はてなキーワード: チャリンコとは
アラフォー以下くらいの女子にはお馴染みだと思うけど、子供向けの安価なアクセサリーを売っている企業である。
今でこそ、原宿にも店舗のある有名会社だけど(まあその店舗も近いうちに閉店なのだが)、私が子供の頃はまだ実店舗はひとつしかなかった。
何を隠そう、私はサン宝石本拠地近辺の出身であり、サン宝石が全国区になる前からサン宝石っ子であった。
当時唯一の、本社近くの実店舗にチャリンコで乗り付けて、可愛いアクセサリーを吟味して色々買っていた。決して広くない店舗で品揃えも今の通販とかに比べれば全然少なかったけど、私たちにとってはすごくキラキラした場所だったし、今でもあの場所の匂いを思い出せるよ。
自分語りしかしないから、自分の人生の時間無駄にしたくない奴もここでバイバイしてくれ。
あと自分自身何聞いても何も行動を変容させられないって理解してるから、そういう奴もいるんだな程度に聞いて欲しい。
俺は小学生のとき親に6年制大学に入れって言われて生きてきた。
親の期待に応えるために小学生の頃から週6塾行って、進研ゼ〇の通信講座も受けてるって感じの生活だった。
ここまででわかる通り、俺の父親は結構良い稼ぎで母親は専業主婦。
一般的に見れば、今時そんな家庭あるんだなってくらいのまあまあ裕福な家庭だと思う。俺の兄弟が流産で死んでるってこともあって俺への期待は相当なものだった。
めちゃくちゃ贅沢な話だけど、俺はそうやって進路を固定されてただ塾へ通う生活が嫌でたまらなくて、小6で自死を考えるようになった。
勉強が嫌いだったんだよな。周りの友達が楽しくデュエマやってる中、一人塾行くのにチャリンコ漕いでるのが惨めに思えた。毎日泣いてた。俺もデュエマやりたかったし、モンハン3rdみんなとやりたかった。
自殺できる奴ってすげーよな。ニュースになる度に尊敬してる。痛いの怖いし。親を殺したって話も、俺にはやりたくてもできなかったから本当に凄いことだなって思う。俺は死ぬ度胸もなくて、周りの大人や友達に助けられながら中学受験を乗り越えた。
そうしてまた凄惨な毎日が、なんてことはなく、そこから俺は幸せな毎日を過ごすことになる。中学生になってすぐ、口から出す言葉は「死にたい」しかなかった俺にも優しくしてくれる人はいっぱいいて、いつのまにか普通に生きれるくらいにメンタルが持ち直してた。
どうしていじめられなかったんだろうって今でも不思議だ。本当に優しい子ばっかりだったんだと思う。
でも、毎日楽しく生きているはずなのに、俺は心の底では死にたいって気持ちが消えなかったんだ。正確には、生きていなくて良いなって感じかな。特別うおおお!今から死ぬぜ!!!!っていう気持ちがあるわけじゃなくて、機会があったら死にたいですね、くらいの。軽い死にたい。
なんでなのかわかる人いる? というか、一回死にたいと思って心折れたら、一生この死にたいという気持ち(いつでも死ねる、死がそばにある感覚)って消えないもんなの? ちょっと詳しいこと分からないけど、俺はそのまま生きてる。
話を戻して、そこから粛々と勉強して受験して大学入った。そこそこ辛い受験勉強だったけど、小学生の時に比べたらそんなでもなくて、いや勿論強く死にたいと思うこともあった。あったけど、3日に1日死にたいと思うってくらいで自分からしたらそんな辛くなかった。
そんではっきり言ってマジで幸せな日々を過ごした。とんでもなく幸せな時間をずーーーーっと過ごしてる。今も現在進行形で。
ネットで同人活動をやってたんだけど、大学生になって本出して「好きです」って言ってもらえて、本当に嬉しくて。今は同人活動やりつつも隠居って感じで、毎日ネットの友達とヴァロかlolやってる。リアルもまあ充実してる。あー幸せだなって思う。
