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はてなキーワード: 一般性とは

2022-07-13

anond:20220713011553

まぁ生理現象だし、こいつの意思でどうこうできるもんでもないしそれは仕方ないんじゃないか

身体がそうなっちゃうわけだしそういう風に出来てるわけだし

問題生理に託けて女性保護とか生理用品とかの公的支援とか男性理解とか喧しく喚き散らかすことじゃないか

事情がある奴は個人的大人しく申し出るって当たり前のことができない女ばっかりで、俺らが気遣えだの謂れのないことや何の合理性正当性一般性もないただの願望をさも立派な政策のように平然と言う女にはもう口も聞きたくないし耳も貸さないわ

馬鹿 愚図 頓馬 こういう女は大嫌い

2022-07-01

anond:20220701193458

こんなところに書き込みしてる輩に一般性を求めてるほうがどうかしてる

2022-02-20

ゴツい男を肉体改造、メス堕ちさせるシチュ一般性癖ですか?

2021-11-27

萌え絵問題って色々騒がれてるけど、

要は、「自分不快だと感じたら、他人の行動を制約してよいのか?」って問題なんだよ。

その点では、「一人一派」と言わず一般性のある議論ができる。

その上で個人的には、自らがリバタリアンなのもあり、上記の問いかけに対して「NO」と言いたい。

2021-11-08

主語が「私」の会話

アイメセージ」などというらしいが、最近これをしない・できない・したくない人が多いのではないかと思い始めた。

かくいう自分自身も「一般的には~」「普通は~」とか言ってしまうことがある。

正確には「一般的には~だと言われている通り"私も"~」ということを言いたいに過ぎず、本当に一般性があるのかどうかは不明瞭だし、一般論とか関係なしに単に「私は~」と言えば済むだけのことである

自分についても、他人についても同様である

それでもこういう言い方をしてしまうのは、やはり自分主語にしてしまうと、主体自分、つまり自分責任が生じるから、それを避けたいという心理の表れなのではないかと思う。

言語能力表現方法について未成熟で、泣くことくらいでしか意思表示できない赤ん坊子供ならばいざ知らず、程度の差こそあれ一定言語能力表現方法を身につけた大人ならば、自らの責任において自分言葉手段)で語れなければならないと振り返るのである

自分自身については心がけ次第で実行できるが、他人強制することはもちろんできないから、そういった無責任言動の人を見るとどうしてもももやししまう。

2021-10-04

anond:20211004204253

おチンポしゃぶるの一般性癖だと思ってる女をどうにかしたほうがいいぞ

2021-09-15

anond:20210912075351

警察動画税金でつくっているのだから

うーん、これだと動画民間団体資金負担して作って寄付した場合は話が変わるとかになりかねないし、

動画税金で作ってるから」って点は入れないほうが話の一般性高まると思うんだけどなあ

別に税金動画を作ってなくても前後で言われてることが否定されるようには個人的には感じない。

2021-06-19

主フ

主婦主夫も読みが同じなので「主フ」と表記できる。he/she表記やpersonと違って文字数が増えなくてサイコー

でもこれってたまたま偶然なので一般性がなくて、ズルっぽいので、なんか嫌。

看護婦とかなら看護師みたいに「師」とか「士」で中性的な言い換えができる。

主師じゃなんか変だ。主フという役割職業?を表す文字が入ってない。

ちゃんとした名前をつけたい。

家庭管理職とかハウスマネージャとか。

2021-05-30

anond:20210530120020

(1) ある抽象理論の汎化性能を確かめるためには、さまざまな事例や反例を見つけるのは学術的には行われている行為。極端であっても具体例が抽象理論合致しない例となるなら、その理論一般性を疑うことができる。

(2) 確かに責任能力の有無については議論余地はある。

2021-05-18

anond:20210518145655

処女好きってのなら一般性

処女しか結婚する気にならないってのはやや特殊だけど他人押し付けない、公言しないなら一般性

20代美女性格経験人数1<<<<30代ブス性格×経験人数0で後者と選べるってなった時に後者選ぶなら特殊性癖

2021-05-07

anond:20210507112734

どんな美少女幼女も成長するにつれて、最後はおばさんになります

LGBTは、対象を一生涯愛し続けることができますが、

ロリコンは、対象が年をとれば愛し続けることができないでしょう。

まり、愛に継続性が無いのです。それが差別がゆるされる最大の理由です。

もちろん、LGBT含む一般性愛者だって、愛し合った相手に愛想を尽かせて、離別することだってあります

ロリコンだって、好きになった美少女がおばさんになっても愛し続けることだってあるかもしれません。

でも、おばさんを愛せるのなら、それはもうロリコンではないのではないでしょうか。

2021-03-30

anond:20210330113545

女性向けのショタ間氷期だった時代ってあるか?

今は男性向けの男の娘一般性癖化したので、ショタを描くならその路線で頑張って。

ミソジニー女性憎悪)が三十路と関連があるってギャグじゃなくてマジで思ってたっぽい人がたまに発掘されるけど

三十路ネットスラング的に改造してミソジニーになる経路って、三十路を何らかの手段使用したオナニーという言葉特殊性癖扱いで多用されて短縮されることしかいからな?

そんなの一般性癖でしかいからありえないよな?

あとミサンドリー男性憎悪)はタンドリーチキンと一切関係ないです

2021-02-20

自覚を促されない人への羨ましさたるや

弱さとはそういうこと、自覚しなさいとされることよね


障害方面学者さん(自身当事者だったか)が、健常とか自立とかい状態は、依存してないんじゃなくって依存先がたくさんあってそれゆえそこに強く縛られることのない感じだって言ってたけど、

まり自覚を求められないんだよね


ここは弱さの文化

吹き溜まりだし自覚文化

理解のある彼くん」という一般的でない言葉が定着している感じ


…「彼くん」が定着していると思えるのは私が発達障害でばかりサーチしているからでは?

わからんここでの一般性わからん


一般性

常識

があるし自分のわかってるそれが通用するという思い込みにも

自覚を求められずに済む人がいる


羨まし〜

つって理想とは断固言わないあたりで

健常を見下している

が、侮蔑通用しないから結局弱い

見下すあいつの年収など 年収など



ここで問題になるのは、羨ましがったり見下したりする対象が、自覚を求められない「こと」ではなく「人」なこと

それが道理としておかしいとかじゃなくて、そうなると単に面倒

そうなってしまうのはおそらく体力不足 心身どちらの意味でもありうる 流れの悪さ

あるいはマンネリとか不満足 幸福


から幸福ゲージを下げて満足感を高めて

サプリがぶがぶして縄跳びしてよく寝る

といいよニア真人間だよと言われても

無理なもんは無理ですけん

どれだけでも荒波に揉まれますけん発達持ちは

つって発達持ちじゃなくてもしんどくなるときはしんどくなるわ



弱さの文化

自分の弱さが好きな人とか

あるいは好きなことへの戸惑いとか

自分の弱さにアレルギー起こしてる人とか

あとアレルギーを拗らせたのかもうアレルギー文明に則っている人とか

なんであれ自覚を求められてる感があるのでここは私と同じ人間がいるって感じがする しま

場所

つって私はそれでモチベが上がるタイプでないので常駐しないけど、本棚に置いておきたい本みたいな位置づけ

SNS真逆

SNSで求められる建前ないし本音の後位性は交流するにはありがたいと思えるが、

弱さを無視できない私(たち)はそれでは済まんので

愚痴ならどこででも聞けるけど、愚痴って大体健常のものだしね と個人的な印象 別にそうでもないけどやっぱ自覚を求められてる感がないじゃん


満足 縄跳び 安眠枕

弱さを問題にしないことは、ここを吹き溜まりとして立ち寄る人の一部にも可能なんだと思う

突っ走っていけなくない人もぼちぼちいて実際突っ走ってる人もいる


たぶん私が自覚したいんだよな

それに耐えられるわけでもないのに

2021-01-19

ふたなりってそんな異常な性癖か?

チンコを手や床で擦ると気持ちいい」という性の目覚めのスタートラインに即した最もオーソドックス性癖だとすら思うが。

マンコにチンコを入れると気持ちいい!」「フェラ凄い!」みたいなのって直感的にはイマイチ理解できないじゃん。

だっていきなりオナニーオナホやローションは使わないだろ?

徒手空拳で皮ごとコシコシするのが普通のオナはじめの筈だ。

それに最も即してるオカズふたなりだよ。

性に今さっき目覚めたばかりの繊細な少年が、知らないオッサンチンコ自分を重ね合わせてオナニーなんて出来るか?

オッサンが「うっ!気持ちいいぞ!うほほ」と言ってるセリフ1つで萎えちゃうだろ。

でもふたなりだったら、最初から最後まで女の子しか出てこない。

女の子チンコ気持ちよくなって興奮する姿に、自分チンコ気持ちよくなっていくのを重ねればいいんだ。

これこそまさにオナニー第一歩として極めて健全じゃないか

それともあんたらは「いいや、AV男優AV女優チンコ突っ込んで「あっ、気持ちいいよ。いいね」と喘いでるのを見て「うっはーまんこって気持ちいいんだうっらやましー」と瞬間、AV男優チンコ重ねて、するのが健全オナニー第一歩だろうが」というのか?

それこそ繊細な思春期少年からホモかよキンモー☆(*この増田同性愛否定する意図はありません。あくまでも、性に目覚めたばかりの少年からすれば、男性男性を興奮の材料とすることに嫌悪感を抱くのではないだろうか、という話です)って感じじゃないか

どう思うよ?

ふたなり一般性癖だろ?

2021-01-15

スマホで開発しやすプログラミング言語エディタができろ!

スクリプト言語

コンパイラが普及してて一般性があって

あとはええと…

エディタはカッコとかが出しやすい方がいいか?…うーん

あれ、javascriptでいいや

2020-11-20

anond:20201120195308

創作界隈のことが全然理解できてないこと一般性であることはりかいできました。またよろしくお願いします。

2020-11-04

から中年おじさんへの差別やめてくんない?

職場飲み会文化理解できない」と嘆く28女性鴻上尚史がひもとく「中年おじさんの快感という既得権益」 (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dot.asahi.com/dot/2020103000028.html

これのタイトルや内容もだけどはてブコメントがまたほんと酷いよね。

RCHeLEyl な。中年オッサン自慰飲み会に付き合わされキャバ嬢扱いされるこっちの身にもなれよ気持ち悪い。どうしてこうも害悪をまき散らすのかね。

2020/11/04

 

自分も今年40の中年おじさんだけど

若いから飲み会文化が嫌いで嫌いでずうう~~~~っと嫌な思いをしてきたし反対してきたわけ。

はてブでもそういう話題があるたびに酒文化ヘイトコメをしてきたわけ。

新卒で入った業界上位の上場企業もも気持ち悪いウザい絡みをたくさん見たし、されたし、同期の新卒女子社員キャバ嬢みたいな扱いされるのを見たわけ。

ほんと気持ちわりい、嫌でしょうがない、って同期の男の満場一致意見だったよ。

その後は後輩の新卒女子に「ほんと気持ち悪いよね、ごめんね、適当に帰っていいよ」って抜け出させてたけど

結局そこは色々嫌なことがあって30で抜けたんだけどね。

ちょっとアメリカ工事で大失敗して(そういうのやるの二度目で一度目に銀行が入った)経営ヤバいって新聞記事になるレベルになってざまあみろと思ってるわけ。

  

今の職場マナーいい人しかいないか飲み会そんなに嫌じゃなかったけど

それでもコロナで無くなってくれてほっとしてる気持ちはあるのよ。

もう飲み会自体が嫌いで、感じ悪くない人しかいない席ですら勝手に嫌な気分になるから

 

なんでそれを、「中年おじさん」でくくられなあかんの?

そういう行為気持ち悪いと思い続けて反対の声を上げ続けてきて16年かけて中年おじさんになったら

中年おじさん」でその酒文化受益者の枠にまとめられなきゃあかんの?

 

ていうか鴻上の言葉遣いがまずおかしいんだけどさ。

この飲み文化問題では明らかな世代差、飲み文化を当たり前としてきた世代って言うのは確かに存在する(その中にも少数の飲み文化を嫌ってる人は絶対いるけど)。

 

でもその世代ってぶっちゃけもう還暦以上の世代だろ。

爺さんって言ってくれよ。(それだって無実の飲み文化嫌悪爺さんを巻き込んでるんだけど、巻き込みボリュームは大幅に減る。)

 

鴻上尚史自体還暦過ぎで、爺さんでしょ。

還暦過ぎが自分世代やその近くの世代の話をしてるんだから、爺さんの話でしょ。

 

中年おじさん」なんて言われたら30後半ぐらいから引っかかるじゃん。

その世代はそんなに飲み文化を当然としてないし、嫌ってる奴ウジャウジャいるだろ。

爺が爺の話するときは爺って言ってくれよ。

だって還暦過ぎまで生きてたら潔く爺を自称するよ。おじさんて言わねえよ。

 

 

はてブの奴等の腐った言い逃れも先に潰しておくけど

ぜったい言い訳として「自分が言われたと思わなければいい」とか「あなたに言ってない」とか言いだすんだよな。

じゃあ言葉遣いに気を遣え。

 

バカがよくやる、まるっきり一般性のない話を「女ってのは~」みたいなクソデカ主語にぶち込んでくるようなあれ見てムカつかないならそれでいいけどな。

ムカつくんだろ?

なら雑な括りで「中年おじさん」とか言ってんじゃねえよ。

それこそいい気分になってる飲み文化セクハラモラハラ爺の「若い連中はさあ~」「若いの子はさあ~」とどう違うんだよその無神経さと敬意の無さ。

 

white_cake 学生時代に後輩から「〇〇さんがやたらと下の学年の女子食事に行きたがり、うんと言うまで粘る。どうしたらいいですか」と相談されたことがある。こういうムーブが好きなやつは若いうちからやるんだよな……。

2020/11/04

全くだよ。

そう言うことやる奴がそう言うことやるんだよ。

世代としてはい還暦以上のジジイ文化だし、突き詰めれば個人問題だよ。

何でそういうことを、滅茶苦茶大雑把な「特定年齢の男」ってカテゴリでそういう奴にまとめる言い方されなきゃあかんの?

その文化が本当に心底嫌いな中年おじさんの立場はどうなんの?

 

雑な言葉遣い自分に許してるのの腹の底には「おっさんにはそういうことしていい」って差別意識は確実にあるだろ。

特定おっさんに嫌な思いさせられたからっておっさん全体に範囲指定して呪詛吐き散らすのは何の正当性もないし立派な差別から

乏しい経験から女全体を憎悪して汚い言葉を吐き続けるミソジニー男と全く同じ構造じゃんそれ。

 

 

追記

duckt あなたの言う「爺さん」の中にもあなたと同じ思いの人がいるだろうという想像力は働かないのね。あなたあなた非難している人たちとどこが違うの?

2020/11/05

dAbruzzo この増田がやめてほしいのは「決めつけ」に思える.前半の主張はおじさんに見えるからって飲み会好きと決めつけるなよってことだし.そんな増田も,爺さんは飲み会好きって決めつけてるのは興味深い.

2020/11/05

この人達って一体何なの?

