はてなキーワード: 赤ちゃん返りとは
男性の育休義務化反対!おかあさんにこれ以上負担をかけないでほしい。
きっと毎日が日曜日のように楽しい日が過ごせるって本気で思ってたんだ。
しかし結論から言えば、仕事より家で育児をしてる方が楽だと踏んだ主人は2歳0歳の育児に耐えられず、育児ノイローゼになり、私は主人のフォローをしつつ実家に帰る日々を送っている。
・夜泣きの対応は私が担った上に長男の朝ごはんの準備や洗濯で慌しく動いてる私を尻目に悪気なく朝9時まで寝てる。
・子どもの面倒を見ておいてと頼むとテレビをつけて放置。自分はスマホゲーム
・私が家事をするのは当然だけど主人が家事をすると私に感謝を強要。
・上の子と散歩に行けば疲れた疲れたと言って寝転び夜まで起きない。
赤ちゃんが泣いてもスマホに夢中ということが目に余り、また私の目を盗んで寝ることも多かった。
私は主人の分の家事やら食事の負担が重く感じ、抗議していたが返ってくる答えはいつも疲れただった。
十数年間会社に尽くし同僚と切磋琢磨していた主人は、人間関係が閉じられ毎日同じ作業でやっていることの成果が見えない生活に悲鳴をあげていた。
またイヤイヤ期の上の子に対してもう離れたい、殴ってしまいそうだと言うことが多くなった。
今はお母さん達の産後うつなんかが周知されているが、男性も育休を取ると単純に鬱の確率は2倍になる。
無気力状態の主人。主人と遊びたい上の子は遊びに誘うが、空返事だったり逆ギレされたりで泣くことが多くなった。
上の子を一時保育に預けようと保育園に電話をしたら一番早くて1ヶ月待つ必要があるらしい。
周りに少しずつ助けてもらったが、最後は私が気力で切り抜けるしかなかった。
ストレスが溜まるからと子ども2人を公園に連れて行き、イヤイヤと疲れで、合わせて20キロ以上ある2人の子どもを抱っこして帰った。
ご飯はレトルトカレー連発で、夜泣きをするわが子にもう嫌だー!と叫んだ。
せめて主人だけでも仕事に行ってくれたらどんだけ楽になるか
世間は男性が育休を取れば幸せな子育て期間になると信じすぎてないですか?
違うんです。
我々世代は働く父に専業主婦の母親が育児という役割分担を見ていたのに、いきなり家事も育児も分担って厳しいんです。
育休義務化ってワンオペ激務の仕事に新人を送り込むことと一緒で、こいつの教育もお願いってもう、無理!
しんどかった
最近の薬は多量摂取してもそうそうひどいことにはなんないって思ってたけどそれは市販薬に限った話か
鼻カテーテルで胃液抽出されたのは入れるのも出すのもいれてる間もずっとしんどかった
尿道カテーテルは出し入れするとききつくて入れてるときは割と平気だった
要注意患者ってことでナースステーション近くのベッドにいたけど、そばのジジババがボケててうるさくて全然寝れなかった
父方の祖父はナースコールがオオカミ少年化して本当に大事なときに駆けつけてもらえなくて死んだらしいが、
というか普通の病院のはずなのに老人ホーム、精神病院にいるみたいで発狂しそうだった
すでに精神病んでるはずなのに
唯一の楽しみだったのに一番おいしかったのはプライベートブランドののりたまふりかけ
オレソーセージエッグ食べるのっつーか朝定食べるのはじめてでワクワクもんだぁって思ってたのにその期待をあっさり裏切りやがって
点滴と尿カテでずっとベッドにいる
でもなんとなくみんな活力があっていきいきしてる気がした
死んだようにデスクワークしてたオレとは大違いだ
30分、下手すりゃ10分ごとにナースコールされたらたまったもんじゃないしな
隣できいててほんといたたまれなかったわ
さびしーんだろうなあ
おじーちゃんがきてるときはそれなりにしっかりしてるようにみえるし、毎日こなくていいのよなんていってるのに
さびしいのはわかるけどスタッフはずっと相手してるわけにはいかんしなあ
年取ったらどんどん赤ちゃん返りして1対1のコミュニケーションがまた必要とされるようになってる気がするわ
寂しくなったおばーちゃんがおじーちゃーん!って叫ぶのにたいして、そばのベッドのおばーちゃんがハーイ!って変死するのは少しフフっwてなったけど
でもナースコール無視されるようになったからって戸棚の引き出しや扉をバンバン開けしめするのはやめてくれよ
