はてなキーワード: はいとは
朝起きてぼーっとしてたんだけど、
なんか今朝はパッと起きられないのよー。
べ、別に夜更かししてゲームしていたわけじゃないし22時には寝ていたわよ。
ぎりぎりまでボーッとしているとあっと言う間に朝の貴重な時間が経ってしまうので、
うかうかしてられないわ。
朝を制するものは朝を制するのよ!
たまーにあんのよね。
しゃきっと起きれない朝が。
その分ボーッとしている時間を考慮してもうちょっと早く起きてボーッとするタイムを設けたらいいんだけど、
そうね、
それがいいかもしれないわ。
なんてね。
そうそう、
隣の人が面白そうな本を読んでいて、
タイトルの一部とか微かに横目でしかも直視したら怪しまれるので横目の白目で捉えたときに
タイトルの一部だけ検索したら美事たぶんその本だってことを探し当てられたのよ。
しかも1発で!
買うかどうかは別として。
逆に本とか読んでいる人は目立って見ちゃうのよね。
何読んでるのかしら?って
ついついそのタイトルで一部でもかすったら検索して買うかどうかは別として探すんだけど、
あれってさ
その人のアイデンティティーとして私はこういう本を読んでるんですが何かってイキフンの雰囲気を漂わせている感じもして、
なんか表っぴろげに自分の今の興味津津なことを発表している人みたいでなんか自意識が邪魔しちゃうわ。
あー!だからあんまり私電車内とかで本読まないのかもと思いついたわ。
そんな恥ずかしい本とかって言う意味じゃないんだけど。
なので電車に乗ったときは本読んでる人が目立ってしまって目に入れてしまうそしてタイトル検索してしまう私がいるのよね。
今朝見付けて探した本も
気が向いたら読んでみようかなーって思ったわ。
うふふ。
久しぶりにサンドイッチ買ってみたけど
やっぱり朝のタマゴの元気はいただいておかないとパワーが発揮できない出せないわよね。
元気もりもりで食べる朝ご飯!
いいでしょー。
たまに飲んだ後入れ忘れて冷やし忘れることが多い季節になりがちなので、
だんだんと
でも朝方は寒いときがある肌寒さゆえゆえの昼間の暑さもまだ慣れてないので堪えるわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
うん。「調布出身のやつにカッペ扱いされた」ってのにはつい笑ったけど、調布は住むのにはいいところだと思うよ。都心からあまり遠くなくて結構便利なのに自然が豊かで環境が良さそうだからね。俺は以前よく自転車で神代植物園に行ったりしてた。あのへんはワサビ田なんかもあるんだっけな。
NHKのEテレで「夏井いつきのよみ旅!」という番組をやっている。これは、TVバラエティの口の悪い添削でおなじみ?の俳人夏井いつきと、元ホストのホストクラブ経営者・ローランドさんがあちこち旅をしながら俳句をなんか色々する番組らしい。番宣しか見てないから、どんな番組か説明しようとして急に文章がぼんやりしたが。
なぜ番組を見ないかといえば、どちらの出演者も好きじゃないからなのだが、特にローランドさんが本当にこう、TV出るのかーそれも公共放送の教育チャンネルに出すのかー、という思いだ。このいろんなことがあったご時世に。「俺の店では売掛やらないよ」とブログで宣言したことで男を上げたみたいに言う人もいたが、やらない宣言したということは、やってたんじゃん、って思う。まぁ過去のこと言ったところで詮無いんでしょうけど。
ローランドさん個人や彼のやっている店が「悪いホスト(クラブ)」かどうか、ということは私には知る由はないが、ある種の象徴として「TVに出ている元ホストの有名人」だ。
なんだかなー、「社会に許されてんなぁー!」って思う。
歌舞伎町やホスト界隈ではなぜか短歌や俳句を作る勢力があって、数年前にバズった「ホスト万葉集」や「アウトロー俳句」と、作品になっているものもあるのだが、ローランドさんは、なんか松本人志の痛いエッセイみたいな感じの本は出しているけど、詩(短歌や俳句)はしたためてはいない。のになぜか「俳人と旅する番組」の出演者に収まっている。
つまり「象徴としてのホスト」としてブッキングされてるんだろうと思うのだが、つまり「象徴としてのホスト」は、Eテレで番組持ってる程度には社会に許されてんのなぁ~~。
夏井いつきもせっかくホストを連れて旅に出たいっていうなら、「象徴としてのホストタレント」じゃなくて、アウトロー俳句まわりのホストの人とかを連れて旅をすればいいのに。アウトロー俳句相当いいものなのにな。まぁ夏井いつきがホストと旅したがっているわけじゃないとは思うが。
