はてなキーワード: トラックボールとは
僕さぁ、病気とかは特には患ってないんだけど、一人暮らし始めてから家の中では
具体的に言うと、こたつとベッドを地続きになる感じでくっつけてこたつにPCモニタを、
ベッドの上にキーボードとマウスを置いて、大体常に寝ながらインターネット見てるって感じ。
朝起きてから飯食うのも歯を磨くのもベッドの上だし、会社から家に帰ると寝るわけでもなく
何よりも早くPCの電源入れてベッドの中に潜る。
必要な物は大体全てベッドから手の届く範囲に置いてるから生活拠点がベッドの上って感じになってしまっている。
勿論これもベッドの上で寝ながら書いている。
布団から手を出さずニコ生とか増田を回覧するってのも可能になった。
この前飲み会でこの生活について話したら絶対ヤバいみたいに言われちゃったんだけど、
これはやっぱりよくないのだろうか?
一人暮らしの人が何もないときどういうポジションにいるのかみたいなのは
あんまり聞く機会がないんだけど、この話の中のベッドとPCがこたつとスマホ(もしくはノーパソ)に変わってるくらいで
大体みんな同じ感じだよね?
1989年に東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界で最初のノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝、アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成した。
1990年代中頃から、国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコンの出荷台数はデスクトップパソコンを追い越した。
2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPadで代表される新しい形態の携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。
とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝に代表される日本企業が業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンがパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。
ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズのパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。
・1984年 NEC PC-8401A
(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池やフロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。
T-1100の仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大512KB
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵
・サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg
最初のノートパソコンは1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。
発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初のノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。
J-3100SSの仕様を示す
・CPU:80C86(16Bits)、5MHz
・メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)
・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)
・電源リジューム機能の提供 ・ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機
・サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)
1990年代に入ると、IBMとアップルがノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在のノートパソコンの標準的な機能の原型が完成したといえよう。
・1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載
・1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー付
・1991年 アップル PowerBook 170 世界初のパームレストとトラックボール
・1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)
・1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA
・1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ、表計算などアプリケーションをROM内蔵
・1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶。世界初のトラックポイント装備
・1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池で駆動
・1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート
・1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載
・1994年 アップル PowerBook 520 世界初のトラックパッド採用
1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいことから人気が高まり、2000年にはノートパソコンがデスクトップパソコンの出荷台数を上回る状況になった。
・1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用。プレインストールソフト多数
・1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量
・1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート
・1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート
・1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学式トラックボール搭載
・1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)
2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的にモバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争は1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。
筺体の軽量化
軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。
パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。
SSD(Flash Solid State Drive)
SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要なノートパソコンに適している。しかし高価格である。2004年頃から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。
ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格化競争が進むのに伴い、台湾や中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業の技術向上により、現地企業に生産だけでなく設計も委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内で生産している製品は、特に高度技術が要求される小型の高機能のパソコンに絞られるようになってきた。
2000年後半には、ノートパソコンが多様化した。ディスプレイサイズで区分すると、次のようになる。
7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
───┬─── ─┬─── ──┬──
│ ──┬──│──┬── │
│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイルを意図せず高機能機
