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はてなキーワード: トラックボールとは

2015-12-21

寝たきり生活

僕さぁ、病気とかは特には患ってないんだけど、一人暮らし始めてから家の中では

ほぼほぼ常に寝たきり状態で過ごしてるんだよね。

具体的に言うと、こたつとベッドを地続きになる感じでくっつけてこたつPCモニタを、

ベッドの上にキーボードマウスを置いて、大体常に寝ながらインターネット見てるって感じ。

朝起きてから飯食うのも歯を磨くのもベッドの上だし、会社から家に帰ると寝るわけでもなく

何よりも早くPCの電源入れてベッドの中に潜る。

必要な物は大体全てベッドから手の届く範囲に置いてるから生活拠点がベッドの上って感じになってしまっている。

勿論これもベッドの上で寝ながら書いている。

最近ワイヤレストラックボールマウスなんてのも買ったか

布団から手を出さずニコ生とか増田回覧するってのも可能になった。


この前飲み会でこの生活について話したら絶対ヤバいみたいに言われちゃったんだけど、

これはやっぱりよくないのだろうか?

一人暮らしの人が何もないときどういうポジションにいるのかみたいなのは

あんまり聞く機会がないんだけど、この話の中のベッドとPCこたつスマホ(もしくはノーパソ)に変わってるくらいで

大体みんな同じ感じだよね?

2015-07-03

マウス

ワイヤレスマウスを愛用して長くなる。

仕事をしてると時々先輩から

電池が切れる恐怖と戦いながらマウスは使う気になれんわー」

と言ってくる。


そういう彼はいつもワイヤレストラックボールを使っている。

2014-08-15

The history of mobile computer

1989年東芝が発売したDynabook J-3100SSが世界最初ノートパソコンである。すぐにNECが続き、1990年代になると、IBMとアップルが参入、東芝アップル、IBMが次々に新機能を加え、1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成した。

1990年代中頃から国産各社が参入、先行各社は新機種シリーズを展開した。また、インターネットが普及し、モバイルコンピューティングが盛んになった。それにより、ノートパソコンが急速に使われるようになり、2000年にはノートパソコン出荷台数デスクトップパソコンを追い越した。

2000年代を通して、小型化、軽量化、高機能化、省電力化が進んだ。2000年代末には、iPad代表される新しい形態携帯機器が出現し、ノートパソコンと競合するようになってきた。

とかくパソコンの分野では日本企業の低迷が指摘されるが、ノートパソコンの分野では、東芝代表される日本企業業界を先導したきたのである。少なくとも1990年代まではそうであった。ところが、2000年代になると、ノートパソコンパソコンの主流になったのに、日本企業の優位性は低下してきた。それを挽回する手段を講じるべきなのか、あるいは陳腐化したこの分野は中国等に任せて、日本は新分野を開拓すべきなのだろうか。

1980年代中頃:ラップトップパソコン

ラップトップとは「膝の上」の意味であるが、デスクトップパソコンより小さく、ノートパソコンよりも大きいサイズパソコンを指す。携帯可能であるから、これを含めてノートパソコンということもあり、その境界は厳密なものではない。

1984年 NEC PC-8401A

1985年 東芝 T-1100 海外のみで発売

1986年 東芝 T-3100 日本ではJ-3100

1986年 NEC PC-98LT

(PC-8401Aのほうが早いのだが、電池フロッピーなどが外付けなため、一般にはT-1100が世界初で、PC-98LTがNEC初だとされている)。

T-1100の仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大512KB

ディスプレイ:80文字×25行(640×240ドット)

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB) 。ラップトップでは世界初のHDD内蔵

キーボード:83キーフルストローク

電池:ニッカド電池、8時間の動作可能

IBM-PC互換

サイズ:310(W)×300(D)×67(H),4kg

1980年代末:最初ノートパソコン

最初ノートパソコン1989年に、世界に先駆けて日本で出現した。

1989年 東芝 Dynabook J-3100SS

1989年 セイコーエプソン PC-286NOTE

1989年 NEC PC-9801N

発表はPC-286NOTEのほうが先だったが、出荷はJ-3100のほうが早く、しかもヒットしたので、一般的にJ-3100を最初ノートパソコンだとしている。なお、PC-9801Nはやや遅れて出荷されたが、これにより「ノートパソコン」という用語が広まったといわれている。

