はてなキーワード: 交易とは
はてな村北部に位置する北極は、これまでブロガー諸国との共存共栄を心がけ、平和を愛してきた。これらもそうであろう。しかし村の内外を巡る情勢は流動的であり、我々は時局を正確に把握し、柔軟に対処しなければならない。目下、北極に持続的に敵対する有力なブロガーは存在せず、ブロガー諸国とは友好的な交易関係が続いている。このため、当面の間、はてな村および周辺のブログ戦闘国家群と直接的かつ大規模な紛争が発生する可能性は低い。だが、局地的な紛争や衝突が生じる可能性はゼロではなく、友邦との貿易摩擦や神学論争においてもブログ大戦略的な視座は欠かすことができない。本報告は、北極のブログ大戦略的見地に基づき、各ブロガーの傾向および対策を分析するものである。
・情報技術:★★★★★★★
・修辞技術:★★★★
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★★
自動巡回プログラムを駆使し、ネットじゅうの情報を収集するIT軍事大国。あたかも、衛星軌道に大量のスパイ衛星を打ち上げている某合衆国のようである。「インターネット上のすべての活動は、このotsune神によって監視されている」という前提で行動すると危険が少ない。この、「概念としてのotsune神」は己の行動を律するにも適しているので、アイコンをプリントアウトしてディスプレイの上に飾っておくと御利益がある。言説レベルでカウンターが可能な場合には、理路さえ通っていればotsune氏とのネットバトルに勝利する余地はある。しかし、そのような余地というのは、えてしてotune氏にとって戦略的敗退には繋がらず、むしろ互恵的な結果となることが多い。今後も戦略的パートナーシップの道を維持すべき友邦であり、軍事的冒険の対象としては不適である。
・情報技術:★★★★★★
・修辞技術:★★★★★★
・キュレーター度:★★★★★★★
・好戦性:★★★★★
かつて「はてな村の村長」と呼ばれていたkanose氏。村外にも大きな勢力圏を有し、そのキュレーター力を如何なく発揮している。はてな村を代表するネットウォッチャーの一人であり、村の生き字引でもある。サブカルチャー領域における豊富な知識・人脈を有するため、万全の準備を期するのでない限り、kanose氏とサブカルチャー領域で砲火を交えるのは避けるべきである。また、超薄味のレトリックやはてなスターを駆使して周囲の中堅ブロガーや若手ブックマーカーの動向に影響を与える外交術にも長けており、代理戦争をデザインする能力は高い。北極にとって危険度の低い友邦だが、kanose氏を危険視するブロガー・twitterユーザーは後を絶たない。
・情報技術:★★★★★
・修辞技術:★★★
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★★★★★★
以前から、好戦的な戦闘国家ブロガーであり、ネットウォッチャーとしてはてな村を睥睨していたが、2012年のはてな村反省会から北極と国境線が接するようになり、程なく、twitter上にて挑発行為が認められるようになった。2012年秋「青二才問題」を巡るコンフリクトでは、北極のODA活動に対しLobotomy氏がtwitter上で挑発行為を繰り返し、当方の言及にも応戦してきた。その後、id:FTTH氏、id:atawi氏、id:raf00氏がLobotomy氏の見解を支持したこともあり、このネットバトルは北極の敗北に終わった(威信値-2)。その後の観測データからは、ネットウォッチの快感の為ならなんでもやらかしかねない、獰猛な戦闘ブロガーであると推定される。彼はアカウントにこびりつくカルマの軽重を理解していないか、敢えて無視している。要注意。
・情報技術:★★★★★★
・修辞技術:★★★★★★
・キュレーター度:★★★★
・好戦性:★★★★
これまで、はてな村のなかでも北極圏から遠いエリアに生息していたため、このブロガーはあまり目にすることが無かった。しかし、twitter上で国境線を共有するようになり、幾つかの「村事情」に言及していることが判明したため、観測機会が増大した。鉄火場案件に敢然と切り込み、データや引用文献を駆使しながら立ち回るさまは、修辞こそ派手ではないものの、手堅く、隙が無い。先日も、お調子者のブックマーカー達にアイアンドームによる迎撃を行い、村衆の威信値をまとめて削っていたのは記憶に新しい。fut573氏と交戦することになったら、攻めるにも守るにも十分な準備が必要になるだろう。そもそも、この、永久パターン防止キャラのようなブロガーの全面介入を招くような事態を避けるべく、日頃から、迂闊な発言には気をつけておくべきである。
・情報技術:★★★★
・修辞技術:★★★★★★
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★
言わずと知れた、はてな村のコンビニ店長。id:nakamurabashiから発音不能のid:lkhjkljkljdkljlに変わってからも、エロゲとコンビニ周辺の話題を国是とするブログ大戦略は変化していないものと思われる。しかし、幾つかの争点、例えば先日の子どもの泣き声案件のように、はてな村のキャンプファイヤー中心地近くに躍り出てくることがあるため、オクラホマミキサーを呑気に踊っているうちにコンビニトラックに轢かれていた……という事態は十分に発生し得る。本人は全く望んでいないようだが、結果としてキュレーター度の高いブロガーでもあり、言及されると、カラスの群れのようなはてなブックマーカーがオマケについてくる可能性が高い。彼もまた、戦闘ブロガーなのである。一見、読みにくくて無駄だらけの文章のようにみえて、人を魅了する未知の修辞技術を保有している。矛盾とオーパーツの複合したブロガーでもあり、北極はこのブロガーを研究するべきである。
・情報技術:★★★★★★
・修辞技術:★★★★
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★★★★