けど、今は「もう人生満足したから死にたい」って思ってるんだ。す〜〜〜〜ごい満足してる。もう過不足ないんだ。
リア友もネットの友達もいて、大学通ってて、俺は嫌だけど一般的に見たらイイ親がいて、家に金があって不自由ない生活を送ってて、本当に幸せな毎日を過ごしてる。
6年制大学って試験が辛いんだよ。今も辛いんだけど、その先に国家試験ってのがあるんだよな。きっとそれって小学生の時のあの受験以上に辛い世界になると思うんだよ。周りのみんなはそれなりの志があって、立派で、頑張ってて、親のためにって理由でここに入った俺からしたら眩しすぎるんだ。そんな人たちでさえ国試辛いって口を揃えていってる。俺はきっと耐えられない、今度こそ。
だから、人生に満足して、最高ハッピーな今死にたいんだ。めちゃくちゃ死にたい。安楽死制度できないかな(いやわかる。終末医療患者ならまだしも健康な人の安楽死なんて働き口死なすだけで政府に一切メリットないし、色々な問題が付随して起こるだけってことはよく理解してる。現実にできるとは思ってない。でも欲しいと思ってしまうんだよな)
「将来のことじゃん。その時になって悲観しろよ」
わかる。俺もそう思う。こうやってうだうだ将来の来るかもしれない苦難に頭を悩ませるって馬鹿だよな。明日南海トラフが来るかも!!って言いながら失禁してるのと同じレベルなんだよな、俺がやってることって。ウケるよね、笑っちゃうよな。
でもさ、一回阪神大震災とか3.11経験した人がそうなってたら笑えなくないか。もう一回経験してるんだ、その辛さを。そして地震みたいに来るかも、じゃなくて100%来ることなんだ。俺は怖い。
「そんなに悩むんだったら大学辞めれば?」
わかる。俺もそう思う。でも、俺は両親の期待を裏切るのが怖いんだ。臆病だから。今まで一回も親に反抗したことないんだよな。両親が少し人様よりヒステリックだったし、もう豆腐みたいなメンタルを小学生の頃から抱えてた俺は親と衝突する元気すらなかったんだ。布団の中で泣くしかできなかった。あとノートに両親への呪詛書くことくらい。本当に笑って欲しい。二十歳超えて親に怯えてるんだ。
今はちょっと思う。どこかで失敗していたら。もし自殺未遂をしてそれを親に見つかっていたら、塾をサボっていたら、中学受験に失敗していたら、中学の特待を取り落としていたら、高校で3年間オール5を取らなかったら、大学受験に失敗していたら、どこかで親を落胆させる経験をしていたら、俺はきっと今のように身動き取れなくなってなかったんじゃないかって。
まあ多分実際そうなってたら親に産まなきゃ良かったとか言われて、絶望して死んでたと思うけど。それもそれで衝動で死ねて楽だったんじゃないかって思うんだ。
「贅沢な悩みだな、死ねよ」
わかる。マジで俺もそう思う。金も友達も環境も全てがあって、あとは俺が勉強頑張るって思うだけで大団円なんだ。本当にクソだな、本当にクソ。
たださ、ブラジルの子どもが腐ったパイナップルを食べて言う美味しいと、金持ちのご子息がキャビア食って美味しいって言うの、差があるのかな。どちらの方がおいしいと感じてるのかな。
俺は多分どっちも変わらないじゃんって思ってる。ブラジルの子は一般の美味しいものを知らないから、腐ったパイナップルの美味しさをめちゃくちゃ美味しいハッピーって感じるだろう。もちろんキャビアも美味しい。そこに差はないって思ってる。
けど違うんだよな。ごめんな。(詳しく知りたい人は消費税/所得税あたりの話を検索するとコレ出てくると思う。関係はないけど)
俺はこの例えで言うキャビア側だ。もちろんクズっていうのは本当に俺もそう思う。
これから今までの話関係ないクソなこと言うから、鬱病の人本当にごめん。匿名サービスでこれ言うの卑怯だし人類のクズだし罵って欲しい。
鬱病って診断されたら、俺は報われるのになって最近ずっと考えてる。