J-3100SSの仕様を示す

・CPU:80C86(16Bits)、5MHz

メモリ:最大3.5MB(標準1.5MB)

ディスプレイ:ELバックライト液晶

・外部記憶:3.5インチFDD内蔵(720KB/1.2MB)

電池:2.5時間使用可能なバッテリパック

・電源リジュー機能提供ジャストシステムATOK7のROM搭載 ・AT互換機

サイズ:310(W)×254(D)×44(H),2.7kg)

1990年代前半:IBM・アップルの参入

1990年代に入ると、IBMとアップルノートパソコンに参入した。1990年代前半の特徴のある機種を列挙する。1995年頃には、現在ノートパソコン標準的機能の原型が完成したといえよう。

1990年 東芝 DynaBook J-3100 SS02E 世界初のHDD搭載

1991年 NEC PC-9801NC 世界初のTFT液晶16色、TVチューナー

1991年 アップル PowerBook 170 世界初パームレストトラックボール

1991年 IBM PS/55note 5523-S IBM初のノート。VGA解像度640x480(他社は640x400だった)

1992年 東芝 DynaBook 486-XS 世界初のTFT液晶フルカラーVGA

1992年 東芝 DynaBook EZ ワープロ表計算などアプリケーションをROM内蔵

1992年 IBM ThinkPad 700C 当時最大級の10.4インチTFTカラー液晶世界初トラックポイント装備

1992年 IBM ThinkPad 220 世界初のサブノート。重さ 1kg、単三乾電池駆動

1994年 東芝 DynaBook SS433 世界初のFDD内蔵B5版サブノート

1994年 IBM ThinkPad 755 内蔵型CD-ROMドライブ搭載

1994年 アップル PowerBook 520 世界初トラックパッド採用

1990年代後半:国産各社のノートパソコン参入と普及

1990年後半には、国産各社がノートパソコン分野に参入、先行各社も新シリーズを展開して、現在でもポピュラーな機種名が出揃った。ノート型は、デスクトップ型に比べて割高であったが、モバイル環境での利用が盛んになったこと、オフィスや家庭での占有面積が小さいこから人気が高まり2000年にはノートパソコンデスクトップパソコン出荷台数を上回る状況になった。

1995年 富士通 FMV-BIBLO リチウム電池採用プレインストールソフト多数

1995年 シャープ Mebius CD-ROM内蔵

1996年 IBM ThinkPad 560 2kg以下の軽量

1996年 東芝 Libretto 20 世界最小・最軽量(840g)のミニノート

1997年 ソニー VAIO NOTE 505 B5サイズモバイルノート

1997年 パナソニック LetsNote AL-N2 光学トラックボール搭載

1997年 三菱電気 Pedion A4で当時画期的最軽量(1.45kg)最薄(18mm)

2000年代前半:小型化、軽量化、長動作時間化の競争

2000年代になると、パソコンの主流はノートパソコンになり、パソコンでの関心はノートパソコンが主になる。ノートパソコンは、本質的モバイル環境での利用である。そのための軽量化や小型化競争1990年代後半から活発であったが、2000年代になると、長時間充電せずに利用できること、立ち上がりの時間が短いこと、堅牢性や耐久性に優れていること、さらにはデザインへの要求など、多様な品質での競争になってきた。

筺体の軽量化

軽量な素材を用いながら堅牢性を高めるため、ハニカム構造など設計上の工夫が進んだ。

スリープ機能の高度化

パソコンを使用しない状態での省電力技術であるスリープ/スタンバイ機能は従来からあったが、インテルによるディープ・パワー・ダウン・テクノロジやASUSTeK ComputerによるExpress Gateなど、新方式が開発された。

SSD(Flash Solid State Drive)

SSDは、フラッシュメモリを発展させた記憶媒体で、HDD(磁気ディスク)と比較して、機械部分がないため、小型化、省電力化、高性能化が重要ノートパソコンに適している。しかし高価格である2004年から注目されるようになり、2000年代後半には高級機に採用されるようになった。

