はてなキーワード: 劣化とは
googleが「劣化」(単に「ビジネスに寄せた」とか「普通の人に受けるようにした」という可能性もあるとは思っている。)したのか、
どちらなのかはわからないと思っている。
伝わるか分からないけど、昔で言うとたとえばCD-R maniacsみたいな役に立つ野良サイトって、今でもあるのだろうか。
役に立つサイトが絶滅した結果として検索しても出てこなくなったのか、サーチエンジンの問題なのか、自分には判断がつかない。
(サーチエンジンの劣化の結果、野良サイトがアクセスされなくなって消えていき、結果としては、今更サーチエンジンだけを改善しても何も出てこない、というような気はしているけど。)
我が子がもうすぐ1歳を迎える。
辛いことや苦しいことは笑顔を見れば吹き飛び、生きる活力をもらえた。
だが、どうしてもひとつだけモヤモヤが残る。どうしてもかき消すことができないのだ。
私の心が狭いのかもしれない、私の常識が、私の感覚がおかしいのかもしれない。それでも、モヤモヤがどうしてもなくならない。
私には弟がおり、弟にも子が生まれた。私と3日違いでの出産。両親は嬉しい悲鳴をあげていた。もちろん、私もとても嬉しかった。
私はおしるしがあった日に、車で30分の実家へと戻った。ほどなくして陣痛が始まった。
陣痛が7分感覚になった頃、弟が仕事から帰宅し「大丈夫?いきみのがしとか、YouTubeとかで予習してる?」と聞いてきた。予定日より1週間も早かったため、正直全く予習なんてしていなかった。夫も仕事で立ち会えない可能性があり、不安だった。そう答えると、弟は「こんな感じだよ。俺ナイスサポートだって誉められたんだよ」と言いながら携帯の画面を見せてきた。それは、義妹の出産に弟が立ち会う姿だった。もちろん細部やデリケートな部分は見えておらず、引きで撮影されているため義妹と弟の声が聞こえるくらいだった。1分ほど見たが、陣痛でそれどころではなく「ありがとう」と切り上げた。頭のどこかに「この動画見ていいのかな?」という疑問が浮かんだが、弟には聞かなかった。その日の深夜に入院し、午前中に出産した。
出産した3時間後、義妹からおめでとう!とメッセージがきた。先に出産した同じ病院に入院していて、少し心強くも感じていた。
私は産後の高揚したテンションのまま義妹に返信を打った。純粋な尊敬の意味で「弟があなたの出産の動画を見せてくれてレクチャーを受けた、私はあなたのように冷静でいられなくて、たくさん叫んでしまって恥ずかしかった」という文言を打ってしまった。義妹からは普通に返信がきて、お互い休み休み行きましょうね、というようなところでメッセージのやり取りは終わった。
これが全ての始まりだった。
産後、私は実家に戻った。少し落ち着いてきて、産後2週間が経った頃だった。
母の携帯に、弟から電話がかかってきた。電話に出た母の様子が明らかにおかしい。ただごとではなさそうに思えた。話していたのは2時間くらいだろうか。げっそりした顔で戻ってきた母は、ものすごく困惑していた。
弟からの電話は、出産の動画を見た私と母に怒っているという内容だった。あとで聞くと、母もその動画を少し弟から見せられていたらしい。
電話を代わると、義妹と、義妹の母が劣化の如く怒っていると、憔悴しきった声で弟は言った。義妹の怒りは主に私に向いているようで、「夫から見せたもので、いくら陣痛中とはいえ、そんなセンシティブな動画を見せられたら『それは私に見せるべき動画じゃないでしょう』と止めるべきではないか?私なら止める。そして、産後ハイとはいえ、メッセージで私本人にそんなことを言うなんて信じられない。」というものだった。
なんてことをしてしまったんだ。絶望感に襲われ、涙が止まらなくなった。必要なら直接謝りに行くと言った。
その夜は自分の行動を悔やんで眠れなかった。
