はてなキーワード: バイヤーとは
消費税が10%にもなってしまったこととの背景には、地方の資産税収入の減収という要因もあるんだろうな。
地方の地価は下がりっぱなしで、それに伴い、土地に課税される資産税の税収も下がる一方。
それだけでなく、耕作放棄されたような土地だと、その少ない資産課税すらボイコットされる。
なぜなら、売ろうにも売れない土地の評価額に妥当性なんて無いからだ。
妥当性の無い評価額に従って決められる資産税額にも妥当性なんてないということになる。
この傾向が健全化する兆しは無い。代わりの財源として消費税が必要とされている訳だ。
そもそもなんで田舎の土地がタダ同然になっているのかといえば、
農家は自分で作った農作物の値段を自分で決められないという歪んだ産業構造が背景にあったと思う。
市場で買い付けするバイヤーどうしがつるんで農作物を安く買いたたく、「逆談合」とでも呼ぶべき状況が、昔から野放しなのである。
1990年代は、それでも、農業しかできない人たちは我慢して農業していたんだよ。
でも、今はもうそういう時代じゃない。やってられない。廃業するしかない。
そして農地の地価下落→税収減少→代わりの財源が必要→消費税UP
三浦春馬と同い年だった、いずれ過去形になってしまうのが悲しい。
彼が亡くなってからふとした瞬間の悲しみがある、会ったことも話したこともない存在なのになぜなのだろう。
あの頃は志田未来がとにかく話題で、「シュッとしたイケメン」くらいにしか思っていなかった。
成人してからは印象が変わった、
CMで歌を披露しているの見て、良い声だな〜と思ったり、ダンスや舞台もやっているそうで、何でもできる多才なひとなんだなーと思うようになった。
とはいえもっとも彼を知るきっかけになったのは、NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」だ。
MCがJUJUと三浦春馬で、世界中を飛び回るバイヤーが紹介する雑貨、インテリア、食などさまざまなモノを紹介する番組、これが良かった。
彼のことを追っかけたり、ファンとしてドラマや映画を見ていたわけではないので一面的だろうけど、この番組では素のような三浦春馬を見ていた。
そもそもJUJUも素のような感じで、調子の良いことを言ったり三浦春馬をイジったりするのだが、彼は彼で、子供のような純粋な表情をしたり、真面目な顔で何か感じ取ろうとしていたり、表情を見ていて楽しい番組だった。
細かいことを言うと番組の時間帯が映ってからは面白さが半減し、あまり見なくなってたのだけど、それでもJUJUと三浦春馬の掛け合いが見たくて見ていたような番組だった。
そんな中であの訃報だった。
出先で速報を見て、信じられず混乱した。
速報からしばらくしてNHKのアプリに彼の顔写真がトップに来ているのを見て、何だか変な気持ちだった。
出先から帰る電車の中で、なんだか胸が苦しくなってくるのを感じた。
言ってなかったが俺は男で、彼に対して何か特別な思いがあるわけでもない、と思っていた。
けどとにかく悲しくなってきた、友人がいなくなってしまったような、感情を共有してきたひとが消えてしまったような、そんな気持ちだった。
とにかく暗い気持ちになってきて、誰かと話したいと思った。
予期しない喪失感にとにかく面食らっていた。
1人でいると、気が沈む。
妻がいるので、帰宅してきたところを駅まで迎えに行って、ポツリポツリ話し始めた。
他の話題を挟みながら家まで帰り、ニュースを見ながらまた思い出話をしていたら、不意に涙が溢れてきた。
自分でも何故だかわからない、彼のファンでもないし、追いかけていたわけでもない、よく知っているわけでもない。
でも何故かとにかく悲しくなって泣いていた、あとで彼が自宅のクローゼットの中で亡くなっていたと聞いて、余計に悲しくなった。
何故彼は1人で、クローゼットの中なんてところで亡くなってしまったのか、自殺報道の在り方についてガイドラインの重要性をはじめて感じた。知りたいけど知らない方がいい情報もあるのだとはじめて実感した。
勢いで書いてしまった、とにかく悲しい気持ちが続いていてこんなことははじめてなので、ここに書き出すことにした。
YouTubeでみた彼の歌が忘れられない、頭の中をグルグル回る。
今日会社のミーティングで、30歳の部下を評するのにこう言った人がいた、
「三浦春馬と同じ、悩める30歳です」
少し笑いが起き、同時に「それは不適切ですよ」と嗜める声が上がった。
三浦春馬と同じ、30歳だ。
何故か今はそれが悲しい。
アベノマスクに不良品が多い理由なんだけど、なんとなく理由が想像付く。
受注したのは興和、伊藤忠商事、マツオカコーポレーションと報道が出ている。
https://www.asahi.com/articles/ASN4P6GRPN4PUTFK022.html
前2社は総合商社で、マツオカはアパレルOEM;どっかのブランドや服屋から受注して東南アジアの現地会社に作らせて納品する業態だ。
で、アパレルOEMはいつも同じ現地企業と取引してて品質管理も継続してやってる。だからこういう事はちょっと起こりにくい。
なので総合商社経由の納品分がトラブってるんだと思う。
幾ら総合商社と言っても急にガーゼマスク数百/千万枚とか用意できる訳じゃない。そういうルートを持ってるわけじゃないから。
専門商社というのは沢山あって零細で個人経営のバイヤーと区別が付かいのまである。スポットなのでそういうところに下請で頼んだのじゃないか?
