「禁書目録」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 禁書目録とは

2019-12-20

ハルヒとか理不尽暴力ヒロインはもう受けないよ

WORKING!!といえば伊波まひる。当時からなんで人気があるのか分からなかったが、理不尽暴力ヒロインが苦手/嫌いという考えが主流の今じゃ絶対考えられんキャラだな。

主人公問題を抱えているがそれでも登場人物内ではまだ常識的な方。ゲスさスケベさの薄い家事が得意な草食系

それを「男だから」「近づいたから」「照れ隠しで」で殴るとかどうなん?男性恐怖症という過去差し引いても恐ろしすぎる。

これがラッキースケベに対する反撃なら昭和ギャグとして理解もできるが、そのラッキースケベもない。因果関係の無い、一方的な、納得のいかない暴力が「我々の業界ではご褒美です」とか本気で言ってるんだろうか。

そして「男は女を殴ってはいけない」という昭和フェミニズムにより反撃も許されない。では女が男を理由も無く殴るのは許されるのか?蛸壺屋が書いてた男主人公が思いっきり殴り返す同人誌は最高だった。

武器を持たない相手に刀を振るう女も、ただの怠惰女な店長も、可愛さをを感じないうざいだけの山田もやべーよ。

まあこれは高津カリノ作品に限ったことじゃないけどな。昔に流行った理不尽暴力ヒロイン全般(ルイズハルヒISの女キャラ全般というかあの世界観、俺妹禁書目録フルメタラブひな含む赤松健作品全般ニセコイとらドラ等)はもう現代では受けないでしょ。

作る側だって分かっているからそういうヒロイン絶滅寸前。少し前に流行った「主人公を無条件に愛するチョロイン」は古くなり、今の主流は一緒に夢を追いかけたりあるいは戦うような男女平等系。

「強い女」とか書くと急に臭くなるが、ギャーギャー騒ぐだけで全く何の役にも立たない昔のハリウッド映画ヒロインみたいなのは視点でも嫌悪対象になる。

まあそういうトレンドの変化に追いつけず古い価値観のままアップデートできていない例もあるけど。一部のなろうとか、戦×恋とか

anond:20161201205415

2019-09-19

[]ディープフリガナ

deep-furigana

漢字対応しない特殊フリガナ」の海外での呼称

禁書目録」と書いて「インデックス」と読ませるなど。

日本語では「義訓」と言う。

2019-03-31

全ての物語ミステリである

みたいなことを大真面目に言っていた友達がいたが、俺も「全て」は言いすぎにしても一定程度同意できると思った。

正確には「完成度の高い物語は全てミステリ文法に則っている」というのが俺の主張。

ミステリっぽい作品しか面白くない、と言う話ではない。

たとえばラノベやなろう系であっても、人気のもの基本的ミステリ文法に則っている。

最初にそれを感じたのは「灼眼のシャナ」1巻で相手作戦を打ち破るために主人公起死回生一言を発するシーン。

それまでの話に出てきた要素や説明を全て踏まえて、ちゃんと考えなければ出てこない解決策だった。

あれは、まさにミステリ文法のものだと思う。

ハルヒ」も「禁書目録」も「サクラダリセット」も「はたらく魔王さま!」も「ロウきゅーぶ!」も「りゅうおうのおしごと!」も、章ごとの核となる部分でしばしばミステリ文法が使われる。

