美術史と自分で描くこととを両輪のように組み合っせてやってる
美術というのは歴史があり、何が「美しい」と思われてきたのかは時代時代によって
かなり変わってきている。
歴史の積み重ねがそれを作り上げている。
それは宗教だったり政治であったり、そういった権力のもとで作られてきたとか
あるいはフランス革命により王政が打倒された結果、描くモチーフが王侯貴族から市民に変わっていったり
そういう技法まで含めて流れがあり
我々が何を美しいと感じるかというのは、実は自分が生きた時代に人々がそういうものを
美しいと思うように訓練されたから、そういうものを美しいと思うのだということが体得されてゆく。
ある人がなにかを美しいと思う、それは何か訓練された結果美しいと思うのではなくて、
あくまで内発的ななにものにも影響されないそういう感覚があり、その美しいと思ったその感覚、
あるいはそれを表現することそのものが美術なんだという風な、いわば洗脳を受ける結果として、
自分があるものを美しいと思うときに、例えば広告とかTVCMとかの結果としてそういうものを
美しいと思うようになっているにも関わらず、内発的に美しいと思っていると誤解している
ところが発生しかねない。
疲れたんでここまで
以下、日本の美術教育のこのような特殊性のルーツはなんのか、等々
またこういった『自由主義』が美術教育の専門家ら自身にも問題だと認識されていること、
にもかかわらずこーなってんのか、日本美術教育がどのように位置づけられてるからなのか、等々。
更にかつて現在の美術界同様な状態だった日本の建築界が磯崎新の仕掛けによりどのように
変わってゆき、現在のような5~6人のワールドクラスを輩出するまでに変わっていったか、等々
村上は磯崎が建築界で起こしたことを美術界で起こせるのか、等々
と続く
とにかく根拠が実感だけの村上さんよりはるかに具体的で面白かったんで、こんな糞エントリじゃなく
ちきりん氏曰く、
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20091016
ちきりんさん、今までよっぽど恵まれた大家ばかりだったんだろうなぁ…。
私は関東に住んでいるけど、大家や不動産屋ってキチガイばかりだよ、ホント。
資本主義、自由主義経済の現世に生きているんじゃなくて、平安時代の荘園領主かなんかの脳味噌しか持ち合わせていない。
「オレたちが家を貸してやっているんだ。お前らみたいな下々のようなカスは膝まづいてありがたがれ」
みたいなヤツラばっかり。
しかも、ヤツラの頭の中には「減価償却」とか「維持費」とかいう概念は無いらしく、敷金や月々の家賃はあくまでも「支払われて当然のもの」として
物件自体の維持修繕に使うという発想が無い。
だから引っ越して出て行こうとする人間から追い剥ぎをして1円でも多くむしり取って「現状復帰」しようとする。
いつぞやは「壁紙張り替える」とかぬかして敷金20万円総取りの上に追加で「現状復帰費用」みたいな名目で10万円ぐらい追加で取ろうとしやがった。
さすがにそれは無いだろうってことで友人の内装業者に見積もり頼んでみたら5万円もかからねぇでやんの。
その後、大家と直談判して「なんとかなりませんかね?」って友人の見積もり出したら全部で10万円になった。
(友人の見積もりはちょっとヌケていたらしく、10万円は大体妥当な工賃+材料費だったらしい。)
じゃあ、最初に言ってた「30万円」って何?って問い詰めたら言葉に詰まりまくって、ほんの少々だけ溜飲が下がった。
大体さ、「礼金」って何さ?
コッチはお前さんの物件を「借りてやっている」んだぜ。
他にも、「敷金と火災保険の解約金は退去時に必ず全額返金します」って入居時に言っていた不動産屋もいたけど、退去時になんだかんだと因縁つけてきて総取りしようとしてきた。
今度は入居時の契約書と覚書を持って「全額返して下さい」って言ったら「裁判でも何でもして下さい!」って開き直りやがった。
もうね、不動産業界ってこんなヤクザみたいなヤツラばっかりなのね。
去年田舎で小さいながらも持ち家一戸建てを買ったけど、自分の家が持てたという以上に
「もう二度とあのクソみたいな賃貸不動産業界に関わらなくていいんだ」
という事が大きかった。
そもそも、ちきりんって何か人気あるみたいだけど、言っている事が結構頭飛んでいる事がおおくね?
