はてなキーワード: 無宗教とは
・死んだら人はどうなるの?終わり?
宗教によるが、無宗教の私は「映ってたテレビを消すみたいに、死んだら何も感覚がなくなる。死後の世界はないし、先に死んだ人にも会えない」と思っているよ。
お腹ゴロゴロしない牛乳が売られてるから、いるんじゃないかな。
お茶碗って縁とイトジリで主に持つから、そんなに熱くないんじゃないかな。
・スヌーピーってなんで今も人気なの?
ソニー・クリエイティブプロダクツという会社がいろんな企業にスヌーピーの使用権を販売していて、いろんな会社がピーナッツのキャラクターを使っているから。保険会社で言えばメットライフ生命が帽子なし、日本生命が帽子ありのスヌーピーを使っている。そういった目にする機会の多さから人気があるんじゃないかな。
・なんでおじさんは自分の話ばかりするの?
若者しか着られないようなピチピチの服が流行るよ、以前話題になった草薙素子服、ああいうのだよ。
これ以上増えると集合体恐怖症の人からクレームがくるから、もう増えないよ。
痒くなくても、他人に感染さないような努力はしたほうがいいかもね、このご時世何で炎上するかわからないから。
・最強のふりかけって何?
国語審議会によると「女子は22歳まで」だそうだから、年齢でラインを決めるならその辺りじゃないかな。別に部屋で着る分には何歳でも着て楽しめばいいと思うよ。
・増田って本当に漏らしてるの?
は?漏らしてないんだが?
帰宅途中、「すみません」と声がしたので振り返ると、声をかけてきたのは20代前半と思われる女の子二人組だった。
一人は欧米系でもう一人はアジア系。近くに語学学校があるのでそこの生徒さんかなーと思って、立ち止まってしまった。
二人とも名札を付けていた。イエスなんとか所属……と見えたので、あ、これ宗教系の声掛けだったか、と気付く。
人通りはそれなりにある通りなので、まぁおかしな事にはならないだろうと思って、そのまま話を聞いてみた。
「あのー、皆さんにお尋ねしているのですが、あなたには人生の目標はありますか?」
たどたどしい口調でそう質問された。
えー、そんなのないよ。今も残業して買えるところだし、毎日生きるので精一杯だよ。
「いえ……特には。ないです」
無宗教なので、ないと答える。
「私は信じている神様はいないけど、信じること自体はよりどころになるから、信じている人にとっては、神様はいるんじゃないですかね。」
そう答えた後、二人組はにこやかな笑顔で「ありがとうございましたー」とお辞儀をした後、去って行った。声掛けのノルマとかだったのかな。
家に着いた後、コミケの原稿しながらからやり取りを思いだしたんだけど、あー、信じている神様いたわ、ってなった。彼女らが求めていた意味とは違うけど、刀の付喪神(ジャンルは刀剣〇舞だ)についてのあれこれで何万字も文字を書いて本出してるんだから、それは信じていると言えるわ。同人誌を出すのは宗教めいてる。
同好会の趣旨が教育や社会、コミュニティ自体の方針について考える会みたいなものです
アニメやゲームでも人生を語りますし、スポーツや文学で生死や社会を語りもします
同じものです
教育を一定期間担って集めるものも学校などとしてありますし、収益化を目的に集まる会社などもあります
生活の様式や基礎的な知識、常識といったもの他共有する情報についてとりまとめようというのが共同体単位で浸透する宗教です
その生活様式の主体が基本理念に沿うようになれば何だって宗教です
宗教はその対象を生活や人間の活動についてを主体にしているので殊に取り上げられやすいだけです
またその主体の無さから目的として人とのつながりを利用するためとして利用されがちでもあります
アイドルやゲームや小規模な継承文化、風景や施設なんかも宗教のようなふるまいをすることがあります
人が集団になることについての仕組みがコミュニティの形成、集団形成についての論や定義になるだけです
問題になる集団は宗教や反社会的組織など限られた一部になりますがこれらがほかのコミュニティ形成と大きく異なる点があるところです
