はてなキーワード: ネット社会とは
最近の例で言うと、
ttp://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1686533.html
⇒「新しいユニフォームダサ過ぎ」という意見が大多数。普通にいいと思ったのだけど、むしろ1985年の真っ赤っかの方が・・・
【閲覧注意】女子高生を救えなかった話
ttp://itaishinja.com/archives/3224832.html
⇒「ひどい話だけど、田舎でよくある話なら仕方ないな」と思ったら、スレ、コメント欄ともに「胸糞悪い」「教師が悪い」という怒りのコメント多数。
他にもネットをしていて「えー、これが大多数の意見なの?」と思うこと多数。
※ここで言う「ガキ」とは,成年になっても思考が「ガキ」である者も含める
犯罪自慢に限らず,Twitterでなんでも『自慢』する人がいるが,
いざそのツイートがRTされたり引用されたりすると途端に焦って削除する馬鹿が相次いでいる.
お前のその自慢話は,誰に向けて呟いたものなのだ.
Twitterは世界を股に架けているオープンコミュニティだ.
世界中の不特定多数の人物から覗かれる場で,拡散させて欲しくない情報は控えるべきだ.
何故、Twitterでやる必要があるのか.単に流行に乗っているだけだとしたら,それは過ちだ.
ブログやSNSなど,他に代用できるテキストサイトは幾らでもあるだろう.
社会経験,あるいはブログ経験の無い者が,いきなりTwitterを触るのは危険である.
経験を持つ者は,迂闊なツイートを行わない.ネット社会の目を知っているからなのだ.
特に社会人の場合は,社内の人間が偶然目にすることもある.有り得ないと思われる偶然も,起こることは起こるのだ.
facebookが全地球上の利用者の行動データを黙々と集め続けているというブログ記事が多くの注目を集めて、ガクブルする人のうめき声や罵詈雑言が飛び交ったことは、これを見ている人はまだ記憶に新しいと思う。
さて、日本語圏の、だいたい日本国と重なるネット社会はどうだと思う?
2ちゃんねるで有名人の殺害予告を書き込んだ奴の家に警察がやってくるというニュースはそんなに珍しくなくなっている。ヤバげな書き込みがあれば、奴らはあっというまにきみの発信者情報を特定してドアをノックするというわけだ。
そういう意味で、すでにぼくたちは「公権力に」よってネット上での行動を監視されているわけだ。
これもよくいわれるんだけど、こういう状況は、ミシェル・フーコーというフランス人が「パノプティコン」と呼んだ状況に似ているかもしれない。
パノプティコンというのは、ベンサムというイギリス人が考えだした刑務所のモデルのこと。監獄がドーナッツ型になっていて、中央の穴の部分に看守の建物がある。囚人たちは、四六時中看守に見られているような気がする。たとえ看守の建物にだれもいなくてもそうなんだ。いつのまにか、囚人は看守の視線を自分の中に取り込んでしまうから、下手なことをしようという気を起こさなくなるというわけ。ようするに、その監獄にいる囚人はどんどん自主規制するような、監視者に都合のいいシステムがパノプティコンだ。
2ちゃんとか自分のブログに何か書こうとしているとき、自分の心の動きを思い出してみて、どうだい?
アイドルを殺すとか、新宿駅を爆破するとか、そういうことを書き込んだら、たとえ冗談でも警官が家に来るらしいってことは漠然と「知って」いるだろ? だからめったなことではやらないだろ? そもそもやろうと思わないだろ?
なぜなら、きみは自分が監視されていることを「知って」いるから。
でもさ、きみはほんとに、どっかの地下司令室みたいな所で、日本中の掲示板やブログの内容を膨大な数の監視員がチェックしているところを見たのかい? SF漫画の中で見ただけじゃないのかい?
たとえそんなところが本当にあったとしても、そこで働いている奴はいま夜食のビッグマックを頬張るのに夢中になっていて、きみの書き込みなんか見ちゃいないかもしれないんだよ?
でもきみは心のどこかで自主規制するよな。だって、ヤバいことを書き込んだら、奴らが来るって「知って」いるから。
ところで、そういうネット上のパノプティコンみたいなものは、べつに「公権力」じゃなくてもこの国では勝手にどんどん作れることは知ってたかな。
ほかでもない、ネット上の風評被害対策とか、「ソーシャルメディアマーケティング」をやっている民間企業だ。こいつらはネット上の自警団というよりは、傭兵だ。金で雇われれば誰でも手にかけるから。
たとえば、きみが2ちゃんか自分のブログである企業の批判をしたとする。傭兵たちは独自のクローラーを毎日ネット上に走らせているので、君の言葉はすぐに見つける。そしたらすぐに2ちゃんの運営ボランティアかブログのプロバイダに削除依頼をかけるか、訴訟をちらつかせながら発信者情報の開示を始める。
誰だって、どこの馬の骨とも知らないやつに自分の居場所を突き止められたくない。弁護士の対応なんてしたくない。
まあ、きみがただ単に相手を傷つけようとして、根拠のない誹謗中傷を垂れ流そうとしてそういう目に合うのなら、自業自得というものだろうね。
でもさ、他人のでたらめを見かけてそれを指摘しようとしたときに、ナイフをちらつかせられたらどう思う?
