はてなキーワード: 運動会とは
どことは言わないが、東京のお受験のお教室行って受験して入る国立幼稚園。
子供がわりと賢いなと感じたのでお教室行かずになんとなく受験したらたまたま受かった。
去年の反省として、年2回の園庭清掃という草取りに男性保護者をもっと呼ぶべきだったという話が出た。
取った草はまとめて、120cmくらいの柵があるゴミ箱にいれるんだけどそれが重くて大変だったと。
それくらいお母さんで分担してやれや。
その程度の力仕事で男に頼るな。
自分に力がないと思ったら鍛えろ。
運動会の親子競技は例年、「事情がない限り」大体お父さんが出るもんらしい。
純粋なふりしてなんでですかって?聞いたら、もう何年も走ってないし汗かくからだって。
なんなの??
事情がない限りって言い方も何?
それでいて、幼稚園のスリッパが男女で色が違うのは時代に合わないから全部黄色にしようとか、
お父さんの会って呼び方は時代に合わないから他の呼び方はできないかとか真面目に話し合ってた。
ヨッピー君、僕ね最近孫が生まれたのよ。まぁつまり自分の子供に子供が生まれた。
見る人が見ればなんの変哲も無い報告だけれど、たぶん今のヨッピー君には心へグッと来るんでないかい?
ヨッピー君さ、子供が生まれて人間というもの、社会というものをよく考えるようになっただろう?
自分自身が歩む人生の後ろに自分の子供が居ることへ気付いただろう?
それは僕たち爺さん婆さんが歩んだ道だ。
若い頃、独身だった頃に感じた社会のクソさ加減、他人による無理解の加減、そんなものは人生のパートナーが出来て子供が生まれた今のヨッピー君からすると見通しが甘かっただろう?
まったく理解してなかった、なんでこんなにも独身の連中は"結婚"や"子育て"や"教育"という概念へ対して素っ頓狂な解釈をしているのかと驚いたことだろう。
気付いてしまったんだろう?認識が変わってしまっただろう?
お金や収入、人生設計、教育、果てはWebライターや記者という仕事の認識すら変わってしまったんじゃないか今のヨッピー君からするとね。
凄いだろう?自分を育ててくれた大人は、親は。こんなことを考えながら自分を育ててくれていたのかと信じられないだろう?
ヨッピー君さ、ちょっと前にM.O君とやりあっただろう?
そのときにヨッピー君はM.O君のパートナーを貶めたりしたよね?
どうだい?今のヨッピー君にはなかなか堪える過去の自分だろう?
人生の先輩としてアドバイスしようか。
ヨッピー君、抗いなさい。
ヨッピー君、キミはWebライターだ。
今思っていること、経験したこと、抗いたいこと、様々をキミの職業を活かして発信しなさい。
そうして発信したことを多くの人へ届けて話し合いのきっかけになさい。
こんなジジイの戯言をここまで読んでくれた若い人たち、ありがとうね。
今のヨッピー君は今まで気付いてなかったことにどんどん気付き始めていて、今まで理解していたと思っていたものが全く理解してなかったと気付いて、それを何とかしようと抗ってるのさ。
ヨッピー君は、ヨッピー君自身が考える格好良い大人、格好良い父親になろうとしてるんだ。
子供というのは親を見て育つ。だからこそ子供は理想の親の姿というのを求める。親であればこうするべきだと考える。
しかし実際に子供の親となったとき理想の親の姿というのはどのように変化するのだろうか?
それはね、子供視点での理想の親と親視点での理想の親が混ざった姿ものが理想的な親の姿になるのさ。
すべての親は子供時代を経験しているから子供の視点と親の視点を持てるのさ。
だからこそヨッピー君は親となったとき親の視点という存在に気付いてしまったんだ。
これを読む若い人たちの中にも親は居るだろうけど何となく理解できるだろう?
僕はもう子育てを終えたジジイだけれど、ジジイだからこそヨッピー君には現状に抗えと言ってあげたいな。
大人とは、親とはこういうものだよと僕が教えるのではなく、ヨッピー君自身が色々試して挑戦して抗って大人とは、親とはこういうものなんだなと自分自身で気付いて欲しいね。
若い親の皆さん、君たちの子育て、教育の正しさは日々わかるものではなく子供たちの入学式や成人式など節目節目で子供たち自身が証明してくれるものです。
子供が学芸会で歌える、運動会で走れる、研究発表する、生意気にも親の誕生日にプレゼントを送って寄越す……そういう節目節目で子供たちは皆さんの正しさを証明してくれる。
節目節目という稀な機会しか自分の正しさがわからない、毎日が不安だ。
だからこそ今日このときだけはジジイの僕が言おう!
