はてなキーワード: 選民思想とは
にわかでも
にわかでも
にわかでも、興味を持ってくれるだけいいじゃん
一見さんでも、名前だけでも分かるくらいの知名度があるならいいじゃない
些細なことがきっかけになって、本腰入れてくれる人がいるかもしれないじゃない
同じ穴の狢なのに、先に知っていた、自分の方がより深く知っている、分かってる!私だけ!私だけなの!私とかと○○さんだけなの!
みたいな変な優越感というか選民思想というかそんなものを滲み出してドヤ顔で、
これだからにわかは、などといかにもゴミを見るような目(をしているだと思う)でつぶやいたりなんなりして、
ご新規さんを馬鹿にするような風潮は因果地平の彼方に消え去って二度と再生すんなと願っています。
ゼータクだよ、ゼータク。あっちゃこっちゃ飛び回って目障りなイナゴどもを殺虫剤かけた上で液体窒素浴びせて粉砕したいとかさ、
あるいは、アニメが放送され始めたから、それまでのファンの複雑な心境はわからなくもないが。
ちっさい界隈で、代わり映えしない面々で仲良くぬるくねたねた傷の舐め合いをするかのような語らいをして、
引退しますー、とか、他のでっかいジャンルにハマっちゃった、とかって人を血涙流して見送りながら、
昔の本とか見て、あるいは自分の本とかを見て、初見ほどの効果は期待出来ないが、ある程度時間を置いてからの再読なので新たな解釈を見つけたり、あるいは自らの感性そのものが微妙に異なってきているからこその新鮮に見えるものがあったりして、新たな萌えを発見して補給したりとかですね、
なんか主旨から外れたから無理やり軌道修正するけど、注目すらされず新規さんもにわかさんも来ないマイナージャンルや隆盛期はとうに過ぎたジャンルから見れば、そういった人たちを敬遠するジャンルの人たちの、頭掻き毟って髪の毛一万本くらい抜きたいくらい羨ましい。禿げろ。禿げてしまえ。
いいじゃん、にわか。興味を持ってくれてるじゃん。人気の証拠だよ。
そのままがっちりホールドしていれば、何年後でも思いを共有できる仲間になるかもしれないじゃん。
あ、そのときにあなたが同じジャンルで活動しているとは限らんね、ごめんごめーん☆
たとえ付け焼刃の知識であろうと、そのジャンルのことでお話が出来る、そういう人が絶対的に絶望的に少なくてさー、嫉妬しちゃいますよ。
いやー…官僚や防衛大卒の自衛官も銀行員も医者も十分大変そうやで、官僚なんて東大ばかりだけど死にたくなるレベル
流石にエリートに夢見すぎとちゃう?海外は知らんけど日本は結構エリートこき使っとるで
よくいるんだよなあこういう子…変な選民思想持ってるけど
社会に貢献しないことや脱ニート目指さないことは別に罪じゃないけど、人間の鼻とか腕を折ってレイプして小便ひっかけることは立派に犯罪ですから。
それともニートってのは習慣的にそういうことやってるしやりかねないマインドだとでも言いたいわけかね?