とくに、企業に雇われた傭兵たちが嘘八百をいい散らしているのを指摘しようとしたときに、訴訟を恐れて自主規制しようとしたら?
そもそも、指摘する声を出せないように傭兵たちが街中の広場をすでに封鎖してしまっていたとしたら?
なんのことはない。きみは気がついたら彼らが勝手に作った「民間刑務所」のなかで監視を恐れながら粛々と労役に励んで、傭兵たちが大声でおすすめする臭い飯を、きみ自身の苦役で稼いだ労賃で買いつづけるわけだ。日本語圏のネット社会は、気がついたらそういうプライベートな監獄で何重にも囲まれていたという話。
たまたまそういった「民間刑務所」の看守見習いがヘマをしでかして、刑務所のオペレーションに関する書類を落としてしまったとする。それを拾った奴が広場で騒ぎ出し、市場のゴミ拾いが日課で壁新聞の好きな奴がその書類を市場の外に、街のいたるところに見えるようにして貼り出してしまった。でもそのゴミ拾い人は傭兵たちの訴訟攻撃にぶるってしまって早速自主規制したまま黙っている。その間に市場での騒ぎは手際よく鎮圧されてしまった。傭兵たちは普段からそれで飯を食っているので、自分たちのこととなると作業は早い。
市場の住人たちも、その外で壁新聞を読んでいた人たちも、なにかおかしなことが起こっていることをばくぜんと感じ取っている。たとえ騒ぎが収まった後でも、そのおかしな感じは消えるだろうか。自分たちが「民間刑務所」の中で暮らしていたことに気づいた後で。
まんべくんではなく、ネトウヨだけが原因と断言する理由は、単純明快。
今回の騒動は、簡単に言えば「まんべくんの自虐史観的発言でTwitter炎上→ネトウヨ長万部役場へ直接クレーム」という、ネットでよくある過剰な叩きパターンが起こっただけのことだからだ。
ただ、出た杭を過剰に叩くネトウヨどもと、声のでかいやつが多数派に見えてしまうネット社会の特性とがあいまって、クレームが殺到した長万部役場は「やばい!」と思ってしまったわけ。
では、まんべくん側にまったく過失がなかったかと言えば、そういうわけでもない。
ただ、この過失と言うのは、ビジネス上の問題であって、まわりがとやかく言うようなものではない(少なくとも長万部の住民以外は)。
単に「クライアント(長万部役場)の求めていたことと、下請け業者(まんべくん運営の「株式会社エム」)の作業結果のズレ」があっただけなんだよ。
つまり、株式会社エムでは炎上マーケティングに近いような形で、まんべくんという毒舌キャラを使って長万部という町の認知度をあげようとしたが、長万部役場では、こんな騒動になるとまでは考えていなかったわけだ。
よって、今回の事件をきっかけに長万部役場は公式の謝罪文を出し、株式会社エムにまんべくんTwitterの中止を要請した。
今回起こったコトと言うのは、これだけのこと。
今回の事件は、「ネットの知識の薄い長万部役場がネトウヨにビビってまんべくんTwitterを中止した」だけのことで、まんべくん自体は何も悪いことをしていない。
「場」に参加する人間が買い手となり、売り手となる瞬間は間違い無く存在する。
しかし、それは複層的なもので、「買い手であり、売り手である」状態が継続しているといえよう。
ネット社会が発達するに連れ、「お客様」を諌める流れがより可視化されるようになった。
時に作り手、時に買い手となるマーケットにおいて、よく言われてきたことだ。
あるいは、まずコミケがあり、ネット文化が発達するに従い、オタクという媒介変数を通して文化文脈の共有が生まれた、ということもあるのかもしれない。
いずれにせよ、今は「場」において「お客様」と居直る人は、いわゆる日系企業的ビジネスシーンほどには構ってもらえない、というわけだ。
少し、話を飛躍、発展させる。
誰もが作り手になれ、誰もが買い手になれる流動性の高いマーケットにおいて先述した「お客様害悪論」は有効に機能するとは思う。
しかし、相互の分断が技術的、特権的な参入障壁の高さによってかなり決定的であった場合、果たしてこれは有効に機能するだろうか?