そう思うのは私だけ?
ことあるごとに
「これからの一寸先は闇な状況下で、住宅ローンを抱えるのはバカ、賃貸にすべき」と
口を酸っぱくして主張している。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20091016
1,209ブックマークか・・・
確かに、貸し手と借り手の間に「正常な経済原則」が働くのであれば、
しかし、自由主義・資本主義の信奉者であるちきりん女史の思惑通りに、
社会は動くだろうか?
一旦孤独死をされると、異臭の除去で、大家は莫大な負担(敷引きでは対処できないくらい、70万円程度)が
掛かってしまう。
しかも、孤独死&異臭騒ぎというのは、案外「後期高齢者」なんかじゃなく、
つまり、後期高齢者だと、体に何らかの不具合が起こると病院に入院して死んでしまうのだが、
中年~前期高齢者だと、病院に行く前に「自宅でポックリ死」というケースが見受けられる。
異臭の除去に高額の費用が発生するのみならず、
こうした物件は「瑕疵物件」となるので、次の入居者募集で著しく不利になってしまう。
「中年~前期高齢者の単身者だと、孤独死の危険性が高いので、入居を拒否する」という
動きが出てきている。
「借り手がいれば、貸し手は必ずそれに応じるはず」というのが「自由主義・資本主義のちきりん理論」
なんだろうが、「借りたくても、貸してくれないリスク」というのが、
ちきりん女史のような「賃貸派」というのは、恐らく「一生、単身世帯」の人が多いのだろうが、
30代なら大家が喜んで貸してくれても、40代・50代になって貸し続ける保証はない。
一箇所に留まるのなら借地借家法である程度保護される(正当事由なければ更新拒否NG)なんだろうが、
「ライフスタイルや気分に合わせて住み替え」というのにはハードルが高くなる。
自由 リバタリアニズム 政治 多様性 社会主義 日本 考え パターナリズム
bradexさんが、ナチスの「25か条綱領」というのを紹介している。
ウィキペディア - 25か条綱領
http://ja.wikipedia.org/wiki/25%E3%82..
<25か条綱領(独: 25-Punkte-Programm)はナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党綱領。1920年2月24日、ミュンヘンのビアホールホフブロイハウスで採択された>。
その25か条綱領には、次のようなものが含まれている。
・我々は、老齢保障制度の大幅な強化を要求する。
・我々は、健全な中産階級の育成とその維持、および大規模小売店の即時公有化、小規模経営者に対するその安価な賃貸、全小規模経営者に対して最大限考慮した国家・州または市町村に対する納品を要求する。
・我々は、我が国民の要求に適した土地改革、公益目的のための土地の無償収用を定める法の制定、地代徴収の禁止と土地投機の制限を要求する。
・我々は、公共の利益を害する活動に対する容赦ない闘争を要求する。高利貸し、闇商人等の民族に対する犯罪者は、宗派や人種にかかわらず全て容赦なく処罰される。
・我々の要求をすべて実行するために:国家の強力な中央権力の確立。中央議会の国家全体および組織一般に対する絶対的な権威。公布された国家の大綱的法規を連邦各州において実施するための階級・職業別の団体の形成。
これを大雑把に言い直せば、「大企業は儲けすぎだからもっと税金を取れ」「老人への保障をもっと手厚くしろ」「大きな店は潰して、小さな店だけにしろ」「不動産を貸したり転売して儲けることは許さない」「高金利の金貸しは許さない」といった話だから、いまの日本でもよく言われているような話である。
これがナチスの綱領であることを隠して、「このような政党があったら支持するか?」というアンケートをもし日本でやったら、支持する人はかなりいるのではないか。「立派な考えだ」「なかなかいいことを言っている」といった反応がおそらく続出すると思う。
ナチスについて少し調べればわかることだが、ヒトラーは「ただの極悪人」ではない。ユダヤ人への弾圧や虐殺などがひどいのは言うまでもないが、上記のように、政策の方向性としては「左翼的な正義」が基調である。いわゆる「悪人」というよりもむしろ、「使命感に燃えた善人」に近いといってもいい部分がある。
実際、ヒトラーは自分が「善」だと強く確信していたからこそ、権力を握ることで「悪」を撲滅しようとしたのだろう。そして、それに一定の説得力があったからこそ、支持を集めて、権力を得ることができたわけだ。