「生かしとくより殺した方が得だから殺そう」みたいな部分は単に俺の感性が理屈として盾に取りたくて持ち出した点にすぎない。流石にそこんとこは自覚あるよ。
俺は正直ああいう真似をする奴はぶっ殺されてしかるべきだと思っている。
被害者がそうされたのと同じくらいに身体と精神と人生を損ねればいいと思っている。
でもぴったり同じくらいに損ねさせる方法は無い。
http://anond.hatelabo.jp/20120907151136
急に杏さやが来たので
常々思うんだが、生きる目的だとか、生まれてきた意味だとか、そんなものは自分の人生を縛る枷にしかならない。
その点、魔法少女まどか☆マギカに出てくる魔法少女はみんな自分に枷をはめたがる。
見滝原を守る愛と勇気の魔法少女になる、父親の教えを広めて人々を救う、正義の魔法少女として彼や人々を守る、絶望から救い出し守る、側に立ち力となる、救世を成す、全ての魔法少女を絶望から救う、だとか。
みんな願いに対応して自分自身を意味付けしてしまって、結果どんどん何も見えなくなって、ドツボにはまって・・・どうしようもない。
どいつもこいつも、どうしようもないバカタレだ。
頑固で、思い込みが激しくて、意地っ張りで、
だから、見返りなんていらないと言って、強がって、意固地になって、どうしようもなくなってしまった。
自分で自分を枷にはめて、それで身動きがとれなくなってしまった。
本当にバカで、でも真っ直ぐで、気高い。純真な子だった。
ならば、佐倉杏子はどうか。
あの子もどうしようもなくなったが、それを踏み越えて今を生きていた。
枷に縛られず、枷を外して、自分勝手に奔放に生きていた。
けれども実際はどうだろう。あの子は最初からさやかが気になって仕方がなかった。
かつての自分自身をあの子に見出して、自責や憧れがないまぜになっているように見えた。
結局、自分勝手な魔法少女っていう新しい枷を作っていただけで、元の気持ちは残っていたんじゃないだろうか。
俺は、生きる目的だとか、生まれてきた意味だとか、そういうものが大嫌いだ。
そんなものクソみてえな選民思想だ。どうしようもないクソッタレだ。
きっと、それで杏子に強く惹かれたんだ。でも、同時に歯がゆさも感じていた。
まいあがっちゃうような全能感を覚えている。だから、それに対する憧れも理解できてしまう。
それでも、それだけじゃダメだ。どっちかじゃなくて、どっちもなんだ。
二人で一つ、軸でつながれた車輪は前へと進んでいく。
それこそが杏さや、俺の輝ける星なんだ!
留学して、出来れば興味のある分野について研究をするために大学院まで行きたい、
そして海外に行ってやりがいのある仕事をして楽しく生活したい。というすごく単純で馬鹿馬鹿しいものだったが。
それを両親にはっきりと話して、了承・応援してくれた。
そのために勉強を重ねて、常に前を見て、精力的に活動した。
たまたま駅についたのが父と同じ時間だったので、父と一緒にタクシーに乗った。
「親子さんなんですか」
「はい」
話はすぐ私の事になった。
「娘は大学生で、××大なんですよ」
「へぇーそれはすごいですね。やっぱりすごく勉強したんですかね」
・・・・・
その後、将来どうするのと言うような話になった。
留学して、出来れば興味のある分野について研究をするために大学院まで行きたい、海外に行ってやりがいのある仕事をして楽しく生活したい。
そのために、今は将来専攻するであろう分野の論文を読みあさり、英語と専攻や、留学先で使う言語の勉強も頑張っていると話した。
父がそう言った瞬間、タクシー運転手は
ただの上から目線、選民思想的かもしれないが、文句を言わせて欲しい。
この、中年の、タクシー運転手が。どう考えたって大学は出ていなさそうな人が。
低収入そうで、ぎりぎり生活している人が。
方言丸出しで、何も考えてなさそうな人が(別に方言をdisっているわけではない。が、言わせてもらうと私の地元では方言を話している人はアレだという意識がある。)
すごく悔しかった。好き好んで男女選んで産まれてきたわけじゃない。それなのになんでXXってだけで
将来と夢があって、今頑張ってる人にそういうことを
「女だから」って平気で言えるのか。
明らかに、私より将来のない人が、XYだから それだけで軽々と、無駄だと言えてしまうのか・・・
追い打ちをかけたのが
「まあそうなんですよね。男だったらいいんですが、うちには女しかいないのでね」
という父の言葉。
え・・・??
私、女だから・・・ そんなに金かけても無駄なのか・・・?????
うちには女しかいない っていうことはもしうちに男がいたら その子に沢山金をかけるのか・・・?
その子がいたら、私が留学することとかも許されなくなるのかな?