ほんと発狂しそうだったわ
全然マシなんだろうけども
とにかく退院してまたいろいろあってやっぱり死んだほうがよさそうだから片付けして死ななきゃ
やるなら絶対くびつり
※注意※
【未来のミライ】を見てきました。
賛否両論ありますが、個人的には細田守監督作品のなかでは一番好きです。鑑賞後勢いでパンフレットも買いました。
見終わった日の夜は「いい作品を見た!」と最高の気分で眠りについたのですが、朝起きてツイッターのレビューを確認して唖然。
とんでもない酷評を見て、映画にいちいちエンタテインメント性を求めすぎではないか?監督が作りたいもの作ってなにが悪いのか?と面倒くさいオタクが花ひらいてしまいました。
まず、この作品を一言で表すのならば、「現代オタク向けおもひでぽろぽろ」。残念ながら時間軸を通したアドベンチャー・ファンタジーではありません。
ただし、主人公としての焦点は、未来ちゃんの兄であるくんちゃんに当てられていますし、当の未来の未来ちゃんのいる時間軸の未来のくんちゃんもそれほど出てきません。なんなら未来の未来ちゃんもそれほど出番はありません。
この話は、くんちゃんが未来ちゃんをきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく「くんちゃんの成長日記」なのです。
タイトル詐欺かと思われますが、未来ちゃんがいなければくんちゃんはお兄ちゃんとして成長できなかった。そして、未来ちゃんの未来を形作っていくのは、くんちゃんをはじめとした家族や周りの人々・環境ということになります。だから、【未来のミライ】なのではないかと私は思います。しかしながら、家族のルーツを辿って家族賛美をしているわけじゃありません。パンフレットのなかにも「愛をめぐる話」とあります。今まで当然のように受けていた愛が急に別の人に注がれるのは子どもだって、大人だっていやだと思うのは同じです。繰り返しになりますが、この映画は「くんちゃんが未来ちゃんをきっかけとした愛を巡って人間的な成長していく」のが本筋なのです。
そういえば「(雛人形を気にするなんて、)未来ちゃんが女子高生らしくない」というレビューも見かけましたが、未来の未来ちゃんは中学生です……。
次に、「子どもを知らない人」にはこの映画、あまりおすすめができません。この作品には子どもの「よくする行動」が多くでてきます。
片付けしなさいと言われたときについつい物を広げて遊んでしまったり、黄色いパンツのくだりみたく自分の思い通りにいかないときは駄々をこねてみたり、自分が未来ちゃんにかまってもらえないときは理不尽に「好きくない!」と言ってみたり……。とにかく子どもはそういう行動はよくするんです。くんちゃんが夏の日に置いて行かれた時の反応や、誰もいなくなった静けさなんかは特に子どもの感覚に寄せて作られた作品であるともいえます。
くんちゃんは4歳です。ということは、学校にもまだ通っていない未就学児です。学校で叱られることもなく、くんちゃんにとって集団社会は家・家族という限られた空間の中にしかありません。その中で一番若くてかわいがられていれば、大抵の場合暴君になるでしょう。そんな暴君が、若干スレた姿を未来の未来ちゃんの時間軸で見せます。学校に通って家族や家だけでなく、外の世界の空気に触れて、やっと大人に近づくのです。スレることが大人への一歩というには些か問題ありますが、成長過程においてはそういう道もあるのかな、と思います。
さまざまレビューで、くんちゃんがクソガキすぎてみていられないと書かれているのを見かけました。実際クソガキはあんなもんじゃないです。これは一般的な例ではありませんが、家族以外の人には「嫌い」と言いながら唾を吐きかけてくることだってあります。そういった体験もあって、雛人形のくだりを見ていると、お父さんの目をゆっこと未来の未来ちゃんから自然に逸らそうとするくんちゃんは聞き分けがいいというか、とても頭がいい。すごい(小並感)
ストーリーに関しては、「ジャンル:創作」の超大作同人誌のように思えました。
