子供の時の自分の方が、大人になった自分よりずっと賢かった。さっき娘を叱っててふと子供の頃に考えていたことを思い出した。
大人になることは許されないことが増えていくことだ。
うちはシングルマザーで幼少期に教育というものはほとんどなくて放置されている方が多かった。
よく川で魚を獲って遊んでいた。
小学1年か2年くらいになって多分学校の先生に右と左わからないの藤井くんだけですよ。とでも言われたんだろう。
その発言で今まで何も教えてこなかった親が焦燥感から慌てて右と左を教えてきた。
聞かれて答えるけど、間違えると叩かれた。
右は箸持つほう。左はお茶碗持つ方とか理屈で教えてもらえたらよかったんだけど。左は?右は?みたいな感じで感覚で覚えさせられた。多分感覚で即座に答えられるものだと思っていたんだろう。感覚で答えられないのはおかしいと思っていたんだろう。
今までそんなことはなかったから、叩かれるのが怖くて感覚で答えるんだけど、理屈が分かってないから間違える。泣きながらパニックになりながら答えて間違えてまた叩かれた。
そんな親のもとで生きていて昨日まで許されていたことがある日突然許されなくなることが何度かあった。
でもそれを少し経ってから振り返ってみると、方法はどうあれ、許されなかったことはやはり生きていくことには必要なことで、大人になることは当然に出来ることが増えていくことであり、当たり前が増えていくことだと思った。
そして大人になると。許されないことは自分のことだけでなくなり、家庭を支えること、安定して収入を稼ぐこと、生活水準を落とさないこと、などなと社会性を増してくる。
そう働いてお金を稼げないことは許されないことになる。
妻の方が稼いでるという家庭はあれだが。夫の収入に頼っている家庭は、そんな大人になって課せられる高度な許されないことを夫は頑張ってこなしている。
なのでそんな家庭はもう少し夫を敬って欲しい。なぜなら夫は許してもらえるように必死で戦っているから。大人としての自分という在り方を全力でまっとうしているから。
偉いよ。世の中のお父さん。