すなわちミステリ文法とは、【物語の転換点に出てくる困難な障害を、それまでの物語に散りばめられた情報だけを使って解決する】ような話作りのことだ。

これに対してその場で急に出てくる設定や、根気と努力、謎パワーなどで乗り越えてしまうのは、ミステリ文法ではない。ファンタジー文法とでもいうべきか。

俺が思うに、面白い、また読みたいと思うような話は、基本的このミステリの文法に則って作られている。

漫画でもそれは変わらない。

バーテンダー」は1話構成で、毎回異なる客の悩みをマスターが酒や話術さりげなく解決する運びだが、

マスターの使う、客の素性の推理、客が自分からは言わない悩みの突き止め方、その解決方法などは完全にミステリであり、ホームズ彷彿とさせるところがある。

ドラえもん」もひみつ道具の使い方がミステリじみていることがしばしばある。大長編ドラえもんなどはその典型で、基本的に終盤でぽっと出の道具が問題解決することはない。

序中盤にさりげなく出てきたなんてことない道具が、最後のカタルシスを導いたりする。これも完全にミステリの話運びだと言えよう。

「五等分の花嫁」は、零奈が五人のうちの誰かという謎の解決が、物語の主軸となる。伏線をしっかり張った謎と解決は、ミステリ文法だ。

ジョジョハンタ能力戦で、相手能力や相性を考えて、どうすれば勝てるのか、単に力比べでない解決を導くところも、もちろんミステリ

そういえばワンピースの空島編も、ミステリ的だった。

一般小説でも、なおさらミステリ文法は重視される。作例はありすぎるのでいちいち挙げたりはしないが。

とにかく、謎と解決伏線と回収。

バトルやスポーツなら相手の何が弱点か。

恋愛ならどうすれば相手の心を掴めるか。

何にだって謎があるのだからジャンルによらず、それをしっかりと伏線を貼って回収すべきだ。

これをきっちりやっている作品面白くて、逆に、全てがファンタジー文法だけで作られた物語は、完成度に欠けるよね、と、そういう話。

追記

当然ミステリは読んでるしどちらかというと生粋ミステリ読みに近いよ俺は

でも全ての物語ミステリであるって言う時に本当のミステリの話をしたって意味がないでしょう

それに一般小説は書いたら書ききれないしここじゃ反応も微妙だろうから省略しただけで、中高時代はともかく今はラノベより一般小説の方ばっかり読んでる人間だよ

あと数は少ないけどファンタジーも一応は読むよ。少なくとも有名どころの指輪ナルニアハリーポッターは読んだよ

例に挙げた範囲内だけが観測範囲だと思わないでいただきたい

2019-01-14

禁書目録主人公ってセックスとき首絞めたりしてそう

女に暴力をふるうのが大好きな主人公のもとにそういうのが好きな女が集まってくる

2018-10-31

anond:20181031122014

俺妹とかはがないとか。

禁書目録化物語やれやれ系と言われることがあるけど

あれは積極的に動いていくタイプ主人公から

ヒロインの尻に敷かれてるイメージだけで言われてるだけじゃないかね。

2018-10-16

anond:20181016154209

ソードアートオライノンがあるしバキがあるし禁書目録があるしWalkingDead9シーズンもある

ここ2年はひどかったから今期は豊作に感じる

2018-09-01

それにしても、タイトルに反して禁書目録の話がやたら多いけど、この禁書の話が本当にひどい。的外れ程度のレベルならそっとしておこうってなるけど、そもそも禁書目録ではないなにか」の話をして禁書目録批判をしているので「お前は何と戦っているのだ」感がすごい。

その人にしか見えない幽霊と話してる人ってリアルでみかけたらこんな感じなのだろうな、と思うほどに不気味。

スマホ太郎がつまんないつまんない言うけど、俺に言わせるととある魔術の禁書目録僕は友達が少ないを5倍つまんなくしたらこんな感じやん…的な気持ちで見てるから、そんなに苦痛じゃない。

まぁこはいいです。個人主観から

・00年台アニメを礼賛しがちなぼくだけど、禁書は「つまんないくせにみんなが好きそうなポイント抑えてる」

具体的には?「つまんない」はいいとして「すきそうなポイントをおさえてる」ってあまりにもふわふわしててなにひとつ具体的な指摘が無いよね。

スマホ太郎チートっぷりも大概しらけるけど、上条当麻だってチートという点でアレやし、何ら努力してないくせにめっさ努力して能力手に入れてる人にわけわかんない説教する点では、スマホ太郎と大差ない。

たぶん必要情報がまったく情報が読めてないんだよなぁ。特定作品について読解力がいきなりゼロとかマイナスになる現象ナンデ?そもそも上条くんの状態能力の内容すら把握できてない気がする。たぶん「やらおん」みたいなネットまとめ記事を見て、そのまま鵜呑みにしてる可能性がある。他のオタク衆愚とまでよんで馬鹿にしてる割に、一つの作品について他人意見に流されて間違った先入観や間違った情報にとらわれてるの、ものすごい情弱感がする発言で頭が痛い。この件に関しては、馬鹿にしてるオタクより数段レベルが低い。

ぼくに言わせると、上条当麻が台頭したかスマホ太郎が生まれってだけ。オタク衆愚だよ。わっかりやすもの流行ったらその廉価コピーが量産されてあれよあれよとテンプレけが独り歩きしたつまんない作品が量産されたという、すごい虚しい感じのことがスマホ太郎という作品からなぁ…。