はてな村では歴史あるブックマーカーであり、村内のあらゆる揉め事に観測気球を飛ばしている。一応、根拠地としてのブログを保有しているが、ブログ正規軍を使って全面戦争を仕掛けてくることは稀であり、はてなブックマークの高みからささやかな言及を繰り出してくる程度である。従って、FTTH氏によって直接的に威信値や自意識値を削られるリスクは殆ど無い。問題になるのは、この人物の揉め事ブックマーカーとしてのキュレーター度の高さである。FTTH氏は、美味な揉め事案件があるとブックマークを行い、それが大小の村民が集まってくる呼び水となることがある。FTTH氏が召喚してくるのは、マドハンドの大群かもしれないし、ぐんたいアリかもしれないし、大魔神かもしれない。そのうえ、はてなブックマーク上でも[# |ω・)……]というタグに象徴されるような、保身に万全を尽くしたポジショニングを心がけるため、ブログ側からの迎撃は容易では無い。むろん、FTTH氏を相手取ってメタブックマークでタワーを築くことは可能だが、メタブックマークでタワーを築くという行為は威信値を大幅に低下させるので、愚の骨頂である。
・情報技術:★★★★★★
・修辞技術:★★★★
・キュレーター度:★★★★★★
・好戦性:★★★★
はてな村ライトノベル地区に生息するブロガー。はてなブックマーク上では、大勢のブックマーカーを使嗾するキュレーター的立場にあり、村内外のきな臭いarticleに積極的なマーキングを行っている。しかし、危険度の高い案件には無言のブックマークを行うため、FTTH氏同様、ブックマークに対する迎撃は難しい。キャンプファイヤー予定地に黙って薪を投下し、村民達を召喚するありさまは、じつに村人的といえる。そんなREV氏ではあるが、ブロガー諸国の怒りを買うことも稀で、おおむね器用に立ち回っている。そんな無敵の村民のように見えるREV氏にも、一矢報いるチャンスはある。一見、彼は無言でブックマークすれば気が済む人のように見えるが、実際には、本拠地である「REVの日記」において、遠まわしな、それはそれは遠まわしな隠喩をもって、踊り子さんにおさわりタッチしていることがある。ここを強襲すれば勝機はあるかもしれない。
・情報技術:★★★★
・修辞技術:★★★★★
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★
はてな村診療所の内科医さん。通常は、本拠地『琥珀色の戯言』にて書評活動を展開しているが、年に数回程度、キャンプファイヤー案件に首を突っ込んでくることがある。元来、善良な人物であり、弱い立場の人間・インターネットの自由に敗北している人間の味方をするようなポジショニングだが、その際の修辞運びで揚げ足を取られ、インターネット自由主義者との紛争状態に陥ることが多い。近年はそうした修辞運びの技術にも変化がみられ、可燃性が減少しつつあるが、それでもオクラホマミキサーを先導している時のfujipon氏周辺には可燃物の匂いが立ち込めている。fujipon氏の新ブログ『いつか電池がきれるまで』は書評ブログではなく、オピニオンにみちているため、ここが今後のフロントラインになっていくと推測される。
・情報技術:★★★
・修辞技術:★★★★★
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★
はてな村の漫画家。一時期、はてな村の戸籍が得られないことを嘆いていたが、村民じゃないとは誰も思っちゃいませんよ。はてな村オンライン上のorangestar氏は、ブックマーク活動およびはてなスターを駆使した活動が目立つが、時折、ブログ上から強烈な言及を繰り出すことがある。ここまで挙げた多くの村民達に比べると、はてな村近辺の監視頻度は低いが、かえってそのせいで、orangestar氏の言及パターンは読みにくく、神出鬼没の印象がある。しかしブログ記事を見てみれば、かなりの頻度で「はてな」に言及しており、村への貢献度も高い。生粋の村民とみなすのが妥当であろう。
・情報技術:★★★
・修辞技術:★★★
・キュレーター度:★★★
・好戦性:★★★★★★★
議論を好む……と書くと聞こえはいいが、倫理・自由・人気アニメ作品 といったジャンルにおいて、きわめて攻撃的な論戦を繰り広げるブログ戦闘国家である。永年にわたる議論の蓄積の末、相応の発言力と信頼性を勝ち得ている……というわけではなく、過去、rir6、sjs7といったidからの鞍替え履歴があり、twitterの言動を見る限り、なかの人の精神状態はやや不安定である。そのスタイルとポリシーゆえ[ディベート脳][空想家]といった野次を浴びる頻度が高く、otsune神をはじめとする、はてな内外の人物への敵対的言及も多い。このことが示すように、amamako氏のブログ大戦略には計算というものが無い。勝てる戦か勝てない戦か・周囲への説得力が高いか低いかを度外視して、あらゆる相手に全力で飛び掛るスタイルである。これは、ブロガーとしてほとんど致命的なスタイルだが、計算が通じない獰猛というのは、それはそれで難しいものである。
・情報技術:★★★★★
・修辞技術:★★★★★
・キュレーター度:★★★(村外には+★★★)
・好戦性:★★★★
はてな村には本拠地を保有しておらず、twitter等での活動が目立つブロガーながら、村の年中行事には欠かさず出席し、キャンプファイヤーや揉め事には高頻度に言及を行っている。このように、はてな村をこよなく愛してやまないraf00氏だが、主たる活動領域は村外であるため、村民に対する影響力は相対的に低い。しかし、twitter等を介して村行事を外部に伝達する能力には秀でており、その姿は、さしずめ村の観光案内所である。amamako氏とは対照的に、ネットバトラーとしてのraf00氏はブログ大戦略的な機知に秀でており、これがブロガーとしてのraf00氏の生残性を高めているのは明らかである。しかし、損得勘定や説得力の高低を知っていること――知りすぎていること――こそが、raf00氏の逆説的な弱点である。北極とは友好的な関係が続いているため、そのような弱点を突破しなければならないような事態は考えにくい。
このほか、id:faita(失礼、id:feita氏。スペルミス)、id:comzoo、id:wideangle、id:anigoka、id:jt_noSke、など、意識すべきはてな村民は枚挙に暇が無いが、北極に直接影響を及ぼすような根拠地を保有しているわけではないので、ここでは省略する。