15~20年前に対中貿易が拡大した時に対中貿易商社が沢山出来たが通常、商社は国内販路を持たない。だから製造業や流通業に営業に来る。
それで腰をすえて商品OEM化するんじゃなくてスポットで雑貨やノベルティグッズを依頼してみるか~なんてのが流行ったのだが、この時問題になったのが不良率の多さ。
不良率なんて1%以下とか思ってしまうのだが、この手のスポット取引で送ってくる商品では6割とかとんでもない不良率になったりするんである(特に電気/電子デバイス)。
そうなると商社の営業は呼び出され「これどうすんだよ、出荷できないよ!」となる訳なんである。
それで出荷停止して全部大元の倉庫に戻して全数検品、検品費用は商社持ちなんて事が続出した。
要するに向こうの工場が誠実に西側基準で検品してくれるかどうかというのはスポットじゃ判らない。取引先が近くで担当が怒鳴り込んで来ない場合は手を抜かないかどうかは不明なのだ。
そして日本で検品するとコストが大変にかかるんである。オフショアの意味がない。
今回の汚損アベノマスクはこれに引っ掛ったんじゃないかなという気がする。
または総合商社じゃなくて上の例のような取引ばかりやってる個人経営に近い商社に投げていて、その会社がオトモダチ(笑)経営とかかもしれない。
だから日本で検品するようになると更に数億円増し積みになったりするかもね。
あと忘れられてるが、貿易で虫の混入って防疫上マズイよね。だから税関が抜き打ち検査重点的にやるハメになって更に時間がかかるようになるかもしれない。
創案進言したのが通産省官僚だそうだが、普通はこの辺の、スポットでかき集めた場合に起こる貿易問題の機知があるはずだけどそうじゃない人なのかもね。
以前居酒屋に行ったとき「LINEで(お店のアカウントを)友達登録してくれたら今日の分から割引しますよ」と言われ、
時々「本日、〇〇が入荷しました!」みたいのが流れてきて、「ふーん」って思ってた
で、昨日何となくLINE見たら、その居酒屋が「マスク譲ります」と
マスク譲りますけど骨髄移植の募金をお願いします、という嫌らしさ お店自体は今は閉めてるみたいだけどさ
一応は衛生製品であるマスクを何で居酒屋が販売できるんだろうね
世間知らずだったけど、普通のそこそこ雰囲気のいい居酒屋だとばっかり思ってたけど、やっぱりみんな後ろ暗いもんなんだね
シャープがマスクを50枚2980円で販売を開始しましたが、先日大阪のイズミヤが50枚3980円で販売したところ大変な叩かれっぷりでした。
そこでアカウントを羅列したいと思います。ってIDを書き並べたいところだけれど面倒くさい人が現れるので、コメントだけ。
[B! マスク] マスク50枚「税抜3980円」が話題に 販売するイズミヤ「原料費が高騰しており、どうしても高くなってしまう」 : J-CASTニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.j-cast.com/2020/03/23382800.html?p=all
今の転売の問題は、コンサートチケット(要するにダフ屋問題)ではなくて、衛生用マスクの問題になってるけど、高橋洋一みたいに「テンバイヤーは経済学的には全く正しい商行為」って言っていた奴は「マスクの市場価値が新型肺炎の流行(の危惧)で急激に上昇したのであるから、依然として安いメーカー販売価との差益を求めるテンバイヤーの行動は経済的に全く正しく、批判するのはおかしい」ってコメントを出すんだよね?