禁書となろうを結びつけるのはちょっと無理があるよね。そのレベルでいいなら何でも結び付けられる。相関性が低すぎる。

なろうとむすびつけるならランスシリーズとかインフィニットストラトスっていったほうがまだわかるよ。

00年台もっと面白いアニメしぬほどあったけど、フォーマットとして一番勝ったのが禁書ってだけ 

fateシリーズとかヘタリアとか、ってどこ言っちゃったの?禁書ってそもそも話題になり始めた頃から奈須きのこっぽいって言われてたんですが。ラノベじゃないから除外とか無理だよ。「アニメ」って書いてるんだから。このパターン禁書しかしらない時点でもう情報量が致命的に足りない。そもそも自分がばかにしたいものラノベとかなろうって枠に全部雑に固めて放り込んじゃうからこういうむりやりなこじつけおかしいって思えないんだよ。

・ちなみに、00年台のラノベファンというか禁書ファン上条さんの説教シーンを大喜びしてたけどスマホ太郎強気にモノを言った時に「は?」となる点、オタク10年で進歩したんだなぁーって思いました。アニメは00年台の方が1000倍面白いけど、オタクは2倍ぐらい現代のほうが進歩してるかと

ワンパンマンでサイタマが敵を殴るシーンしか見てません」みたいな頭の悪い感想やめてください本当に。 というかあらためて思うけど、アニメですらまともに見れて無いでしょこの人。禁書は、特に前半はどう考えても主人公以外の描写大事なのに、主人公age作品に見えてるなら、物語を読む能力が低すぎるといわざるを得ないよ。

もうすぐデレる、主人公チート唐変木なことを理由ハーレムをする的な作品禁書最初ってわけじゃないけど、禁書以降ポコポコまれすぎて糞アニメというよりも、「ダメオタク層」という認識で処理してるぐらいには10年間ずっと何らかの同類作品があったせいでスマホ太郎に驚かないよ

まず禁書実質的にはハーレムにはなっているけれどハーレム描写がかなり薄い作品だと思うのですが。そもそも主人公が1強ではないんだけど。いったい何話まで見たの?何話までみてその感想なの?浜面って知ってる? 一方通行さんの設定どこまで覚えてる?って感じ

スマホ太郎とか禁書みたいにおっぱいの大きさで、女の子同士の序列が決まる作品を見てる時は、「俺はアニメじゃなくてバラエティ番組を見てるんだ」って思った方が割と納得する。それがあんまり極端な作品苦手なんですよ…昔からあるし、東方二次創作にもよく持ち込まれ理論だけどね

ただの「おっぱい比べしてぐぬぬ」みたいな描写の話をしてるなら良いけど、おっぱいの大きさで序列が決まる作品って何の話をしてるんですかね。言葉選びが下手すぎるか作品理解する力が足りないのかどっちか知らないけどもうちょっと考えてから言葉を発する習慣をつけてほしい。



それにしても、ほんとに上のまとめ、自分で読んでてもつまらないとか恥ずかしいって思わないのかな。

まとめるだけでも無理ゲーなのに、一生懸命デコレーションしてるのほんとやばい

おなじまとめでも歴史オタの人は作品批判しつつも見ている人を楽しませる発言をしてる。

https://togetter.com/li/1156872:embed:cite]

一方、彼のまとめは自分気持ちよくなりたいだけのオナニー感がすごい。

しかもそのオナニー発言をまとめるというあたり、認知の歪みっぷりが半端なくて、どうしてこうなってしまったのか不思議しょうがない。

2018-07-15

超能力バトル少年マンガの源流て何?

現代舞台で、少年主人公超能力バトル物の元祖的な作品といえば

おそらく『バビル2世』(1971~1973年TVアニメ1973年放送)と考えられる

竹熊健太郎相原コージの『サルまん』によれば

超能力バトル物の流行1970年代前半以降

それ以前の、この手のジャンルの源流は忍者バトル物だったらしい

実際、『バビル2世原作者横山光輝忍者マンガ大家だった

また、『バビル2世』以前にも現代舞台超人バトル物は存在するが

エイトマン』(1963~1965年)などのように多くは大人主人公であったと思う

(正確には超能力というよりサイボーグアンドロイドとかだが)

池上遼一版の『スパイダーマン』(1970~1971年)は、

高校生主人公で、『バビル2世』よりほんの少しだけ早い

ただし、もともとアメコミ翻案で、しかも敵が普通人間場合が多い

加えて、変身ヒーロー物だから、いわゆる少年超能力バトル物とはちょっと異なる

では、ジョジョとか禁書目録とかみたいに、特殊能力を持つキャラが大量に登場し

個性的必殺技を出し合って戦うジャンルが定着したのはいつ頃なのか?