スコンスコン!というハッキリしたストーリーの筋があるわけでなく、くんちゃんがお兄ちゃんとして、人として成長するためのステップが淡々と現れます。家族全員のルーツや思い出をたどるには壮大すぎて描き切れなかった部分が多い気もしますが……。それは抜きにしても、1ステップずつのこだわりが強い。ゆっこが擬人化したり、くんちゃんが赤ちゃん返りのはずみでゆっこになって走り回ったり、未来の未来ちゃんがかわいく恋してたり、お母さんもお片付けできないくんちゃんに似てたり、ひいじいじがかっこよかったり、ひいじいじがかっこよすぎたり、未来のくんちゃんが軽くスレてたり、くんちゃんが未来の東京駅に迷い込んだり。あ~、監督こういうの描きたかったんだな~というのがそれぞれの描写で伝わってきました。そういった節々のフェチ感が私は好きでした。こじらせたオタクも、たぶん好きです、ああいうの。
家族の描写は、「恵まれた家族」というよりは「安心できる家族」のほうが印象が近いかと思いました。くんちゃんが何かしでかしても、なんだかんだどうにかなってしまうので、見ていてとても安心するのです。家族のバランサーであるお父さんも、奥さんに怒られ子育てにハラハラしながらも、地道に努力していくんですね。影の主人公は実はお父さんなのではないでしょうか。過去にこんなことがあって、こんな成長があった、と見ている私たちも人生を振り返ることのできる良い映画だと思います。
キャラクターに関しては、じいじとばあばを除けば強烈なキャラクター付けをされていました。
私はゆっこが一番好きです。犬が好きだというのもありますが、いいおじさんのくせに自分のことを王子だと言ったり、敬語でしゃべったり。最初は「なんでこんな人間みたいな顔した犬なんだ」と思っていましたが、最初にくんちゃんと人間の姿で出会うシーンを経ることで、ゆっこという「犬(家族)」の人間くささをより思い知ることになりました。彼が初めに登場することで、この物語はただ子どものリアルに寄せた話ではなく、異質を伴った子どもの妄想、つまりはファンタジーなんだぞ、というのが伝わるので、かなり重要な立ち位置だと思います。
あと、忘れてちゃいけないのはひいじいじ。まごうことなきイケメン。あからさまに「こういうお兄さん好きだろ」と言われているのが見え見えなのですが、まんまとはまったのが悔しいです。あれをカッコいいと言わずしてどうする。また犬に続いて馬もすき、続いて私の父もバイク乗り。思うところありありで呟かれる「下は見ねえで、遠くだけを見ろ」のセリフ。成長せずにはいられない。戦争で生き残って、なおも前向きに生きようとした人生の縮図のような言葉。罪深い福山雅治。
最後に未来の未来ちゃん。未来の未来ちゃんについてはストーリー上ではふんわりさわったかな?くらいの描写だったのですが、あの気の強さはお母さん譲りなんですよね。それから手のアザ、あれは未来ちゃんが未来ちゃんであることの証明になっていました。髪の流れや面影はあっても、あの手のアザがなければくんちゃんが未来の未来ちゃんであることを瞬時には認識できなかったでしょう。
子ども独特の危うさを感じる重心運動がこれでもかというほど詳しく描かれています。生まれて間もない赤ちゃんの柔らかさ、ふんわりぷにぷに。長年アニメを見てきたオタクとしても「すげ~!」と声を漏らしそうになるもたもた感の描写、ただ動いている様子を見ているだけでも楽しかったです。家に入ってくる光の表現もまたまた綺麗。ジブリ映画などとはまた違った、ギラつきのない自然光の美しさが映画にはあふれていました。また、家という閉鎖空間からでは感じ取れない四季を表していたのがあの樫の木ですね。たまに入るCGもくどいと言ってしまえばそれまでですが、細田作品の醍醐味でもあると思います。それがファンタジーであることの証明にもなりますから。
https://anond.hatelabo.jp/20171026133336
https://anond.hatelabo.jp/20171026180918
これまでFBのタイムラインに流れてくる記事をたまに読むくらいで自分で書くには至らなかったけど、上二つ読んではてなアカウント作ってしまった。で、書いてる。
私は育休とって3年になる。一人目の子が三歳になる少し前に二人目が産まれた。
育休をさらに3年、ぶっ通しで6年とる予定。
なんでこんなに長く休職するのか?
本当に戻る気あるのか?
戻る気なければ辞めるのが筋じゃないか?
