はてなキーワード: リカバーとは
前にも書いた記憶があるが、本日またたまねぎ抜きのカレーを作成して強く感じたので記しておく。
今日は1玉の1/4くらいはあったのでいけるだろうと安易に考えてカレーを作ったのだが、失敗だった。
玉ねぎが1/4個ではカレーの土台として不足なのだろう、恐らく半分でも厳しいと思われる、最低中玉一個が必要なのではなかろうか。
今日は和牛の牛すじが半額だったから拭きこぼして圧力なべで下茹でしてカラーにしたのにこの有様では泣くに泣けない。
カレーの出来がいまいちな時はトマトを追加でぶち込めば大抵はどうにかなるのだが、玉ねぎがない場合はリカバーが難しいようだ。
諦めてゴーヤやオクラなども入れて夏野菜カレーとしてみたが妻の評価はかなり微妙だった。
自分が食事当番の週は毎日美味しいカレーを提供し続けてなんとか洗脳したというか理解を得ることができたのにこれでは台無しになってしまう。
いきなりみんなお菓子をつくりだしたり、そもそも外食の店がだいぶやってないし、テイクアウトで飽きてきた人がつくりはじめてたりして、いろいろ言われていると思う。
私のTLでも五回に一回くらい、つやつやにきれいに焦げた何かの写真が回ってくる。台所になれてなかった人が遊びだしてると感じている。
まあ、いま、同じ事をプロも含め普段料理する人たちが、色んなアドバイスが溢れてるな~と思う。
でも、私がお願いしたいのは、全然ややこしい話ではない。
そして今溢れるアドバイスの中でも、あまり言及されていないっぽいことである。
本当に誰にでも簡単に叶えられることだ。
これだけです。
「いやまちがえねーよ」と思うでしょ?
間違うんだよ!!
きっと最初のうちは小さめの卓丈調味料とか使うと思う。これは間違えない。
でも今のように自炊が続くと、そのうちコスパ悪いなあとおもって1kgの大袋を買い始める。
調味料入れのない人は、買ってきた袋の上のはしっこ切って、輪ゴムで巻いたりして使うだろう。まあこれもそこまで間違えにくいとは思う。
しかしいくら丈夫でもビニールの袋だから破れたりするし、そのうち、100均に行ったときとかに「これ便利じゃない?」とおもって、調味料ラックみたいなものを、買ってしまうんだよ。そのほうが絶対片付くし楽だし。
でもそうすると罠があって、塩を砂糖用に同じ形のものが2つセットになってたり、あるいは自分でも並べた時にいいように蓋の色だけ違うものなどを買う。
当然人間なので、塩と砂糖が同じ白だからって、そう簡単には間違えない。
右が塩、左が砂糖と、蓋の色を切り替えたり、なんならラベルを貼ったりもするだろう。
そうして、いつの日か、もう半分オートみたいにして動ける慣れ親しんだ自分の台所でつくった、よく知る自炊のご飯を食べたとき、
塩をふったはずの目玉焼きが「甘く」、
砂糖をいれた筈のコーヒーが「超しょっぱく」なっていることに愕然とする。
「こんなマンガみたいな失敗する?!うそでしょ!?」という朝を迎えることになるのだ。
いや、なるんだってば。
ほんとに。
慣れると流れ作業になって、いずれはなにがしか凡ミスをしてしまうので、そういうミスを減らすためどうかおねがいですので茶色い砂糖を買ってください。
砂糖でミネラルとるのは一回量がすくないから割と些事だと思うが、色が塩と違うのは非常に利点がある。
茶色い砂糖白いのより全般的にまったりした味になるけど、それよりニアミス防止が最優先だよ。
がんばってつくった料理が、単純すぎるミスで、もうどうやってもリカバーできない味になっている。
かなしい。
そういうことは誰の身にも起こって欲しくないと、そう思ってこれを書いた。
以上です。
ちょっと咳っぽい。2日くらい前から、鎖骨の下あたりがもやもやと炎症を起こしているような感じだ。耳の下のリンパ腺を押してやるとちょっと痛い。食欲も少しだけ落ちたような気がする。ただ、熱はない。
