2014年03月26日の日記

2014-03-26

最近の争いは良心があるものとないものの争いが多いように思えてならない。

いやもっと単純に、トピシュは面白くないだけじゃね?

ハゲ面白いのかというとそうでもない時も多いけど、それでもそれなりに読ます文章を書いてるし、たまには面白い

トピシュは鼻白むだけでくだらん。

http://anond.hatelabo.jp/20140325183217

http://anond.hatelabo.jp/20140326023417

将来、amazonヴァーチャルリアリティ本屋空間とかものすごく正確なおすすめマッチングを始めれば別だけど、そうでなければ街の本屋需要ってなくならないと思うんだけどなあ。

本屋に行って、探してる本の下の段のタイトルが気になったり、「なんで山本周五郎文庫はいまだに大量に売られているんだろう」と疑問に思って手にとってみたり。そういうのって今のところアマゾンでは得られない体験だけど、決して軽んじることはできないよね。

でも、こういうのは少数派なのかな。欲しい本を今すぐ手に取りたい層とは重ならない気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20140326012405

論客つったって、派閥教義に則った答えが帰ってくるだけだろうし、

経済学なんてある程度理屈に則るとこういうオウム真理教ハルマゲドンみたいな答えしか帰ってこないくだらない学問とも言えるんじゃないですかね。

まあ私も正しいかどうかつったら悲観が正しいと思うけど。

空犬さんへのお返事

「町本会」の記事にコメントをつけた元書店員です。ぶしつけな質問にわざわざエントリをたてていただいてありがとうございます。なんだかお手数おかけしてしまったみたいで、申し訳ございません。それでお返事をしようと思ったのですが、ちょっと長文になりそうなのでこちらに書かせていただくことにしました。読んでいただければ幸いです。

さて、空犬さんは「『町には本屋さんが必要です』というのは『前提』であり『命題』だ」と書かれていますが、それは私もまったく同感なのです。私も別に、「なぜ町には本屋さんが必要なのか」を問うことで「必要でないという可能性」をさぐってほしいというのでは全然ない。そうではなくて、「なんで自分本屋がないと困るんだろう」ということをあらためて洗いだして言語化することで、何か新しいものが見えてくるのではないかと思うのです。「『なぜ』については、関わる人それぞれに、その人なりの理由があればそれでいい」とのことですがこれもまたその通りで、参加した人それぞれの「本屋の理由」が明らかになれば、その分だけ本屋の魅力をひっぱりだすきっかけになるのではないでしょうか。ちがうかなあ。

もうちょっとぶっちゃけて言ってしまうと、「なぜ町には本屋さんが必要なのか」というのはつまり、「なぜAmazonじゃダメなのか」ということです(Amazonというのはつまりネット書店ということですが、ネット書店一般というよりはやっぱりAmazonと言わなきゃならないような気がします……けど、まあこの話はおいといて)。

まわりを見ると、「もうAmazonでいいじゃん」という人が大多数だったりします。「本屋に行っても置いてないし」「注文しても1か月かかるし」というわけです。書店員時代も何度「Amazonにはあるのに」「Amazonだと明日届くのに」と言われたことか(泣)。そういう意見に触れるたびに私は個人的に「いや、Amazonばっかりになっちゃマズイんですがね」「今時は注文してそんなに時間かかることないんですよ」と啓蒙にはげんでいるのですけど、あんまり共感してもらえることはありません(あっちなみに書店員としてお客様にそういうことを言ったりはしてません。ひたすら「申し訳ございません」と平身低頭でした。念のため)。

けれど、やっぱりAmazonだけじゃダメなはずです。いやAmazonで買ってもいいんですけど、それだけになってしまうと決定的に失われてしまものがある。空犬さんは「どのように話しても、理念的な、抽象的な議論にならざるを得ない」とおっしゃってますが、そんなことありません。具体的な話だっていくらでもできます(ここではしませんけど)。そこんとこをしっかり伝えていかないと、どうにもならないんじゃないかなあと思うのです。

空犬さんの記事の後段で、「部外者第三者のんきな意見プラスにならない」とありますけれども、そういうのんきな人たちの「Amazonで買えるから近所の本屋1軒くらい潰れてもいいや」というのんきな態度にきちんと向き合って、そうじゃないんですよと言うべきなんじゃないでしょうか。……いや、すでに業界をはなれた自分が「べき」とか言っちゃいけませんけど。「言ったほうがいい」というのもなんだか上から目線だし、えーと、言ってほしい。言ってください。