転売ヤーって、基本的には店舗を構えてある程度決まったお客さんと取引する商人にはできないやり方なんだよね。この商売は「弱い客の足元を見てギリギリまで高くふっかけて自分だけが儲ける」商売だから、客の強い恨みを必然的に買うことになり、暴動が起これば真っ先に放火される店になるし、客の立場がある程度強くて店を選べる状況(つまり普通の状況)では「絶対にあの店だけでは買いたくない」って心理が多数の客に刻み込まれてるから、店舗が維持できない。
だから、あれは無店舗の事実上匿名の人間が、不特定多数の客に対して継続性を無視して行う商売にしかならないんだけど、そういうのって昔はダフ屋くらいしか成り立たなかったのが、今はネットの普及で容易にアルバイト感覚でできる様になったから、ああ言う商売が生み出す害悪である「取引客の恨み」が野放図に増大していって社会問題化してる。
あくまで娯楽のチケットであればふっかけられた恨みもそう大きくないけれど、健康や生命に関わるものとなるとそうは行かないわけだが、商売の本質はどちらも一緒で、高橋洋一はどちらも「経済学的に全く正しい」と言わざるを得ないはずなんだよな。
まぁ、転売ヤーを「ただの裁定取引でしょ」って言って全く問題視しない経済学者は高橋だけじゃないと言うか、もしかするとほとんどがそうなのかも知れないんだけどね。
1)
いや、専門家の批評・論評も、素人の「このアニメつまんね」の一言も、どちらも作品に対する評価だよね、というだけの話で。
もちろん議論していただくのは構いませんし、一方で別に議論しなければならないわけでもない、プリミティブな感想で済ますのだってアリでしょう?と。
2)
teebeeteeさんは「手法」「技術」「様式」あるいは「文化」のような言葉が妥当である様に仰いますが、「いつものやり方」といった意味を持たせたい場合、(「手法」ではなく)「風習」という語彙の選択は、それほど無茶苦茶な事でもないでしょう。また、例えば「慣習」であればteebeeteeさん的にOKだったのだろうか?という事も気になります。辞書的には、あまり意味の差はないようですが。
それと、嫌韓の人たちが使っている言葉なので、「かの国」は問題のある言葉である…の様な考え方は、とても真っ当な思考だとは言えません。完全に順序が逆転しています。
恐らく、貞本氏のツイートには『“かの国のプロパガンダ風習”っておかしいよね』の意味が含まれているとは思いますが、では例えば『A氏のスキップって変ちくりんだよね』と言った時、それはA氏という人物全てを否定した事になるのでしょうか?と。
敵愾心について。その内容、またはもたらす影響力の大きさによって、思想・表現が「絶対悪」にされる事こそが「価値観の自由競争(市場)」に反する、正に「表現の不自由」ですよね。『「表現」はどの様な「影響」を与えてもよい』というのは最早、前提レベルです。
teebeeteeさんがその様にお考えかどうかは分かりませんが、『「とある表現」は悪影響がある』みたいな考え方の時点で、思考が捻転してると気付くべきです。それを「悪」と設定するのも、「別のとある思想」以上のものではないのですから。せめて『私にとって都合が悪い影響がある』と言うべきでしょう。
もちろん、あくまでteebeeteeさんの中では「悪い事」だ、という限りにおいては、特に言う事はありませんが。同様に、人道なんてものも(ぶっちゃけ武士道だの騎士道だのみたいな存在ですし)、普遍的な規範として掲げず、teebeeteeさん個人それとしているに留まるならば、やはり特にこちらから言う事はありません。
3)
まず貞本氏の『現代アートに求められるのは、面白さ!美しさ!驚き!心地よさ!だ』という考え方があり、それに対してブコメで『貞本氏は現代アートへの理解が浅い』といった様な批判がある、というのを踏まえての話です。
つまり(teebeeteeさんも貞本氏の「現代アートに求められる」の事をあまり一般的ではない、と仰っていたが)、『「もっとアートに親しんでほしい」的なイベント』としては、むしろ貞本氏の様な理解こそが本流であって、「不自由展」のようなものの方が異端ではないの?という話です(別に異端だから即、展覧会から排除せよという話ではない…もちろん不人気ゆえに淘汰される事はあると思うが)。
4)
という事は、例えば「このアニメつまんね。もっとxxxな感じだったらよかったのに。」といったものは「独善」だ、という事ですか?だとしたら、それはやはり極々正当な「独善」ですよね。
先に述べた通り、貞本氏のツイートに「潰す(中止・撤回させる)」といった意味は見受けられません。また「運動」(抗議活動)によって中止・撤回させよう!…といったものでもありません(そもそも現時点でそれをする意味はないが)。
“自分の興味や許容範囲を芸術祭に押し付けていいのは、正規に専任された芸術監督だけ”というのもおかしいです。むしろ逆に、すべての人が正当な需要の発露として“押し付け”てよいはずです。
北海道物産展(別に北海道じゃなくてもいいけど)のラインナップは、確かにバイヤーさんが「キュレーション」したものかもしれませんが、だからといって客や客予備軍が『あの店は良かったし、あの店はイマイチだった、もっとこんな感じの展になって欲しい』『この程度の品揃えでは行きたくならない、xxxとかあればいいのに』と、その需要を発露してはならないなんて事はないでしょう?まぁ、あれらの場合はもっとダイレクトに売上が物語ってしまいますけれども。
またそれが、店頭で、あるいはSNS等で「この店は相応しくない!閉店すべし!」といった抗議活動を行う事とも全く違う、という話も理解できますよね?