半年前の世界なら、まあ単なる「風邪」ですね。これぐらいの症状じゃ休む理由にもならない。ところが、いまのこの世の中では、背筋にひやりとしたものが走る。いまいちばんヤバいアイツに罹るということがもたらすのは、肉体的なダメージ、それもさることながら社会的なダメージもかなり大きいからだ。
今朝、アパート(半分シェアハウスみたいな)のグループメッセージに、近所の交番でコロナ感染者が出た、と来た。消毒をしていると。怖いですねー、こんな近くまでもう来てるんですね、と別なメンバー。怖い、確かに怖いのだが、自分を感染したひとのその身に置き換えると、さらに怖い。プライバシーもへったくれもない。これがパンデミック下の世界なのか。
(まるで某ロードの歌詞のようだが)ちょうど3年前のいま頃、当時暮らしていた広島から、横浜に引っ越すにあたって準備を進めていた。そのまっただ中に風邪を引いてしまった。発熱、止まらない咳、食欲減退(食欲魔神のわたしとしては、これがいちばん辛かった)。
普段は近くのドラッグストアで風邪薬を買ってきて、安静にしとくくらいのことで終わりにしてしまうけど、なにしろ日程は決まっていて、悠長なことも言ってられない。やむなし、内科に行った。およそ3年ぶりくらいの来院だった。
センセが言うには、インフルエンザも陰性、単なる風邪、お薬出すから安静にしときなさい。まあ、安静になんてできないけど。何しろ旅立ちはもう4日後に迫っていた。いわゆる汚部屋状態のリカバーだったから、とにかくやることが多いのだ。
盛大に咳き込みながら引越し作業を進めた。その一方で、親しくしてくれた友人たちと飲みにも言った。美味しそうなものが並んでいるのに、食欲が全くわかず、酒ばっかり飲んでいた。締めにラーメン屋へ半ば強引に連れてかれたけれど、ひと口ふた口すすったくらいで吐きそうになってしまい、しょうがなし、残りを食べてもらった(これもいまの世の中ではNGですね)。いつもなら白飯追加で注文していただろうに。食べられないということがこれほどまでに辛いと感じたこともない。
当日になって、ようやく「むさし」のおにぎりを新幹線で頬張れる程度には回復したものの、咳は止まず、その後、新居に荷物を入れて、イケアやらヨドバシやら回って買い換えるものを買い替えて、そして1週間後、新しい職場で働き始めてからも、まだ続いていた。結局、完治といえる状態になったのは、発症から2〜3週間くらい経ってからだった。
別にインフルエンザでなくとも、タチの悪い風邪というものは、これくらいタチが悪い。正直、いまをときめく、新型のアイツの症状も、大部分の人間においてはこんなものか、もっと軽いだろう。肉体的なダメージで比べたら。
ただ少なくとも、このパンデミック下における世界とは、緊張感が全く違った。インフルエンザでもないなら、こちらの免疫力の問題で、人にうつして悪くなることもなかろう、とマスクすらしてなかった。
ちょっとぐらい体調が悪くても、気にも留めない。そんな牧歌的な世界が、いまは懐かしい。
いまは、ただピリピリしている。体調が少し崩れるごとに。お腹が空かないなんて、むしろダイエットのいいチャンスぐらいに考えていたのに。
このウィルスの特性上、ウィルスを持っている人を遠ざけるしかないから、人びとは防御的に動かざるを得ないのだろう。それが時として、過剰にヒステリックに見えて、怖くも思える。
いまや、咳が出るくらいの症状を「風邪ですね、お大事に」と流すことはできない(例え本当にただの風邪だったとしても)。そして、ただただ肝を冷やすばかりだ。世間の矢面に出ないように。
相手が他に出来る気がしないし、親も兄弟も半ば自分たちを呆れて見ている節があるので、認めてくれる人が肉親より他にいる嬉しさもあって結婚した。
人付き合いが苦手だ。壊滅的に気が利かない。それではダメだと過剰適応した結果、仕事の後はどっと疲れるし、いらない仕事を押し付けられる。それでもなんとか今までの経験を生かしながら投げ出さずに頑張ってきた。
