はてなキーワード: 秘訣とは
増田は25歳。
高校生の頃に京都の駿台に通っていて、高3の夏休みはそこの自習室でずっと1人で勉強していた。
京都駅の近くに駿台は二つ校舎があって、一つは高3生と浪人生専用の新校舎、もう一つが古くて高1.2生用の旧校舎。
増田は当時、塾に友達が居らず賑やかな雰囲気の新校舎が苦手だったため、旧校舎の方で勉強していた。本来は高1.2生用であり、夏休みに自習している人も圧倒的に少なく穴場自習室として快適だった。
増田は医学部志望で必死に勉強していた。予備校は夏期講習たくさん取った方が学力が伸びると言っていたが、自習こそが学力が伸びる秘訣と信じていたため、講習は最低限にしてひたすら自習していた。1日10時間前後は自習していたが、3時間ごとに限界を迎えるため、そういう時は食事を摂ったり近隣を散歩したりしていた。真夏の暑い中、アバンティ京都からどれだけ南下できるか試したりしていた。近くのコンビニに寄って雑誌の立ち読みとかもしていた。そして2〜30分したらまた戻って1人で勉強していた。
結局は現役ではだめで浪人して今に至る訳だが、高3の夏が1番頑張っていたと思う。医学部に受かってからも基礎医学や臨床の試験、医師国家試験なども頑張ったが受験の時ほどではない。
だからたまにあの時の頑張ってた自分を味わいたくて京都駅に行って意味もなく散歩したくなる時がある。駿台には流石に入れないが、周囲を散歩して思い出に耽りたくなる。
Bethesdaの最新作である、Starfieldを遊んでいる。Bethesdaの最新作とだけあって、プレイヤーには簡単な説明しかなく、ゲーム内で何ができるのか、どう進めばよいのかは、プレイヤー自身に発見させるようなデザインになっている。
一方でこのゲームデザインに対して「不親切」という評価を下している人が多いことにも気付いた。実際遊んでいても確かに不親切だと感じる部分はある。そもそも有人星系のニュー・アトランティスのMAPすら実装されてないから
どこに何があるのか分からない。そこすら未知ってどういうことだよ、とは確かに思わなくもない。
今分からないことがあれば、YouTubeで調べれば1発で答えが出てくる。Stafieldもそう。ニュー・アトランティスのMAPもそうだし、前哨基地の作り方もだし、特定のミッションの進め方もそうだし。
でもこれらを何も考えずに見て答えを得ちゃうと、ゲームの本来の面白さである「探索と発見」のカタルシスを感じられなくなるんじゃないかなと思っている。
もちろん、丁寧に作られた攻略動画を批判するつもりで書いたわけではない。多くのプレイヤーにとって、というか自分にとっても参考になる内容ばかり。
YouTubeで調べれば答えがすぐ見つかる中で、どれだけ自分自身で考え、探索するかが、Starfieldのようなゲームの面白さを決めるよなと再認識した。
もしかしたら、Starfield遊んでて自分自身で答えを見つけようと努力することって、ゲームだけじゃなくて、人生そのものを豊かにする秘訣かもしれない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919
https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919
原著の刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長の中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別が苛烈で激しかった時代や大正デモクラシーの波にのった解放運動の記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。
(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西にしか無い、関東は関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀や処刑人、農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレの仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端は奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)
この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地の北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さらに生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂が部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレの仕事だけでなく、今でいう巡査や牢屋の見張りのような危険な仕事を押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..
もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由に侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである。
それから今でこそ同和事業で部落のインフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民の流出・流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般の大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、
村役場が主導して執拗な嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場が殺し屋を差し向けてきたり費用の問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人が殺し屋を雇う???????????????? ???????
明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金が一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民に殺し屋を差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史上からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ
どこそこの地域が部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去の問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別が再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間だから当然と思う。
でも悲惨な歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代の人間が過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化と生活があり、(著者は部落の文化遺産と呼んでいたが)文化そのものも葬られてしまう。そういう理由から、現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブーの空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。
でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。
私は部落民ではない女性なんで女性差別にしか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史に女性が差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています。
はっきり申し上げておきますと部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈な差別事例を知った上で言うことです。その理由のひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性が女性であることから逃げる手段は自殺しかありません。
(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的に身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般と先祖やルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが、一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たちは先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります。差別の根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事がケガレというのも恐らく権力が恣意的に決めたことがし、ケガレの仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ
家から一歩出るだけで醜いおっさんがジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ
女性の参政権だってGHQの鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ
すいません話それました!
国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別が現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的な闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないかと分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます。部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブルな話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビ等マスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟ににらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドルが活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別の存在そのものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。
そのような、暴力や脅迫で勝ち取った自由の歴史を勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現は自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります。
しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます。
女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的なものか、それとも後天的なものか、両方だろうか?とにかくフェミニストを自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争が可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..