次の日、弟が1人で話をしに実家へ帰ってきた。開口一番、離婚してもいいと言われている、と、憔悴しきった顔で弟は言った。
この際だから、義妹は私たち家族に言いたいことがあったという。特に私には、少し気を遣えない人だなと思っていたが今回のことで全てが繋がってしまい不信感しかないと。
これはどうあっても謝罪に行かなくては、今後の弟夫婦の関係に響く。この段階では、謝りに行くのも辞さない気持ちだった。
以下の内容を聞くまでは。義妹の言い分はこうだった。
①弟夫婦の結婚式が仮で決まった日程が、義母母の命日で一周忌の日だったため、私が母にどうしようかと相談したこと。
→この件について、私が相談したことで母が「まだ日程は本決まりしてないなら変えられないか」と打診してくれました。結局義妹が友達に日程を告げてしまったということでそのままになり、時間がズレていたため私たち夫婦は一周忌に参加した後式に出た。
慶事なのに、弔事を理由に日にち変更の打診をしてくる神経が分からない、私ならしない。ということだった。
→私たちの2年前に弟夫婦は入籍。良い日の重なった日だったので入籍。
これについても、私ならわざわざ同じ日を選びません。とのことだった。
弟には「同じ日にしてもいいか」と事前に相談済。弟はどうぞと言ってくれたので、そのまま入籍した。
③私の娘と義姉夫婦の息子が同じ学年になるように産んだこと。
→「普通は姉弟で話し合って子ども同士の学年がかぶらないようにしませんか?私の母は叔母さんと話し合ってイトコ同士で学年がかぶらないようにしたそうです。比べられたりして嫌な気分になると思いませんか?」
ここで、私は謝る気が失せてしまった。
我が子の誕生にケチをつけられたようで、悲しく、情けなく、こんな考え方の人もいるのかと衝撃を受けた。どうしてそんなこと、言われないといけないの?と、人生でいちばん悲しくなった。
→弟夫婦は実家の敷地に家を建てて住んでいる。確かに、私たち夫婦も余っている敷地に家を建てるという話が出たことがあった。
子どもの学年がかぶっているし、学校が一緒になると比べられたりするし、気も遣うので絶対に嫌だと。私たちの近くには住まないでほしいですとのことだった。
元々近くに住む気はもうなかったし、私にも実家の土地をもらう権利は当然あるのに、どうしてそこまで言われなくてはいけないのか分からなかった。
⑤義姉息子への育児や行事など(写真撮影など)について。私たちが娘にしていることを参考にされたくない。
→同じ写真館を使われたり、同じものを使われたりするのが嫌。義両親が遊びに来た際に、娘のバウンサーを見て「○○ちゃん(義姉息子)にもこういうのあったらいいよね」と言っていましたが、真似されるのも嫌ですし、私の娘の前でそんな話をされたくなかったですとのこと。
真似する予定も、育児を参考にする予定も、一切なかったし、今後することも絶対にない。
→夫は水商売をしており、私も会社員だということは知っているが何の仕事をしているか弟も義妹もよく知らない。
普通話しませんか?不信感しかありません、とのこと。これも聞かれなかったからわざわざ話さなかっただけのこと。そしてその時夫のことを「あの人大丈夫なのか?」とまで言われ、私の悲しい気持ちは怒りの感情へと変わってしまった。
産後、まさかこんなことを言われるとは思っておらずメンタルはボロボロ。自分の感覚がおかしいのかもしれないと思い、新生児期の我が子を抱いて、涙する日々を過ごした。
①-⑥まで、まさに青天の霹靂で、①②については配慮が足りなかったと思っていたけれど、③④⑤と続いて謝る気も引っ込んだ。
③については特に、授かり物である子どもに対してそういう感覚を持つという感覚が理解できず、ショックしかなかった。