悲しくなった。
どんなに頑張っても、女ってだけで ここでは どんな男性よりも下なんだな と実感した。
もう地元に居たくない。でも何処に行っても同じなのかな。
一言つけて加えておくと、個人的には「能力がある人」は自信過剰でも選民思想でもなんでも持ってていいと思ってる。てかむしろ持ってたほうがいいくらいだ。その能力を積極的に社会に貢献するよう活用して欲しい。下手に謙虚だとその才能が埋もれちゃう恐れだってあるくらいだ。こんな出る杭打つ国だし。
で、思うのはそうでないたくさんのその他の「何者か気取りの」自信過剰の人達。何なのあれ?特に見た目がいいでもない、頭がいい訳でもないみたいだし、とりわけ話がおもしろいわけでもない。それでも何かを持っているのかなと思って少し探るように質問を重ねてみても本当に何も出てこない。けれども態度だけは尊大で、自尊心丸出しでなんだか自分のこと好きなんだろうなあという感じが見え透いている。
いや、もちろん自分のこと好きなのはいいですよ、ただそれと客観的に見た能力は別ですから。完全に。結果出してりゃあなたが自分のこと好きだろうが性格悪かろうがこっちはそれなりに評価するし、何もできないならそれに見合った態度でいて欲しいんですよね。上に書いたみたいに能力があって少し控えめな人とか本当によくいるんですよ。特にこの国では分別がある人程それをひけらかさないし、見せびらかさないよう目立たないよう腐心してることがすごく多い。そういうの時になんにもできないのにでしゃばる人がいると集団の最適配置が狂うんだよね。
もちろんここまでだけ書くと仕事のことなのかな、みたいになるけど、そんなでもなく、人とかかわる限り、複数人で関わる限りは本当によくある話。みんなで行く旅行先決めるとか、チームでのスポーツやってる時とか、ただみんなでおしゃべりしてるときだってそうだ。本当に上手くこなせたり、おもしろい話ができるやつじゃなくて、なんだか勘違いしてる奴がどうにもみんなの時間を奪って行ったりする。もちろん八分にしちゃえば?みたいな話もあるけどそういかない立場だったりそれも可哀そうかなと思ったりすることもあるんだよね。
みんながそれなりに、過剰でなく適切に空気が読めればいいんだろうけど難しいよなあ。教育というので改善できるわけでもなし。ああいうデリカシーみたいなのってどういう要因で決まってるんだろうかと本当によく不思議になる。
人々は、銀行にお金を預けていれば盗まれる心配が無いので、安心している。
しかし、銀行屋は、人々から預かったお金を勝手に横領し、それを他の人々に
高利で貸し付けて儲けている。
「銀行屋も利益が無ければ生活できないので、仕方が無いんじゃないの?」と
私は思っていた。
当然国家も動かす事は出来ない。
世の中が不景気になり、不良債権が増えても最後は公的資金注入という形で、
結局尻を拭くのは一般の人々である。
国というのはつまり我々一人一人の事であり、どちらに転んでも結局は
回りまわって税金という形で我々のお金が銀行屋に搾取され続けているのである。
別に銀行で働いている人達が悪いというのではなく、「利子」という発想が問題なのである。
「キリスト教」や「イスラム教」では、「利子」を取る事を禁止していた。
「利子」を取ると、必ず椅子取りゲームになって、「勝ち組」・「負け組」が発生し、
効率化を追求し過ぎるあまり、環境破壊、戦争へとつながってしまう。
「ユダヤ人以外の他の民族からは「利子」を取ってよい」とされた。
システムを作る思想が間違っていれば、必ず問題が発生する。
ミヒャエル・エンデ作の「モモ」という物語では、灰色の男達が「時間貯蓄銀行」なるもの
を作り出し、人々から心の余裕を奪い、奪った時間を葉巻にし、それを吸って生きていた。
ここで、灰色の男達は、「我々のおこなっている事は絶対人々に知られてはならない。」と
言っていた。今の資本社会システムを作り出した思想が知られてはまずいという事なの
である。
モモは、灰色の男達に対抗するため、マイスター・ホラとカシオペイヤの力を借り、
少しの間だけ時間を止め、(つまりは銀行券(お金)を無効化して)
いきなりお金を紙くず化すれば、世界は大混乱してしまうので、この本の著者が
提言しているように、地域通貨を流通させ、今出回っている銀行券なるものの価値を
徐々に下げていくというのは、理にかなっていると思う。
また、経済を成長型の陽経済(銀行券)と非成長型の陰経済(地域通貨)に分けて
マスコミは大元のスポンサーである銀行にとって都合の悪い事を公開できないからである。
従って、マスコミが垂れ流す新聞やテレビ、ネットからの情報は的外れな事ばかりで、
(たとえ理解しているとしても)的を射た本質的な問題をズバリ指摘したりはしないで
あろう。
今の金融システムは、一部の人間達が「利子」という名目で多くの人々から
巧妙に富を吸い上げ、その富の力によって世界を支配するための手段になって
しまっている。そのために戦争が起きようが、環境破壊が進もうが、
彼らにとっては関係無いのである。しかし、ほとんどの人達にとってこれは
無視できないことである。