この本書のなかにはある村の一般の村長が出てきます。彼は比較的リベラルで、部落の子でも学校に入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。
痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらいなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。
繰り返すけど殺されてもいいのに。
やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?
この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説で言及されてた2014年の長野県連続差別事件がやばい。部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。
昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのります。2014年とか最近じゃん昨日じゃんか
みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的にインパクトないから組織だってやるしかないけど、以下ループ
水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~
暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性を現実の女性に投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモは差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこがフェミニズムの邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ—
それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシューで在日朝鮮人を差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きます。イシューを抱え込まないことがやはり運動の成功の秘訣のひとつであったのかと感じますが女性は女性というだけでやはりシングルイシューではいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバーカ死ねでございます。女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお
ところでこの本の作者柴田道子は童話作家で部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落と接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件の被告のサポートに尽力、当該事件の本を執筆中わずか41歳の若さで急死したとか。
解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったから部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分が当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人がジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかに汗かいて真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや
まとめ
・ヒヤリハットは本当
・敗戦処理の手札を握っておければなんとかなる
それでも何とか昼には収まったわけですよ。
それでまあスカしてみたわけです。
ムニュッ
となったわけですな。
慌てず騒がず身体を揺らさずトイレの個室へ行ってみると、大さじ2杯ぐらいのしおからっぽいものがパンツの上になんとか留まっていたんですわ。
落ち着いて周りから包み込むようにペーパーで取り去って、落ち着いて残りを出し切ってからケツを丁寧に拭き、ロッカールームに向かいました。
帰り支度を始めるにはまだ早い時間だったのでロッカーは空いてて、パンツを脱いでるところを見つかる心配はなかったということになりますね。
実は私、夏場は外回りで汗グチョになったときのために替えの下着を常備しているのです。
それにささっと履き替えて、下着を入れていたビニールにパンツを移してカバンにポイでこの件は終わりなのです。
いやはや用途は違いますが「いざという時に備えて常備しておく」というのがこれほど効くとは思いませんでしたよ。
仕事でも人生でも必要なのは、なにかあったときに咄嗟に切れるカードがあることですねえ。
持ち駒が沢山あれば王手をかけられてもなかなか詰まないということです。
そもそもの話は私の油断が原因ですね。
昼には出し切っていたと思っていたのが間違いだったわけですね。
サメ映画で言えば沖から泳いでビーチまで来た所で「ふー……助かったぜ」と座りこんでしまったばかりにビーチングかました鮫に食われたようなものです。
これはもう自分が悪い。
まあ10回中9回ぐらいは本当に終わってるのかも知れないのですが、1000回やって999回安全だったかと言われると全然そんなことはないわけです。
今回はプリッとですみましたが、一歩間違えればケツからナイアガラが吹き出して床に足跡を残していたリスクもあるわけですよ。