基本的に個人が形成するコミュニティは規模的に国家の下になります
国がいちばん大きなコミュニティで、生活を保障し人権を定め生活をよりよくする手立てを施します
宗教だけしか人を救わないと言う前に、国が人権によって宗派も関係なく国民と認定した人間すべてに対してこの世で現時点の救済をする仕組みになっています
宗教と反社の問題点は、この国の下で組織体として「独立した経済域を形成しがち」なところです
どの国でも重い罪に問われるのが偽札の発行
これは国が定義する国としての価値そのもの、それはコミュニティの存在の意義そのものについて反抗するからです
大きな組織が内部で独自の通貨を形成して、それが国の発行している通貨を介さなくなればどうなるでしょうか
独立して「そういう教義の国家をつくればいいんじゃね」って段階に至る時点で国内に存在しているだけで問題の組織になります
組織体として隣人と交渉を等価で平等に行う条件が保たれている限り、コミュニティの問題は各個人の問題に留め置けるものでしょう
宗教もアニメのファンクラブやサブクス、保険やサークル会員のように会費が必要です
それによって維持されています
人が救われるのは宗教だけではありませんし、実質救済措置を実行するのは国です
国が国としての定義を安定化させるために国教を定めているところもあります
方策の一つ、手段の一つでしかないので楽ですし問題もないでしょう
日本が無宗教でコミュニティを維持できている理由のひとつに、常識という名の定義がほぼ一つに共通しているからだとも言えます
宗教で戦争や人種で戦争など体験したことがないので想像するのがむつかしいかと思いますが、様式の違いだけでたいへんな争いになります
それは生活の基本的な様式や常識がちがうから、そこで都度つかわれるコストがことなるから、それは通貨が違っているからということに近いものがあります
もし問題があったり要求があったりして交渉したくなった場合、通貨がちがうので交渉にならないのです
ならば解決の方法はどうなるかと言えばそれは人の歴史が物語っています
独自の経済圏を築こうとした時点で問題がありますし、それは国が問題を解決すべきとなることです
そのため複数利用したい人は個人的に複数の組織に参加することになります
さすがに国はまたげないので、そこで問題になりがちなのが先ほどの規模の組織体ということになります
核家族化して個人がそれぞれ自分の人生の終焉を選択しなくてはいけなくなった現在、宗教による個人の利用価値は大きくなっていると思います
また実質宗教の組織維持の活動として最も強力なものは救済ではなくコミュニティという組織価値の運営にあります
宗教というコミュニティ形成をあまり特別視しすぎてしまわないほうが、より広い人間関係において問題が大きくならずにすむかと思います
・初詣や里帰りはゲン担ぎ要素があるかすら定かでない(ただのイベントとして行う人は大いに居る)
本人たちにその自覚がまったくなかったとしても、お盆の帰省の原点に祖霊信仰がある限り彼らが自然宗教の信者であり、自然宗教の重要な行事であることには変わりない
無宗教の定義を捻じ曲げてまで「この人達は無宗教である・ない」を論じる意義がわかりません
なんか頭が混乱しておられるのでは
これも無宗教的発想だよな
もし、宗教を理解していて、さらにアフガニスタンが宗教による統治を重視していることがわかっているなら大仏なんて破壊するのが当然だとわかるのに、
クリスマスにご馳走食べてプレゼント送りあうだけだと宗教行為にならなくて
元旦に神社に初詣に行くのが宗教行為ってのの違いがわからないから無宗教なんだと思うよ
どっちかっていうと習慣
イースター祝って
お盆に休んで
ハロウィンやって
クリスマス祝って
初詣行って
ハラールフード美味しいと言ってみたりして
ありとあらゆる宗教の楽しいところやいいとこ取りして、ミサにも出ず、寄付もせず、檀家にもならず、ガチハラールもせず本質的な部分を一切理解しない行為を無宗教と呼ぶんやで