はてなキーワード: このみとは
みんなってどこのみんなよ
このみちわがたび はてしなくつづく
「ブクマカは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」がまたまた実証された?
【Q】fncl 元ツイートのリプを見に行っても怒ってる撮り鉄を見かけないのだが、撮り鉄憤慨ということになっている
【A】 J-CASTニュースは「元ツイートのリプに怒っている撮り鉄がいる」とは一切言っていない
【要点】
・ この投稿写真は、5日夕現在で1万件ほどもリツイートされており、様々な意見が寄せられている。
・ひらがなの貼り紙だったが、「子供さんに向けての注意じゃないと思う」「どう見ても撮り鉄相手の文面」「これでも分からんのだろうけど」と、マナーの悪い一部の人たち向けだとして賛同する意見が寄せられた。
一方で、【ひらがなにして皮肉っていると解釈し、「撮り鉄侮辱してる」との声も一部であった】
・また、貼り紙の文面や電車などのイラストについて、ネット上で同じものが見つかったとして、これらを使ったのではないかとの指摘もあった
以上が、ネットの反応を伝えた全文である。怒っていると J-CASTは一言も言っていないのである
・では、なぜ「怒っている」ことにされたのか。答えは簡単。クソまとめサイト「痛いニュース(ノ∀`) 」が
「 でんしゃがだいすきなおともだちへ」貼り紙に「撮り鉄侮辱してる」【と怒りの声】…JR西「バカにする意図ない」
≪注:元記事のタイトルは、「でんしゃがだいすきなおともだちへ」 撮り鉄を侮辱?貼り紙に賛否...JR西「バカにする意図ない」≫
タマネギを大なら1/4玉みじん切りにして油をしいたフライパンで弱火で炒めておく
(みじんのタマネギ入れたあと一度フライパンを大げさに揺すって均一に広げてやるとまんべんなく火が通る)
(ひき肉にはしなくていい、左手で抑えられるサイズギリギリまで)
フライパンに追加してまぜていためる
食べる人にきいたらグリーンピースとコーンは嫌いだがガーリックが食べたいとのことで小さいかけらを微塵ぎりにしてまぜる
ミックスベジタブル切れたまんまだなそういえば まあいいや うちの人は食べない
途中で塩(小さじ半分)、胡椒を足す
たけたご飯をがっぽり茶碗3杯分足す
白ワインどぼぼ ケチャップ大さじ2くらい足す(からっぽになったけど次開けるの面倒だったから少なめ)
よくまぜながら中火で炒めていくとケチャップが赤からオレンジになるのでそこでゴムベラでタマネギ1つ米一粒ものこさないよう丼に全部移動する 火はいったんとめろ
卵3個をボウルに割り入れて塩小さじ1/4と胡椒とおこのみで牛乳大さじ2や砂糖大さじ1(か甘味料)を入れまぜる
さっきのフライパンにちょっと多めに油をしいて強火にして卵ドバァ たいてい塩が溶け残ってるのでそれも根気よくたらしいれる
菜箸で端から真ん中につかみよせると卵液がどばーと廻りにひろがるを2回ほど繰り返す
最後にフライパンの片側によせて端っこを上にめくれ上がらせて形をととのえて大きめの皿にのせる
そのわきにライスを少しのせて巻き込まずに出す おかわり用にチキンライスの丼も出す
「この卵は3個である。丼の分のライスの分まで焼いたからその皿のライスだけで食べきってはいけない
と宣言する
※最近やってる一連のレシピは目分量を極力言語化してかいているので不正確
味は自分で調節しなさい
塩などは極力少なめに書いてる、足りなきゃ食卓で足せばいいだろ的な
父親が息子をモーツァルトの再来に仕立て上げるべく7歳3ヶ月だったのを6歳とした話は読んだ。そのせいでベートーヴェンは中年すぎまで自分の年齢を正確に把握できなかったとか。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』では、父親はアル中でとんでもない奴だけど根はいい奴で、自由主義者としてベートーヴェンを導く役割を果たしている。まあさすがにこれは現実ではなかったかな。なおこの漫画の中でもベートーヴェンの難聴の驚きの理由が判明している。