自分の直接的な記憶に頼ると、『リングにかけろ』(1977~1981年)の後半

凝った技名の必殺パンチがぽんぽん出るようになってからのような気がする

リンかけジャンプトーナメントバトル物の元祖でもある)

もう少し遡ると『アストロ球団』(1972~1976年)も

個性的魔球打法を使う超人選手がぽんぽん出てきた

が、リンかけも本作もスポーツ漫画であって、いわゆるバトル漫画ではない

現代舞台で、少年主人公で、個性的必殺技を出すキャラがぽんぽん出てくる

という、現在よく見かけるパターンはいから定着したのだろうか?

自分記憶に頼ると、やはり車田正美の『風魔の小次郎』(1982~1983年

あたりなのかなあ、という気がするのであるが、もっと以前からある気もする

どの辺なんでしょうかね

2018-07-06

ラノベ作品

SAO」「禁書目録」「Fate」「劣等生」「冴えカノ」「このすば」「リゼロ

これらのどれかが好きな人共通点は全て好きな人しかいないという話を聞いた。

そんなことないと思うんだよなー。

このすばは好きだけど、SAOみたいな胸糞悪い話は嫌いだし。

禁書も長いだけだし。劣等生と冴えカノは何が面白いのか分からなかった。

ゼロはなんだっけ?赤と青の髪の娘が人気なんだっけ?

Fateは嫌いじゃないけど、派生してる話は嫌い。FGOとかなんすか?あれみたいな。

まぁ、あれはラノベじゃないけど。

このすばは好きだけど、会話のやり取りが好きなだけだったりする。

それでもSAOなんかよりは面白い

共通点無いやんか…

2018-05-22

ロリショタ禁書目録だと思ったら蓬莱学園になった

みたいな感じの「通じそうで通じないというかそもそも喩えが微妙マニアックでそこで通じにくくなりすぎてる」って奴で最強なのって何?

2018-04-01

主人公が中高年の禁書目録学園アリス)が無いのが不思議

主人公ヒエラルキー最下層の無効化能力者で超能力者だらけの世界の中で大活躍してチヤホヤされる話は何故ないのだろうか。

そもそも超能力者がオッサンである話が日本だと珍しいのだが。

アメコミヒーロー無効化と言えばX-MENリーチか。

でも彼は主人公ではないしオッサンでもない。

不思議だ。

俺は実は凄い能力を持ってるけど世間評価してくれないんだと嘆くオッサンは山のようにいるのに、そんなオッサン達の心を汲み取るような娯楽が存在しないのが不思議だ。

それとも、釣りバカ日誌島耕作を見てそういった欲望が満たされるのだろうか。

はたまた、竿役がブサイクAVを見てそういう欲望昇華しているのだろうか。

不思議だ。

謎い

2018-01-29

バーチャロンガンダムのが良かったなー

禁書目録バーチャロンって共通点ゼロじゃん。

その点ガンダムバーチャロンだったら相性抜群だぜ?

どっちも2vs2のロボット大戦アクションゲームなんだから

2017-08-30

反脆い戦略こそが正しいのか?

 情報は反脆い。情報を広める努力よりも、情報を壊す努力のほうが、情報にとっては糧になる。たとえば、自分の名声を守ろうとするばっかりに、かえって名声に傷をつけてしまう人は多い。

 

 賢いヴェネツィア人は、秘密だと偽って情報を広めるすべを知っていた。あなたも噂を広めるとき、こんな実験をしてみるといい。誰かに秘密を教える。そして、それが秘密であることを知らしめるために、「誰にも言わないでね」と釘を刺すのだ。秘密にするよう頼めば頼むほど、噂は広まるだろう。

 

 誰でも若いころに気づくように、本や思想は反脆く、批判を糧にする。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスストア哲学実践する作家のひとり)の言葉を借りれば、「火は障害物を糧とする」のだ。

 

