はてなキーワード: 詭弁とは
堅白同石とかいう言葉を使った当の公孫龍はこれを詭弁と思ってなくて本気でこの論法がまっとうなものだと思っていたんだろうか?
こんな屁理屈と誰から見てもあからさまな言葉でその場を穏便にやり過ごせるとどうして思ったんだろうか?
いったいどういう状況でこの言葉を使ったのか知りたくなった。
物理の参考書を捲ってみたら下記リンク先のimgurにアップしたグラフと共にこういうことが書いてありました。
(完全なurlを記載したら書き込めなかったのでご容赦ください)
つまり、(モル比熱C)=(熱量Q)/(モル数n)×(温度の変位ΔT)で定義されるが、同じ温度(ΔT)だけ温めるのにも温め方によって必要な熱量はいくらでも変わるから、比熱は具体的な数値としては何通りも定義できると書いてありました。
たとえば体積一定の状態で温める場合はグラフでいうならAからBに向かってP軸に平行に等温線にぶつかるまでの経路上で必要になる熱量で定義される。これが定積比熱だとありました。
圧力一定の場合もまた同様の考え方でV軸に平行な経路をとったときの熱量で定義され、これが定圧比熱だというわけです。
それなら気体の状態方程式の気体定数もそれに対応する熱量から見れば等温線にたどり着くまでの経路として表現されるはずなわけですが、それについては書いてありませんでした。
に対して返ってきた答え
答えになってねーよ。わかったような口きくぐらいなら黙ってろよ虚栄心まみれの暇人が。
なのでこう補足してやった
経路に依存しないという条件で定義のつじつまを合わせて概念を作ったのではなく、あくまで定義したものが状態量の条件を満たしていた、ということですよね?
それなら定圧・定積比熱が経路に依存するのに対し、経路に依存しないことはどうやって示すことができるのでしょうか?解説いただけるとありがたいです。
758ご冗談でしょう?名無しさん2023/02/18(土) 11:10:15.83ID:???
というより、今調べると定圧・定積比熱も状態量のようですね。
とすると、定圧比熱などにおける「経路に依存しない」とは、二次元グラフ上で圧力一定を満たす経路が一通りしかないという意味においてだと考えられます。
アニミズム的に考えると、「午後の紅茶」にも人間のように、人格のようなものが存在すると想定してもおかしくはない。
そうだとすれば、「午後の紅茶」も人間のような考え方をしたりするはずで、
例えば、自己実現への意志、つまりは自己顕示欲みたいなものがあったとしても、おかしくはないと思う。
それならば、「午後の紅茶」は自身をもっと目立たせたいと思うはずだ。自己拡張を目指すはずだ。
もっと言うなら、「午後の紅茶」は、より上位の概念に成り代わろうとすることもあるはずなのだ。
包含関係を考慮すれば、それはきっと、単なる「紅茶」であろう。
つまり、「午後の紅茶」は、現在知られている「紅茶」という存在に成り代わって、新たな「紅茶」という存在になれたのなら、
「午後の紅茶」は今よりも、より広い概念を包含することができ、自己拡張は果たされることとなる。
それは、名称の差分が示す通り、午後にだけ飲まれるか否かということである。
それならば、「午後の紅茶」は人間のような自己顕示の一環として、午後以外の時間にも飲まれるよう努力するのではないか。
つまり、午前の時間帯にも飲まれるよう、その香り、その風味、その色合いを変容させうるのではないか。
だから、人々が「午後の紅茶」を午前に飲むという行為は、人々の意志だけで行われるものではなく、「午後の紅茶」自身の努力の賜物だとも言えるのだ!