私は、そうは思えない。
たとえば、コンビニのバイトにいちゃもんをつける客がいたとしよう。
このとき、コンビニのバイト経験がある人からすれば、同情、あるいは不当ないちゃもんであると喝破できるようなケースもあるだろう。
しかし、コンビニのバイト経験に限らず、日本人はあまり多種多様な職業に携わり難い環境にあると言える。公務員ならまだしも、一般企業社員さえ副業をしている余裕はない。つまり、流動性ある複層関係が、固定化される単層関係に置き換わるわけだ。
こういう場合、互いが互いのバックボーンを知りえない事が多く、自分の立場を正当せしめようとする動きが心中に生まれる。このパワーバランスのせめぎあいの結果、これまでの日本ではお客様至上主義に傾き、固定化された、という見地に私は至った。
流動性を「場」が維持するには、膨大なエナジーを「場」が御しきり、かつ「場」に参与する複数の個人が自律した行動を取ることが求められる。ゆえに、そこにあるのは非常に強力なメンタルを持った個々人の集合体であり、統一された目標に向けて、エナジーを爆散させる。かくて活況となる「場」は時に外部にまで波及するほどのバイタリティを持つのである。
しかしながら、先に書いたとおり、これはかなりレベルの高い要求である。個々人のメンタリティ、バイタリティは様々であり、自律の程度においてもまた同様である。
また、人の省力的行動は、流動性を失わせる方へ作用させ、自律作用を失わせることも事実である。一度お客様の旨みを味わったものがなかなかに脱し切れないのは、ここが理由である。
さらに話を飛躍させれば、今の国政において我々国民の殆どはお客様同然である。我々も国政に積極的に参与できるのであるが、それに参与するためだけでもより高い体力が必要だろう。投票システムはこの分断を決定的にする。投票するだけで国政に参加できるなどと吹聴させられれば、より省力的手段としてそちらになびくのは仕方ないだろう。
ネット上の発言が元でブログやTwitterが炎上するのは今に始まったことじゃないが,
これらの事件がテレビや新聞などのメディアに取り上げられることも増えた。
これまで僕自身はTwitter上で実名を隠さずに発言してきた。
当然「飲酒運転なう」と呟いたことなどない。飲酒運転したこともない。
でも,もし判断力がなくなるまでお酒を飲んだときに目の前に携帯があったら,
一体どんな内容を僕が呟くのか誰も保障はしてくれないのだ。
あるいはパソコンの前から席を外した隙に,誰かが僕のアカウントで根も葉もないことを発言したら?
これらの不安が拭いきれなかったので,最近僕はアカウントに鍵をかけることにした。
この「匿名でいることが賢い」という状況が,今ネット上に漠然とした閉塞感をもたらしていると思う。
もう少し踏み込んだ言い方をすれば,2chを中心とした「炎上請負人」によるネットの集団統治が形作られようとしている。
彼らは基本的に正義だ。
例え憂さ晴らしが目的だったとしても犯罪の通報はやはり正義だ。
だがレイプ容認発言や有名人のプライベートの暴露は犯罪ではない。
しかし彼らは彼らの正義に基づいてネットの果てまで情弱を追い尽し,ついには社会的制裁を与えてしまった。
彼らによって言論統制されるか,あるいは実際に犯罪が減ったとしても,それは本当にネットのあるべき姿か?
僕はそう思わない。
定義としてはこんな感じ。
行動がリアルにフィードバックされるならHNでも実名界の住人(例えばpixivの絵師やニコニコの動画投稿者)で、実名でも中身が伴わず炎上でアクセスを稼ぐしか能がない人間は匿名界の住人。
既になっているという突っ込みもありそうだけど、それ以上に「日本のネットでは実名なんて流行らない」という声が大きいと思う。
匿名界からは既に自ら価値ある情報を作る能力のある人が失せつつある(自ら文章を書くテキストサイトの血脈が絶え、2chまとめブログが隆盛していることがその最もたる証)。
実名界からネタを引っ張り、他人の作り上げたものを無断転載したり、記事を悪意的に捻じ曲げて拡散して小銭稼ぎする程度しかできていない今、いつか実名界側から拒絶される日が来ると思う。
実名ネット社会が可視化され、非実名ネット社会、匿名界全てが2ちゃんねると同等の、アングラで低湿なコミュニティだとみなされる日が。
2000年代のテキストサイトはまだ自ら価値ある文章を作り上げていたために、その後ライターへと転進する道もあったが、今の匿名界ではいくら努力して上り詰めてもPV乞食以上のものにはなれなさそう。
ネットがネットとして魅力があった時代が終わり、リアルのサブセットに過ぎなくなったとき、誇れるリアルを持てない人間は、他人の足を引っ張ることに生き甲斐を見出すスラム住人に成り下がるような気がする。
同じ人が両方に属しててもいいだろ。
説明不足だったけど、実名界と匿名界とは住人が分かれるわけじゃなくて、「自己の価値を高める場」と「掃き溜め」とが完全に分断すること。
twitterでは価値のあるものを作り、ポジティブな意見に評価する一方で、2chでは何も作り出さず、無断転載だけして、ネガティブに貶すという使い分けは今でもあると思う。これが加速するとどうなるか?