 禁書には独特の魅力がある。禁書禁止命令に対して反脆いのだ。私が子どものころに初めて読んだグレアム・グリーンの本は、『権力栄光』だった。その本を選んだ理由はほかでもなく、カトリック教会禁書目録に載っていたからだった。10代になると、国外在住のアメリカ人ヘンリー・ミラーの本をむさぼり読んだ。彼の主要作が23州で発禁になると、1年で100万部が売れた。『ボヴァリー夫人』や『チャタレイ夫人の恋人』にも同じことがいえる。

 

 本に対する批判は、紛れもない正真正銘の注目の証であり、その本が退屈でない証拠でもある。本にとって最悪なのは退屈なことだ。アイン・ランド現象を考えてみてほしい。彼女の著書『肩をすくめるアトラス』や『水源』は、残酷なくらい辛辣批評や、彼女を貶めようという画策にもかかわらず(いや、むしろそのおかげで)半世紀以上にもわたって数百万、数千万人に読まれつづけている。いちばん大事情報は、批判の激しさであって、内容じゃない。評論家がその本を他人に読ませないためにどれだけ必死になるか。人生全般でいえば、相手こき下ろすのにどれだけ必死になるかだ。だから、誰かに本を読ませたければ、怒りを込めて「評価されすぎだね」と言えばいい(「評価されなすぎだね」と言えばその逆になる)。

(「反脆弱性」より)

 

脆弱性・歩く・マネーマーケット|新・山形月報!|山形浩生cakesケイクス)

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cakes.mu/posts/17337

 

よって、個人的には、上記の山形氏およびブクマ家諸氏のコメントは全く評価していない(と書けば、反脆さが発揮されるか(笑)?)

2017-07-16

やはり超電磁砲二期はおかし

一期で散々友情や仲間に頼る話をしたのにシスターズの事で1人で悩む御坂が謎すぎる。まあこれは一期2クール目のアニオリでやらかしたせいなんだけど。一期ラストの締めで「飛行船が好き」と言っていたのに、二期になると嫌いになっている御坂矛盾した発言には思わず苦笑い

しかシスターズ、一方通行の話で16話まで引っ張る。長い長すぎる。禁書目録一期を見ていた場合、同じ話を別角度からはいえまた見ることになるので余計に飽きる。

そして二期2クール目のオリジナルエピソードでまた友情の話をする。展開的には一期2クール目+劇場版の焼き直しみたいな話。一方通行木原にだいぶ劣る学生達がラスボスという盛り上がらない展開。微妙すぎる。