世間で言うところの普通はこれかと勉強して時には演技して生きている。そして、こちらの綻びを付け入る人間も残念ながら僅かにいるので注意を払っている。
一番自分にとって気持ちが落ち着くのは、人付き合いを必要以上に持たないことだった。その分、注意を払わなくてすむ。子供さえ持たなければ、必死に周囲と関わる必要がない。家も賃貸でなんとかなる。車も持たなくても最小限で生きていける。
ここでわかるのは、子供を持てたからこそ、人間としての深みや度胸が出来るんだということだ。喜怒哀楽ぜんぶを注ぎ込んで、自分の愛するものを一から育て上げる。泣いた吐いた笑った立った喧嘩した。自分たちの過去と重ね合わせ、涙した。親から貰った命を我々は全然輝かせていない。人間として薄っぺらだと。むしろ、生まれてきて後悔ばっかりだと。
ここで、子供を欲しがったら子供が出来たら子供を育てたら、幸せになれると思うところが浅はかだ。人として社会生活を営むのに、なんとかしがみついて必死で、家帰ってから感情のリカバーに1時間かかる人間に、待ったなしの子育てなんて、すぐに詰む。自分の時間がない、こんなはずじゃなかったと嘆き出す。生きている人間だから投げ出すこともできない。自分たちが社会に関わった時と同じく、子供が世間に馴染めなかったら、無理やり矯正にかかるだろう。思い返せば、肉親にもなんとかやってる姿を見せて安心させていた。結婚でなんとか勘弁して、やはり子供は難しいと頭の中が堂々巡りして、子供を産むのが難しい年になり、母親を看取った。後、10年若かったら何かが違ったのだろうか。
数少ない友人にそれをいうと、みんな必死だよと言う。自分が生きてきたことを肯定しないとなりたたないと。
そうだろうな。残された人生、父や義両親、連れ合いのために生きるべきだ。子供を持って育てている人は本当に素晴らしい。こんな人間でも生きててごめんなさい。時々、申し訳なくなって、泣く。
元編集増田です。「発注を受ける絵描きさん」から「増田の視点にはなかった、的を射た異論」をいただいたのはこちらの方だけだったのでせっかくながら返信させていただきます。
女性向けなんて300部でたらすごいほう
200であそこは多いと噂になる
で、実際はだいたいが50~100部でオンデマンド印刷(安くて荒い)
女性向け界隈の雰囲気に関しては無知なので言える事は何もないのですが、この辺りに関しては男性向けでも変わらないと思います。同人誌で文庫本100冊売れることはそうそうない。プロ作家が寄稿したら紙で即完売するかもな、くらいのレベル。n*100円で出して100冊売れたらn万円なわけで、イラスト発注5万円で計算すると最低1000円からですよね、でも同人小説で1000円の値段がつくもの買ってもらおうとしたらどれくらい気合いの入ったものになるんだろう。
つまり、実はこの話って「5万円で小説同人のイラスト発注無理でしょ」問題が根本に横たわってるんですよね。発注側の視点からその言葉を言うわけにはいかない(精神論として)ので書かなかったんですが、現実問題、上記の計算で行っても5万円を捻出するのって大変じゃないですか。いくら作品に愛があっても赤字前提になる価格帯でずっと同人小説出し続けるの心が折れますよ。自分なら心が折れる。
結局のところ、「理想の価格帯-現実の発注価格」の間に生まれる差額をリカバーするためのものって、最終的には友人価格とか、作品愛とか、そういうものにならざるをえない。その前提の元で可能な限り受注者に対して最高のパフォーマンスを発揮してもらえるよう、ノウハウでどうにかなるサポート方法を可能な限り書いたのがあの増田だったのです。
で、自分が完全に見落としていたのが「金額の差分が発注者や作品/ジャンルに対する愛を瀬踏みする行為にならざるをえない」という視点。同人ってたしかに同じジャンル同士の交友関係が前提になりますもんね。そこは自分が無知というか、ビジネスでのイラストレーターさんとのつき合いしかなかった=お互い完全に初対面の状態から発注せざるをえない=みんな特につきあいのないイラストレーターさんに発注していると思い込んでいました。失礼しました。