青木やよひ『ゲーテとベートーヴェン』には、父親が宮廷に出した手紙の書き出しが「尊敬すべきお慈悲深き大司教兼選帝侯殿下」、結びは「御足下にひれ伏し服従申し上げます」だったと書かれている。ベートーヴェンと父親の関係については、ベートーヴェンが、バッハのカンタータの未完成写譜を「父が書き写したもの」と書き込んで大切にしていた、とある。
謎の女=死
ヴェーゲラーはベートーヴェンの5歳上。ロールヘンは2歳下。ヴェーゲラーとベートーヴェンの出会いのきっかけは明らかではないらしい。ヴェーゲラーの紹介でブロイニング家に出入りするようになった。
手塚治虫『ルードウィヒ・B』ではヴェーゲラーは出てこないが、ロールヘンとの出会いは本作と似ていて、いじめられてたベートーヴェンをロールヘンが助けるシーンになっていた(ただしこれがきっかけでブロイニング家に出入りするようになるわけではない)。
ここで出るか。
強さ、か。生きるための、成し遂げるための。
fffはFuto Final Forever説を信じているけど、第2場で触れた通り交響曲第7番と第8番でベートーヴェンが史上初めてfffを使ったとのこと(第7番は手元にスコアがあるので確認済み)。これは、難聴が関係していたのではないかなと邪推している。難聴の時期は高音があまり使われなくなった(=自分で聴こえる音で作っていた)らしいし。そしてほぼ聴覚を失ってからは高音が再び使われるようになった、というか、第九は演奏困難な高音であったと。そしてこれも触れた通り、第九にはfffはない(オーケストラの編成の大きさも関係してるのか?)。第九は、実際ちょっと常軌を逸した曲だと思う。聴覚がないからこそ書けた曲。第4楽章のコントラバスとかもそうだけど(これはベートーヴェンのお友達コントラバス奏者のドラゴネッティのせいか)、第3楽章。美しい理想が見えるけど、理想に近い演奏を探してみたけど出会えなかった、何年も前の話だけど。オーケストレーションに難あり、だよなと。もしくは時代がまだベートーヴェンに追いついていないのか。
実際は出入りする間に自然と啓蒙思想に触れていったのかなと想像。
なんか泣ける。朝美マジック?
あらきた。1804年12月。
謎の女「心のおともだち、ナポレオン」
んーー、第4場Bで少し構えていたけど、ここハイリゲンシュタットの遺書だったのかあ。いつの間にかハイリゲンシュタットに移動してた?劇場のままかと思っていた。時間もほんとは結構経ってる設定だったのかなあ(ナポレオンの戴冠式はあったけど、もともとの劇場の時間もふわっとしてるし、伝わるのに時差あるかなと思うし。あ、謎の女からの情報だからリアルタイムだったかな)。気が付ける要素あったかなあ。
難聴や失恋からくる衝動は救済の記憶でおさまった後(実際の遺書ではただ"芸術"が引き留めたと)、心のおともだちナポレオンが皇帝になったショックからのシーンだしなあ。
ベートーヴェン(歌)「
歌い続けろ 聴こえない カラダ
歌い続けろ カラダ カラダの そとに
歌い続けろ 中に鳴り響く音
歌い続けろ 出し尽くすまで
大きく 大きく 大きく もっと
強く 強く 強く きっと
たとえ命 たとえ魂
この体が朽ち果てても
たとえひとり 声もしない
孤独の道 ひた走ろうと」
「大きく」「強く」 3回ずつ(=fff)。
ハイリゲンシュタットの遺書から該当しそうな箇所を以下に抜いてみる。
