賄われているわけじゃん。
外交的揺さぶりによって日本の国力を削ぐお隣の国のみなさんの方が
経済政策を第一に掲げて上手く行っているように見える
中共へアシストパス放り込んでるレインボーアイコンの諸兄たちが
不穏な恐怖を感じる。
1:無邪気な無政府主義者
これが釣りと思えるってつまり男は一切努力も何もしなくていいその男を受け入れない女の内面は終わってるって事か?
どんだけ認識歪んでるんだよ
浜田山がどこなのか知らんけど、元増田のどこからそんな事が分かるんだ…
10年位前に全部入れ替わった。それまでは例にもれずUnix。
別にまわりが何で盛り上がろうと関係ないけど、その情報の選別がおっくうになるぐらい増えてきた。邪魔。
あげくにエロ系のリツイートとか増えると非常に気まずい雰囲気になる。
2chは何か書き込むことこであって
MBAにしろMBPにしろ、あのスペックであの薄さ、ってのが偉いもんだけど、
これはもう慣れ、としか言いようがない。Macで慣れたらWindowsが使いづらくなるだろうし。
フリーソフトでWindowsみたくするものならいくつかあるけど。
Mavericksからは両方に表示(同時に表示、じゃなくて、カーソルとかを移動させると移動する、って感じだけど)出来るようにもなった。逆にキモいから使いづらいけど。
DockにApplicationフォルダでもおいておけばいい。
UNIX系と言えばそうだけどLinuxではないのであくまで「似てる」ってだけで実利は無いと思う。パッケージのインストール方法も違うし。
Linuxの中でだって違いは結構あるし、"実利"はあると思うけど。
てか、「似てる」っていみは、「Unix系」とかそういうレベルじゃなくて、単にすぐにBashとかが使えるかどうか、ってレベルの話だと思いますが。
「『普通の男』がいない」
実際女に比べて男の平均値が下がり過ぎてるんじゃないかな
少なくとも婚活市場に出ている男女を比べたら、女はアラサーだが男はアラフォー、アラフィフ…
女は二十代後半で焦り始めるが男は三十代のうちはまだ大丈夫って思ってるって事なのか?
そしたらツイッターでコラとかの画像がものすごい勢いで何千もリツィートされていた。
その状況を見て2chでレスついても最大で1000で途切れるよなと思う。
単純にそのリツィート数とレス数だけ見るとツイッターの方が上なのかな。
承認欲求が強い人は反応の大きさで喜ぶ。
目立ちたがり屋はツイッター行くよなこれじゃ。
ただ目立ちたいだけの迷惑な人たちだけがツイッターへ行くなら良い。
面白い目立ちたがり屋まで向こうへ行ってしまったら2chはどうなるのか。
使っててストレスが貯まること。
Proはすげー高いから買えないし、数万程度のminiはやはり非力だし。SSDに換えるのもあの本体だとすげーやりにくい。
画面下のDockが邪魔な上に使いにくいのも嫌。マルチモニタにしても1つのモニタにしか表示されないし。むしろWinのスタートボタンみたいにする方法はないのか?
UNIX系と言えばそうだけどLinuxではないのであくまで「似てる」ってだけで実利は無いと思う。パッケージのインストール方法も違うし。
やらなくていいか分からないのなら、「やらなくていいか分からない箱」にでも入れておけ。
それはもうやるしかない。やる気があろうがなかろうが、やるしかない。
やる段取りがつかない、見通しの付かないものに早く取り掛かるべきだ、
思ったより早く終りそうならやってしまえばいい、
やってみても全然わからないようなら早く相談しなければならない。
やるときに余計なことは考えない
Windows PowerShellは、ご存じですか?