│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用
│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準
├ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視
シンクライアント(Thin client)とは、処理機能をサーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである。1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。
1996年 オラクル、シンクライアントの概念を提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。
1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表
1997年 マイクロソフト、Windows CEをベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表
それが2005年頃から、外部記憶装置の接続ができないこと、パソコンに情報が残らないことが、セキュリティの観点から重視され、パソコンメーカーはシンクライアントを発表、多くの企業が採用を検討するようになった。
2005年 日本経済新聞「日立製作所がパソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。
2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷
2005年 NEC Mateシンクライアント、VersaProシンクライアント 出荷
ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである。2005年頃、発展途上国の教育分野にインターネットの活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産、支援団体等を通して提供する計画が進んだ。
ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンドマシンとしての重要が高まり、2008年頃から、その用途を目的とした機種も出るようになった。
2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来の目的用の例
・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価
・記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載
・ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャを採用して、パソコンとの互換性あり
iPadの出現
タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトはタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。
2010年、アップルはiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。
久々にGalaxyS2を触ってみたのだけど、よそよそしさが半端ない。
操作のし辛さ、例えばタスクボタンと戻るボタンが逆であることに戸惑って
事あるごとにちょっと弄っとした。
もうあんたの使う携帯じゃないね。そうやって拒絶されてるのかしら。
暫く郷里を出て戻ってきたときの身の置き場のなさに凄く似ている。
この、戻ってきた感に、ひしひしと寄せる寂しさは何だろう。
GalaxyS2は、初めて持ったAndroid携帯だが、ICSへのアップデートでもたつくようになったことに
切れて、ファクトリーリセットをしまくった過去があるので、思い出は全て更地である。
その上、最近は家ではNexus系列、業務ではXperiaZ系列の端末ばかり操作することが増えて、
タスクボタンと戻るボタンが逆なこと、タスク管理の表示方法が異なること、
四十路のおっさんが、90年代冒頭のPCとパソコン通信について遠い目で語り始めるなら、
三十路のおっさんは、いつかゼロ年代後半のスマートフォンについて語り始めるのだろうか。
今のうちにおさらいしておかなくては。
あたりなんだろうか。
まぁ、昔語りが出来る年になっても「あの」iPhoneがという意外性が残ってるか微妙だし、
HTCは今後の展開が微妙だし、ウィルコム社名残ってなくて通じるか分からないし、
最後は現場にいたから分かるけど美談というか斜陽が進んで常時西日の煉獄に焼かれるような日々だったので
そう考えると、ウィンドウズの二十年その姿を変えない不変性、普遍性は
恐れ入るなぁ。
昔語りをしたくなるいつかのために、今から身の回りの実感ストックを溜め込むのは
悪い話ではないのでお勧め。
最初からのセットだった有線マウスから無線マウスに買い替えた。
今までのものに比して、
・電池の分、重い。
結果として手や肩が休まらず肩こりになりそうだ。今のところこれが一番使いづらい。もうちょっと鈍感なボタンの製品の方がよかった。これはマウスのてっぺん手前から既に左右ボタンの切れ込みが始まっている。本製品は店頭にて実際触れるように展示されていなかったから確かめようがなかったが、触るのは大事だ。ただ、展示されているものはすべて触ったのだが、実際机の上で使うとまた違った使用感が出てくるように思う。
・ポインタ動作に関して、大きく動かす分には問題ないが、微細な動きにおいてほんの少し思い通りに動かない気がする。無線がどうこうではなくレーザーセンサーの能力か。
・マウス全般に言えること:自分は手で包み込むようにマウスを保持して操作するのではなく、指先でつかんでほぼ指と手首だけで動かす。
手で包み込むと腕まで使わないといけなくなり面倒だ。
したがってマウス側面に親指にフィットするようなへこみを設けてあっても意図された効果はない。むしろ上部に親指を引っ掛ける出っ張りか滑り止めがほしい。よりつまんだ感じになるように。
・いかに軽くつまむように動かせるかが重要になるから、重いのはマイナスになる。
・高速スクロール後に逆戻りする。
今まで使っていたものを大したことないと思っていたけど、地味だけど実に堅実に動作していたんだなあ。壊れなければもっと使っていたんだが。
iPhoneOSとAndroidOS、<同価格帯・同時期>に発売された機種の双方を利用して思った感想を書く。
■環境
使用機種はiPod Touch(2009年9月発売、2万円台後半)、HTC Tattoo(2009年末発売、2万円台後半)
環境はどちらもPocket Wifiで接続。Tattoは4月以降bmobileの利用を検討中。
■ハード面
iPhoneの方が「人の感覚」と「タッチ後出力結果」の間の差が小さいと思う。
Android(Simeji)だと誤入力が多い。(これは自分だけかもしれない)
<トラックボール>→どちらとも言えない
iPhoneはトラックボールがないが、拡大・縮小が非常に容易なので、
トラックボールがないことが苦につながることがない。
Androidはタッチパネルの性能が悪いから、トラックボールが必須。
ブラウジングにおいてはガラケーと同じような感覚に陥ることもある。
■ソフト面
<マルチタスク>→どちらとも言えない
iPhoneの弱点として屡々マルチタスクが搭載されていないことが挙げられるが、
(しかも、現在、日本国内の許可を得ていないため、法律的にグレーである)でなければ、
マルチタスクなんて使えたものじゃない。すぐにメモリ解放する必要性に迫られる。
正直、自分の場合はマルチタスクじゃないiPhone形式のほうが好きだ。
iPhoneはよく落ちる!と言われるけれども、Androidもよく落ちるよ。
よく縛りのないアンドロイドマーケットが良いと聞くけど、そんなことはない。
金融市場に規制が必要なように、規律を守るための規制を敷いた方が、市場が効率化されるケースはよくある。
そして、GoogleはAndroidマーケットを手入れするつもりがないために永遠に改善されないだろう。
Googleの収益源は広告料であり、ユーザーがAndroidを使おうがiPhoneを使おうがどちらでも良いからである。
iPhone利用者でもGoogleを利用してくれさえすればどうでもいいのだ。
また、仕組み上GoogleがAndroidマーケットを手入れするインセンティブは、
Appleが自社アプリマーケットに対するそれより弱い。Appleはせっせと自社マーケットを整えているが、
Googleは何もしていない。Androidマーケットの公式サイトを見てみれば良い、ゴミだ。
iPhoneのマーケットは質がよく、クリーンなために大企業も参入しやすい。
Androidのそれはゴミ箱みたいなもので、大企業もとてもじゃないが参入できない。
iPhoneではFFやストリートファイターなどが楽しめるが、Androidでは永遠に無理だろう。
今回はキャリアによる違いを比較要因にしないために、iPod Touchとそれと同価格帯・同時期発売のTattooとした。
もし、iPhoneとNexusOneだったらどうなるか?