ちょっと長くなりすぎたのでそろそろ終わりにします。とりあえず、「なぜ「なぜ」が必要なのか」という件についての私の意見は以上のようなものです。礼を失した部分があるかもしれませんが、真意をくみとっていただければありがたいです。どうぞこれからもがんばってください。では。

追記

記事の終わりの「こんなふうにしたら」なんですが、前回参加した際には質疑応答があったらよかったです。会議のあとの交流会ではあちこちでいろんな話が出てましたけど(私は横浜本屋さんの話を隣でずっと聞いてたんですが)、ああいう話もある程度共有できたらいいんじゃないかなーと思いました。

喪服の死神という非モテ化身。あるいは汚い顔と罵られた人間の末路

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2

徹底した自己開示と執拗自己解釈による独演を社会提示した喪服の死神

幼少の個人的出来事からネット右翼アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティカムアウト。

陳述で同性愛告白し、ボーイスラブ二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学学歴バスケマンガでの成功ボーイズラブ二次創作での人気の3つになります

31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります

自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。

「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。

執拗自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である

喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ自意識には向けられて、彼は饒舌ウェブ上に氾濫する非モテキモオタ類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。

本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識代替されている。

動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から自分人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。

汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。

もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。

ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャルマイノリティは「自分セクシャル存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。

彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまりホモオカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。

ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。

しかし、喪服は否定なき同性愛者。

喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期ボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実セクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。

自らを汚物と信じた喪服は、現実セクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。

自分愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件交通事故被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。

LGBT当事者書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。

今ではオープンリーゲイ公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である

愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。

2000年代2ちゃんねるはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定レッテルを貼り付けることで自己肯定転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。

あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定レッテルに飛びついた人々である

自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定スパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。

自己否定レッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。

しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。

冗談はさておき、明け透けに申し上げますと「こんなキモい奴は死刑でいいじゃないですか!」という気持ちです。

幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。

汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティ現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。

従って、彼らは漫画記号を愛でる者、オタクになった。

本来ならば健全セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美世界を描いたボーイズラブ二次創作を愛した喪服の死神

現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性世界性愛に耽溺している。

喪服のチグハグセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。

「何か」が欠落してしまっていた。

ウェブ上での自己開示および匿名対話からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。

だが、喪服の自意識歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。

喪服の自己対話精緻であって、他者解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内インストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。

このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。

さら自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分ネットスラングで言うところの「魔法使い」です。

喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャルマイノリティの為に用いられる言葉は現れない。

ゲイ社会で用いられる言葉も、LGBTを構成する言葉も無い。

自らを異性愛者の視点から同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子言葉で性指向を空想している。

喪服の自己対話には、セクシャルマイノリティが自らをセクシャルマイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。

というより、喪服がウェブ本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。

ローカルルール同性愛者の投稿が禁じられたモテない男性板。

非モテから同性愛者を斥けてミソジニーホモソーシャル産物断罪するセクシャリティ論。

女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ二次創作世界

最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定トンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティ本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。

しかし、喪服が創作するには、表現原動力たる空想の世界耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間ウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。

何より、彼には努力をする気概が無かった。

喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力

本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ自己否定トンネルに差す光として見えるのみ。

もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元ベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である

喪服は、呪っただろう。

喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ二次創作賞賛を得る者を。

空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美世界肥大化した自我は、現実世界自己表現を求めて、自走する。

喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。

ボーイズラブ二次創作

喪服に残された肯定的表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。

喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。

「『何か』に罰され続けて来た自分がとうとう統治権力によって罰されることになったのか」

恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。

喪服は、斑目晴信オタク濃度を感じたように、キモオタ秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。

喪服は、ボーイスラブ二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。

喪服は、セクシャリティに、疎外を感じてはなかったか

喪服は、自覚することはなかっただろう。

喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。

執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。

自己疎外された人々が、自らに自己否定レッテルを貼り付けることで、健全精神ギリギリのところで保った非モテ論理

2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。

喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性ホモソーシャル世界であって、男の喪服を救わなかった。

セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。

身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。

身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美世界に誘い込み、彼の自我肥大させて、現実を呪った。

非モテにすらなれなかった「非・非モテ」の喪服の死神、怪人801面相こそが、性愛社会を呪う非モテ化身である

http://anond.hatelabo.jp/20140326020632

あの「高菜、食べてしまったんですか!」の店でさえそこまでうるさく言わないらしいぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20140326010610

くやしぃ~。「クリスタル結晶」までが元ネタだったのはさすがに覚えてなかったんだ。すまん。「B'Zはみんな好きよね。」ってのは覚えてたんだけども。

http://anond.hatelabo.jp/20140325213628

そりゃもう完全に行動半径の違いっつうか

女の知り合い少なすぎないか、としか思えないな…

もしくは「草食系男子」をものすごく狭く見積もってるのかね

だいたい『草食系』のラベルを貼られてる堺雅人が、日本で知らない人がいないレベルに売れて

おなじく『草食系』のラベルを貼られてる栗原類だの松山ケンイチだの加瀬亮だのがガッチリ固定ファンを掴んでて

つーのが「今のメディア」だと思うけど。

別の日本に住んでるのかと思えてきた。…逆に周りの女は誰が好きなの?

http://anond.hatelabo.jp/20140326020632

○○堂の場合に限って言うと、もし先に麺の前にスープを啜ったとしてもその音は遅れて聞こえてくるからバレない。

ラーメンってスープ先に啜ったらダメってホントなのか?

麺を啜ってからスープ飲むのがマナーらしい。

〇〇堂ってチェーン展開もしてる或る行列のできるラーメン屋さんにて店員に言われたのですが、ホンマかいな。

ゴミ整理

明日燃えないゴミの日から危険物まとめたー!

手少しきった。

でも空き瓶洗ったし、しわけたし、ガス抜いたし、かんぺきじゃね?

あした、数年来のものを捨ててくるよ。

失くしたと思ってたホチキス、みつけてしまった。

なつかしい割れたお皿、なぜかママンが捨ててた鍋とか。(たぶんこげついてどうにもならなかったやつだと思う)

電話機子機も、確か壊れていたからと捨てられていた。

なんだか、、何もかもが懐かしい。

少しずつ、手元にあるものが、変わっていったのを、こうして目で見た。

少しうるりとくる。

母が亡くなってからあともう少しで4年になる。

母が亡くなったことを受け止められずに、家のすべてを変えることを

極力拒んできた。

でも時間の流れの前では、逆らえないものもあるなあと、感じつつ、

そろそろ寝ます

http://anond.hatelabo.jp/20140325173620

精神科で暴れそうな患者さんを抑える以外のところに配属された男性看護師を見たことないんすけど、最近普通病院仕事もあるんですか?

http://anond.hatelabo.jp/20140326014438

想像力が足りないということか。

では、悪いことをしたと理解できれば謝れるのか。

悪いことをするのを目的としてる場合はどうしようもないけど。

悪いことをして謝れない人間の心理構造と扱い方を教えてくれ。

http://anond.hatelabo.jp/20140325195902

今なら即炎上してまとめサイトの女叩きの恰好のエサになって拡大するだろう。

なぜ告発しないのか?

女が晒すものを男は晒さないというのは今まで見てきたネット悪ノリを思い返すと腑に落ちないがなあ。

良心なんてカケラも無いような奴はたくさんいるだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20140325235137

デブの多くは本人に責があるから元増田とは事情が違う。

「薬の副作用で太ってしまう」とか入っていればもっとよかった。

http://anond.hatelabo.jp/20140325195902

自分は何度も化け物としてネットに晒されました

これどうやって探してるんだろう?

全部女性アカウントです。

ということは2chではなくTwitterと思うが

http://anond.hatelabo.jp/20140326000617

廃屋という環境適応するためには廃屋に似合う衣類を着ることです。

キレイな服は廃屋には合いません。中途半端キレイな服を着て清潔感があるからもっといいところに移住したいなどと欲をだしてしまうのです。

ドレスコードの一種だと思ってください。

世紀末アニメなどで見かけるボロ布をイメージしてください。

するとどうでしょう廃屋が心地よく感じられるようになります

大切なのは足るを知るということです。

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