3年間自問自答してる。
仕事で徹夜する気力体力が衰えてきて、さらに自分はこれまで学歴なんかを背負って仕事できる気になってたけどどうやらあまり仕事が得意でないらしい、と気づいた頃に結婚出産した。それで子育てと家事にどっぷりはまってみたかった。
と、夫がちょうどキャリアのヤマを越えなきゃならない時期に差し掛かってて、冷静に夫が仕事、私が家事育児がんばるのが合理的だよねと夫婦間で暗黙裡に合意してるからだ。
結果、子供がかわいいのとブランクが長すぎて仕事に戻れる気がしなくなってる。
産後長くても一年ちょっとで復職するべく保活の波にのって、まだよちよち歩くか歩かないかのかわいいわが子と離れる辛さを乗り越えて、いろいろ割り切って仕事に戻らないと、復職が遠のくばかりだ。
なぜかって?
上の子が一歳を過ぎると子育てが一気に楽しくなった。歩けるようになり、言葉が少しずつ出てきたからだ。一緒にお出かけできる。意思疎通がはかれる。家事もはかどるようになる。
そのうち二人目を妊娠した。上の子と二歳差だ。また2年くらい育休とって、二人まとめて保育所に入れて復職するつもりだった。そしてその頃には夫の今後のキャリアパスがほぼ見えてるはずで、私が復職する前提で都内に家でも買おうかみたいな思惑も交ざってた。
だったんだけど、二人目を死産した。
辛かった。年取ってから子供に恵まれたので、一人でも十分幸せだと思っていたけど、二人目を喪ってみると、どうしても諦めきれなかった。
そして信じられないくらいすぐに、また妊娠した。三人目(実質二人目)が産まれた時には上の子が三歳になってた。
正直、育休を続けて取るとき「私これでもう2年か3年休んだら会社に戻れないんじゃないかな」と思った。
その時点で会社にはもう3年間足を踏み入れていなかったんだ。いつのまにかオフィスが移転し、社員数がどっと増え、自分の居場所なんてあるわけないだろうと思っていた。
上の子はたっぷり3年間一緒にいた。多くの保育所ママが「おむつなんて園に外してもらったようなものよ〜」と話す傍ら、家庭内でトイレトレーニングをやり切った。
夫は月の半分くらい出張でいない。さらに平常でも職場に泊まり込むことが多い。
ワンオペ育児は辛かった。子供の笑顔を間近で見られる幸せで乗り切ったけれど、
育児素人の私がやるより保育士さんに見てもらう方がいいんじゃない?
復職して多少なりとも稼ぐ方が短期的、長期的に経済合理性高い?
何より私が精神的に楽じゃない?子育てを一人で抱え込まなくていいもん。仕事して外の世界と関わりたいよ。。
ちょっといいコーヒーを一人で飲みに行きたい。仕事用にスーツ着たい。毎日自分のために化粧して、仕事にアタマを使いたい。
なんて悶々としていた。
だから次の子は一歳すぎた頃に復職しようと考えた。念のため3年間とって、それより早いタイミングをうかがおうかなと。
でも、下の子が産まれてみるとすんごくかわいい。授乳でも何でも、上の子の時はひたすら辛かったことが驚くほど楽になった。
もうすぐ4ヶ月になるけど、本当に天からの授かり物を育ててる思いだ。
上の子と同じだけ見てやりたいと思うと同時に、今度は上の子が赤ちゃん返りもあってだんだん難しくなり、これって発達障害じゃないの?といった性格が出始めた。
自治体を通じてカウンセラーに相談し、今度再検査することになってる。
「お母さんが復職されるまでに専門医や療育関係の機関を回られるといいかもしれませんね」とカウンセラーの言。
上の子はいつまでたっても初めてのことだらけだ。子供が成長すればするほど手がかかることを知った。
自分も会社の制度と女性が輝く社会を目指すスローガンにぶら下がってるように見えるんだろうなと思った。
と同時に、恵まれた環境の人は、仕事に対するモチベーションがそんなに強くなくても、復職後十分にやっていける、むしろそれくらいの方がうまくいくのは本当だろうと思う。
そして私のように、自力以外に頼れる人手がなく(親は地方在住)、仕事に対するモチベーションも立派なものではない、そんな働き手は誰が見てもお荷物だろうと。
念のため、育休中は無給だ。とはいえ一人目のときは雇用保険からの給付金を受け取り、二人目、三人目も健保から出産手当金をもらってる。
でも子供は手がかかる一方で、とくに上の子のことを考えると、会社より子供を優先させたい。復職してもパフォーマンス悪すぎだろう。