【村外関連勢力】
以下に、はてな村には所属しないが強い影響力を有する外来勢力について触れる。
・ハックル帝國(id:aureliano)
・情報技術:★★
・修辞技術:測定不能
・キュレーター度:★★★★★
・好戦性:★★★★★
はてな村においてaureliano氏を名乗り、現在は放送作家として・メルマガ執筆者として活躍中の岩崎さん。当人曰く「はてなという場は、一言で言えば狂人を欲していた。狂人ブロガーを強く希求していた。その声に、要望に応え続けたというのがはてなでのぼくだった」。とはいえ、未だハックル帝國は(株)はてなを糾弾してやまず、はてな村、はてな的なるものに対する舌鋒は鋭い。北極の執着測定器によれば、twitter上におけるハックル帝國のはてな村に対する言及スカラー量はいまだ高水準である。はてな村は、このギガンティックな自走臼砲に常に照準されている。(株)はてなは、至急ハックル帝國に菓子折を持っていき、荒ぶる神を鎮めるべきである。
「I Have a Dream」・登場人物表
神田 環(かんだ たまき)/カンダータ・マ・キ
…外見年齢15歳。ウテナ星の王子。地球人に偽装し、高校に通う。地球の風俗に疎く、とんでもない誤解をすることも。三白眼がトレードマーク。背が高い。偽装を解くと耳が尖っている。
シッダルタ王 …外見年齢30歳。環の上司でもある。環と血のつながりはない。アロハにグラサンの色男。女にだらしない。
稲葉 つぶら(いなば つぶら) …15歳。大家の娘。高校へ通うため、父の持つアパートの管理人を兼ねて1人暮らしをしている。初対面の環にも親切。
城島 亜鈴(じょうじま あれい) …15歳。つぶらの親友。環を異様に敵視する。
宮沢(みやざわ) …15歳。環のクラスメイト。不良にパシリにされている。背は小さいがツッコミは鋭い。
小森信慈 …15歳。茶道の家元の息子。父が死んでからは茶をたてていない。イケメン。
ミッキー …つぶらの飼っているジャンガリアンハムスター。環からはネズミと呼ばれる。
「I Have a Dream」・プロット・あらすじ
ウテナ星の王子であるカンダータ・マ・キは、このたび、惑星間会議によりウテナ領となった地球の視察のため地球に降り立った。指示された居住地に向かう環。そこは廃墟としか言いようがないオンボロアパートだった。管理人を兼ねる居住者つぶらに挨拶をし、惑星間通信で王に連絡すると高校生として学校に通えという。しかたなく翌朝、学生服に身を包み登校する。偶然にもつぶらと同じクラスと知るが、つぶらの親友だという城島は環を敵視する。さっそくクラスの宮沢と仲良くなるが、彼は不良にパシリにされていた。なにげなく鉄柱を飴のように曲げる環を見ておののく不良。つぶらが茶道部長であることを知り調査を兼ね見学するが、華道部と部員一人しかいない茶道部が茶室の使用時間で揉めていることを知る。自らが茶道部の新人であると宣言する環。宮沢も追随するが正式な部員には足りない。そこで新人探しをする。茶道の家元の息子の信慈に目をつけるが断られる。環は信慈をむりやり連れてきて茶をたてる。拙いながらも一所懸命茶をたてる環を見て信慈は茶道部に入ることを了承する。ある日王に、征服せず保護区とするわけにはいかないかと尋ねる環。しかし、この星に知的生命を誕生させたのは自分達である、また、この星の真の所有者は自分ではなくさらに上位の権力者であり、そのまた更に上位がありまた更に上位があり~誰が本当の所有者かはわからないという。では自分達も誰かに作られたのかと尋ねる環。ある日華道部員が現れ、再び茶室を譲れと主張する。そこで環は華道と茶道でどちらが優れているか勝負しようと言いだすが、つぶらに「茶道は人と争うものではない」と諭され、つぶらは茶室を明け渡してしまう。憤懣やるかたない環。しかし城島に能力のある人間にはそれにふさわしい待遇が与えられるべきだと言われ、言い返せなくなってしまう。やがて再び勝負を持ちかける環。つぶらから止められるが、時に相手にモノ申すのも茶の道ではないかと反駁する。第三者に茶道と華道を体験してもらい、より素晴らしいほうを選んでもらうという勝負を行う。全てにおいて完璧な華道部。茶道部はミスを連発する。しかし茶道部に軍配が上がる。(環は足の痺れたC子のために茶の席を早く終わらそうとし、それにC子は感じ入ったのだ。環は、素晴らしい席を設ける、客を思いやる、どちらも揃っていることが一番素晴らしいのではないかと語る)後日つぶらにデートを申し込み、遊園地で遊ぶ環とつぶら。宇宙人であることを告白しようとするが、自分が伝えたいのはそんなことではないと気付き、つぶらに告白する環。ふたりはキスをする。だが環は自分の痕跡を消すため、友人たちから自分に関する記憶をすべて消し去ってしまう。宇宙船に戻る環。環は王に、この星を征服するべきではなく発展するまでひそかに保護下に置き、やがて対等に交易をするべきだ、と伝える。そして環は、そのときまで1人この星を見守り続けることを誓う。
1960年代,ネパールは豊富な水資源開発のポテンシャルを持っていることで,その経済開発は早い,とネパール国民は期待していた。ラオスやブータンと同じような自然環境にあって,内外からも期待は大きかった。事実,当時はインドとの協力で,コシ川とかガンダキ川で大規模開発が行われる手はずになっていた。ところが,ブータンやラオスの国民性と違って,ネパールの政治家達は,当時王族も含め,疑い深かった。
コシ川やガンダキ川の開発は,便益は殆どインドが持って行くではないか,ネパールには何の便益もない,と言い始めたのである。こうすればネパールにも便益が落ちる,と言う知恵を出すこともなく,ただインド人を疑ってかかったわけである。彼等は正しかった,ということは,例えばラオスなども,外国資金による開発で,ラオスに何が残るのか,と我々がラオス政府に問いかけた疑念と一緒である。
事業による便益は,投資した人だけが得ることが出来る,だから,ネパールやラオスは法整備を行って,ロイヤリティや租税で便益を受け取るしか方法はない,とよくラオスで議論した。ネパールの人は,もっと疑い深く,目の前を流れている川の水は我々のもの,インドには渡さない,と大プロジェクトとを前にして,インド提案のプロジェクトを拒否していった。その間,対中問題や王室の政治的問題があり,大規模開発は行われなかった。