鬱病だから誰かに優しくして欲しいって思ってるわけじゃなくて、鬱病というステを使いたいわけでもなくて、鬱だと診断されることで俺が今まで生きてきた努力が肯定される気がするんだ。俺はもう頑張ったなって思いたい。いや、全然頑張れてないんだよ。頑張れてないからこうやってうだうだしてんだけど。もうちょっと頑張れよ俺。なんで勉強嫌いだなんて思うんだよ。
鬱病の人、羨ましいとか思ってごめんな。本当にごめん。現実では絶対に口に出さないから。本当にごめん。
「ここまで読んできたけど、結局未来の辛いことが原因で死にたいだけであって、満足してるから死にたいわけではなくない?」
俺もそうかなって思ってたんだけど、俺幸せを感じるたびに死にたいって思うんだよね。幸せなのが怖くて。いつこの幸せがなくなるのかと思ってずっとビクビクしてるの。
じゃあこれから先絶対幸せなことしかありません!って未来は100ないじゃん。たとえばここで大学辞めて適当なとこに就職しましたってなって、そこでも絶対に辛いことはある。努力しなきゃ生きていけないじゃん。生きるって努力するってことじゃん。
俺は努力して生きてないよっていうやつも、絶対に疲れたとか怠いとかそういう気持ちを押し留めて生きてるんよ。みんな本当に偉い。俺はもうどんな些細な苦痛も耐えられない。メンタルが豆腐どころか空気。生きてること自体が苦痛。もう幸せだから、満足したから、死なせて欲しい。
たとえば神様にもう一回人生やる?って聞かれたら、俺はやらないって応える。たくさんの幸せがあったけど、辛いこともあった。
その比率はきっと人様々で、大きな苦痛ばかりの人生の中の小さな幸せを金塊と感じて、もう一度生きたいと思う人もいると思う。ただ俺はたくさんの幸せの中の小さな苦痛が水瓶に垂らされた毒に感じるんだ。
本当にそう思う。ここまで見てくれてありがとう。読んでくれた君の今日が幸せな日であることを祈ってる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201005/k10012648101000.html
こういうニュース
最近よく見るけど、
「長年やっていて売上げがあった」
「売上げ激減客が戻らない。閉店」
という店の特徴として、はっきり言わせて貰うと、
「おまえの店の味は愛されていたんだろうが、実際に人が来ていたのは立地+味であって、味一本だけでは勝てなかっただけ」
だと思う
コロナ渦で、自分の周辺も同様に客が来ない!という店が増えた。俺は少しでも貢献しなければと行きつけの店に行ってみたが、別に忙しそうだった
「テイクアウトに変えます!」と言ったらテイクアウトの客が多すぎて、店長が倒れそうになっていた
逆に、もうダメだ今までは流行ってたけど潰れる客が来ない!と言っている店は、需要がサラリーマンなどが「ランチ時間に食べに行く」「会社帰りに一杯やる」などの立地が大きいウェイトを占めている店ばかり
行きつけの店たちは、客層が様々で、昼飯時のリーマンもいれば、車で食べに来る老夫婦、チャリンコでやってくる学生など客層が多様
そして、リモートワークで出社していない会社員もと時々「俺はこの店のXXを食べないともう気が狂う」とばかりに仕事関係ないのに食べに来ていた
そういう店は潰れない。立地は関係なく、味の虜になっているからだ。
だからサラリーマンが戻ってこない!もうダメだ!という店の場合は単に「立地というブーストがなければその程度の店だった」というだけである。
「あああああ、あの店のXXXXが食べたいいいいい!」と財布を握りしめて用もない場所に降り立つ。
そのくらいの味を提供できていれば潰れてないよ
結局地元で、「おでんといえばXX」「ラーメンと言えばXX」「ハンバーグならやっぱXX」と言われていた不動の一位の店達はコロナ渦でもふつーに元気に営業していた