実名界はより価値のある場になり、匿名界はさらに価値のない場所になっていく。
排除なんてするまでもなく、無価値で見向きもされなくなると思う。
両方に属せる人はそれでも救われる。リアルに拠り所がない人間は、無価値化した掃き溜めで生きていくしかないんじゃないだろうか。10年後にはそういう時代が来ると思う。
お前の言う「実名」と過去に主にマスメディア出身者がネットで主張していた「実名」ってのは全く違うぞ。
お前の主張では名前はweb上での言動、表現物に紐付ける識別子だが
過去主張された「実名」はマスメディアで認知されている通称は認めるが原則は戸籍上の名前って意味だぞ。
雑多に考えごとをアウトプットしたせいで突っ込みどころ満載で悪いけど、たしかに実名界匿名界って区分はあまりよくなかった。
ただ既に直接「戸籍名」は使わなくても、「識別子」を「戸籍名」と紐付けしている(そして晒されてしまう)人は増えてる。
言いたかったのは「匿名の人間に人生を暴かれる恐怖があるから名前を隠そう」という今の常識が終わり、「実名を出して活動した方がメリットがある」というパラダイムシフトが起きたら…という話。
「識別子」で活動してる人間はそこに経験値が蓄積されるし、もともと実名社会で影響力を持っている人間は匿名社会でも通用するけど、匿名社会だけで生きた人間はずっとLv1のままだよね、っていう。
まとめブログが隆盛って言っても、元の文章を書いている人は確かに存在しているわけよ。しかも匿名で。「匿名界からは既に自ら価値ある情報を作る能力のある人が失せつつある」はどうだろう。
まとめブログが転載している元の情報のうち、価値のあるものはほとんどが既に「識別子」で公開されてるものだと思う。
ニュース記事やpixiv、雑誌を無断転載したネタ、twitterの揉め事、海外の優れた考察なんかに対して、「匿名」の住人があれこれ突っ込んでいるだけ。
既に「匿名」にて意見を表明したり、作品を発表するメリットはない。影響力の発揮という点でもtwitterの拡散能力などに劣っていくだろうし、何よりネガティブだったり、多ID工作で誘導できたり問題が多すぎる。
ただその問題の多さは、雑誌やpixivの無断転載を「2chからの転載」とソースロンダリングしたり、罵倒や個人攻撃を「匿名社会の世論」とすることで免責するメリットでもあり、そのためだけに活用されていると俺は思っている。
自分の観測領域だけでモノ語りすぎじゃねえの?2ちゃんねらーにだってモノ作り出す奴もいるし、Twitterだって引用なのに自分の発言のごとくツイートしてふぉぼられるような奴もいるし。
狭い観測範囲で語ってるのは否定しないが、2chにもモノを作る人はいないと思っていない。大体、匿名ダイアリーに書くのが好きな人間にその感情が理解できないわけがない。
ただやがて減少傾向になっていくと思う。
理由は2点。まず人は批評に耐えられるほど強くあれない。まして匿名で罵詈雑言を受けてしまうと創作意欲が失せてしまうだろうし、調子に乗った「お客様」発言を咎める人間もいない。
「修正が遅いから、他の誰かが互換ソフトを作ってもいい」そんな何気ない一言がMMDを開発終了に向かわせたように。
もう1点。マイノリティを排除したがる今の2chの風潮。大多数が「嫌い」「オワコン」だと主張したモノに対しては言わせておくしかない。擁護すると「社員だ」「工作だ」などとレッテルを貼られるのがオチだ。
「自分の好きなモノを貶す人間は許せない」ならまだ分かるが、「自分の嫌いなモノを持ち上げる人間も許せない」という人間が非常に増えたんじゃないかな(これも観測範囲の問題だと言われそうだが)。
粘着質な少数に嫌われてしまうと何をやっても叩かれてしまうフィールドで作品を発表する価値はないし、作品を発表する人たちは現実側に軸足を置く人間のみ相手にするようになっていくと思う。
そういう例として、非モテタイムズ暴言事件におけるソラノートや、キメこな騒動におけるカオスラウンジがある。彼らは匿名側の非難を受け続けているが、それを無視して現実側で活動を続けようとしている。
そしてその結果、どうなるかはまだ分からない。ただ、俺には何も―匿名の住人が渇望するような因果応報は―起こらないんじゃないかという予感がある。
個人的にこの2つの事件が、匿名側の影響力が失墜し、実名側の発言力こそがモノを言うようになる第一歩なんじゃないかと思っている。(もっと以前からあったのかもしれない。炎上には大して興味がないので引き出しがない)
やがて現実に影響を及ぼせなくなった匿名側はより弱い人間を狙い、学生のショボい罪を粗探しし糾弾し、個人情報を祭り上げて鬱憤を晴らすような集団になるんじゃないかなとも。
色々考えてみた。
ネットがなかった時代を。
僕はよく2chをみる。見るたびに不幸になる気がする。
例えば恋愛のことについてを取り上げてみよう。
僕はモテる方ではない。背も低いしイケメンだとは思わない。これは主観的評価である。
それでは2chに書きこんでみよう。例えば恋愛ネタの掲示板があったとする。
他の人は嘘を書いているかもしれないし、本当のことを書いているかもしれないが、
本当のことを書いたとしても、見人にはそれが本当かどうか分からない。自分の時も然りである。
ここでネットがなかった時代に戻ってみよう。僕はこういった話を誰かにするだろうか、そして皆の纏まった情報を聴く機会などあるのだろうか。
噂や人の話の上では、不特定多数の情報を膨大に得ることなんて出来ない。大阪に住んでいて、見も知らない新潟の人の噂話を聞くなんて
まあないだろうと思う。殆ど小さなコミュニティの中だけだ。そういった話を得るためには、女の子の情報網や、積極的に収集する力がなければ
そもそも叶わないだろう。しかしながら僕はコンビニに置いてある週刊誌や、投稿による「実話」マンガなんかを元にしてそういった情報を得るかも知れない。