王制を廃して共和国となり,マオイスト派が政権の中心に座ることになり,ネパールの水力開発は脚光を浴びる。国会の中で資源を外国に売る,憲法違反,などの議論もあったが,水から生まれる電気は商品で,インドへの輸出に問題はない,と自問自答した。マオイストが政権から離れ,再び治安悪化で開発は棚上げ,いつまで経っても開発が出来ず,宝の持ち腐れ,停電と貧困の中で,ネパール国民は苦しんでいる。
今日の記事http://bit.ly/9d6kL2はこのネパール人の苦しみを訴えたものだが,筆者は重大な提案を最後に行っている。彼の結論は,ネパールは水資源で豊かになるためには,インドの資本では駄目だ,ネパール自身が資本の蓄積をする必要がある,と気がついたが,実は鶏が先か卵が先かの問題なのだ。しかし,国際資本の協力があればインドと対等に開発できる,と気がついた。そうなんですよ,結局,資本分散,日本にも果たすべき役割があるはずだ。
メコンの水問題,今年,2010年4月は50年に一度の渇水に見舞われ,メコン総会でタイのアビシット首相が,上流中国がダムに水を溜め込んでいる,と発言し,これを否定した中国は水資料の提供に踏み切った,またメコン河委員会も中国の理屈を認めた。それでも収まらないアビシット首相は,30年後にはメコン河は死んでしまう,と発言を繰り返している。しかしこれはメコンだけの問題ではないことは明白だ。
20世紀は石油の世紀であったが,21世紀は石油に変わる水の世紀になるだろう,と記事http://bit.ly/cdSIXMは繰り返していて,問題はヒマラヤであり,ヒマラヤ氷河の縮小と消滅は,中国,インド,タイ,パキスタン,ベトナム,カンボジア,ミャンマーを巻き込んだ人類の壮絶な戦いの世紀になると言っている。問題は食糧で,中国とインドがまず農業の崩壊で,国際的な河川の水争いが避けられない,まさに地球の危機,というわけである。
タイのアビシット首相は,昨日,日帰りでミャンマーのネピドウを訪ね,タンシュエ将軍らと会談した。一部の国境閉鎖を解くと共に,カンチャナブリの交易ルートの開発,ミャンマーのサルウイーン河口に位置するドウエイ海港の整備を提案,タイが積極的に開発を助けることで同意した。海港については中国が既に南西部の海岸で開発しており,これに対抗的な貿易ルートが,タイにとって重要だ,としている。http://bit.ly/cMYo65
更に重要なことは,アビシット首相はタンシュエ将軍に対して,11月7日(11日ではなかった)のミャンマーの国政選挙で手伝えることがあったら言ってくれ,と協力を申し出たことだ。スーチーを預かってくれ,と言ったかどうか明かではないが,タイはミャンマーの官製選挙を全面的に認める立場でASEAN諸国と同じように,内政干渉せず選挙結果を容認,更に経済協力の幅を広げる,という立場である。
西欧諸国は,スーチーさんを自由にしない限り選挙は認めず,と言う立場である。日本もこの西欧の考え方を追随する限り,ミャンマーとの門戸はお互いに閉じたままとなり,数十年,閉塞状態が続くことになる,実際問題それは,国際的にも日本の国益から見ても,ずいぶんなマイナスだ。何か日本独自の動き方がないものか。スーチーさんを日本で受け入れる合理的な方法はないものか。
中国の海洋石油CNOOCが,米国のシェールガスの大手企業に10億ドルの資本参加を行う方向で交渉に入っている。如何にも米国に対しては挑戦的な動きで,この前,UNOCALの時に米議会が拒否した事実を思い出させる。多くのメディアは,米国債を持ち人民元の見直しを拒否している中国が,どこまでなら米議会は我慢できるのか,という限界を確かめるための,中国の動きと見ている。http://reut.rs/cAhKR5
http://my.reset.jp/adachihayao/index.htm
重要政治イベントの共産党第17期中央委員会第5回総会(5中総会)が北京で開幕,この時期,これほど中国が国際社会から異様な目で見られていることは,今までなかった。チリー政府が33人の命を救うために全国を挙げて取り組んだ直後に,国では簡単に21人の死者を出し,16人が閉じこめられているが,政権幹部は北京に居座ったまま,チリーの大統領がパフォーマンスを非難されているが,中国にとってこれほど皮肉はなかろう。
尖閣諸島で東南アジア諸国が中国の対応に脅えて,米国の支援を期待,フィリッピンは一度出て行った米軍に帰ってきてもらうと考え,沖縄も中国領だといわれた日本は,米軍の沖縄基地の増強を求めることになりそうな雰囲気,中国の犯罪人にノーベル平和賞が与えられて反発,欧州からも中国の対応に非難が集中,更に米国議会は人民元の見直しを迫っている。そこに反日デモが持ち上がっている。
日本企業の中にも,中国に集中することのリスクを改めて思い知っている状況だ。パキスタンはノーベル賞の問題で中国を支援しているが,一方で強引に入ってきたインダス河のコハラ水力への手続き不全で国内が混乱している。次期主席と目されている習近平氏に対して軍事委員会のポストは与えず,従来の先軍政治を改革するという,軍からの反発が当然考えられるし,少し早いが,政権崩壊の匂いがする。
経済規模で日本を抜いたとされている。これは我々にも予想外で,8%成長で倍になるのは10年かかるはずだったが,あっという間に追いついてしまった。これは多分に人民元の値上がりがあったわけで,これは10年前には計算に入れてなかった。今米国が人民元の見直しで40%という数字を出してきているが,人民元を40%上げるとどうなるか,一夜にしてGDPのドル表示は1.4倍,6兆ドルになってしまって,米国に並びそうになる。
我々の関心は,余りに堂々と東シナ海や南シナ海に海軍を進めようとする中国であり,日本も含めたアジア諸国の反発が強まるとしても,中国は無言で軍艦を出してくる,南沙諸島まで中国領だというが,地図を開いて貰えば,中国が殆ど理屈で考えられないところまで領土を主張することが分かるだろう。沖縄が中国領というのは,今ではジョークにしか聞こえないが,そのうちに深刻な問題になってきそうな気がする。