ノートパソコンの製造には、小型化や低電力化などの高度なな技術が求められので、日本企業に適した分野であった。ところが、低価格競争が進むのに伴い、台湾中国などで生産するようになった。それが、2000年前後から、現地企業技術向上により、現地企業生産だけでなく設計委託するようになり、独自のパソコン事業から撤退するようにもなってきた。そのため、日本国内生産している製品は、特に高度技術要求される小型の高機能パソコンに絞られるようになってきた。

2000年代後半:ノートパソコン多様化

2000年後半には、ノートパソコン多様化した。ディスプレイサイズ区分すると、次のようになる。

ディスプレイサイズ(インチ) 解像度 特徴

7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17

───┬─── ─┬─── ──┬──

│ ──┬──│──┬── │

│ │ │ │ ハイエンド 1920x1200 モバイル意図せず高機能

│ │ │ A4ノート 1680x1050 最も広く利用

│ │ B5ノート(コンパクト) 1280x 800 モバイル用の標準

│ サブノート 1280x 800 軽量を重視したモバイル

ミニノート パソコン全般機能ではなく、Web利用などに特化

ウルトラモバイル(タブレットパソコン) 1024x 600 操作性を重視

ネットブック 1024x 600 初期は安価目的

シンクライアント、セキュアクライアント

シンクライアント(Thin client)とは、処理機能サーバに集中させ、パソコンには必要最小限の機能しかもたせないパソコンのことである1996年当時は、モバイルパソコンの軽量化、低廉化を狙ったのであるが、あまり普及しなかった。

1996年 オラクルシンクライアント概念提唱。そのコンセプトモデルNC (Network Computer)を紹介。「500ドルパソコン」とも呼ばれた。

1997年 サン・マイクロシステムズ、コンセプトモデルJava Stationを発表

1997年 マイクロソフトWindows CEベースとした「Windows Based Terminal(WBT)」を発表

それが2005年から外部記憶装置接続ができないこと、パソコン情報が残らないことが、セキュリティ観点から重視され、パソコンメーカーシンクライアントを発表、多くの企業採用検討するようになった。

2005年 日本経済新聞日立製作所パソコン利用を全廃する」の記事。これが広く一般の関心を呼ぶ。

参照:日立「「日立パソコン利用全廃」記事に関しまして」

2005年 富士通 FMVシンクライアントTC8200等出荷

2005年 NEC MateシンクライアントVersaProシンクライアント 出荷

ネットブック

ネットブックとは、インターネット利用に特化した小型軽量なノートパソコンである2005年頃、発展途上国教育分野にインターネット活用が重視され、「100ドルパソコン」として生産支援団体等を通して提供する計画が進んだ。

ところが、安価で使いやすいことが注目され、先進国でもセカンマシンとしての重要が高まり2008年から、その用途目的とした機種も出るようになった。

2008年 ASUS(台湾) Eee PC:本来目的用の例

・CPU,本体:Ultra-Mobile PC(タブレットPC)携帯端末用のPC、パソコン用と比較して安価

記憶装置:HDDなどはなく、システム基板上にフラッシュメモリを直接搭載

ハードウェア構成:通常のPC/AT互換アーキテクチャ採用して、パソコンとの互換性あり

iPadの出現

タブレットパソコンとは、タッチパネルディスプレイを搭載し、指や専用ペンで画面操作できる携帯用パソコンのこと。2002にマイクロソフトタブレットPCを発表したが、あまり普及しなかった。2009年に発売されたWindows 7が「Windows タッチ」というタッチ操作系統を標準搭載したため、タッチパネルディスプレイを備えたパソコンが各社から発売されるようになった。

2010年アップルiPadを発売した。電子書籍閲覧で代表される多様なアプリケーションが評判になり、爆発的な売れ行きを示した。ここでのマルチタッチ操作方法は、一般のパソコンにも大きな影響を与えている。

