やれPCは差別の根本的解決にならないだとか臭いものに蓋をしてるだけだとか批判があるが、それの何が悪いのかわからない。
心の中ではどれだけ思っててもいい。
ただ、口に出すのをやめることを求めている。
とてもそうは思えない。
差別を抑圧することによって歪みが生じるなら、差別を容認することの歪みが生じないとどうして言える?
俺には後者の方がよほど質が悪いように思えるが。
だいたい、臭いものに蓋をするなんてことは日常に転がってる。差別に限らない。
なんでお前は毎日クソ上司への憎悪を押し殺してニコニコ媚びてるんだ?
まず、明後日(明日は日曜だからな)にクソ上司と大揉めして今まで自分にしてきた仕打ちの罪悪を認めさせて土下座させろ。
それが「臭いものに蓋をしない」自称サバサバ野郎のお前がまず取るべき行動で、何の恨みもないゲイを安全圏から卑劣な物言いでコケにすることじゃないはずだ。
人は建前で生きている。
結局分かり合えないからだ。
俺はそれを悪いとは思わない。まあ次善だろう、と評価する立場だ。
この前発売された「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピューター」の略称は、一応「ミニファミコン」になってるみたい。復刻したファミコン通信では「ミニファミコン」と呼ばれてたし。
でも「ミニファミコン」ってあんまり響きがよくないよね。「ファミコンミニ」の方がいいよね。だからか知らないけど「ファミコンミニ」という略称で、呼んでる人をネットではけっこう見かける。
でもさ、「ファミコンミニ」というと、ゲームボーイアドバンスで発売されていたファミコンソフトのベタ移植のカテゴリ名称になるから、「ファミコンミニ」という略称はあんまり使わない方がいいかも。
でも「ファミコンミニ」の方が言いやすいし響きもいいからさ……。やっぱりこう使いやすい名称ってのは、大抵は先に使われてしまっているもんだなーと少し思ったわけです。
PCエンジンのPCはパーソナルコンピューター(パソコン)の略称だから一貫している。
よってポリティカル・コレクト(ネス)がその覇権を握ることはない。
PC。このアルファベット二文字から受ける印象はしばらくPCエンジンのみだった。そのうちにパソコンが世に広まり、いつの間にかPCと見ればパソコンをイメージするようになっていた。PCを見てももうPCエンジンのことは思い出さなくなっていた。PCとはパソコンを意味する、そんな世界がずっと続くと思った。
しかし今PCと見れば、ポリティカル・コレクト(ネス)のことを言っているかもしれない、その可能性を思う機会が増えてきた。もちろんパソコンを意味する文章も今もある。前後の文脈は見なければ本当のところはわからない。でもいつかそのうち、PCと書かれているのを見てもパソコンをイメージしなくなる日がやってくるのだろう。かつてのPCエンジンがそうだったように。
完全に捏造されている情報で確定なんだけど、それを産経新聞や国会議員がデマとわかってるであろうに、それを使ってデマを拡散してる。
その結果、どのような現象が起きているかというと、沖縄では基地建設・増強に反対する意見の人が増えているのに、沖縄以外では沖縄に基地を押し付けることを容認するという人が多くなっている。
かつては沖縄独立というのは居酒屋談義で、酔った勢いで面白おかしく語る話だったのが、最近はそうではなく、真面目に沖縄独立を考える人が増えてるのだよ。
こないだ知人と電話しててモヤモヤしたけど、本人に言って指摘してやる程優しくないので書捨て。
「金持ちな親と貧乏な親の下に生まれた子供達はスタートラインからして違う」「資本主義が悪い」
「このままだと貴族と平民の様な身分制度が出来上がってしまうので、その前に是正すべき」
というのが彼の主張な訳だけど、要はこれ自分の現状に対する言い訳なんだよね。
そいつのスペックは中卒で10年以上引きこもった経験もあるプロニート。一時期仕事頑張ってた時期もあったが、
ご立派な言葉並べてるけど、結局自分も金持ちの親のところに生まれてたらこんな風にはなってなかったって言いたいんだろ?
マリオは、マリオという男である強者が、ピーチ姫という女である弱者を助けるという固定観念に支配された「ポリティカルコレクトネス的に良くない作品」
だと言うみたいな人に言いたいんだけど
「スーパープリンセスピーチ」ってむしろ姫側が救う話だったと思うんだが。
男側が救う話も、女側が救う話も両方あるマリオシリーズはむしろポリティカルコレクトネスに配慮しているとみなされかねないのでは?
増田の誘導がうまいなという感想。一つの極端な意見を取り上げてポリコレ全体がさもそういう風に向かっているかのように書くレトリック。ポリコレ棍棒なんて表現はお笑い草。極端な意見なら反論すればいいだけだろ。
こういうこと言ってくる人がいるんだよな。
"ゲイや黒人を殴って良いわけでも罵詈雑言を吐き散らかしてもいい"って書いてあるか?