ヨッピー君を含め、今回の話題で思いの丈をぶつけ合ってる君たち全員が正しい!よくやった褒めてやる!
ジジイに褒められても嬉しくないかも知れないけどね。
本当によくやってるよ君たちは。僕の老眼には眩しすぎるくらいだ。頑張れよ応援してるんだからな。
憧れの猫種を、しっかりしたブリーダーさんの元で3ヶ月育ててもらって社会化も済んだ状態でお迎えした。
・人見知りせず、誰とでも仲良くなれる
・根に持たない(例えば、爪切りを失敗して出血してもまた爪切りをさせてくれる)
・撫でられるのが好きで、食い意地が張ってるのに人間が撫でてる時はご飯も我慢して撫でられてる
・芸を仕込めるなど、賢くて少し忍耐がある
・人間に攻撃をする事がほとんどない(嫌がるスキンシップをしたり、興奮時に手を出すなどしたらやられる。しかし、これは人間が悪いので学習すべきである)
親バカだが、正直、こんな猫ばかりならば非常に楽だと思う。
・1人でトイレにもお風呂(要するに個室)にも行かせてくれない。1人で行こうものなら、短時間でもドアをバンバン叩いて鳴いて発狂する。仕方がないからトイレもお風呂も猫同伴。
・夜中、朝型にいきなりスイッチが入って超絶ダッシュ&クライミング&ジャンピングでうるさいし心配で寝られない(所謂運動会)。また飛び乗られてダメージ。
・仕事に出勤する時にとてもとても鳴くので後ろ髪が引かれまくる
・運動会は突然に(大人になっても頻度が減るだけで無くなるわけではない)
・体調が悪い時に仕事に行く時はとても心配(管理職で簡単に休めない時は特に辛かった)
・理解がない彼氏がいると閉じ込めようとするので、別れる原因になる。(自分にとっては可愛い家族でも相手にとってはただの畜生であった。動物好きと言っても、ラインが人によって違うのである)
・吐く。毛玉対策をしていても吐く。猫は吐く生き物である。カーペットは洗える物を用意しろ。
・料理中に盗み食いされないように、残り物を漁られないように注意が必要。ネギが入っていても奴らは肉の匂いに惹かれて食べかねない。うちでは、コンロや調理台に上がらないように猫避け板を設置している。とてもキッチンが使いづらい。
・色々なところに入り込むので猫の手の届かないようにものを配置するのに苦労する。ドアも開けるから。
世界一良い子猫をもらったと思っているけど、でも大変なことはあるよ。
ちなみに、猫はもうおじいちゃんだから、子猫時代の苦労は全部良い思い出。
しかし苦労はいくらでもある。可愛いだけの動物では無いよ、猫は。肉食獣の本能もあるし、感情が見え辛い個体も多い。
Oxford Languagesの定義 · 詳細
ちゅうし
【中止】
《名・ス自他》
計画または進行していた事を途中で(一時)やめること。
「雨天のため運動会を―する」
単なるブコメへの雑感
雨で運動会が順延したら失敗かというブコメにスターが集まってるが、正しい設例は「安全配慮不足で運動会を延期して怪我人は出なかったら失敗か」で、普通は失敗だしこれ褒め称えるんだ?って思う人がいるのはわかる
違うな
安全配慮不足に至っては、なんだか分からない、怪我人は何に対比してるんだ?
ロケットと対比するなら、運動会の場合、問題なくすべての競技をする事が成功と「定義」し
順延しても、設定された予備日で賄えるなら「成功」だという視点に立てなければ
対比した考えなんてできない
(でも無理があるだろ?)
少しでも何かあったら「中止」だ
そして、予備日が沢山あるんだよ、打ち上げはな
今回わかった原因は、「ブースターへの着火信号が出ずブースターが機能しなかった」だ
着火信号が出なかったのはイレギュラーで、それを受けてブースターが動かなかったのはフェールセーフが発動したから
打ち上げて爆散させたわけじゃない
だから、中止して延期
ロケットも、衛星も失わずに打ち上げを中止できたのだから、失敗ではない
出水や崩落などの「想定外」が起こって遅滞したら「失敗」なのか?って話
運動会に当てはめるとなんだろうな?
