はてなキーワード: 鎖国とは
もう一度ふるさと納税について考えてみてくれ。
ある地域が日本という国にどういう形で貢献しているかを暴き出すのがふるさと納税。
返礼品にするような名産品や日用品があるような地域を目指すことに対するインセンティブとして税金に傾斜をもたせるシステムだ。
つまり、これはその地域の住民が自分たちの地域の事ばかり考えているんじゃなくて、日本全体に対して何をしていますかと改めて問いかける制度なんだ。
これに対してそんな事に税金を回してないで他のことをしてくれというのは、「俺達は自分の地域がこの国に対して何かを与える存在になることなんてどうでもよくて、自分たちの暮らしが豊かになることしか考えられねえんだ」と言ってるようなもんだよ。
恥ずかしいと思わないのかね?
まず与える。
だから受け取る。
そうしてまた与えて受け取ってを繰り返しながら皆が少しずつ豊かになるサイクルの中で自分の地域が改善されていくことを目指しなよ。
俺たちの地域だけで内に閉じこもろうぜって発想は単なる鎖国だよ。
この狭い島国の中で個人主義を拗らせて鎖国的行為に出るのは自滅以外の何物でもない。
そうやって引きこもっていれば、いずれ日本の大部分が「は?あんな地域なくなっても困らないけど」という扱いを受けるようになるだろうし、そうなればいよいよもって衰退していくってこと、流石に分かるよね?
ITベンダの俺の職場のパソコンがとにかく低スペックなのである。予算がないだのなんだのいいながらちっとも買ってくれないのである。2018年も半分以上過ぎているのに、メモリは4GBしか乗ってないし、画面も狭いノートパソコンが、ただあるだけである。
会社は働き方改革を推進している。定時で帰らなければならない。作業を効率化して、生産性を上げて。もちろん、会議を削ったり、タスクの優先度をつけたりして生産量を上げる努力はしている。でも開発効率はなんともならない。だってパソコンが重いんだもの。でもパソコンは買ってくれない。
とかくフリーズするのである。rails s でデーモンを立ち上げてChromeでみたいし、インスペクタでDOMも解析したいんだけど、そうするとフリーズするのである。もちろんRuby Mineなんてない。買ってもらえないし、あっても動かないからである。
新技術も使ってみたいのである。できればdockerなんかも使ってみたい。CI組んでみたい。でもパソコンが耐えないのである。
同時にスマホアプリ開発は死ぬのである。Android Studioを立ち上げると、パソコンが。とまるのである。
動かない場合はどうするか。
ひたすら「待つ」のである。
ブラウザがとまると、要するにスワッピングしてるんだけど、そうすると数分待たされる。もちろんSSDなどでなくHDDだ。スワッピングならまだいい。パソコンがフリーズしていたら、さらに待たされる。そもそも画面に反応がないので、スワッピングしてるんだかフリーズしてるんだかわからない。とりあえず再起動するしか方法がない。
なぜパソコン、ひいてはエンジニアの環境に投資しないのだろうか。環境が整えば、1日に1時間は効率化できる。ざっと30万の投資としても、2ヶ月程度で損益分岐点に達する。精神面でいってもエンジニアは安心・満足するし、そうすると意欲的な開発ができる。使える技術の幅が広がることは管理職にとってもメリットがあるはずだ。こんなに簡単な判断をなぜ会社はしないんだろう。
我々はどうも苦労がどこかで報われると思っているようだ。これだけ苦労しているのだから、いずれなにかよいことがある。今苦労しておけば、明るい未来が待っている。贅沢しないのだ、敵だから。欲しがってはいけない、勝つまでは。
富豪的環境でなく貧者な環境で開発していると、最新環境でなくレガシー環境で開発していると、IDEでなくEmacsで開発していると、そのうちその努力は報われると思ってしまうのである。
競合は常にいろんな最新兵器を使っている。鎖国している俺の職場からは何も聞こえない。聞こえないフリをしている。攻め入られても竹槍でやりかえせばいいのだ。だから、今のこの環境で頑張る意味はあると。
映画でも中国や韓国含めて世界中で大ヒットの洋画が、日本ではそこそこくらいの結果しか出せていないことが多い。
昔はみんな洋画を観ていたのに今の若い人は邦画やアニメ映画の方が人気だ。
それが良いとか悪いとかではなくて、戦後に急激にアメリカや欧米への憧れを強めて文化を取り入れまくった日本が、また文化的な鎖国傾向にあるのが不思議。
海外からの文化で今の日本の若者に影響を与えているのは韓国のアイドルや音楽くらいだと思う。
資料ありがとう。これを見ると確かに明確に洋画が邦画を上回ってるのは1990年~2005年なんだな。
ただ、公開本数は圧倒的に邦画の数が多かった1970年から1985年までの配給収入が邦画と洋画はほぼ変わらないことも留意したい。
「裸の王様」という話がある。もちろん、誰もが知っている話だ。
悪い商人に騙くらかされて意気揚々と裸でいる王様を前にして、遠慮ないコミュニケーションができない周りの大人たちは、内心、
「いい加減、こんなアホな王様について行く気がしない」とか、
「恥ずかしいにもほどがある」とか思ったり、考えたり、呟いたりしながらも、結局誰も何も言わない。
怖くて言えないのか、自分が言うべきかどうかわからないので言わないのか、
言ったとしても、王様はロバの耳、聞く耳なんて持っていないと言う諦めから来るのか、結局のところ誰もなにも言わない。
そんな中で、無垢な少年に「王様、裸じゃね?バカじゃん」と言われて、王様は初めて自分が裸であることに気づくとか、
そんなようなロクでもない大人たちの話だったと思うけど、
あれがもし、周りもみんな裸で、裸であることが当たり前の社会だったとして、「王様は裸である」と誰が忠言することができるのだろうか?