インターネットの正確性なんてこの際どうでもいい。
ただその膨大な情報量が人を不幸にさせる可能性がある、ただそれだけなのだ。
海の広さを知ることは本当に良いかどうか分からない。そもそも海ではないかもしれない。
井の中の蛙は池に行ったこともなければ、湖に行ったことさえないのだから、それが何なのかさえ
理解出来ないことだろうと思う。
この広さが心地良く、いつも止めることが出来ないでいる。
不幸さと同時に、時々すこしばかり幸福を分け与えてくれている気がしてならないのだ。
コメントも、トラックバックも、2chならレスをくれることだろうか。
ものの危険性を知ることは良いことだと思う。ただし止めることが出来なければどうしようもないのだが。
Togetter - 「地震に対する発言で蓮舫のTLが大炎上 」
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/110626
こいつらも普段は同じことをしてるだろ。代表的なのに、こんなのがあるが。
blackdragon 社会, ネット社会学 こんな言いがかりは、むしろ嫌いな政治家を叩くチャンスとして災害発生を喜んで利用しているわけで、非常に不快。 2011/03/12
嫌いな対象を叩くために、今回の甚大な被害である大地震を利用しているのは、はてなサヨクも同じ。例えば、また、産経叩きに利用してる。
はてなブックマーク - 阿比留瑠比の菅政権考「致命的な国家観の欠如」+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110312/plc11031207000005-n1.htm
こいつらは、新聞の全ての記事を大地震だけにしろということか?というか、こいつら、ネットばかり見て紙面を見てないのか?新聞の紙面は地震の被災とは関係なく、スポーツの記事とかも書いているわけだが。普段は、挙国一致の全体主義を批判しながら、地震以外のことで産経「だけ」を批判するところに、この大震災に乗じて産経を叩いてやる!というのが透けて見える。
それじゃ、アニメ報道しているテレ東は何か?菅政権考「致命的な国家観の欠如」というのは、実際に国家間が欠如しているのだからそれが新聞に載るのは当たり前。むしろ、産経の姿勢は正しい。この震災に乗じて挙国一致だからと、変な予算を通せば、それこそ国民の生活に直結する悪政になる。普段は、権力批判をしているつもりが、こういう大震災の時には都合よく政府に利用されるようになる方向性になるのは、普段の権力批判の底の浅さが知れる。こういう非常事態の時こそ、政府の誤った行動は監視するべき。
しかし、産経の紙面では大地震が殆どになってるのは当たり前だが。他の朝日とかも大地震以外の記事も載せてるんだが。お前らバカサヨクは、震災でどれだけの人命が奪われているのかも考えずに、産経叩き、阿比留瑠比叩きに利用するのはいい加減にしろよ、クズサヨクが。
地震以外の記事を批判するのなら、産経「だけ」を批判するな。テレ東のアニメとか、批判しないといけなくなるところがかなり出てくるな。整合性が取れないから。ほら、さっさとゴミクズサヨクは産経以外も批判しろよ。
他にも、原発問題が出たら、変な平和団体とかの奴らが、被災者の命なんかどうだっていいから、「反核!」とか言い出しているんだが。産経の記事以外にも、震災とは関係ない記事で、まさに批判されるべきところはある。嫌いな対象を震災を利用して批判するなと蓮舫の件で言うなら、「産経が叩けるから、大震災が起こってくれて嬉しい!」というのが透けているはてなサヨクのゴミクズどもも批判しろよ。
「動画サイト経由でかつてのヒット曲並みに大衆に知られた歌」が存在するはず。
でもそんな歌が昨年リリースされただろうか。
といってこの方がいうように音楽に価値を感じる人の数が減っていないかといえば
それほど楽観的な話ではない気もする。
AKB、ボカロ、フェス、どれもマニア向けの限定的な市場であり
これら全部合わせた収益がかつてのバカ売れ時代並みにはならないだろう。
今音楽はかつての歌謡曲のような「人とつながる」ための必要不可欠なツールではなくなっている。
音楽自体の価値、というよりは、音楽の役割が変わった、というべきかもしれない。
カラオケだけのために新譜が出る度4千円近くも出す人が、今のご時勢どれだけいるのか。
景気も悪く収入が減り、更に娯楽の対象が増えた今
大量消費型の使い捨て音楽にお金を注ぎ込める人間がそれほどいるとは思えない。
そんなこんなで今や音楽は一部のマニアだけのものとなりつつあるのだろう。
Ust等を介して共通の趣味を持つ人と一緒に、雑談しながら自宅で音楽を聴くというのは
Ustで聴いた曲をAmazonで買うという新しい流れも生まれつつある。
だが、現状ではUstで音源を流すためのハードルがあまりに高過ぎる。
ネット社会において、音楽(業界)は自身の「人とつながるツール」というポジションを放棄している。
音楽が聴かれなくなるのは当然だ。
そろそろ業界もフェアユースについて真剣に議論するべきではないか。
低廉かつ簡易な形で著作隣接権の処理ができるようにできないか。
又は著作隣接権をクリアする手数料を、非営利目的の場合は低価格(1曲100円)でiTunes Store等で決済できるようにするとか。
またパクリ騒動があったみたいだ。ニコ動でランキングに上がってたボカロ曲が削除されてた。
その動画に、たくさんのコメントが寄せられてた。トレスを糾弾していたり騒動を見に来ただけの野次馬らしきコメントが書き込まれていた。
ゆのみPの時もラノベで大々的なパクリがバレた時も、炎上したサイトには似たようなコメントが飛び交っていた。カトゥーンの曲もPixivなんかでもおんなじだった。