パッと思いつかないが
怪我人なしってのを成功条件に含めるなら、神経質に中止を行って、結果けが人が出なかったのなら、それは「成功」だ
異常を発見して飛行機が飛ばなかったら、乗りたかった人は怒るだろうが、飛ばして墜落するより何倍もマシな「成功」だ
それを「止める事が出来る」というのがどれだけ素晴らしいか
文系()にはわかんねぇんだろうなぁ
そこら中で「止められなかった陰惨な事故」が多発しそうだよな
Oxford Languagesの定義 · 詳細
ちゅうし
【中止】
《名・ス自他》
計画または進行していた事を途中で(一時)やめること。
「雨天のため運動会を―する」
こっちのほうが適当なんだよなあ
運動会始めたら準備の不備が発覚して続行不可になったら失敗ですよね
運動会始めたら準備の不備が発覚して続行不可になったら失敗ですよね
お前は運動会が雨で延期したら失敗だったと言うのか?
誰もがもうなくなればいいのにと思っているPTA。やらなければいけないとしてもその活動内容がわかりにくく、どれぐらいの負担が待ってるのかもわからない。
特に小学校のPTAが一番わかりにくく負担が重いのではなかろうか。やる人と回避しようとする人にはっきり分かれ、不公平感も強くなるのが小学校のPTAではないかという体感である。
春近くになると足音を忍ばせて、PTA関係の手紙や立候補用紙が届くようになる。気が重い季節である。
外から可視化できないのはその学校ごとのPTA組織に活動内容の権限をゆだねられているから。
PTA会長以下本部役員はだいたい1年ごとに入れ替わる学校が多いと思う。引継ぎなどを含め次年度補助役として2年~のところもあると思うが、その1年でPTA活動の内容を把握し、それまでの地域や学校の慣習を鑑みながらPTA活動の内容を大きく刷新するのはあまりに荷が重い。自分が本部役員に選ばれた時のことを想像してみるとその重さが理解できると思う。
PTA活動の主なものとして言えば、例えば運動会。コロナでだいぶ簡略化されておそらく保護者も学校側もほっとしているのではなかろうか。学校活動の中だけだったら先生方だけでもどうにかなるが、保護者を呼んで大々的にやるとどうやっても手が足らなくなる。そこでPTA活動に運動会部のような形で組み込まれる。
例えば登校班。ある学校とない学校があるが、あるところだと班編成、登校指導や見守り、そういう活動がPTA活動に組み込まれる。ないと低学年の保護者によっては自分の子どもを学校まで送っていたりするが、自分に決定権限があるので個人的にはそっちのほうが気が楽である。
その他リサイクル、広報、ベルマーク、給食試食会、講演会への参加、地域活動への参加、本部役員の推薦活動などなど・・・。そういった活動が少なければ少ないほどPTAの活動も少ない。
自分は転勤族なので各地の幼稚園や学校を転々としてきたが、PTA活動の傾向としては
1.なった人に丸投げ(くじ引きやじゃんけんなどで決めるところが多い。文字通りなった人に丸投げでならなかった人はなにもしない)
2.全員積極的参加型(仕事配分を的確にしなければいけないのでみんなが大変 or 有能な人が効率的に配分し洗練された業務化している)
3.全員消極的参加型(一応全員参加の体はとっているが末端の人は年1時間ぐらいの業務しかない)
あなたの学校はどれだろうか。個人的には運動会も登校班もリサイクルもなにもいらないので本当に早くなくなればいいのにと思っている。
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1722329
7箇条めっちゃ叩かれてるけど、都会の自治会はまともなのかって話したいんだけど、
うちは、小学生が700人以上いる校区のそこそこ人口のいる自治会に所属してる。回転寿司やドラッグストア、牛丼屋が徒歩圏内あるような住宅地で老若男女そこそこいる。
けど、うちの自治会、コロナ前から地域の運動会以外の活動をしてなくて、ただの集金マシーンになってたよ。
二世帯も多いんだけどジジババしか自治会に出てこないし。引っ張ってく人もいないから、自分の班長が終わったら自治会抜けてく。自分が班長の時は、運動会お願いしますとかいって頼んできたくせに恩を仇で返された。
あと自治会を抜ける理由は、老人世帯は、老人会がしんどいってぬけてくんよね。いろいろイベントあるらしい。
それに比べてさ、池田町の区長さん達は実に田舎くさく旧来の価値観で行動してると思う。でも、自分達の地域を守っていこう意気込みはあるよね。
でも、行動している分区長さん達は偉いと思うんだけどな。