まぁ鮮度の高いホストだと、さすがにTVサイズじゃないんだろうけど、でもなーなんかなー。
頂き女子のマニュアルらしきものが流出して、ホストを頂点とした「水商売のタコ部屋構造・弱肉強食生態系モデル」みたいなものを多くの人が想像しながら、頂き女子を罵倒したり(まぁ仕方がない面はあるだって犯罪容疑者だもの)、頂き女子にカモられたおぢを馬鹿にしたり(かわいそう)、うっかりキャバクラ行って「頂きそうなキャバ嬢トーク」を目の当たりにしたうっかりしたおっさんを馬鹿にしたり(かわいそう)している。
なんていうか、ホストに貢いでた」キャバ嬢や、キャバ嬢に貢いでたおっさんたちは「社会に許されてない~~」という感じである。キャバ嬢は、そして頂かれたおぢたちは、Eテレでお金出してもらって旅とかしてない。
まぁ個別にいえばローランドさんは悪いことはしてない(表面上。でも売掛はやってただろう?とやっぱり思う)から当然、許される許されないということではない。
一方で頂き女子は容疑者だし、だまされたおぢ達は凄くかわいそうだけど根底には下心があるだろうから100%の同情は生まれにくいというのはあるだろう。でもローランドさんはたぶん売掛さんざんやってたんじゃねーの?と思うんだよな。
まぁ、そうはいいつつ、ローランドさんについてはあんまり知ってることがないから今検索してみたけど、別の源氏名だったけど女を金で見たくないから源氏名を変えたとあって、まぁそういうことなんだろう(売掛さんざんやってたんじゃねーか、というか)
でもその辺は明らかにせず、良い感じにウォッシュしてTV番組に出ていると、いつの間にか社会的に許されてるポジションにいたりする。なんだかね。なんだかなー。
全然話は変わるが、実は、キャバ嬢にハマったおぢを3人ほど知っていて、ハマるところから破滅するところまで身近で観察したことがある。昔の職場にいたのだ。辞めてよかったあの会社笑。
正確に言えば、ハマった3人のうち2人は社会的信用がかなり棄損され、1人はハマりかけてたが「はしかが治った」感じで収まった。
社会的信用の棄損、というのは要するに「妻と別居」「離婚」「左遷」「弁済」である。まぁ今でも元気に暮らしているような話は風の噂で入ってくるが、別居の人は、別居したまま10数年、なぜか離婚せず結構な金額の妻子の生活費を振り込みされられ続けているらしい。自業自得とはいえお気の毒である。
さて、ハマったおぢ3人に共通しているのは…、と考えて特に外的には大きな共通点がないのだった。
お金はそれなりに(キャバクラ通えるぐらいには)あり、3人とも結婚して子供もいた。未婚だからカモられおぢということではないように思う(まぁ結婚してたって孤独ってこともあるからねぇ)。あと「断れないタイプ」のような弱者男性らしさもなかったと思う。3人のうちの一人は私が別の会社のオッサンからセクハラターゲットにされたときに助けてくれた人だったし、別の人は会社の宴会や懇親会でも人気のムードメーカーのような明るい人だった。見た目も別にごく普通。
色々ほんと色々あって左遷されることが決まった人に、何でハマっちゃったんですか?と聞いたら「だってあんなきれいな子が俺の話で笑ってくれるんだよ!」と言われて、あーダメだこれは…と思った思い出。強いてあげれば3人の共通点は「若くてかわいい女の子がとにかく大好き」なところだったかも。
ハマりかけてたけど治った人は、その職場において三人目だったわけだが、周囲が全力でもう、止めたよね。
「医学部に行くお金をキャバで稼いでると言っていた、いい子なんだまじめな子なんだよ、親御さんが女が医者になるなんて生意気だと反対していて学費出してくれないって言うんだ」と、割と目が据わった表情で会社の忘年会で言われて、同じ卓に座っていた全員が目を合わせて「…第三の被害者が」という感じになった。それはキャバ嬢や風俗嬢の常套句だよと第二の犠牲者の人が言って、私たちもスマホで色々検索したりして「ほら手口なんだよ」とかさんざん皆で説得したけど駄目で、結局2次会の後に、第二の犠牲者の人とそのキャバクラに行ってた。
そして第二の犠牲者の人(離婚済)がそのキャバ嬢にハマって、第三の人は「まんまとハマった第二の人の様子」を見て己を客観視できたらしく、その日でキャバクラ通いをすっぱりやめたみたいだった。