結局のところ、同人って「商業より安い発注になりがち」問題って絶対発生するものだと思います。ただ、その分融通が利くというか、「同人だからできること」をやってもらえるのが一番いいのかなと。
たとえば、商業と同人の一番の違いって、「厳密な締め切りがない」「イラストに対する細かなリテイクがない」「好きなものを描ける」あたりだと思うんです。だから、そういった「イラストレーターさんにとっての片手間・息抜き」になるような発注ができると、多分喜んで描いてもらえるのでは、とは少し思っています。基本的に、イラストレーターさんは描くことが好きなひとたちだと思うので、「描くのが苦痛」にならないような発注ができると、お互いにとって幸せな依頼になる。これは商業だとやりがい搾取になるからできない=同人だからできることだと思います。
こちらの方の異論には痛いところを突かれたというか、この前提を語らなかったのは不誠実な気がしたので、答えになってない反応ながら書かせていただきました。あくまで部外者として思うのは、発注する側はあんまり気負わないで発注したらいいし、ただ発注するならするでイラストレーターさんへの気遣いを忘れないで発注するのがいいのではないか、ということです。
氷河期を98-03くらいだとすると、もう15-20年くらい前の話ですよね。
ぶっちゃけそれ、いまだに引きずる話なんでしょうか。観測範囲がIT関連に限定されてしまいますが、氷河期の人は、最初の会社でスキルが身に付かなくて負のループに陥らせた世間が悪いんだという主張が多いです。
けど、ここ十年でクラウドもモバイルもアプリ開発なんていう今までにない形態の職種も出てきて、さらに開発環境は無料でじゃぶじゃぶ使えるようになるわ、一大webブームもありーの、オンラインセミナーは多数あるわ、おまけに転職もはるかにしやすい環境まで一気に整ったのに、いまだ就職時点でのワンチャンスの"時代のせい"なの、少しおかしくないですか。
そもそも、同年代でちゃんとスキルつけてうまくリカバーしてる人たくさんいません?いますよね?すごくいますよね?その世代中途の優秀な人すごい多いですもん。
そりゃ就職大変だったろうし、いろんな苦労もあったんだろうけど、3年5年ならまだしも、さすがに20年は長くないですか。赤ちゃんなら成人してますよ。
そろそろ時代のせいだけじゃないと気づいた方がいいと思うんですけど。
いい大学出てる人って余裕がある。
彼等は若いのに責任の大きい仕事に一生懸命取り組んで結果を残している。同じような育ち、学歴の集団の中でそれなりに楽しそうに働いている。夜遅くメールが帰ってくることもしばしば。若手だからそんなに給料は多くないのによく働くなぁと感心してる。
彼らの会社は所謂一部上場企業で本社が東京か大阪にあって(大きなビル)、全国各地に支社があって、とにかく格好いい。百年くらい歴史がある会社だから名前を言っても恥ずかしくないし本当に憧れる。
私の会社は高卒の人も多くてそれほど大きな会社じゃない。大卒や院卒の人もいるけど、特に学閥があるわけでもないから高卒現場上がりの人が役職に就いてたりする(そういう人は皆人望があって慕われてる)。ああいう立派な人がたくさん働いてる立派な会社で働きたかったな。
いい大学を出た人は頭で物事を判断してくれるからとても仕事がしやすい。脊椎反射で営業マンを怒鳴りつけたり、部下に手を出したりする人は見たことがない。納期が遅れることを伝えても怒らずに、どうすればリカバーできるか一緒に考えてくれる。三流大出てる人はそうじゃなくて、なんだかんだ言い訳したりすぐ感情的になることが多い。
まあ、こんなこと書いてる私は五流大なんですけどね、はは。
アファーマティブアクションに対してはてなーはどういうスタンス?