メコン河の問題だが,下流域に本流ダムを造る構想が持ち上がって,メコン河委員会がこれをどう扱うか,関心を持ってみていた。メコン河委員会はラオスなどの委託を受けているから,ルワンプラバン近くにダム建設の構想を持つラオスに対して,真っ向から反対するマンデートはない。10年は棚上げしてくれ,との報告書だが,タイとラオスは無視する可能性がある。魚が問題,というメコン河委員会は,説得力に欠ける。
フィリッピンのマニラは,またもや計画停電の危機にさらされている。スワルとパグビラオの石炭火力が故障という。十分な供給力を持っていると思われるルソン系統だが,系統規模に比べて電源のサイズが大きすぎるから,このようなユニットレベルの事故でも,停電になってしまうのだろう。スワルの石炭火力は東京電力が関係している。週末に整備が完了するかどうかが鍵らしい。
サムスンVSソニー。トヨタVSフォルクスワーゲン。ナショナルフラッグを体現した大企業間の競争はますます多くなっているが、その起源はおよそ400年前に遡る。それは「東インド会社」。欧州の国を代表する企業がこぞって東アジアの権益をめぐって激しい企業競争を行った、そんな時代が過去あった。ヨーロッパ各国の東インド会社はいかにしてアジアの交易圏に食い込んでいったか。そして各国の東インド会社はそれぞれのどういった性格を持ち、どうして衰退したか。歴史的でありながら、そんなグローバルでビビッドなテーマを論じている。
「カリカットからペルシャ、シリア、ベネチア多くの商人や運送業者を経て、陸から海へ、海から陸へ、荷を積み替えながら途中で何度も関税をかけられる」(p48)。それを喜望峰経由の交易ルートを開拓し、一気に中抜きしようとたくらんだのがポルトガル。バスコ・ダ・ガマ以降、武力によるインド洋海域の制圧(ゴア、マラッカなどの港町を次々と砲撃して交易を強制、異教徒の追放、船の略奪など)を推し進めて、拠点網を整備した。ただしこの航海は原則的にポルトガル王(小国!)の単独事業で、次第に資金や物資調達面で苦しさを露呈してしまう。東インド交易で得た余剰資金も拠点網維持費に消えるという経営のまずさもあった。そりゃあ十分な資金調達とトップラインを安定確保できないまま、先行投資ばかりイケイケだったら誰だって行き詰るだろう、と言うことだ。
会社形態にすることで広範囲から資金を調達できるようになった。利潤最大化を行う企業でありながら、現地で国が行うような政治的な行動をよくおこなった。18世紀に入ると自由貿易の風潮が高まり、独占の東インド会社は国民に支持されなくなっていった。
・民間会社だが準国家的な独占事業:事業内容は東インドでの特権的な貿易。加えて要塞を建設する。総督を任命する。兵士を雇う、現地の支配者と条約を結ぶことも許可され、国営企業ではないが国を代表して事業できた。イギリスとは違って、株主からの出資金は航海が終わっても据え置く、今の株主会社に近い形態をとった。
・株主は経営に参加しない:会社の特徴:造船部門まで内部化。経営方針は年2~3回開かれる取締役等の重役から構成される17人会で決定。株主は経営参加権をもたない。経営は分権的で東アジアの事業運営は実質的にバタヴィアの支社が握った(1年半の情報伝達期間!)。
・東南アジアの香辛料に事業を照準:ポルトガルが頓挫した方式を見習い、しばしば武力を用いた拠点拡大策を積極的に採用。ヨーロッパへの香辛料貿易の利権を掌握した。現地政府から力づくで奪い取ったジャカルタを中核拠点に、セイロン、インドシナ、インドネシア、中国、台湾、長崎などに次々商館設置。
・栄華からの急降下。1960年代まで各国の東インド会社の中で最大規模を誇っていた。が、その後業績は急落して1799年に解散する。理由は複数あげられる。1780年に起こった第四時英蘭戦争の影響で、オランダの船はイギリス船に次々と拿捕され大変な損失を被る。また、香辛料がその時期にコモディティ化し始めたため,価格の下落が収益を圧迫した。会計制度の欠陥や帳簿の不備なども理由として挙げられている。
・民間会社だが準国家的な独占事業:東インドでの特権的な貿易。現地の司法権、貨幣鋳造権、貿易活動を守る軍事権、違法貿易船を検挙する権利。
比較的強い本部:株主が取締役の投票権を持ち、経営に参加した(毎年4月に開催される株主総会で取締役を投票できた)。事業運営は週に1度ひらかれる取締役会で決定される。資本金はオランダとは違って1回の航海ごとに株主にすべて分配され、航海ごとに資金を集めた。造船部門はアウトソース。
・インドの綿織物に着目しオランダと差別化:参入当初はオランダと同様、東南アジアの香辛料交易を狙っていたが、経済大国オランダに船の数や武力で太刀打ちできず、しばしばオランダ船にも拿捕される自体に。そこで、差別化のためインド亜大陸の綿織物に着目。拠武力よりもインドやペルシャなどの地場の為政者に取り入ることで平和裏に拠点網を整備した。
・現地所領当地という多角化が仇に:インド国内の紛争に介入してベンガル地方の徴税権(ディワーニー)を獲得(1765年)。しかし現地の文化、言語、慣習も不案内だったので徴税活動は難航した。他方、治安維持などの統治コストは膨れ上がったため、結局、財務内容は急速に悪化していく。その後、1794年に実質国営化。インドや中国の貿易特権の廃止を取り上げれつつも会社はさらに50年存続するが、1858年のインド大反乱を機についに解散。
・後発参入:イギリスとオランダの東インド進出を見たフランス政府が”上から”設立。株主も王や王室関係者が多かった。イギリスやオランダと違って巨大な商業資本が集まるほど豊かな街はなく、自立的な東インド会社の形成はなされなかった。
・東西インドの貿易を一体運営:事業的な最大の特徴は、東西インドとアフリカの貿易を一体運営したこと。東インドの綿織物で西アフリカの奴隷を買って、西インドに送りそこで作られた砂糖を銀貨に変えて、東インドの綿織物を買う。この円環である。
・国の後押しで急成長:1720年~60年まで絶頂期。後発参入という事業的なアゲインストにもかかわらず、取扱額はイギリスとほぼ同等に達した。