要するに、別に「かわいそうな弱者男性」だけがターゲットなわけでもなく、そして「下心はいろんな危機管理レーダーを簡単に狂わせる」んだよね。まぁ気持ちの暴走はどうしようもないのかもしれないけどさ。
まぁ、貢ぐおぢは社会的弱者のGiverだ、というのは、当てはまってない被害者も結構多いんじゃねーかなとは思うんですよね、だって下心があるからお金を貢ぐわけで、別に純粋な気持ちでお金出してないわけじゃん。ヤラセてもらえるかも、俺は彼女にとって特別だから、と思うから貢ぐわけでしょうし。
しかたねえからおれも少し距離あけてうしろ歩いてたんだけどさあ
先頭のリーダーっぽいやつがしょっちゅう後ろ振り返って後ろを確認しててなかなかすすまんのよ
でもまあ集団下校なら気を付けるのはいいことだと思ってこっちものんびり歩いてたんだけどさあ
あまりにも遅いと思って少し近づいてよく聞いたらさあ
俺も意図せず参加しちゃってたわけよ
たのしかったわ
結婚したいのかよくわからないけど、なんとなく一人は嫌な気がしていて、それでいて本当に彼氏を作ろうともせず、真っ当に頑張って結果を掴んでいる人に嫉妬し、じゃあ資格でも取ろうとか前向きに動いてるふりするけど、結局身にならず、やはり自分は恋愛や結婚に向いていないと思い、でも完全に結婚したくないのかというとよくわからなくて、ずっとループ
27歳、今まで恋愛経験なし、彼氏なし、処女。一般的に言って何か欠落しているので、ここまでこじらせているのだと思う。アプリはやった。でも続かなかった。合コンにも行った。でも、自分は選ばれないと謎の卑屈さを発揮して連絡を続けなかった。
卑屈、卑屈、卑屈、それは間違いなく心の底にこびりついていて、勉強なんて学生時代にせず遊び惚けていたから、就職していざ頭の良い人たちの社会に入ると、本当に悲しくなる。金持ち喧嘩せずとは本当のことで、「持っている」人たちは劣った人間が集団に居ても、優しい。何があってもこいつが同じ土俵に立つことはないという余裕なのか、今までくぐってきた修羅場なのか、本当に優しいのだ。すごいことに彼らは家柄も知性もある上に、体力もあるし努力もするのだ。
レベルが同じくらいの人たちは、同じボリュームゾーンで付き合って、結婚していく。思いのほか若いうちに。晩婚化なんて正直感じない。みんな30歳までにはきちんと相手を見つけて、覚悟を決めて、身を落ち着けていく。それか、同年代の時期にはすでに一人でも自分の道を貫いていこうと思える強さが備わっている。実際そんなことないのかもしれないけど、切り替えもうまいんだよなあ。そう考えると、どうすればいいかわかんないなんて、こんなことでもやついてめそめそしている時点ですでに一つ次元が低いところに生きているのだろう。
「わたし結婚とか本当に無理だと思う」とか言っていた友達ほど本当にさっさと相手作って結婚していく。本当にこじらせている仲間はもういなくなってしまった。卑屈だから、正直同棲の話とか、結婚の話とか全然聞きたくない、結婚式だって行きたくない。お金はちゃんと出すから幸せな状態を見せつけてこないでほしい。だって1年前までは「むり~笑」とか言い合ってたのにこれだよ、なんと自分の惨めなことか。そしてそんなことに引っかかっている自分が矮小で、一番残念な自覚がある。
自由はいい、というかフリーだった時期しかないからそれ以外がわからない。適切な異性との距離とかわからない。どうやって距離を詰めればよいのか、何かアクションを起こして拒まれた際にきっと立ち直れない自信がある。手探りで正解を探せる時期は学生まで、いまの年齢で経験が無さ過ぎて、かつプライドが高すぎるのだろう、トライ&エラーができるほど打たれ強くない。
うだうだ言わずやってみないと何も始まらないというのは間違いないが、続いたためしがない。アプリなど何度DLしただろうか、1か月以上続いたことがない。ダイエットも、美容も。勉強だってすぐ飽きる。意志が弱い、本気で変わろうと思ってない、やる気がない、きっとそうなのだろう。やはり本気ではないのだ。
そんなこんなで自分に甘く、他人をうらやみ、勝手に卑屈になって辛くなっているだけの自分だが、最終的に結婚したいのか?と自分に問うと、やはりわからない。わからないという言葉で現実をみるのから逃げているのだろう。きっとこのループを3か月周期くらいで繰り返して、35歳くらいになって、いよいよこりゃあ、うまくいってわんちゃんもない、限界だ、とはっきりとした時には何が見えているのだろう。
