はてなキーワード: 靖国参拝とは
何故なら、ABC級戦犯が合祀されてて、あいつらは広島長崎を含む日本国内を火の湖にした大戦犯だから。
戦争肯定して何が駄目なの?って言う奴いるけど、お前ら今やってるソシャゲの大部分を検閲と称して一切合財禁止されるぞって話。
かつて野球の試合で、ストライクやボールといった英語を使うのを禁止して味気ない試合内容だったのを史料等で読んだ事ないか?
今で言えば、ソシャゲが大ブームだけど、その殆どはFateの様に日本以外のどこそこの英霊を美少女化または美少年化したイラスト目当てに遊んでいる。
でも日本帝国時代はそれすらも検閲して、日本人以外の英霊は絶対許さなかったと思う。カタカナ英語なんてもっての外だから、例えばサーヴァントもセイバーもアサシンも
最終的な解決がなされたのに蒸し返すことの契約的な是非はともかく、心情面で日本がどんだけ謝っても韓国納得しないじゃんって話については、2015年の戦後70年首相談話の時にパックンが書いたコラムが興味深い。
以下に一部引用する。
謝るべきかどうかではなく、何故お詫びを求められ続けるかということだけについて話そう。
まず挙げられるのは「各国の政府は、内政が厳しいときに反日感情を煽り、国民の怒りの矛先を外に向けさせる作戦を取る」という説明。これは間違いない。その作戦自体は間違っていると思うけどね。やりすぎてだんだん効果が薄れているみたいだし。
でもそれだけではないだろう。もう1つの理由として、日本の「反省が伝わっていない可能性」も考えよう。もちろん、これまでに日本政府が謝ってきたのは事実。少なくとも村山首相、中曽根首相、細川首相、小泉首相、安倍首相が謝罪している。
しかし、各時代の首相が謝っている傍らで、他の政治家たちによる謝罪とは反対の意に捉えられる発言が目立つ。有名な例だと、中曽根内閣時代、藤尾正行文部大臣の韓国併合についての「韓国側にも責任がある」発言。竹下内閣時代、奥野誠亮国土庁長官の日中戦争についての「侵略の意図は無かった」発言。最近だと、「慰安婦制度は必要だった」という橋本徹大阪府知事(当時)のコメントがある。
行動も紛らわしく見える。5名の首相がおわびをしている一方で、靖国神社へ参拝している戦後の首相は14名。国会議員では数百人に上る。靖国神社は、世界のメディアでWar Shrine(戦争神社)と紹介されている。参拝される人の意図とは関係なく、世界が受ける印象は「お詫び」とは反するものになってしまう。
今回も謝罪の意をこめた総理談話を発表した翌日に、67名の国会議員が参拝をした。安倍総理は参拝しなかったが玉串料を収めた。こういうことは英語でmixed messageという。その行動により、残念ながら「お詫び」が印象に残らない結果となる。
その後、おおむね「謝罪した」とみられているドイツとの比較などが行われている。
つまり、日本政府や首脳は、公式声明では確かに何度も謝罪している。だが、公式声明以外の振舞いや、首脳以外の政治家の言動に「本当はたいして悪いと思ってません」というホンネが感じられるため、本気で謝っていると思ってもらえないということである。
なので、どうすれば心から謝罪したと納得されるかというと、政治家(たぶん国民も)の大半の意見を「日本が悪かったです」ということで統一し、かつ大々的な声明だけでなくその他の場面でも日本が悪かったという態度を崩さず、あと政治家や元政治家は靖国参拝や奉納を止めるといったところだろう。
まあ確かに会社とか友人関係でも、いったんちゃんと頭は下げたものの、その後自分の席に戻って肩をすくめたりする姿が見られたら、本当は反省しておらずしぶしぶ形だけ謝ったのだ、という風に思われるだろうことはわかる。
靖国は、誰がどの墓や神社に参拝しようが自由なのだがその自由なところから透けて見える気持ちが反省のしてなさであるというのはなんか難しい所だ。
結局のところ、大日本帝国とそれにまつわる物事をナチス第三帝国と同じくらいの扱いにしたら満足してもらえるはずってわけだろうが……。
インターネッツで話題になる「新事実」の類を見ると、なんだかインターネッツの外の世界と
世界観の連続性に断絶があるのではとしか思えないヘンテコなものが多い。
一番代表的な例はもちろん自民党が戦後大半の次期与党だったことを知らなかったり、
つい十年と少し前に「小泉旋風」をはやし立て靖国参拝や北朝鮮への強硬姿勢を煽ったマスコミを
「反日勢力」だの「在日に操られている」だのと思い込んでいたりするネット右翼の類だが、
これは実際インターネットに現れる病的現象の氷山の一角ではないかという気がしている。
直近で見ても、市販の漫画指導本にいい加減なことが書いてあるくらいの何十年も前からある傾向を重大事件のように騒いだり、
日本の下町の工場でも小規模ながら(そもそも生産量が小規模だから)ちょくちょく耳にするくらいの不祥事を
中国の工場独自の問題かのように大騒ぎするアレなツイートが話題になったりする。
不思議なのは、こう言った世間知らずも良いところな騒ぎを起こす連中の大半が、
どうやらインターネット以後の世界しか知らないような子供や若者ではないようだということだ。
御年70にして政権与党がどこであるかをここ数年になるまで気にしたこともなかったような残念な境遇の方もおられよう。
私には、インターネットという媒体自体に外の世界を忘れさせ、人の知性をいったんゼロにリセットしてしまう、
健忘症を引き起こす効果のようなものがあるのではないかという気がしてならない。
というのもひとえにリアルな世界におけるインターネットの影響を観察してのことだ。
国立の某大学や某大学に進学したようなリアルにそれなりの見識を持っていたはずの知人が
軒並みこの手の、自らに蓄積された知と明らかに連続性のない、怪しいネットの知識にどっぷり染まってしまうのを見たからだ。