だらだら独り言を書き連ねたけれど、そうだね、ぶら下がってるように見えるよね。
雑誌のVERYってあるでしょ。VERYは去年かそれより前くらいから「リーマム」の造語を使ってる。週5オフィスに出勤する素敵なママのことらしい。
週5働けば、当然子供に割く時間が限られる。どんなに優れた外部の保育者を通しても
子供のことを全部把握するのは難しいと思う。
そのぶん自分の価値を高めることにエネルギー配分できる、というかせざるを得ない。
そして子供に還元するなら、自然とお金で買えるモノコトになる。洗練された服、上質なおもちゃ、英語やピアノの習い事に幼児教室。旅行かもしれない。
親がいいと思えて子供が十分に愛情を感じるならばそれでいいのではないか、と思う。
でも私はそれができずにいる。
割り切ってしまえばいい。育児を外注すればいい。夫婦の老後や子供の教育など備えはいくらでも必要だ。
それでも私は、毎朝3時に起きて家事をして、5時半に夫を送り出し、下の子の世話をしながら7時に起きる上の子の食事の支度をする。日中は公園と児童館をはしごする。
夕方5時にはお風呂に入れて、6時に夕食。7時半に寝かしつける。
子供が好きで会社に戻れないならいっそ辞めれば、との声を聞いた気がした。
子供への愛情と復職は違う話だろうとのツッコミが当然あると思うけど。
中途半端に戻っても育児を楽しみながら会社に貢献するなんて実現不可能な幻想かもしれない。
育児そして自分自身を充実させながら仕事を続けることで足を引っ張ってしまうならば。
休職前はたいして仕事力がないなりに、精いっぱいがんばってきたつもりで、自分にできることがあればどんな仕事でもいいからまた働かせてほしいと思っていたが、ふつっと糸が切れた気がした。
それでも何か糸口を探したいよ。別に自分が輝かなくてもいいけど、家族を満足させられて、社会貢献可能な道筋を。
大学出てるし(税金つかってる)社会人になってからはいろいろな人に世話になった。皆さん口を揃えて「別に自分に恩を感じることはない。後輩社員達に同じようにしてあげて」と言っていた。まだ私は何もできてない。育児の区切りがつけば会社で恩返ししたかったけど、区切りをつけられなければ外ですべきなのか。
何を取捨選択しても自由だけど自己満足にならないように、とあらためて思う記事だった。
追記)
コメントありがとうございます。恐縮してます。
夫ときちんと話し合っていないのではないのかのご指摘がありましたので追記します。
確かに書いた内容そのままを直接ぶつけたことはありません。また明日から出張なのでフライト中にでも読んどいてと言っとこうと思います。
ただ、子供のことこれからのことはわりとよく話してるかもしれません。
何がしかの隔たりを感じさせるとしたら、夫と私の働く業界が全く異なることが一因かと思います。
(夫は公務員で今は中央、全国転勤あり。男性の育休制度はあっても運用実態ほぼゼロ。同僚家庭の専業主婦率すごく高い。私は都内のIT関連企業)
自分に答えがないので話すのをためらっていましたがいい機会かもしれませんね。
3歳0歳二児の母です
0歳はまだ生後1ヶ月だから、二児の母になってまだ1ヶ月
日々の育児に奮闘していますが、なかでも兄弟2人の寝かしつけは、てんやわんやです
入眠時が1番たいへんで、次男が泣くとまず長男は気になって眠れない
長男は赤ちゃん返りも併発しているので、寝るときは私にくっついて寝て、かつトントンしてほしいという欲求があります
次男は次男で、抱っこしてゆらゆらしないと眠れないし、入眠しても30分て泣き出したりします
長男が寝かけると次男が泣いて起きて、次男を寝かそうとすると長男がトントンして欲しくてグズグズして、文字通り手が足りません
千手観音レベルとは言わない、せめて天津飯みたいに気合いで手があと2本だけ生えてくる秘技を身に付けたい…!と悶える1ヶ月でした
それにしても、抱っこで揺れないと寝ないっていうのは赤ちゃんあるあるだと思うんだけど、これって特定の哺乳類には共通して起こることで、
緊急時、母親に抱かれて移動するときに子供が大人しくなることで、輸送を助けるという本能だそう
外敵に襲われて抱っこで逃げてるのに、子供が暴れちゃったら生存に関わるもんね
なので、母親が抱いて移動するそぶりをすれば、赤ちゃんは協力スイッチが入って寝てしまうのです