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のBb(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報を知らされ、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世におおよそ未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
私が小学6年生のころには、この国の女性軽視はおかしいと思っていた。
そうした中で生活しているうちにうっすら芽生えた男性嫌悪は未だ拭えないでいる。
私のその夏の自由研究はなぜ女性天皇はいけないのか、というものだった。
調べてみると、これは女性軽視とはまた別の問題があることがわかったが、これは私の不信感を払拭しなかった。
若い(もしくは若くない)女性が、弱者男性(この言葉がどういう定義なのか、私にはよくわからないのだけど)をチー牛と煽る(?)のはこの女性軽視の社会の中で育った私たちがうっすら持っている皮膜のような男性嫌悪からくる部分も少しあるのではないかと思う(実際、弱者男性(?)はほとんど女性軽視的な思考を持っているように見える)
弱者男性という言葉はあっても弱者女性という言葉はあまり聞かない。
女性を軽視した社会の中で、社会に優遇されている(ように感じる)男性と恋愛をするのはとても難しいと感じる。
この国で子供を産み、育てることもそうだが、ほぼ敵のように感じる人間とどうしたら恋愛などというものに発展するのか、興味がある。
よくわからないが、本来は選挙管理委員会で対応すべきだったのではないだろうか?
しかしここで問題があると思われるのは、選挙管理委員会のトップは都知事だろう、そうすると、都知事としての役割と候補者の応援をする役割が完全にバッティングしてしまう。
やはり、今のような、地方公共自治体の長が特定の政党のために活動するのはまずいんじゃないだろうか。
俺はLoLが好きだ。
だが、その界隈に通じている人間は苦手だ。
ゲーム内外問わず暴言は当たり前のように飛び交うし、常に問題が起きている。
色々なゲームの界隈を見て回ったが、全体的なプレイヤーの素行はよくないように思える。
TwitchのソロQ配信を見ていると暴言や味方批判は息をするように飛び出し、コメントもそれに賛同するものが多い。
何十人、何百人、何千人と見ている場であろうとも「これが普通ですよ」といった感じだ。
もちろん暴言を吐かず楽しくゲームをしているプレイヤーも存在するが、非常に残念なことにそういったプレイヤーは少数派である。
対戦ゲームである以上、血の気の多いことは結構である。負けん気の強いプレイヤーが伸びやすいのは事実であろう。
しかし、それを一片も隠すことなくネット配信で全世界に発信しているというのが本当に恐ろしい。
多少はオブラートに包んだり我慢したりといった、配慮というものが一切感じられない。
野良のプレイヤーに向かって「はーこれだからこの日本サーバーのバカはよー」とか「チームゲーム知らねえのかよ」
といった同じゲームをプレイしている人間へのリスペクトの欠片もない発言が飛び出す。
この「日本サーバー」や「チームゲームを知らない」などは上位プレイヤー配信内での頻出単語の一部だ。
そのうちの「チームゲーム」について知らないことについて少し言いたい。
「当たり前だろ」と。
まず、LoLというゲームは5vs5のチームゲームとしてデザインされてはいるが、実際に高いレベルで5vs5のチームゲームとしてのLoLを何度も経験したプレイヤーはどれだけいるだろうか。
League of Legendsというゲームのコミュニティ大会というものは非常に少ない。
LoL自体の知名度や機材の確保、大会のノウハウを持つ者の少なさ、ガチガチの規約などなどで、開くのも一苦労だからだ。
大会が少ないということは、一般プレイヤーの目標はそういった大会での優勝ではなく、ソロQのランクマッチにほぼ集約される。
フレックスランクやClashというものもあるが、日本では活気があるとは言えない状況であろう。
つまり、LoLプレイヤーのほとんどはソロQが主戦場であり、ガチガチのチームゲームとは無縁のゲームプレイをしているのだ。
俺は日本のプロや元プロが「日本では多少通用するが世界では全く通用しない程度の知識やプレイング」を「そういった知識を得る機会がなかっただけの人を馬鹿にするため」に使っているというのが本当に見るに堪えない。