ハード面は総てNexusOneに歩がある。またソフト面のマルチタスクに関してもNexusOneは克服するだろう。
iPhoneとNexusOneで比較しても、やはりiPhoneのが現時点で良いだろう。
と、言ってもまだ2日なんで、それほどムラムラしてない。
にしても、まあ日々のWeb巡回がいかにエロに傾いてたか実感して苦笑。PCの前に座ってトラックボールコリコリしながらとりあえずRSSリーダーでエログの新着エロ画像チェックをノータイムで始めるくらいにエロ最適化されてた。
以前オナ禁したときはエロ画像閲覧を禁じてなかったので、チンコ触らずに、なんとなくエロ動画を眺めてキンタマ痛くしてたんだが、(あれオレだけなのか?チンコ触らずにエロ動画ずっと見てるとキンタマ痛くなってくるの)
それで1週間後に抜いたときは、それほど気持ちよくなかった。多分視覚刺激に慣れすぎてんだよな。
今までの人生で一番気持ちよかったオナニーは、引っ越ししてビデオデッキとテレビが用意できず2週間ほど、手持ちの古いエロ本のみで細々とオナニーを続けてた(それでも普通に毎日抜いてた)後のやつ。
念願のビデオデッキを設置して、お気に入りのエロビデオのダイナミックなセックスを見たときはアホみたいに抜けた。何回抜いたか覚えてないが多分2桁は抜いた。
やっぱり視覚刺激の遮断ってのがオナ中のオレみたいな人間には有効だってのを実感した。
んでここ数日エロ断ちしてて、Webにいるとエロ断ちって結構難しいなと思った。てかここ数年でエロのクオリティアップってハンパなくないか?2次にしろ、3次にしろ。
ここでオレの最近のお気に入りを大紹介してやりたいとこだが、真剣に画像選別してると、視覚刺激の遮断にならんし、またキンタマが痛くなるので自重する。
オレが支持してるからだよ。
ちょっと前までは共産党を少しかじった社会党を支持したこともありました。ですがその後二大政党とかそういう流れになっておかしくなった頃から、支持している理由がなくなって無党派に。その後、麻生太郎が就任した頃からいろいろ勘案して、民主党にはまだ政権を取らせるには時期尚早である、経済危機の最中につまらんことで政府を混乱させても意味がないという消極的な理由ではあるが、自民党支持者に。
とたんに支持率急降下。
思えばオレの人生はずっとそうだった。たとえばゲーム機一つとってもそうだ。
初めてふれたゲーム機は、ファミコンですらないゲーム機「スーパーカセットビジョン」で、おまけにさわったソフトが「ベーシック入門」のサンプルプログラムの、記憶は曖昧だが「pong」に似たようなゲームだったと記憶している。
その後、自分で初めて買ったゲーム機が、スーパーファミコンではなくメガドライブであった点ですでに間違っていた。なぜか?知るか。それはそのときのオレに聞いてくれ。その後、なぜかかたくなにスーパーファミコンを買わなかったオレが、なぜかサテラビューに心をひかれてスーファミに手を出したのが1995年。ただ、そのときにはすでにPSは発売されていて…。
その後遅ればせながらドラクエなどにはまり(そう、なぜかそのときまでやったことすらなかったのだ…)スーパーマリオRPGなどを通してすっかり妊娠となったオレが、次に選んだハードウエアはヴァーチャルボーイ。そしてNINTENDO 64。さらに最後期になってバイトができるようになって金ができた俺はドリームキャストに、ドラクエやりたさにPSを買い(すでにPS2の計画は明らかになってた)、その間にワンダースワンも試してる。もちろんクリスタルのほうだ。(ピピンアットマーク?それはさすがに無い。断じて自宅の押し入れなどにはない。3DOは欲しかったが金がなかった。飯野万歳)
そして今度こそ外れをひくまいとPS3を買ったがソフトがなく、XBOX360を買ってみてそれなりに満足している。ちなみにWiiは買う気はない。これはオレの些細なプライドだと思って欲しい。もはや意地だ。
ちなみに愛車はついこの間までマツダだったが、この間スバルに乗り換えた。携帯ははじめはドコモだったが、auに乗り換え、今はソフトバンクにしている。データ通信用にWillcomも使っている。