弟には、他のことはまだしも、娘の出生のことまでそんな風に思われるとは思っていなかった。動画を見てしまった件と失礼なメッセージを送ったことについては直接会って謝罪するが、それ以外には全く触れないでおくと伝えた。
後日、義妹の父親が実家へ来て私たちに「本当に失礼なことをして申し訳ない」と頭を下げた。その後、弟夫婦は2人で実家へ来て、夫婦で解決すべきことを大きな騒ぎにしたと謝った。
私も、動画を見たことで辛い思いをさせてしまったことは誠心誠意謝った。
動画を見たのは陣痛中でとてもそんなことに気付けなかったことや、産後数時間でのメッセージのやりとりだったため、産後ハイのようになっていて気が遣えなかったことなどを伝えた。
今、全く普通の顔をして弟と義妹は過ごしている。実家にも普通に出入りしているし、4ヶ月の頃に会った我が子を見れば「かわいい〜抱っこしていいですか?」と言い抱いた。
私は、かわいいはずの弟の子をかわいいと思えず、抱くことが恐ろしくて抱かなかった。
いつまでも終わったことを考え続けている私の心は狭いのかと何度も自問自答している。
情けないけれど、あの時弟の口を通して伝えられた言葉の全てを、じきに産後1年が経とうとしている今も、どうしても忘れることができず、モヤモヤとした感情を捨てられないままでいる。
https://anond.hatelabo.jp/20231016145136
商業施設を騒がしく走り回る子どもたちの中に、ときどき自分の子を幻視する。並びあって登下校する中学生の集団に、電車の中で勉強している高校生たちのひとりに、自分が育てていたかもしれない子の姿を思い描く。私には子どもがいないので、もしも子がいたならば、あの小学生のようにあどけなく笑っているだろうかとか、進路に悩む姿を見守っていただろうかとか、ひとりで過ごす時間に、ふと想像をする。
40代のおじさんになってみて、子どもがいない自分の状況・環境のメリット、デメリットを改めて実感している。メリットは言わずもがな、自分たち夫婦に使う時間とお金が保てることと社会的な身軽さ。デメリットに関しては、夫婦二人が関与する世界が狭くなっていくことの不安や、人生における暇と無駄な時間の浪費や、老後の心配といったもの。それぞれ書き出すとキリがない。おそらく今はメリットが最大化されている時期で、このあとデメリットがどんどん大きくなっていくのだろう。
親が思春期の自分を育てていた年齢を迎え、よくそんなことができていたなと親を尊敬することしきりだが、周りの友人や同僚たちも当たり前のように子どもを産み育て、日々やってくる課題に立ち向かっているのをみると、自分の親に対するように尊敬の念を抱かずにはいられない。私から見れば偉業と言っていい。
その一方で「どうしてそんな苦労を背負い込むのか」と思ってしまうのも正直なところだ。想像もつかない苦労をすると分かっていて子どもをもうけるだなんてすごい勇気だと思うし、自分は若い時から今まで、そんなコストとリスクをとる気力は抱けなかった。子どもはかわいい、生きがい、子を成し育てるのは当然、という感覚や考えを抱けなかった自分は、子どもがいることに対する具体的な実感を持ち得ず、想像するのも難しいゆえに、臆病風に吹かれた弱者として、子を育てない大人であることにちょっとした引け目を感じながら中年の日々を暮らしている。
臆病風のほかに、収入・子育て費用の不安、出産の身体リスクを妻に負わせることの理不尽さ、自分は遺伝子(ジーン)よりも情報因子(ミーム)を残すんだぜといった謎イキリ、積極的に子どもを持とうとしなかった妻の意志、生まれた子の健康状態への不安、育つ中で犯罪や害意に晒され傷けられることの恐怖、膣内射精障害、劣化した遺伝子がもたらす実子への悪影響、など、子どもを作らなかった理由はいくらでも後付けで挙げられる。だが、結局ただの言い訳、逃げの一句に過ぎない。