2014-07-06

久々にGalaxyS2を触ってみたのだけど、よそよそしさが半端ない

操作のし辛さ、例えばタスクボタンと戻るボタンが逆であることに戸惑って

事あるごとにちょっと弄っとした。

もうあんたの使う携帯じゃないね。そうやって拒絶されてるのかしら。

暫く郷里を出て戻ってきたときの身の置き場のなさに凄く似ている。

この、戻ってきた感に、ひしひしと寄せる寂しさは何だろう。

GalaxyS2は、初めて持ったAndroid携帯だが、ICSへのアップデートでもたつくようになったことに

切れて、ファクトリリセットしまくった過去があるので、思い出は全て更地である

その上、最近は家ではNexus系列、業務ではXperiaZ系列の端末ばかり操作することが増えて、

慣れ親しんだUI操作というものからも程遠い。

タスクボタンと戻るボタンが逆なこと、タスク管理の表示方法が異なること、

その二つが違うだけで、全然違う端末になってしまう。

中身もない、ガワの操作も異なる、これはもはや他人携帯だ。

しょうもないことをポロポロと喋ってしまった。

四十路のおっさんが、90年代冒頭のPCパソコン通信について遠い目で語り始めるなら、

三十路おっさんは、いつかゼロ年代後半のスマートフォンについて語り始めるのだろうか。

今のうちにおさらいしておかなくては。

鉄板ネタとしては

•初代iPhoneコピペ機能がなかった

トラックボールがついたとあるスマホの話

•早すぎたウィルコムサービスの数々……

•N社が打ち上げ最後花火

あたりなんだろうか。

まぁ、昔語りが出来る年になっても「あの」iPhoneがという意外性が残ってるか微妙だし、

HTCは今後の展開が微妙だし、ウィルコム社名残ってなくて通じるか分からないし、

最後現場にいたから分かるけど美談というか斜陽が進んで常時西日の煉獄に焼かれるような日々だったので

愚痴しか言えないし。。。

そう考えると、ウィンドウズの二十年その姿を変えない不変性、普遍性

恐れ入るなぁ。

昔語りをしたくなるいつかのために、今から身の回りの実感ストックを溜め込むのは

悪い話ではないのでお勧め

2013-04-05

備忘録マウス

感覚を忘れないうちに自分メモ

最初からのセットだった有線マウスから無線マウスに買い替えた。

今までのものに比して、

電池の分、重い。

・左右ボタンが敏感で、指が休まらない。

結果として手や肩が休まら肩こりになりそうだ。今のところこれが一番使いづらい。もうちょっと鈍感なボタン製品の方がよかった。これはマウスてっぺん手前から既に左右ボタンの切れ込みが始まっている。本製品店頭にて実際触れるように展示されていなかったから確かめようがなかったが、触るのは大事だ。ただ、展示されているものはすべて触ったのだが、実際机の上で使うとまた違った使用感が出てくるように思う。

ポインタ動作に関して、大きく動かす分には問題ないが、微細な動きにおいてほんの少し思い通りに動かない気がする。無線がどうこうではなくレーザーセンサー能力か。

マウス全般に言えること:自分は手で包み込むようにマウスを保持して操作するのではなく、指先でつかんでほぼ指と手首だけで動かす。

手で包み込むと腕まで使わないといけなくなり面倒だ。

したがってマウス側面に親指にフィットするようなへこみを設けてあっても意図された効果はない。むしろ上部に親指を引っ掛ける出っ張りか滑り止めがほしい。よりつまんだ感じになるように。

いかに軽くつまむように動かせるかが重要になるから、重いのはマイナスになる。

・高速スクロール後に逆戻りする。

今まで使っていたものを大したことないと思っていたけど、地味だけど実に堅実に動作していたんだなあ。壊れなければもっと使っていたんだが。

しばらくはこれに慣れるようにするとして、次回にはトラックボールなどマウス以外のもの視野に入れよう。

2010-03-25

iPhoneAndroid・・・当面はiPhoneが圧倒する。

iPhoneOSとAndroidOS、<同価格帯・同時期>に発売された機種の双方を利用して思った感想を書く。

環境

使用機種はiPod Touch2009年9月発売、2万円台後半)、HTC Tattoo2009年末発売、2万円台後半)

環境はどちらもPocket Wifi接続。Tattoは4月以降bmobileの利用を検討中

ハード

タッチパネル>→iPhoneの方が良い

iPhoneの方が「人の感覚」と「タッチ後出力結果」の間の差が小さいと思う。

Android(Simeji)だと誤入力が多い。(これは自分だけかもしれない)