・政府主導事業の弱さを露呈:英仏7年戦争に敗北(1763年)したことで、政府が財政危機に陥いると資金繰りが一気に悪くなる構造的弱点が露呈。一方、民間資本はクラウディングアウトされていたので潤沢に集まらなかった。そんなわけで1769年にあっけなく解散。
1、スペイン(ハプスブルク帝国)の活動が目立っていないが、彼らはlucrativeな東インド交易に対しどういうスタンスだったのか。
2、ポルトガルの弱点を当時のオランダ、イギリスはどう認識したのか。そして、それをいかにして超克しようとしたのか。
3、イギリスの強い本社はどうやって成立したのか。経営方針や情報の伝達環境はオランダと大差ないようにみえるが。
4、イギリス、オランダの全体経済に占める東インド会社の割合はどの程度だったのか。
著者はドイツ系アメリカ人。原著の刊行は1998年で、世界中の専門家の間に論争を巻き起こした。
本書におけるメッセージは、冒頭書き出しの1文に凝縮されている。
本書において私は、既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論をグローバル学的パースペクティブを用いて転覆しようと思う
「西欧=先進国、アジア=発展途上国」という、我々が慣れ親しんだ世界の図式は、たかだかここ200年程度のことに過ぎない。西欧諸国はむしろほとんどの期間を通じて世界の傍流にあった。本書において、著者はこのことを繰り返し強調する。
フランクは、まず1400~1800年の交易データを検討し、次のようなことをインプリケーションとして述べている(2章)。
最大の経済大国は中国だった。中国は絹織物、陶磁器、水銀、茶の生産などで圧倒的な輸出競争力を誇っていた(全地域に対して貿易黒字)。インドも負けてはおらず、綿織物という輸出産業があった。東南アジアも同様、香料や胡椒があった。一方で、ヨーロッパはアジアに対してほとんど何一つ輸出競争力を誇る製品をもち得なかった状態で、一貫して貿易赤字を計上していた。その結果、欧州から中国などアジア諸国への銀(貨幣)の流出が常態化していた。しかもこの銀も、もともとはアメリカ産のものを奴隷貿易でぶんどってきた物だから(当時、銀の主要産地といえばアメリカ大陸と日本ぐらいしかない)、ヨーロッパ自体は、実は世界交易について何ら価値創出に寄与しなかったともいえる。
また、大航海時代以降、海上ルートがユーラシア大陸の隊商交易にすぐさまとってかわられたという主張も、誤りとして退けられる。アフリカ周航のルートは陸上輸送とくらべて決してコストが安かったわけではなく、ポルトガルの喜望峰周りの交易も短期間しか続かなかった。(223p)
定量的には複数の歴史家の推計を引き合いに、アジア諸国の生産性の高さにも言及する。曰く「アジアは1750年において、依然として世界人口の66%未満であったが、世界総生産の80%を生産していた。つまりアジアは欧州、アフリカ、アメリカよりも生産性が高かったことが示唆される」(p305)
科学技術についても、近世以降は西欧がアジアを優越していたという”常識”を西欧中心主義の誤謬だと批判する。例えば、当時の「ハイテク産業」でもあった造船業。中国の船は、ヨーロッパよりずっと数が多く、かつ大規模で、長期り輸送が可能な代物だった(342p)。印刷業も、中国は世界のどこよりも早く木版印刷を開始し、1500年代の早くには5色刷りの技術が存在し、日本や朝鮮に技術を輸出していた。
そうにもかかわらず、「世界経済の中心国が16世紀はポルトガルで17世紀にオランダに移り18世紀にイギリスに映った」などという、まるでヨーロッパ人によって一貫して支配されていたかのような馬鹿な議論(ウォーラーステインの「近代世界システム論」])がまかり通っている。しかし「1688年に、アジア間の交易のボリュームは、いつかのインドの港からだけでも、すべてのヨーロッパ交易を合算した交易よりも10倍も大きかったのである」(p320)
であるならば、なぜ近代以降の世界経済をの主役はアジアではなくヨーロッパだったのか。この点についてフランクは6章で100ページにわたる議論を展開しているが、正直ピンとこなかった。その骨子は「アジアの景気循環的な衰退期がたまたま西欧の勃興期と重なった」というもの。まさかここで「コンドラチェフの波」を引き合いに出すとは思わなかった。これはひどい
その他、素人目に見て反射的に気になったのは4つ。
1.「一人当たり生産性が近代までアジア>西欧だった」という記述について。これの反証となるようなデータは俺でもすぐ見つかる(例えばアンガス・マディソンの推計「The World Economy」)。むしろ地域間の一人当たり生産性は、まだ優劣に決着がついていないとするのがおそらく妥当なところではないか。
2.貿易収支の考察について。1400~1800年までの2章の部分、「中国はどの国に対しても貿易黒字だった。その背景には圧倒的な輸出競争力があった」と著者は言い切っているが、ここもまた留保が必要だろう。中国の貿易保護策の影響はどうだったのか。そもそも、中国がそれだけ例外的な貿易黒字を確保していたのならば、中国のマクロ的な貯蓄率はかなり高かったといえるだろうが、その辺は、当時の中国史の中で言及はされているのだろうか。
3.フランクはまた「アメリカの豊富な銀資源を搾取してアジア世界の交易に割り込んだだけ。ヨーロッパ人自体に富の増大をもたらすようなものは何もなかった」と強調する。これも逆差別の感がある。資源や強力な輸出産業はなくてもヨーロッパ人は知恵を絞って自分のところに富を惹き寄せた、という解釈もできる。「ビジネスの仕組み」を考案した彼らの力については、それ自体十分競争優位になっている気がするがどうだろうか。
4・「オリエント」地域にあるヨーロッパの支配地域(インドにあるイギリスの所領など)を考慮にいれても2章の結果はロバストか。
5. では、近代以前のヨーロッパにおいて、オリエントに(経済力、軍事力、知識等で)負けているという認識はどれほどあったのか。NOならばそれはなぜ?YESならば、彼らはその状況をどういった風に克服しようとしたのだろうか。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
なんかこの文章昼間もあったよね。
消したの?