最近はトラックボールを入手するのが年々難しくなっているのを嘆いているし、個人ではずっとWindows MEのパソコンを使っていたが、WIndows Vista搭載機一斉発売の時にVista Home Basic搭載パソコンに乗り換えた。ちなみにガンダムよりザクや特にドムが大好きである。一番好きなガンダムはガンダムXだが、劇場版Zガンダムにはまって揺らいでいる。
そんなオレが自民党支持者だ。特に政策を比べると、積極的によくわないが、少なくとも今この時期をうまく乗り越えるためには、自民党を支持して、少なくともその大枠だけでも維持する方向にしないと、日本は持たないのではないかと考えるようになった。
従って、自民党は滅びる。なぜならオレが支持しているからだ。
1番 2番 3番 4番 続きです。分割しなかったので長いです、上下の増田さん、すみません。
ここまでのまとめ。アダルトな内容にならないようにこちらを参考にHTTPのコードで記述してみる。
mixiで知り合った女の子の400に500だった僕はとりあえず403だったが、彼女のリッチコンテンツを知り前頭葉が503となって理性が404、家に着いて安心したら彼女が布団をクラック、まさぐる彼女の手がすぐに僕のトロイの木馬を検出し、すぐに上のハブで僕のUSBに電源供給しはじめ僕のユニバーサルデザインがアップグレード、たまらず僕も彼女のトラックボールをいじると彼女のユーザーインターフェイスがグラフィカルに反応したので舌先でF5連打、僕は空いた手で彼女のはてなスターも連打すると、水冷式の下のハブが熱を持ち始めたので、ついに彼女2.0へアクセスを試み、ついに認証された。彼女の「注目のエントリー」にプロキシなしで不正アクセスを繰り返すと彼女はzipでくれzipでくれとニコニコ動画、僕の田代砲もランキングを塗り替え、一位に届く寸前、おへその辺りにミームを放出した。
ウイルスは検出されなかったが翌日、京都府警から任意の事情聴取を求められた。
ああ、書いてて恥ずかしい。こんなのはしごたんは良く耐えられるな。凡人にはとうてい無理。では続きです。
電車でメールを確認すると彼女から4通も届いてた。返信すると「よかった、返事くれないかと思った」と返ってきた。この日は他の人とも会う約束があったけど遅刻したうえにかなり挙動不審だったと思う。現実感がない。メールで正直に混乱してると伝えて何度かやりとりした。やっぱり責任?取らないといけないかなという思いがあったので、とりあえずデートすることにした。彼女のこと何も知らないし。三日後に約束した。
三日後、別の街で待ち合わせた。彼女を見てビックリした。こないだの様子とは全く違う。表情が沈んでるし、服もキッチュを狙ったというよりただのアンバランスだった。とりあえず笑顔で話しかけると、だんだんと生気が戻ってきたように感じた。なんとなく感情自体が消失してるような印象を受けた。
不機嫌なのかと思ってとりあえず甘いものを食べに喫茶店に入った。不機嫌な女にはとりあえず甘いもの、これは太宰治が編み出した鉄則なんだけど、全く効果がなかった。会話も無茶苦茶な返事しか返ってこないし、もうわけがわからなかった。
公園まわったけど、突然泣き出したりもして手に負えなくなったので、とりあえず夕食に行った。夕方になると少し元気が出てきたみたいで表情も戻ってきた。お酒が入ると少し陽気になってきたので、こないだの話をしてみた。「積極的すぎてビックリしたよー」というと笑いながらもなにが?という表情。もしかしたら覚えてないのかなと思ってとりあえずとめた。
僕「どうする、これから?」
女「できれば付き合いたい」
僕「まだお互いのこと知らない・・・、」
女「あんなことしたのに逃げないでよね」
え?カチンときた。意味がわからない。いつの間にか被害者になってるし。
僕は勢いであの日の二軒目の出来事を教えた。彼女は本当に覚えてないらしい。しばらくして泣き出した。みんなこっちを見てる。もうどうしたらいいかわからなくなったので慰めながら最悪の選択をしてしまった。