たいした理由も展望もなく、ただ、子どもを持つことを想像できず、覚悟もできなかっただけなのだ。
この年齢になって、子どもは未来だとつくづく思う。もし子どもがいれば、成長した10年後、彼らが家庭を持っているであろう30年後、そして100年後、と続いていく未来を自分ごととして認識できるだろう。自分の子どもたちがその未来を生きるのだから、少なからず興味と関心を抱けるだろう。
ところが、子どもがいないと、未来の時間は自分が死ぬまでの時間でしかない。2050年にどんな世界になっているかなんてたいした興味も持てない。社会に生きる大人として、何らかの主義主張を持ってより良い未来のためにアクションするのが市民としての態度だとは思うが、いかんせんその未来の主体は、自分の肉親ではない他の誰かである。もちろんずっと平和であってほしいし、心が躍る進化や文化がある未来であってほしい。そんな未来を楽しむ期待はある。だが、そこにいるのは死にゆく老いた自分であって、その頃にはもう希望も期待も薄れてしまっているだろう。
もし子どもがいれば、彼らが生きる未来こそが自分の生きる意味だと実感できたかもしれない。子どもが健やかに生きられますように、と祈る未来よりも、自分たち夫婦が心安らかに過ごせるようにと望む未来は、だいぶシンプルで色褪せていて、だいぶ寂しいんじゃないだろうか。子どもがいないことは、自分の未来が短くなることなのだ。
「子どもを持ちたい」という欲を素直に少しでも抱くのであれば、どうか子どもを持ってほしいと思うし、産みやすく育てやすい社会を目指して私も努めたいし、そういう社会になるべきだと考えている。あつかましいことこの上ないが、自分たちのような人間の未来も託せる存在として、子どもは社会の宝、というのは真理な気がする。
子どもを作らなかったことは後悔していない。私はそれを選んだし、妻も納得したうえでの選択だ。ただ、もしも子どもがいたら、という妄想を時々してしまうのをやめられないだけだ。
子どもを失った人や子どもを持てなかった人たちとは全然違う境遇だけれども、子どもを作らなかった人たちも私同様にさまざまなことを感じて過ごしているだろうから、ひとつのケースとして私の今の感覚を書いてみた。
子どものために生きないかわりに、自分勝手に暇な時間を過ごせている。思っていた以上に暇で、人生のステージはずっと踊り場だ。今はそんな感じである。
ただ、街ゆく子どもの中に自分の子を幻視したとき、言ってもらえるはずだった言葉を想像したとき、あたたかく触れ合える存在がいてほしいと願ったとき。
そんな幻が消えたとき、少しだけ寂しくなる。
みんなは寂しくないのかな。
あとマテリアルとしての石油は重要。たとえば液晶パネル、たとえば薬、たとえば発電パネル。全部石油製品なんだよ。
謎のすてきな新素材は全部石油燃やした熱で石油を煮てつくってるんだ。
核融合発電は「石油燃やした熱で」の部分を代替してくれるが煮られるほうの石油は代替できない。
あと原子力発電施設から放射線がでていると、あっという間にプラスチックが劣化する。
たとえば宇宙服は手縫いで分厚いし柔軟性がなくてうごきづらいだろう?あれは宇宙線という放射線を防ぐためだ。
だから原子力発電施設でつかう手袋だのを即時補充しなければならんくなる。
結局発電を原子力にたよったとしてもマテリアルのプラスチック=石油はたくさんつかうだろうよ。
今の不織布マスクとおなじようなものだ。一日つかったら捨てて燃やすものだ。
できればうまく分別してプラごみを高カロリー燃料にできればいいんだけど、たいていの自治体は分別せずにあつめて生ゴミと一緒にもやしてしまう。
さてこのような話を科学者からまとめた調査に(今も毎年やっているかはしらないが)デルファイ法予測というのがある。
省庁がらみのサイトでおいてあるところがあればよんでみるといい。