http://www.riken.jp/pr/press/2013/20130419_2/
で。
そんな2人の同時寝かしつけ、本日はあぐらをかいて左足に長男の頭を乗せて左手でトントン、
右足の内側に次男を乗せて固定しつつ、膝を上下させて右手でお尻をポンポンして輸送反応を刺激することで
無事、最速で同時に寝てくれて、「私って…私って出来る女!!」って、喜びを噛み締めているところです
たぶん二児のお母さんならみんな身につけてるのかもしれないけど、
二児の母ビギナーの私、
しかし、子供が進化すると(次男が立って揺れてるのと座って揺れてるのの区別がつき出したらアウト)、
今日、上の子を幼稚園に送っていった後に下の子を連れていきつけの子育て支援センターへ行った。
そしたらフロアの片隅で赤ちゃんが哺乳瓶を抱えて一人でミルクを飲んでいた。それをちょっと離れたところから職員さんが見守っていた。
赤ちゃんはとてもご機嫌そうに足をバタバタさせていて、見守り役の職員さんや通りすがりの私と私の子供と目が合うとニコニコ笑った。赤ちゃんっていうのは何故かミルクやおっぱいを飲みながら人の顔をよく見るものだ。
そういえば私が子供の頃もこんな風に一人でマグマグを抱えて飲んでいたなぁと思い出した。
普通、3歳位までの記憶は綺麗サッパリ忘れてしまうものらしいけれども、私は、薄暗い部屋、ベビーベーッドに寝転んでマグマグを抱えて熱心にチューチュー飲んでいた時の事を覚えているのだ。しかしその映像を覚えているものの、当時何を思いながらそうしていたのかは覚えていない。しかし不幸せというよりどちらかといえば幸せだった様な気はする。
赤ちゃんのお母さんは、上のお子さんの遊びに付き合っていた。上のお子さんはまだ2歳になるかならないか位。まだまだお母さんに甘えたい盛り。たぶん年子の兄弟なのだろう。
どこんちもそうだろうけど、下の子が生まれた時は上の子が赤ちゃん返りをして大変だった。
当時の事は疲れ過ぎてたせいかあまり覚えていないのだけど、一日の大半を上の子に振り回されていた。
下の子は常に腕に抱きかかえておっぱいにぶら下げてはいたものの、あまりかまってあげる事は出来なかった。
慌ただしい日々のなかで強烈に覚えている事がある。それは夜、寝る前になると上の子が決まってママが良いと大泣きをしたので、下の子は夫に任せて私は上の子の寝かし付けにかかりきりになっていたときの事だ。
上の子は、下の子が泣き止んで静かになるまで眠らなかった。一方下の子は、私がだっこしておっぱいを与えるまでずっと二時間でも三時間でも、声が枯れるまで泣き続けた。
上の子がまだ赤ちゃんだったときは泣いたらすぐおっぱいをあげていたし、オムツでもなんでも待たせた事がなく、常にご機嫌でいさせる事が出来たから、下の子の、枯れ枯れの弱々しい泣き声を聞くと、罪悪感に胸を締め付けられる様だった。
下の子とも一応ずっと一緒にいたのはいたけれど、私は下の子がおっぱいを飲んでニコニコしているところを見た回数は案外少ないのかもしれない。
かといって上の子だって私は可愛いのであり、下の子が生まれた事で辛く寂しい思いはさせたくなかったのだ。
二人目を生んだ後、私の周りの人達の多くは「上の子を優先にするように」と言った。
上の子優先。
育児の常識はたった数年でコロコロ変わるので今はどうか知らないけれど、私が下の子を生んだ当時はなんだかやたらと言われていた様な気がする。
あまりにも言われているから、下の子を生む前は、それは多大な努力をしないと出来ない大層難しい事なのかと思ったが、いざ生まれてみたらさにあらず。
実際は、いやがおうにも上の子優先で全てが回った。
あまりにも上の子ばかりで下の子は放置しまくりだったのがずっと心に引っ掛かっていた。
上の子も可愛いけど、下の子にも上の子が赤ちゃんだった時の様にしてあげたいとずっと思っていた。
でも、子育てを助けてくれる人達は皆、私の意に反した手助けを申し出て来たのだった。
「赤ちゃんは見ててあげるから、たまには上の子ちゃんと思いきり遊んでおいで」
と家族に言われて、まだ帝王切開の傷が痛いのに、元気をもて余した上の子を連れて運動公園へ行き、滑り台やボール投げで遊んだり。
寝不足でフラフラしながら子育て支援センターへ行くと、口を開く前に下の子を連れていかれ上の子に「良かったね。久しぶりにママと二人きりの時間を楽しんでね!」と言われる。
違う、違うんだって!
……とは、あまり主張出来なかった。
たまに言えば、新しい赤ちゃんが可愛すぎて上の子のことが疎ましくなって締まったのか?と極端に取られてしまい、要らぬ心配をされたり非難されたりした。
どちらが可愛いかとかいう問題ではなく、私はフェアじゃない事を気にしていただけなのに。
一人目と二人目以降を同じくらい手をかけて育てるのは無理なのは分かっているけれど、あまりにも上の子優先に偏り過ぎており、私にはもはや「上の子優先」というのが宗教か何かの様に感じられていた。
皆、盲信しすぎ。
そんな、上の子無双だったあの頃の事を、床に寝転がって一人でミルクを飲んでいる赤ちゃんを見て思い出した。
その赤ちゃんのお母さんは久しぶりに上のお子さんとの二人きりの時間を楽しんでいたのか、それともかつての私の様に後ろ髪を引かれる思いなのかどうかは知らないけれど、ともあれ幸せな育児生活を送れますように。
なんかもうくたくたなのである。
ほんとこれただの愚痴。
2歳半と10ヶ月の息子を育てているのだが、長男の赤ちゃん返りと次男のママ追いが始まってから2ヶ月くらいが経ち、毎日2人を同時におんぶと抱っこして過ごしている。合計22キロ。重い。
そして夜泣き、眠れない。
そしてこの疲れが旦那に伝わらない。
身体中が痛いと伝えても
「俺だったら我慢できる」
と言う。
と言う。
土日に疲れた顔をしていると
「折角の休みにそんな顔していたら家族で楽しめない。あーつまんない」
と言う。
仕事が忙しいのは十分知ってる。家事も全体的に手伝ってくれている。ただ一言一言が残念。
ため息を何度も疲れると、とてもプレッシャーがかかる。
なるべく毎日元気な私でいたい。
今思えば、体が弱くて甘えん坊の妹に対抗する赤ちゃん返りもあったと思うけれど。
深い眠りにつく、まどろんだような寝ぼけているような状況で、突然「自分の死」を想像し、怖くなる。恐怖で一瞬、目が覚める。というより、眠りがとても浅くなって、という位かもしれない。
大泣きすることはなくなったけれど、怖くて怖くて、夜中に思わず「やだ、いやだいやだいやだ、こわい、こわい!」と叫んでまた寝る、ということは断続的にずっと続いた。月に1度よりは少ないとは思うけれど。
大学時代に恋人ができたとき、不思議とその頻度はぐっと下がった。けれど、年に1、2回くらいは恐怖に叫んでいる。朝、恋人に「夜中、寝言ですごい『嫌だ嫌だ』って叫んでいて起きちゃったよ、怖い夢見てた?」と言われたこともある。私はその時の記憶があったけれど(瞬く間ながら、怖くて目がさめる→思わず叫ぶ→寝る、という順番なので)、「寝ぼけて死ぬのが怖くなった」と正直に言うのも気恥ずかしい気がして、覚えていないとごまかした。
眠りの隣の死の恐怖は今も続いている。幼い頃と比べ、闘病の末親族が死に、大学のお世話になった先輩が20代で死に、馴染みの芸能人が死に、多少、死生観も変わっているんだろうと思う。親戚が熱心な仏教徒で高校がプロテスタントで、いろんな解釈もかじってはいる。
いつか、恐怖に目を覚ますことはなくなるんだろうか。……そんな日が来たら、それこそ、寿命の時のようで、それも怖くはあるんだけれど。