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後、納得したというより、やはり「風習」の解釈は考えすぎだと思うが、teebeeteeさんが「風習」という言葉にそのような意味を見出したため、そう感じる事になったという事については、あくまでteebeeteeさんの内側の話であり、こちらから文句を言う筋合いはない、teebeeteeさんの勝手である、という話ですね。
一方で、これはteebeeteeさんに向かって言うわけではないのですが、感想が「事実化」する、という現象には気を付けたほうがよいでしょう。
例えば、『貞本義行は差別主義者だ(と思う)』という自身の内側で熟成された感想でしかなかったものが、https://b.hatena.ne.jp/entry/4672773449994362818では既にいくつかのコメントにおいて「事実化」しており、『差別主義者が言い訳している』という見方しか出来なくなっている様子が観測できます。
また、
中韓アニメーターは所詮下請け扱いでまともなクリエイターとして見ていないんでしょう。そうでなければ「かの国の」などと国民全体を侮蔑するような表現は使わないはずです。— aschheimm (@aschheimm) August 9, 2019
貞本義行氏の件のツイートのどこに悪意を感じるか貞本さんのツイートはBBCの特集で話題の「犬笛」表現に加え、女性蔑視、ルッキズムやI have black friends論法も同時に使ってるので、差別主義者の典型表現がふんだんに詰まった文章になってるんですよね。2019/08/10 06:36
も紛うことなき「事実化」ですが、まずこの「犬笛」判定が「エスパー」と紙一重である事には注意された方がよいですし、また「犬笛」か「エスパー」かに関わらず、記述されていないそれを責めるという事は、つまり内心への糾弾である…という事くらいは認識された方が賢明でしょう。
世間では「普通をはみ出す」とか「まともから外れることが成功の鍵だ」というようなライフハックがよく紹介される。そして、僕は「常識外れ」だ。しかし、彼らの言う「常識外れ」と僕の言うそれは大きく異なっている。そして、常識はずれであることは苦痛だ。「普通をはみ出す」というのが、「自分で考えた証」だとか「成功への近道」だとかいう、ふざけた考え方が嫌いだ。
いらだちを書かせてほしい
僕は巷で流行っていることに興味が沸かない。どんなにサッカーや甲子園、アイドルが盛り上がっていようと興味が沸かない。その流行している「もの」を面白いとも思わないし、それから利益を得られるとも思えない。これは、普通の人達と同じ感覚だろう。
しかし、普通は「とりあえず」とか「目の前にあるから」とかの理由である程度興味を持つらしい。僕は友人がやっている「こと」に興味を持たないし、知り合いに勧められた「物」にも興味が沸かない。そもそも、「行動」する気にもなれないし、違いのある「物」だとも思えない。スーパー銭湯と家の風呂の違いは人が大勢居るかどうかだし、高級レストランとカップ麺の差なんて量と美味しさ以外で判別が出来ない。そういったことの差異に意味があるとは思えない。
僕は未来のために今を生きていると思っているから、今の感情なんてどうでも良いし、今は過去になるのだから、今の結果だってどうでもいい。じゃあ、未来がどれくらい重要なのかといえば、未来が今になったときはその「今」がどうでもいいのだからさほど重要なものではない。そもそも、人間は死ぬのであり、「死」の瞬間には何も残らないと思っているので、未来にも価値は見出せない。つまり、生きている意味を見出すことが出来ないし、今何をしているかにも興味が無い。だから、「行動」や「物事の差」に意味があると思えない。
むしろ、ほとんどのことに金銭的価値や時間・労力の対価としての価値を見出せない。衣食住とわずかな趣味に見出せる程度だ。
価値が無いので、あらゆることに対し興味が沸かず、無関心だ。
「常識的に考えろ」という言い方は良く使われる。