似せているから責められる。意図的であるとしか思えないから追い詰められる。
過ちは正されるべきなんだろう。創作物とオリジナリティを冒涜するような行為は少なくなるに越したことはないのだと思う。
でも、はっきり言ってとんでもなく怖い。加熱し暴走しかけた正義とか糾弾とか、目を背けたくなるくらいに醜く見えてしまう。
たしかに良くないことだとは思うけれど、それを是正するための機能として炎上がフィードバックされるというのなら、その機能は行き過ぎてる。
炎上の元となる発信者が良くないのは分かるけれど、だからと言って際限なしに直接的に攻勢に出られてしまうというのは無法的にも程がある気がする。
追求してはならないなんて言いたいわけじゃない。悪いことにはそれなりの処罰がくだされるべきであるという考えには賛成する。
でも、その悪いことと処罰との間に格差が生じすぎていると思う。一言で言えばやり過ぎな気がする。
一連の出来事はそれほどまでに向こう見ずな正義が集中しなければならない事柄なんだろうかと疑問とともに可哀想にさえなってしまう、
もちろん、発覚した悪いことと処罰との適合性に関して判断の基準は人それぞれなんだと思う。僕が行き過ぎだと思うことさえ、誰かにとっては手ぬるいと感じることだってある。
だからこそ、一定の基準を設けるべきなんだ。節度を持ってネットを利用するべきなんだ。
価値基準が混沌としているネット社会に節度なんて不適合な概念なのかもしれないけれど、暴走する正義だけはどこかで抑えなきゃならない。
一つ一つのコメントにはなんら力がなかったとしても、数は暴力となり得るのだ、自己防衛だけはなく誰かがクッションになる必要がある。
……
とか何とか書いてみたけど、現状無理だよなあ。自由であることがネットの特性であり、匿名の利点であるんだから。
ただ、発言する自由は保証されるべきだと思うけれど、発言を押し付ける自由は制限されるべきなんじゃないかな。
でも結局自分が心地良く利用したいだけなんだよなこれって。誰かの心地良さを犠牲にしてまで得るべきものでもない気がしてきたし。
どんなことでもそうだな。現状に何か気になる改良点を見出すのに、それを変えることによる利害の判断がはっきりしなくて現状維持に落ち着いてしまう。
全部そうだ。考えることが苦手なんだろうな。思考放棄。そもそも考えてもないし。感じたことを列挙していって、それで行き詰ってハイおしまいなんだもんな。
駄目だこりゃ。
http://anond.hatelabo.jp/20101203150748
もう、いいおっさんの年齢なんですが、先日、とあるWEBサービスを公開しました。
5年ほど前からぼーっと考えていたんですが、如何せん事務職の自分には”創る技術”が無かった。
優れた若い技術者(id:amachangとかうらやましい)や、チャレンジ精神あふれる経営者(id:hiroyukiegamiとか)が出てくる中うつうつとしている自分に嫌気がさし、4か月前の7月頃からHTMLやプログラムの勉強を始めた。
プログラム素人が試行錯誤を繰り返し、幾度もの挫折を乗り越えてエロサイトを作る過程を追った、感動のドキュメンタリー。
文明の進歩は常に性欲と共にあった…とは言え、ここまでブクマを集めたのはエロの力ではなく、彼の努力が評価されたからだろう。
2010年の増田において唯一の2000users越え。堂々の第一位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100219230508
そろそろ2010年も6分の1が終わろうとしているぜ。元日に立てた今年の目標はどうよ?今年こそTOEICで900点?今年こそ海外留学する?そんな目標は日々の生活に追われてすっかり忘れ去ってることだろう。社会人にとって最も重大な敵は日々の生活が忙しすぎることなんだよな。学生の頃はまだ自分が怠惰であることに自覚できる。「オレ(私)はだめなやつだ…」そんな自己嫌悪にも浸ってられるんだ。でも、社会人はそれがどんなにしょうもない仕事の内容であっても、「オレは毎日、仕事をしてるんだ!今日は英語の勉強をしなくてもいいことにしよう。週末にいっぱいやればいいや」って思うことができるわけだ。
ブクマはするが勉強はしない、ものぐさなブクマカ心理を考慮した、実践的かつ簡潔な内容が支持されたのだろう。
第二位だ。おめでとう。
ところで、TSUTAYAに海外ドラマのDVDを借りにいった後輩は英語ができるようになったのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20100307164305
「牛丼並盛で」
「牛丼for everybodyキャンペーン適用でよろしいですか」
「なにそれ」
派生ネタは…残念ながら広まらなかったようだ。それでも第三位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100419125641
ここ最近、会社の近くにすげえ気に入ったお店ができて、お昼は良く通ってんだよ。
しかし、かならず水曜日に糞DQN客が来て、水曜は避けていたんだ。
この前水曜日でもないのに、俺が飯くっていたら、そのDQN客がきやがって、「うわ~最悪」と思ったけど、食べはじめたばかりだったので、どうしようもなかった。
女性や老人がDQNを撃退して傍観者がメシウマ、というよくあるネタだが、これは展開の斜め上っぷりが人気の要因か。
第四位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101211092522
本当にババアどもはろくな事しないな、ということで
モンスターペアレントを激しく批判してみたら意外に支持を得て戸惑っているエントリ。
四位のエントリもそうだが、みんなDQNを攻撃してスカッとしたいんだよね。