もちろん、ナチスの政策だから全部間違っているということにはならないし、ナチスの政策にも正しいものはあるかもしれない。重要なのは、ナチスの政策が正しいか間違っているかというよりも、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ、ということなのだ。
正誤・善悪によらず、何かを他人に「強制」するという考え方にこそ、全体主義やファシズムへの萌芽がある。何かを他人に「強制」してもいいと考えている人は、自らの無謬性(誤りがないこと)をまったく疑っていない。自らの正しさを確信すること自体は問題ないのだが、それを「他者に強制する」ことから問題が生じる。
自由主義やリバタリアニズムがこの「強制」を嫌うのは、何が正しいのか、何が善なのかということに関して、唯一の絶対的な基準があるということを疑っているからだ。自由主義者やリバタリアンは、つねに異なる意見、異なる価値観を共存させ、多様性を認めることで、社会は発展するし、また社会は安定する、と考える。
自由主義者が政府より市場を好むのも、政府は「強制」するものであり、市場は「自由」な取引で成り立つものだからだ。
私の見たところ、日本というのは「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方がわりと強い国だと思う。そういう考え方の人は、たいてい「悪人」ではなく、むしろ「善人」だったりする。「いい人」なわけだ。しかし、他人に「強制」すべきでないということや、異なる考え方をあえて共存させる「多様性」の重要性については、あまり理解されていないように感じる。
菅首相なども、「善人」なんだけど、「強制」することが問題だとわかっていない人の典型である。左翼的な考えの持ち主はわりとこのパターンが多くて、弱者を思いやる「善人」なんだけど、「強制」することでどういう問題が生じるかがわかっていない、と感じられる場合が多い。こういう人は、弱者を思いやるのはいいのだが、その一方で、金持ちや経営者を「悪」だと決めつけてしまいがちだ。
「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方は、まさに「パターナリズム」である。それは、親が子供に対しておこなう場合であれば許されるだろうが、社会のなかで他者に対して「強制」をおこなうことは許されない。しかし、この「強制」が唯一、合法的に許されているのが政府である。
よって、政府は「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方の危険性や副作用をよく理解して、どうしても「強制」を行使しなければならない場合にのみ、きわめて慎重に行使すべきなのだが、日本政府はそれをあまり理解しているようには見えない。最近また大店法の話が出てきたりしているのを見ても、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」ということを、むしろ無邪気に信じているかのようだ(特に民主党は、以前からこの傾向が目につく)。その規制が経済をブチ壊すことを理解できないのだろう。それも経済産業相が、である。
民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である。企業や民間人は、政府のような「強制」力を一切持っていないのだから、社会問題になるような「構造」問題に対しては、企業や民間人には責任が生じようがない。これは「システム」の問題なのであり、よって責任があるのはもっぱら、「強制」力によって制度設計をおこなった政府である。それなのに、民間の企業を「ワルモノ」扱いして、その行動をさらに規制すれば問題が解決すると考えているのだから、まるで逆だ。セーフティネットは必要だが、市場を規制してもセーフティネットにはならない。
http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program
関連エントリ:
http://mojix.org/2010/01/23/libertarianism_kimo
どんなに素晴らしい価値観であっても、価値観の「強制」には反対する
http://mojix.org/2009/08/01/kachikan_kyousei
地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)