トラックボール>→どちらとも言えない

iPhoneトラックボールがないが、拡大・縮小が非常に容易なので、

トラックボールがないことが苦につながることがない。

Androidタッチパネルの性能が悪いから、トラックボールが必須。

ブラウジングにおいてはガラケーと同じような感覚に陥ることもある。

ソフト

マルチタスク>→どちらとも言えない

iPhoneの弱点として屡々マルチタスクが搭載されていないことが挙げられるが、

マルチタスク諸刃の剣だ。高性能なAndroid機体

(しかも、現在日本国内の許可を得ていないため、法律的にグレーである)でなければ、

マルチタスクなんて使えたものじゃない。すぐにメモリ解放する必要性に迫られる。

正直、自分の場合はマルチタスクじゃないiPhone形式のほうが好きだ。

iPhoneはよく落ちる!と言われるけれども、Androidもよく落ちるよ。

アプリマーケット>→圧倒的にiPhone

よく縛りのないアンドロイドマーケットが良いと聞くけど、そんなことはない。

金融市場規制が必要なように、規律を守るための規制を敷いた方が、市場が効率化されるケースはよくある。

現在iPhoneマーケットの方が圧倒的に質が良い。

そして、GoogleAndroidマーケットを手入れするつもりがないために永遠に改善されないだろう。

Google収益源は広告料であり、ユーザーAndroidを使おうがiPhoneを使おうがどちらでも良いからである。

iPhone利用者でもGoogleを利用してくれさえすればどうでもいいのだ。

また、仕組み上GoogleAndroidマーケットを手入れするインセンティブは、

Appleが自社アプリマーケットに対するそれより弱い。Appleはせっせと自社マーケットを整えているが、

Googleは何もしていない。Androidマーケット公式サイトを見てみれば良い、ゴミだ。

iPhoneマーケットは質がよく、クリーンなために大企業も参入しやすい。

Androidのそれはゴミ箱みたいなもので、大企業もとてもじゃないが参入できない。

iPhoneではFFストリートファイターなどが楽しめるが、Androidでは永遠に無理だろう。

今回はキャリアによる違いを比較要因にしないために、iPod Touchとそれと同価格帯・同時期発売のTattooとした。

もし、iPhoneとNexusOneだったらどうなるか?

ハード面は総てNexusOneに歩がある。またソフト面のマルチタスクに関してもNexusOneは克服するだろう。

ただ、アプリの概要やコンテンツiPhoneが圧倒する。

iPhoneとNexusOneで比較しても、やはりiPhoneのが現時点で良いだろう。

もし、友達がAndroidiPhoneどちらを買うかなやんでいたらどうするか。迷うこと無くiPhoneをすすめる。

※この記事は一般人向けに書きました。一部のオタクマニアAndroidで改造するのを楽しめばいいと思います。

2009-07-16

オナ禁してるんだが

と、言ってもまだ2日なんで、それほどムラムラしてない。

にしても、まあ日々のWeb巡回がいかにエロに傾いてたか実感して苦笑。PCの前に座ってトラックボールコリコリしながらとりあえずRSSリーダーエログの新着エロ画像チェックをノータイムで始めるくらいにエロ最適化されてた。

以前オナ禁したときはエロ画像閲覧を禁じてなかったので、チンコ触らずに、なんとなくエロ動画を眺めてキンタマ痛くしてたんだが、(あれオレだけなのか?チンコ触らずにエロ動画ずっと見てるとキンタマ痛くなってくるの)

それで1週間後に抜いたときは、それほど気持ちよくなかった。多分視覚刺激に慣れすぎてんだよな。

今までの人生で一番気持ちよかったオナニーは、引っ越ししてビデオデッキテレビが用意できず2週間ほど、手持ちの古いエロ本のみで細々とオナニーを続けてた(それでも普通に毎日抜いてた)後のやつ。