はっきり言って一期の単発アニオリエピソードの方がよっぽど面白かった…。

2017-06-14

エロゲ流行ったのは2000年代前半のアニメが停滞期だったから説

90年代末。

アニメドラゴンボールが終了。セーラームーンも終了。ガンダムはXで休止。勇者シリーズも終了した。

神坂一あかほりさとるアニメからはほぼ撤退した。

エヴァのあと、次なる大ヒットを出せないまま、平日夕方アニメ枠は縮小していく。

ビバップウテナlainなどは現在でもカルト的な人気を誇るが、決してエヴァに並ぶヒットとは言えないだろう。

またアニメ原作供給源たる漫画業界でも、週刊少年ジャンプが暗黒期を迎えていたのがこの時期だった。

2000年代前半。

夕方から深夜への移行期ということが大きいのだろう、オタクあいだで話題になった作品が圧倒的に少ない。

ONE PIECENARUTOBLEACHの新ジャンプ御三家を除けば、あとはガンダムSEED攻殻機動隊SACくらいではないか

ハルヒらきすたけいおんギアスマクロスF禁書目録化物語……

2000年代アニメと言われて思い出すような作品ほとんどが後半のものである

この1990年代から2000年代前半という時期は、まさにエロゲ全盛期に当てはまる。

雫が96年、ToHeartが97年、 ONEが98年、Kanonが99年。

そしてデータによれば、2004年ごろからエロゲ市場は縮小の一途だという。

このエロゲの衰退はラノベに取って代わられたからだという意見も聞くが、

ラノベの本格的な流行2006年涼宮ハルヒの憂鬱のヒットまで待たねばならない。

一方で、深夜アニメの放映本数が急激に伸びはじめたのは、まさに2004年ごろなのである

http://www.videor.co.jp/casestudies/research/tv/2013/images/04_2_2.png

やはりアニメオタクコンテンツ王者である

エヴァによって目覚めたオタクたちが、アニメの停滞から一時的エロゲ雪崩れ込んだが、

やがてアニメは復活し、それに伴ってオタクたちもアニメに帰還した――

という仮説を立てたので誰か検証してください。

2015-10-22

「学園」に呪縛されるライトノベルについて

なぜ物語の少年少女が「学園」に呪縛されるようになったのか - Togetterまとめ

このまとめの最初のあたりで芦辺拓氏が例に挙げている作品刊行年は以下のとおり。

小林芳雄と少年探偵

→『怪人二十面相1936年

西條八十の白ばと組

→『あらしの白ばと』1952年

高木彬光の古沢姉弟

→『覆面紳士1950年

森下雨村池上富士

→『少年探偵富士夫の冒険1923年

横溝正史の御子柴進

→『幽霊鉄仮面』1937

まず、このくらいのスパンの話だということを理解しておいてほしい。

たかだか十年前と比較するくらいの感覚で「最近ラノベ作家は楽をしたがるから」などと言っていると論点がズレてしまう。

さて、そもそも「昔は学園ものは少なかったが今は学園ものばかり」というのはラノベだけの問題なのだろうか。

Wikipediaの「学園漫画」の項には以下のように書かれている。

少年少女主人公とする作品学校を場としたりその人間関係が中心になることが多いことは当然であり、漫画以前の小説時代から学校もの存在したし、学校舞台とする漫画作品昭和30年から存在した。ただ昭和30年代には、放課後に家の手伝いをする者や中学卒業して実社会に出るものがまだ多く、学「園」ものという呼び方にはある程度の生活階層青春もの意味するイメージもあった。

結果的に、雑誌漫画において学園漫画という「分野」(市場分野?)が生じたと言われるのは、日本高度経済成長が成果を安定させて生活の向上や学歴の向上が既定路線となった1960年代半ば(昭和40年前後)からである

学園漫画で言えば『ハリスの旋風』が1965年、『夕やけ番長』が1967年、『ハレンチ学園』や『男一匹ガキ大将』が1968年である

芦辺氏と同じ論法を使えば「戦前終戦直後には学園もの少年漫画は少なかったのに今は学園漫画ばかり」とも言えそうだ。

もとより、「学園もの」増加の原因を、一足飛びに現代ラノベに求めたところで、何が分かるものでもあるまい。

同じくWikipediaから学園小説」の項。

学園小説一定の発展を見せたのは、少年雑誌よりも少女雑誌においてであるもっとも著名な作家としては『少女世界』の読者から作家デビューした吉屋信子があげられる。

1916年に連載が始まった吉屋信子の『花物語』は、当時ベストセラーとなった連作短編で、女学校舞台とした話が多い。→エス

これは「漫画以前の小説時代から学校もの存在した」「学園ものという呼び方にはある程度の生活階層青春もの意味するイメージもあった」ということの実例と言える。

こうしてみると、むしろ1960年代以前の少年向け娯楽作品において学校舞台とならなかったのは何故か」というほうが問題なのではないかと思えてくる。

そしてそれは、Wikipediaのとおり経済力理由を求めるほうが、現代青少年の心性を大仰に言い立てるよりは筋がとおっているだろう。

(もちろん他の要因もあるだろう、議論するならその点についてすべきである

最後に、筆者が最近読んだライトノベル50作品を「A. 学校が出てこない」「B. 学校は出てくるが事件が起こるのは学外である」「C. 学校が主な舞台である」で分類したところ、以下のような内訳となった。

A. 18作品 B. 16作品 C. 16作品

まり芦辺氏が言うような「全てが学校で起きる学園ものラノベ」は16/50=32%である

言うまでもなく、このサンプル数は少なすぎるし、個人の嗜好による偏りなどもあるので参考程度にお願いしたいが、

最近ライトノベルの全てが「学内で完結している」ということはありえない、とは確実に言えるはずだ。

大ヒット作だけを見ても、SAOダンまち「A」であるし、禁書目録魔法科高校は「B」に分類されるだろう。

正直なところ芦辺氏がどうして「最近ラノベは学園ものしかない」と強固に思い込んでおられるのか理解に苦しむ。

どうか賢明なる読者諸氏においては「へえ最近ラノベは学園ものばかりなんだな」などと鵜呑みにしないでいただきたい。

2015-10-20

ヘヴィーオブジェクトの長台詞はなぜダメなのか

ラノベ原作アニメとしてはキャバリスクの被りっぷりが話題になっているけども、鎌池和馬原作ヘヴィーオブジェクト』の酷さも相当なものであると思う。

ヘヴィーオブジェクトアニメを見た、まともな人間はこう思うはずである

喋りすぎだ、と。

この点に関しては、同原作者による禁書目録主人公上条さんの長台詞説教を参照して「鎌池だから仕方ない」という意見が少なからずあるようだ。

しかし俺は、上条さん説教は「味」として楽しむことが出来るのに対して、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は単に冗長なものしか思えない。