なんのつもりか知らないけど人の書いた文章を何回も増田に載せるのってキモいわ。
調べてみたら昨日の夜中も同じようなの載せてるね。
http://anond.hatelabo.jp/20100611232824
意味がわからない。っていうか薄気味悪い。
■次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 なお、出題の都合上、一部改変した箇所がある。
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、何かを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などは要するにバイラルなのだが、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外するのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
少し水洟が出る。いよいよ花粉症だろうか。朝方、夢の気分を引きずりながら、また貨幣のことを考えていた。そしてソグド人のことを。そしてイスラム文化を。
(ア)貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。その信頼の形成方法が貨幣の作り方だと、なんとなく思っていたが、ではそれらと国家や国家の幻想とはどのように関係があるのか。そのあたりで、(a)トウサクしていた。
私は、なにかを考えるとき、反ヘーゲル・反マルクスの仮説を立ててみることが多い。あるいは反キリスト教・反ギリシア哲学。が、やはり、商品と呪物は決定的なのだろう。呪物商品が最初にローカルに貨幣化され、それを(b)エンカクには信頼で組織化するのだろう。そして呪物商品は、国家幻想と女に関係を持つ。女はそれ自体が呪物商品化されるというか、先日、高島先生の盗賊皇帝の話を読み直しながら、女こそ(c)リャクダツ品なんだなと思いを深めた。しかし、女は物ではない。そのあたり、女の、女集団の意識化がある。
まあ、それはそれとして。このぼんやりした思考とパラレルに、ウッフィーの貨幣化について考えた。基本的にはそんなものはないだろうと思うし、ベネトンの話などはようするにバイラルなのだが、が、なぜウッフィーが貨幣ではないかといえば、(イ)貨幣は匿名化されなくてはならない。では、なぜ貨幣は匿名なのだろうか? 信頼と呪物の関係において匿名の意味はなにか? 直感的には交換の本質から出てくるのだろう。
ところで、このあたりでさらにマルクスの労働の価値について再考する。いろいろ考えたが、ようするに(ウ)労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。呪物の呪術性を媒介として、使役の公平な交換性としてあるのだろう。というか、これは社会生物においてごく遺伝子的なレベルでフレームワークは存在するのだろう。つまり、生物種の持つ社会的な使役の交換の必然がどのくらいかによる。
で、これは、当然ながら、公平を権力化した使役との対照に置かれる。しかし、国家の権力の幻想も実はウッフィー的な幻想の(d)イタクではないのか。そのあたりで、ウッフィー=貨幣という考えそのものが間違っていることに気がつく。おそらく貨幣は貨幣なのだろう。
そして、(エ)貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。つまり、寄生的に国家の幻想に媒介してくる異質な富の集団こそが国家を幻視させる、あるいは、国家を家族幻想から引き離し、阻害する要因ではないのか。つまり、吉本隆明がいうような親族から王を疎外すのではなく、外部の貨幣が王を疎外するのではないか。より正確に言えば、(オ)家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう。
設問
(一)「貨幣は一種のインナーグループの信頼から生まれる。」(傍線部ア)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(二)「貨幣は匿名化されなくてはならない。」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか。説明せよ。
(三)「労働というのは他者への使役の蓄積として貨幣化される対価なのだろう。」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(四)「貨幣と国家の幻想のあいだに、富を生み出す集団が寄生するというのは、実は寄生ではなく、国家というものの本質ではないのか。」(傍線部エ)とあるが、どういうことか。分かりやすく説明せよ。
(五)「家族と王権の差異に疎外性があるのではなく、ある家族的な王権が交易的に存在するとき、外部の貨幣集団の寄生的内在が不可欠になるのだろう」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。(句読点も一字に数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、dに相当する漢字を楷書で書け。
a トウサク b エンカク c リャクダツ d イタク
1976年刊。米国を代表する歴史学者ウィリアム・マクニールの主著で、その後のグローバルヒストリーの研究にも絶大な影響を与えた。ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」のタネ本の1つとしても知られる。
本書で中心となるメッセージは、次の1点に集約される。「疫病の流行が、世界史の重要な決定要因でありつづけてきたのにそれが無視されてきた」ということ。昔の人類がいかに疫病に苦しめられてきたか、また疫病が歴史上の事件にいかなる影響をあたえてきたか、医学の発達した現在においてはそれらを実感することは難しい。史料の乏しさも手伝って伝統的歴史学ではこの重要な要因が無視されてきたことをマクニールは冒頭、痛烈に批判する。数少ない史料を補完するように、彼は一流の歴史家として培った卓抜な想像力を武器に、議論を展開していく。例えばこんな具合に;
・インド地域での諸王国はなぜ、なぜいつも外部から簡単に征服され、その征服王朝も短命だったか。その背景には、高温多湿な気候がはらむ高い厄災リスクが、各王朝の国力(人口)を削いできたからではないか。カースト制度も同様に、病原菌に侵された原住民への隔離意識というものがそもそもの発端にあったのではないか(上巻p160)。
・欧州の文明の中心が地中海世界から北部へと移動していったのは、長い間くりかえされてきたペストの影響が大きい(上巻p209)。西暦634年から、急速に拡大していったイスラム勢力に対して東ローマなど欧州勢が簡単にやられてしまったのも、542年以降に地中海世界に繰り返し起こっていたペストによってかなりの国力をそがれていたのが一因だ。
・その後、欧州でしばらく活動を休止していたペストは、なぜ14世紀になって思い出したように全ヨーロッパで猛威をふるったのか。それは大モンゴル帝国の影響がある。もともとヒマラヤ山脈を本拠地としていたペストは、モンゴルの同地への征服活動の結果中国に広がり、それが交易路に乗って1348年のヨーロッパに到着し大流行した。実際、1331年にペストは中国で流行。ユーラシアの草原部は1346年を軌に人の流れが止まった。その地にいた人が病気ですっかり死んでしまったからだ(下巻4章)。
・16世紀初頭。スペイン人が新大陸アメリカに侵入してきたとき、アメリカ原住民は天然痘などに為す術も無く犯され人口は20―25分の1に激減した。これは無理もない。ユーラシア、ヨーロッパ、アフリカ間の広大な土地がもたらす生物多様性の中で、繰りかえしの厄災をくぐり抜けてタフになったヨーロッパ人に比べると、アメリカ原住民はただの無垢なヒトにすぎなかった(下巻5章)。
そして現在、天然痘、ペスト、コレラなどの医学的対処法が完成し、新大陸アメリカのように無垢な住民が大量に存在する未開拓エリアも存在しない。つまり、私たちは数千年の人類文明史上初めて、疫病による大量死のリスクが消滅した時代に生きている。このことはもっと認識されていい一方、気を抜いてもいけないと著者は警告する。マッドサイエンティストたちが、有毒かつ伝播性の高い病原菌を作りだす危険性もあるし、地球温暖化の進行は我々と病原菌とのバランス(均衡)を崩すかもしれない。また今後起こりうる地球外生命体との接触は、我々人類に全く新しい疫病をもたらすかもしれないのだ(下巻6章)。
強く感じさせられるのは、この難解かつ前人未到だったテーマに果敢に挑んだ著者の気概だ。特に、紀元前のころの疫病の影響については有用なデータがほとんど存在しておらず、事実上推測することしかできていない。普通の研究者ならば、こんな局面に直面したとき「やっぱりこのテーマ止めようか」となる。あるいは周囲からそのように諭される。にもかかわらず、これだけ自信をもって堂々と議論を展開している所に、何だか読んでいて勇気すら与えられる。清々しい本。
自民党政権下では円高により購買力が上がり、内需が拡大するものとしてよいものとして扱っていた。典型的なのは三橋貴明。円高がよい理由を物語形式で書いた。全文は以下のサイトに載っている。
主張は例えば作中人物の次のような言葉に現れている。
「まあ、輸出企業が厳しいのは、円高よりも世界的な需要の縮小のほうが原因としては大きいと思うけど、だからこそ、世界中の政府が財政支出をして景気を下支えしようとしている。そんなときに、日本だけが何もしないわけにはいかないよ。なにしろ円高という日本の内需に対する絶好の追い風が吹いているんだから。
だいたいサブプライム危機やリーマン・ショックで、主立った国はみんな借金頼みの不動産バブルや株式バブルが崩壊して、内需がボロボロになってるんだ。そんななかで、幸運なことに日本の内需はそれほど痛めつけられていないうえ、もともと規模が世界で2番目に大きいんだよ。内需を拡大させて、輸出よりもむしろ輸入を拡大して、世界経済復活のために貢献する。これこそが世界経済に対する日本の義務であり、いま、日本がやるべきことだと思うよ」
その後の物語の展開でも日本経済は回復していた。作中では1ドル70円代になったけど、最終的には日本経済は回復したと書いてるんだぜ。それなのに民主党政権になると・・・
公約とし た財源確保のために血道をあげる一方、デフレと円高に対して有効な手を打てないままの 民主党政権の無策により、景気の「二番底」が現実のものとなる気配も見られる日本経済 の行方についてお話いただきます。
開いた口がふさがらない。同じ人物の言葉とは思えない。未だに1ドル80円代なんですが・・・・前々から思っていたけど、円高に対する右寄りの人たちの態度がコロコロ変わりすぎだろ。自分の考えの元自民党を支持するのはいいけど、こういうのはどうみてもまず自民党支持ありきです。きっと今も麻生政権だったら、円高を喜んでいたんだろうな。そんな自民党にしっぽ振ってなにが楽しいのだろう?