なるほど知りませんでした。*.batが近代的になったようなもんかと思ってた。
http://technet.microsoft.com/ja-jp/scriptcenter/powershell_owner03.aspx
コマンドライン編集時にファンクションキーや矢印キー押させる神経がわからないけど、
Windowsらしいという感じですかね。
「絵描き()」とか「馬鹿」とか「二次元」とか平気で言うお前みたいなやつがいると
「相手が本気になったからしょうがなく会ってやった」みたいな体裁を取ってる時点で
こんなこと言うは資格ないだろ。
無茶振りなんかしないで友達として普通に約束して、普通に遊んだんならその言い分は分かる。
思いつきで人を振り回しといて、振り回された人の機嫌が悪くなったら
Twitterをしてよかったところ
Twitterをしてよくなかったところ
Twitterをしていて思ったこと
言いたいことわかる。
けど
「いい大人」とか言ったらただのレッテル貼りにしかならないよ。
じゃあ子供ならいいのか?違うだろ。
最近、従軍慰安婦問題を中心とした歴史修正主義が大手を降って表通りを歩く様になって来ていてまったく嘆かわしい限りだが、要するになんでこんな馬鹿げた嘘つき連中に騙される善良な市民がいるのかと言うと、それはヘイトスピーチがその定義に「出自やアイデンティティに関わる属性などによって差別する」という意味があるのも知らずに、「差別をしたら罵倒された。これはヘイトスピーチに対するヘイトスピーチだ」などという滅茶苦茶な主張に騙されてしまうのにも似た、まあ一言で言えば「言葉の定義を語感でなんとなくしか捉えない」国語力の低下に起因するものであろうと考えられる。残念ながら、「歴史修正主義」という言葉を前に「歴史は仮説に過ぎないのだから、見直すのは良いことなんじゃないの?」というような自分では冷静に考えたつもりであろう意見は、単なる無知の成せるわざと断ぜられる。なんとなれば、簡単に歴史を「見直せる」と考えること自体が、疑似科学ならぬ疑似歴史学とでも呼べるような間違った発想だからだ。
歴史は元々、矛盾を内包するものである。それはどういうことかというと、普通どんな定説が作り上げられる過程にも矛盾した史料と言うのは必ず存在するということである。現存する矛盾した史料を全て集め、突き合わせ、読み込むことによって、「少なくともこの出来事はあった/なかった」をひとつひとつ確定していったものが歴史の定説なのである。この過程を史料批判と言い、要するに文書と言うものはどうで執筆者の主観、立場、その他もろもろの事情から切り離せぬものなのだから、そこを考慮して信ずべきところとそうでないところを選り分けるという作業である。特に言えば、官僚の作成した政府資料などと言うものはときの政府の都合に合わせきった単なるプロパガンダと見るのが当然であり、そんなものは歴史に限らず今のご時世だって政府発表の資料や説明をそのまま鵜呑みにするのは馬鹿のすることだとまともな大人ならわかることなので、「当時の政府は悪いことはしてないと発表している。だから悪いことはしてないはずだ」などと言う幼児のごとき論理は真っ先に排除される。
矛盾する史料を付き合わせて組み立てられた歴史の「定説」は、当然ながら、仮に今新しい、何か定説と矛盾するところのある史料が発見されたとて、そう易々と覆されうるものではない。本当にそれが未発見の新史料とでも呼べるものであったのならば、それまであった他の史料と同じ様に読み込まれ、史料批判を行い、もしかしたら定説に多少の修正が見られる可能性もないではないが、殆どの場合それほど影響をもたらさない可能性の方が高いであろう。言うまでもなく、「ここに新たなる史料の見つかった。これは定説と矛盾するからして、定説は見直されるべきである」などという歴史修正主義によくある主張は純粋にナンセンスである。歴史学は、人の書いた文章の嘘を見抜くのがその手法の重要な部分を占めている学問である。嘘をつかない自然を相手にしている自然科学とは違い、単純にひとつの事象を観測して、その観測に勘違いがなく、その上で定説や既存の理論と折り合わないようであれば十分な反証が得られたと考えるような、いわば性善説にでも則ったような発想はしないのである。
以上が、原理原則から歴史修正主義の疑似歴史学性、それが如何に歴史学的な主張として正当を欠いたものであるのかの説明であるが、もっと現実的な処世術として持っていると便利な視点は、歴史修正主義とはためにする運動以外の何ものでもないと言うことだ。歴史修正主義者は常に結論から全てを考える。結論に合わせて史料を探し(多くの場合彼らのいわゆる「新史料」は実は史料批判の終わっている既知のものである)、求めるものから逆算して史料を読み、ときにその史料が結論を裏付けてくれるものでないと知れれば、あっさりとそれを捨て別の史料に根拠を求める。こういったやり方が史料批判という歴史学的な手法に反しているのは言うまでもないが、残念ながらこの恥知らずな姑息さこそが、善良な素人をして歴史修正主義に理ありと錯覚させることもある要因となっているのも否めない。素人目に一見正しそうに見える主張をしている手合いにこそ、その「正しそう」に見える部分が何か狡猾な手段から来たものでないのか、学問的な手順の不正によるものではないのかと疑うことが必須である。
歴史修正主義は疑似歴史学である。それが用いるロジックは一言で言って詭弁であり、歴史を簡単に見直し、修正することが出来るかの様に喧伝する議論は学問的にまったく正当性がないのみならず、不見識な素人を騙すためならなんでもする詐欺師にも似た卑劣な活動に他ならない。昨今の日本の歴史修正主義の台頭は、国外から戦後体制に対する反逆と見られるのみならず、こと21世紀に至ってもまったく成長の見られない日本人の論理的な思考力の弱さ、都合の良い結論への飛びつきやすさ、畢竟ためにする勢力のプロパガンダに如何に簡単に騙され流されるかという知的な脆弱さを露呈しているのである。