念願のビデオデッキを設置して、お気に入りエロビデオのダイナミックなセックスを見たときはアホみたいに抜けた。何回抜いたか覚えてないが多分2桁は抜いた。

やっぱり視覚刺激の遮断ってのがオナ中のオレみたいな人間には有効だってのを実感した。

んでここ数日エロ断ちしてて、Webにいるとエロ断ちって結構難しいなと思った。てかここ数年でエロクオリティアップってハンパなくないか?2次にしろ、3次にしろ。

ここでオレの最近お気に入りを大紹介してやりたいとこだが、真剣画像選別してると、視覚刺激の遮断にならんし、またキンタマが痛くなるので自重する。

で、こんなハイクオリティなエロに触れてて、いざ本番のセックスになったとき大丈夫なんかなー。

2009-02-21

自民党と今の政府がやばい理由? 決まってるだろ

オレが支持してるからだよ。

ちょっと前までは共産党を少しかじった社会党を支持したこともありました。ですがその後二大政党とかそういう流れになっておかしくなった頃から、支持している理由がなくなって無党派に。その後、麻生太郎が就任した頃からいろいろ勘案して、民主党にはまだ政権を取らせるには時期尚早である、経済危機の最中につまらんことで政府を混乱させても意味がないという消極的な理由ではあるが、自民党支持者に。

とたんに支持率急降下。

思えばオレの人生はずっとそうだった。たとえばゲーム機一つとってもそうだ。

初めてふれたゲーム機は、ファミコンですらないゲーム機スーパーカセットビジョン」で、おまけにさわったソフトが「ベーシック入門」のサンプルプログラムの、記憶曖昧だが「pong」に似たようなゲームだったと記憶している。

その後、自分で初めて買ったゲーム機が、スーパーファミコンではなくメガドライブであった点ですでに間違っていた。なぜか?知るか。それはそのときのオレに聞いてくれ。その後、なぜかかたくなにスーパーファミコンを買わなかったオレが、なぜかサテラビューに心をひかれてスーファミに手を出したのが1995年。ただ、そのときにはすでにPSは発売されていて…。

その後遅ればせながらドラクエなどにはまり(そう、なぜかそのときまでやったことすらなかったのだ…)スーパーマリオRPGなどを通してすっかり妊娠となったオレが、次に選んだハードウエアはヴァーチャルボーイ。そしてNINTENDO 64。さらに最後期になってバイトができるようになって金ができた俺はドリームキャストに、ドラクエやりたさにPSを買い(すでにPS2の計画は明らかになってた)、その間にワンダースワンも試してる。もちろんクリスタルのほうだ。(ピピンアットマーク?それはさすがに無い。断じて自宅の押し入れなどにはない。3DOは欲しかったが金がなかった。飯野万歳)

そして今度こそ外れをひくまいとPS3を買ったがソフトがなく、XBOX360を買ってみてそれなりに満足している。ちなみにWiiは買う気はない。これはオレの些細なプライドだと思って欲しい。もはや意地だ。

ちなみに愛車はついこの間までマツダだったが、この間スバルに乗り換えた。携帯ははじめはドコモだったが、auに乗り換え、今はソフトバンクにしている。データ通信用にWillcomも使っている。

最近トラックボールを入手するのが年々難しくなっているのを嘆いているし、個人ではずっとWindows MEパソコンを使っていたが、WIndows Vista搭載機一斉発売の時にVista Home Basic搭載パソコンに乗り換えた。ちなみにガンダムよりザクや特にドムが大好きである。一番好きなガンダムガンダムXだが、劇場版Zガンダムにはまって揺らいでいる。

そんなオレが自民党支持者だ。特に政策を比べると、積極的によくわないが、少なくとも今この時期をうまく乗り越えるためには、自民党を支持して、少なくともその大枠だけでも維持する方向にしないと、日本は持たないのではないかと考えるようになった。

従って、自民党は滅びる。なぜならオレが支持しているからだ。

2009-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20090121013510

親指シフトと親指トラックボールを使っている自分のところは、

そのままの状態で使える人がまずいない。

言い換えると、勝手に触られることもない。

2008-11-27

http://anond.hatelabo.jp/20081127103259

ThinkPad 230 を使って以来のトラックポイント派。

昔は DynaBookFM-Bibloトラックポイント名前違うけど)も使ってたし、

トラックポイント以外で Let's Note のトラックボールはよかったが、

今やどちらもなくなってしまって、ノートThinkPad 一択になってしまった感がある。

他にトラックポイントトラックボールでいいもの作ってるところってある?