ここを見落としているから、「『午後の紅茶』を午前に飲む奴はおかしい」なんていう勘違いを起こしてしまうのだ。
人々が「午後の紅茶」を午前に飲んでしまうのは、単に、その人々が「午後の」という形容詞を無視しているからではない。
それはむしろ、「午後の紅茶」自身が自己拡張を目指し、自己変革を遂げた結果である。
その努力により、人々はそういう行動を取っているというだけで、だから、そういう人々には「おかしい」と責められるいわれは無いはずなのだ。
つまり、人々の意志というより、「午後の紅茶」の意志こそが、そういう行動を実現させているのだ。
それゆえ私は、そうした人々を「おかしい」などと糾弾するつもりはなく、むしろ、「午後の紅茶」の努力の結果が実を結んだことを寿ぐべきと思う。
「午後の紅茶」が、上位概念である「紅茶」に近づいたことに、私たちは喜びをもって、その新たな美味しさを心地よく飲み干すべきではないのか。
まあ、なんにしても、「午後の紅茶」は美味しいだろう。私はやはりミルクティーが好きだ。
それを午前に飲みたくなる魅力が「午後の紅茶」に備わったとして、何の問題も無いだろう。
私はsideMを主にやっているPですが、みんマス(スタマス・ツアマス)思想がマジで嫌いです。先日のツアマス発表でその嫌悪の感情がめちゃくちゃ増してきました。
何故かを端的に言うと「sideMの扱いが悪い」。裏を返せば「765デレミリを優先してる」とこが嫌いです。
「みんなまとめてアイドルマスター」なんて標語、「ブランド越境の代表作」であるはずのスタマスからsideMをハブってる時点で無意味でしかないんですが、まさかツアマスで同じ事を繰り返されるとは思ってなかったのでお気持ち長文を書かざるを得ない。
sideMは2020年からの新参なので、スタマス発表当時の各プロデューサーの怒りには遠く及ばないけど、にしてもこの穴だらけの展開で腑抜けた事抜かすなぁ…とずっとイライラしてきました。
その点ポプマスは本当に良かったと思います。ちゃんと実装ペースも展開順も平等に近かった。近いのであって平等ではない(本当に平等なら初期実装アイドルの人数は各ブランド統一すべきだったし、デレばっかりのターンがあったので)けれども、sideMをハブってないし特段扱いが悪いとも感じなかった。
ポプマスは残念ながらサービス終了してしまいましたが、「他ブランドのアイドルに興味が無かったからガシャを引かなかった」というまさしくサ終の原因でしかないプレイスタイルだったので罪悪感はあります。ただ、悲しいかなこのポプマスの結果がまさに「みんマスは無理」という証明に他ならないと思います。
結局普段からやっているブランド以外に大きく興味は持てない層が大多数だったから、ああいう結果に落ち着いたはずです。イラストやパズルゲームというフォーマットが好きだったので悲しくはありますが、同時に「そらみたことか」という感情もかなりありました。
今回のMOIW2023の席が最後まで埋まらなかった件も同様です。「どうせ765デレミリが主軸でsideMの扱いは悪いんだろう」という予想が先行して私は行けませんでした。これは私が単に一人で決めつけてるものとして、本当にみんマス思想が受け入れられてるならプレミアム先行→プレミアム2次先行→一般抽選→一般先行(当日券あり、埋まってない)という醜態は晒さなかったと思います。ライブ前に書いてるので内容がどうかは知りませんが。
結局5ブランドそれぞれが独立している以上平等な扱いも全員を好きになってもらう事も不可能なんだから、みんマス思想なんて合同曲程度に留めておけばいいというのが私の見解でした。何よりsideMの不遇な扱いをこれ以上見たくなかったので。
そこでツアマス。sideMは正規サービス開始時から追加だそうです。スタマスのモデルを流用してるので〜とか、sideMのモデルは新造しなければいけないので〜とか、もうこの言い訳が出てくる時点でみんマスなんておためごかしでしかない証左ですよ。「sideMは後回しでもいい」というのが運営の見解です。仮にツアマスのモデルが新規に作られるとして、その場合に765ASが後からなんてあり得ないですよね?アーケードという媒体も勿論ですが、みんマスを言い出した人達の根幹にあるものは765ASなので。
まあ後回しになる事に納得はしていないけど、やってもいないうちに批判するのは本意ではありません。アイマス運営に平等なんて期待していないので。ただ、描き下ろしカードを見て本当に苛立ちました。春香のカードとしてセンターが集合したものがあるんですが、当然のように輝がいない。
ああアイマス運営は本当にsideMを嘗めてるんだな、みんマス思想なんて上辺だったんだなと再認識させられました。先行プレイできる範囲にはsideMはいないから、先行で排出されるカードにもsideMはいない。そんな理由がまかり通るなら、やっぱりみんマス思想はカスです。早く「sideM以外まとめてアイドルマスター」に変えろよ。
何よりこの765デレミリの枠組みにシャニマスも巻き込まれてるのが本当に嫌です。765ASの直系というべきか、特別繋がりの強いデレミリと違って、シャニは完全に分断されたコンテンツです。アイドルマスターとの繋がりなんてタイトルと合同曲くらいしかありませんよ(そのタイトルでやってこられたのは事実ですが)。
頼むから「みんなまとめてアイドルマスター」なんていう詭弁でしかない上っ面の標語を今すぐ捨ててくれ。もしくは捨てなくていいから合同曲だけ作っててくれ。765デレミリが主軸のアイドルマスターなんていう沈みかけてる泥舟にsideMとシャニを巻き込まないでくれ。誰も喜ばない越境なんてしないでくれ。
今すぐみんマスを捨ててくれ。
2023/4/4追記:これがみんなまとめてアイドルマスターの結果ですか。沈みかけている船から真っ先に捨てられる荷物がsideMとは思いもしませんでしたが、とりあえずバンナムを一生憎んで生きていきます。