賛成してる人の話を見ると「十年~二十年くらい弱者側を優遇して社会的に力を持たせれば、将来は現弱者層は現強者層と対等な力を持ってるだろうから、そこでアファーマティブアクションをやめれば本質的な平等が達成される」みたいなこと言ってる人が多い。
一理ある。
でもそれってマクロの話であって、ミクロな個人レベルでは、現在強者側なやつは十年~二十年の逆差別によって人生うまくいかなくなる奴が出てくるだろうし、そこへの支援ってあまりなさそう(というか支援したら結局強者をさらに強めてしまうんだろうが)。
しかもその逆差別で人生キツくなるやつって、だいたいが弱者強者の境界線ギリギリ、強者層の中の下っ端なわけじゃん。
入試で言えば合格点ギリギリの奴が、弱者層への優遇措置によって下から追い抜かされて落ちちゃうみたいな感じで。
世の中の大体のことって、持ってる奴は他の物も大体集まってきやすくて、つまり金も、文化資本も、学力も、人脈も、道徳も、健康も、保持しやすい。
つまり、奇妙な話だけど、入試で余裕で合格してるような奴こそ、入試で落とされたとしても他のリソースで人生をリカバーできやすい。
しかしアファーマティブアクションによりギリ成功がギリ失敗に変えられるレベルの人間は、他の資産もギリギリだったりして人生のリカバーが難しい可能性が高い。
それってエグいし不条理だと思う。
そんで、そういう仕組みに対しては、また不毛なかわいそうランキング自慢が始まりそうなわけで、しんどい。
https://anond.hatelabo.jp/20171026223119
>その相手の増田は、自分が楽したいという意味ではなく社会的な問題提起として言っているかもしれないのに。
ここ、そうなんです、私もそう思ってます。
ただ、私が言いたかったのは、辞めざるを得なかった人と、権利使うだけ使って辞める人をごっちゃにして欲しくない、ということなんです。
そこの切り分けは他人からは難しいのかもしれませんが、ちょっと環境を整える援助(保育園、学童など)をするだけで、働き続けられる人を減らすことについては、これからも継続して社会全体で考えていく必要はあると思います。
他の女の時間使って産めなくしている、っていう考え方が、そもそも私は違うと思っていて、それこそあなたが仰っているように、社会的な問題提起とするなら、そもそも男女関わらず、家庭やプライベートを大事にしたい人が時間外労働をすること自体が問題なんじゃないの?という所に目を向ける方が効率的なんでは、と思う次第なんです。
もしくは手軽に使える病理保育やシッターがもっと増えれば、多少の残業などにも柔軟に対応できます。
私個人としても、権利使うだけ使って辞めるとか、個々の事情はあるとしても何だそれ、、、というのはとても同意なので、そういう点で適切な評価をされていないと感じるのならば、さっさとそういう場所を去って、お荷物で稼働率の低い社員だけ残させてそんな会社潰してしまえ、ということです。
自分はそもそも時間外の労働をしたくないのか、金銭面や昇格の面でで評価されさえすれば喜んでリカバーするのか、は人によって違うと思うので、自分の考えに合った評価をしてくれる会社を探す方が精神衛生上良いのでは、と。
そういう風に、自分の働き方を能動的に選ぶ人が増えれば、企業も終身雇用でお荷物でもイキイキのんびりーな人が切りやすくなると思うんですよね。
地元は埋め立て地だったので道がほぼ格子状だったんだけど、
狭い道とか斜めの道とかめちゃくちゃある
結婚前に夫にここに連れてこられた際、
車では到底通れない道など通らされてちょっとこすってしまったのがトラウマ
あと、ここ曲がらないといけないのに
その曲がるところだ!って判断ができるまでが遅い(慣れてる道なら流石にわかるけど)
間違えて通りすぎたり1個早い所に入ってしまうとめちゃくちゃ焦る
戻れず、まちがって料金取られる橋を渡ってしまった事2回(うち、1回は淡路島に行ってしまった)
今はナビがあるから若干マシだけどそれでも怖い
免許取った初期なんかナビ無かったけどよく走れてたな…
まぁ、淡路島いっちゃったんだけどね
今のナビは曲がった先で次に左右どっちにいくかまで二手は教えてくれるの本当ありがたい
でも、この地域運転する人皆親切で、右折とかすぐ入れてくれる。優しい
わいもなるべく入れたげるからね