外から服を着た旅人が来て、「王様、裸じゃないですか!おかしいですよ」とまず思うし、口に出したとしよう。
「いや、君のその何か身につけてる方がおかしい」と。
周りが皆、裸だらけなので、世の中水準からしたら、どれほどプリミティブな状態であるかつゆ知らず、
裸であることが生まれた時から当たり前であり、今も当たり前の世界なのだ。むしろこうまで言うかもしれない。
「郷に行っては郷に従え、君も裸になったらどうだ?いや、君が裸になるべきである!」と。
「いやいや、私は裸になるなんて嫌ですよ。それに、服を着ている方が、寒さを凌げるし、怪我だってしにくいし・・・」
「暑い時はどうするんだ?」
「はっはっはー、こいつ、ばかだなあ。服を着るから暑いんじゃないのか?やっぱり裸が一番」
みたいな変なロジックで、自分たちが裸であることの不利については、あえてみようともしないし、考えようともしないかもしれない。
「しかし、裸だと、草地に入ったりした時に、草とかで傷を負ったりして、とても効率的な生き方と思えません」
「そんな時には、草を刈って行けばいいじゃないか」
「あなた方は草地に入るたびに、草を刈って歩くのですか?」
「そんなの当たり前じゃないか」
裸の王国のような特殊な環境においては、特殊なルールや常識があって成り立っていて、
その常識ごと、周りから見れば「バカバカしい」お話しなのではあるけれども、
実際の社会において、
・周りから見たらかなり遅れている
・効率的ではないけど、なんとかやっていけている
・自分たちは満足している
みたいな社会があった時に、外部の人が見た時に「いや、それ遅れていますよ」と言う指摘は、
「いや、お前の方がおかしいんだよ、我々はこれで十分回っているし、満足している。何がおかしいの?君の方がおかしいだろ」みたいな
鎖国的な反論で持って封じられてしまうことが、多々あるのではないだろうか?
自分も異動してきて、ありえないくらい何もかもが時代遅れで、非効率で、みんなそのせいで生産的に働けず、深夜遅くまでダラダラと仕事していて「大変だ、大変だ」と言うけれども、
「そりゃ大変ですよ。だって、そんな仕事の仕方じゃ、今時。裸で荒野を歩くようなもんですよ」
と指摘しても、「いや、これまで我々はこれでやってきたんだ」とか、「お前には根性が足りない」とか、「慣れろ」とか言われる。裸の王様にそれを言われる。
半年前に中途入社した女の子、ちゃんと「王様は裸だ」ってはっきり言っちゃうようなタイプの子なんだけれども(損な生き方なんだけどね・・・)、
彼女と一緒に「王様は裸だし、みんな全員裸でどうかしている。世の中、みんな服を着ています。服を着る方が効率的だし、楽ですよ」と言っても、
「今までこうしてきた」とか「何も困ってないんだけど」とか「我々は服ではないにしても、ちょっと工夫している。草を刈るとか」とか、「お前らも脱げ」とか言われて、
戦い続けているのですが、心萎えそうです。
自分たちは何か間違っているのでしょうか?
イエズス会による侵略を察知した日本は鎖国へ向かう。西洋人たちは地球を破壊しながら技術力を付け、ついに日本を開国させる。日本人の知的水準の高さや、労働者としての素質を知っていた彼らは、植民化する代わりに、富国強兵殖産興業によって日本から利益を得ることを選ぶ(野麦峠、蟹工船、足尾銅山の公害などをもたらしたのは西洋人)。日露戦争の勝利もまた国際金融家たちの胸先三寸で決まったこと。支那事変(日中戦争)では、国民党に資金を提供して戦いを長引かせることで利益を得、真珠湾には使い古しの戦艦を再配備してほとんど実質的な損害なしに、日本を叩けという世論を盛り上げる、実際の歴史を知ってみれば、西洋人たちのやり方は、まさに「汚い」の一言。それにも関らず、学校教育とマスコミは真実を見えなくさせ、日本人に罪悪感を植え付ける。
ついでにいえば、法による支配は、国際金融家たちの都合に合わせてできている。そのせいで、私たちは私たちの土地を守ることを違法とされ、(外資系)企業による開発活動を否応なく受け入れさせられている。そんな世界に順応させるのが、このスレの学校のような場所なのだ。