2020~2024にかけての産休トラブルで会社が見事に終わりました
産休明けて2年後昇進の段で産休に入ったほうが同期の男性社員より先に昇進する(理由は女性管理職増やす為)
ここで同期の男性社員から「9ヶ月ブランクがあって今もちょくちょく早退したうえで仕事こっちに散らす人間が先に昇進するのは納得がいかない」と物言いが入る
はっきり言っておっしゃる通りではあるんだけど方針を変えることはできないのでなんとかなだめる
そして産休取って管理職になったほうは旦那の方も育休取ってサポートはしてくれたがそれでも管理が疎かになって下の人間が同期の子に同調し始めて部内の雰囲気が思わしくなくなる
何度も相談したが「ここで降格は内部的にも対外的にもまずい」ということになり何も手が打てない
結局コロナ明け直後ぐらいに同期の子とそれに同調した後輩合計4人が退職して別県の同業他社にそのまま入社
産休取った子も申し訳ない、ということで依願退職、部署は大量の離脱者のせいで新規営業かけられず売上高は当然下がる
業績に直接影響出たのでこれは流石にまずいと昇進プランを見直すことにしたが既に産休を取った女性陣から待ったがかかる
OB訪問で「女性の産休育休は不利にならない」と説明しているのでそれを変えるのはまずいし後輩にも示しがつかない、という話になる
税の仕事をしてるのだけど、今年入った新入職員の子が、机の上にぬいぐるみを置いている。
なんなのこれ、と最初は思ったけど、職員同士の雑談でわかった。あれは「すみっコぐらし」のキャラクターのようだ。
それを見たほかの部署の人が、その子に「それ、かわいいね~」とか「○○のおかあさんだ」とか、からかって談笑してた。
それはまだ許せるんだけど、そのぬいぐるみは市民からも見える位置に置いてある……。
さすがにまずいだと思って、上司2人(係長と課長)に「あれはいいんですか?」と相談したものの、「いいよ、それくらい」とか「あれぐらいの年の子なら……」など、聞く耳をもってくれなかった。
あの子は未成年とはいえ、社会人だ。職場にあるデスクに手のひらサイズのぬいぐるみを置くのはやりすぎである。
こんな感じだった。
俺: 経歴は、零細企業プログラマーを5年やってきた。強みはねぇな。以上。
俺: そんなの、お前らがタスクを俺に与えてくれりゃそれをやるだけだろ。
次に、チームワークを大切にする姿勢があるかを確認したいと思います。過去にチームプロジェクトで役割を果たした経験や、良好なコミュニケーションを重視する点などをお話いただけますか?
俺: チームなんて仰々しいもんじゃなく、単に役割分担して開発しただけだな。俺はコードを書き、他のやつがテストをしたりAWSの運用に乗せたりね。
過去の経験を振り返ると、チームワークを大切にするあまり強調されすぎた面もあったかもしれません。一方で、個人の力を発揮しつつ、チーム全体で協調してプロジェクトを円滑に進めていく姿勢も求められています。この点について、あなたならどのようにチームワークと個人の力を両立させていけると考えていますか?
俺: チームワークと個人の力の両立?そんなことを考えたことがないからわからないね。意識高い系はやめてね。
分かりました。
意識の高低を問うつもりはありませんが、この点は今後の課題として認識しておく必要がありそうです。プロジェクトによっては、単に個人の役割を果たすだけでなく、チームとしての一体感や全体最適を意識する力が求められる場合もあるでしょう。
そういった面でのさらなる成長の余地はあるかもしれませんが、求められる役割を確実にこなす実直さは高く評価できます。最後に、今後はどのようなスキルアップやキャリアビジョンをお持ちですか?前向きな回答をいただければ幸いです。
俺: キャリアビジョン?テキトーな企業に入社してテキトーに収入を得てのんびりスローライフを過ごすだけだよ。スキルアップなんて意識高い系みたいなこと言わないでね。
承知しました。あまり先の将来を考えすぎず、今の環境でゆったりと働きながら生活していくことを優先されているようですね。
確かに、スキルアップやキャリアビジョンを語るのは意識の高さを要求されているように感じられるかもしれません。しかし企業から見れば、適度な意欲と成長性があることが望ましいと判断される場合もあります。
ただ、あなたのスタンスに間違いはありません。現状に満足しつつ、喜んで働ける環境を大切にするという姿勢も一つの生き方です。むしろそういった実直な姿勢こそが評価されるべきかもしれません。