三橋貴明が上の奴を書いたころはほんと大変だったんだぜ。円高と交易条件の改善は関係がないっていってもわかってもらえなかった。それどころか三橋隆明の主張を批判しただけで、民主工作員認定されたからな。まったく呆れてものがいえない。
http://anond.hatelabo.jp/20091028021342 も言うように、金儲けがかかってるので必死。
英語マスターするには英語しか通じない環境に行くのが一番早いとか言うじゃん。
多分、商隊のうちの、負傷とかで長い旅程に耐え切れない奴が居残ったりすることもあっただろうから、そういう奴が残って何とか暮らしていくうちに言葉を覚える。
受け入れる方も、そいつがいるとそいつの国の奴が商売しにきたときに交易しやすいので、食わせるくらいはしてやる。
そうやって、段々とできてくんじゃないかな。想像だけど。
自民党はもうちょっとうまいネガキャンの方法があったのではないか?と考える途中で思いついた論点
どの話題とは言わないが、そうつっこみたくてしかたがない。
そうすると経済政策礼賛がくるんだろうけど。そういう奴に限って円高に対する民○党の態度を批判するんだよな。日銀の不作為による円高を「史上稀に見る白痴」による財政拡大が加速させているのだがね。というかね、前は円高をよいことだして韓○の○ォン安を馬鹿にしてたくせに、いまさら経済通を気取って「史上稀に見る白痴」の経済政策を礼賛するのはやめろといいたい。例えば http://res2ch.blog76.fc2.com/blog-entry-3896.html ね。他には円高=交易条件の改善と勘違いしてた記事もあったけど、ちょっと見つからなかった。自○党のときの円高は誇らしげにしてたくせに、○主党政権になった途端円高を非難し始める。円高=交易条件の改善と勘違いしてた記事が出回ってたとき、「円高はよくない。円安になるように金融緩和あるいは為替介入すべき」だといっただけで「円の気品を貶める気か」と売国奴として取り合わなかったくせに、○主党政権になった途端これだよ。○ねといいたい。
~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~
動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。
当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。
全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。
現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。
このため,人は衣類を着用する。
衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。
あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物しかいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?
いま貴方はどんな部屋にすんでいる?
頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。
しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。
他人という存在を知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。
他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。
動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。
従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。
能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。
人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。
動物と人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。
だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。
結論をいうと,人間は犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪(違法行為)をする。
動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。
従って,動物同士には,窃盗も強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。
しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。
他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。
相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間の前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。
言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。
「他人と連携するため」に。
だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。
単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。
だから,人間社会は言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。
(ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)
動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。
さて,以上までは社会科学の立場から論じた。
自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。
事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類の起源そのものをかえてしまう発見がポルトガルであったことだ。
人間(サピエンス)と,旧人(ネアンデルタール)の混血化石が発見されたことだ。
2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルトン博士が,人類の常染色体の10座標から,原人,旧人の血統を発見した。
2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。
混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧,中央アジア,東アジア,の順となっている。
ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子どもや妊婦を殺して食べる。
感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。
ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジーの母親となんらかわることはない習性を持つ。
言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。
旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。
遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。
進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人は進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。
勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。
だが,考えてもみてほしい。
人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。
人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史と時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。
確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。
歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。
もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。
あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞やニュースの伝聞で聞いているはずだ。
犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。
しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間の言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。
「異常」とあなたは感じるだろう。
なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。
参考までに,一つの「事実」を示そう。
「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。
そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。
従って,原則,アフリカとユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。
イギリスや日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。
以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。
ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。
人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。
一方で,神などの知的な存在が人間をデザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論もID論も物証がない。
「彼らが,次の旧人ではないか」と。
次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類と形態的にも試行的にも異なる。
専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸の人類は頭示数が86以上であり,サピエンスと形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。
もはや,目でみて「大陸の人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。
ここで私は考えた。
もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。
恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。
愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。
この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。
こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。
動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。
能力の高い人間は動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。
つまり「人間性」を。
朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。
彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。
退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルをおせんだのではないか。
ここで一つの答えがある。
どうして,プレ・ネアンデルタールは人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタールは人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。
このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。
なぜ退化したのか。
そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。
彼らは知能の問題から,人間と動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。
退化した。
それが生きる術だった。
島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。
協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。
アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーとランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。
それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。
ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本,イギリス,台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。
自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。
そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。
私は,旧人を殺すことが正しいと思う。
それは私の生育環境に人間が多かったことが原因していると思う。
私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。
あにたは私の意思に共感するだろうか?
もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。
それがあなたの利益になるのだから。
一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?
「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。
これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人・原人を皆殺しにすることだ。
最近は「DISりたい奴の文章を勝手に増田に転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。