本稿は、上条さんの長い説教は「アリ」なのに、ヘヴィーオブジェクトの長台詞は「ナシ」なのはなぜかということを考察するものである

ちなみに俺は禁書目録は数年前に十数巻あたりまで読んで、ヘヴィーオブジェクトアニメ3話まで観てから原作1巻の該当部分を読んだだけなので、思い出補正とかが作用している可能性は大いにある。

ヘヴィーオブジェクトアニメ3話までで最も問題になるのは、2話の「お姫様救難信号出してるのに長々喋りすぎ問題」と、3話の「敵基地に潜入してるのに大声で喋りすぎ問題である

まずは2話から見ていこう。アニメは大体こんな感じだった。

================

イヴィア「だったらお前は、あのオブジェクトと戦えんのかよ! あの化物にたった一人で立ち向かって、お姫様を助けだすとかそんなのできたら最高だよ!! でも実際にどうにかできんのか! えぇ!? 人間なんか、レーダーに補足された瞬間に塵になっちまう。もう俺らに出来ることなんかねぇんだよ」

 徒歩の速度で逃げるハマー兵士カット

クウェンサー「あのお姫様は、そんな化物と戦ってくれてたんじゃないのか? 大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、照準合わされただけでショック死しちまうような、そんな化物から俺達を守るために、たった一人で戦ってくれてたんだろうが!! 貸せ!! 貸せ!! そのライフル!!」

================

この部分は原作だとこうだった。

================

「だったら、テメェはあのオブジェクトと戦えんのかよ!?」

 真正から叫び返され、クウェンサーの言葉は止まった。

 ヘイヴィアの表情には、恐怖とともに屈辱があった。

綺麗事だったら誰でも言える!! あの馬鹿デカオブジェクトにたった一人で立ち向かってお姫様を助け出すとか、そんなの出来たら最高だよ!! でも、実際問題どうにかできんのか!! あんなもん、レーダーで補足された瞬間に生身の体なんか塵も残さず吹き飛ばされちまうじゃねえか!!」

 ボロボロになったヘイヴィアに両肩を掴まれ、クウェンサーは思った。

(……ちくしょう

 じわじわと胸を締め付けるのは、人間として当然あるべき感情

 どうしようもない、恐怖だった。

(怖いに決まっている。誰がなんて言ったって、どれだけ希望的な観測を並べたところで、度胸なんか湧くかよ。オブジェクトなんて化物だ。あんなもん相手に真正から立ち向かうなんて間違ってる。少しでも近くにいたくない。ヘイヴィアの言う通りだ。どんなに綺麗事を並べたところで、この気持ち悪さがそうそう簡単に消える訳ないだろ……)

 だが、クウェンサーの足は退却するためには動かなかった。

 彼はその場に立ち、真正から改めてヘイヴィアの顔を見る。

「……あのお姫様は、そんな化け物と戦ってくれていたんじゃないのか?」

「ッ」

「大の男がこれだけ集まっても震え上がるような、ちょっと照準を合わせられただけでショック死してしまうような化物から!! 俺たちを守ってくれるために、たった一人でオブジェクトに乗って戦ってくれてたんだろうが!!」

 そう。

 たとえオブジェクトなんて馬鹿げた兵器に乗っていたって、怖いに決まっている。あんな化物と立ち向かうのに、恐怖を感じない訳がない。

 あの少女は、出撃の直前にこう言っていた。

 勝てるかどうかは分からない、と。

 特に真剣調子ではなかったから、深い意味などないのだと思っていた。だが違う。もしもあれが何気ない表面にまで噴出してしまうほどの、大きな不安を抱えていたせいだったとしたら。とにかく誰にでもいいから言葉を放って、少しでも不安を払拭したいだけだったとしたら。

