はてなキーワード: 記法とは
釣りくさいけど本当としていうと
祖父母やら親やらのことが嫌いというのと
ふがいない自分が嫌いというのをまぜこぜにして
そういう切り分けのできないお子さんだって
「証拠をつきつけ」てどうするんだろうw
お前が嫌がって泣くから言わなかったんだけど
そもそもハーフだクオーターだっていう言い方も人種差別的であり
あなたがなに人でもいいけど人としておかしいことをしないようにね
ゆっくりリラックスでき真実を話せる雰囲気をつくってからでないと
インタビューではなく失礼な問い詰めであって
欲しがってそうな嘘、言い逃れを適当にあたえておっぱらうしかないですよね
自他への思いやりを忘れない(思い出す?)ようお大事になさってください
「を」の発音問題に関しては、現在「を」しか残っていないわ行の問題と考えるべきなのか。「わゐうゑを」「ワヰウヱヲ」だよなあ。だったら/w/を頭子音とする行だ、で済みそうな話だ。
でも何か引っかかることもある。たとえば、今我々の身近で「を」以外のわ行が出てくるものとして「ヱビスビール」の「ヱ」があるわけだが、これはローマ字表記では昔から"YEBISU BEER"と書かれる。でもや行のえ段は旧仮名の時代から「エ」って書くんだよな。
あと、井関農機株式会社というのがあって、これは昔から片仮名表記で「ヰセキ」という記法を使い続けていた。ところがローマ字では"ISEKI"なんだよな。
これらに対して「ニッカウヰスキー」なんかの場合は、まさに whisky の whi を「ヰ」で書いているわけだよな。森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』も、現行の本で見ると『ウィタ・セクスアリス』になっている。これはラテン語の vita sexualis だが、この場合のラテン語における v の発音は /w/ だからこの表記は納得がいく。
これらからすると、わ行の仮名表記ってのは実は結構いい加減に使われていたんじゃないか? ただ商標の場合、オリジナリティを主張する為にわざとわ行の旧仮名を使ったんじゃないか、という疑念も拭えないけど。「を」は助詞の「てにをは」の「を」で現在までがっつり出てくるから、wo というかたちで厳然として残っているのか。うーむ、日本語って難しいよなあこういうところが。
これは仮説ではある。けども結構正しいのではないかと考えている。
江戸時代以前は元号はすぐに変わるから、例えば数年前、10年20年ぐらい前のことを示すには不便だ。だから、十干十二支が併用されていた。
しかし、一天皇一元号となり、元号があまり変わらなくなった。なので、元号を重んじて十干十二支の重要性が減っていった。と共に、文明開化により西暦が日本に入ってきた。
それでも元号を使うと数十年に一度はやはり元号が変わる。昭和は60年続いたからともかく平成は30年。
次の令和も今皇太子殿下は今59歳だ。80歳で次に譲るとすると令和は20年で終わる。
その次が継承順位通りだとと弟の秋篠宮殿下だ。ただ、秋篠宮殿下が天皇になった時の元号はおそらく数年で終わりだ。
ましてや、IT化が進展して、歴を変える手間がどんどん大きくなってくる。
暦にとって永続性はやはり必要だったから元号と十干十二支の使い分けがあった、そして、変わらない西暦が重んじられてくるのではないかと。
なお、十干十二支というのは、十二支に加えて、十干も組み合わせて年を表す記法。
甲子園の甲子とか、辛亥革命の辛亥とかだ。60年で一サイクル。
江戸時代以前は元号はポコポコ変わった。天皇が変わったからとか、飢饉が起きたからとか、古い時代だと珍しい亀が見つかったから元号を変えたという話もある。
だから、元号より変わらない十干十二支が一定の地位を持っていた。
ITの世界でも暦のトラブルは元号以外に多くある。西暦の下2桁で取り扱っていたがゆえに起きた2000年問題はわかりやすく有名だ。
秒が16ビット取り扱う系では2038年にも問題を起こす。しかも、これ現皇太子殿下の譲位に近い時期じゃないの。
ITは所詮道具に過ぎず、そのITでなす商売やらサービスやらがある。元号関係は枝葉末節。
どんどん西暦化は進むのだろうなぁと。
Julia は、少し Ruby に似すぎている。
Python では、1ファイルが暗黙のうちに1つのモジュールとして扱われていて、他のファイルからそれを明示的に読み込むことになっている。
Ruby と Python のコードを読んでいると、あきらかに Python のコードのほうが読みやすい。
システムが大きくなればなるほどそうだ。
それは Python の明示的なモジュールインポート形式のおかげだ。
Julia は Ruby 風に、end でブロックが終わる。これもかなりうざい。
Julia の良い所は、
1. 速い
の2点だろう。
並列プログラミングがどうのとか、他にもいろいろあるみたいだが、データサイエンスの現実の用途でどれくらい使うものかどうか・・・。
Julia は一部の信者たちの間で盛り上がっているみたいだが・・・。
私がもう歳を取ったからこういう風に新しいものに拒否的になっている可能性も否定できないので、増田に書くに留める。
言語としては、Python のほうが好きだが、もし Julia が主流になるなら、ためらいなく Julia に移行するつもりだ。
時流には逆らえないからだ。
ただ、本当にそんなことが起こるのだろうか・・・?
長くソフトウェア業界にいて、私が学んだことは、「従来より若干よい程度の技術は決して主流にはならない」ということだ。
みんなが新しい技術のほうがよいことは認める。ただ、既存の資産をすべて放棄してまで移行する価値があるか、という質問に
yes で答えられない場合、結局誰も移行せず、新しい技術の周りにはいつまでたってもエコシステムが形成されない。
そうやって滅んできた技術を無数に見てきた。
本当に生き残る新しい技術はもっと disruptive なものだ。
「何かをするにはそれを使うしかない」という場面がないと、新しい技術は採用されない。
まさに最近の Python がそうだ。機械学習をやるには Python を使うしかない。だから、Python をやる。
Julia と Python はできることが似すぎている。煎じ詰めれば Julia は単なる速い Python というだけだ。だったらすでに Cython があるじゃないか?
私はたぶん Julia は主流になることなく、一部の熱心なファンに愛されるだけの言語になるだろうと予測している。
部分的に Julia に適した問題もあるだろうし、それは Julia で解けばいい。
別にanond:記法を使わずにhttp:でトラバするのが悪いことだとは言わないけど
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■https://anond.hatelabo.jp/20190116122651
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変わり種で a href 使ってるおるヤツもおるが
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■https://anond.hatelabo.jp/20190116122651
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ほんと斬新な発想だよね
百人に一人しか支持しないような珍しい発想と、十人に一人の書き癖をあわせ持つ人がたまたまこのツリーにだけたくさん現れて、話題が変わったらたまたま一斉に帰ってると考える方が圧倒的に自然なのにね