ID:warulawみたいな人の話聞かないで自分の言いたいこと言うだけの輩が困るんだよなあ。
目を輝かせてホモを書いてる腐女子たちのほうが、ヒステリックに主人公がホモでないのはケシカランと文句つけてる怒り心頭な人権意識タカイ勢より、よほどなんか人間として魅力的だなあと思った。
むしろ増田みたいな受けたけど落ちたみたいな人を「公務員を増やすべき」っていう方向で雇わせるように持ってけば良いんだよ。
流石に足りて無くても筆記で落ちるレベルな人を雇うのは無理だろうけど、それが突破できるってことは全く使えないことはないだろうし。
ブログでそういう方面の記事を書いて社会に訴えたり、そのブログを収益化して稼いだり、とにかく「公務員試験に落ちたせいで現状の制度に不満を持ってる」ことを活かして行けば良いんじゃないかなと思った。少なくとも死ぬよりは良いと思う。社会に提言したりとかの活動が認められれば、そこから政治家とか目指すとかも良いんではないかなと。
ここ半年、仕事をしている最中に体調が悪くなることが多くなった
最も具合が悪くなるのが15時~18時の間
はじめは飯を食べたあとに血糖値が下がりすぎているんだろうと思った
しかし朝飯を抜いても、昼飯を抜いても、ある程度具合が悪くなるのは避けられないらしい
いろいろ調べていく内に、典型的な自律神経失調症であるのだろうと思うように至った
「逢魔が時」という、夕方に近い時間帯に具合が悪くなる人は多いらしい
病院に行かなければ
学生の頃は、「夜型人間になっているから昼に起きていられないんだ」と思っていたが
社会人になり、休日でも朝に起きるようになってもこの時間に寝てしまうのだ
面白いことに、昼ごはんを食べて一番血糖値が下がるだろう14時くらいは問題ない
眠くはなるが、心地いい眠気だ
対して「逢魔が時」の眠気は心地よくはない
23時くらいの眠気ではなく、深夜4時くらいの眠気だ
自律神経のバランスが午前4時に一番底に来るのと同様に、私の身体では午後16時頃にも底に来るのかもしれない
もちろん病院には行くが、体質としてもともとそうなのであれば
逢魔が時に「夕寝」する前提の生活リズムを心がけた方が、良いのかもしれないと思った
でも、どうやって??
大阪の人と話していて、沖縄の人の労働感覚の話になったんだけど。
那覇空港にテナントとしてコンビニでも、1時間半後に出る航空券の発券を頼んでいるのにチンタラやってる。
非常にイライラさせられました。
そういう経験は私もした。
沖縄の女性は、割と接客は上手かったり、人の気持ちを察するのが上手い人はいると、思う。
沖縄は、基地やら国際大学もあって外人も多いので、パーリーピーポー(?)な人もいるようだし。
アラサーを超えて、飲み会の機会が増えたり、車社会で夏は炎天下だから歩く機会がないせいか、体重も増えるようだし。
だけど、表に出てこない苦労みたいなのがある。
エイサーって踊りがある。
うるま市なんかだと、若者はエイサーに駆り出される。那覇や浦添の方は都会だから、そんなこともないみたいなんだけど、
エイサーの練習って、夜中の3時か4時までやるらしいんだよね。
伝統の踊りを守るために、厳しいことを言う人もいるからこその伝統らしいんだよね。
ムラ社会的な部分ですか。
(京都の祇園祭とか、そうらしいけど。お嫁に出て娘が実家に呼び戻されて、その時期に山車の引き手の人の為のおにぎりやお茶作りに駆り出されるとか。)
ほんと、働く意識とかはないけど、仲間意識とかはすごいのよね。
コミュニティーに馴染むまでが大変なのかな...。
私は、関わり合いを持たずに沖縄から去ることになったのだけど。
ゲーム作っている側からすると、作っているからには費用が掛かっているわけで、収益は少しでも回収できた方が良い。
回収するには顧客を広げる、もっと簡単に言えば「ある一定量まで愉しめばそれでいいや」というレイヤーを取り込む必要が出てくる。
「DLC商法」も「完全版商法」も「F2P商法」も全てはこれが起因することで、理解できなくはない。
確かに「未完成品」を売りつけている事実はある。それについては否定しないし、厳しくすべきだと思う。
が、場合によっては「それって受け手の取りようでは」という部分もある。
レアケースだが、実例を挙げると「No Man's Sky」とか。結構「未完成品」って叩かれている(いた)けど、俺は本当にこれを「完成品」「快作」として愉しんでいる。
「未完成品」を売りつけるメーカーは許せないし、レビュアーやユーザー側が叩くのが正義とは思えないし、何とも言えんね。
「手軽に楽しむ」ということを強要するのは、ゲームのカジュアル性として必要悪だと思う。そんなに集中して「マイルストーンの達成」や「ゲームクリア」に躍起にならんでも良いと思う。
ただ「手軽に楽しむ」ことを売りにしている割に、サービスが継続せずに勝手に終了しやがって、「課金」したお金が無駄無益になる、というどうしようもないリスクの方が問題。
※ 関係ないけど「課金」って言葉の誤用が広まって久しいね。もうこれに何か言うのは難癖でしかなくなってしまったのは残念。
ゲームを楽しむのではなく「イラストや動画を観るだけで愉悦できる」レイヤーを取り込めているだけ、凄いと思う。
それ以外には関心はない。そもそもこれを書いている自分自身、ガチャゲーには全く興味はない。
今なお供給されているだけでありがたがってる。
「老人しかやらない」という視点では、例えばボードゲームとかTRPGとかあるけど、今また日の目を見ている(と勝手に思ってる)し、そういうもんかなと思う。
供給されなくなったら、個人で何か作ろうかな、と思う。(ここまで書いておいて何だけど、ゲーム作ってる側でも遊んでる側でもあるんだよね、俺。)