 クウェンサーは思う。

 自分はここでどう動くべきだ。

「……貸せ」

 クウェンサーは、間近にいるヘイヴィアに手を差し出した。

 怪訝な顔をするヘイヴィアにもう一度、

「貸せ!! そのライフル!!」

================

長い。長すぎであるアニメ原作台詞助詞レベルまで削っていたということがわかる。

しかし、俺は原作を読む最中アニメほどには「喋ってないでさっさと行動しろ」と感じなかった。

それは恐らくセリフに輪をかけて地の文と括弧書きの心内文が長いためである

地の文と心内文に関しては、どれほど長くても読者は東京大学物語のごとく(その間0.1秒)などと都合よく解釈することができる。特にここで描かれるような緊迫した場面では尚更である

そのプロセスを経て文字数に対する時間感覚が混乱した状態であれば、長台詞を発語するための時間無視することができるような気がしてくるのである

この小説マジックを用いたシーンをそのまま映像にすれば「何くっちゃべってんだ」と思われるのは当然であり、これは脚本監督の落ち度である

では、作者に落ち度はないのか。

そんなことはない。以下はアニメ3話で「敵基地に侵入しているのに大声で喋りすぎ」と言われた部分の原作における描写である

================

タイムオーバーだぜヒーローッ!! 三〇秒でここから出ないと袋の鼠だ!!」

「一分待て!!」

「何をゴソゴソやってんだよ! 爆破できねえのは分かったろ!?」

「あと四十五秒だ!!」

 多くの足音が近づいてくるのを、ヘイヴィアは耳にした。恐らくクウェンサーは、目の前で取り上げられそうな希望にすがろうとして、冷静な判断能力を失っている。もう殴りつけてでもここから脱出しようかと考えたその時、ようやくクウェンサーがヘイヴィアのところまで戻ってきた。

「行こう。まだ間に合うか!?」

「どっかの馬鹿道草食ってたせいでスリリングなことになってるよ!! こっちだ!!」

================

アニメだとここは全力で叫んでいる。だが、少なくとも声優は悪くない。語尾に「ッ!!」が付けられていたならばそれは叫び台詞であると考えるのは当然である

ただ、この部分を読んだだけなら、ニコニココメントが言うように「※実際は小声で話しています」というフォローが辛うじて出来ないでもない気がする。それを掬い取れなかったアニメスタッフが悪いのだ、と。

しか原作はそんな幻想もぶち壊してくれる。原作では、小声の台詞とそれ以外はきちんと区別して表記されているのである

以下は原作では35ページ、アニメでは1話にあった、和服上官に呼びつけられた時の二人の会話の原作における記述である

================

「(……どうするんだよヘイヴィア! だからやめようって俺は言ったんだ!! これならレーションどころか三日間雪の塊だけ頬張ってた方がまだマシだったんじゃないか!!)」

「(……うるせぇな畜生!! くそ、ほんとに一八歳かこの女。今時の洗浄に生身の兵隊必要ねえとは思ってたけどよ、あいつに限って言えば握り拳でオブジェクトと戦えるんじゃねえのか!?)」

================

この台詞アニメでもきちんと囁き声で演じられている。他にアニメ3話の敵基地捕縛されたシーンでも「(……俺が飛び出したら伏せろ。そっちに除雪用のトラクターあるだろ)」などと書かれている。

要するに、原作に従えば主人公たちは敵基地で相手の足音が聞こえる位置にいても実際にお互い叫びあっていたのであり、アニメスタッフはそれを忠実に映像化しただけなのである

では、ヘヴィーオブジェクトにおける長台詞は、上条さんの「説教」と比べて何がダメだったのか。

俺はその原因を「鎌池の長台詞癖と、主人公をペアで行動させることの食い合わせの悪さ」に求めたいと思う。

上条さん基本的に一人で行動するので、その長台詞説教の相手は、自分がまさに直面している相手≒敵(ステイル、御坂アクセラレータ等)であった。

無論その場合も、「うるせえ話長えよ(グサ」となる可能性はあるのだが、その可能性はむしろ「殺される可能性と引き換えにでも相手を全力で説得しようとする上条さん馬鹿だけどカッケー!」という評価に繋がっている。

しか主人公をペアで行動させると、その長台詞説教が敵ではなく相棒に向かってしまうために「馬鹿だけどカッケー!」ではなく単に「こいつ馬鹿じゃね?」というシーンが出来上がってしまうのではなかろうか。

禁書目録と毛色を変えたかったのは分かるけど、主人公をペアで行動させたければ、鎌池の説教体質も変えなければならなかったのではないかと思う。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん