はてなキーワード: 堀茂樹とは
・自分の観測範囲ではそもそも「フェミニストを自称しつつ一人一派と主張する人」を殆ど見かけない
・むしろフェミニストは一人一派と言っているのは「アンチフェミ」の方
・またフェミニストを自称しつつ一人一派を主張する人がいたとして、それはフェミニスト思想全体への批判に繋げられるほど一般化された主張なのか?
・フェミニストの中で明示的に「一人一派」理論を採用している人は少ない。一人一派との指摘を行っているのはアンチフェミニストが主である
フェミは多様なものよ。一人一派、それ以上あるかもしれない。それらがぶつかり合うことはあっても、正統と異端という考えは全くない。(p186上野)(上野千鶴子×田房永子『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 』、2020年刊)
フェミニズムは一人一派、まさにそのとおり。/小倉:フェミニズムは一人一派だから、考え方が対立して当然なのだ。/フェミニズムとは一人一派と書かれているので(上野 千鶴子,小倉 千加子 ザ・フェミニズム (ちくま文庫)、2002年刊 感想)
フェミニズムは一人一派だ、というのは(多分)田中美津の言葉だけれども、別にフェミニズムでなくたって人間は基本的に一人一派である。(私は愛されたい、私はピンクが大好き、それゆえ私はフェミニストになれない(のか?) )
上野 千鶴子氏など著名なフェミニストが「フェミニズムは一人一派」と言い続けているのに、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」と嘘をついてアンチフェミを批判するあなたは、無知なのか歴史修正主義者なのか、どっちなんでしょうか?
そしてこういった汚れた輩から、高潔なフェミニズムを守るために、一人一派は役立ちます。
(追記)
あなたは理解力が著しく欠けているので、質問は義務教育を終えてから。まずは学校の勉強に専念しましょう。
第二に、「主張する人を見ない」「むしろアンチフェミが言っている」「一般化されていない」のはすべて事実です。
これらは全部あなたの観測範囲にもとづく主観です。これが証拠になるのは、小学校までです。客観的な事実なしに主張するなら、フェミニストを名乗ることで他に多大な迷惑を及ぼしていることを自覚なさい。
第一に、上野氏ほかの主張は彼女ら自身の説・主張であって、フェミニスト全体の総意ではありません。
総意なんて存在しないものを議論する価値がありません。上野氏は活動家でもあるという事実(後述)から目を背けて、自分の正当性に固執するあなたの姿は醜い。
自分の耐え難い苦しみがこれまでのフェミニズムに相いれないときに、自分の苦しみを優先して個人が社会活動として訴えることを認めるのが、本来の「一人一派」で、あくまで最後の手段です。それを、自分の気に入らないことすべてに安易に使うから、フェミニズム全体の信用が失われ、アンチフェミニストが指摘するときの便利な道具になってしまったのです。
あなたには無理ですが、あなた以外が「一人一派」の一般性を理解できるよう、フェミニストによる「一人一派」をいくつか引用しておきます。
第二に、小倉さんが言うように、フェミニズムは「一人一派」。だって「わたしがわたしであること」がフェミニズムなんだもの、人の数だけあってあたりまえ。ある人はこういうが、別の人はああいう。批判されても、ああそういう人もいるわね、でもわたしは違うって思っていればいい。(略)
何はともあれ、矢はとっくに放たれている。小倉さんとわたしの「一人一派」に、読者のあなたにもうひとりの「一派」を付け加えてもらえれば、この本の目的は達せられたことになる。
トランスジェンダーとフェミニズム ツイッターの惨状に対して研究者ができること 堀あきこ (2019.2.4)
一方、フェミニズムは、フェミニズム内で意見の対立を抱え続けるものでもあります。(略)
この対立は、しばしば「フェミニズムは一人一派」という言葉で例えられます。なぜ、統一しようとしないのでしょうか。
Where We Are Right Now :多義的に進化するフェミニズムの現在地 清水晶子 (Harper's Bazaar 2017年6月号掲載)
でも、そもそもフェミニズムって何だっけと考えると、これが意外にわかりにくい。「フェミニズムをひと言で定義してください」と言われたら、専門の研究者やアクティヴィストでも一瞬たじろぐだろう。
女性も男性と同等の権利と尊厳を持つと考える人はすべてフェミニストだ、という言い方がある。出発点として、これは間違いではない。
同時に、「フェミは一人一派」という言い方もあって、これもある意味では正しい。実際、フェミニストの間で「それってフェミニズムとしておかしくない?」「いやそれはありでしょ」という議論が交わされることは、珍しくない。
大学に行かずにフェミニズムを学ぶ方法 小松原織香 2019.11.2
フェミニズムは一人一派と呼ばれ、それぞれが「私のフェミニズム」を語ることで成り立っている。それがどんなに間違っていると他人に言われても、「私のフェミニズム」は誰にも否定されるものではない。それが大前提だということはおさえておきたい。
プラスαの読書大特集(第2弾)新書だけで学び直す一般教養15講+α 著者不明
論座 (通号 86) 2002.7 pp.188 - 236
204 ページ
フェミニズムは一人一派というひともいるくらい多岐にわたっているし、その内容もきわめて多様である。だから、どんな考え方がフェミニズムなのかという根本はともかく、一口にフェミニズムといっても実にいろいろな考え方があるという
ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? 髙崎順子 ハフィントンポスト 2020.2.7
上野 千鶴子 NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。古市憲寿との対談にて、「ジェンダー研究はフェミニズムのツールです」と自身の研究は運動に利用するためと答えて、小熊英二に「活動家としては正しい」と言われている。堀茂樹は上野が自身の運動に不都合なことは隠すと答えていることで、上野を「救いがたいレベル」と評し、小熊と古市も批判し、研究者且つ社会運動家である事は許されるが、「研究者として社会運動家のように行動するのは詐欺」と批判している。
数年前に国公立大学で無利子奨学金、授業料免除を全額とか半額とか受けて祖父母に支払ってもらって卒業した。
下宿は親せきの家で、家賃25000円で置いてもらって、かなり恵まれていた。
父親とは縁を切ろうとして家を出たのに、奨学金も授業料免除も、親の証明がいる。
祖母が父親と交渉してくれたけど、それはもう毎回、戦争だった。
社会的にクズだからか、不満の当てつけか、書類が遅れることはいつものことで、何度、学生課に頭を下げたかわからない。
父親が自営業で、実質経営破たんしていたから助かったけど、下手に収入あったら困ってただろうって思う。
それでも、こんなのマシだ。
毒親を想定しない制度の多さ - T.が過去を振り返る http://t-ritama.hatenablog.com/entry/2016/06/03/113152
自分が国公立大学に入って驚いたのは、お金に余裕はなくても、親がちゃんといる、ちゃんとした教育を受けている子が圧倒的に多いことだった。
そりゃそうだ、入る段階で、選別されているんだから。
自分は運が良かった、と本当に思う。
堀茂樹教授「どちらかといえば金銭的&文化的に恵まれた若者達の組織」に対する反応と奥田君の苦悩 - Togetter https://togetter.com/li/921944 @togetter_jpさんから
自分も、授業料免除の度に、何の苦労もない人が羨ましくて仕方なかった。
目の前が真っ暗にならなかったのは、大学での友人の存在と、今は夫になる人がいたからだ。
夫は、親が継父でお金を出してもらえず授業料免除は却下され、奨学金を借りて毎日8時間アルバイトをして、大学の講義にも出て、ちゃんと卒業した。
友人は、バイトしたお金を自由に使って遊んでいるし、貯金もある。
そんな格差を目の前で見せつけられた、高校を卒業したばかりの若者が耐えられるか、と思うのだ。
今も、日本は、こうして、呪いを貯めこむ学生を増やしているんだろう。
自分も、その一人だ。
でも、これで救われるのは、自分じゃないのだ、と気付いて、気が重くなってしまった。
あの時の、自分のつらさを、他人にも味わってもらわないと平等じゃない、と考えてしまうようになってしまった。
社会人になって数年。
大学の時は、これから働いて豊かになるぞ、人生、楽しもう、と思ってた。
だけど、身体を壊してしまって働けなくなって、夫に収入は頼り切りだし、明るくて楽観的だった夫も、残業続きで疲弊している。
高度プロフェッショナル制度も通ってしまったし、夫の会社が、この制度を悪用しないことを祈るばかりだ。
他人がちょっとでも幸せそうにしていると、妬むようになってしまった。
それを、国公立の授業料免除の改善ニュースで、気付いてしまった。
これからも、他人を妬みながら、くらすようになっていくんだろうか。
それは怖くて自分に失望する未来だ。そんな時期もあったなと思って無邪気に笑える未来は来るだろうか。
きっともう、どうしようもない。ただ流れに身を任せるしかないんだろうな。
1) https://anond.hatelabo.jp/20180114045429 文書訳についての堀さんの解説(訳したのは私ではない)。
2)これに以下(2)のようにコメントした。
3) そしたら間もなく、twで次のような発言をなさった。https://twitter.com/hori_shigeki/status/952471781528367104
4)これが私のことを言っているのか分かりませんけど、その可能性を考えてお応えを書きました(4)。
でも、まさか、そんなはずありませんよね。堀茂樹さんのような方が、根拠も示さずいきなり人をバカ扱いするような傲慢な真似をされるはずありません。(*^^*)
ちなみに私は、自分の頭がいいとは思っていないし、ドヌ―ヴ文書を「こきおろす」つもりもありません。
悪い頭で一生懸命考えて、この文書は必要な明解さや整合性に欠けている、と判断し、それを筋道立てて提案しました。それだけです。
また、文書を執筆し、発表した女性たちの勇気には敬意を感じます。