だが、常識が僕にはわからない。一般的に多くの人が行うであろう行動を予想することはある程度できる。たぶん、人は親や友人が死んだときに泣き、何か良いことがあれば喜ぶのだろうと思う。でも、僕にとってその予想を的中させることは、サイコロの目を当てることより難しい。「人は、友人が死ぬと悲しくなる」と名言するのさえ勇気がいる。それ以上に細かいことで当てることは本当に難しい。
「常識である」という言葉が出されて初めて、「あぁ、そういう常識があるのだな」と思う。
簡単な例として、就活の時の話をしよう。その会社は、売上が業界一位の会社(2位の倍はあったと思う)だった。その会社の一次面接で「8人の中から中途で採用する人を3人選ぶなら誰か」というお題のグループディスカッションが出された。時間は30分。候補者の職種は、指揮者やサッカー選手、ブティックのバイヤー、教師など、バラエティーに富んでいた。個人のデータとしては、名前以外には前職しか明かされていなかったため、職種から彼らの能力を判断する必要があった。だが、僕はとても困ってしまった。職業と能力が全く関連しないのだ。サッカー選手なら体力があるのは確かだと思うが、その業界で重要な能力ではないと思ったし、それ以外は「人に依る」のではないかと思い、彼を評価することができなかった。他も同様に「人に依る」としか思えなかった。議論ではサッカー選手が「コミュニケーション能力抜群」であると満場一致(僕以外)で評価されていたが、僕にはなぜ彼がそう評価されているかわからなかった。その回答として「仲間と一緒に努力してきたから」と説明されたが、僕には「仲間と努力していると、コミュニケーション力抜群になる」とか「サッカー経験があれば、仲間と努力できる」という公理が理解できなかった。他の職業についても同じような疑問が出て、ディスカッション中は「???」しか頭になかった。こんな風に、皆がそう思っていることが、僕にはそう思えず、常識についていけないことがよくある。
世界は常識が幅を利かせているから、僕も常識についての知識を集めているし、常識的な行動を予想し実践している。これが僕の「常識」だ。
ただ、「常識外れだ」と人に注意され、周りの人がそれを肯定する雰囲気を感じるとき、とても辛くなる。僕は僕なりの「常識」を持って生きているのに、自分の常識に従って行動したときに「常識外れだ」と言われる。更に、行動の理由を説明しても「常識的ではない」と常識を盾に否定されてしまう。しかも、相手の行動は「常識的」だからと、理由の説明なしに肯定される。こういうことがあると、悲しくなる。別に、相手が常識を盾にすることに怒りを覚えるわけではない。ただ、僕が人と違う常識しかもっていないことが悲しいのだ。
僕が世間の常識に従わずに行動できるのは、「自分自身の常識」を持つ人々の前だけだ。それ以外の人の前では世間の常識に従って行動するよう心がけている。それでも、僕の予想は当たらないから、ボロが出て、注意される。
僕は常識通りに行動することが出来ないから、僕の行動は異様に見られる。
僕は東京生まれで、ずっと東京に住んでいて、ある程度のエリートコースを歩んできた。別に開成出身だとか東大生だとかいうわけではないけれど、日本人なら誰でも知っている大学に通っていたし、その大学ではかなり名の知れた中高一貫校にいた。そして、新卒で入ったのは名前を聞いたことも無い中小企業だ。
就活に失敗したわけではない。大企業なんかより、本気で中小企業に入りたかった。お金は要らないし、休みも興味がなかった。ただ、学生時代にいた人々と同じような考え方をする人達と付き合うのに飽きたのだ。だから、中小企業に入りたかった。僕としてはまともな判断だと思っていた。
けれど、周りはそう思わなかった。大企業でも新進気鋭の超優良ベンチャーでもない、無名の中小企業に行くことに対して、「おかしい」と多くの人に言われた。彼らにとって僕の行動は奇異だったのだ。理由を説明しても理解されなかった。せいぜい「お前はいつも変なことをするな」と、僕が変人だからという理由で僕の行動に納得する程度だ。僕がした説明を理解するわけではなかった。
こういうことは人生で何度も何度もあった。もう、説明することは諦めた。そういう人たちは僕と距離を置きたがるし、僕も距離を置く。ちゃんと僕の話を聞いてくれるのは、それぞれの「常識」を持っている人達だけだ。