 

 

俺その辺について

この飲み文化問題では明らかな世代差、飲み文化を当たり前としてきた世代って言うのは確かに存在する(その中にも少数の飲み文化を嫌ってる人は絶対いるけど)

爺さんって言ってくれよ。(それだって無実の飲み文化嫌悪爺さんを巻き込んでるんだけど、巻き込みボリュームは大幅に減る。)

って

まさにその話を、くどいほど、ちゃんと断ってるよね?

 

ブコメ見る限りタイトルしか読んでない勢とかじゃないんだよ。

ちゃんと中身まで読んでるっぽくて、これ。

この人達は一体何なの・・・

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-10-22

アナルバイブ・チャイルドデブ・イート・フェミニスト・ガキ・孕ませ・インポテンツ・ジャリ・子供ロリコンマゾ

ノータッチおっさん(汚い)・ピス・クォーターレイプサドタッチうんこヴァージン・Wフェラエックス線ヤングゾイド

かに性癖なんて当てはめようと思えば無限にあるな。

その中でどうしてレズゲイバイオカマけが特別扱いされるんだろうな。

というかそういう所なんだよな。

全ての性癖を認めようじゃなくて、俺たちを第一身分として認めろとしか言ってないわけで、尻穴にゾイド玩具を入れてオナニーする行為一般性癖として認めろって運動が起きても知らん顔で、それどころか今の第一身分に媚びるために叩く側に回るんだろうな。

そういう所だよな。

2020-09-02

anond:20200902165325

もちろん「相手尊厳を奪うこと」というのは私の言語表現なので一般性はないですが、「小児性愛犯罪刑法だけ適用しても犯罪抑止効果なんてあるわけないよね」というのは一般的な話だと思います

2020-09-01

anond:20200901181721

おっしゃる通りだと思いますよ。ただ、批判が少数の特殊な人からのものか、一般性の高いものか、その上で広告表現に変更を加えるかどうかって、広告主が決めることですよね。広告ターゲット(例えばオタク)は当事者じゃないのに、「おまえらは少数派だ」とか、何のために主張してるのかよくわからないのもよく見かけます。そんなものフェミニストに言われても、言われた通りに数が減らせるわけでもなく。批判者の数って評価じゃなくて事実ですから議論してどうこうするもんじゃないですよね。

あと特殊な少数派の批判であれば聞く価値がないって社会は窮屈で嫌だなぁ。まあ実際には「何にでも噛みつく」ように見えるのは、「なにが問題理解してないので『あなたには』行動パターンが見えない」というだけだと思いますよ。ちょっと勉強するだけで生きやすくなると思いますよ。あなたはそれを望まないでしょうけど。

2020-08-10

anond:20200810122723

追記ありフェミニストによる「一人一派実例

このフェミニストを騙る輩は無知なのか歴史修正主義者なのか。

自分観測範囲ではそもそもフェミニスト自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニスト一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニスト自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
フェミニストの中で明示的に「一人一派理論採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である

フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)上野千鶴子×田房永子上野先生フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)

フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年感想

フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )

上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミ批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?

そしてこういった汚れた輩から高潔フェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます

追記

あなた理解力が著しく欠けているので、質問義務教育を終えてから。まずは学校勉強に専念しましょう。

第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。

これらは全部あなた観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。

第一に、上野氏ほかの主張は彼女自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。

総意なんて存在しないもの議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分正当性固執するあなたの姿は醜い。

自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくま最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うからフェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。

あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます

「ザ・フェミニズム」p.303(上野によるあとがき)

第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だってわたしわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。

トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)

一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。

Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載

でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者アクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性男性と同等の権利尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミ一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。

大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2

フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。

プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明

論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236

204 ページ

フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口フェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという

ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7

文字数制限で略)

上野千鶴子氏の社会活動に関する Wikipedia記述

上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワークWAN理事長古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究フェミニズムのツールです」と自身研究運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹上野自身運動不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市批判し、研究者且つ社会運動である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。

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