ゲリをしたあと12時間は透かしっ屁をしてはいけないという教訓を得ました。
ピンチを乗り越えたと思ったときこそ、まだピンチが続いてると思って油断しないことの重要性。
日頃から準備をしていれば想像とは別の形でそれが助けてくれる可能性。
人生においてサヴァイヴするための秘訣はまさにこの2つではないでしょうか?
安全確保は油断せず、準備をしっかりすること。
オーストラリア・シドニー出身のティム・シャドックさん(51歳)は、1人で船に乗って旅をしている途中、メキシコで犬と出会った。
ベラと名付けられたそのメス犬は、シャドックさんから離れようとしなかったという。ベラに家族を見つけようとしたシャドックさんだが、ベラは彼が船に乗るたびについてくる。
そこで彼はそのままベラを乗せ、4月にメキシコのラパスを出航し、5000km以上離れたフランス領ポリネシアに到達しようとしていた。
ところが、航海開始から数週間後、嵐に見舞われ、船が座礁した。
電子機器と通信システムが損傷したため、シャドックさんは助けを求める連絡をすることができず、ベラと共に太平洋を漂流していた。
それから2か月後の7月12日、メキシコを出航してから実に3か月後に、奇跡が起こった。
メキシコのマグロ船「マーシャ・デリア」を監視していたヘリコプターが、シャドックさんとベラが乗っている船を発見したのだ。
ついに、漁船団グルポマールの社員たちに救助されたシャドックさんは、痩せ細って髭が伸びていたが、船の上で立ち上がることもでき、救助隊の質問に答える気力はまだ残されていた。
しかし、食糧も不足していて危険な状態にあったため、メキシコのマナジージョ市に搬送される前に、乗組員が食事と水分補給、そして治療を提供した。
太平洋の大海原で犬と漂い続けていたシャドックさんは、生魚を食べ、雨水を飲み、小さな船の天蓋の下で太陽を避けて、これまで生き延びてきたという。
釣り道具やサバイバル用品を船に積んでいたことが、命を繋ぐ結果になったと思われる。
海洋サバイバルの専門家マイク・ティプトンさんは、このように話している。
シャドックさんの持久力は運とサバイバル技術の組み合わせによるものです。
また、彼は日中の暑い時には自分の身を守る必要があることも知っています。なぜなら、脱水症状の危険にさらされているときに一番避けたいのは、発汗することだからです。
シャドックさんは、気候と立地のおかげで新鮮な水の供給を確保できたのでしょう。
このような長い航海は、歴史を振り返ると暖かい環境の太平洋で行われることが多いです。万が一座礁した場合、寒い環境だと生き延びる確率はより低くなるからです。
とはいえ、シャドックさんが助かったのは奇跡で、「干し草の山の中の針」を見つけたようなものです。
人々はこの船がいかに小さいか、そして太平洋がいかに広大であるかを理解する必要があります。 遭難者が見つかる可能性は、かなり低いです。
さらに、窮地をシェアするベラがいたことが、違いをもたらしたかもしれません。
座礁となると、その日その日を懸命に生きる必要があり、試練を乗り越え、諦めないためには、非常に前向きな精神的態度を持たなければなりません。夜の海の暗さを想像してみてください。
友人の話によると、シドニーのIT業界で働いていたシャドックさんは、その後退職し、新たな挑戦を探していたそうだ。
大腸がんを克服したこともあり、旅に出て航海を決意したのだろう。旅の途中のメキシコで出会ったベラは、シャドックさんのよき仲間となっていたようだ。
太平洋で漂流していた数か月の間も、ベラはシャドックさんの大きな励みになっていたことで、生き延びる気持ちを持つことができたのかもしれない。
後のメディア取材で、シャドックさんはベラの存在にとても救われたと語っている。・ベラとの別れを余儀なくされる
しかし救助後、シャドックさんとベラは別れることを余儀なくされた。
健康状態を完全に回復させるために、シャドックさんは家族の待つオーストラリアへ帰ることになったのだ。
私は、ベラとメキシコで出会ったとき、ベラのために飼い主を見つけようとしました。でも、ベラは何度も私の側を離れることを拒否しました。
私を飼い主に選んでくれたベラに応じて、一緒に旅を続けようと思いました。(シャドックさん)
漁船の乗組員が救助に近付いたときも、ベラはボートから離れようとしなかったそうだ。
ともに窮地を乗り越えた仲間であるにもかかわらず、ベラと離れ離れになってしまうことはシャドックさんにとってもベラにとっても辛い。
だが、国外のペットをオーストラリアに持ち込むために必要な手続きは複雑かつ厳格で、かなりの費用がかかる。シャドックさんはベラと別れる決断を強いられたのだろう。
犬は「承認国」からの入国を完全に許可される前に、ワクチン接種やマイクロチップの装着、検疫での隔離期間を受けなければならない。
残念ながら、メキシコはオーストラリアへのペット輸入が承認されている国のリストに載っていないため、ベラを連れて行くのはより一層の困難を伴うことになるのだ。・ベラはすぐにメキシコの漁船乗組員に引き取られる
結果、ベラはメキシコに戻ったマグロ漁船の乗組員ヘナロ・ロザレスさんに引き取られたという。
シャドックさんはベラを大切にしてくれることを条件に、ロザレスさんに引き渡したようだ。
ボート乗組員たちは、すぐにベラを気に入り、「素晴らしい」と評した。また、口々に「この犬は私よりもずっと勇敢だ、それは確かだ」とベラを称賛した。
シャドックさんは、疲れた表情だったが、救助されたことに大きな感謝の言葉を口にし、このように語った。
ベラは美しく、特別な犬です。ベラが生きていることにただ感謝しています。
私を救助してくれた船長や漁業会社の人たちには、感謝してもしきれません。私は今生きていますが、本当に生き延びることができるとは思っていませんでした。
しばらくの間、健康状態がかなり悪かったので辛かったです。 かなり空腹だったし、嵐を乗り越えられるとは思いませんでした。
漂流中は、何かを修理して時間を過ごし、「ただ水の中を楽しむ」ために海に入って前向きに過ごしました。
海にいるのは本当に楽しかったし、外にいるのも楽しかった。だが、状況が厳しいときはただ生き残ることだけを考えなければならない。
シャドックさんを診断した医師によると、厳しい試練の中にいたにもかかわらず、彼の健康状態は良好だそうだ。
とはいえ、究極の状況にあったシャドックさんは、ゆっくりと正常な状態に戻る必要があり、数か月は経過観察をしながら、必要に応じてさらなる治療を受ける予定だということだ。
ちなみに、シャドックさんを発見した漁業会社でグルポマー社のアントニオ・スアレス社長は、同社での船団を近代化していて、同船は最小で50年以上経過しているため、これがマリア・デリア号の最後の航海になる可能性があると述べた。
もしそうなら、それは「人命を救った船としての、素晴らしいお別れになるだろう」と、スアレス氏は語っている。
あー、まずはこの様な晴れの日にご招待いただきましてありがとうございます。
ご両家ならびにご親族の皆様におかれましても、心よりお祝い申し上げます。
これからお二人が夫婦として歩んでいくにあたっては、幸せはもちろん、困難なことも待ち受けているでしょう。
諸先輩方を前に誠に僭越ではございますが、私も人生の先輩として、お二人にアドバイスをさせてください。
まず一つ目は、父親の金玉袋。理由は簡単ですね。これが無ければ生まれては来れません。
しかし生まれてしまえば、こんなに無駄にぶら下げてるものはない。
一生にせいぜい数回使う機会があるだけで、後は役立たずに成り下がってしまう。
思い返してみてください。子供時代、青春時代、付き合ってから。
二人ともその間に大事だと思ったもの、熱中したものはたくさんあるはずです。
その中で今も使い続けているものがあれば結構。ですが、一方でいろんな理由で捨ててきたものもあるでしょう。
今この瞬間から見れば、それらは無駄なものばかりかもしれません。
ですが、そういったものに熱中して、経験してきたからこそ、今のあなたがあるんです。
色んなものに触れて、出会ってきた過去のこと、たまには振り返って、大事にしてあげてください。
私も結婚してから随分と長いこと経ちましたけれど、その中でもやっぱりね、
これをちゃんと掴んでおくことが夫婦円満の秘訣というか、一番の近道だと思うんです。
男ってのはね、普段は芯があって頼りになるけれど、それでもどうしても。
そう言った時にギュッ!と押さえつけてあげる。これが大事なんですよ。
もちろん普段から話し合いだったり、支え合って生きていくことが多いでしょうけど、
彼も変なところで優しいからね、肝心なところでしっかり手綱を握ってやってください。
最後に三つ目。これが一番大事かもしれません。子供の金玉袋です。
……女の子が生まれた場合は関係ないだろう、って思った方。会場にいらっしゃるでしょう。
まずはそこの説明からしましょうか。金玉という言葉、実は中国語にも同じ単語があります。
意味は日本語と違っていてですね。「金」と「玉」に分ければ分かりやすいかな。そう、「宝」という意味なんです。
日本でも昔から言うでしょう、「子は宝」と。ではそれを守るための「袋」は?……もうお分かりですね。両親です。
御二人もそのうち、親になる時が来るでしょう。次世代の育成は、人として生物として、重要な役割です。
もっとも、口では簡単に言えますが、これが中々に難しい。何せ正解なんてものはありませんからね。
ひねくれてしまうこともあるかもしれません。途中で衝突して、飛び出してしまうなんてこともあるかもしれません。
しかし、弛まず、根気よく付き合って、見守る。それこそが親として、保護者として精一杯出来ること、なんだと思います。
二人とも、是非とも立派な「子供の金玉袋」になれる様、頑張ってください。
えー、長くなりましたが、この三つの金玉袋を胸に、今後とも幸福な家庭を築いて下さい。
楽しいときはもちろん、困難があったときにも、この言葉をふっと思い出していただけると幸いです。
常に二人の会話を大切にし、共に支えあって乗り越えていける。そんな金玉の様な夫婦になって下さい。
「あ、ごめん。ありがとう、拾ってくれて」
「そのちんこ、私にくれませんか?」
「えっいいの?」
「増田さんがよければ」
「じゃあ、あげるよ。でも、なんでそれが欲しいの?」
「同僚の間でちんこ集めをしているんです。ちんこグッズが流行っていて、増田さんのちんこが欲しいって言ってた子がいたんですよ」
「そうなんだ!じゃあ、喜んでもらえるならあげるよ。ちんこグッズのコレクションになるといいね」
「ありがとうございます!増田さんのちんこ、大切にします!それで、そのちんこグッズ、面白いものがたくさんあるんですよ。例えば、ちんこキーホルダーやちんこクッションなどが人気みたいです」
「柔らかい生地でできていて、ちんこの形をしているんですよ。笑ってしまうほどユニークです」
「なるほど、面白そうだね。ちんこってこんなに話題になるなんて驚きだよ」
「最近は、ちんこをモチーフにしたアイテムがファッションや雑貨として流行しているんです。面白さやユニークさが人気の秘訣かもしれませんね」
(注意:“ちんこ”の表現は非常に俗語的であり、公共の場では不適切です。以上の会話は架空のシチュエーションであり、敬語や適切な表現を用いてください。)