はてなキーワード: ゾーニングとは
https://hokusyu.hatenablog.com/entry/2022/07/08/065753
オタクがこのような自己宣伝を社会に対して行い、自らの文化に内在する性差別的なノリを公共空間に持ち込もうとするとき、そこで生じるコンフリクトは単なる消極的自由としての表現の自由の問題を超えています。
この「性差別的なノリを公共空間に持ち込む」みたいな理屈が、つまり宇崎ちゃんや、戸定梨香や、たわわに当て嵌められてるわけさね。
すごいよね
ナチュラルにすげぇ怖いこと書いてるんだよね
普通は、表現の自由には責任が発生するとか、それは別の権利を侵害しているとかいうのに
だから、名誉棄損は許されないし、侮辱も許されない、ヘイトも許さないことにしようって動きがあるね
これは、表現の自由を否定するのではない、それとは別の保護法益を定義して、それこそコンフリクトを調整するんだ
だから、本当にそれが何かを侵害しているなら、基本的人権を制限可能な例外としての保護法益を設定すべきなんだ
でもそれはしない
で、こう展開すると、決まって返ってくるのが「法規制されたくなかったら」みたいな有象無象の言葉
法規制されてしまうぞ、そうなったら表現できないぞ、だから我々の言葉に従ってね、と
すごいよね
オレも表現の自由戦士と括られるけど、一般紙で性器をボトルで隠したり「くぱぁ」を売りにして、ヤンヤと大騒ぎするのはアホかと思うよ
そんなチキンレースするなよと、【有害指定】もやむなしだと思うよ、成人誌にいけやと思う
けどさ、なんら異常性のない「たわわの全面広告」の話に、差別だ何だと踏み絵を仕掛けて
性搾取が行われてるだのと言う話に「法規制」が出てくるのおかしくね?
で、ここで「もとより法規制の話ではない、これだから表自は」となるなら
それまで、一生懸命「表現の自由を出すような問題ではない」とかやってたのにさ
最後に
「月曜日のたわわ」が性差別だというなら、そもそも表現されちゃいけないはずなのよね
というの変なのよ
そこ問いたださなくていいのに、なんで全面広告はゆるされないの?
ならわかるのよ、でもさ
ってなによ
意味わかんないじゃん
戦場を「公共」に移して、武器を「差別」に変えてから、なんか無茶苦茶だよ
元増田です。
少なくとも俺は「刑務所から出所した元犯罪者」は強盗も詐欺も性犯罪も殺人も横領も平等に扱われるべきだと思うのでメーガン法を日本に導入することは反対する。
・「聞きたくもない工場の騒音を聞かされて不快ですby 周辺住民」→これが講じて第一種住居地域とかの区分け(ゾーニング)があるよね
これは当然。客観的に測定できる音量によって健康被害が出るという因果関係は明らかなので、音量(あと光量や臭気も)による一定の規制は当然。
あるいは、「画面の激しい点滅により、一定の割合で光過敏性てんかんを引き起こすという健康被害があります」ならば不快以上をもたらす因果関係は明らかなので規制は当然。
私はシャルリーです。揶揄という言論には言論で対抗するべきであり、私的な暴力により対抗するのは誤りです。
・「宅八郎みたいな戯画化した格好でコントされたり絵に書かれると不快ですbyオタク」→これは「ツリ目メガネ出っ歯みたいな格好で日本人役の映画に出られると不快ですby日系人」みたいに制作側が取り扱いに配慮することで消えてったな。
抗議するのは自由ですよ。制作側には配慮するかしないかを決定する自由があります。それだけです。
配慮するべきではない。
逆に聞くが、
「同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」
「同性愛者は殺されるべきと書いてある旧約聖書を聖典とする宗教の信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」
が両方存在したらどうするべきなのか。
3の例が恣意的に感じたので、青識のやってるような反転可能性テスト(笑)でもやってみようかな?と思ったら、色々と気づきがあったので投稿してみる
・「近所にペドファイルが住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyアメリカ国民」→あっ、これはメーガン法で成立してたな
・「聞きたくもない工場の騒音を聞かされて不快ですby 周辺住民」→これが講じて第一種住居地域とかの区分け(ゾーニング)があるよね
・「ムスリムを揶揄しムハンマドを貶めたのが不快ですbyイスラム教徒」→結果、ああいう結果になったんだよなぁ
・「宅八郎みたいな戯画化した格好でコントされたり絵に書かれると不快ですbyオタク」→これは「ツリ目メガネ出っ歯みたいな格好で日本人役の映画に出られると不快ですby日系人」みたいに制作側が取り扱いに配慮することで消えてったな
・「KKKを見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby黒人」
・「ネオナチを見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyユダヤ人」
増田は、上記の彼らの状況でも配慮すべきでない(既に配慮されてるものに関しては無くすべき、消えたものに関しては配慮すべきでなかった)と考えてる?
それなら、それで一貫してて立派だと思うよ。煽り抜きで
反対派も規制派に一切与したくない現状あるくない?
公共に18禁絵やそれに近い絵を出すのやめろは自分も賛成だけど
人によってはゾーニングはあくまで大前提なだけでそこから更に表現そのものへの規制は必要だ! とかいるわけで(そういう層は全てのセックスはレイプであるみたいな思想があるけど)
ゾーニングで済ませて後は手を出さないべきだ、という規制派の横で
ゾーニングで済ませるかアホンダラっていう規制派がいたら、オタクの「僕の好きな表現が規制される~!」ってのが現実でしかなくなるわけで
昨今の表現規制問題で、「表自はあいちトリエンナーレにはダンマリだった」というコメントを見かけた。
確かにどちらも政治による圧力によるものではなく、「民間の声」によるものである。(津田氏は政治家の圧力が中止の原因ではないと言っていた。)
個人的には萌え絵だろうがあいちトリエンナーレであろうが、法に触れるものでなければ自由に表現されるべきであると思っているが、
萌え絵に賛成⇒あいちトリエンナーレにも賛成しなければならない、という主張には首をかしげざるをえない。
これまでの色んな人の意見を見る限り、この2者に対する態度としては自分が思いつく範囲では以下の3パターンが考えられると思う。
私と同じ考え方。
法に触れるものでないなら自由であるべきだし、仮に法に触れるというならその指摘をしたうえで、表現者が従わないなら法的措置で対応するべきだろう。
個人的には同意できないけど、「見たくないものを見ない権利」とやらを大前提にするならこういう考え方もあるだろう。
そう考える人がいるということは理解できる。個人的には同意できないけど。
基本的に表現の自由は重視されるべきだけど、実在人物の肖像権をはじめとした人権も重視しようという考え方だと思う。
たとえばもし萌え絵ポスターが、本人の許可を得ることなく、「なぜか極端な巨乳になった上野千鶴子」が使われていたら、彼女にシンパシーを抱いている人は怒りを覚えるだろう。
このように特定個人を侮辱していると取られかねない表現はNGだと考える人もいるだろう。
あいちトリエンナーレは言うまでも本人の許可は得ずに写真を燃やしたうえで踏みつけるという表現だ。
しかし自分の知っている範囲で炎上した萌え絵はすべてオリジナル作品だ。だから彼らはこのルールに従って萌え絵は擁護する。
さてこのように2者に対する態度3パターンを見てきたけど、では萌え絵はNGであいちトリエンナーレはOKであるという理路はあるだろうか。
宇崎ちゃんの頃には公金が投入されているかどうかという観点もあったが、あいちトリエンナーレにも公金が投入されていた。
次に公共空間という観点があるが、あいちトリエンナーレの会場は公共施設だ。
あいちトリエンナーレは入場料があるからゾーニングされた空間で問題がないという人がいるかもしれないが、中学生以下は無料だったし、
たわわでは、日経の広告には表現上全く問題がなかったため、わざわざ原作を見に行ってうえで作品を叩く人が現れた。
(無料公開部分以外に言及していた人もいたから、わざわざお金を払ってみたことになる。さもなくば海賊版でも見たというのだろうか。)
巨乳女性を描くのは差別だけど、実在する他人の写真を燃やして踏みつけるのはOK?ちょっとそれは理解できない
とまぁこのように自分には(法律に反していない)萌え絵はNGであいちトリエンナーレはOKというロジックは思いつかない。
もうあとは全力で主観で判断します!しかないだろう。萌え絵はアウト【要出典】であいちトリエンナーレはセーフ【要出典】。
ただそれが認められるというなら主観で萌え絵を擁護してあいちトリエンナーレを批判することも許されるべきであろう。
というわけで、萌え絵に賛成⇒あいちトリエンナーレにも賛成しなければならないという主張は理解ができなくて、
どちらかといえばあいちトリエンナーレに賛成⇒萌え絵にも賛成しなければならないのほうが妥当な主張に見える。
では萌え絵に反対している人はあいちトリエンナーレも全力で否定しているのだろうか?
「いや私は見たくない人に配慮してあいちトリエンナーレも批判していますよ!」というひとや、
「私ならあいちトリエンナーレはOKで萌え絵はNGであると主観抜きで主張できますよ!」という人がいるなら、ぜひ教えてほしい。
経験談なんだけど、とあるリベラルの人たちによるディスカッショングループにいたことあるんだよね
色んな話題についてリベラルの視点から討論するって内容で(といいつつ実際には政権批判が主な活動だったけど)
ある時、ゾーニングの話になったんだよね
確かコンビニのエロ本のゾーニングと本屋の萌え絵のゾーニングの話題だったかな
それでなぜか全体的にゾーニング賛成派が多くてリベラルを名乗る割に意味わからない基準で線を引きたがるんだよね。あやふやな線引きをしようとするっていうか
後からわかったんだけど、そこでゾーニングに賛成してた層ってリベラリスト名乗ってたけど社会主義的傾向が強かったんだよね
とにかく全てにおいて政府が正しい選択と線引きをするべきだし、させるべきって感じで
イデオロギー診断項目みたいな4つのグループに分けれる診断?みたいなのをみんなでやった時に割とそっち系が多かったんだよね
だから多分現在のフェミニストもそう言う人が多数なんじゃないかと思う
自分ではリベラル名乗っといて実際には社会主義的な「規制と罰則で女性を守る」みたいな考え持ってる人って結構いる感じするよね
表現規制派はゾーニングを規制の一種と思っていない節がある、いや節どころか「ゾーニングすら受け入れないから規制されるんだよ!」と主張するので規制と本気で思っていないよな。
フェミ側はエログロのゾーニングを求めながら(規制)、公的機関からの校閲に反対したり(自由)してるんだけど、
これはポリコレ的活動全般に言えるが、活動を表現規制にしないために、公共のコードwとか、シャカイテキゴウイwとか言い出す