第五位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100904122315
自分のブログに書こうとも思ったのですが、会社が特定されてしまいそうなのでここに書きます。どこかに書かなければならないと思ったのは、この事実を誰かに伝えなければならないと思ったからです。
私が勤めていた会社はシステム屋さんです。2タイプの職場があって、一つはお客に注文を受けてシステムを開発してリリースして終了。もう一つはお客の会社に居候させてもらってシステムの維持管理をするというものです。私は後者のほうです。
お客は工場も複数構える結構大きな企業で、様々なプラスチック製品やコンピューター部品を作るところであります。日本だけじゃなくて海外とも取引があったと思います。
こういうエントリがよく伸びるのも、SEが多いはてなならではか。
真偽が怪しいところは増田らしいとも言える。第六位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100423202625
私はTwitterが怖い。これだけ人気があるサービスだけれど、私は少なくとも三つの問題点を見て取れる: 1)Twitterは心理学にいう「間欠的不規則報酬」のほとんど完璧な実例である。これはスロットマシンが人を惹きつける仕組みと同じ。 2)Twitterを使うことで得られる強力な「人とつながっている感覚」は、脳を騙して「何か有意義な社会的交流を行っている」と思わせてしまいうる。その一方で、脳の別の(古い)部分では、そこに人間の生存にとって重大な何かが欠けていると「分かっている」 3)Twitterは「常時マルチタスク状態」の問題を悪化させる要因の一つであるーーもしかしたら他のものよりもっと強力かもしれない。Twitterをしながら(もちろん、emailでもチャットでも同じ)、深く考え込んだり、フローの状態に入ったりすることはできない。
心理学・脳科学的なエッセンスを混ぜ込むと、何故だか記事の説得力が上がるというテクニック。皆も真似してみよう。
第七位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20100620143255
俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日本にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。
英語学習の限界を悟りつつ社会人として本気で英語を学習するはてな村民マジかっけー!
第八位。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101022175359
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
ネット社会の将来に関する翻訳記事。個人的にはいちばん面白く読んだ。
第九位だ。おめでとう。
http://anond.hatelabo.jp/20101122004732
「うん」
「結婚願望は、特にありません。」
このシンプルな見出しの中に村民を釣るためのキーワードが四つも入っているよ。
第十位に滑りこみ。おめでとう。
以前「小学2年生の読書感想文に2,000ブクマが付くことへの違和感」を投稿した。
http://anond.hatelabo.jp/20101023004716
これについていろいろと批判のコメントを頂いたようだが、自分としてストンと落ちない。
結局、根源的には
「15歳未満の児童の氏名が、ネットや世間に開示されること自体、
マズイんじゃないか」と自分が思っていることが違和感の原因のようである。
あくまで自説であるが、
「15歳未満の児童の氏名がネット社会に開示される、というのは
自らの児童ポルノ画像が氾濫しているのと同レベルにマズいんじゃないか」
と感じてしまう。
自己決定能力が薄弱な15歳未満が、親のススメで読書感想文に応募して
それで入賞してはてブで「これはスゴイ」として2,000ブクマを集める、
果たして妥当な判断と言えるのだろうか?
なので、違和感ということで言えば、まさに
「天才子役の●君」とか
「天才棋士の●君」とか
「リトルリーグの●君」とかにも感じる話。
暴論であるが、「TV等で子役を禁止しろ」とは言わないが
「子役の氏名の公開を自粛しろ」とは思っている。
報道は「氏名が判らない子役A君」でいいじゃないか。
それを氏名を同定して、「未来のスター」なんて煽ってしまうから、
様々な不幸が押し寄せる。
周りでやっている人が多いからって始めたmixi。
実際に初めは楽しかった。
日記を書けば大抵は何らかのレスポンスがあって、そこから会話の輪が広がっていく。
そして何より今では直接会うのが難しくなった友人の近況をも知ることが出来るしとても便利な機能だとは思っていた。
当初は実際にそう思ってたけど、それも凄く昔の話。
いつもの習慣でmixiにログインしても友人が愚痴や不満、悩みなどを書き綴った日記やpostばかりが書いてある。
そしてそれを励ますコメント、ボイス。
…ふと我に返った。
そんなのを読んで何が楽しいのだろうか??
ネット社会とは現実世界にはない各々が楽しむ世界だと思ってる。
同じ趣味同士で集まって語り合ったり、コミュニケーションを図ったりするものだと思ってる。
しかしなんだこれは。
ネット上でやりとりしてるという事実なだけで現実世界のそれと何ら変わりない。
どうして現実世界のしがらみをネット上まで持ってこなければならないのか??
自分としては癒しであるはずのネットが他人の愚痴を読んで不快になるだけ。
一日悩んだけど停止では意味がないと思い垢削除した。
僕はmixiに何を求めていたのだろうか…?