僕の考え方を書いてきた。僕の考えている「常識はずれ」がどのようなものか伝わっただろうか。
僕は「恥の多い生涯を送ってきた」などと、決して思わない。僕の持つ「常識」がどれだけ周りの人と離れていようと、僕の考え方が人間として否定されうるものではないと本気で思っているし、僕は仮面を着けることも無いからだ。
これが、僕の「普通を外れた生き方」だ。こんなことをしたって、成功なんてしない。
むしろ、何も考えずに常識通りに行動できるのがどれだけ、羨ましいか。そんな人たちのいう「普通とは違う」行動が如何に常識通りの行動か、彼らには理解できないだろう。彼らが言う「普通と違う」というのは、所詮「ちょっと外してみる」程度で、本当に違うわけじゃない。そして、本当の「普通と違う」人は排斥する。
こんな常識人のための気休めの言論を聞くのには飽き飽きした。せいぜい、「自分の考える常識に縛られてろ」としか思えない。「普通と違う」なんて普通すぎて、吐き気がする
たぶん、違うと思う。
中二病とかは、「俺は他の人と違うことがアイデンティティ」とか「そういうのがかっこいい!」みたいな考え方だと思うのだけど、そういうのは小学生で克服した。
そうではなくて、僕は「人に合わせるように努力してる」。
もし、そういう意味で言ったのでないなら、克服方法を教えてほしい。
ちなみに、僕は「他の人と同じような行動をする」という方法を実践している。
例えば、上に出した食べ物の話で言うと「外でうまいもの食べに行こうか?いつもコンビニだし」と言われたら、「いいですね!いきましょう!」って答えるようにしてる。本心としては、両者に差はないので距離差からコンビニのほうがにいいし、うまいものを食べたいなんていう感覚はないから、「外でうまいもの食べに行きたい」なんて絶対に同意できないけど、こういうことを言う時はその人は「外で食べたい」と考えているだろうと推測してそう応えてる。みんなそうするから
克服方法を知っているなら、とても克服したいと思っているのでぜひ教えてほしい。
これは、どうなんだろう、僕と意図がずれているのかもしれない。
僕としては、大学なんて勉強すれば入れるし、勉強なんて答えが明確な分だけ常識を学ぶより簡単だから、常識を知らないから入れないという理屈はよくわからない。
あと、働けているのは僕の努力の成果であるので、むしろ褒めてほしい部分 (就活は昔の話で、今は働いている)
これは、気になったコメントなので返す。
親についての話は、僕が親をどう思っているかを知りたいということだと思うのだけど、「親に興味はない」という回答。僕に金を使ってくれたことには感謝するけど、それ以上の感情はない。死んだら悲しむぐらいには好きかもしれない。
離人症というのは初めて聞いたのだけど、思考と身体が分離している感覚のことだろうか。「常にある」。というか、自分の状況を見つめる第三者視点は常に意識してもっている。そうすることで、反射ではなく思考を基に行動できるから。これって、病気なの?
しています。行動しています。その結果、日常生活をおくれています。
グループディスカッションの内容についてのコメントがあるが、普通に進行したし、何百人も同じテーマでグループディスカッションをしたはずなので、問題のある出題ではないはず。
僕のグループも普通にディスカッションしたし、普通に終わった。
ちなみに、「サッカーは相手と協働する必要があるのでコミュ力につながる」という論は、「明確な目的があり自他の能力がわかる状況に於いて、次の行動の選択肢は限られているので、それを選ぶことなんて、コンテクストの共有が曖昧な日常生活に比べれば遥かに容易で、僕でも出来る」のでコミュ力なんて必要ないと思う
ごめん。異常という言葉を安易に使ったのが悪いんだけど、僕が言っている異常は「常識的な、考え方が出来ない。だから、異常だ。」ということであって、殺人鬼や放火魔だと言っているわけじゃないんだ。倫理観はもってるし、法律を守る気もある。なんなら、普通の人が考える「正しい行い」っていうのを常に観察・模倣している。叩かれるの構わないけど、僕の話と関係ないところを叩かれても困るよ。