2.おっしゃる通り、「la galanterieギャラントリー」には、ドアを開けてあげるなどの女性への「礼節」と誘惑の両義がありますが、それでしたら、この語を「女性に対する慇懃な振る舞い」とか「レディーファースト」と訳すのも誤りですよね。これだと、日本人にとっては「ドアを開けてあげる」「席を譲ってあげる」などのイメージにしかなりません。それを男性優位性にのっとった攻撃と批判する極端で過激なフェミに、ドヌ―ヴたちは反対しているのだ、という印象を与えますが、これは不公平です。もっと曖昧に「女性に対するお作法」でどうですか。それか、注でもつけて説明するしかありません。ところで、「そこにごく淡い艶(つや)が伴っていれば」の「淡い艶」って何ですか?ドアを開けながら、女性をじっと見つめることですか?「あなたきれいですね」とボソっという事ですか?どちらも下心がないとは言い切れません。他人が書いたものを理由にその人を褒めたり、貶したりする前に、テキストをじっくり読まなければならないとも思いますが、そもそもこのテキストはもともととても曖昧で、整合性に欠けたものです。多くの語義が曖昧で、何が言いたいのか分からない。いくつもの主題がとびとびになり、また混合し、一貫性があるのかないのか分かりません。彼女たちの判断を示す文がどのようなニュアンスを含んでいるのかも曖昧です。部下や自分の学生の膝を触ったり、唇を奪おうとするのは、「女性に対する慇懃な振る舞い」なんですか?「男尊女卑的な攻撃」なんですか?最も重要なのは、それぞれの言説がどのような現実に還元されるべきなのか、という断定ができないことです。それというのも、執筆者たちが具体例を挙げていないからです。だから、それぞれの読者がめいめいにそれぞれの現実に還元して、擁護したり批判したりしているのです。そして、日頃フランスで性暴力やしつこい誘惑に悩まされている女性にとってはかなりの確率で自分達を傷つけるテキストです。このテキストの痴漢の件は、バスで裸の男性器を押し付けられ、2年間バスに乗れなくなった人を傷つけましたし、嫌だと言っても追いかけて来る半ばストーカー的なフランス風ナンパを擁護しているのではないか、とも危惧させます。これらを、職場の上司や業界の権威者や自分の先生にされる時はまた格別に深刻です。フランスでは客や、自分の学生(大学でも高校でも)、部下を口説くことって大して問題視されてこなかったですから。ともあれ、このテキストの不明瞭さがあまり問題にされないのが、とても問題だと思います。色々なフランス専門家たちが、このテキストをどう読むか、で色々な議論を交わされているのですが、そもそも一貫した読解に耐えうるテキストなのか、を問うた方がいいと思います。このことは翻訳にも影響します。翻訳とは、文脈や論旨の一貫性やその他の背景を参照しなければ、非常に困難な作業ですから。
4. 私のことを言っておられるのであれば、根拠を示さず「望ましくない態度」と批判するのはレッテル張りです。じゃあ、例えばimportuner★とはこのテキストの執筆者たちにとってどういう意味なのですか?この語が分かりにくいと感じたのは私だけではありません。事実、le mondeが辞書的な語義を解説するに至っています。https://twitter.com/deja_lu ネット上でも解釈は分かれています。例えば路上で知らない女性をナンパすることを考えてみましょう。①女性にナンパ目的でBonjourと声をかけただけで、例えその後彼女を煩わさなかったとしても、importunerになる。②Bonjourの後で、女性が無視する、あるいはあっち行ってください、と言ってもナンパを続ける。どちらに解釈するかで、このテキストの意味合いが大きく変わってきます。①の場合、確かに、「ノーと言う自由」はこのimportunerする自由がなくては成立しないと言え、また彼女たちが批判するフェミニズムはより過激なものと言えますが、その場合、「drague insistante★★」擁護との整合性は?②であれば、「ノーと言う自由」がimportunerする自由がなくては成立しないと言うのは、詭弁です。なぜなら、「ノー」を無視して誘惑を続けることは、「ノーを言う権利」を半ば侵害しているからです。「il faut savoir répondre à cette liberté d'importuner autrement qu’en s’enfermant dans le rôle de la proie★★★」は具体的に何をしなければならない、ということなんですか?①の場合はノーと言えば済みますが、②の場合はどうすればよいのですか?また、路上でのナンパではなく、職場の上司や逆らえない相手に誘惑された時は?それとも、この文章は①のケースのみ想定しているのでしょうか。そうではないでしょう。②の場合や、「ノー」と言えない状況で誘惑された場合、誘惑する方が悪いのに、どうしてされる方が何かsavoir répondre★★★★するための能力や努力を求められねばならないのですか?以上の2点だけでも、私は曖昧で不明瞭だと思いました。とても重要な点なのに、です。解答をお持ちでしたら、ぜひご教示いただきたいです。
★importuner:うるさがらせる、嫌がらせる
★★しつこい誘い、ナンパ
★★★獲物の役割に閉じこもる以外のやり方で、この嫌がらせるimportuner自由に応える能力がなければならない。
★★★★応えることができる(能力がある)