2008-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20080225211621

背後から忍び寄りノートパソの蓋を勝手に閉じる、とか、全力全開で椅子の脚を蹴飛ばす、とか、手許のトラックボールボールだけ投げつける、とか、襟首掴んで「この貧乏人! フロアパネル揺らすのは一日30分まで許してやる! わかったか! “イエス”か“はい”で答えろ!」って怒鳴りつけるとか。

本当にやっちゃったら、会社から長いお休みをいただけそうです(要・診断書提出)。

2008-01-29

はしごたんをみて思い出した、自分のmixiでの出会い話5(最後)

1番 2番 3番 4番 続きです。分割しなかったので長いです、上下の増田さん、すみません。

ここまでのまとめ。アダルトな内容にならないようにこちらを参考にHTTPコードで記述してみる。

mixiで知り合った女の子の400に500だった僕はとりあえず403だったが、彼女リッチコンテンツを知り前頭葉が503となって理性が404、家に着いて安心したら彼女が布団をクラック、まさぐる彼女の手がすぐに僕のトロイの木馬を検出し、すぐに上のハブで僕のUSBに電源供給しはじめ僕のユニバーサルデザインアップグレード、たまらず僕も彼女トラックボールをいじると彼女ユーザーインターフェイスグラフィカルに反応したので舌先でF5連打、僕は空いた手で彼女はてなスターも連打すると、水冷式の下のハブが熱を持ち始めたので、ついに彼女2.0アクセスを試み、ついに認証された。彼女の「注目のエントリー」にプロキシなしで不正アクセスを繰り返すと彼女zipでくれzipでくれとニコニコ動画、僕の田代砲ランキングを塗り替え、一位に届く寸前、おへその辺りにミーム放出した。

ウイルスは検出されなかったが翌日、京都府警から任意の事情聴取を求められた。

ああ、書いてて恥ずかしい。こんなのはしごたんは良く耐えられるな。凡人にはとうてい無理。では続きです。

電車メールを確認すると彼女から4通も届いてた。返信すると「よかった、返事くれないかと思った」と返ってきた。この日は他の人とも会う約束があったけど遅刻したうえにかなり挙動不審だったと思う。現実感がない。メールで正直に混乱してると伝えて何度かやりとりした。やっぱり責任?取らないといけないかなという思いがあったので、とりあえずデートすることにした。彼女のこと何も知らないし。三日後に約束した。

三日後、別の街で待ち合わせた。彼女を見てビックリした。こないだの様子とは全く違う。表情が沈んでるし、服もキッチュを狙ったというよりただのアンバランスだった。とりあえず笑顔で話しかけると、だんだんと生気が戻ってきたように感じた。なんとなく感情自体が消失してるような印象を受けた。

不機嫌なのかと思ってとりあえず甘いものを食べに喫茶店に入った。不機嫌な女にはとりあえず甘いもの、これは太宰治が編み出した鉄則なんだけど、全く効果がなかった。会話も無茶苦茶な返事しか返ってこないし、もうわけがわからなかった。

公園まわったけど、突然泣き出したりもして手に負えなくなったので、とりあえず夕食に行った。夕方になると少し元気が出てきたみたいで表情も戻ってきた。お酒が入ると少し陽気になってきたので、こないだの話をしてみた。「積極的すぎてビックリしたよー」というと笑いながらもなにが?という表情。もしかしたら覚えてないのかなと思ってとりあえずとめた。

僕「どうする、これから?」

女「できれば付き合いたい」

僕「まだお互いのこと知らない・・・、」

女「あんなことしたのに逃げないでよね」

え?カチンときた。意味がわからない。いつの間にか被害者になってるし。

僕は勢いであの日の二軒目の出来事を教えた。彼女は本当に覚えてないらしい。しばらくして泣き出した。みんなこっちを見てる。もうどうしたらいいかわからなくなったので慰めながら最悪の選択をしてしまった。

男女間の問題はセックスで棚上げできる、使ったのはこの法則だった。店を出てホテルに行くことにした。彼女笑顔になった。あとで考えると最悪の選択だった。とにかく部屋に入っていたした。全然楽しくなかった。混乱しててどうにでもなれという感じだった。

いたしてから落ちついたと思ったら、しばらくして彼女は逆にどんどんおかしくなってきた。急に叫びだし、泣き出して、飛び跳ねて、コップを投げつけてくるし、ガラスを叩き割るし。怖かった。密室だし、まだ裸だし、殺されるかもと思った。

わけがわからなかったので、僕は寝たフリした。あとで考えると笑える対応だ。さすがにこういう状況での鉄則は知らない。警察を呼ぼうかと思ったけど場所が場所なので呼べなかった。病んでる人なんだとここでようやく確信した。刺されませんようにとひたすら祈った。

チラッと見ると彼女が割れたガラスで自分の手首を切りだした。

意味がわからない・・・これは現実か?止めるか?こっちも危ないけど。

体が固まって動けなかった。

見ると彼女も躊躇し始めたが、浅い傷をつけた。自傷行為なんだろうか、わけがわからない。

スーッと5センチ程の傷をつけたらガラスを置いてくれた。

そして寝たふりしてる僕を揺り起こして「怪我したの」と傷を見せてきた。

どういう意味だ?わけがわからない。とりあえず「大丈夫?」って聞いて処置してあげた。引っ掻き傷程度の深さで安心した。

安静にしておくのがいいから寝るように言った。するとなんとか寝てくれた。僕は夜中じゅう彼女が壊したものを片付けてた。

襲われたときに逃げるシュミレーションをしながら夜が明けるのを待った。刺されてもいいように腹に宿泊者ノートを入れようかと考えたくらいだ。

無事夜が明けた。彼女正気に戻ったようだった。二人は無言で分かれた。長い一夜だった。

でも、これで終わらなかった。

翌日にメールが来た。僕はもう無理と返信した。すると5通ほどまとめてメールが来た。中身は罵倒に満ち満ちていた。一番カチンときたのは「やりにげ男、最低だな」というメールだった。毎日5通から10通は届いた。半分は意味不明な内容だった。mixiログイン時間も監視されてるみたいで怖かったけど、中傷の書き込みされてないか確認する必要があった。

そのころ僕の仕事はこもって精神を集中させないといけないものだったので、こういうメールは結構きつかった。かといって着信拒否したらmixi上で始めそうなので拒否もできなかった。仕事が全然進まなくなりこちらも焦ってきた。時々本気で頭にくるメールを送ってくるのでこちらもついつい反論した。相手は「お前のせいで手首に傷がついた」とか本当に本気でメール送ってくる人だった。

ふとmixiをチェックすると友達がマイミクを切ってきてた。嘘話を聞いたようだった。やっぱりあいつヤリ目的だったか、みたいに思われるのは心外で結構本気で傷ついた。連絡とって、あの人おかしいと伝えたけど、この出来事を信じてくれるとは思えないし、この出来事を聞くこと自体不愉快だと思うから伝えてない。

イライラも頂点に達して僕が思いついたのはこうだった。まず本名を検索して勤務先を割り出した。そして次送ってきたら勤務先にメール転送するけどいいかな?と相手に伝えた。ずるいやり方だとは思うけどこれしかなかった。やっとメールは止まった。

しばらくして退会した。今でもその友達に謝りたいというか説明したいのだけど、気が引けて長いこと連絡していない。というわけで匿名でここに事実を吐き出しておく。

今回はしごたんに寄り付く人を見て思ったのは、半端ない振り回され方をするのでよっぽどの自信があってもやめといたほうが良いということです。省略しましたが相手は思いも寄らないような創造性溢れる攻撃方法をとってきました。本当にクリエイティブでした。治ってほしいとは思うけど、素人が手を出せるものではありません。

以上、性交一回・後悔一生という実例でした。前半、なるべく詳しく書いたのは、自分の立場に立ったとき他の人ならどういう行動をとるのか教えてほしいという思いからです。よかったらコメント下さい。始めてあったときはしっかり者の印象でしたが調子の良い日だったみたいです。ネットではそういったそぶりはまったくありませんでした。読んでいただいてありがとうございました。

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