その彼女がモバゲーにハマり、しばらくすると僕にもモバゲーを勧めてきた。
人を招待すると彼女にメリットがあるようだ。登録はしたが、僕は放置。
放置して数週間。
最初は気にならなかったが、更に数週間経つと彼女はモバゲー中心に生活をシフトし始めた。
話題の怪盗ロワイヤル。宝物を集めるため、夜中に行動し始めた。夜中に動くほうが有利らしい。
さらには課金を始め、完全にモバゲーが彼女の生活を侵食しはじめた。
20代も半ばを過ぎて、いったい何を考えているんだろう。
この辺りからだんだん気持ち悪くなってきた。
そして彼女に「気持ち悪いからいい加減に辞めてほしい」と言ったところ、彼女は逆ギレで「みんなで力を合わせて宝を集めようとしてるのに、がんばっている人に対して失礼だ」と返ってきた。唖然とした。
ある時、モバゲーに潜入してみた。
怪盗ロワイヤルのウインクというメッセージのやり取りを見ていると、モバゲー内に彼氏がいるようだ。
本格的に気持ち悪い。だんだんどうでもよくなってきた。
一生懸命になれることがあるんなら、好きにしたらいいんだよ。
ただ、やっぱり彼女が気持ち悪い。
一般社会では罪の重さに応じた刑罰を受ける
ネット社会では次のターゲットが出てきて飽きられるまで刑罰を受ける
それだけだな
彼らはネット右翼という言葉だけで反応する。反応すればするほど自分たちがネット右翼であると叫ぶようなもの。
それでも彼らはネット右翼という言葉に反応せざるを得ない。かつてこれほど「彼ら」を具体的に示した言葉はなかったから。
レッテル貼りではないのだ。これは彼らの力を弱体化させ、彼らがネット上にばらまいた汚物を少しでもなくすためのプロセス。
つまりは、ネット右翼がこの世から消える必要はない。だが、ネット右翼が表(ネット上の明るい場所)に出られないようにすれば、それだけでもっとネットは使いやすくなる。
だからこれはまさしく闇を照らす光。闇に巣食う者は光には勝てない。この光を消さない限り、彼らが表に出てくることはない。
確実にこのことに気付いている者はいる。
ネット右翼は集団洗脳によって無意識的に団結できるようになっており、少しでも彼らの怒りに触れるような書き込みを行うとすぐさま集団で攻撃してくる。
特にこの増田ではおそらく8割以上はネット右翼もしくはその因子を持った人間だろう。残りは彼らとは関わりたくないと思っているメンヘラや何にも関心がない無関心族で、真実に気付いた人間はほとんどいない。
だからこそ、ここを彼らの安住の地としてはいけない。ネットに逃げ込みネットを食い荒らすことは決してこれからのネット社会にプラスとはならない。
多くのポータルサイトが彼らに乗っ取られつつあるが、それを黙って見ている人間も決して少数ではない。「ネット右翼」という光(言葉)があるからこそだ。この火を絶やしてはならない。
このネット社会の大部分はネトウヨ的思想を少なからず信奉しているところがある。
現実社会では、右翼である自民党と左翼である民主党では、半々といったところだが、
ネットにおいては不思議なことに右翼が大勢を占めている。これはなぜか?
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それはともかく、ネット人口の大半は、ニートとか、暇な学生とか、そういう社会的に地位の低い人間であることには違いない。
そういう社会的に地位が低い人間であれば、この世の不条理を感じ、政治体制に対する反発を感じるのが本来であろう?
ところが、いまのひとはおかしなことに、そういう地位が低い人間でも、ネットという居場所があるのである。
居場所があって、そこそこ楽しく毎日を過ごせるから、あろうことか、自分たちが勝ち組とカンチガイしてるおめでたい人も多い。
せっせと働いて中途半端な収入しか得られないよりは、働かなくても毎日ネットで楽しく過ごせるなら勝ち組ではないか、という思想である。
まったく怠惰で低俗過ぎて話にならない連中だが、このネットを利用する以上、そんな人間が多くを占めるわけだから無視できない存在である。
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で、ネトウヨの話に戻るが、本来なら低級プロレタリアートのような社会的地位の低い人間は体制に反発する左翼だったのに、
いまはニートが多いから、社会的地位の低い人間=右翼になっているという珍現象が起きている。これをネトウヨというわけだ。
彼らは自分たちが勝ち組と頑なに信じてる割には、その心の底では、真の勝ち組に対する嫉妬が渦巻いており、鬱屈した感情を日夜ためこんでいる。
だから、ネットの人というのはリアルよりも意地汚いし性悪なのである。
そして、物事に対する偏見もはなはだしい。だから、ネットを利用していると、その人たちの歪んだ偏見に洗脳されることになる。
それまで偏見の無かった人でも、失職してニート生活を余儀なくされると、ネット漬けになって、歪んだ偏見に染まることになるわけだ。
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で、右翼と来れば、韓国人、在日への差別と相場が決まっているから、当然、在日の多い大阪への差別も激しいわけ。
大阪人は韓国から帰化する人が多く、当然韓国との混血が多いので、長い歴史の中で大阪人は韓国人のような顔つき・性格・気性になったというのは事実である。
これが悪いことだとは限らないのだが、ネットの人達は口をそろえて、大阪人はクズの集まり、大阪民国は日本じゃありませんから、などと言う。
彼らの追いやられている社会的背景を上記のように考えれば、この発言はもっともではあるのだが、やはりこれは差別・偏見と言わざるをえない。