私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。そのためこのみじめな、実際みじめな生を延引して、この不安定な肉体を――ほんのちょっとした変化によっても私を最善の状態から最悪の状態へ投げ落とすことのあるこの肉体をひきずって生きて来た!――忍従!――今や私が自分の案内者として選ぶべきは忍従であると人はいう。私はそのようにした。――願わくば、耐えようとする私の決意が永く持ちこたえてくれればいい。――厳しい運命の女神らが、ついに私の生命の糸を断ち切ることを喜ぶその瞬間まで。自分の状態がよい方へ向かうにもせよ悪化するにもせよ、私の覚悟はできている。(片山敏彦訳)
遺書の中の「難聴の苦しみ」「孤独の叫び」「自死願望」ついて参考までに抜き追加。長いけど。一部難読字は平仮名に、一部ルビ省略。
社交の楽しみにも応じやすいほど熱情的で活溌な性質をもって生まれた私は、早くも人々からひとり遠ざかって孤独の生活をしなければならなくなった。
しかも人々に向かって――「もっと大きい声で話して下さい。叫んでみて下さい。私はつんぼですから!」ということは私にはどうしてもできなかったのだ。ああ! 他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものでなければならない一つの感覚(聴覚)、かつては申し分のない完全さで私が所有していた感覚、たしかにかつては、私と同じ専門の人々でもほとんど持たないほどの完全さで私が所有していたその感覚の弱点を人々の前へさらけ出しに行くことがどうして私にできようか!――何としてもそれはできない!――それ故に、私がお前たちの仲間入りをしたいのにしかもわざと孤独に生活するのをお前たちが見ても、私を赦してくれ! 私はこの不幸の真相を人々から誤解されるようにして置くよりほか仕方がないために、この不幸は私には二重につらいのだ。人々の集まりの中へ交じって元気づいたり、精妙な談話を楽しんだり、話し合って互いに感情を流露させたりすることが私には許されないのだ。ただどうしても余儀ないときにだけ私は人々の中へ出かけてゆく。まるで放逐されている人間のように私は生きなければならない。人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う。
私の脇にいる人が遠くの横笛の音を聴いているのに私にはまったく何も聴こえず、だれかが羊飼いのうたう歌を聴いているのに私には全然聴こえないとき、それは何という屈辱だろう***!
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。
と思って今晩作ろうと思う
■用意するもの 三人前
フライパン(できれば二つ)
木べら、ボウルのようなもの
卵5個
玉ねぎ1個
米酢
■調理
ちょい焦げるぐらいがベター
③炒めた玉ねぎをボウルに入れ、中華スープ一本と卵5個を入れて混ぜる
④ボウルの中身をフライパンで焼く、焼いてる間はあまり触らない、オムライスのビジュアルを意識する
⑥タレをつくる ケチャップをマグカップの底ぐらいフライパンに出してしばらく(オレンジ色になるぐらい)炒める
⑦ケチャップにケチャップ同量の酢と水を入れる 粘度はある程度さらさらになるまで水で調整 舐めてくどくなければok 片栗粉でとろみをつける
⑧⑤の上に⑦をかける
わたしがメイド喫茶で働いてた時、頭おかしい客がいるのはもちろんなんだけど店長がとにかく頭おかしかった。
深夜の3時にいきなり「この店をより良いものにするためにはどうすればいいか全員何かしら返信しろ」とグループLINEにチャットが届いて、そんな時間にも関わらずメイドたちはああだこうだ返信してて、朝起きた時に気付いたわたしの携帯には脅威の約400件の通知が来てた。一人一人の思いに松岡修造氏並の熱いメッセージを送る店長…。それに対して喜んだり反省したりするメイドたち。
ここのみんな頭おかしいんだな〜って思いながら画面をスクロールしてそのままお店辞めた。メイドさんみんな意識高くて凄いわ。そんな人間にわたしはなれませんでしたって話。