男女間の問題はセックスで棚上げできる、使ったのはこの法則だった。店を出てホテルに行くことにした。彼女は笑顔になった。あとで考えると最悪の選択だった。とにかく部屋に入っていたした。全然楽しくなかった。混乱しててどうにでもなれという感じだった。
いたしてから落ちついたと思ったら、しばらくして彼女は逆にどんどんおかしくなってきた。急に叫びだし、泣き出して、飛び跳ねて、コップを投げつけてくるし、ガラスを叩き割るし。怖かった。密室だし、まだ裸だし、殺されるかもと思った。
わけがわからなかったので、僕は寝たフリした。あとで考えると笑える対応だ。さすがにこういう状況での鉄則は知らない。警察を呼ぼうかと思ったけど場所が場所なので呼べなかった。病んでる人なんだとここでようやく確信した。刺されませんようにとひたすら祈った。
意味がわからない・・・これは現実か?止めるか?こっちも危ないけど。
体が固まって動けなかった。
見ると彼女も躊躇し始めたが、浅い傷をつけた。自傷行為なんだろうか、わけがわからない。
そして寝たふりしてる僕を揺り起こして「怪我したの」と傷を見せてきた。
どういう意味だ?わけがわからない。とりあえず「大丈夫?」って聞いて処置してあげた。引っ掻き傷程度の深さで安心した。
安静にしておくのがいいから寝るように言った。するとなんとか寝てくれた。僕は夜中じゅう彼女が壊したものを片付けてた。
襲われたときに逃げるシュミレーションをしながら夜が明けるのを待った。刺されてもいいように腹に宿泊者ノートを入れようかと考えたくらいだ。
無事夜が明けた。彼女も正気に戻ったようだった。二人は無言で分かれた。長い一夜だった。
でも、これで終わらなかった。
翌日にメールが来た。僕はもう無理と返信した。すると5通ほどまとめてメールが来た。中身は罵倒に満ち満ちていた。一番カチンときたのは「やりにげ男、最低だな」というメールだった。毎日5通から10通は届いた。半分は意味不明な内容だった。mixiのログイン時間も監視されてるみたいで怖かったけど、中傷の書き込みされてないか確認する必要があった。
そのころ僕の仕事はこもって精神を集中させないといけないものだったので、こういうメールは結構きつかった。かといって着信拒否したらmixi上で始めそうなので拒否もできなかった。仕事が全然進まなくなりこちらも焦ってきた。時々本気で頭にくるメールを送ってくるのでこちらもついつい反論した。相手は「お前のせいで手首に傷がついた」とか本当に本気でメール送ってくる人だった。
ふとmixiをチェックすると友達がマイミクを切ってきてた。嘘話を聞いたようだった。やっぱりあいつヤリ目的だったか、みたいに思われるのは心外で結構本気で傷ついた。連絡とって、あの人おかしいと伝えたけど、この出来事を信じてくれるとは思えないし、この出来事を聞くこと自体不愉快だと思うから伝えてない。
イライラも頂点に達して僕が思いついたのはこうだった。まず本名を検索して勤務先を割り出した。そして次送ってきたら勤務先にメールを転送するけどいいかな?と相手に伝えた。ずるいやり方だとは思うけどこれしかなかった。やっとメールは止まった。
しばらくして退会した。今でもその友達に謝りたいというか説明したいのだけど、気が引けて長いこと連絡していない。というわけで匿名でここに事実を吐き出しておく。
今回はしごたんに寄り付く人を見て思ったのは、半端ない振り回され方をするのでよっぽどの自信があってもやめといたほうが良いということです。省略しましたが相手は思いも寄らないような創造性溢れる攻撃方法をとってきました。本当にクリエイティブでした。治ってほしいとは思うけど、素人が手を出せるものではありません。
以上、性交一回・後悔一生という実例でした。前半、なるべく詳しく書いたのは、自分の立場に立ったとき他の人ならどういう行動をとるのか教えてほしいという思いからです。よかったらコメント下さい。始めてあったときはしっかり者の印象でしたが調子の良い日だったみたいです。ネットではそういったそぶりはまったくありませんでした。読んでいただいてありがとうございました。